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「尊厳死を選択した彼女は・・・;;」

なんか、ちょっと胸を締め付けられる感じがしたね~。彼女は、あの時64才じゃった。子供の時に、両親が離婚した。母親に引き取られたが、母親のつきあっていた男が、彼女を虐待していたのじゃ。;;その最悪の状態を耐えに耐えたが、大きくなってその「地獄」から抜け出せたのじゃ。それが原因ではナイじゃろ~けど、彼女は「パーキンソン病」を確か50才過ぎ頃に発症した。家をでて、社会人となり、それから彼女は、「海外生活」をするようになるのじゃ。それは「自由」を思い切り感じていたのじゃと思う。そして「恋」もした。「スイス」では「人生最高の恋愛」を経験した。そして、そこは「人生最後の場所」になった。学校を出て、社会人となり、それから決意して、「海外生活」をするようになった彼女は、「生涯独身」であったが、「海外」では「いっぱい恋」をした。そして「運命の相手」が「スイス」にいた。結婚まで至らなかったが、「人生最高の時」を彼女は過ごしたのじゃ。彼女は「スイスの湖」が好きだった。「運命の彼」との思い出の場所じゃった。彼女は「最後の時」を迎えるまでに「最後の恋の軌跡を訪問」したのじゃ。その「最後の時の看取り」に運命の彼は「立ち会う」との「約束」をした。しかし、それは「果たされなかった」・・・彼はその場所に「存在」しなかった・・・彼女は落胆したが、もう「覚悟」はできていた。彼氏の「心変わり」も素直に受け入れられた。そして彼女の「最後の時」は、「安楽死団体」の女医が付き添ったのじゃ。「女医」は言った・・・・・・「このバルブを開ければ、あなたの希望は叶えられます。いいですか?」・・・「はいとてもうれしいです。」・・・「
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同級生とのトラブル

こんばんは~~~タカ3@です。 日曜の夜21時を回りましたが、皆さんは明日からお仕事ですよね。また一週間が始まります。 頑張りましょう!!僕はというと、明日も当然のごとくお仕事&残業です。ハイ!!残業は有り難いのですが、結構多いんですよね~~。 夜勤ありの交代勤務って、今の若者からは人気もなくって、昨今の人出不足の中、募集して入社するも辞めていく人が多い仕事なんです。そのため、必然的に足りない分は残業で補うカタチ・・・・。お給料の手取りも増えて、嬉しいのですが自分の時間や休日もグッタリしているのは?果たしてどうなんでしょう?!前置きが長くなりました、すいません。 さてと、今日の本題「同級生とのトラブル」です。どんな年代にも、トラブルの問題はあったと思いますが、今回は娘のトラブル(イジメ)に関する話です。 小学生の時、近所に住む同級生の女の子と一緒に学校へ行っていました。同じクラスであり、毎日一緒に行っていたので仲よくやっていると思っていました。ある日のこと、娘から「○●ちゃんと、一緒に学校に行きたくない」理由を聞くと、ランドセルに石を入れられたり酷い言葉を投げかけられるから、と。 悲しげな娘を見ていて、話を聞いていて、辛い思いをしているのが、分かりました。  我慢しきれずに言ってきたんですね。親として、そう言われると、「一緒に行きなさい」とは言えず。今も言うのか?!わかりませんが、「子供のケンカに親が口を出すな」的な。友達が悪いのか?娘が悪いのか? もちろん、親ですから娘の言うことを信じるし、イヤだと言っているのに無理強いはできませんよね。 たとえ娘であっても、一方の話だけを聞
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旧い風土が生んだ悲しき事件

どんな暴言吐いても許されるとか思ってるのかしら。〈どんな暴言吐いても…〉党代表・神谷宗幣参議院議員(46)元公設秘書が急死のウラに“パワハラ的言動” 神谷氏本人は「責任は感じている」 文春オンライン2/8(木)17:20「党は、個人が参加する有料のタウンミーティングが重要な収入源になっています。 神谷氏は集客が悪いと、まるで、Aさんひとりが悪いと言わんばかりに徹底的に叱責していたのです。パワハラ的な言動が特に酷かったのは、2022年末から2023年初頭まで。 次第にAさんは言葉が出なくなり、手が震えていました」 そして2023年2月、Aさんは神谷氏の公設秘書の任を解かれ、 党の一スタッフになっている。 同年4月、Aさんは知人にSNSでこうメッセージを送っていた。 〈何言ってもどんな暴言吐いても許されるとか思ってるのかしら。 私、過去に働いていた職場の上司でこんな人は当然ながら1人もいなかったし、 部下として敬意を払ってもらってました〉 そして同年12月、Aさんは自死した。衝撃的で悲しい事件です。 「何言ってもどんな暴言吐いても許されるとか思ってるのかしら。」 という女性の言葉は、同じことを感じてきた人の胸にグッと来るのではないでしょうか。日本の企業風土には 「正しい理念があればパワハラも辞さない」 「それは企業、社員への愛だ」 という信仰が息づいていて、 なかなか、スッキリ抜けることはありませんね。 これだけ男性有名人が、 過去の女性問題で騒がれて、 罪を問われてテレビからも干されたというのに、 まだ、続けるおつもりですか。もう許されないんですよ。 時代は変わってきているんです
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(365日目)人間関係がうまく築けない人は気づきがない。

人間関係って大切ですやん。社会のコミュニティで生きていく以上は。今の世の中って少々うまく行かない人生でも生きていくことができると思うんですよね。それは社会保障があるからだし社会的弱者を助けることってことを道徳的に教えられているからだと思います。しかし人間の本能的には異物除去のシステムが備わっていると思います。それが現れるシーンってのがイジメだったり仲間外れだったりSNSで集団に叩かれたり。そんな世の中でうまくやっていくには自分の本心とは異なる自分を演じるそんなこともしなけりゃなりません。〜自分に素直になれ〜〜自分をさらけ出せ〜〜正直に生きろ〜それらの言葉をなんの疑いもなく受け止めて馬鹿正直に生きていく人がいますけど何も気付けてない証拠だろうなとも思います。っていうか自分の正当性を守りたいって意識があってそんな言葉に縋りたいってのが本心じゃないかな。もちろん素直に生きれれば気持ちいいでしょう。自分をさらけ出しながら生きるのもラクです。だけど問いたいんです。『本当に自分一人の力で生きてけますか?』って。誰にも頼らず 社会にも頼らず自分の能力と知能だけで生きていけるその確証と根拠はどこにあるのか?と。この社会で生きていく以上はどこかで自分を抑えなければならないことも、相手に合わせてコミュニティに参加することも、何かをガマンして生きていくことも必要です。それが社会のコミュニティでうまく生きていくための技術だったりします。もし自分をガマンする境遇に置かれているのが『自分だけなんだ』と思ってるようでは甘えも大概だと思うんですよね。いわゆる独りよがりってやつです。社会に向けて文句を言ったりす
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命を守って下さい

今、生きている事が奇跡だから 「あなたの身体は食べ物で創られている」様のブログより一部転載致します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ブログより) 私も、そこまでの 心理になってしまった 経験があるから分かるんです。仕事で、締め切りに追われ、 毎日、毎日、上司に、 どれだけ遅れているのか? 間に合わなかったら どうするつもりか? 今日も、これだけ遅れている! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  と追い立てられ、 毎日、終電で、 家事も出来ず、 コンビニ弁当を食べ続け、 夜中に選択をして、 洗濯物干しから、 洋服を取って着て 酷い生活の毎日を過ごし、 短い睡眠時間で、朝早くから、 出勤するような毎日・・・。それをたった1ヵ月 過ごしただけで、 ああ、この締め切りに 間に合わなかったら・・・ このビルから飛び降りればいいや! 非常口はどこかな? なんて、ふと 考えたんですよ! 馬鹿げた話ですが、 ほんの少しの睡眠時間の他は、 家と会社の往復で、追い立てられ、 追い詰められたら、 正常な判断が、 出来ない心理状態に なってしまうんです。 私は、期間が終わったら 解放されたのですが、 その状態が、長く続いたら・・・ バカな事をやってしまう。 それも、分かるんですよ。 また、悪い事が1つだけでなく、 2つ、3つ、重なると ふと衝動的に自暴自棄になる事 だってあるかも知れません。そんな時は、逃げてください!逃げる方法を考えてくださいね!逃げる方法は、 いくらでもあります。 こういうときこそ、 ズルい知恵を働かせてください。 良いんです!命を守る為
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地獄への道…10

こんな人生、終わってしまいたい。そうずっと思っていた。その度に「自分には子どもがいる」と言い聞かせてきた。私の感情など、どうでもいい。この子たちが「幸せ」であればそれでいい。私の役目はこの子たちを自分のような惨めではなく「幸せな人生」を送らせてあげること。それだけしか「私の価値」は要らないし、価値すらない。息子が「支援学校」に通えるようになるまで、家にいたが、それを心配した支援学校の校長先生から電話が度々きていた。「息子くん、どうしてますか?もしよかったら、転校手続きが終わるまで、少し学校にきませんか?」と言ってくれた。私は、涙が出るほど嬉しかった。私は「ありがとうございます。息子は今外で遊んでいます。息子に話してみて、もし希望があればお伺いさせていただきます!」と答えた。その日の夕方、息子が帰ってきた時、早速聞いてみた。そしたら息子は「え!!いいの!?行きたい!」と飛び跳ねて喜んでいた。私もそれを見てとても嬉しくなった。翌日、早速学校に電話した。校長先生に代わってもらい、息子が行きたいと言っていたことを伝えたら「いつでもお待ちしています!」と言ってくれた。息子は「明日にでも行きたい!」という感じだったし、この電話で行くことを伝えた。「学校の都合が良ければ、明日にでも伺いたいのですが…」というと「もちろんです!明日は学校の方も特別な行事がないので、ぜひ!先生にも話しておきます!」と言ってくれた。そのことを息子に伝えると息子は張り切っていた。まだ、転校できるとは決まっていなかったが、それでも「学校にいく」ということは子ども心に嬉しかったのだろう。お姉ちゃんや妹も誰も責めたりはしな
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地獄への道…7

生活保護が決定してから2週間くらい経っただろうか、保護のお金が振り込まれていた。少し金銭面的には安心したが、前にも話した通り「人間失格」を張り付けられたような感じがして、どことなく後ろめたさがあった。保護の振込金額は、子供手当などを相殺して振り込まれるが、それでも十分だと思った。車所有の件は、保護の方から「特別許可」という形になった。トントン拍子に物事が決まっていく中、私の体調は反するかのように悪くなっていった…。元々痩せていたわけではないが、体重は減り、とうとう血圧が上80前後になっていた。精神科に通うようになり、慣れない「薬」と合わない「薬」のせいか、脳みそが全く「機能」してくれない。とにかく「眠い」…とにかく下の子を保育園に預ける、というまでが精一杯になっていた。それでも「生活保護受給者」だと思われたくなくて必死だった。そして、「仕事を辞めたこと」も自分の中では消化できていなかった。けれど日を追うごとに「どうせ生活保護を受給するなら、うつ病をしっかり治そう!そして歯医者にも行こう…、行けなかった病院や自分の体を治していこう、それからまた社会復帰すればいい」と思うようになった。そう思えるまでに半年は掛かったと思う。それまでは「会社を訴えてやろうか」、母親のこと、父親の死、全てが「恨み」に変わっていた。母親の宗教、お金のこと、イジメられたこと、サラ金のこと、最初の旦那のこと、元旦那のこと…取られてしまった息子のこと挙げればキリがないほどに恨む要素はたくさんあった。自分は本当に愛されたことはあるのか…子供たちに愛情は与えてられているのか…ただ一つ親だからという「見栄とプライド」
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「バネ指・指関節痛体操でちょい改善~♪」

ボクも、も~何年じゃろ~か?指とかヒジの痛みというか~、「工場の仕事での指やらヒジへの負荷による(痛みや関節炎・指関節のハレ=プシャール/へバーデン)痛み」に悩まされてきたのじゃ。本来は、ボクは前の「造船大手企業」に在籍していたころは、「テレックスオペレータ」なんてやっていたので、「キーパンチ」はもちろん「激早」じゃ。そう「ブラインドタッチ」なんて、当たり前じゃ。それが、広島に帰郷しての工場勤めはね~「手やヒジ、足腰」なんても~「過労死?」しそ~なくらいに「激務」じゃった。そんなもんだから~「手の指やヒジもちょい痛みがあった」んだよね~。「腰」なんか「ファイテンやコラントッテ」の「ウエストバンド」でガッチリとガードしないと仕事にならなかったのじゃ。(;;それに「夜勤」が入ったらも~、アータ!、「地獄」じゃ。「免疫機能」なんて、即破壊された。「疲れたカラダに、激務とイジメ」じゃった。あの工場って、どこでもあるかもしれんが「広島でも屈指の(ブラック企業)」じゃったが、それは後で知ったね。ひぃ~;;そういう環境の仕事じゃったので、「企業も従業員の健康なんて以前は特に(問題視)」してなかったかもね。だから、その影響が指やヒジ、腰とかに出たのじゃ。うぉ~(^^;そこでね~、そんな辞めた企業のことなんかど~でもイイのじゃが、今の「指とかヒジ」が問題じゃ。「ギター」も最近やり始めたところじゃし。(なんでまた、指とか目いっぱい使うギターを!?)そこでね~、前から知っていた「整体師ユーチューブ」の中で何やら、「バネ指等」にイイ「指体操?」みたいなのがあったので「コレじゃ~!」ってすぐ実行じゃ。^
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(303日目)集団化ってコワい。

私は蒸れません。・・・。あ、違った。正しくは私は群れません。けして友達が少ないという意味ではない。と思い込みたい今日この頃。さておきタイトルにある通り、人間って集団化すると本性が見えると言いますかボロが出るって感じです。一人きりだと大人しい、一見マトモに見える人でもグループとなると途端に威勢がよくなったり普段とは全く異なる性格を表すことがあります。なぁぜなぁぜ?「赤信号、みんなで渡れば怖くない」そんな言葉があるように、集団化した途端に気が大きくなったり社会的ルールを逸脱しても「大丈夫」と思ったり。不思議に思いません?集団となることのメリットも当然あります。不安感を軽くしたり、恐怖を和らげる効果もあるでしょう。一人で肝試し行くよりも数人で行くと心強い、あの感じです。しかしネガティブな視点で見てみるとコミュニティから疎外したり、イジメを引き起こしたりするんです。集団リンチなんかいい例です。ひとりぼっちだとそこまでしないよな、ってことでも集団になると歯止めが利かなくなって人を殺してしまう。ネットイジメにおいても同じです。グループの一人が先陣切ってイジメだすとそれ待ってましたと言わんばかりに周りのメンバーも同調して同じ行為を行うんです。普段であれば眉をひそめてしまうような行動も、そのグループに属して行動に加担しているときはまったく自分の行為に気づかないんだから。そう考えると、普段善良に見える人たちも「社会的道徳」を守るために自分自身を抑圧しているんだろうと思います。だから、そのタガがいったん外れてしまうとそのストレスを解消するかのようにあり得ないほど凶悪な一面を見せるんだと思います。だ
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「認知症薬レカネマブ」認証済み!^^

ということじゃけど、まだこの薬は「認知症の進行を2~3年程度、遅らせる」というのが趣旨じゃね。マダマダだけど、でも「最初の貴重な一歩」じゃ!^^負担額は、日本では「保険適用」で、月に約14万程度じゃね。ちなみにアメリカは、約400万/年くらいじゃ。高いぞ~!^^;でもね「80才の夫が85才の認知症の妻」を殺害という痛ましい事件があり、今の医療の限界を感じる。^^;この夫は、ずっと妻の介護を一所懸命にやっていたとの近所の評判じゃ。でも、妻は「夫が浮気をしている!」との妄想を近所にも言っていたようじゃ。『まあ、ボクの「おじいさん」の継母(ままはは)も入院してからの最晩年は、おじいさんが病院にお見舞いに行っても「あれ?私の財布がナイ!オマエ、取っただろ~!」とかね~、色々とおじいさんがコドモのころは自分の子供とは違うので、イジメをかなりしていたと聞いたが、まあ、ダレもおじいさん以外は面倒を看ないのに、ヤレヤレじゃ。演技だったのか?^^;彼女も演技なのか、やはり「認知症?」なのかわからんが、やはり老々介護って、いくら愛していても「無理?」かもよ。とっても残念だけど、ああいう殺人事件とかになるケースが多いよ。大変じゃ。だから「専門家」に任せた方が、イイと感じる。そういえば、戦後最悪の大量殺傷事件が「津久井やまゆり園」で起こったね。合計45名の殺傷だね。犯人は植松聖じゃ。ヤツはこの園で職員として働いていた。しかし、知的障害者を「生きている価値がナイ」と切り捨てたのじゃ。なんで、こういうヤツが園で働いていたのか?おそらく園に入る前は「誰かの役に立ちたい」とかの思いもあったのかも知れんが、「障
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地獄への道…2

私は子供たちに「仕事を辞めた」ことを隠していた。いつものようにスーツを着て、保育園にいつも通り送った。けれど、その後から行くところがない…。そのまま家に帰る…。私は気分転換に友達を呼んだ。今まではあまり関わりのない友達?知人といったほうが当てはまるのか…。その知人Yちゃんに連絡してみたところ、快く遊びに来てくれた。何も聞かず、ただ他愛のない話をしたりして過ごした。多分スーツを着ているから仕事の合間に会っているのだろうと思っていたと思う、Yちゃんは3勤3休の仕事をしていたため、ただタイミングがよく会えたのだ。それから何回か会う機会があった。私は、他の仕事をしないと!!と思いつつも…買い物にスーパーに出ても「あれ?今日お仕事お休み?」と保険屋で出会ったお客さんに話しかけられる。私は「あ~…はい…」と言葉を濁す。「辞めた」とは言いたくなかった。辞めたくて辞めたんじゃない!!そう叫びたかった。その瞬間!!今まで味わったことのない「動悸」がしたのだ。もう立っていることすらできず、しゃがみこんでしまった。なんだ?!これ!!誰かが話掛けてくれたと思うが、声があまり聞こえてこなかった。しゃがんで少し経ったら落ち着いた。立ち眩みだったんだろう…。そう思った。さすがにビックリした。血圧もそんなに高いわけではない、むしろ「低いほう」だったから「たちくらみ」だと思った。買い物を済ませ帰宅したとき、また激しい動悸…。なんだろう…。そういえば、仕事を辞めてから、ご飯…食べていない…。何日経っただろう…。そう、私は家ではあまりご飯を食べていなかった。そもそも。朝は子供たちの準備や家事で食べずに出社していた、
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新しい人生の終焉…7

私は早速、その大家さんに電話してみた。人の良さそうな人でとても優しかった印象を受けた。そして空いているかを聞いたら、「リフォームしてないけどそれでもいいなら入れるよ」と言ってくれた。どうせ、子供たちから汚される(-_-;)私は「大丈夫です、見せてもらえますか?」と聞くと快く快諾してくれた。翌日、仕事の合間を縫って物件を大家さんと一緒に見に行くことにした。2DKとはいうものの1部屋が広かったのでとても良かった。小さくではあるけど「小屋」も付いていた。隣の人の間に小屋が挟んであったので「防音」という意味もあるのかもしれない。そう思ったら、とてもいい条件だった。車も止められる。そして、なにより…アパートの前がとても「急坂」だった。これが「いい条件」な話はまた後で話そうと思う。大家さんは「こんなボロだからお子さんとかいるなら敷金とかいらないよ!」と言ってくれた。私は凄く親切な大家さんと思ったよりいい物件で「即答」した。大家さんはおじいちゃんではあるがとても元気そうな人だった。「さすがに今は契約書はないから来月入居の契約書作ってくるけど、入るなら今月の分はいらないから~鍵だけもう渡しておくね~荷物とかたくさんあるでしょ~」ととても気さく?というか、コッチが堅苦しいのおか?というくらい気さくな大家さんだった。そして私は、「そうすれば今月からお願いします」と言って、お互いその場を後にした。私はその日にもう旦那に言うことにした。とりあえず、仕事を終わらせ、子供たちを迎えに行きご飯とお風呂を済ませて、子供たちが寝るのを待って旦那に電話をした。「もうアパート見つかったから後は手配よろしくね」と。そ
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「初音ミクと結婚した男!」

もう、冗談かと思ったボク。(^^;しかし「正式な結婚式」まで開催しているって、ねぇ~、なんじゃとて?^^;でも「初音ミクの世界」ではかなり有名な男性だという。ほぉ~^^;彼の名は「近藤」(39)さんじゃ。ホンモノの「女性」とは未経験じゃ。「結婚式」では、新郎と抱えられた「ミクちゃん」と、なぜか「ネギ?」じゃ。うん?「ネギ?」、これはミクちゃんの「大好物」だそ~じゃ。^^;「なんじゃとて??」ほぉ~。^^;;ただねぇ~「ママ」と「妹さん」は反対でね~、「結婚式」には不参加じゃった。(ま、そりゃ、そ~じゃ^^;)ただ、彼は若いときに「会社イジメ」にあって「休職」していたんだ。(^^;そのときに「出会った?」のが、ミクちゃんじゃ!!^^つらい時だった。(それを癒してくれたのがミクじゃ。)もう「胸キュン?」となり、「二次元ミク」に「本気の恋?」をした・・・。そして晴れてこの日を迎えた。^^しかも「結婚証明書」まであるのじゃ!もちろん「ホンモノ」ではないが、一応すでに「200名」を超える「フィクトセクシャル」たちが所有している。^^今、若い人々の間では「マンガやアニメの異性とかを好きになるのか?」という問に「6-7人中1人」位が「イエス」とのこと・・・ま、ボクだって「りぼんの騎士」の「サファイア」にちょい夢中じゃったよ。^^ホホホそれに「ロイ」さんっていう日本人男性は「結婚経験アリ」だし~「子供2人」という実績?あるけど~、ここ10年は「人間の女性はもう愛せない」とかで「ミクちゃん」が「ココロの妻?」になっている。へぇ~(^^;でも、たまに「ミクちゃん」は、ロイさんに「怒ったり?」、「す
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新しい人生の終焉…6

その日は何もできない、と言われ点滴を打たれたまま気を失ったように寝ていた。翌朝起きたら、看護師さんが「体調どうですか?」などと言いながら血圧や体温を測ってくれていた。お腹に違和感はあったものの昨日ほどではない感じがしたので、「もう大丈夫です」というと看護師さんは血相を変えて「あんた!なんでここのナースセンターの前の病室にいると思ってんの?あんた昨日死にそうだったんだよ?血圧も上60もなかったし!」と怒られてしまった。血圧なんて普段測ることもないから、それが異常なのかなんなのかすら分からなかった。病院のご飯を食べていると、旦那から電話がきた。「あれ?起きてるの?子供たちのことが全然わからなくて…保育園に何を持たせればいいの?朝ご飯はどうしてたの?」という電話だった…。私は「入院している場合ではない、もう帰ろう」と思った。過去にもあった…同じことが…。そして過去にも2日で退院してきている。医師のいうことも無視して…私に「休んでいる時間」も「体を治す時間」もないのだ。ましてやこれから「離婚しよう」としているのに…。この弱みに付け込んで離婚がなかったこと、になるのも、すごく嫌だった。もしかしたら「プライド」だったのかもしれない。けれど、私は「引き返す」選択肢はなかった。その電話を切った後、点滴などを変えにきた看護師さんが「午後から診察ありますからね」と言って去っていった。今日のところはまず保育園や学校に行くとどうにかなるだろう…子供たちが帰るころには家に帰っていなければ、子供たちも心配するし、ご飯や洗濯や…などと考えていた。もう私の中では「今日中に退院」すると決めていた。旦那がお見舞い
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子供のトラブルやイジメまで負けない力を与えます 知識さえがあれば子供のトラブルへの対応の時に役に立ちます!

●ー●ー●ー●ー●ー●ー●ー● 初出品記念!本来12,000円のところ 先着5名様まで5,000円にてご提供いたします!●ー●ー●ー●ー●ー●ー●ー● 子供が起こすトラブルは 小さいものから大きなものまで様々です。 小さなトラブルはすぐに解決しますが 中程度以上のトラブルになると なかなか根本的解決が難しくなってきます。 最悪のトラブルはイジメなどが該当すると思いますが 子供が小さい時から両親がどんなことも解決できるという 姿勢を見せておけば、 子供も頼りになるのは両親だと思ってくれます。 イジメなどを親に話さない子も多いですが 頼りになる親と位置づけておけば、 話してくれる可能性も上がります! この知識は私自身が子供のトラブルで使用して 解決に導いたノウハウになります! 応用がきくため、 知っていると知らないとでは トラブルに対する姿勢がまったく変わります! うちの子が体験したのは、 みんなの前だといい子だけど 2人きりになると暴言を吐いて 虐めてくるというトラブルでしたが このやり方で解決させました。 この出来事のお陰で、 相手のご両親も心を入れ替え 今ではとても優しい子に変身しました! 自分のトラブルを解決した上に 相手の子供にも良い効果が得られたのです! ノウハウの中にはご両親の立ち回り方も 内容に含まれていますので トラブルの難易度に合わせて対応可能です! イジメまでカバーした内容となっております。 わたしは会社運営を20年してきて 様々トラブルをいままで経験し トラブル怪傑のノウハウを 顧問社労士試験、顧問弁護士に 直接指導を受けてきました! その経験を生活にも取り
0 5,000円
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新しい人生の終焉…4

私は決めた。…「離婚する」…。このままでは、不信感しかない、そして、また自分の心を殺して、このまま生きていくのか…。それで子供たちに「素直になりなさい」と言えるのか…。子供たちにどんな顔して毎日を送ればいいのか。親として、妻として…そして一人の女性として…それは果たして「正解」なのか…。色んなことを考えての「決断」だった。私の気持ちは何日経っても変わることはなかった。旦那が帰ってくる日を待った。そして、その日は案外すぐ来たのか、そう感じただけなのかはわからない。そして、子供たちが寝静まった後、旦那に話をした。「もうあなたを信じることはできない…。」と…そうすると旦那は「なんでこれからやり直そうとしているのに、そういうことをいうんだ!」と言ってきたが、その後に「じゃあ別れなくてもよかったじゃん」と…。なにを言っているんだ?この人は?自分の言っていることの意味も今口に出していいことの区別もつかないのか?私はキレそうにもなったが、「もう別れる」と決めた心には怒りなどはなかった。そして、私は淡々と続けた。「離婚するにも証人が必要だから、それはRさんに頼んであるけど、もう一人、あなたの方から出してね、それと慰謝料とか養育費を決めたい」と一気に話した。旦那はここまで言って初めて本気だと思ったのか「どうしたら許してくれるの?」「お前にだって悪いところはあるぞ」などと言ってきたが黙ってただ、反応もせず旦那の言う事を聞いていた。そうすると段々「わかった…もう相手とは別れたし、俺にはお前しかいないから、やり直すという前提で離婚しよう」と言い出した。なんて都合のいい人だ。こんな人だと本当に思っていな
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新しい人生の終焉…2

Rさんが、夜にも関わらず、とんできてくれた。もしかしたら、「人の不幸」を興味本位で来たのかもしれない。それでもよかった。そんなことを考えられる余裕などはなかった。Rさんは「二人で話なさい」と子供たちの面倒を見てくれていた。私はRさんが来てくれたので安堵したのか冷静になった…。けれど私の怒りが修まったわけではない。旦那と二人で向き合って話をした。どこで知り合ったのか、いつからなのかなど色々…。知り合ったのは当時流行っていたゲームアプリ。半年くらい前からだそうだ。それって…ディズニーに行くかという話があったあたり…。その間には旦那は「家族ゴッコ」をしていたのか…。私たちと…。もう頭がパニックというか真っ白になった。頭が真っ白というのは、こういうことを言うんだなと、どこか他人をみるように冷静だった。子供たちにもずっと「お父さん頑張って仕事をしているから学校にいけるんだよ」とずっと言い聞かせていた。子供たちの前で一切「自分の稼ぎで」と言ったことはない…。私も前の旦那で少しでも学んだつもりだった。今の旦那に尽くしてきたつもりだった…。仕事中の急なお弁当、給料が少ないと私が借金していたこともある。舅姑、お墓まで全部させてもらったと自負している。旦那の顔は立ててきたつもり…。「うつ病」のことだって何にも言ってくれなかったから病院にもほとんど行ってない。私が何をして「他の女性と一緒になりたい」と思ったのか、そして何を思って家に帰ってきていたのか…。私と子供たちだけが「我慢」していたのか…。どんなにお金がなくても…どんなに子供たちはお父さんに会いたくても…。怒りも沸いたが、虚しくもなった。けれど
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深刻化する「職場いじめ」 

最近、「アート引越センター」での集団イジメが報道され、話題になっています。これは、運搬トラックの中で全裸の男性社員を荷物を固定する用のゴムで縛りつけ、引っ張ったゴムを同僚が男性めがけて弾く様子を笑いながら撮影するといった本当に悪質なものでした。しかも、こういったことは過去にもあったとのことです。たとえば、「昨年11月、『アート引越センター』のアルバイトと社員の計4人が強制わいせつ致傷の疑いで逮捕されました。同僚のたまり場となっていたアルバイトが住むマンションの一室で、複数人で1人の男性社員をパンツ一枚にさせ、女性社員が来たところでパンツも破って脱がせ、頭部や腹部に暴行を加えたのです。容疑者らはその一部始終を携帯で撮影していました」といったことが報告されています。ところで、こうした「職場いじめ」はそれほど珍しいことではありません。厚生労働省の統計によると、職場でいじめに遭っているという相談は、ここ10年で2倍に増加しています。では、職場いじめは、なぜこのように増加・深刻化しているのでしょうか。「職場いじめは昔からあった」という意見もあるでしょう。上司による行き過ぎた「指導」、ベテラン従業員による新人いじり、社内の「派閥争い」、出世する同僚に対する嫉妬、他人への配慮に欠けた「問題社員」の行為などを挙げる声もあるでしょう。こうした労働相談は、今もなくなったわけではありません。しかし、近年見られる職場いじめには、これまでとは異なる傾向があります。ここでは、最近の職場いじめに共通する特徴や背景を指摘していきたいと思います。まず、第一の特徴は、「過酷な労働環境」です。それを示唆するのが、2
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新しい人生の始まり…44

思ったより「ディズニーランド」までは遠かった(笑)なんでも県外に行くのは修学旅行などでしか行ったことがない。高校にもなれば、色々あったかもしれないけど、高校にも行けてなかったから、そんな体験をする機会もなかった。車だったから子供のトイレや空腹などに対応が臨機応変にできた。本当にこれだけはよかった。旦那も休み休み運転をしていた。子供たちもいい加減飽きてきたりもしてきたが、ほぼ寝ていたり、車に付いていたテレビなDVDなどをみて過ごした。本なども持ってきたが「車酔い」が起こってしまい中断した。そもそもこんなに長い時間、車に乗っていることがない。そんなこんなで、やっと近くまで来たのは「朝方」5時くらいだったと思う。近くになっても子供たちは起きてこなかったし、開場までまだ時間があったから駐車場で私たちも仮眠をとった。2時間も寝ただろうか。少しまぶしくなった光で起きた。周りに目をやると、もうすでに少しづつ車は増えていた。朝方に来た時は「東京ドームシティ」などディズニーランドのホテルなどが立ち並んでいたのがあまり見えなかったが、明るくなるとすごく立派なホテルが見えた。あぁ…私のボーナスがもっと多かったらな…と少し落ち込んだ…。チケットを取って、ガソリン代と、食事代などだけで精一杯だった。色々ディズニーに関して色んな人に聞いたら「お土産だけでうん万いくよ」などと言われていたから、少し構えていた(笑)子供たちに楽しんでもらいたい!私が楽しむというのも一理あったが、2歳くらいの子供をベビーカーに乗せて2人の子供を連れて、尚且つ「自分も楽しむ」などいう器用なことはできなかった、というか「初めて」の体
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(210日目)ハラハラ・ハラスメント。

ワイ「カスハラというワードをよく耳にします。」助手「アナタのような人が行うハラスメントの事かな?」ワイ「それはどう言う意味ですか?」助手「カスがしてくるハラスメント。」ワイ「それは私へのハラスメントです。」助手「事実を言っただけなのにハラスメントになってしまう不条理。」ワイ「確かに最近のハラスメントにはそう言う傾向がありますね。」助手「やられた&言われた側の主観で決まるしね。」ワイ「何を言えばハラスメントになるか相手次第と言うのはリスキーですよね。」助手「けれどイジメとかだったら説明するまでもなく分かるよね。」ワイ「そうとも限りませんよ。虐めている側にイジメの認識が無い場合が多いので。」助手「そうなの?」ワイ「はい。相手の嫌がる姿を見て楽しんだり、泣く姿を見て笑ってるだけですから。」助手「当事者の認識が無いのは恐ろしい。」ワイ「当人はそれをイジメとは認識できていません。ただの青春の1ページでしかない。」助手「酷い話だね。」ワイ「仕方ありません。他人の痛みを自分のことに置き換える思考が欠落しているだけですよ。」助手「でもいずれ気付くんじゃないの?」ワイ「あまり期待しない方がいいですね。こう言う輩は大人になっても変わりませんよ。気付ける人は全体の1〜2割がいいとこじゃないですか?」助手「だから会社でもイジメがあるんだね。」ワイ「自分で意識してなくてハラスメントに加担していることもありますから。」助手「例えば?」ワイ「同僚が少し変わった人だとしましょう。その人について同僚数人で『あの人って変だよね〜』と言い合っていた場合。」助手「それくらい良くある話じゃない。」ワイ「それを本人が知っ
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ブラック企業は「鬼」ばかり⁈

先日、二十数年勤めた会社を退社した。これからは、「タロット占い師」と「貿易」等で生計を立てようと思う。ま、長年勤めた会社だけど、「鬼」がいっぱいいたよ~(^^;)車関係の会社だったけど、いや~ここの会社に入社当初は「ようやく見つけた会社だし~、ガンバルぞ~」って意気込んでいた。しかし、本社工場から遠方の工場へ移動となり、そこの社員がこれまた「エグイ」やつらがたくさんいた!社内不倫している課長とか~、ず~っと「お話」している社員たちとか~チャイムと同時に退社する人たちとか~、まあ、仕事していればとりあえず「ヨシ」としなければいけないのかもしれないけど~、僕が確か50初め頃からだったけど、「社内イジメ」というか「パワハラ」というか「嫌がらせ」を受け続けた。それもリーダーはじめ、その手下達のグループで一人を攻撃するんだ!長い、そう、とてもながい被害を受けたんだ。しかし、ここは「給料」はとてもいい!完全週休二日、有給も40日ある。なかなかいい仕事が見つからなかった僕には、「辞める」という選択枝は無かった。。。年齢も年齢だったし。ただ「お前、なんか文句あるか?」とか、突然に「謝れ!」とか夜勤の時、ちょっと寝過ごして数分、職場に遅れると、「アンタ何で遅れた??理由を言え!」としつこく聞かれたり、「トイレは行ってダメだ!」とか・・・。それとか、いきなり当日に仕事を変えられて、やったこと無いハードな仕事をその日に覚えて、やらされたり。。。それも何度も何度も仕事を当日に替えられた!若い人ならいいけど、もう50才をすぎるとこれはキツイです!それに、夏の暑い時期に誰もやりたがらない「臭いクーラント液
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新しい人生の幕開け…42

後日、銀行から旦那に仮審査の結果の電話がきたようだった。旦那から私が仕事中に電話が来た。「仮審査…ダメだって」とひどく落胆した声だった。私は正直ホッとした。「そっか…残念だね…でもしょうがないよね」とは言ったが。まず一つ肩の荷が下りた感じがした。本当は「家を建てる」ってもっとウキウキしたり、楽しんだりして建てるものという感覚だったから…。けれど、その当時の私はとても楽しめるというような気持ちではなかった。これで家を建てることが実現してしまったら、とてもじゃないけど家計が続かないとわかっていた。その当時の旦那の給料は15~18万…。今の時代は可能かもしれないが、その当時はダメだった。そのうえに子供が3人ともなれば銀行も貸さないだろうなと。私が働いてはいるものの「連名」ではないから尚更だろう。さて、まずは一件落着というところですか…。旦那も諦めたというか諦めざる終えなかったので。そうして、そんな忙しい日々を送って数か月が過ぎた。ある日、下の娘が「ディズニーランドに行きたい」と言い出した。そういえば…私も行ったことがないな~とぼんやり考えていた。私がないということは上の子供たちも行ったことはなく…。近々私のボーナスが出る…そのボーナスの金額で行けたら連れていきたいなぁ…くらいに考えていた。それで旦那に夜子供たちが寝静まってから電話をしてみた。「もしさ、ボーナスがよかったらディズニー連れてってくれない?子供たち行きたがってたし…まぁ…いくら貰えるか次第だけど」と…。そうしたら旦那は開口一番「ボーナスがある会社でいいな」と嫌味を言われた。旦那だって最初はボーナスがある会社にはいたのだ。そ
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新しい人生の幕開け…41

少しの間は、息子も元気に学校に行ってくれていた。娘も、弟のことに関して、たまに愚痴は言うものの友達と遊んだりしているようだった。その間、「家を建てる」という話は平行線状態だった。旦那が銀行に行く時間がない、というのだ。土地ももう決まったような状態で、買う坪数は「100坪」田舎の特権なような坪数(笑)私が無知のまま、「簡単でいいから設計図」を書いてと言われて書いた家の設計図も完成していた。その次のステップにいっていないのだ。散々急かせておいて、自分はこれだ…。その銀行の「仮審査」に行けない。電話越しに、ここまでやってんなんでなの?と聞いてみた。旦那は「銀行って15時までだろ?都合よくいかないんだよ」などと言っていたが、家を買う時点での時間は取れていたのに、一番肝心な時間が取れないのは別の理由があるのだと思った。だから少しつっこんで聞いてみた。そうすると旦那は「断られたらどうしようとは思ってる」と本心がでてきた。今更?「それ、私も言ったよね、家の話の時に…。ブラックだったし、いくら一括で返したとしてもリストには載ってるって…それでも大丈夫なの?って聞いたよね」というと、旦那は沈黙した…。やっぱり直前になって困ったんだ…。怖いんだ…。きっとサラ金のこともお義父さんには言っていないから勝手にドンドン話を勧めたんだろう…。けれど自分で話を持ってきたからには自分でケジメを付けてほしい。私だってもう日々の時間がギリギリで生活している。金銭面も…。けれど、もう何も理由なくして、この話を「なし」にすることはできない。大家さんでもある不動屋さんも乗り気だからだ。どうするのか…。少し沈黙の後、旦那は
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「世界の果てまでイッテQ!」での中岡創一さんの受難-やはりテレビはオワコン

先日の「世界の果てまでイッテQ!」で、ロッチの中岡創一さんのWBC観戦を番組側が妨害した企画が物議を醸しています。なんでも、中岡さんがWBC決勝戦を観戦するために米国マイアミに渡航したのですが、決勝当日にマイアミ空港に到着するやいなや番組スタッフから3つのミッションが課せられたんですね。すべてクリアすれば、決勝戦を観戦できるという展開。中岡さんはなんとかミッションをこなしたものの、球場に到着できたときには、すでに選手の入場シーンは終わってしまっていました。そして、番組側の企画によって観戦も危うい状況に追い込まれたわけです。こうした中岡さんの姿を笑えない人も多かったようで、「イジメと変わらない」という拒否反応が続出。Twitterでは「中岡可哀想」がトレンド入りしました。この事態を受けて、中岡さんは自身のInstagramを更新し、以下のように語っています。「イッテQのロケは中岡がバカな事を全力でトライして笑ってもらう事が全てだと思ってます」「可哀想に見えた人達には見せ方や僕の発言に足らない部分はあったかと思います・・・(中略)可哀想と言われる中岡はまだまだ未熟な赤ちゃん芸人!」まあ、このコメントは建前ですね。番組のレギュラーで芸人である中岡さんが番組を批判できるわけも、番組の企画であれば何をされても文句をいうことなんかできるわけもありません。しかし、この企画としい、先日の春日さんの騒動といい、テレビ局は本当に変わりませんね。芸人の竹山隆範さんは「ある意味ロケ行って水があって、そこに落ちるっていうのは、例え動物がいようと落ちるていうのは、日本のお笑いの“古典芸能”みたいなもんだっ
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新しい人生の幕開け…35

妊娠してからはもちろん、「うつ病」の薬は飲んでいない。そもそも「通院」すらまともにしていない。もちろん、「自分がうつ病になるわけがない」とも思っていたけど、だれも親身にはなってはくれなかったし、そこまでまだ「うつ病」が認知されていなかった。日々過ごしていると「病院に行く」というのは子供主体になってしまい、自分はギリギリまで「病院」というところにはいかなかった。旦那が帰ってきて、名前を決めよう、という話になった。もう時間がない。色んな案が出たが、女の子なのに?という感じの名前になった…。私はあまり賛成ではなかったが、何時間も話しても埒が明かなかった…。お互い離れていても子供の名前の漢字や画数や意味などは考えていると思っていた。けれど旦那は「もうこれでいいんじゃない?」なんてことを言い出す始末。「名前は一生ものなんだよ!」と言っても…「俺の名前も適当だった」だの「爺さんが付けた」だの全くお門違いな答えしか返ってこなかった。夕方までには出さないと、明日にはまた旦那が仕事にいってしまう…。私が出してもいいけど、出生届けくらいは旦那に出してほしかった。出産したことがある人ならわかるかもしれないが、出産したからといって自動的になんでも手続きができるわけではない。健康保険の加入の手続きやたくさんの書類などがあった。今はどうかはわからないが…。そして、出産一時金…。これが問題となった。これは、もちろん私は旦那の扶養になっていたから旦那の社会保険から支給されることになる。その当時の金額は35万円くらいだったと思う。そのお金を…「少し貸してほしい」と言い出したのだ。はい??また始まった。このパター
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新しい人生の幕開け…34

そういえば、あの後、お義母さんたちは本当に「歩いて」家に帰ったんだろうか。ふと思い出して、旦那に電話した。旦那はすぐ出た。まだトラックを走らせているようだった。「おう!どうした?」という相変わらずの応答だったが、事情を説明した。そしたら「なんだってな…。役に立たない奴らだな…。俺になんにも連絡きてないから、どうせ親父に迎えに来てもらったんだろ、どこかで」という返事だった。「悪いけど、私もそれどころじゃなかったし、止めけどどうにもならなかったし…。あとであなたから連絡してみて。なにかあったら大変だし。」と。「わかった」と言ってくれたが…「それと…赤ちゃんの名前、もうそろそろ決めなきゃいけないんだけど…いつ帰ってくる?」と聞くと「おう!そうだな!明日帰る予定だ!その時決めて、市役所に出しに行かなきゃだろ?」というので「うん、そうだよ。子供たちも名前ないと呼びにくいし、この子もかわいそうだよ」と…。そうすると旦那は「俺も考えてはいるから帰ったら二人で決めよう」ということになった。今までどの子も「私が付けた」とか「二人で話し合って決めた名前」という子がいない。裁判で取られた息子も元旦那の親と義姉さん。娘もそう…。手元にいる息子は、憎いあの母親。そう、勝手に名前を決められて出生届を出された。私の入院中に…。だから、せめて「二人」で決めたかった。全部自分の思い通りにとは言わない。二人で…。そして、ようやく寝ることにした。3人で寝ていると子供の成長がすごくわかる。体が大きくなったな…寝相が悪くなったな(笑)…そうしていると、赤ちゃんがミルクの時間で泣き始めた。最初は子供たち起きるかな?と心配
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過去を振り返る~小学生編~

今日もまたまた相談員の爺さんと面談してきた月音です。今日の爺さん、ずっと膝を擦っていました。寒いからなんだろうな(;゚∀゚)=3職員さん全員ジャンパー着ているしね。爺さんはフリースの上にダウンジャケットでした。全体的に暖房費カットしているのね。帰りにはビッグマックセットとアップルパイ❤なんだかんだでビッグマックが落ち着くな。食べにくいのが難点だけど(^ω^;)ではでは、小学生のワシについて。いわゆる陰キャでして、空気よりも薄い存在でした。小3の時だったかな?運動会のダンスの練習を体育館でしているときに、貧血で倒れたんですよ。周りのみんなも踊っているわけですから、もちろん踏まれまくります。たいていは、何かを踏んだら気付くものですよね?踏まれ続けていました!先生も先生で、「そんなところで寝てるんじゃないの!」と、ワシが怒られる始末。好きで倒れたわけじゃないんですが・・・・?またあるときには、膝をケガしてしまい、足が曲げられない状態だったの。そんな中、校庭での朝礼で「みんな座って」の号令。ワシは膝を折ることができないから、伸ばしたまま座ったのよ。そしたら、そばにいた男子に「ジャマなんだよ!」って蹴られました❤その後、各々の教室へ向かうために階段を登っていた時、前ではしゃいていた生徒の足がワシの傷口にメガヒット!痛ぇのなんのって!もちろんその子は謝りもしなければ、まったく気が付いていない様子。挙句の果てに、包帯から滲み出ている血を見て「うわっ!汚ぇぇぇ!」だとよ。本当、いつもこんな感じよ。もちろん集団シカトも日常茶飯事(≧∀≦)ワシには頼れる人が一人もいなかった。人に頼ろうとすることか
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【ご相談】いじられるとヘラヘラしてしまう自分が嫌い。

こんにちは!占いカウンセラーくまのうち先生です。ご相談頂きました。Q.私はいわゆるいじられキャラです。軽い、いじりなら笑ってやり過ごせたのですがここ最近は、いじりの度が過ぎて、「もういじめなんじゃないか」ってくらいにいじられます。場の空気を読んでへらへらしてしまう自分にも嫌気がさします。なにかいじられない方法などあれば教えて頂けないでしょうか。【The EMPEROR】【自分の人生に責任を持つ】仲のよい友だち同士の軽い「いじり」ならなんとも思わないのですがそこまで信頼関係の出来ていない人からの雑な「いじり」は悪でしかないですよね。いじってくる人というのはいじってあげているいじられることを喜んでいると勘違いしている人が多いようにおもいます。もちろんそんなことはなくいじられる側が、「なんで俺がお前らで勝手に作った キャラを演じなきゃならんのだ」という強い憤りを感じていることに気づいていないんですね。いじられキャラの人は、空気を壊したくないという思いから「自分が我慢すればいい」と自分の本当の気持ちを押し込めている傾向にあります。そして本当に恐ろしいのは、「いじり」そのものではなく周囲に蔓延する「コイツいじってもいいんだ」というその場を支配する空気ではないでしょうか。空気を読んで自虐的にいじられキャラに甘んじている人は他人から粗末に扱われます。自分を大事に出来ない人は他人からも大事にされないので当たり前のことですね。自分を卑下する空気はあえて読まない。そんな強い姿勢を見せ続けることで、いつしか周囲の反応も徐々に変わってくるはずです。空気ばかり読んで空気みたいな人間にならないように気をつ
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新しい人生の幕開け…28

ドタバタだった引っ越しも終わり、前の不動産屋とも前のように揉めることもなく終わった。子供たちは新しい家の近くに早々に友達を見つけたらしい。その間、息子の検診があった。確か5歳児検診だったと思う。子供たちには日頃から「本の読み聞かせ」はしていた。娘は黙って聞きながら眠りにつくが、息子は、例えば昔話のお決まりの「昔、昔あるところに…」と始まりますよね。そうすると「昔っていつも昔??!あるところってどこ??」など質問攻めに合うこと多々ありました(笑)けれどそれは、「興味」の一つだと思っていたからそんなに深く考えたことはなかった。検診の時、保健婦さんと息子と私とで話や色々なことをしていると、保健婦さんが「息子君、この色な~に?」と問いかけた。そうすると息子は「あお!」…明らかに「赤」だった。そして次の質問「この色は?」「きいろ!」…「青」だった。テーマは変わって男の子なら興味があるであろう「車」のことについて聞き始めた「これは?」と指を指す保健婦…「パトカー!」…救急車だ…。あれ?こんなに私教えてこなかったっけ…。と疑問を抱いた。子供むけの本も毎月買っていた。そこには救急車やパトカーなど散々書いていたし見せていたけど…確かに興味がなかったかもしれない…。保健婦さんは…少し考えた様子で「お母さん…息子さん…もしかしたら『発達障害』かもしれません…。専門医に一度診察してもらったほうがいいかもしれません」と言われた。初めて聞く言葉だった。「私は、そうですか…、どこにいけばいいですか?」と聞いた。「秋田市にいかないといけませんが、予約がないと受診できないのでコチラで予約とっても大丈夫ですか」と
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新しい人生の幕開け…27

私のパート先の方が先に撤退するということで、撤退する作業が行われた。そこではもう使わない食器などを持って帰っていい、とのことだったので、使えそうなものをもらって帰ってきたりしていた。最後には本社の人たちも来て、昼間の短時間ではあったが「お疲れ様会」が行われた。撤退作業はたった1日で終わった。人数が結構いたので、すぐ終わったのだ。高校生のバイトの子たちも…パートの人たちも、最後には笑顔で迎えられた。みんなに私のお腹を気遣ってもらったり優しい人たちだった。けれど、そのフードコートの中でもたくさんのトラブルはあった。お金が盗まれた、勝手に店のものを食べた…など。犯人はわかった時もあったが最後までわからなかったこともある。けれど、印象的な件を一つ。パート・アルバイトの募集は随時ハローワークに出していたらしく、時々「面接」の電話はきていた。その中で「はい、○○です!」と電話を出ると、声と話し方だけでも、結構なお年寄りの声がした。「お宅さんで、アルバイトの募集をしているときいたので…」と女性。「はい、募集しております!面接のご希望ですか?」と聞くと「はい…だと思います」と…。思います??おかしいな…と思いながら「○○様が面接のご希望でしょうか」と聞くと「あたしゃもう年よりだから、息子に働いてもらいたいと思って」というのだ。え??親が、というよりもう成人しているであろう息子の面接を親がする、という行為に驚いた。「すみません…アルバイトされる息子さんからもう一度お電話いただけるようお伝えください…」と返した。本人ではないのに「面接の予定」は入れられないのだ。高校生でも「自分」で面接の電話は自分
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新しい人生の幕開け…25

引っ越しできる「貸家」があったようだ。色々考えてはみたが、物件が他にないのでまずは見てみることにした。数日後、引っ越し先の物件を「内覧」することにした。子供たちを学校や保育園に送った後、旦那が電話をしていた。その相手はこれから行く物件の方の不動産屋さんだった。時間は今すぐどうぞ、とのことだったので、すぐ二人で向かった。その家はすぐ着いた。今の家から車で5分ほど。着くと玄関で不動産屋さんらしい人が立っていた。とても人の良さそうな感じがした。建物の外観は…今の家と比べると、それはやっぱり古く見えた。そして軽く挨拶をして中を見せてもらうことになった。玄関は広いな…すぐ右はお座敷か…真っすぐがリビング!!すごい広い!!換気扇もリフォームされてる!窓も大きくていいな!続き間があるのね。便利そう。そして二階や色んな所をみて最後に「お風呂とトイレ」だった。不動産屋さんも申し訳なさそうに「工事したいんですけどね…ここは住宅街で簡単にできないんですよ…」などと言っていた。最初から水洗は可能らしいが、その工事も住宅が密集していると簡単ではないらしい。お風呂はよくアパートなどで使われているタイプの「手動」のガスの「追い炊き機能」そして、洗い場は「石畳」だった。お風呂のドアは「木」でできていた。昭和の木の枠に擦りガラス。その向かいにトイレがあるから擦りガラス越しに誰が入っているのかがわかる。そして旦那と不動産屋さんはとても仲良く話をしているが…パッと私の顔を見ると「キッチンや水場は奥さんのお城ですからね」などと不動産屋さんは話しかけてきた。そうよ、旦那なんかほとんど家事しないし朝晩だけいる人じゃん…と
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新しい人生の幕開け…24

この家をどうしようか…選択肢はほぼない。引っ越すしかないのだ。不動産屋とも揉めているし、これからの家のことも考えると、この先は考えられない。そう話し合った。けれど私は「妊婦」だ。一人で荷物をどうのこうのすることには限界がある。かといって、どこに引っ越すのかもまだ決まっていない。娘が小学校に入学しているのもあって、学区を変えたくはなかった。それは、旦那にも伝えて同意してくれた。それから数日、家探しをしていた。けれどそうそう学区内にある「貸家」はなかった。アパートは子供がまだ小さいせいもあって近隣の人に迷惑をかけると思ってアパートは除外。貸家に絞っていた。子供は伸び伸び育てたい。それはやっぱり児童相談所で育ててしまった自分に責任があると思っている。保育園や学校でも子供なりにストレスを感じて過ごしてると思えば、家では「自分」をちゃんと出してほしかった。少しくらいうるさくても怒られない空間に居てほしかった。子供でも「我慢をしている」私は痛いほど知っている。「していい我慢と」「しなくてもいい我慢」子供の時しかできないことをたくさんさせてあげたい。私自身、父親に「強制的に習い事」をさせられたこと母親に「理不尽や暴力を振るわれたこと」これは、子供であっても「我慢しなくていい」し、誰かに助けてほしかった。けれど誰にも言えなかった。金銭的な贅沢はさせてあげれないけど、それでもできる限りのことはしてあげたい。私は父が亡くなってから「自分の居場所は自分で作る」ずっとそう思ってきた。なんだかんだ考えて毎日が過ぎた。本当に時間や色んなものが足りなかったと思う。そんなある日。パート先に行くと、Rさんたちが
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成人式で一人戦う君へ

今日、成人式に出ると勇気を出した君。 覚悟していても緊張するね。これまで耐えて来た苦しみ。自分なりに努力して。前も向こうと。少しは目も見れるようになった。何回もシュミレーションもしたね。 それでも。また、あの時のような絡まれ方をしたらどうしよう。強気に返すはずの言葉が、少しかすれてしまうかもしれない。振り絞った勇気とたくさんの怖さの狭間で。一人、戦う君。よく頑張って来たね。よく勇気を出したね。何もカッコ悪くなんかないよ。誰に馬鹿にされたって。シュミレーション通りに出来なくたって。 大丈夫。今日、あなたが寒さと一緒に踏みしめたその一歩は。もう、とっても素敵な。大きな一歩だから。きっと、これからもいっぱい戦うあなたの力になる。これからも一歩ずつ。迷ったり、戻ったりもしながら。乗り越えて行ける。どうか、あなたの未来により多く。あたたかな時間が過ごせますように。
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新しい人生の幕開け…23

卒園式の日は、旦那は出席しなかった。なぜなのか…。それはわからない。仕事でもそういう「式」には参加してほしかった。周りは旦那どころか「祖父母」まで参加していた。また襲ってくる「孤独感」せっかく再婚したのに…。私と一緒にいることが「恥ずかしい」のだろうか子供といることが恥ずかしいのだろうか…。なんだろう。今までの保育園の行事にも参加することはなかった、「運動会」や「夕涼み会」など…。私はいつも「一人」で参加していた。もちろん自分の子供だから苦痛ではないし、成長を見れるのは嬉しい行事。なんだかいつも「シングルマザー」の気持ちでいた。それでもいい、「自分で決めたんだ、この結婚も妊娠も…」そうやって自分に言い聞かせて…。卒園式が終わり家に帰り、息子はそのまま保育園に預けて娘と二人で過ごした。もうすぐ小学校の入学式に向けての準備だ!卒園式から入学式って結構短いですよね💦前から準備は少しずつしていた。自分と同じようにならないように、巾着袋はキャラクターにしたり、なるべく「みんなと同じ」を意識した。入学式の服もその当時は高かったし、もちろんお下がりもない。ランドセルはまだ安いのがあったから1万円くらいのを購入していた。けれど、みんなは結構高いランドセルに驚いた祖父母がいる、って強いな、本当にそう思った。今では色んな色とデザインがあるが、その当時は安いランドセルと高いランドセルの差が大きかった。それでも娘は何も言わなかった…。遠慮していたのだと思う。「言えなかった」が正しいのだと思う。そうして家の問題もあったが時間は止まらず、娘は入学した。入学式は旦那は参加した。けれど、他の親御さんたちに「挨
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新しい人生の幕開け…21

私は勇気を出して「トイレ」にいった。判定は…。「陽性」…。え…。今仕事始めたばかりなのに、まだ旦那は子供たちとそんなに多くの時間を過ごしてないのに…。どうしよう…。パニックになった。その話はすぐにRさんに報告した。仕事のこともあるからだ。Rさんは「やっぱり…。おかしいと思ったよ。で、堕すんでしょ?」と当然のように聞いてきた。え?なんで他人からこんなこと言われなきゃいけないんだろう。やっぱりRさんは苦手だ。「ちょっと考えるし、旦那にも相談しなきゃだから」と濁した。「仕事は出てもらうからね」といい、Rさんは電話を切った。溜息しかでなかった。嬉しいことだけど、今じゃないような気がする。けれど私ももう28歳だ。多分これが最後の妊娠となるだろう。まずは旦那に相談だ!夜になり、子供たちが寝静まってから私は旦那に切り出した。「あのね…最近体調が悪かったんだけど…調べたらね、妊娠してた」と。旦那は「まじ?ホント?おう!そうか!やった~!」と喜んでいたが「ん、でもね、ちょっと考えてる…今の子供たちだけでも大変でしょ、経済的にも色々…それに私、息子の産後の時も無理してしまってるから体力的にも自信ないんだよね」と気持ちそのままを伝えた。「え?それっておろすってこと?1人くらい増えたって変わらないだろ!せっかくの命なのに…それに俺にとっては初めての子だし…」と。確かにそうだ。今の子供たちは旦那の子供ではない、だからこそ、もっと今の子供たちと触れ合ってほしかったし、「自分の子供はかわいい」みたいに産まれたら、今の子供たちへの態度が変わってしまうんじゃないか、という不安もあった。それも伝えた。けれど旦那は
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新しい人生の幕開け…20

来年、上の娘が小学校に入学する。そんな時、私の急な体調不良…それでも仕事に行っていた。なんだろう…。熱もないしな…。私は幼少期から熱を出すということがあまりなかった。祖母がいうには「うち熱」といって、体温計には出にくい熱を出すそうだ。それでふと、思い出した。「あ、私、そういえば何年か前に『うつ病』って言われたんだ…、そのせいかもしれない」と、私は近くの精神科を受診した。診断された病院はもう遠い。しかもその時は「私がなるわけない」と思ったり、当時彼だった旦那もそんなに気にも留めていなかったから忘れていた。現に、「うつ病」と言われる症状はでていなかったと思う。母親のことや元旦那のこと、色んなことでたまに思い出して動悸がすることはあったけど、それが「うつ病」の症状だとは思いもしなかった。病院に行ったが、精神科は物々しい雰囲気で、病院内は薄暗く居心地がいいとはとても言えなかった。先生に前にうつ病と診断されたことなどを伝えたが、先生は私の顔をみるなり「今までの育成環境」を聞いてきた。はっきりいって、「げっ!」と思ったが、そのまま簡単に伝えた。黙って先生は聞いていた。そして「よく生きてこれましたね」と…。私は「はい?」とキョトンとしてしまった。どういうことだろう…。診察が終わり、薬を出されたが「眠くなるかもしれない」と言われ眠くなられたら…仕事はおろか、子供のことができない。そう思い、薬はその時は飲まなかったと記憶している。けれど、目まいと吐き気が辛くなり、休みの前の日だけ飲んでみた。気持ち悪さや目まいは治まったように感じたが、眠気がすごかった…。車なんて運転できない、と思うほどだった。怖
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新しい人生の幕開け…19

旦那も新しい職場で慣れてきた1か月くらい経ったであろうか。旦那も私も「新しい仕事」に対して、一生懸命だったと思う。時間も休みもバラバラになってしまったが、みんなが顔を合わせる時間は増えたと思う。もちろん会話も増えた。会話が増えると共に「喧嘩」も増えてきたと思う。そんな大きい喧嘩ではなかったと思う。喧嘩の原因は、やっぱり「金銭問題」だった。それまでは旦那が35万前後、私も同じくらいの収入があった。二人で65万以上の収入があったわけだが、旦那も新人というのもあってか、旦那の収入は15万ほど…私はパートだから6万ほどに落ちていた。それでも保育料は二人で月5万、家賃5万、車のローン5万、公共料金3万、携帯料金二台3万(昔は高かったです)。もう無理ですね…。まずは「保育料」を今の収入を市役所に提示して保育料を下げてもらったりした。そんな話もしているのに旦那は、あっけらかんとしている。ちょっと話そうもんなら「無言」を貫いていた。貯金もそんなにない…。前回の無職の時などで使ってしまっていた。失業期間にも補填してきた。旦那のお義父さんにもお金を借りたりした。……もうだめか…。そう思ったが、旦那に相談してもどうにもならない。お金の問題だけは誰にも相談できない。どうしよう…。一人で悩む日々…それでも日常は止まることなくやってくる。子供たちにもたべさせなきゃいけない保育園に行くには車も使わなければいけない。もうガソリンさえままならないくらいに貧困状態になっていた。そこでハッと気づいた。旦那は自分のファミリーカーで仕事に行っている。それを私の「軽自動車」で通勤してくれないか、と提案した。ガソリンだって
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新しい人生の幕開け…17

Rさんから突然の電話…。私が会社を辞めたことを誰かに聞いたのだろうか、ちょっとめんどくさいな、と思いながら電話に出た。「久しぶり~!何してた?」と、しらばっくれたような電話だった。「特になにもしてないよ」と当たりさわりのない返事をした。そしたら案の定…「保険屋、辞めたんだって?仕事探してるの?」と言ってきた。「あ~話早いね(笑)」などと話をしていたが、Rさんは思わぬことを私に言ってきた。「いや~実はさ、私今、あの近くのスーパーのフードコートで働いているんだけど、人手が足りないのよね」と。「あ~そうなんだ~」と聞き流していたら「どうせあんた暇でしょ!私ここのフードコートの責任者になっているから面接は私だけど求人票欲しいから早く取ってきて~」と。「ありがたいけど、土日休みじゃないでしょ?」というと「土日は高校生のバイトもいるし、年配の人もいるから完全に土日休みとはいかないけどなるべく休んでいいから」と…。「うん、ありがとう、わかった、旦那に相談してみるね」というとすかさず「旦那なんかアテになんないんだし、自分で決めればいいでしょ」と言われてしまった。そうだけど…一応、相談しないと、という耳は一切聞かず、「今もう面接来てるしあんたのシフトのところ空けておくからハローワーク行ってきて!」といい、電話は切れてしまった。確かにいい話ではある。そこのスーパーはその当時、できたばかりでいろんなフードコートが入っていた。家からも近い…。選択肢などなかった。自分で探しても仕事などなかった。子供のこともわかってくれる人が責任者なら、それはそれでありがたい。Rさんは最近音沙汰なかったと思ったら、そこで
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新しい人生の幕開け…16

旦那の次の仕事場はトラックにも乗りながら集団で作業をするというものだったが、順調に進んでいるようだった。そんな中、私の会社で不穏な空気が流れていた。それは、私より少し前に入社した女の子だったけど年は私よりも若くて可愛らしい女の子だった。名前はYさんと呼ぶことにします。数か月前にYさんから相談を持ち掛けられていた。それは…会社の営業部長の「セクハラとストーカー行為」だというのだ。最初、聞いただけでもゾッとしたけど、真実は分からなかった…。Yさんの相談内容は「しつこく電話がくる、二人で食事に行こう、服装のことに関して『もっと胸元を開けて』、仕事中にドライブに行こう」などなど、本当に彼女は怖くなったりしていたようだった。私や他の人にはもちろん同じことはしてないだろうが、私もその相談を受けてから上司には気を付けてみていた。うん、確かに面談の時間が長すぎる。そして私と出先でYさんと相談を受けている間にも頻繁に電話が鳴るようになっていた。電話に出なければ出るまで電話が鳴っている、という状況を目の当たりにした。私にできることはないか、とYさんに言ったけど「これはどうにもできないし、私も辞めれればいいんだけど…そうもいかなくて…」と諦め加減だった。Yさんの家庭事情も複雑だったので、なにも言い返せなかった。もちろん、そんな話は誰にでもできるわけがないと思っていたし、Yさんも私にしか相談していない、ということだったから私も誰にも相談できなかった。が、しかし…。ある朝、私が出社すると営業部長が私を見た途端、呼び出した。なんだろう、と思い部長の席の前に座った。「おはようございます…」と挨拶する間も与え
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新しい人生の幕開け…15

やっとの思いで家に帰ったときはもう日付は過ぎていた。私は子供たちを部屋に運び布団へと寝せた。そしてI子さんも、なにも言わずに寝た。旦那はまだ泣いている。「明日どうしよう…」と…。そんなことまで私が指示しないといけないの?とほとほと呆れてしまった。そして「明日も早いから」と言い残して私の寝た。次の日の朝、私はいつも通り家の掃除をし朝ごはんを作っているとI子さんが起きてきた。「昨日はお疲れさん」と慰めの言葉をくれた。こっちこそ、本当は楽しませてあげたかったのに…と申し訳ない気持ちだった。子供たちを保育園に送って帰ってくるとまだ旦那は家にいた。もう出勤の時間だ。旦那はガクッと肩を落とし、「会社になんて言おう…」とブツブツ言っていた。それを見たI子さんは「こら!男だったらしっかりしなさい!!」と叱ってくれたが本人はボーッとしているだけだった。そうしているうちに会社から電話がきたようだ。そりゃそうだよな…出張先からいなくなったんだもんな…。旦那はビクっとしながらも電話にでた。色々話していたようだが、ただ「はいはい…」としか答えない旦那。そして何を話したのか「もう自分はできません…辞めさせてください」と言っていた。電話を切った後、「なんていってた?」と聞くと「自分のものを取りにいくのと退職届だしに行ったりしなきゃいけない…会社行くのいやだなぁ…」と子供のようなことを言っていた。私は「事務処理とかもあるからいかなきゃだよ」とチクリと言った。私は多分、その頃から旦那に対しても色々な考え方が変わったように思う。旦那が渋々会社に行くのを見届けてから、私はI子さんを家に送って行った。I子さんは帰りの
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新しい人生の幕開け…14

突然の出張の話。なんで出張になったかと聞くと、「なんか成績上げれない人に限定して講習会?みたいなやつやるんだって」と…。アポの一件もまだとれていないのか…。そこは口には出さず、「どこに出張なの?」と聞くと「宮城の仙台」と言った。期間は2週間くらいだと言っていた。週明けから行くらしい旦那は「初」の出張という経験をする。聞くと、講義室に缶詰め状態らしい。旦那は不安になっていた。「俺缶詰め状態苦手なんだよな…」と…。そして見送った朝。子供たちは寂しがっていたが、旦那からは何も連絡はなかった。多分相当疲れているだろうな、と推測していた。こちらから電話をすることもしなかった。そういう会社はほぼスケジュール管理されていることを知っているからだ。泊まるところはビジネスホテルだと聞いた。そうして次の日、電話がきた。「俺、こんなんだとは思わなかった。缶詰状態に耐えられない…」と弱音を吐いていたが、「そうだね、けどもう少しだから…」と励まして電話を切った。それから数日後の夜、その日は珍しくI子さんが家に泊まりに来ていた。それは旦那にも報告していた。久しぶりに会ったのと子供たちのことを心配してくれていたのとで話が弾んだ。子供たちも大喜びだった。が、寝る時間になり、息子が熱をだした。多分はしゃぎ過ぎかと思われたが、I子さんを残して病院にも行けず、咳もなかったため様子を見ようということになった。が…電話が鳴った。夜の9時過ぎだ。なんだと思い携帯を見ると「旦那」の表示。電話をとると「俺、もう無理だ…お金もないし、車もないから帰れない、どうしよう、けどもうあの会社には居たくない!辞めてきた!もうやだ!」と本
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新しい人生の幕開け…13

旦那は翌日ハローワークに行って面接の日どりを決めてきたようだ。旦那は求人票を私に見せてきた。……。「職種/営業・外壁のリフォームのアポイントのルート営業」「給与/35万以上可」私はバカにされている気分だったから「やれるやらやれば?」と言った。旦那は結構浮かれている感じだった。そして、面接当日、旦那はいつもは作業着だったのだが面接にはスーツで行った。ネクタイの結び方すらおぼつかない手つきで…。数時間経ってから旦那が帰ってきた。「俺、あんな会社の面接は初めてだ!みんなスーツ着てるし現場にも車で送迎だって!」と息巻いていた。結果は数日後にきた。「採用」旦那はすごく喜んでいた。今までやったことのない職種なことと給料、そして「ラク」な仕事だと思っているし、スーツを着る仕事など初めてらしい。ウキウキしていた。仕事初日…どんよりした顔で帰ってきた。まず子供たちのことをしてから旦那の話を聞くことにした。私は二階から降りて旦那のところにいった。旦那は難しい顔をして、紙を見ていた。なになに??「ロープレしてこいって言われた…。」「あ~そうなのね!営業なら普通だからね」とチクリと言ってやった。そして旦那が見ていた紙を見ると…。A4サイズにちょこっとだけ書かれた営業用の挨拶やアポイントを取るための言葉が並べられていた。「じゃあ、それ読んでみて」というと、ぎこちない言葉で話し始めた。そして「会社の人、これ暗記してこいっていうんだよ、いくら見ても覚えれない!」とダダをこね始めた。「え、これくらい普通だし逆になんで覚えれないの?少ないくらいだけど」と言った。そして何度かロープレをしたがとてもじゃないけど、営
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新しい人生の幕開け…11

その日は本当に疲れてしまった。次の日の仕事が休みで本当によかった。その夜は子供たちは「おばあちゃん、おじいちゃんがきた!」や「新しい家ひろ~い!」などと楽しんでいたが、お義母さんは「おばあちゃんじゃない!」と娘に強く否定した。なんなんだろう、この人…。その光景を見た旦那がやっと「うるさい!ババアは黙ってろ!」と言った。怒鳴ってくれたことで私の怒りは少し和らいだが、それを言われた娘は悲しかったと思う。絶対にこの親たちとは仲良くなれない、と確信した。翌朝、私はいつも通り5時に起きて掃除をしていた。私はいつも起きてから家の掃除をする。これは多分、元旦那の姑から「朝飯前の仕事をしろ」というのが染みついているせいだと思う。その習慣は今でも変わってはいない。そして洗濯を回しながら朝ごはんの支度をしていた。もちろん、舅姑の分も。そうしているうちに子供たちが起きてきた。ご飯を食べ、テレビを見ていると、舅が先に起きてきた。舅は割と子供たちと仲良くしてくれていた。そしてもう9時になろうとしているころにノコノコと姑が起きてきた…。ありえない…。「あら~朝早いのね~、お腹すいちゃった!ご飯食べる!」とあたかも当然のように言ってきた。「そこにできてます」というと「あら!あなたたちもう食べたの?」とシレッとしていた。旦那の話には聞いていた。お義母さんが料理ができないこと、自分のお母さんの味(おふくろの味)というものが分からないこと。全部おばあちゃんがしてくれたことなど…。聞いてはいたが、ここまでとは…。子供たちは、近所の子供たちが遊びに来てくれたので外に遊びに行った。旦那は車庫の中を片付けたりしていた。旦
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新しい人生の幕開け…10

新婚、のような初々しさはなく、ただ淡々と時間だけが過ぎていった。旦那の借金を全額返済し、数年したら家を買う。その一心だった。そして、旦那が帰ってきた時にお世話になっている不動産屋さんに一緒に向かった。そして、不動産の人は何も知らないのでしかたなかったが、旦那は乗り気で引っ越しの話や家賃の話、色々していた。もう話は完全にあの戸建てに引っ越す話になっていた。そこで引っ越しの日どりなどの話が進んでいた。私はわざと「え、引っ越しって私一人でやるの?」というと、旦那は「実家からも手伝いに来てもらうし俺もいるようにする」と言われたので、反対する理由もなかった。引っ越し当日。引っ越しといっても、そもそもあまり「物」がなかったせいもあって案外スムーズに行ったが、来ると言っていた「旦那の両親」が来ていなかった。遠いせいもあるだろうと思ってあまり気にしてはいなかったが、引っ越し先も伝えなければならないのでは?とも思った。なんでこの人(旦那)はこんなにのんびりしているんだろう…。引っ越しは旦那と不動産の人が手伝ってくれた。トラックも出してくれた。そのおかげで1往復と少しで荷物の搬入は終わった。天気も良くて引っ越し日和だった。その物件にあった物などは使わないものは不動産で持って行っていく、というので差し当たり見た感じで使えなさそうなものは持って行ってもらった。さて、やりますか!子供たちが帰ってくるまでにでかさないと大変だ!と、ふと気づくとまだ旦那の両親はこない。旦那に聞いてみた。「あれ、お義父さんたちは?」と、それで気づいたのか、それともわざとなのかわからないが、「あれ?そういえばこないな、電話してみ
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新しい人生の幕開け…7

家に着いた。彼は、そそくさとなにか準備し始めた。「これからどこかに行くの?」と聞くと「仕事」と答えた。え?婚姻届け一緒に出しに行ってくれるんじゃないの?という言葉と気持ちを飲み込んだ。「明日出発かと思ったよ…気をつけてね」「うん」とだけいい、彼はさっと仕事に行ってしまった。私だって…一応○○の日記念日だから~とか言ってみたかった。他のカップルと同じように…。それにいつ出してとか、○○日出してとか全く婚姻届けを出す日すら何も言われていないし相談もなかった。これをどうしたらいいんだろう。彼に電話して聞いてみることにした。「一緒に出しに行こう」…その言葉を期待して。彼はすぐに電話に出た。まだ近くにいる時間だ。「あのさ、婚姻届け…どうすればいい?」そう聞くのが精一杯だった。「あ、出してくればよかったなー…。まだ日にち書いてないもんな。俺もまたいつ帰れるかわからないしな…。」「………」無言になってしまった。私が勝手に出すようなものではない。いくら証人が揃っても…。彼の気持ちがわからなくなった。なんのために同僚までお願いして証人を書いてもらったのか。無言でいる私に彼は言った「お前、都合のいい時出しておいて!で、出したら教えて」と…。一番聞きたくない言葉だった。「私が結婚記念日になる日を一人で決めるの?」とちょっと突っ込んで聞いた。「しかたないだろ、俺は仕事休めないし積み下ろしの時間も決まってる。俺が帰ってくる日に役所が開いてるとも限らないし、帰ってからは休みたいし…長距離運転手の嫁はそういうもんだ」と返ってきた。私の知っている限りでは長距離の旦那を持つ人はいなかったからわからなかった。知っ
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耐える戦い

誰にも言えなかった。自分さえ我慢すればいい。口にしても解決しない。迷惑をかけるだけ。今、耐えれば。大事にはならない。自分さえ笑って誤魔化せばいい。友達まで巻き込めない。理不尽に与えられる暴力。自分達が楽しむだけの為に平気で一人をからかって遊ぶ集団。傍観するしかない人達。逃げ場なんてどこにもない。耐えるしかない日常。心の中で見下しながら。でも逆らえない。逆らったらもっとイジメられる。理由をつけて反抗できない自分も嫌。笑って誤魔化して。こんな日常、何も楽しい訳ないのに。そう。楽しくもないのに笑顔で誤魔化して。見下しながらも、怖くてたまらなかった。なるべく目立たないよう。なるべく見つからないよう。いつ暴力が飛んでくるか分からない。そいつの気分次第で変わる一日。逃げるのも簡単じゃない。毎日、そこに行くのが嫌だったよね。そんなに嫌なのに。みんなに迷惑をかけたくなくて。暴力や反抗することなく。耐える戦いをしていた。弱くなんてない。あなたなりに、一生懸命戦ってたんだよね。
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いつも攻撃の対象になる人へ

こんにちは!くまのうち先生です。”いつも夫や妻から 人格を否定される” ”いつも上司から自分だけが 理由なく怒鳴られる” ”いつも恋人から理不尽な 言いがかりをつけられる” ”どこに行ってもなぜか、 いじめのターゲットにされる” 攻撃されない人が大勢いる中で なぜ自分だけが攻撃のターゲットに されてしまうのか? 本日はそんな悩みを抱える人へ向けて記事を書こうと思います。攻撃の対象となりやすい人は、 その相手と距離をとれる人と、 逆に相手と距離を縮めようとし 必死に尽くし、媚びて 攻撃をやめてもらおうと する人がいます。 しかし 相手と距離を縮めようとする その行動は 完全に逆効果になっている という事をまず理解して下さい。 なぜらな 攻撃されるかどうかは、 あなたが何をするかではなく 「どういう人間に見えているか」 によって決まります。 あなたがいつも攻撃されるのは あなたが何かをしたり 相手と気持ちがすれ違ったり するからではありません。 相手から見て、あなたという人が 「攻撃しやすい人間」 に見えているからです。 これは学校などのいじめの被害者を イメージすると分かりやすい のではないでしょうか? 「いじめやすいキャラ」の子は 何かしても、しなくてもいじめの対象になりやすいです。つまりあなたが今後も今日まで 演じてきたキャラのままでいるなら そのキャラを演じている限り 何をやっても攻撃され続けられます。 逆に攻撃してくる人の前で 「攻撃されないキャラ」 を演じる事で、 今までと同じ事をしたとしても 攻撃されなくなります。 「攻撃されないキャラ」とは 簡単に言うと、その相手の
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新しい自分へ…

そんな日々でも、それでも「時間」というものは過ぎていった。あとは息子を引き取るだけとなった。入籍は全部子供を引き取り、そしてそれが落ち着いてからにしようと決めていた。そうしているうちに「一か月」はあっという間に経っていた。娘も保育園に慣れてきていたので「同じ保育園に」と思っていた。そしてそれを保育園の園長先生にも相談した。そしたら園長先生は心よく快諾してくれた。よし!また一歩進んだ!引き取る環境は揃った!あとは彼に相談して時期を決めようと思った。そして、その日に早速相談した。彼は相変わらずの長距離運転手だったから、相談などは全て「携帯電話」で行っていた。そのことを相談すると「保育園もOKしてるなら一日も早いほうがいいね」と言ってくれた。そうなると早速私は次の日「児童相談所」に電話した。何にをするにも「児童相談所」を通さなければならなかった。それも仕方ない…。児童相談所に電話したら「面談」をしたい、とのことだったので近いうちに面談することにした。もちろん児童相談所は土日休みなので、私は休みを取って面談をしに行った。すでに娘を引き取っていた経緯もあってスムーズに事は進んだ。その日に引き取りの日程も決まった。そのまま私は家に帰ろうかとも思ったが、息子に会ってから帰ろうと思った。息子は少し見ないうちに大きくなっていた。引っ越してからあまり息子に会えなくなっていた。1歳半になっていた。1歳の誕生日も施設で過ごさせてしまった…貴重な1歳の誕生日…もう戻ってくることは二度とない1歳…。一か月といえども、怒涛の一か月だったと思う。保育園に馴れさせることや、自分の仕事、家事などをしていたら、自分
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#345 モラルハラスメント犯人職場追放!!

私の鑑定で実施しています。通称「花束」(以前も少し書いた)を販売にさせて頂きます。鑑定の中で悩み相談の一つとして「花束」メソッドを教えると次から次へと本人の理由で会社を辞めていかれます。実行した方本人もビックリされています。「ほんとになるんですね」と・・・以前も書きましたが、ツイキャスで24時間配信をしておりますが、そこでも職場の悩み相談が多く、この方法を教えると、次々に達成しています。心理学者のカール・ユングは、人類に通じている集合的無意識を提唱しました 集合的無意識につながっているのは潜在意識です 相手の潜在意識を使うことが可能となるのでは? それを密かに実践していたのがアメリカ陸軍のRVの特殊部隊(現在も活躍中)です 他人に影響力を与える方法をご極秘に実践して数々の成功例があります これまで自分の潜在意識を使うことを書かれた本は山ほどありましたが、相手の潜在意識を使う方法が書かれたものは皆無です。なぜなら禁断の方法だったからです。 アメリカ軍特殊部隊は集合的無意識を経由してターゲットの潜在意識にはいり込む事に成功し現在も使用中のメソッドです 「ホントに可能にするのかな?」と思う方へ 結論から言います、そんな心配は必要ないです、科学ですから出来ます ただ、継続する事とが必要、私も毎日7~8種類送って次々と可能にしています 人生でこれを知ってる人と知らない人では大きく差が付きます。このメソッドは特殊部隊のインストラクター(インゴ・スワン)が普通の人が出来るように作られています、スポーツと同じで毎日実行して技を磨くだけです、日々向上します。1⃣ 割引クーポンをゲットする。 割
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イジメの被害に遭ってる方、御相談お聴きします

現在、会社・バイト先・派遣先・大学等でイジメの被害に遭ってる方、そのお悩みを私に教えてください。 勤め先で、無視されたり、身体的な嫌がらせ、恐喝、仲間外れ、暴言を言われる・強要・パワハラ・モラハラ・セクハラなどで、プライドを傷つけられて精神的にストレスを被っている方は、その苦悩は筆舌に尽くしがたいと思います。 これが為に、出勤拒否や、引きこもり、うつ病などの精神疾患に罹患されてしまう方も少なくありません。その為に退職に追いやられ、それに伴う、あなたの損失は計り知れないものがあります。 実は、私自身が小学生の時から高校2年生まで、イジメの対象になっていて、暴力やカツアゲ、仲間外れ、公然に悪口を言われたりし、イジメられた経験があります。なので、イジメられる気持ちは痛いほどよく理解できます。イジメられる原因は、自分で分かっている場合と分かってない場合があり、「なぜ、自分がこんな目に遭わなければならないのか」と自己憐憫に陥り、精神的に深いダメージを被り、最悪の場合、自殺してしまう方も少なくありません。死にたくなる気持ちもよく分かります。私も自殺未遂を経験した一人ですから。子供の時のいじめと違って、大人のイジメは、より陰湿で冷淡であり、イジメられる者にとっては精神的なダメージは更に大きいものです。名誉を棄損されたり、公然に侮辱されたりと、刑法で構成要件に掲げられている「名誉毀損罪」「侮辱罪」に抵触している可能性があります。また、罪には問われないが悪質な人権侵害を被る方が多いです。 勤務先の上司や、人事課等に相談しても解決しない方もいらっしゃいます。 そのような方は、私に一度ご相談ください
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イジメられていた過去と忘れない恨み

皆さん!こんにちは!僕は現在底辺ですがYoutuberをやっています!まあ、ぞれは今は良いとして僕が過去にイジメられていたこととその時僕が思ったことをここに書かせていただこうと思います。 僕は、小学校と中学校の時同級生からイジメを受けていました。暴言や暴力は日常茶飯事、カツアゲもされていました。今ならば、学校の先生に話せば解決してくれたかもしれませんがボクらの時代は残念ながらそんなことでは先生は介入してくれませんでした。「イジメられたくないなら自力でなんとかする」が基本の根性論でできていましたから,....親は僕のことをすごく心配してくれて学校にも何度も話をしてくれました、しかし学校は「子供の喧嘩」や「子どもにはよくあること」でいつも済ましていました」耐えきれなくなった僕は自殺未遂をしました。最終的に教育長と市長は辞職という形になりました。今回はそれについて話そうと思います。
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若気の至りのつけを払わなければならないときがある

今日はちょっと重いテーマを取り上げます。 「2ch修羅場スレ」で見つけた話です。 以下に概略を引用します。「ウチの子が友達から『親に言われて遊ばない』っていわれたらしくて、今まで仲良くしてたのに、親の都合で友情を裂くの可哀想だと親のところに電話してみたら、母親がスーパーフリー事件の*被害者の友人で、『絶対に許さないし、そんな女の子供と仲良くして欲しくない』って言われた」 *早稲田大学のイベントサークルを舞台にして行われた大規模な輪姦事件(出典:Wikipedia)早稲田大学のインカレサークル「スーパーフリー」のメンバーは、女子大生らへの輪姦を常習的に行っていた。輪姦された女性の数は数百人以上に上る。早稲田大学の他にも東京大学、慶應義塾大学、学習院大学など首都圏の有名大学出身の学生ら合わせて14人が準強姦罪で実刑判決を受けた。起訴されたのは3件の輪姦のみであり、関与した多くの者が未逮捕のままとなった。輪姦を幇助した女性も多数存在したが、女性は1人も逮捕されなかった。 そして、相談者は次のように述べます。 「それが分かった途端に凍り付くほどに冷めた…。 今まで凄く愛してたし、お互い上手くいってたのに、 その話を聞いた途端に全部冷めた…。 今は口を利くのも忌々しいし、嫁も戸惑ってるのが分かるんだけど、理由が言いにくくて、別に怒ってないとしか言えない自分ももどかしい どうしたらいいだろう?」 結局、相談者は嫁を問い詰め、それが事実であったことを確認します。 そして、「マスコミに騒がれたような幹部ではなかったみたいだけど、女の子たちをイベントに勧誘してたりしたのは事実っぽい。それなら小学
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新しい自分へ…8

それから彼からはしばらく連絡はなかった。私は、バイトや子供たちのことに専念していた。けれど実際問題、お金が貯まるなど何年先になるかわからない状態が現実だった。それでも「諦める」という考えはなかった。児童養護施設では最低2年施設に入所してもらう、というのが条件だったが、私はそれより早く子供を引き取りたかった。気づけばもう1年が経とうとしていた。小学校入学前までには…一緒に生活していたい…。今のバイトでは無理だ…。その頃の秋田県はパートでもアルバイトでも「副業」ということが原則「禁止」されていた。そのころ、ちょうど「某牛丼チェーン店」は「牛肉輸入制限」かなにかで肉が入ってこなくなる事態に陥り、店は混雑、シフトも人数も増やして対応していた。帰るのは、シャワーを浴びに帰るだけの日々が2週間くらい続いた。これでは「副業」どころの話ではない…。体力的にも限界に近かった。忙しかったせいもあり、色んなことを忘れて仕事に打ち込むことができた。そして、牛肉がなくなりシフトも通常に戻った…やっと休める…それを見計らったかのように「彼」から電話がきたのである。私はハッとした…。そうだ、返事も返していない。返事だけはしようと電話にでたそうすると相変わらず何事もなかったかのように接してきた。そうか、ただの気の迷いだったんだな、私はあの話には触れないようにしていた。そうして、今までの仕事のことや彼の仕事のことなど他愛もない話をしていたそうすると「それで、考えてくれた?あの話」と…え?私はどうやって返していいのか分からなくなった。断る、ということをしたことがないからどうやって断ったらいいのか分からなかった。黙
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新しい自分へ…5

彼はベットで寝ていた。そしてとうとう男女の関係になった。これまで、自分の体のことなどどうでもいいと思っていたが、この人は違うなと感じた。朝になり、彼は「子供たちのこともあるし、俺と真剣に付き合おう」と言われた。「子供?!」私はハッとした。この人は「子供」のことまで考えてくれていた。そのあとに「長距離やってるからある程度は養えるから」と…。そこまで!?私は即答できなかった…他人の子供を養うってどういうことかわかってないそう思った。そんな簡単なことじゃない黙っていると「返事は後ででいい」というので「わかった、あとで返事するね」と返した。その日はアパートに降ろしてもらって別れた…。私はなにが一番「最善」なのか…。考えていた。今、生活保護を受給しているものわかっている子供を施設に入れていることも私に両親がいないこともそして…入れ歯なことも…。最初は「会う」とは思っていなかったから全部話していた。それでも「養う」?そんな簡単なことじゃない彼も考えてくれただろうが自分の母親でさえもあの有様だ…そして自分の旦那の子供であってもかわいがることはなかった…それを他人がやる?顔も会わせてないのに?また「騙される」ところだった…そう思うことにした。そして、しばらく連絡は控えよう…。そして、私はそのことを忘れるかのようにバイトをした。今までの生活に戻した。バイトをして子供に会ったり外泊をさせたり…。彼からも連絡はなくなっていた。所詮そんなもんか…。そんなもんだよな一時の気の迷い、ってやつかな本当に男の人はわからないな。まぁ好かれるなんて思ってないけどね。ちょっとは「期待」した自分もいたが子供のことをな
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毒母の日常生活とは…。

たぶん、このブログを読んでくれている皆さんが思っている「毒母の生活」はどんなの?と思われていると思います。ブログの中では、なかなか細かいところまで伝えきれていないな、と思い1つの「記録」として書くことにしました。小学5年の頃の母親は、とある「団地」に住んでいました。下に1部屋(多分6畳くらい?)とキッチン(1畳)トイレ(和式のボットントイレ)二階に6畳くらいの部屋が二つを襖を取って一つの部屋にして使っていました。お風呂は、玄関を出てすぐのところにあった。洗濯機も一緒に置いてあった。お風呂は団地では「自分で用意するもの」なのだそうだ。洗い場も着替えるスペースも一緒でなければ身動きもできない状態だった。母親は、その当時から「宗教」にはまっていて、その「祭壇?」のようなものが場所を陣取って、子供たちも座る場所もないくらいのスペースでした。朝は早くからその宗教の「集会?」のようなところに行き、お昼頃に帰ってきてパチンコ屋へ…。義理の弟妹は当時保育園だったが、朝ごはんなど用意はされていなかった。夕方一度パチンコ屋から帰ってきたら小さい自分の子供と私を連れてパチンコ屋に戻る(当時未成年でも入れた)そしてパチンコ屋にいる「どこかのおじさんやおばさん」にご飯やお菓子をもらって飢えをしのいでいた…。そんな風景をみて母親はニヤニヤしていた。そして、私の父が亡くなる直前には私に「タバコとお酒」を強要してきたのだ。そう、ブログにも書いてある通り、「子供を利用して奢ってもらう」という考えだった。周りには「理解のあるいい親」を演じていたと思う。現に、周りからは「お母さんはあなたのことをとても心配していたの
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新しい自分へ…4

i子さんは、私たちをアパートに呼んでくれた。そして、お昼ご飯を作ってくれた。娘はi子さんのことを「ばあば」と呼ぶようになっていた。I子さんはそれを聞いて喜んでいるようだった。i子さんの息子さんは遠く北海道に住んでいて、奥さんとも仲が悪いらしい…。I子さんの家庭事情もよく話してくれていたからなんとなくは知っていた。だからか私の娘も「孫」のようにかわいがってくれた。そろそろ施設に戻らなければいけない時間になっていた。I子さんのアパートを出て、私のアパートに行き荷物をもって自転車に乗せて施設に向かった。娘は施設に戻ることはわかっていただろうが、私もあまり触れないようにしていた。自転車に乗って30分くらいして施設に着くと、やはり寂し気な顔になった…。施設の人に引き渡すときは、娘も私も泣いていた。やっぱり寂しい…。苦しい…。辛い…。帰りの道中、私は考えた「あんまり会わない方がいいのかな…、でもな、見放されたと思ってほしくない。かといって頻繁だとまた施設の人から言われるし…。間隔的にどうしよう…。」と考えながら自転車を漕いでいた。今度は下の息子に会いにいった。息子の「外泊の許可」を取りたかったから話だけでも聞いてみようと思った。乳児院は比較的、外泊もokらしい。よかった!息子と少し会って、その日は帰った。あのまま帰りたくなかった。苦しかった、娘はもっと苦しいと思うとどうしていいかわからなくなった。息子とはいつでも会えそうだ。それなら娘に専念しよう、そう思った。娘を2週間に一回息子を3週間に1回のペースで外泊させよう!そう決めた。とはいえ、娘の幼稚園の関係上、土日でなければ外泊は不可能だった
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・ジョジョに学ぶ「覚悟」

「ジョジョの奇妙な冒険 Parte.5」で、主人公である、ジョルノ・ジョバァーナが、同じスタンドを持つ人間と初めて対決するシーン。ブローノ・ブチャラティのテリトリー内で不可解な事件が起こったので捜査していたが、どうやら原因がジョルノジョバァーナと判明し、一気に相対することとなる。まだ過去に戦闘経験がないにもかかわらず、ジョルノジョバァーナは、ギャング組織のチームリーダーの一人である、そのブチャラティに対して早々と腹を括りました。※大体こんな感じ。そして、彼は堂々と言い切った。あなた…「覚悟」して来ている人」………ですよね人を「始末」しようとするって事は逆に「始末」されるかもしてないという危険を常に「覚悟している来ている人」ってわけですよね…あなたが、いわゆる「いい人」だったら、何かと職場などで理不尽な仕事を安易に引き受けていたりしませんか?なにも職場に限ったことではないです。交友関係にしても、本当は受けたくない頼み事。いい人だけに機械的に承諾していませんか?これが、自己承認欲求を得ることで解消できる実に風変わりなタイプのいい人なら問題もないのですが…。また、修行と思って耐えれるもっと風変わりすぎる人ならですね。どんどん、押しつけを飲み込んでストレスを貯めていくと脳を傷つけていくことになります。そうすると鬱気味になったりします。実際にそういう状態になっている人は多いですよね。私は大手企業にいましたが、上司からの無茶な仕事を押し付けられて統合失調症で倒れた人を三人も見ました。「子供のイジメと同じ構造ですよね」黙っておけば調子に乗ってエスカレートしていく…。こういうスパイラルは、ずっ
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新しい自分へ…3

離婚裁判から一か月くらいが経った。そろそろ「慰謝料」などが振り込まれてもいい時期だ。私はどういうルートで慰謝料が振り込まれるかわからなかった。直接…ということは私の口座を相手が知っていなければならないし、裁判所経由で振り込まれるのか、それとも弁護士さんから振り込まれるのか…、私は、弁護士さんの事務所の近くに丁度用事があってきていたので、行ってみることにした。弁護士さんはいなくても事務の人がいるから、どういう状況かくらいは教えてくれるかな、と思い寄ってみた。玄関を入ると、受付で事務の方が私のことを覚えていてくれて「あら、こんにちは、今日どうしたの?」と話しかけてくれたので「慰謝料の件なんですが、いつ頃振り込まれるでしょうかと思って…」というと事務の人はいきなり険しい表情になり、「慰謝料は振り込まれましたが、あなたに振り込まれるだけの金額ではありません!こっちがマイナスなくらいです!!」とピシャリと言われた。私は「え?私にはこないということですか?」あまりの言い方に私は聞き返してしまった。事務「そうよ!こっちが逆に欲しいくらいだわ!わかったらもう帰って!先生も忙しいのよ!」と言われてしまった。あっけに取られているうちに目の前から誰もいなくなり、私はうつむきながらその事務所を後にした…。いくら慰謝料が振り込まれたのか、いつ払われたのか、なぜ私には連絡がこなかったのか、裁判に勝っても私が全部払わないといけないのか…。今のように携帯電話もそこまで詳しく教えてくれるわけでもない。周りに詳しい人がいるわけでもない。どれが本当でどのようにすればよかったのか、全く分からなかった。ただ「離婚が成立
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新しい自分へ…2

離婚が成立し、養育費や慰謝料が振り込まれる前に、義姉から手紙がきたこと、そしてそのためにまた費用が掛かること…。なにより長男の気持ちを優先したい気持ち。長男はその年に小学校入学を控えているはずだった。入学式も見れないか…。気持ちの整理をするのはとても時間のかかることだったが仕方ない。施設の人に何回も注意されていたが、娘や息子に会いに行っていた。そして、その間バイトをし、休みの日には携帯で出会った人と遊んだりしていたが、i子さんのおかげでそれも少なくなってきた。そんな中、電話だけで何日も続いている人がいた。その人は「長距離運転手」をしているらしい。その人には「会うことはないだろう」と思っていたから何でも話せた。地元は同じ県だけど県外に荷物を運んでいるためほぼ地元にはいないという。その人は2歳年下だったが、とても話しやすかった。流行りに乗るような人ではないらしく、落ち着いた感じがした。その当時ではなかった「携帯電話の話し放題」がある携帯会社を使っていたということで、何時間も話すことがあった。お互い、仕事のことやプライベートのこと。友達関係や、趣味のこと。相手の「眠気覚まし」に話したり。私を道具ともお金とも思わない男性に出会った。出会った、といっても電話友達、のような感覚だった。ただの「暇つぶし」なのはお互い様。一生会うことなんてないんだからいいか!そんな日々を続けていたある日、私のバイトが終わると着信が入っていた。「誰だろ」見ると、彼だった。自転車でアパートに戻ると電話をかけなおした。そうすると「今日、これからそっち方面に仕事があるんだけど一緒にご飯でもどうかなって」という電話だっ
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離婚まで…40

私のほうの弁護士さんから連絡がきた。旦那のほうが弁護士を付けたそうだ。え……。けれど私の先生は「大丈夫、負けはしないから」と心強い言葉をくれた。そして、待ちに待った「離婚裁判」私は緊張していた。朝早くから準備をして、裁判所の近くで時間がくるのを待っていた。裁判所…。人生で2回目…。一度目は「父親の相続」のとき…。まさか二回目があるとは…。あれから10年…。10年の間に色々ありすぎたなぁ…と裁判所を見上げて思った。「神様」というものを私は信じていなかった。だから裁判所に着いたときも「神頼み」というものはしなかった。神様がもし、いるとしたら「なぜ私が生まれてきたのか、神様まで私を憎いのか」と思っていた。そんな時間もあっという間に過ぎ…裁判の時間になった。私は裁判所から来た手紙を見ながら部屋を探した。うろうろしていると裁判所の人から声を掛けられた。「ここに行きたいんですけど」というと丁寧に案内してくれた。そして、記載された部屋に入った。控室だから一人なのは当たり前だけど心細かった。少し経ってから私の弁護士さんが入ってきた。「もうすぐね、大丈夫よ!呼ばれるまで待っててね」私「はい」弁護士さんはどこかへ行ってしまった。トントン!ドアをノックする音が聞こえた。ドキっとした。いよいよか…。私は「よし!行くぞ!」と気を引き締めた。裁判が行われる部屋にノックして入った…。心臓がバクバクしていた。扉を開けると、私の弁護士さんの反対側に男性が一人、中央に男性が一人座っていた。そして、コンコンとノックの音と共に旦那が見えた、と思ったら舅も入ってきそうになったが裁判官から「本人だけの入室となります」と断
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