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自己紹介

はじめに  こんにちは最近、ココナラを積極的に始めた宮川というものです 今回ココナラのサービスの一つであるブログ記事を初めて書いてみようと思い、このようなタイトルでブログ記事を書かせていただいています! 高校の時からの経歴とどんな人間だったかを知っていただければと思います。 高校時代 現在は東京で一人暮らしをしていますが、高校は大阪にある普通科のところに通っていました。趣味の領域でネット関係のことや自作PC制作などを行い、技術を身に着けて皆さんのサポートをできる程度に独学で学んでいった感じです。主に学習方法はYouTubeや両親の知人にネット技術(主にガジェット)に対しての知識に長けた人がいたのでその人から話を聞いたりなど様々なソースを元に自分なりの結果を出して学んでいった感じです。  高校の時より、iPadの学習方法や、生活を豊かにするガジェットとして積極的に紹介するようなブログを書かせていただいたり、他サイトで動画編集の依頼や文字起こし、メルカリなどの販売業務委託等を行っていました!  高校生の自分を年齢の観点を気にせずにそのような経験をさせていただいた、今までのクライアント様たちには大変なありがたく思っている心情です。 現在、ココナラを始めた理由について 現在は東京に上京してきて、大学に通っています。学部でいうと詳しくいうと大学がバレてしまいそうなので言いませんが、人工知能について学ぶ大学に在学しています。  ココナラを新しく始めさせていただいた理由は他サイト(ランサーズやクラウドワークスなど)では主にクライアントさまが企業様や、サービス運営者様が多く、一般の人からの依頼
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君子危うきに近寄らず

今日の会話の中で出てきたことわざなので、取り上げてみました。こういう風に思ったときはありますか?どこに危険があるか潜んでいるのか分かりませんよね。「君子危うきに近寄らず」とは、教養があり徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかないということです。「君子」とは、学識・人格ともに優れ、徳のある人のこと。 「君子危うきに近寄らず」は孔子の言葉と思う人も多いが、これに酷似した言葉は『論語(孔子の言行について纏めた書物)』にはない。 正確な出典は不明であるが、『春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)』には「君子不近刑人」とあり、これが元になっているという説が存在しています。「君子不近刑人」という漢文は「君子刑人に近寄らず」となり、「聡明で徳のある人は、罪を犯した危険な人間には近づかない」という意味を持ちます。または「君子は罪を犯した人間には近づかない」という言葉です。なので、どちらにしても「君子危うきに近寄らず」の由来には、これなのではないかという説があるのです。「君子危うきにのぞまず」とも言います。危険な場所や物や人などには近づかない、関わらないのが一番賢いことだと「君子危うきに近寄らず」では、そう伝えたいのだと思います。●まとめ「君子危うきに近寄らず」とは、教養があり徳がある者は、自分の行動を 慎むものだから、危険なところには近づかないということです。 「君子」とは、学識・人格ともに優れ、徳のある人のこと。恒例の例文。「何かスカウトされた友人に、君子危うきに近寄らずだよと伝えてみたよ」こういうのでいかがでしょうか? (台風17号ができそうですね?)レンちゃんママ
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嘘も方便

嘘はつかないようにしていますが、それが相手のためになるなら、私も嘘をつくかもしれません。あなたなら、どうしますか?難しいですよね。「嘘も方便」とは、嘘をつくことは悪いことではあるが、時と場合によっては嘘が必要なときもあるということです。目的を遂げるために、時には嘘をつくことも必要になるという意。 「方便」とは、仏教用語で、衆生(しゅじょう:一切の生きとし生けるもの)を真の教えに導く為に用いる仮の手段のこと。悪事に結びつく嘘を許されるという意味で使うのは誤りなので注意を。「目的を達成するための使う便宜的な手段」をあらわし、あくまでも相手の利益になることを前提に、やんわりと嘘を肯定している表現です。ここで面白い雑学を。「方便」の語源はサンスクリット語の「ウパーヤ(upaya)」で、「(目的に)近づく」という意味にあとから漢字を当てたものです。 「ウパーヤ(方便)」は、解脱(悟り)のために必要な仏の智慧「般若(はんにゃ)」を体得する手段として欠かすことができないものとして、位置づけられています。サンスクリット語は、古代インド・アーリア語に属する言語だそうです。「ウパーヤ」がどうやったら、「方便」に繋がったか分かりませんが、仏教を通してきたというのは面白いですね。●まとめ「嘘も方便」とは、嘘をつくことは悪いことではあるが、時と場合によっては 嘘が必要なときもあるということです。 目的を遂げるために、時には嘘をつくことも必要になるという意。例文ではこうでしょう。「料理の中に苦手な物があったけど、嘘も方便で喜んだ」 (台風の進路が気になります)レンちゃんママでした。
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初心忘るべからず

何事にもこれが当てはまりますね。何かに取り組んでいるとき、このことわざを思い出してください。原点に戻るのも大事。「初心忘るべからず」とは、何事においても、始めた頃の謙虚で真剣な気持ちを持ち続けていかねばならないという戒めの言葉です。学び始めた頃の謙虚な気持ちを忘れてはならないという戒めで、世阿弥(ぜあみ)が能楽の修行について言った言葉。 『花鑑』に「当流に万能一徳の一句あり。初心不可忘」とあるのに基づく。「初心不可忘」とは、しょしんわするべからずと読みます。詳しく書くと、こうなります。「しかれば、当流に、万能一徳の一句あり。  初心不可忘(しょしんわするべからず)  この句、三箇条の口伝あり。  是非初心不可忘(ぜひのしょしんわするべからず)。  時々初心不可忘(じじのしょしんわするべからず)。  老後初心不可忘(ろうごのしょしんわするべからず)。 この三、よくよく口伝すべし。」第一の「是非の初心を忘るべからず」は、自分の芸が上達したかどうか判断する基準となる初心を忘れるなということ。ここでの「初心」は、初心時代の未熟さのこと。第二の「時々の初心忘るべからず」は、その年齢にふさわしい芸に挑むということは、その段階においては初心者であり、やはり未熟さ、つたなさがある。そのひとつひとつを忘れてはならないということ。第三の「老後の初心忘るべからず」は、「老年期になって初めて行う芸というものがあり、初心がある。年をとったからもういいとか、完成したとかいうことはない」ということ。初めてのことに取り組む際の新鮮な気持ち、初々しい気持ち以上に、自分の未熟さを忘れるな、つたなかったときのことを
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千里の道も一歩から

コツコツと歩んでいけば、成功もすれば失敗もあるでしょう。でも、ときには立ち止まって、立ちつくして休憩をするもよし、後ろを振り返るのもいいと思いますよ。色んな道がありますね?「千里の道も一歩から」とは、どんなに大きな事業でも、まず手近なところから着実に努力を重ねていけば成功するという教えです。千里もある遠い道のりであっても、まず踏み出した第一歩から始まるという意味から。 『老子』に「合抱の木も毫末より生じ、九層の台も、累土より起こり、千里の行も足下より始まる(両手で抱えるほどの大木でも、毛先ほどの小さな芽から成長し、九層にも及ぶ高台も、小さな土を重ねることから着手し、千里の道のりも足下の一歩から始まる)」とあります。 古代中国の思想書である「老子」の言葉が由来だそうです。人なのか本なのか不明ですが、思想書「老子」から出てきた言葉です。「千里の道も一歩より始まる」「千里の道も一歩より起こる」とも言います。現在、大きなトラブルについてではなく、大きな事業について使われます。「里」は昔の長さの単位で、古代の中国では、だいたい400メートル程度になるとのことです。類義語には、「千里の行も足下に始まる」、「高きに登るには卑きよりす」、「始めの一歩、末の千里」などがあります。他にもありますが、割愛です。英語は、Little by little one goes far.(少しずつ歩いて、人は遠くまで行く)だと思います。人それぞれ、道というものは違うと思いますが、日々の一歩を大事にして、目標に向かって突き進んでいきたいものですね。●まとめ「千里の道も一歩から」とは、どんなに大きな事業でも、 ま
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怪我の功名

愛犬に嚙まれたので、このことわざを持ってきました。生易しいものじゃなかったんですけどね。怪我は。本気噛みの流血沙汰ですよ。寝ぼけていたみたいですが…。私情を挟んだものを選んでしまいましたが…「怪我の功名」とは、失敗や過失、あるいは何気なくしたことなどが、偶然によい結果をもたらすことのたとえのことを言います。「怪我」とは不測の結果・過ちのことを言い、「功名」とは手柄を立てて名を上げることで、過ちが思いがけず生んだ手柄という意味から。「怪我の巧妙」や「怪我の光明」などと書くのは誤りです。注意を。もともとのことわざの成り立ちを書くと、「けが」を「怪我」と書くのは当て字で、もともと過失や偶然の負傷を表していました。 また「功名」は、古くは「高名」と書き、高い評判という意味でしたが、次第に手柄の意が生じました。現在では「高名」とするのは誤りです。故事成語などではなく「怪我」という言葉の比喩から出来たことわざです。 「怪我」は実際に負傷をしたことだけを表しているのではありません。 「けが」を「怪我」とするのは当て字ですが、元々は「穢れる(けがれる)」のことで「誤ること、偶然負傷してしまったこと」といった意味を持ちます。 そのため、怪我以外の不測の事態やふとした過ちを表します。病気や怪我、仕事での失敗、日常の小さなミスなど様々なネガティブなことに対して使うことができます。それらから好結果を得ることを表します。意外と奥深いことわざですよね?●まとめ「怪我の功名」とは、失敗や過失、あるいは何気なくしたことなどが、 偶然によい結果をもたらすことのたとえのことを言います。 「怪我」とは不測の結果
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虎穴に入らずんば虎子を得ず

ずっと読みを間違えていたことわざです。有名なことわざなのに。あなたは正しく読めましたか?中国から来ていることわざです。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とは、危険を避けていては、大きな成功も有り得ないということのたとえのことを言います。虎はその子を非常に大事に守り育てるところから、虎の子は、とても価値の高いもののたとえとして使われます。その虎の子を得るためには、虎の住むほら穴に危険をおかして入らねばならないことから、危険をおかさなければ大きな成功や功名は得られないということ。 後漢(ごかん)の班超(はんちょう)が匈奴(きょうど)との戦いで危機に陥ったとき、部下に言った言葉から。この言葉で鼓舞したんですね。ことわざの言葉を言い、みんなを発憤させた結果、敵を打ち破ることに成功、結果、班超(はんちょう)は西方諸民族を平定した英雄となったそうです。現在では「虎子」は「虎児」とも書き、「こし」とも読みます。「虎穴」を「虎口」とするのは誤りです。 私が間違えて読んでいた「入らずんば」を「はいらずんば」と読むのは誤り。正しくは「入らずんば(いらずんば)」と読みます。あなたは正しく読めたでしょうか?もしどこか間違っていたら、一緒に修正しておきましょう。●まとめ「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とは、危険を避けていては、大きな成功も 有り得ないということのたとえのことを言います。 虎はその子を非常に大事に守り育てるところから、虎の子は、とても価値の 高いもののたとえとして使われます。その虎の子を得るためには、虎の住む ほら穴に危険をおかして入らねばならないことから、危険をおかさなければ 大きな成功や功名
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青は藍より出でて藍より青し

このことわざは聞いたことあると思います。意味は?と言われたら、うまく答えられないかもしれませんが。でも、実はとても大切な教えの言葉なのです。どういうことなのか書いていきます。努力が実を結ぶとき。「青は藍より出でて藍より青し」とは、弟子が師匠の学識や技量を越えることのたとえに使われます。「藍」とは、染料に使う藍草のことで、藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色となります。その関係を弟子と師匠にあてはめて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという意のことわざです。荀子(じゅんし)の言葉で、学問や努力により持って生まれた資質を越えることができるということ。このことわざは2つの意味を持ちます。 1.人は学問や努力によって、もともと持って生まれた本性をも越えることが  出来ること。 2.弟子が、師の学識や技量を越えること。 2の意味で使うことが多いですね。「青は藍より出でて、藍より青し。氷は水これをなして、水より寒し」に基づきます。類義語にも、「氷は水より出でて水より寒し」とあります。同じく弟子が師よりも勝る事をたとえたことわざです。詳しく書くと、水からできた氷が水よりも冷たいということから、「門人が師よりもすぐれたものになる」というたとえです。「青は藍より出でて藍より青し」がとても大切な教えかというと、門人が師よりも一歩進んだ修養ができていることをたとえた言葉という点で、それは「努力によって修養を高めることができる」ということだからです。頑張り次第で師さえ超えていけるということですね。●まとめ「青は藍より出でて藍より青し」とは、弟子が師匠の学識や技量を越えること のたとえに使われます。 「
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転ばぬ先の杖

省略ことわざがたぶん出尽くしたので、有名どころを持ってきました。意味は大体のことは分かっていると思いますが、復習も兼ねて書いていきたいと思います。杖があると何かと役立つでしょうね。「転ばぬ先の杖」とは、失敗しないように、万が一に備えてあらかじめ十分な準備をしておくことのたとえのことを言います。転んでから杖を用意しても何の意味もなさない。転ぶ前に用心して手に杖を持つべきだということです。 また、転んで怪我をする前に、体を支える杖を準備することから、様々なリスクに対して「準備・用心すること」の例えとして使用されます。「先」とは、ある基準より前(時間的に)という意味を持ちます。 「転ばぬ」の「ぬ」は「転ぶ」の打ち消しの助動詞で、「転ぶ先の杖」としても意味は変わりませんが、ことわざでは「転ばぬ」を用いるのが一般的。 「転ばぬ先の杖柱」、「倒れぬ先の杖」、「こけぬ先に杖」とも言います。「転ばぬ先の杖」は、「不測の事態にそなえる」、「不安なことを、前もってとりのぞいておく」、「相手に注意を促す」ときに使用することができます。自然災害のとき、不安があるとき、注意を促すなどですね。「転ばぬ先の杖」と似たことわざには、「備えあれば憂いなし」、「石橋を叩いて渡る」など、よく使用されることわざが多いので、一緒に覚えておいて損はないでしょう。●まとめ「転ばぬ先の杖」とは、失敗しないように、万が一に備えてあらかじめ 十分な準備をしておくことのたとえのことを言います。 転んでから杖を用意しても何の意味もなさない。 転ぶ前に用心して手に杖を持つべきだということです。例文は何がいいでしょうか?「転ばぬ先の杖
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泥棒を捕らえて縄を綯う

省略ことわざ、おそらく最後と思われるものを持ってきました。実は省略された言葉を私は知りませんでした。あまり聞きませんからね。今回は短めに紹介します。「泥縄」と言うそうです。「泥棒を捕らえて縄を綯う(なう)」とは、事が起きてから慌てて準備を始めることのたとえのことを言います。このことわざは、泥棒を捕まえてから慌てて縄を準備しても、泥棒は逃げてしまうだろうということから。 「綯う(なう)」とは、糸や紐を一本により合わせることです。 「盗人を捕らえて縄を綯う(なう)」とも言います。 類義語で、「盗人を見て縄を綯う(なう)」とあるので、混合しないように。泥縄式(どろなわしき)という言葉も使われることがあり、意味は、事が起こってからあわてて対策を講じること。意味は一緒ですね。それにしても、泥棒を捕まえてから縛るための縄を綯う(なう)のでは間に合わないことから、行き当たりばったりのやり方をたとえで使われることわざですが、想像すると「泥棒!」と言ってから、せっせと縄を作るとは面白い光景ですね。●まとめ「泥棒を捕らえて縄を綯う(なう)」とは、事が起きてから慌てて準備を 始めることのたとえのことを言います。 このことわざは、泥棒を捕まえてから慌てて縄を準備しても、 泥棒は逃げてしまうだろうということから。恒例の例文でも。「泥棒を捕らえて縄を綯うでは遅いから、前もって災害に備えた準備をする」これって大事なことですよね。 (泥刑は遊んだことあります。刑泥とも言いますね)レンちゃんママでした。
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鴨が葱を背負って来る

これも省略されることわざのひとつですね。たぶん、省略のことわざはこれで最後かな?と思っています。もし見つかったら、また取り上げてみますね。こんな好都合なことないですが…「鴨が葱を背負ってくる」とは、うまいことが重なり、ますます好都合であることのたとえで使います。鴨鍋に葱はつきものだが、鴨が自分で葱まで背負ってやって来てくれれば、すぐに食べられて好都合であることから。 多くは、お人好しが、こちらの利益になる材料を持ってくることを言います。 略して「鴨葱」とも使いますね?なお、注意点があり、直接その相手に対して使うのは失礼にあたります。「鴨」という言葉は騙しやすい人、利用しやすい人という意味があります。実際、詐欺に騙されやすい人を「鴨(カモ)」と呼んでいる背景には、そうやって騙すことからきています。鴨鍋が江戸時代によく食べられていましたが、独特なにおいがあり、鴨鍋には葱などの香味野菜が必須でした。鴨鍋に必須である葱を鴨が背負ってやって来てくれることで、都合よく鴨鍋の材料が揃います。このような鴨が自ら葱を背負ってやってくるという好都合な状況から、自分にとって上手いことが重なる状況を「鴨が葱を背負って来る」ということわざで表現するようになりました。なぜ鴨に葱が必要なのか、これで分かったと思います。くれぐれも本人を目の前にして、発言しないように気をつけてくださいね?●まとめ「鴨が葱を背負ってくる」とは、うまいことが重なり、ますます好都合で あることのたとえで使います。 鴨鍋に葱はつきものだが、鴨が自分で葱まで背負ってやって来てくれれば、 すぐに食べられて好都合であることから。 多くは、
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藪をつついて蛇を出す

また省略ことわざを持ってきました。この意味は分かると思います。実際にやらないことをおすすめしますが…。いわゆる藪蛇ですね。「藪をつついて蛇を出す」とは、余計なことをして、かえって悪い結果をまねくことのたとえです。藪をつついてわざわざ蛇を追い出し、その蛇に噛まれるという愚かさから、せっかくおさまっているものを、いらぬことをしてかえって災いを招くことを言います。 「藪を叩いて蛇を出す」とも表現されます。「藪から棒」と混同して、出し抜けに物事を行うの意で使うのは誤りです。「藪から棒」は、前触れなく、突然物事を行うことを意味します。 「藪」とは、草や木が生い茂っている場所のことです。 必要がないにも関わらずに藪をつついた結果、藪の中で大人しくしていた蛇が出て来る様子を表しています。蛇は、災難のたとえです。実際に藪から蛇が出てくるかは分かりませんが、しないほうが賢明ですね。●まとめ「藪をつついて蛇を出す」とは、余計なことをして、かえって悪い結果を まねくことのたとえです。 藪をつついてわざわざ蛇を追い出し、その蛇に噛まれるという愚かさから、 せっかくおさまっているものを、いらぬことをしてかえって災いを招くことを 言います。例文を書くとするなら、「藪をつついて蛇を出すなんて、情けない話だね」とかでしょうか?合っているといいのですが。 (台風の影響すごいですね)レンちゃんママでした。
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元の鞘に収まる

今日もまた省略されることわざを持ってきました。よく勘違いされる言葉でもあります。「へ」ではなく、「に」です。「元の鞘に収まる」とは、いったん離縁した夫婦や、絶縁した者が、再び以前と同じ関係に戻ることのたとえです。「鞘」とは、刀や剣などの刀身の部分をおさめておく筒のことで、抜かれた刀が本来収まっている鞘に戻ることからいう。 実際のところ、日本刀は一本一本作られるもので、それぞれの刀身の反り方や長さや厚みに合わせて鞘も作られます。ですから、本来の正しい鞘でないとしっくり収まらないのです。つまり、新しい鞘に収めたところで刀と鞘はぴったりと合いませんから、元々の古い鞘に収め直して落ち着いた、ということです。復縁した恋愛関係や夫婦関係にぴったりの比喩表現かも知れませんね。主に男女の人間関係において使われます。 また「おさまる」は「納まる」とも書くことがあります。 略して「元鞘」とも言いますね?実は「元鞘」という言葉は「元の鞘に収まる」の略語で、比較的最近使われるようになった言葉です。「元鞘」も「元の鞘に収まる」も、全く同じ意味で用いられています。こうして改めてみると、納得のいく内容ですね?●まとめ「元の鞘に収まる」とは、いったん離縁した夫婦や、絶縁した者が、 再び以前と同じ関係に戻ることのたとえです。 「鞘」とは、刀や剣などの刀身の部分をおさめておく筒のことで、 抜かれた刀が本来収まっている鞘に戻ることからいう。いつもの例文のコーナーです。「あれだけの大喧嘩をしておいて、結局は元の鞘に収まったらしいよ」 (台風の影響は大丈夫ですか?)レンちゃんママでした。
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棚から牡丹餅

省略されやすいことわざを持ってきました。意味はきっと御存知だと思います。漢字からしてボタンと読みたくなりますね?「棚から牡丹餅」とは、思いがけない幸運が舞い込むことのたとえです。先ほども書きましたが、ぼたん餅ではなく、ぼた餅なので注意を。棚から落ちてきた牡丹餅が、ちょうどあいていた口に落ちておさまることから言います。略して「棚ぼた(たなぼた)」とも言いますね。とは言え、牡丹餅が幸運につながることについて疑問を持つ方がおられると思います。幸運の意味は、昔砂糖が貴重品であったことに由来しています。おそらく江戸時代、庶民が甘いものを口にできる機会は滅多になかった昔は、貴重品である牡丹餅が偶然口に入ることは、思いがけない幸運を手に入れた状況であると言うことができたということです。類義語には、「開いた口へ牡丹餅」とありますが面白いことに、対義語には、「棚から牡丹餅は落ちてこない」ともあります。こうも差があると、本当にことわざって奥深く楽しいものですね。英語では、He thinks that roasted larks will fall into his mouth.(ヒバリのあぶり肉が口の中に落ちてきはしないかと思っている)どちらも落ちてこないかと幸運を待っている状況ですね。●まとめ「棚から牡丹餅」とは、思いがけない幸運が舞い込むことのたとえです。 先ほども書きましたが、ぼたん餅ではなく、ぼた餅なので注意を。 棚から落ちてきた牡丹餅が、ちょうどあいていた口に落ちておさまることから 言います。略して「棚ぼた(たなぼた)」とも言いますね。恒例の例文を。「棚から牡丹餅といえば、この前部屋の片
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我思う、故に我在り

有名な言葉を持ってきましたが、この言葉がことわざだというのを知っている人はきっとそう多くはないでしょう。もし意味なども知っているとしたら、すごいと思います。どんな意味を想像しますか?「我思う、故に我在り」とは、あらゆる存在は疑うことができるが、そう考えている自己の存在だけは疑うことができないということです。フランスの哲学者・デカルトの『方法序説』にある一節、「私は考える。だから私は存在する」という意味の言葉から。「我思う、故に我有り」と書くのは誤りなので、注意してください。英語では、「I think, therefore I am.」(我思う、故に我あり)ラテン語では、「Cogito, ergo sum.」(コーギトー・エルゴー・スム)フランス語では「Je pense, donc je suis」(ジュ パンス ドンク ジュ スィ)珍しく英語以外にも書いたので、発音も載せておきます。フランス語で書かれた本ですが、ラテン語のほうが有名な言葉でもあります。何となくで使っていることわざでしたが、結構深い意味がありましたね。これは例文を考えるのが難しそうです。●まとめ「我思う、故に我在り」とは、あらゆる存在は疑うことができるが、 そう考えている自己の存在だけは疑うことができないということです。 フランスの哲学者・デカルトの『方法序説』にある一節、 「私は考える。だから私は存在する」という意味の言葉から。例文を考えてみましたが、「我思う、故に我在りって、デカルトの書いた本の言葉が有名だね。」が妥当なところじゃないでしょうか。 (今回は難しかったので短めにしました)レンちゃんママでした。
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眉に唾を付ける

これ、勘違いされている方も多いのではないでしょうか?私も勘違いしていました。では、どういう意味なんでしょうか?眉唾とか言いませんか?「眉に唾をつける」とは、だまされないように用心することのたとえです。狐や狸に化かされないためには、眉に唾をつけると良いという俗言から、疑わしい物に騙されないために用心することを言います。 「眉唾」「眉に唾を塗る」「眉に唾をする」「眉毛に唾を付ける」など。キツネやタヌキが人を化かす際、彼らは人間の眉の本数を数えることで、心を読むと考えられていたそうです。そこで「眉に唾」をすると、眉が濡れてくっつき、正しい本数が数えられなくなるため、防ぐことができるのです。私は気合入れるためにすることかと思いましたが、用心することなんですね。あなたは意味も知っていましたか?世の中には、人を騙してお金を取ろうとする人がたくさんいます。騙されないためにも、出来過ぎた話を聞いたときには、眉に唾をつけることを忘れないようにしましょう。●まとめ「眉に唾をつける」とは、だまされないように用心することのたとえです。 狐や狸に化かされないためには、眉に唾をつけると良いという俗言から、 疑わしい物に騙されないために用心することを言います。 他に「眉唾」「眉に唾を塗る」「眉に唾をする」「眉毛に唾を付ける」など。 例文を書くとすれば、「上手い話には裏があると言うし、詐欺にあわないためにも、簡単に利益が得られる話には、眉に唾をつけて聞くようにしている。」が妥当でしょうね。 (台風14号、日本に来ますね。怖い)レンちゃんママでした。
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念には念を入れよ

このことわざを知らない人はいないと思います。それぐらいの認知度はあるのではないでしょうか?今では、念には念をまでしか言いませんね。「念には念を入れよ」とは、用心の上に、さらに用心を重ねよということ。注意した上にも、さらに注意せよということです。 手抜かりがないかどうか、細心の注意をせよという意味でもあります。 「念を入れる」とは、間違いのないように気を配ることを強めた言い方。 「念には念を入れる」や「念を入れよ」とも言います。念とは、常に心の中を行ったり来たりしている思いのことで、仏教において非常に重視されています。また、「念」という漢字そのものに「注意する」という意味が込められています。慎重に物事を進めるべきだという教訓が、そのままことわざになったとされています。類義語では、「石橋を叩いて渡る」、「二番目の考えが最善である」など。対義語では、「一か八か」、「彩ずる仏の鼻を欠く」、「念者の不念」英語で表現すると、Second thoughts are best.(二番目の考えが最も良い)となります。英語の内容は類義語のものと似ていますね?仏教と繋がりがあることわざだったんですね。今では省略して言う、このことわざにも深い意味がちゃんとありました。少しでも話のネタになるようであるなら嬉しいです。●まとめ「念には念を入れよ」とは、用心の上に、さらに用心を重ねよということ。 注意した上にも、さらに注意せよということです。 手抜かりがないかどうか、細心の注意をせよという意味でもあります。 「念を入れる」とは、間違いのないように気を配ることを強めた言い方。 「念には念を入れる」や「念を
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臍で茶を沸かす

笑うジャンルから、これを持ってきました。意味などは、考えずとも分かると思いますが。これは有名なものですよね?あなたも知っていることわざでしたか?これぐらい大笑いしてみたいですね。「臍(へそ)で茶を沸かす」とは、おかしくてしょうがないこと。または、ばかばかしくて仕方がないことのたとえです。大笑いして腹が捩よじれる様子が、湯が沸き上がるのに似ていることから。 あざけりの意味で使うことが多いですね。 「臍が茶を沸かす」「臍茶」とも言います。本来は「臍が茶を沸かす」が正しいとされていますが、今となってはどちらも使える表現とされています。「臍で湯を沸かす」は誤りですので、間違いには気をつけてください。江戸時代の浄瑠璃(じょうるり)に「へそを茶化す」という言い回しがあり、それが語源だという説もあります。 そこでの「へそを茶化す」とは、人のへそを馬鹿にするという意味です。 江戸時代は、素肌を人に見せることがなかったので、他人にへそを見せること自体が笑いの種となっていました。 それが、時代の流れと共に「臍で茶を沸かす」という言い回しに変わったということなのですね。類義語の紹介ですが、「笑止千万(しょうしぜんばん)」があります。これはとは、非常にばかばかしいという意味です。「臍が茶を沸かす」は「臍で茶を沸かす」と同じ意味で使うことが出来ます。 先ほども書きましたが本来の正しい言い方は、「臍で茶を沸かす」ではなく、「臍が茶を沸かす」だとも言われています。今はどちらでもいいことですが。あなたは、最近大笑いしたことありますか?それはどんな場面でなのでしょうか?ぜひとも聞いてみたくなりますね。●まとめ
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京の着倒れ、大阪の食い倒れ

大阪は聞いたことあると思いますが、京都はないですね。あなたは聞いたことありますか?ちょっと珍しいので、今回取り上げてみました。大体は想像できるものだと思いますが。京都の人は知っているのでしょうか?「京の着倒れ大阪の食い倒れ」とは、京都の人は衣服に金をかける着道楽、大阪の人は飲食に金をかける食道楽の気風があるということです。「着倒れ」は、着るものに金をかけすぎて財産をなくすこと。 「食い倒れ」は、飲食に金をかけすぎて財産をなくすこと。 服飾にできる限り贅沢をする優雅な京の気風と、飲食の質を重んじる商人の町である大阪の気質を対比させていった言葉。くだいて言うと、京都の人は、衣装に大金をはたいて惜しまず、大阪人は、食を大切にしてお金を掛けて楽しむ、食道楽の気風があることを揶揄しているのです。これにならって、他県・他国(主に近隣)との対照的な違いを指したことわざが多くあります。類義語は多くありすぎて書くのが大変なので、割愛させていただきますが、主に「阿波の着倒れ、伊予の食い倒れ」などの着倒れや食い倒れが多いです。あなたは京都や大阪に行って、これらのことを実感したことありますか?まぁ、大阪は今でも食い倒れの町と言われているので、意識したことあるかもしれませんね。京の着倒れは、江戸時代ならではかもしれませんが、おしゃれな方が多かった証拠でもあるんでしょう。見てみたいものですね。●まとめ「京の着倒れ大阪の食い倒れ」とは、京都の人は衣服に金をかける着道楽、 大阪の人は飲食に金をかける食道楽の気風があるということです。 「着倒れ」は、着るものに金をかけすぎて財産をなくすこと。 「食い倒れ」は、
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烏の行水

この漢字を読める人は大半はおられると思いますが、この漢字の成り立ちを知っている人は少ないかもしれません。今回はことわざの紹介はもとより、漢字の成り立ちも書こうと思います。漢字を知ると、面白く覚えられますよね?今日は雑学も一緒に。「烏の行水」とは、入浴時間がきわめて短いことのたとえです。カラスが短い時間で水浴びをする様から。 「行水」とは、たらいに湯や水を入れて体を洗い流すことで、人間に比べてカラスの行水はきわめて簡便であるということ。ちなみに、ちょっとした雑学を。烏(からす)とは、鳥(とり)のひとつ線がないことは見て分かりますよね?漢字はもともと象形文字から来ていますが、「鳥(とり)」にあって「烏(からす)」にないこの上部の線は、目を表す部分だったそうです。 しかし、カラスの体は真っ黒なため、通常の鳥と比べると、目の位置が非常に分かりづらいです。そのため、目の部分の横棒がなくなり、現在の「烏」表記になったと言われています。なので、「鳥の行水(とりのぎょうずい)」というのは誤りですよ。この漢字を使うもので、烏龍茶(ウーロンちゃ)もあります。また、烏滸がましい(おこがましい)もそうです。「カラス」には、2種類の漢字があてられていることを知っていますか? 1つは「烏」、そしてもう1つは「鴉」です。最初の烏だと間違いやすいため、もうひとつあるという説もあります。今日は雑学も一緒に書いてみましたが、いかがだったでしょうか?なるほどと思ってくだされば、幸いに思います。●まとめ「烏の行水」とは、入浴時間がきわめて短いことのたとえです。 カラスが短い時間で水浴びをする様から。 「行水」とは、た
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泣く子は育つ

無意識にまた親子に関することわざを持ってきました。このことわざ、聞いたことありますか?昔のことは聞いてみなければ分かりませんが、どうだったでしょうか?おとなしい子でしたか?類義語がたくさんあります。「泣く子は育つ」とは、大きな声でよく泣く赤ん坊は元気である証拠だから、丈夫に育つということです。赤ん坊は言葉が話せないので、大抵の場合はお母さんに何かを伝えようとして泣き叫びます。例えば、お腹が空いたときやおしめを替えてほしいとき、眠気が襲ってきたときなどです。そして、赤ん坊にとっては泣くことも運動なので、泣いた結果お腹が空きます。お腹いっぱい食べると眠気が襲い、泣いた疲れもあってよく眠ることができます。このようなサイクルで、より健康で丈夫に育つと考えられているのでしょう。類義語の一部を紹介します。「寝る子は育つ」:よく眠ることは健康の証で、丈夫に育つということ 「寝る子は息災」:寝る子は育つと同じ意味 「赤子は泣き泣き育つ」:泣く子は育つと同じ意味 「泣く子は利口」:泣いて訴えることで、親に解決を求めていることから、賢く健やかに育つということです。「赤子の泣くのは親孝行」、「赤子は泣き泣き育つ」、「泣く子は食い勝つ」「寝る子は太る」などもありますが、最後のは何か嫌ですね。あなたは、よく寝る子でしたか?それとも泣く子でしたか?どちらにしても今こうしてあることに育ててくれた親に感謝ですね。●まとめ「泣く子は育つ」とは、大きな声でよく泣く赤ん坊は元気である証拠だから、 丈夫に育つということです。例文をまた挙げるとすれば、「親からよく食べてよく泣く子どもだったと聞かされてきた。泣く子は育つ
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親思う心にまさる親心

ちょっと分かりづらいかもしれませんが、じっくり読むと分かります。最近、親子関係のことわざを持ってきていますね。今回の内容は今までと違っていい内容です。どういう意味でかはあとで分かります。思い思われな関係が望ましいですね。「親思う心にまさる親心」とは、子が親を思う気持ち以上に、親の子に対する慈愛の気持ちはさらに強いものだということです。「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」という、幕末の志士、吉田松陰が二十九歳で処刑されたときに詠んだ辞世の句。吉田松陰(まつだしょういん)とは、松下村塾を開き、明治維新を支える多くの人材を育てたことで知られていますね。伊藤博文とか。意訳:「子が親を思う気持ち以上に、親が子を思う気持ちは強いものだ。今日のこの報せを聞いた親は何と思うだろうか。」が由来だったんですね。また、「けふ」は(松陰の)手紙が両親の元に届いた日を意味します。親を思う以上に親は子供のことを思ってくれていると聞くと、親孝行したくなりませんか?「孝行のしたい時分に親はなし」とも言いますよね。なるべく早くに親孝行しましょう。●まとめ「親思う心にまさる親心」とは、子が親を思う気持ち以上に、親の子に対する 慈愛の気持ちはさらに強いものだということです。 「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」意訳:「子が親を思う気持ち以上に、親が子を思う気持ちは強いものだ。 今日のこの報せを聞いた親は何と思うだろうか。」という、幕末の志士、吉田松陰が二十九歳で処刑されたときに詠んだ辞世の句。例文を書くとすれば、「あなたも親になれば、親思う心にまさる親心って気持ちが分かってくるよ」でしょ
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子供の喧嘩に親が出る

これがことわざって驚いている方いるんじゃないでしょうか?昔からこういうことがあるってことでしょうね。意味も分かると思うので、短めにまとめたいと思います。こういう親もいますよね。「子供の喧嘩に親が出る」とは、つまらぬことに口出しをする大人げない行為のことを言います。子供同士の他愛ない喧嘩にそれぞれの親が干渉し、親同士が憎んだり、恨んだりすることから転じて、つまらないことに当事者以外がしゃしゃり出て、余計なことをする人の意味です。また、子供同士の喧嘩に親がくちばしを入れ、自分の子供に味方すること。その結果、親同士の喧嘩に発展しがちである。したがって、大人げない振る舞いをしたり、余計な口出しをするなという意味でもあります。類義語は、「子供喧嘩が親喧嘩」と言います。似たり寄ったりですね。そういえば、親子のことわざは昨日も書きましたが、どちらも親馬鹿のことわざでした。覚えていますか?「親馬鹿子馬鹿」です。こちらは親同士の問題にまで発展していますことわざですね。あなたは、こういう経験はそうそうないと思いますが、こういう親は困りますよね?トラブルにならないように、気をつけましょう。●まとめ「子供の喧嘩に親が出る」とは、つまらぬことに口出しをする大人げない行為のことを言います。 子供同士の他愛ない喧嘩にそれぞれの親が干渉し、親同士が憎んだり、 恨んだりすることから転じて、つまらないことに当事者以外がしゃしゃり 出て、余計なことをする人の意味です。また、子供同士の喧嘩に親がくちばしを入れ、自分の子供に味方すること。 その結果、親同士の喧嘩に発展しがちである。したがって、大人げない 振る舞いをした
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親馬鹿子馬鹿

ちょっと聞きなれない言葉が含まれていますよね?これもことわざなんですよ。今日も短めにまとめていこうかと思います。タイトル見れば、大体のことが分かるので。溺愛もほどほどに。「親馬鹿子馬鹿」とは、親は自分の子を溺愛するあまり、子の愚かさに気づかず、子は親の愛情に甘えて愚かなことをするというです。親は子を溺愛し、子は親の愛情に甘え悪さをすると言った親子関係を他人が客観的に捉えた様子から転じてきている言葉。親馬鹿なら聞いたことがあるかと思いますが、そこに子馬鹿もつきます。最初知ったとき、小馬鹿にするのかと思っていました。勘違い。親馬鹿子馬鹿なので、覚えておきましょう。今ではこのことわざが当てはまる親が増えているような気もします。うちの子に限って…とか。溺愛もほどほどにしてほしいですね。「獅子の子落とし」とまではいきませんが。ちなみに、実際にライオンが子を深い谷に落とすかというと、母親は非常に子煩悩で、父親は見た目によらず意気地がないから出来ないそうです。話を戻して、子を思うのはいいことですが、子供がそれに甘えるのも問題ですよね。昨日書いたような「親の光は七光り」みたいなことにならなければいいですが。●まとめ「親馬鹿子馬鹿」とは、親は自分の子を溺愛するあまり、子の愚かさに 気づかず、子は親の愛情に甘えて愚かなことをするというです。 親は子を溺愛し、子は親の愛情に甘え悪さをすると言った親子関係を 他人が客観的に捉えた様子から転じてきている言葉。例文をひとつ、「親馬鹿小馬鹿とはよくいったもので、彼は財閥の息子だが、それに胡座をかいて毎日遊んでばかりいるけど、その両親も彼を責めたり、咎めたりも
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親の光は七光

今日も有名なことわざを持ってきました。意味は言わずとも分かるかと思います。でも知っているものと少し違うと感じる人もいるでしょう。それについても書いていきます。本来はこちらが正しい?「親の光は七光」とは、親の威光によって子が恩恵を受けること。また、親の名声や地位を子が大いに利用すること。親の威光が子に及んで、あらゆる余沢を受けることを言います。 親の社会的地位や名声のおかげで、子が得を得たり、それを利用すること。多く、子の実力によるものではなく、子が親の恩恵を受けて成功した場合に使われます。「七光り」の「七」は、数が多いことを表す。このことわざを略して「親の七光り」とも言います。ほとんどの人が知っているこの言葉は省略されたものなんですよね。またついでに「七光り」の「七」についてですが、先ほど書いた通り、「七変化」や「七色」など、昔から七という数字は大きな数を表します。 なので、「七光り」とは「7つの光」という意味ではなく、「親の偉大な力」を表しているのです。意味が分かると納得ですね。●まとめ「親の光は七光」とは、親の威光によって子が恩恵を受けること。 また、親の名声や地位を子が大いに利用すること。 「親の七光り」は、テレビなどでよく使われる言葉です。ですが、正確には「親の光は七光り」なので、正しく覚えましょう。例文を書くなら、「彼は有名政治家を父に持つ。彼の成功をねたむ人々は、口をそろえて「親の光は七光り」と言うだろう。」などです。まぁ、有名なことわざなので、書かなくても分かりますね。 (これぐらいがちょうどいい読み応えかな?)レンちゃんママでした。
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鶴の一声

有名なことわざを持ってきました。ここぞと言うときには、このことわざでしょう。あなたは使ったことがありますか?最近めっきり減りましたよね。なんで鶴なんでしょうか?「鶴の一声」とは、大勢で議論しているときに、否応なしに従わせるような有力者・権威者の一言のことです。鶴は首が長く、周囲を威圧するように甲高い声で鳴くことから。また「一声」は「いっせい」とは読まず、「鶴の一言」とは言いません。鶴の理由書いてありましたね。こういう意味から来たそうです。もっと掘り下げてみましょう。鶴は首が長く、鳴管(めいかん)と呼ばれる発声器官が他の鳥より発達しているため、金管楽器(きんかんがっき:ラッパ)のように甲高い声で鳴く。そして、その声は大きく、力強く、よく響き、遠くまで聞こえます。 このような特徴から「鶴の一声」は、大きな発言力を持つ人の一声に例えられるようになったそうです。発言力を持つ人って身近にいたりしますよね?主に両親とかでしょうか?ここぞというときに、鶴の一声を言いますね。あなたの周りではどうですか?自分がまさに鶴でしょうか?●まとめ「鶴の一声」とは、大勢で議論しているときに、否応なしに従わせるような 有力者・権威者の一言のことです。 鶴は首が長く、周囲を威圧するように甲高い声で鳴くことから。滅多に鳴かない鶴が鳴くのですから、相当な迫力でしょうね。例文を書くとしたら、「父の鶴の一声で家族会議が終了した」とかでしょうか?うーん、例えを考えるのも難しいですね。 (今日は短めにして、読みやすくしました)レンちゃんママでした。
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物も言い様で角が立つ

書かなくても意味が分かることわざじゃないでしょうか?これ以上、何を書けばいいのかわからないぐらいです。でも、初めて知る方もいるかもしれないので書きます。知っている方は意味が合っているかの確認をしてください。言葉にするなら気をつけたいですね。「物も言いようで角が立つ」とは、それほでないことでも、言い方によって相手の感情をそこなうことがあるから、言葉遣いには気をつけるべきだという戒めの言葉です。同じことを言うにしても、言葉の選び方によって、相手を不快にさせたり怒らせたりすることもある。言葉は慎重に選んで使うべきだという教え。 「角が立つ」とは、人間関係が穏やかでなくなるという意味です。 「丸い卵も切りようで三角、物も言いようで角が立つ」と続けても言います。「物は言いよう」と似ていますね。あれは類義語になります。意味も似たようなものでしょう。このことわざを分解して書くと、物=口に出して言うことば。言いよう=言い方。言葉使い。話し方。角が立つ=他人との関係が悪くなる。ということになります。物は物体ではなく、抽象的な表現の仕方ですね。ビジネスにおいては、気をつけたい言葉の使い方。まさにこのことわざが当てはまりますね。●まとめ「物も言いようで角が立つ」とは、それほでないことでも、言い方によって 相手の感情をそこなうことがあるから、言葉遣いには気をつけるべきだという 戒めの言葉です。 同じことを言うにしても、言葉の選び方によって、相手を不快にさせたり 怒らせたりすることもある。言葉は慎重に選んで使うべきだという教え。「もう少し言い方を考えてみたら?物は言いようで角が立つって言うよね?」例えで
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言わぬが花

このことわざ、さりげなく使っていそうですがどうですか?あとで書きますが、勘違いされている方もおられるかもしれませんが、ごちゃ混ぜになっている人がいると思います。これが正しいことわざですので、覚えておくといいかもしれません。仏とは違います。「言わぬが花」とは、物事は露骨に言ってしまっては興醒めするものであり、黙っているほうがかえって趣があったり、値打ちがあるものだというたとえ。言ってしまえばそれまでだが、言わないところに味が出るという意味です。 また、口に出さないほうがかえってよいこともあり、余計なことは言わないほうが差し障りがないということ。私は後半の余計なことは言わないって意味で使っています。あなたはどれでしょうか?先ほども書きましたが、知らない方がいいことを意味する「知らぬが仏」と「言わぬが花」がごちゃ混ぜになってできた「言わぬが仏」と表現であり、「言わぬが花」と「言わぬが仏」は類義語でも何でもありません。勘違いせず覚えておいたほうがいいと思います。類義語は、「言わぬは言うにまさる」と「沈黙は金、雄弁は銀」です。「言わぬが仏」はたくさんあるので割愛させていただきます。「言わぬが花」の対義語には、「言わぬ事は聞こえぬ」です。伝えたいことがあるならば、口に出さなければ相手に伝わらないという意味のことわざです。ほかの対義語には「言い勝ち功名」もありますが。「言わぬが花」のように、言わないことにいい面がある場合もありますが、言わなければ伝わらないこともありますので、ここは時と場合ですね。●まとめ「言わぬが花」とは、物事は露骨に言ってしまっては興醒めするものであり、 黙っているほうが
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物言えば唇寒し秋の風

俳句のように読んでもらえれば分かりやすいと思います。9月に入りましたので、このことわざを選んでみました。どんなものを想像しますか?実はこれ後悔したあとのことわざなんですよ。あとで悔いるから後悔。「物言えば唇寒し秋の風」とは、人の悪口を言えば、なんとなく後味の悪い思いをするというたとえです。また、余計なことを言えば災いを招くというたとえでもあります。人の欠点を批判したり自分の長所を自慢したりした後は、必ず言わなきゃよかったという思いにとらわれるものである。また、そうしたことによって余計な災難を自ら招くこともあるということです。 口を開くと秋の冷たい風が唇に触れて、寒々とした気分になることから。 松尾芭蕉の「座右の銘」にある句で、この句の前には「人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ」とあります。この意味は、人の短所を軽率に指摘してはならない。自分の長所を誇らしげに、自慢してはならないということです。分かってはいてもしてしまうのが人間の性なので、これは戒めの言葉ですね。このことわざは、略して「物言えば唇寒し」とも言うことがあるそうですが、どちらを使うかあなた次第となるんでしょう。どちらが覚えやすいですか?●まとめ「物言えば唇寒し秋の風」とは、人の悪口を言えば、なんとなく後味の悪い 思いをするというたとえです。 また、余計なことを言えば災いを招くというたとえでもあります。 人の欠点を批判したり自分の長所を自慢したりした後は、必ず言わなきゃ よかったという思いにとらわれるものである。また、そうしたことによって 余計な災難を自ら招くこともあるということです。ちなみに対義語は「思うこと言
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犬の遠吠え

これは初めて聞いた方が多いのではと思います。「負け」がつくかつかないかで、少し意味も変わってきます。当然ながら、浮かんできたことわざは類義語に当たるんですよ。なので、意味のほうも似てくるわけです。意味も似ています。「犬の遠吠え」とは、臆病者が陰で威張ったり、陰口を言ったりすることのたとえです。弱い犬が相手から遠く離れたところで、尻込みしながら吠え立てることから。 主に、勝ち目のない相手を陰でののしることのたとえとして使われます。 「遠吠え」とは、犬などの動物が遠くで声を長く引いて吠えること。「負け犬の遠吠え」との違い。「負け犬の遠吠え」とは、臆病者が本人の前では出来ないくせに、陰では威張ったり悪口を言ったりすることのたとえです。少し違いますね。どちらも共通しているのは陰で威張ったり、陰口(悪口)をいう点です。それなら、一緒にしてしまえばいいのに、分けるのには訳があるのでしょう。臆病者も同じですね。どちらにしても、尾を丸めて吠えているということでしょうか?臆病な犬ほどよく吠えると言われ、強い犬がいたとき近くことができず、少し離れたところから吠えたてるようなことがあります。この様子を人間に例え「犬の遠吠え」の慣用句が使われるようになったという説もありますので、由来としても合っているのではないでしょうか?「負け犬の遠吠え」と言いそうですが、「犬の遠吠え」と言って、周囲の人に何それと驚かせてみてはいかがでしょうか?●まとめ「犬の遠吠え」とは、臆病者が陰で威張ったり、陰口を言ったりすることの たとえに使われています。 弱い犬が相手から遠く離れたところで、尻込みしながら吠え立てることから。
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二の足を踏む

今でも使われることわざじゃないでしょうか?なので、意味は分かっていると思います。このことわざを日常的に使わないかもしれませんが、知って損はないと思います。使うときはいつでしょうか?「二の足を踏む」とは、決心がつかずためらう、尻込みをするということのたとえです。「二の足」は、歩きだすときの二歩目という意味で、歩くときの一歩目は踏み出したが、二歩目はためらって足踏みすることから。思いきることができなくて、迷う気持ちを言います。「二の足」って二歩目のことなんですよね。分かっていそうで、改めて知るとそうなんだって気持ちにもなりますね。ビジネスシーンにおいては、速やかな判断や決断を求められることが数多くあります。よく考えず慌てて結論を出すことは論外ですが、あれこれ迷ってぐずぐずとする態度は避けておくべきです。決断しきれない場合であっても、「二の足を踏む」のではなく、何故判断できないのか・何を迷っているのかを伝えるようにしましょう。こういう風に使うとしっくりきますよね?「二の足を踏む」はネガティブ用語ですので、ポジティブな表現は避けたほうが賢明です。間違った使い方をしていますからね。●まとめ「二の足を踏む」とは、決心がつかずためらう、尻込みをするということの たとえです。 「二の足」は、歩きだすときの二歩目という意味で、歩くときの 一歩目は踏み出したが、二歩目はためらって足踏みすることから。 思いきることができなくて、迷う気持ちを言います。いろいろチャレンジしてみたい気持ちもあるけれど、お金のことを考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。このように使ってみましょう。 (少し早いですが、
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痛し痒し

これも一つのことわざなんですよね。ちょっと意外なことわざですね?あなたは知っていましたか?どういうときに使うか、今から紹介していきます。すでに知っているという方がいたら、自慢できますよ。このことわざ、英語で言うと?「痛し痒し」とは、両方に同程度の良い面と悪い面があって、どちらか片方を取るのに迷ったり苦しんだりすることのたとえです。掻けば痛いし、掻かなければ痒いという意味から、やってみたいが困る事情もあるため、やるべきかどうか判断に苦しむということ。 「痛し痒しの痘瘡(とうそう)」「痛し痒しも瘡(そう)にこそよれ」とも言い、痘瘡(とうそう)は天然痘のことを指しています。語源としては、「(できものは)掻(か)けば痛いし、掻かなければ痒いままだし、どうしようもない状態」から来ています。このような状況を英語では「dilemma(ジレンマ)」とも呼びます。前にも書きましたが、類義語は「あちらを立てればこちらが立たず」です。こう言われると、意味も分かりやすいですね。最後に、「痛い痒い」というのは誤りなので、注意してください。●まとめ「痛し痒し」とは、両方に同程度の良い面と悪い面があって、 どちらか片方を取るのに迷ったり苦しんだりすることのたとえです。 掻けば痛いし、掻かなければ痒いという意味から、やってみたいが 困る事情もあるため、やるべきかどうか判断に苦しむということ。こういうもどかしいときって、痛し痒しとは言わず、ついジレンマに陥ったとか言ってしまいますね?間違いではないと思いますが、ことわざも大事に扱いたいですね。 (もうすぐ8月も終わりですね)レンちゃんママまでした。
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一銭を笑う者は一銭に泣く

どこかで聞いたことある言葉ですよね?そうです、あの言葉は類義語で同じ意味でもあります。いつの時代でも、お金に関して粗末に扱うといけないという、教えがあったのでしょうね?必要なときにないと困りますよね。「一銭を笑う者は一銭に泣く」とは、わずかな金額であっても、お金を粗末にしてはならないという戒め。「一銭」はわずかな金額を意味し、はした金だからと馬鹿にする者は、そのはした金が無くていつか泣く思いをするだろうということから。 どんなに小さい金額でも金銭を粗末に扱ってはならないという戒めの意味を込め、また、貯蓄や倹約の大切さを言うときにも使われます。先ほど類義語と言った、「一円を笑う者は一円に泣く」のほうが今では使われる言葉ですね。現在だと、「一銭」より「一円」かな。軽く雑学を書くと、「一銭」は一円の百分の一の価値だそうです。あなたもこの言葉を胸に刻んで、日々を生活していますか?「一銭」にしろ、「一円」にしても、あなたの大切なお金です。大事に扱いましょうね。ちなみに英語では、「Take care of the penny」と言います。使う機会がないと思うので、軽く読み流してくださいね。●まとめ「一銭を笑う者は一銭に泣く」とは、わずかな金額であっても、 お金を粗末にしてはならないという戒め。 「一銭」はわずかな金額を意味し、はした金だからと馬鹿にする者は、 そのはした金が無くていつか泣く思いをするだろうということから。 どんなに小さい金額でも金銭を粗末に扱ってはならないという戒めの 意味を込め、また、貯蓄や倹約の大切さを言うときにも使われます。お金のありがたみは、ないときほど強く感じるも
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清水の舞台から飛び降りる

旅行などで見たことある人が多い場所の一つではないでしょうか?私も行きましたが、そんなに高くなかったと思うのは私だけでしょうか?今ではユネスコ世界遺産に指定されていますよね。少し今回は歴史関係も書いていこうかなと思います。正式には音羽山清水寺(おんわさんきよみずでら)です。「清水の舞台から飛び降りる」とは、思い切って大きな決断をすることのたとえです。その舞台から飛び降りるほど、必死の覚悟で実行するという意味。 多く値段の高い物を買うときや、値段を大きくまけるときなどに使われます。清水寺には高い崖に張り出して作られた舞台があり、その崖から飛び降りると所願成就のときに怪我をせずに済み、もしくは死んで成仏できるといわれ、身を投げる者が絶えなかったと言います。 私の知る限りでは、身を投げる者はみな、生きていれば願いが叶うという、ある種の願掛け行為にも似たことをしていました。上にも書いていますが、分かりやすく書くとそういう意味です。なので、そこまでの高さなのかな?と修学旅行のときに見ましたが、今と昔では違うのかもしれないと感じたほど、高くないように見えたので、きっと昔はもっと高さがあったのかもしれませんね。飛び降りようとは思いませんでしたが。そんな言葉ってある?って思うかもしれませんが、類義語があり、「清水の舞台から後ろ飛び」と言う言葉もあります。怖いですね。●まとめ「清水の舞台から飛び降りる」とは、思い切って大きな決断をすることの たとえです。 その舞台から飛び降りるほど、必死の覚悟で実行するという意味。 多く値段の高い物を買うときや、値段を大きくまけるときなどに使われます。当時の雑学も
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立つ鳥跡を濁さず

このことわざを聞いて、もうひとつのことわざを想像できますか?もうひとつのことわざは、類義語ですが分かるでしょうか?たぶん、喉まで出ているという方が多いかもしれません。それぐらい似ていますからね。どんな鳥なんでしょうね?「立つ鳥跡を濁さず」とは、立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め。また、引き際は美しくあるべきだということ。水鳥が飛び立ったあとの水辺は、濁ることなく清く澄んだままであることから言います。ここでの「立つ」は、「飛び上がって去る」という意味です。また「立つ鳥跡を汚さず」とも言いますよ。私が言いたかった類義語は、「飛ぶ鳥跡を濁さず」です。似ているので、このことわざを聞いて、どちらを想像するでしょうか?こちらの意味は、立ち去る者は、自分のいた場所を汚れたままにせず、きれいにしてから行くものだという戒め。また、引き際はきれいであるべきということ。意味は似ていますが、どちらを使うのが正しいのかと言えば、「立つ鳥跡を濁さず」のほうが正しいと言えます。例文、「ここで働けなくなるのは寂しいが、立つ鳥跡を濁さずの精神で、未練を口にするのはやめよう。」などに使います。あまり使わないかもしれませんが。使うとしたら、こういう風に使ってみてください。●まとめ「立つ鳥跡を濁さず」とは、立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末を していくべきという戒め。また、引き際は美しくあるべきだということ。 水鳥が飛び立ったあとの水辺は、濁ることなく清く澄んだままであることから言います。ここでの「立つ」は、「飛び上がって去る」という意味です。 また「立つ鳥跡を汚さず」とも言い
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蛇に見込まれた蛙

え?と思われる方がいると思います。違うんじゃないかって。これもことわざのひとつで、思い浮かぶ言葉は類義語でもあります。ちょっと嫌な感じのことわざですね。すでに処暑を迎えましたが、ちょっと怖いもの系を持ち出してみました。意味はご想像の通りかと。「蛇に見込まれた蛙」とは、恐ろしいものや苦手なものを前にして、身がすくんで動けなくなることのたとえのことです。意味は、「蛇に睨まれた蛙」と変わらないと思います。類義語なので。でも、こんなことわざもありますよって持ってきました。違いと言えば、蛙は蛇に睨まれると、恐ろしさのあまり動けなくなるから。 「見込む」は、執念深くとりつく意味のことです。ここが違うかも?他の類義語いろいろありますが、「蛇に逢うた蛙」もあります。どれを使うべきか、やはり王道の「蛇に睨まれた蛙」でしょうか?あなたはどうですか?確か蛇は動くものを感知するんですよね?なので、蛙は動かないことで、蛇から逃れようとするテストをテレビで観たことがあります。実際、蛙は無事だったので、ほっとした記憶があります。余談でした。なので、蛇に睨まれるとか、見込まれるとか実際はないと思ってください。ただ、蛇を前にしたら微動だにしなかったので、その様をことわざに用いたのでしょう。私の勝手な思い込みですが。経験談ですが、人だって蛇に会えば動きは止まりますけどね。●まとめ「蛇に見込まれた蛙」とは、恐ろしいものや苦手なものを前にして、 身がすくんで動けなくなることのたとえのことです。 「見込む」は、執念深くとりつく意味のことを指します。ここでは、「蛇に見込まれた蛙」を取り上げましたが、珍しいことわざを紹介し
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草木も眠る丑三つ時

夏だからと言って、怖い話をするわけじゃありませんよ?これもことわざのひとつなんだと知ってもらいたくて、持ってきましたが、意味は知っていますか?何となく分かりますよね?今の時間にすると何時でしょう?「草木も眠る丑三つ時」とは、気味が悪い程、ひっそりと静まりかえっている真夜中のたとえです。人はもちろんのこと、草木までもが眠り静まりかえった夜のことを言います。 「丑三つ時」とは、昔の時刻で牛の刻を四つに分けたうちの三番目を言って、現在の時間では、午前二時から二時半頃にあたりのこと。昔は、化け物や幽霊が出る時刻とも言われている時間でもありますね。ちなみに「丑三つ時」は「丑満時」とも書きます。「草木も靡(なび)く丑三つ時」というのは誤りですので、ご注意を。今では街灯などがついていて明るく思う時間帯ですが、江戸時代などの夜中とくれば、寝床は真っ暗だったと思います。ろうそくはあったかもしれませんが。「草木も眠る丑三つ時」という言い回しは、落語でも定番の言葉ですね。やはり江戸時代から使われ始めた言葉からかもしれません。そんな時刻のことを指して怪談話をするということは、辺りが暗く、しーんとした空気を出したいがためかと思いますが、怪談話は怖いです。でも、こういう言葉の使い方が怪談話にはよかったんでしょうね?●まとめ「草木も眠る丑三つ時」とは、気味が悪い程、ひっそりと静まりかえっている 真夜中のたとえです。 人はもちろんのこと、草木までもが眠り静まりかえった夜のことを言います。 「丑三つ時」とは、昔の時刻で牛の刻を四つに分けたうちの三番目を言って、 現在の時間では、午前二時から二時半頃にあたりのこと
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明鏡止水

鏡の話を先日したので、こちらを持ってきました。ことわざ知らなくても読めますね?意味はこれだけだと分からないと思いますが、鏡がつくからと想像していただければ面白いかもしれません。鏡の言葉っていろいろありますね。「明鏡止水」とは、邪念が無く、静かに落ち着いて澄みきった心の状態のたとえを表しています。「明鏡(めいきょう)」は、一点の曇りもない、よく映る鏡のことで、「めいけい」とも読むそうですが、「めいきょう」のほうが無難かと。 「止水」とは、流れずに静かにとどまって、澄んだ水面のこと。 曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、安らかに落ち着いた心境をいう。 「明鏡」と「止水」が合わさってできた言葉です。「名鏡止水」と書くのは誤りなので、気をつけてください。それもあって、それぞれに意味のある言葉として意味があるんですね。私的には、情景を思い浮かべられる「止水」の言葉の意味がいいですが、あなたはどちらの言葉の意味が好みですか?類義語にも風情のある言葉で、光風霽月(こうふうせいげつ)とあります。心がさっぱりと澄み切ってわだかまりがなく、さわやかなことの形容で、日の光の中を吹き渡るさわやかな風と、雨上がりの澄み切った空の月の意。「霽(せい)」は晴れる意味で使われるそうです。ただ、困ったことにこれらの言葉の使い道って、なかなかないのが問題かもしれませんね。こういう言葉もあるんだと思ってくださると嬉しいですが。●まとめ「明鏡止水」とは、邪念が無く、静かに落ち着いて澄みきった心の状態の たとえを表しています。 「明鏡(めいきょう)」は、一点の曇りもない、よく映る鏡のことで、 「めいけい」とも読むそうです
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一所懸命

これも実はことわざって知っていましたか?意外と知られてないかもしれませんが、日常では使う機会もあるのでは?でも、意味を知ると大げさなと思うところもあると思います。そして実はビジネスなどではあまり使わないほうがいいかもしれませんね。このことわざを使いすぎるのも…「一所懸命」とは、ひとつの事に命をがけで取り組むこと。本気で何かに打ち込むことも含まれています。封建時代、君主から賜った一箇所の領地を命を懸けて守ったことから。 「一生懸命」は「一所懸命」が変化したものです。こう書くと、どちらを使えば正しいの?と思うかもしれません。ビジネスや一般的には、「一所懸命」はあまり使わないです。冒頭でもああいうことを書きましたが、実は歌舞伎役者が使います。「一生懸命」と「一所懸命」はどちらも同じ意味を表しています。しかし、一生懸命は物事に対して全力に取り組むさまであるのに対し、一所懸命の「一所」は「一カ所」を表します。そのため、ひとつのことに力を尽くすというようなニュアンスにも取れ、違いがあるのです。先ほども書きましたが、現在では一生懸命の方が一般的ですが、歌舞伎においては、一所懸命が使われることがあります。それは、歌舞伎では基本的に古語を使用することや、代々伝わる屋号(一所)を命がけで守るという意味を持つことから、一所懸命を使うようです。なので、もしビジネスで使うのであれば、一生懸命ですね。類義語でもあるので、こちらを取り上げました。使い分けに関して、参考になれば幸いです。●まとめ「一所懸命」とは、ひとつの事に命をがけで取り組むこと。 本気で何かに打ち込むことも含まれています。 封建時代、君主か
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目は心の鏡

意外かもしれませんが、これもことわざのひとつなんですよ。初めて見たとしても、意味は何となく分かりますよね?類義語では、「目は口ほどに物を言う」とあるので、どんなに偽ろうとも目は素直ってことなんでしょうね。鏡と言えば、いろんな言葉にも使われますね。「目は心の鏡」とは、目にはその人の心の正邪が表れるということです。目はその人の心を映し出す鏡のようなものだから、目を見ればその人の心のさまが読み取れるものであり、心が清く正しい人は、瞳も澄んでいるものだという意味でもあります。英語だと、The eye is the window of the heart.(目は心の窓)この英語は、「目は心の窓」ということわざにも使えそうですね。ちなみに「目は心の窓」も類義語です。鏡ですが、「鏡花水月(きょうかすいげつ)」をご存知ですか?意味のほうですが、鏡に映った花や水に映った月のように、目には見えながら手にとることができないもの。 また、言葉では表現できず、ただ心に感知するしかない物事。これはことわざではなく、四字熟語です。何とも言えないものがありますね。「人こそ人の鏡」これはことわざになります。その意味は、他人の言動は鏡に自分をうつす鏡のようなものであるから、他人を見て自分を改める参考にせよということです。これも大事なことですよね?人の振り見て我が振り直せってことですから。このように鏡はいろいろな場面でも使われます。鏡は素直にそのままを映し出すことから、多用されているだと思います。まぁ、鏡の話を持ち出しましたが、今回は目の話ですね。目もいろいろ使われていますね。「目から鱗が落ちる」とか「鵜の目鷹の目
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和を以て貴しとなす

ここで書く「和」とは調和の省略ということだと思います。でも、意味からすると和やかでもいい気はしますが。ちょっと後半部分は読みづらいですね。書くとしたら、間違えやすいポイントでもあります。書き間違いにご注意を。「和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)」とは、何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ。人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという教え。聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉です。『礼記』には「礼は之(これ)和を以て貴し(とうとし)と為す」とある。 「和」の精神とは、体裁だけ取り繕ったものではなく、自分にも人にも正直に、不満があればお互いにそれをぶつけ合い、理解し合うということが本質ではなかろうかともあります。間違いやすい漢字、「和を以て尊しとなす」の表記は間違いではないですが、原典に従うならば「尊し」は「貴し」です。ご注意を。聖徳太子の時代からのものだということは知りませんでしたが、昔からこういうことは問題視されていたんですね。だからこそ、こういう憲法を作り出したというわけです。この時代はどういういざこざがあったかは分かりませんが。●まとめ「和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)」とは、何事を やるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ。 人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという 教え。聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉です。 『礼記』には「礼は之(これ)和を以て貴し(とうとし)と為す」とある。「和を以て尊しとなす」の
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所変われば品変わる

意味は大体想像できそうですが、こちらは2つ意味があります。まぁ、どちらも似たような意味なので、間違えることはないと思いますが。あなたが予想することわざの意味と合っていますか?答え合わせをしてみましょう。ひとつは予想つきそうですね?「所変われば品変わる」とは、土地土地で風俗や習慣が違うということ。また、同じ物でも土地が変わると、名前や用途も変わるということです。これは、土地が違えば、風俗・習慣・言語などが変わってくる。 生活習慣の違いに注目していう言葉です。英語にもありますよ。So many countries so many customs.(国の数だけ慣わしがある) Coats change with countries.(衣服は国と共に変わる)こうしてみると、海外での習わしは日本では通じませんよね?靴脱がない文化は日本では受け付けません。その土地、その国によって、存在する習わしは違いますが、呼び名も変わってくるのは困りますよね。「めばちこ」って聞いてわかるのは京都出身のあなただけです。これは、全国的な言葉で言うと、「ものもらい」という言い方をします。聞いたら、あぁ、何となく分かるような気がするって感じがしますが。「けった」え、何を蹴ったって感じがしますね?こちらも東海地方の広い範囲で使われる「けった」「ケッタマシン」は自転車を指す方言だそうです。分かりそうで分かりづらいものですね。まぁ、2つほど挙げましたが、同じ日本だというのに地方によってこうも変わるのは2番目の意味、同じ物でも土地が変わると、名前や用途も変わるところを意味するのでしょうね。あなただけが知る地方の呼び名って
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彼方を立てれば此方が立たず

「かなた」とは読みませんので、注意してくださいね。うっかりすると、そう読みそうになりますが…。このことわざは、言葉にして使うというよりも心情ですね。口にせず、心の中で思うような感じだと思います。読み間違えには注意しましょう。「あちらを立てればこちらが立たず」とは、両方が納得するような、また喜ぶようなことをするのは難しいということのたとえの意味です。意味を聞いて、やっぱりかと納得いく内容ですね。片方の面目が保たれるようにすると、もう片方の面目が保たれず、その逆もまた然り。双方の体面が傷つかないようなことをするのは困難なことであるという意味です。また「あちら立てればこちらが立たぬ」とも言います。 なお、「あちらを立てればこちらが立たぬ、双方立てれば身が立たぬ」と続けてもいうこともあるそうです。聞いたことある人いるのでは?両者が喜ぶような振る舞いをしていると、自分の身も立たないことは、想像しなくても手に取るように分かりますね。こういうときは、関わることを避けるのが賢明な判断かもしれません。母娘だったり、会社の関係だったり、いろいろ板挟みがあるかと思います。触らぬ神に祟りなしってことわざもあるぐらいですから、ときには、そっとしとくのもいいと思いますよ。母娘喧嘩でどちらが正しい!?なんて聞かれて、どっちつかずも問題ですし、だからと言って、ここで正論ぶちまけても火に油です。逃げ道を用意して、素早く移動したりするのが一番でしょうね。きっと。でも、ここぞというときはどちらを立てるかを決めておくのもありかと。自分が正しいと思った行動をぜひとってくださいね。●まとめ「あちらを立てればこちらが立たず
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過ぎたるは猶及ばざるが如し

読みづらさといい、その意味といい、少し難しいですね。これを見て、意味が分かる人がいたら、すごいと思います。いい意味とは言いづらいですが、今から紹介していきますね。どんな意味か、あなたの予想は当たるでしょうか?使わないと言ったら、そこまでですが…過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)とは、度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないということです。何事も程ほどが肝心で、やり過ぎることはやり足りないことと同じように良いこととは言えない。良いと言われることでも、やり過ぎは害になるということです。 また「過ぎたるは及ばざるが如し」とも言います。こちらのほうがどちらかと言えば言いやすいですね。簡単に書けば、やりすぎは何にしても悪いよ?ってことで。とは言っても使い道に困ることわざなのも確かですよね。英語だと、Too much of one thing is good for nothing.(一つの物が多すぎれば何の役にも立たない。)英語にもいろいろありますが、これがしっくり来るかと。英語にもありますが、やりすぎも多すぎるにしても、結局のところ良くないってことですね。何事も程よくが一番です。程よく稼ぎ、程よい環境で過ごし、程ほどの生活習慣を。これが一番望ましいのかもしれませんね。他にもあるかもしれませんが。度が過ぎたものほど、実は不便なことがあるのかもしれませんね。程よくって難しいですが、程よくを目指してみませんか?●まとめ過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)とは、 度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないということです。
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親しき仲にも礼儀あり

こういう場面がきっとあなたにも訪れることでしょう。あなたは、そのとき怒りますか?呆れますか?相手もまた横柄な態度かもしれません。あなたもそうならないためにも、気をつけたいものですね。読み方に気をつけたものがあります。「親しき仲にも礼儀あり」とは、どんなに親密な間柄であっても、守るべき礼儀があるということです。これは、仲が良くとも、度が過ぎて礼を失するようなことがあってはいけないという戒めの言葉で、親しいことにより遠慮がなくなっていき、それが不和の元にもなるということを意味しています。まぁ、大体は分かりますよね?また、「仲」は「中」とも書きます。「親しき中にも礼儀あり」そして、こちらも「親しき仲に礼儀あり」とも言います。どちらも間違いではありません。あなたは親しい間からだからと言って、横柄な態度や我が儘を言ってはいませんか?少し礼儀正しくして、相手の人を驚かせてみましょう。また、親しくなくても、初めての方にため口などを使っていませんか?そういうのは、あなたという人柄を勘違いさせますので、変えるべきです。フレンドリーに接したかったと思っても、まず相手はあなたのことを知りません。これからというときに、そういう態度は傷つきます。なので、どんな状況下でも相手を重んじることが大切です。相手は鏡に映った自分自身だと思って、尊重しましょう。●まとめ「親しき仲にも礼儀あり」とは、どんなに親密な間柄であっても、 守るべき礼儀があるということです。また、「仲」は「中」とも書きます。「親しき中にも礼儀あり」 そして、こちらも「親しき仲に礼儀あり」とも言います。 どちらも間違いではありません。どんな状況
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急いては事を仕損じる

これは、読み間違いの多いことわざのひとつだと思います。どのあたりが間違えやすいと思いますか?分かる人にとっては、え?こんなところが分からないの?って言われそうな言葉ですが、読み間違い、言い間違いが多いのは確かです。恥をかく前に覚えて損はないです。「急いては事を仕損じる」とは、何事も焦ってやると失敗しがちだから、急ぐときほど落ち着いて行動せよという戒めです。さて、問題の読みですが、「せいてはことをしそんじる」です。「いそいてことをしそんじる」と、かつての私は読んでましたが、正しくは、「せいてはことをしそんじる」とのことです。物事は焦ってすればするほど、冷静沈着に出来なくなるものだから、焦っている時ほどじっくり落ち着き、考えて対処せよということから。 「急いては事を仕損ずる」「急いては事を過つ」とも言います。また、「急いては」を「いそいでは」というのは誤りですので注意を。これもまた間違いやすいところではありますね。あなたは間違えずに読めましたか?間違えた方は、この機会に覚えておきましょう。振り込め詐欺もそうでしたね。3時までに振り込むように促して、冷静な思考を取り上げれらた人に、このことわざを送りたいです。まぁ、おそらく聞く耳は持たないでしょうけど。詐欺にあわないためにも、冷静な状態は必要になります。そして考えることも。こういうことは大事だと思いますよ。あなたの周りにもそうならないように、声掛けをしてみてください。●まとめ「急いては事を仕損じる」とは、何事も焦ってやると失敗しがちだから、 急ぐときほど落ち着いて行動せよという戒めです。読みのほうですが、「せいてはことをしそんじる」で
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急がば回れ

これも言い間違えやすいことわざじゃないでしょうか?ちょっと言いづらいところもありますし。でも、意味のほうは浸透していると思います。ご想像通りの意味で間違いないでしょう。近道は遠回りとも言いますね「急がば回れ」とは、急いで物事をなしとげようとするときは、危険を含む近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行くほうがかえって得策だということを意味しています。また、急ぐからといって慣れない近道を通れば、道に迷うなどして、かえって遅くなるもの。それよりも、多少の手間や時間がかかる回り道であっても本道を行くほうが、結局は早く目的地に着くということ。「急げば回る」「急ぐ道は回れ」とも言います。使い方には注意があり、ただ「ゆっくり行く」の意味で使うのは誤り。 たとえば、 「人生は長いものだから、ゆっくり歩けば良い。急がば回れというように、のんびり行こうじゃないか」は間違いです。これさえ、踏まえておけば、あとは問題ないかと。最初のほうにも書きましたが、これは近道は遠回りと似たものですね。どんなに急ぎのようであっても、近道するよりも遠回りを選んだほうが結局のところ、無事に目的地に早く着きますって意味なので。近道を選んだところでいいことがないっていうのは、人生においても、言えることじゃないでしょうか?先を急ぎすぎるのも良くないという。人生においても、物理的な道であっても、急ぐのであれば、遠回りになることを選んで、結局は最短ルートを選びましょう。●まとめ「急がば回れ」とは、急いで物事をなしとげようとするときは、 危険を含む近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行くほうがかえって 得策だということを意味してい
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犬も歩けば棒に当たる

このことわざの意味、2つあることを知っていますか?しかも、意味の内容は災難と幸福とそれぞれ違います。どちらかといえば、災難のほうで使われることが多いと思います。でも幸福の意味があるとなると、使い分けが困りますね?同じことわざ、でも意味は?「犬も歩けば棒に当たる」とは、でしゃばると思わぬ災難にあうという戒め。また、じっとしていないで、何でもいいからやってみれば、思わぬ幸運にあうことのたとえでもあります。信じられない話ですが、「棒に当たる」とは、人に棒で殴られるという意味。 本来は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味であった。 現在では、「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという、反対の意味で使われています。 「犬も歩けば棒に会う」とも言います。でも、あまり聞きませんね?これらの意味を知ると、さすがに使うのに抵抗を覚えますが、今はいい意味でも使われることが多いので、その場の状況次第で、使ってみるといいかもしれません。あなたなら、災難と幸運。どちらの意味で使いたいですか?どちらの意味で使っても大丈夫です。 とはいえ、なるべくならいい意味で使いたいものですね? ちなみに英語でこのことわざを使うとしたら、The dog that trots about finds a bone.(歩きまわる犬は骨を見つける)になります。やはり、いい意味で使われることが多い証拠でもあるんですね。2つの相反する意味を持つことわざでしたが、使う機会があるとするなら、いい意味で使ってみませんか?●まとめ
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案ずるより産むが易し

書くときに間違いやすいことわざを持ってきました。意味は知っていると思いますが。「易し(易い)」を「安し(安い)」と書くのは誤りです。ここでも気をつけておきたい言葉ですね。いろいろ間違えやすいことわざです。「案ずるより産むが易し」とは、始める前はあれこれ心配をするものだが、実際にやってみると案外たやすくできるものだというたとえです。このことわざの成り立ちは、お産する前は本人も周囲の人も色々と心配することが多いが、終わってみると案外たやすく済んでしまうものであるということから。 また、出産に限らず、物事は事前にあれこれ思い悩むよりも、実際はそれほど難しくないということからでもあります。 あまり取り越し苦労をするなという慰めの意味で使われることが多いです。 「案ずるより産むが易い」とも言い、「産む」は「生む」とも書きます。私は案ずるより「も」産むが易し…と、「も」を入れて使ってしまいますが、これは間違いです。本当に間違えやすいことわざですね。先ほども書きましたが、易しも間違いやすいので、自信のない方は、ひらがなで書くことをおすすめします。知らず知らずのうちに、恥をかかないためにも、今回をいい機会にして、覚えておくのもいいかもしれませんね。他にも、間違いやすいことわざは存在すると思うので、そういったものを紹介していきたいと思います。●まとめ「案ずるより産むが易し」とは、始める前はあれこれ心配をするものだが、 実際にやってみると案外たやすくできるものだというたとえです。 出産に限らず、物事は事前にあれこれ思い悩むよりも、実際はそれほど難しくないということからでもあります。「案ずるより産む
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頭隠して尻隠さず

これは比較的によく使う言葉ですが、意味は知っていますか?正しい使い方をしているなら、あまり出てこないことわざです。たとえば、「うちの犬、よく頭隠して尻隠さずの姿が可愛い」は、間違った使い方です。この機会に覚えておいて損はないですよ。間違った意味が当たり前のように使われる昨今。「頭隠して尻隠さず」とは、悪事や欠点などの一部を隠して、全部を隠したつもりでいることの意味です。詳しく書くと、雉(きじ)は、追われると草むらの中に頭を突っ込んで隠れたつもりでいるが、尾は丸見えになっていることから。 一部だけを隠して、すべてを隠したつもりでいる愚かさを笑うことば。まったくもって、「うちの犬は~」だなんて使いたくないですね。同じ動物から来ていていますが、由来は愚かさを笑うだなんて、小さな家族に使いたいとは思いませんよね?間違ったほうの意味が浸透している気がするので、広辞苑にいずれは、そちらの意味も載るかもしれませんが。今のところは、間違った意味だということを認識してください。でも叱られたペットたちがそういう風に隠れると可愛いのは確かですね。何かイタズラして、隠れたつもりでいるなら、このことわざは、合っているかもしれませんね?状況に応じて、使い分けをするのが一番ですね。意味を知っている人からすれば、意味が分からないこともあり得るので。人に対して使うところは、あまり見かけませんね。先ほど書いたことわざの由来が由来なので、使うのも失礼かもしれません。気をつけるべき、ことわざということですね。ことわざとしては間違った意味でも、可愛らしく表現された意味として、そちらのほうを使ってみたい気がしますよね?●
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下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

このことわざを知っていても、あまり使う機会はありませんね?最近は、ことわざを使う機会が減ったように思います。学生時代に勉強で覚えたりしたものですが、使わなければ、覚えていた意味などを忘れてしまいますよね。ことわざは先人たちの知恵です。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」とは、一つがだめでも、たくさんやってみれば中にはまぐれ当たりもあるというたとえです。「下手な鉄砲も数撃てば当たる」とも言います。 「撃ちゃ(撃てば)」は「打ちゃ(打てば)」とも書く。ちなみに、目上の人などに直接言うと失礼な場合もあるので注意。まぁ、使うことはないと思いますが。あなたがこの言葉を使うとしたら、どんな場面でしょうか?たとえば、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというから、これで終わりだと諦めないでまた面接を受けてみればいい」などで使います。たとえの内容がどうかと思いますが。そういえば、このことわざは努力をして得たものではないですね?一つのことがだめで、複数のことを行うとまぐれで命中したという意味では、偶然で得たものとも言えます。よく言われるのが運も実力のうちですね。まぐれでも運が良ければ当たるってことは先人たちも知っていたわけですが、運が引き寄せてくれるなら苦労はしませんね。だからこそ使われるわけなんでしょうが。あなたも何でもいいので、知っていることわざを使ってみませんか?相手の方もきっと驚かれるかもしれません。●まとめ「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」とは、一つがだめでも、 たくさんやってみれば中にはまぐれ当たりもあるというたとえです。「下手な鉄砲も数撃てば当たる」とも言います。 「撃ちゃ(撃てば)」は「打ちゃ(打
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石橋を叩いて渡る

このことわざを知らない人は少ないと思います。もちろん、ご存じの方は意味も理解されていることでしょう。用心することは大切なことです。用心しないのは無謀とも言えます。だからこそ、この言葉が生まれたのだと思います。対策はしっかりと。「石橋を叩いて渡る」とは、用心の上にさらに用心を重ねて物事を行うこと。詳しく書くと、壊れるはずのない強固な石の橋を、一応叩いて安全性を確かめて渡ることから、用心し過ぎるほど用心深くなることをいう。 「石橋を叩いて渡れ」「石の橋も叩いて渡れ」とも使います。 さらにこのことわざを転化させて、「石橋を叩いても渡らない(用心に用心を重ねたのに、結局実行しない)」や「石橋を叩いて壊す(用心深くなりすぎた為に失敗する)」などの表現もあるので、一緒に覚えておいて、使ってみるのもいいかもしれませんね。たとえば、「私の性格は、石橋を叩いて壊すような性格なんですよ」とか、冗談交じりの自己紹介などをすると、笑い話にも変わりますよね?失敗するのは問題ですが、用心に越したことはないご時世ですね。色んな詐欺も存在します。これを読んでいるあなたは大丈夫と思いますが、「オレオレ詐欺」や「わたしわたし詐欺」、SNSを送って詐欺を働くなんてものも存在しますので、警戒するのは当然のことと言えます。周囲の人に注意を促してみてください。それこそ、石橋を叩いて渡るように、日々の生活の中に取り入れてください。自分の身を守るのはあなた自身です。気をつけてくださいね。●まとめ「石橋を叩いて渡る」とは、用心の上にさらに用心を重ねて物事を行うこと。 壊れるはずのない強固な石の橋を、一応叩いて安全性を 確かめて
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月に叢雲、花に風

このことわざ、あまり耳にされたことがないと思います。意味も想像できる人とできない人もいるのではないでしょうか?でも、由来などを理解すると、なるほどって思うかもしれません。知ったのはいいけど、使い道はそうそうないかもしれませんが。ことわざって奥深いものですね。「月に叢雲、花に風(つきにむらくも、はなにかぜ)」とは、よいことには邪魔がはいりやすく、長続きしないものだというたとえです。今回から分かりやすく、ひらがなを入れてみようかと思います。有名なことわざには入れないかもしれませんが。このことわざの由来は、名月の夜には雲がかかってせっかくの月が見えず、満開の花には風が吹いて花を散らしたりする。 転じて、良いことにはとかく邪魔が入りやすく、思うようにはいかないということから来ています。 ちなみに「叢雲(むらくも)」は「群雲(むらくも)」とも書き、群がり集まった雲のことを言います。意味が分かったうえで書きますが、こういうことって案外ありませんか?上手くいきそうな恋路に空気の読めない人が間に入ってきたり。契約がもう少しで相手からのいい反応をもらえそうなときだったり。良いことには何かしらの邪魔が入りやすいものです。風流なことわざから、急に現実的なたとえを書きましたが、現代ならではの良いことには邪魔が入りやすく、思うようにはいかないことがあるかと思いますが、それを乗り越えたら、良いことが再来すると思います。そのためには、まず頑張り続ける意思が必要ですね。でも無理は禁物ですよ?疲れてしまいますからね。誰かに認めてもらいたいなどの理由があるのなら、少しずつ励みましょう。ちゃんとあなたの言動は見られ
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為せば成る為さねば成らぬ何事も

どんなことでも強い意志を持ってやれば必ず成就するということで、やる気の大切さを説いた言葉を意味します。暑いと、どうもやる気すら出てこなくなりますよね?でも気合や強い意志があれば、願いも叶うってことですね。暑いと本当にやる気が起きないですね?「為せば成る為さねば成らぬ何事も」とは、できそうもないことでも、その気になってやり通せばできるということの意味です。できそうもないものって、何でしょうか?あなたには、お仕事などでありますか?やってみなければ、分からないってことは多いです。できるかできないかは、あなたのそのやる気次第にかかっています。でも「為せば成る為さねば成らぬ何事も」精神でいくと、 やり通せるかもしれませんね。私もチャレンジしてみようと思ったら、手を出してみます。できるかできないかは置いておいて、その過程を楽しみますね。結果がどう転ぶかは分かりませんが、損はしていないはずです。失敗したとしても、それもまた勉強になりますから。このように過程すら楽しめるなら、やる気も起き、成し遂げられると思います。一番いけないことは、何もしようとしないことです。それは時間が勿体ないですよね?時は金なりですよ。そして、結果が何であれ、やる気を起こした自分自身を褒めてください。更なるやる気が起きると思いますよ?●まとめ「為せば成る為さねば成らぬ何事も」とは、できそうもないことでも、 その気になってやり通せばできるということの意味です。やってみなければ、分からないってことは多いです。 できるかできないかは、あなたのそのやる気次第にかかっています。でも「為せば成る為さねば成らぬ何事も」精神でいくと、
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漁夫の利

これを聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?意味を知っている方なら、当事者だと悔しい思いをするって思うのかも?読んだそのまま、ことわざの由来としては漁師から来ています。あなたもこの意味と同じような経験したことありますか?書いて字のごとく。「漁夫の利」とは、当事者同士が争っているうちに、第三者が何の苦労もなく利益をさらうことのたとえです。これは、『戦国策・燕』にある次の故事に基づく話から生まれました。 鷸(しぎという名の鳥)とハマグリが争っているのを利用して、漁夫が両方ともつかまえたという話です。この反対の言葉は、「二兎を追う者は一兎をも得ず」余談でした。第三者が何の苦労もせずに、かっさらっていくのは悔しいですよね?しかも、ほぼ知らぬ間にってことですから。そういう経験されたことありますか?ないって答える方のほうが多いかもしれませんね。でも、横取りをされたことがあるって方は多いかもしれません。利益にしても、他のものにしても。ちなみに英語だと、Two dogs fight for a bone and the third runs away with it.(二匹の犬が一本の骨を得ようと争い、三の犬がその骨を持って逃げる)こちらも漁夫の利と変わりありませんが、やはり第三者(ここでは犬)が横取りをすることに変わらないですね。これを防ぐには、一番いいのは争わないことです。そうすれば、こういうことはまず問題ごとは起きないでしょう。争いごとをしてしまう人間ですが、それを避けることができるのもまた同じ、人間ですので、なるべく…ほかの方法を探しましょう。そうすれば、このようなことはきっと起きないと
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好きこそ物の上手なれ

このことわざを聞いて、好きなものって何だろうって思いませんでしたか?あなたにとって、好きなものはなんでしょう?このことわざの通り、あなたも好きなものに夢中になる瞬間があってもいいと思います。あなたはどういうものに真剣に向き合うのでしょうか?勘違いのしようもないことわざですね。「好きこそ物の上手なれ」とは、どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということの意味です。ちなみに、「好きこそ物の上手になれ」というのは誤りですよ。(「に」が入っていると間違いだと覚えましょう)子供のころや今になっても、好きなものには熱心に努力されたことはありませんか?それが上達したら、なお嬉しいものですよね?私もかつては投資の勉強はしていたのですが、詳しくなったのは覚えていますね。そこに実力が伴えばさらにいいのですが。山あり谷ありな感じでした。投資ってそんなものですけどね?そうやって、人は興味のあるものや好きなものを覚えようとする行い、これこそが今回のことわざに繋がります。当然そこには、好きなものなのに上達しないものもあるでしょう。だからと言って、途中で諦めないでください。好きなものだからこそ、続けられるんです。嫌いになんかならないようにしてくださいね。いずれは財産になります。心の中に貯まっていく、あなただけの財産(経験)に変わります。それは、時間をかけた分、どれだけ貴重なものでしょうか?図り切れないものが確かに存在します。そして、ふと思い立って、昔努力したものと向き合うのも大事です。鈍くなっていても、好きなものならすぐに上達もするでしょう。あなたは何がお好きですか?
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百聞は一見に如かず

このことわざには続きがあることをご存じですか?これだけでも十分な気もしますが、まだあるんです。あなたは、どんな意味の続きを想像しますか?とは言っても、すぐには浮かばないですよね。「百聞は一見にしかず」とは、百回聞くよりも、たった一度でも自分の目で見たほうが確かだということの意味です。そして、続きにはこうあります。百聞は一見にしかずの後には、「百見は一考にしかず」、「百考は一行にしかず」、「百行は一果にしかず」と続きます。その意味はこうです。「百見は一考にしかず」は、「いくら自分でたくさん見ても考えなければ意味が無い」という意味で、「百考は一行にしかず」は「いくらたくさん考えても、それを実行に移さなくては意味が無い」という意味。「百行は一果にしかず」は「いくら実行に移しても成果をあげなくては意味が無い」という意味。これらをまとめると、「自分の目で見て考え、それを実行に移して成果に結びつけることが大切である」という意味のことわざとなります。まるで山本五十六さんを思い出させる内容ですね?え、私だけですか? 「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」最初のほうは有名ですよね?後半の部分はあまり知られていませんが。どちらも教育の現場にも使えそうな言葉ですね。長くなりましたが、百聞は一見に如かずとは、何回聞かされても一度は見たほうが自分のためにもいいということですよね。そういう場面にあうことがあれば、自分から見させてください!と頼み込むのもありで
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三つ子の魂百まで?

あなたは、この言葉を言われて、何と思うのでしょうか?誉め言葉?それとも嫌味な言葉?どちらを思うのでしょう?また、このことわざを聞いて、三つ子って3人の兄弟で魂が百?と、そのままに意味を取っていませんか?もちろん、違います。勘違いされることわざって多いですね。「三つ子の魂百まで」とは、幼い頃の性格は、年をとっても変わらないという意味のことです。ちなみに補足情報。「三つ子」とは、三才の子供のこと。転じて幼い子を言います。 「魂」が「心」「根性」「知恵」に、「百」が「八十」「七十」「六十」に置き換わった表現があり、組み合わせによって多くの句がある。そして英語ではこんな表現も。The leopard cannot change his spots.(ヒョウは斑点を変えることはできない) The child is father of the man.(子供は大人の父)いろいろありますね!性格を変えることは難しいことです。ですが、変えようと思えば、努力次第で変えられます。ただ、根本的に変えられるかと言えば、やはり難しいところがありますね。ネットや運転だと性格が変わる人もいますが、あれは一時的なものです。根本的には幼いころのまま変わらないってことですね。良い性格ならそのままに、でも悪い性格はどうにかして直したいですよね?まず、どんなところが悪いのかを周囲に聞くことです。自覚が大事。そして、性格が悪くなった原因を考えることも大事です。またそんな自分を好きになってみる。こういう人は自己中心的でありながら、実は自分のことを愛せていない人が多いようです。こういう風に悪い性格を直して、周囲を驚かせてみ
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果報は寝て待て

よく家宝と間違われやすいことわざですが、正しくは果報…良い知らせの意味なので、間違えていた人はこの機会に覚えておくといいですよ?昨日書いた内容と意味はさして変わりませんが、このことわざも結局のところ焦りは禁物と言っています。どれだけ焦りがいけないかという証拠ですね?寝て待つだけでいい?「果報は寝て待て」とは、運というものは人の力ではどうにもできないものだから、あせらずに時機を待つのが良いということの意味です。言葉そのままに受けとけないでくださいね?「寝て待て」といっても、怠けていれば良いという意ではなく、人事を尽くした後は気長に良い知らせを待つしかないということですので。今時風に言うならば、「やるだけのことをやったから、あとはいい知らせが来るのを気長に待とう」って感じの意味じゃないでしょうか?なので、焦りは禁物ってことがここでも分かりますね?今も昔もどんだけ焦っていたのでしょうか?と思わざるを得ないですが。英語にも、Everything comes to him who waits.(待つ者はどんなことでも叶えられる)昨日、紹介しましたね。改めて、待つって大事なんですね。だからこそ、焦るな、焦っても意味がないって伝えたい言葉なんでしょう。もちろん、人事を尽くしてやるだけのことをやってからという意味ですが。あなたも焦ったりすることがあると思いますが、果報は寝て待てのような精神を貫けますか?どこかで焦りが出てしまい、先へ行こうとしていませんか?それは間違いだと先人たちの知恵でも教えてくれています。やるだけのことをやったなら、あとはおとなしく身を引いておきましょう。無駄に悪あがきなど
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待てば海路の日和あり?

この言葉、私の周りでも聞きませんが、耳にしたことありますか?詳しい意味はあとで書きますが、なぜこれを選んだかというと、焦ることがあったとしても、焦らずに乗り越えたいものがあるからです。あなたにもそういう経験などはありますか?そのあと、どうなりましたか?焦れば焦るほど空回り。「待てば海路の日和あり」とは、今は状況が悪くとも、あせらずに待っていれば幸運はそのうちにやってくるということのたとえです。たとえ、今の状況が悪くても焦らずにいれば、いいことがそのうち訪れるのが「待てば海路の日和あり」ですが、状況が悪いと焦りますね?その焦り、どうやって解消していますか?多分、大抵の方は時間が経つのを待つのではないでしょうか?時間が解決するってことですね。とにかく、時間が焦りを解決してくれます。リラックスをして、落ち着いていれば、焦りは消えるはずです。そして、いいことが訪れるのを待ってみてください。今の状況を好転させるものが来るかもしれません。英語にも、Everything comes to him who waits.(待つ者はどんなことでも叶えられる) また、All things come to those who wait.(待っていれば何でも皆やって来る)という日本で言うことわざ的な言葉もあります。幸運を手に入れるならば、多少の我慢もつきものってことですね。なので、日本にしても待つことの重要性を昔から説いています。先人たちの知恵は今でも活かされているってことなんですね。焦らず、待つ。言葉にすれば簡単ですが、実際は難しいです。今か今かと待つわけですから。しかも状況は悪い状況の中で。でも、あ
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