新しい人生の幕開け…35

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妊娠してからはもちろん、「うつ病」の薬は飲んでいない。
そもそも「通院」すらまともにしていない。

もちろん、「自分がうつ病になるわけがない」とも思っていたけど、だれも親身にはなってはくれなかったし、そこまでまだ「うつ病」が認知されていなかった。

日々過ごしていると「病院に行く」というのは子供主体になってしまい、自分はギリギリまで「病院」というところにはいかなかった。

旦那が帰ってきて、名前を決めよう、という話になった。
もう時間がない。

色んな案が出たが、女の子なのに?という感じの名前になった…。

私はあまり賛成ではなかったが、何時間も話しても埒が明かなかった…。

お互い離れていても子供の名前の漢字や画数や意味などは考えていると思っていた。
けれど旦那は「もうこれでいいんじゃない?」なんてことを言い出す始末。

「名前は一生ものなんだよ!」と言っても…
「俺の名前も適当だった」だの「爺さんが付けた」だの
全くお門違いな答えしか返ってこなかった。

夕方までには出さないと、明日にはまた旦那が仕事にいってしまう…。

私が出してもいいけど、出生届けくらいは旦那に出してほしかった。
出産したことがある人ならわかるかもしれないが、出産したからといって自動的になんでも手続きができるわけではない。

健康保険の加入の手続きやたくさんの書類などがあった。
今はどうかはわからないが…。

そして、出産一時金…。
これが問題となった。

これは、もちろん私は旦那の扶養になっていたから旦那の社会保険から支給されることになる。
その当時の金額は35万円くらいだったと思う。

そのお金を…
「少し貸してほしい」と言い出したのだ。

はい??
また始まった。このパターン…。私の母親と同じ…。

私はハッキリ断った。
「ごめんだけど、それはもちろんあなたの保険から支給されたお金かもしれないけど、これで「出産費用」を払わなきゃいけないし、そもそも出産費用と私が入院した分は別なんだよね、だから逆に間に合わないかもしれないのに…」
と伝えた。

旦那は「そうか…」とシュンとした顔をしていたが、私には計画があった。

上の子供たちに「二段ベット」を買ってあげたいと思っていた。

出産費用が少し余るのは知っていたから、その分でベットを…。

今までは座敷に布団を敷いて寝ていた。
毎日私が布団を起こしたり、敷いたりしていたけど、それももう体が辛いし、今後の子供たちのことも考えてベットがいいと思った。
これから先、自分たちの部屋になるとしても二段ベットなら外して使うこともできる…。

私は旦那に前にサラ金を返しているのを一切返してもらっていない。
だから、私は「ここだけは譲れない!」ということだけは守りたかった。

名前は結局、旦那の言う通りの名前に決まった…。
出生届けを出してから、その足で出産費用も支払いに行った。

そして、私は旦那に言った、
「二段ベット欲しいんだけど…」と…。
そしたら旦那は
「ほう!じゃあ見に行くか!」と案外すんなり承諾してくれた。

出産費用に掛かるお金の金額にビックリしたのだと思う。

支給されたお金は自分たちのものになると思っていたようだった。

お金のことも結構前に説明したはずなんだけど…。
全然聞いてないのか忘れているのか…
全く頭の中が分からなかった。

なにを考えているのか…。

そもそもなんでそんなにお金が欲しいのか聞いてみた、
「そういえば、なんでお金欲しいの?またまさか借金??」
と聞くと旦那は
「いやぁ~トラックに付けるものが欲しくて!それが高いんだよな~!けどみんな持ってるし!」
と…。
「ちなみにそれっていくらなの?」と聞くと
「色々入れて10万くらいかなぁ~」
…。

本当に日常の生活費など考えているのだろうか…。

長距離トラック運転手…。
確かに交際当時は給料はとても良かった。

けれど、その当時から「長時間の運転禁止」だったり、色んな規制が多くなったうえにガソリンも物凄く値上がりした時期だった。

そのためか、運転手の給料も下がっていた。

もう当時で給料は20万円を切っていた。
生活するのでギリギリの金額だった。

けれど私はそのことに「不満」などを言ったことはない。

全く働いていないわけではないし、旦那が悪いのではない、と思っていた。

だから切り詰められるところはトコトン切り詰めた生活をしていた。

その当時流行っていたゲーム機など買ってもあげれず…。
子供の服はほぼ全部「おさがり」
やっと最近「リサイクル」なんて言葉が流行ってきたけど、その当時は「おさがり」は「貧乏人」の象徴みたいなところがあった。

けれど子供たちは、そこになに一つ文句を言ったことはない。
むしろ、新品を買っていくと「そんなの着ない!」と言われてしまっていた。

子供心に遠慮したのもあるかもしれない。

そうして半年くらい経ったころ、下の娘も色々落ち着いてきたし…。
保育園に入れて私も働こうかな、と思っていた。

パートでもなんでも…とにかく「生活の足し」にしたかった。
学費と保育料だけは絶対に「滞納しない!」これだけは本当にちゃんと納めたかった。

私の過去の母親の「金銭」のだらしなさ、は保育園や小中学校にも本当に迷惑をかけていた。

だから何を「我慢」しても、それだけは納めていた。

その時の入支出

旦那  給与(平均)23万から25万

    家賃     50.000円
    車(旦那分) 49,800円
    車(私)   13,000円
    光熱費    25,000円前後
    携帯(2台) 30,  000円
    校納金(学校)   6,  000円
    保育料      5,   000円(年長)
    食費     残った金額

……。

手元に2万円くらいしか残らなかった…。
それが「食費」となった。

もちろん「児童手当」は4か月に一度入ってくるが、その時に、子供の服、靴、床屋さん、などいくため一気に消えていった。

その他に下の子の「ミルク代・オムツ代」なども食費に入っている…。

だから働こう、そう思った。
それに対しても旦那は「無関心」だった。
旦那のお小遣いは「運行費?」というのが会社から支給されるようで、そのお金もいくらだかは行先によって決まるらしいが、なるべく「お弁当」も作った。
かといって、その運行費をくれ、と言ったことはない。

さあ、ハローワークに行くか!と言っても、子供を抱えながらの職探しは困難だった。

チラシだけもらってきたり、色んな店などの「求人」を探したりしていた。

例え、「求人募集」などしていても…

「小さいお子さんいるので厳しいのではないですか?」
と断られる…。
そして、「高校はなんで行かなかったんですか?」など…。

もう子供のことは馴れているけど「学歴」だけはどうしてもどしようもなかった。
面接の時に「父親が亡くなって…」と話したこともある。
けれど、話せば話すだけ、自分が惨めになっていった…。

だから「学歴不問」のところを探した。
けれど世の中は
「学歴不問と言っても、高校までが一般ですから」
とハローワークの人に言われたこともある。


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