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「大暴れ@学童」子の本音を聴き出し先生に伝える方法①

今日もワンオペ。穏やかに過ごすって本当に難しい。怒りのコントロールって本当に本当に難しい。ってことで、家で起こっている様々なことは見ないようにしようということでブログを書いてみることに。昨日も書いたので、連日なんて、なんて理想的✨==============================今回は続編で「学童保育や担任の先生の色眼鏡から自分の子どもを守る方法」とでも言いましょうか、「子どもの本音を聴いて、行動の理由を先生に伝える必要性」とでも言いましょうか、「学童や学校などで困りごとがあった際、どうしていくと良いかを考える方法」とでも言いましょうか、そんなことを書いてみたいと思います。子どもの本音を聴き出す方法の1つもお伝えしますね!!何があっても、親は子の味方じゃないといけません。あ~もちろん、何でも認め許すというわけじゃないですよ💦================================ところで!!新しくサービス作ってみました☆何でも話してね(⋈◍>◡<◍)。✧♡と宣伝入れてみたところで本題(笑)まずは「暴れるちゃん」次女の紹介我が家の次女2年生。1年生の頃から学童で「暴れているのでお迎えを…」と言われとうとう15年以上フルタイムで務めた職場を時短勤務に変更した今年。。2年生になって、呼び出しはかなり減少。(0ではない💦)「暴れる」というのは先生の表現そのまま。最初すごくムカついたけど、、、・並べてあるテーブルを友達が居ようが押しまくったり・開けたらいけない引き出しを開けまくったり・袋を被ったり(笑)・先生が追いかけたら逃げて走ったりww・近くの友だちのもの取って投げ
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愛するブラザーのお話

みなさん、こんにちは!今日も元気な悠也でございます♪今日は愛する弟のお話をさせていただこうと思います♪よろしくお願いします🕺僕には1歳下の弟がいます。弟もぼくと同様に物心がつく前からバッチバチの虐待を両親から受けていたため、心に深い傷を負っています。そのためつい最近まで約15年間家に引きこもっていました。弟はぼくと正反対の性格で物事をよく考えて感情もあまり表現することがありません。そのため小さい頃から自分の現状を悲観的に考え込んで絶望し、感情を殺してぼくよりも深く傷を負ってしまったのかもしれません。約2年ほど前に父親とぼくが談笑しているところを目撃した弟に『あんなひどい仕打ちをしてきた奴と笑って話せるお兄ちゃんの神経を疑うわ』と言われたことにびっくりしたこともあります。それだけ弟にとって父親は許せない存在だったのでしょう。しかし長年閉じこもっていた弟にも外に出るきっかけとなる出来事がありました。それは弟が白内障になってしまい、放置してしまって進行していたため早期に手術が必要となったのです。約15年間引きこもっていた弟にとって心の準備もなしにいきなり目の手術をするため外に出ることは恐怖でしかなかったことでしょう💦と、ここまで長くなりましたので続きは次回のブログで。
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アダルトチルドレンの生きづらさ

みなさんこんにちはー!減量順調でシックスパックを取り戻せてご満悦な悠也です!本日は新サービスを出品いたしました!機能不全家族で育った方向けのサービスになります!幼少期に受けた心の傷って根深いものがありますよね。ぼくもバリバリの機能不全家族が育ったので共感できる部分は多くあると思います!とてつもない寂しさも感じていたと思います。自分が虐待を受けていたと気づいてないまま苦しい理由がわからない人もいるかもしれません。こどもの頃に欲しくて仕方なかった愛情を大人になったいま、おもいっきり感じてあげましょう!こどもの頃に受けた心の傷は大人になってからも癒やすことはできます!あなたはここまでよく頑張ってきました!これからはちょっとずつでも癒やしの方向へ歩みを進めませんか?ぼくも一緒にあなたの歩みのお手伝いをさせていただければ嬉しいです✨
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『妻のイライラ、俺のせい…?』と思ってるあなたへ。

~家庭の空気が軽くなる最初の気づきを、そっとお届けします~はじめに「ただいま」って言ったら、「もう…!ちょっと黙ってて!」って怒鳴られた。……え、俺なんかした?家族のためにがんばって働いてきて帰宅した瞬間、冒頭のセリフ💦え?俺なんかした???・・・そんな日、ありませんか?実は一度や二度ではなくて、割と高頻度。そして答えはいつも分からない。奥さんはイライラ空気はピリピリ。怒られたのか何なのか子どもも泣いてる。家に帰るのがしんどい日すらある💦でも・・・あなたはちゃんと家族のことを考えてる人だからこそ、今この文章を読んでくれている💛その優しさこそ、家族を変える力です。奥さんのイライラの『正体』って、なんだと思いますか?答えは、あなたのせいじゃないことがほとんどです。いや、ほんとに☺怒ってるように見えるけど、その奥にあるのは「怒り」じゃなくて「限界」。正確に言えば、「自分を責めすぎて苦しくなった結果」が、イライラとして出てきてるんです。たとえば、奥さんの頭の中ではこんな言葉がぐるぐるしています。「ちゃんと育てなきゃ」「泣かせちゃダメだ」「夫は疲れてるし、私がやらなきゃ」「SNSではみんな楽しそうに育児してるのに、なんで私は…」「うまくできない私は、母親失格かもしれない」つまり、自分で自分を責めてるんです。本当は、休みたいし、誰かに頼りたい。でも、休んだら「ダメな母親」って思われそうで怖くて、助けてって言えないまま、ずーっと頑張り続けてる。そして、ある日、心のコップが溢れたとき、『怒り』という形でドカン❕と噴き出してしまうんです。でも、それって「性格」の問題じゃないんです。ここがめちゃく
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目標設定と自分への虐待

こんにちは、あずま貴之です♪ 僕は心理学✕マーケティングをベースに ココナラ出品者さんのための お金の稼ぎ方、心の強さをサポートしています ✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️ ⭐️あずま貴之の簡単な紹介⭐️ ▶ココナラで400名以上の販売サポート実績‼ ▶コンサル生を3ヶ月で100万売上達成させる‼ (2021年~2024年) あずま貴之はこんな人です ↓↓↓↓↓ ✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️ ココナラ恋愛相談で人気急増中の 月星りょうたさんと対談動画を撮りました‼️ 副業で活動中のりょうたさんが どうやって100万円を達成できたのか? そして、あずま貴之はどんな考え方をして ビジネスを教えているのか? といった話を包み隠さずお話しています ↓↓↓↓↓ 月星りょうたさんのページ https://coconala.com/users/2920950 今回のブログは 「目標設定と自分への虐待」についてです。目標を立てること、達成を目指すこと。 これって一見「いいこと」だと思われがちですよね?でも、僕は思うんです。自分の立てた目標に振り回されてる人が多いって・・・。世の中には、目標に向かって努力することを楽しめる人もいます。 でも一方で、目標に縛られて苦しんでしまう人もいます。 目標って立てた瞬間は気持ちが高まってやる気に満ちていますが残念ながら、その気持ちって実は長続きしないんです・・・・・。時間が経つと環境も、気持ちも、見えてくる景色も変わることはあります。僕は目標について、こう考えています。 「目標とは今の人生を
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★ 僕のブログもご覧下さい ★彡

ココナラでもブログ更新を行いたいのですが、スマホ・タブレットでは更新が出来ない為あまり有効活用出来ていないのが現状です。ですが、、、直接話す前に【どんな人だろう(・・?】とかそりゃトーゼン気になりますよね ( ̄▽ ̄;)実はYahoo!やGoogleから「 ユーリ to success 」でお探し下さればすぐにご覧戴けます!↑アイコン画像を同じにしていますので、分かり易いと思いますもちろん実際にはココナラでの以下サービスを通して会話させて戴きますが、その前段階の ”不安払拭材料” としてご活用戴ければ幸いです。僕の日常や5つの困難へ立ち向かう姿勢など…実際にお電話を下さらなかったとしても、少しでも僕の体験や記憶が、どこかで誰かの役に立てていたら良いなぁと思います。▼カウンセリングを行うにあたって▼僕は絶対にあなたを拒絶したり、一般常識を押し付けたりしません。固定観念なんてクソくらえだ。あなたが本当に「自分は間違っていない」と言い切れて…「辛くたって生きなきゃ」って思える様になるのなら僕は世界を敵に回したって君に手を差し伸べるよあなたは1人じゃない僕と話した後、「この世も捨てたもんじゃないな」って思ってもらえたなら… それだけで僕は嬉しいと感じるどうか…どうか、生き延びる事を諦めないで欲しいですねその辛い気持ちを、少しだけでも僕にポツリポツリとこぼしてみませんか?いつでも、僕はここでご連絡をお待ちしていますよ
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子どもへの対応で後悔をなくす!ポケットにアドラーを!

私自身、子どもとの関わりで何度も行き詰まりました。朝は起きられない。約束したことは守れない。帰宅後はランドセルも靴も放置して、すぐメディア。「ちゃんとやるって言ったよね?」「約束守れないなら意味ないよね?」「なんで一緒に決めたルール守らないの?」感情的になって「このプリントないなら、もうあのぬいぐるみ捨てるよ!」と、過度な取り引きをしてしまうこともあります。もはや脅しですよね。「やり過ぎてしまった…」良くないやり方なことぐらい痛いほど分かってる。結局プリントはしなかったから、有言実行としてぬいぐるみを捨てるのが筋か・・・。あぁ見合わない罰を与えてしまった。引くに引けないし・・・言ったことを守るべきか、やり過ぎたと謝るべきか・・・。✔️ 「叱る」でなく感情的に怒ってしまった✔️ 言いすぎた✔️ 取り引きしたり脅してしまったそんな「後悔」「罪悪感」「不安」などを責めずに整理して次どう立て直すかを一緒に考える。タイムリーにそんな関わりをしてくれる相手、欲しくないですか?しかも心理のプロ!!アドラーの弟子のように。✔️ 正解が知りたい。✔️ ダメ出しじゃなくて一緒に整理して欲しい。誰かに相談しようとすると、「甘い」「もっと厳しくしないと」そんな言葉が返ってきそうで、結局、何も聞けずに抱え込む。「私の関わり方が悪いのかな」「このままじゃ、この子の人生を壊してしまうんじゃないか」そんな不安、もう1人で抱える必要がありません!!やってしまった【まさに今】!!的確に、タイムリーに相談に乗ってくれるんです。え?何それ!?って思いますよね(笑)私もホンマかいなって思いました。でも、ホンマでした。プ
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躾と虐待の違いとは?

こんにちは看護師でカウンセラーのゆきです(*´꒳`*)6月に産まれた甥っ子が可愛すぎて可愛がりまくっている私です🥰出産後、育児本を読んでいた妹から「躾と虐待の境ってなんだろうね」と言われたので私も考えてみました😊今日は心理学的視点から見た躾と虐待の違いについてお話したいと思います!気になる方、興味がある方はぜひ最後まで読んでみてくださいね(*´꒳`*)♡*・゜゚・*:.。..。.:*・'♡'・*:.。..。.:*・゜゚・*♡躾は『ストローク』虐待は『ディスカウント』です。『ストローク』についてはこちらのブログをご参照ください。ストロークには『肯定的ストローク』と『否定的ストローク』があります。以前、ブログで紹介しているのは『肯定的ストローク』についてです。『肯定的ストローク』とは撫でる、さする、抱く、手を繋ぐ、褒める、励ます、感謝する、信頼する、など、『相手の存在を条件なしに、肯定的に捉えて認める』アプローチのことを言います。躾は『否定的ストローク』にあたります。叩く(制止のため)、押さえる、注意、忠告、教え諭す、指示・アドバイス(〜しようね)など、『相手の存在・価値は認めている』だけど『その一部について停止や修正、指示を行う』ことです。例)「よく頑張っているね!だけど、  ここはちょっと間違っているから  直そうね!」否定的ストロークは特に成長期にある子供には必要不可欠だと言われています!悪いこと、間違ったこと、なぜいけないのか、を教えられる過程で人生の苦難を減らす躾と社会人としてのマナーを身につけていきます。虐待は『ディスカウント』です。殴る、蹴る、突き飛ばす、物をぶつける
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毒母に鬼と罵られて育ちました

ご覧いただきましてありがとうございます。『心のオアシスまどかの部屋』のまどかです。知る人ぞ知る!元保育士です.。.:*♡ 現役の保育士さんのお悩みや 子育てについてもご相談をいただいています。 真心込めて幅広く聴かせていただいています。 今日は節分ですね。みなさんは、豆まきしましたか?豆まきと言えば、小さなお子さんが豆を鼻の中に入れてしまう場合があり(-_-;)数日後に臭ってから初めて気付く…そんなこともありますので、くれぐれもお気を付けくださいね。さて、本日のタイトルですが、事実です。私が毒母に実際に言われていた言葉です。酒乱の毒母に「鬼!人間じゃない!」と罵られて育った私は今、幸せに生きています。私は約5年前、毒母に決別宣言をしました。今現在、毒親との辛い思いを抱えている方へ。あなた自身の幸せを考えてみませんか?少しづつ気持ちを吐き出すことで、幸せへの一歩を歩んでいただけたら幸いです。心に寄り添ってお話を聴かせていただきます。ポートフォリオの3人の天使と毒親相談をタップしていただくと、私が受けた虐待が軽く記載されています。一部なのですが…トラウマを抱えている方など、もし苦しくなってしまうようでしたらご覧にならないことをお勧めします。もしご興味のある方は、ご覧ください。気分が悪くなってしまったら、すぐにお止めくださいね。最後までお読みくださって、ありがとうございました(*- -)(*_ _)心のオアシスまどかの部屋のまどかでした✿
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【No.68】電話相談で使っている場所が華やかです♡

電話相談をしております『心友カウンセラー』のゆい❤️❤️と申します今日は前回のコスモス畑の投稿の続きです...10本100円で購入して帰ったコスモスを花瓶に生け、先ずはご先祖様に見せてから♡ゆい❤️❤️のお仕事机に飾りました^ ^この机で、毎日お客様とお話しています♡♡お花って...やっぱりいいですね!眺めているだけで癒されます♡お客様にもお花のパワーが届くといいな【❤️年代別お悩み相談❤️】⚫︎30代限定/断ち切れない思い⚫︎40代限定/断ち切れない思い⚫︎50代限定/断ち切れない思い【❤️31品・出品中❤️】✅おすすめ順入り✅ランキング順入り✅お気に入り順入り✅初心者向け順入り⚫︎自分の実体験から寄り添わせて頂いております。⚫︎気軽な話し相手から〜深いお悩みまで、どんな内容でもお電話可能です^ ^⚫︎お電話が苦手な方にはチャット(メールのような文字のやりとり)サービスもありますので良かったらご覧下さい。⚫︎あなたの今抱えている『辛さ』や『悩み』が少しでも楽になるお手伝いができたら幸せです。⭐️『保育士・HPS・心理カウンセラー』として5000人以上の方々と接してきました♡~~・*・〜〜・*・〜〜・*・〜〜・*~~・*~~・*・~~・*・〜〜★いつも『いいね♡』本当に有難うございます!嬉しいです^ ^★ブログネタ随時募集中!是非DM(メッセージ)下さい!ゆい❤️❤️に聞いてみたい事など...基本何でもOKです♡★明日は『仮)ゆい❤️❤️のデコパン』を予定しております!(予定は変更になる場合があります)ゆい❤️❤️
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子育て「どう介入すべきか」タイムリーに回答します!

【正直に言います。これ、知らないまま育児してると損します。】 もう限界じゃないですか? ✔ 何回言っても動かない ✔ 約束を守らない ✔ 朝は毎日戦場 ✔ 気づけば怒鳴ってる そして夜。 「またやってしまった…」 検索する。 「怒りすぎた 影響」 「叱りすぎ 自己肯定感」 ——でも、本当につらいのってそこじゃない。 「分かってるのに、できない自分」 これですよね。 でも、ここでハッキリ言います。 あなたがダメなんじゃない。 仕組みがないだけです。 【修復できる母になるAI】 —もう、ひとりで抱えなくていい。 これ、正直ヤバいです!! 私は20年現場にいた元精神科作業療法士。 さらに、凸凹ユニークな3人の子どもを育ててきた母。 その私が断言します。 👉 これがあれば、育児のストレスは確実に変わる!! だって私がそうだったから。 ★このAI、何がそんなにすごいのか? ただのAIじゃありません。 ✔ アドラー心理学ベース ✔ 発達特性も考慮 ✔ 現場レベルで検証済み ✔ kako監修 × エンジニア設計 つまり、 「理論だけ」じゃなく「使える答え」が返ってくるAIです。 ★一番すごいのはここ 👉 「今この瞬間」に使えること ・朝のバタバタ中 ・怒鳴った直後 ・子どもが部屋にこもったあと 全部OK。 待ち時間ゼロ。即レス。 ★実際にできること 例えばこう入力するだけ👇 「小4女子。宿題やるって言ってゲームしてて怒鳴った。ホンマむかつく!『もうゲーム捨てる!』って言ってしまった」 するとAIが👇 ✔ 子どもの心理を分析 ✔ 発達段階を考慮 ✔ 今やるべき行動を提示 ✔ “そのまま使える言
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親だってただの人 合う合わないもあれば完璧ではない

久しぶりの青空が広がっています。雨の日もけっこう好きなのですが、何が困るって洗濯物が干せない💧部屋干しすると湿度がとんでもない数値になるので、雨でも軒下に干したりするけどやっぱり乾かないですよね・・・。だけど雨が続いたせいか暑さがずいぶん和らいだような気がします。またきっと残暑厳しくなるだろうけど、ここから少しずつ秋に向かって行くのかなぁ~やっと晴れたのでこの後は母の墓参りに行く予定です。母が亡くなってもう何年も経つのですが、私はいい年をしてお母さん子だったのですよね(苦笑)だから母が亡くなってすぐの頃は、精神的な大きな支えを失ったような感じになり、寂しくて会いたくて何を見ても母を思い出して涙ぐんでいました。だけど友人たちから(最近になって)親子関係でずっと悩んでいたこと、自分の親が今で言うところの毒親のように思うというような話を聞けば聞くほど、父はあんなおかしな人だけど母には恵まれていたのだなぁ、それだけでも本当に幸せなことだったとしみじみ思いました。親だから完璧な人間なんてことはなく、親も自信がないまま不安を抱えたまま自分の悩みが解決できないまま誰かの親になっているので、子供を愛していないというより自分の親から愛を与えてもらった経験がないので自分の子供にも与えることができない、そういう人もたくさんいるでしょう。私は「自分は悪くない、おかしいのは父の方」とわかっていたから強く生きて来れましたが、ほとんどの子供は親に言われたことを素直に信じ、親に認めてもらうこと愛情を与えてもらうことを願っています。そして「悪いのは自分、育ててくれた親を悪く言ってはいけない」そう思い込んで苦しん
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新しい人生の幕開け…17

Rさんから突然の電話…。私が会社を辞めたことを誰かに聞いたのだろうか、ちょっとめんどくさいな、と思いながら電話に出た。「久しぶり~!何してた?」と、しらばっくれたような電話だった。「特になにもしてないよ」と当たりさわりのない返事をした。そしたら案の定…「保険屋、辞めたんだって?仕事探してるの?」と言ってきた。「あ~話早いね(笑)」などと話をしていたが、Rさんは思わぬことを私に言ってきた。「いや~実はさ、私今、あの近くのスーパーのフードコートで働いているんだけど、人手が足りないのよね」と。「あ~そうなんだ~」と聞き流していたら「どうせあんた暇でしょ!私ここのフードコートの責任者になっているから面接は私だけど求人票欲しいから早く取ってきて~」と。「ありがたいけど、土日休みじゃないでしょ?」というと「土日は高校生のバイトもいるし、年配の人もいるから完全に土日休みとはいかないけどなるべく休んでいいから」と…。「うん、ありがとう、わかった、旦那に相談してみるね」というとすかさず「旦那なんかアテになんないんだし、自分で決めればいいでしょ」と言われてしまった。そうだけど…一応、相談しないと、という耳は一切聞かず、「今もう面接来てるしあんたのシフトのところ空けておくからハローワーク行ってきて!」といい、電話は切れてしまった。確かにいい話ではある。そこのスーパーはその当時、できたばかりでいろんなフードコートが入っていた。家からも近い…。選択肢などなかった。自分で探しても仕事などなかった。子供のこともわかってくれる人が責任者なら、それはそれでありがたい。Rさんは最近音沙汰なかったと思ったら、そこで
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虐待された子は幸せになれる?

そもそも「幸せ」の定義や価値観が 人それぞれなので、言い切ることはできません。 でも 私も虐待を受けて育ちましたが幸せを感じることが難しくその気持ちを継続させるのはもっと難しいと思っています。今では母とも和解して 親孝行できる喜びを感じているわけですが 依然はどうしても許せず 挙句の果てには 母を苦しめるために、自分が不幸でいることを選んでいた時期があります。 自分を傷つけることが 最大の親への復讐… 恐ろしいですね これは意識してしているのではなく そうせざるを得ないのだと思います。 あなたのせいで あなたの娘は不幸なんだよ幸せになれないんだよという 呪いの言葉のようなものです。 そして 自分でも失敗したり、何かにつまずくたびに親に愛されずに育ったからだと言い訳していました。親の愛を感じられなかった (親の愛はあったのかもしれません) 親から虐待を受けていた そんな風に育った人は 自分が成功するイメージや 何かを受け取れることができません。好きな人とどう過ごしていいのか 離れていかれるのが怖くて、ついつい依存してしまったり自分で関係性をぶち壊してみたりします。 幸せになる勇気欲しいですよね。 あなたは誰よりも幸せになっていいんです。 家族や仲間と腹を抱えて笑ったり泣いたり誰もあなたに暴力をふるったり、もう意地悪をしたりしません。大人になったあなたは そういうことをする下等な人と距離を置いていいんです。自分の幸せのために、時間やお金を使っていいんです。どんどん夢を叶えて 信じられる人との出会いや温かい愛情を感じていきましょう。親との関係も 子どものころに戻って、違う角度からみる
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あるシングルマザーの悩み

今日もあるところで見つけた人生相談を取り上げます。 3歳の子供を持つシングルマザーの話です。 彼女の相談は、以下の通り。 「最近、結婚を考えるほど大好きな彼ができたのですが、一つだけ問題があります。それは彼が子供が好きではないことです。 彼は息子と何度も会っていますが、ほとんど触れることがなく、話しかけることはあっても子供目線ではないので、息子はぽかんとしています。 彼は冷酷な人間なんじゃないかと悩んでいます。 結婚するためには、彼に子供を好きになってもらわないと困るのですが、どうしたらいいでしょうか」 これに対して、回答者の一人は、子供目線になれない人がいるが、だからといって子供嫌いとは限らないし、仮に子供が嫌いだとしても、無理に子供を好きにならせようとするとストレスになるので、好きにならせなくても構わないと答えました。 ううむ、この回答者は何もわかっていない。 子供目線になれない人は、まず間違いなく子供が苦手です。 また、人間としても相手の気持をおもんばかることができないといった欠陥がある可能性が高い。 そして、本当に子供が嫌いである場合は、無理に好きにならせる必要はないなんて言ってられません。 そのレベルを慎重に見極めないと。 最近、よく見る母親の恋人による幼児の虐待事件を考えればわかるでしょう。 もう一人の回答者は、子供はすぐに大きくなるのでそれまでの我慢だと言っていました。 5~6歳で早熟な子供だと大人と対等に話すようになるからとのことです。 これは真面目に考えた答えではないでしょう。 そんな子供は多くないし、大体、そういう子供は「生意気」と見られて、余計嫌われる可能
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新しい人生の幕開け…23

卒園式の日は、旦那は出席しなかった。なぜなのか…。それはわからない。仕事でもそういう「式」には参加してほしかった。周りは旦那どころか「祖父母」まで参加していた。また襲ってくる「孤独感」せっかく再婚したのに…。私と一緒にいることが「恥ずかしい」のだろうか子供といることが恥ずかしいのだろうか…。なんだろう。今までの保育園の行事にも参加することはなかった、「運動会」や「夕涼み会」など…。私はいつも「一人」で参加していた。もちろん自分の子供だから苦痛ではないし、成長を見れるのは嬉しい行事。なんだかいつも「シングルマザー」の気持ちでいた。それでもいい、「自分で決めたんだ、この結婚も妊娠も…」そうやって自分に言い聞かせて…。卒園式が終わり家に帰り、息子はそのまま保育園に預けて娘と二人で過ごした。もうすぐ小学校の入学式に向けての準備だ!卒園式から入学式って結構短いですよね💦前から準備は少しずつしていた。自分と同じようにならないように、巾着袋はキャラクターにしたり、なるべく「みんなと同じ」を意識した。入学式の服もその当時は高かったし、もちろんお下がりもない。ランドセルはまだ安いのがあったから1万円くらいのを購入していた。けれど、みんなは結構高いランドセルに驚いた祖父母がいる、って強いな、本当にそう思った。今では色んな色とデザインがあるが、その当時は安いランドセルと高いランドセルの差が大きかった。それでも娘は何も言わなかった…。遠慮していたのだと思う。「言えなかった」が正しいのだと思う。そうして家の問題もあったが時間は止まらず、娘は入学した。入学式は旦那は参加した。けれど、他の親御さんたちに「挨
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新しい人生の幕開け…7

家に着いた。彼は、そそくさとなにか準備し始めた。「これからどこかに行くの?」と聞くと「仕事」と答えた。え?婚姻届け一緒に出しに行ってくれるんじゃないの?という言葉と気持ちを飲み込んだ。「明日出発かと思ったよ…気をつけてね」「うん」とだけいい、彼はさっと仕事に行ってしまった。私だって…一応○○の日記念日だから~とか言ってみたかった。他のカップルと同じように…。それにいつ出してとか、○○日出してとか全く婚姻届けを出す日すら何も言われていないし相談もなかった。これをどうしたらいいんだろう。彼に電話して聞いてみることにした。「一緒に出しに行こう」…その言葉を期待して。彼はすぐに電話に出た。まだ近くにいる時間だ。「あのさ、婚姻届け…どうすればいい?」そう聞くのが精一杯だった。「あ、出してくればよかったなー…。まだ日にち書いてないもんな。俺もまたいつ帰れるかわからないしな…。」「………」無言になってしまった。私が勝手に出すようなものではない。いくら証人が揃っても…。彼の気持ちがわからなくなった。なんのために同僚までお願いして証人を書いてもらったのか。無言でいる私に彼は言った「お前、都合のいい時出しておいて!で、出したら教えて」と…。一番聞きたくない言葉だった。「私が結婚記念日になる日を一人で決めるの?」とちょっと突っ込んで聞いた。「しかたないだろ、俺は仕事休めないし積み下ろしの時間も決まってる。俺が帰ってくる日に役所が開いてるとも限らないし、帰ってからは休みたいし…長距離運転手の嫁はそういうもんだ」と返ってきた。私の知っている限りでは長距離の旦那を持つ人はいなかったからわからなかった。知っ
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新しい自分へ…20

初めて3人で買い物に行った。娘はとても喜んでいた。けれど一つ気になったことがあった。3歳くらいの年齢だと「お菓子」や「おもちゃ」をねだるものだろうが、全くねだらなかった。私はふと気になり、わざとお菓子コーナーに向かった。「何か食べたいものある?」と聞くと娘は、黙って「アンパンマンチョコ」を指さした。「チョコかぁ!いいね!カゴに入れていいよ!」というとニッコリしてカゴに入れた。そうか…。施設ではそういうこともできなかったからか…。好きなお菓子がいつでも食べれるわけではない、そして選べるわけでもない。その施設ではある日ご飯に「もずく」がでたそうだ。娘は一口食べて「吐き気」がしたため食べ進めることができなかったそうだが、それを見た施設の人はこっぴどく娘を叱ったらしい。それから「もずく」は家では出さないようにしていた。好きなものの食べられなければ、嫌いなものは怒られる…。子供にとってどんなに苦痛だったろうか…。少し私たちの生活や保育園に慣れるまでは「自分の意見を言える」ように練習させようと思った。そうしてアパートに着き、娘と彼は一緒に居間で遊んでいた。その間私がご飯を作る…。もはや「絵にかいたような家族」だった。もちろん、下の息子のことを忘れているわけではない。確実に前に進んでいる。全員がそろってご飯を食べるまで、もう少し!私はより一層チカラがみなぎった。夜ご飯が出来て3人でゆっくり食べる食事は本当においしかった。テレビを見ながら話しをしたり、娘が「見たい」というアニメを見たり。彼と娘は私のご飯を「美味しいね!」といってペロリと食べてしまった。私が娘に「お風呂入るよ~」というと娘は「お
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10分の遅刻⑧

ある朝、私は 学校に10分ほど遅刻してしまいました。 両親は共働きで、 朝早くから家を出ているため、朝はいつもいません。 代わりに祖父母が私の世話をしてくれていたので、 強く怒られることもありませんでした。 その安心感からか、私はテレビを見ながら あの日も、のんびりと支度をしていました。 怒られることも、 急かされることもない。 少し、気が緩んでいたのかもしれません。「遅刻してしまった」それだけで、少し胸の奥が、そわそわしました。 先生に怒られるかもしれない。遅刻が両親に知られたら、叩かれるかもしれない。そう思うと、 自然と足は速くなっていました。少し遅れただけなのに、通学路には子どもたちの姿はありません。もともと人通りもほとんどない道を、私は一人で歩いていました。そのとき―― 突然、私の左肩に何かが触れました。 驚いて左肩の方を見ると、大人の大きな手が私の肩に置かれています。 驚いて、恐る恐る見上げると__私よりずっと背の高い、 知らない男性が立っていました。 その男性は、にやりと笑い、私を見下ろして言いました。「遅刻したの?」 私は、驚きすぎて声が出ず、小さく頷くしかできませんでした。 足を止めることもできず、肩に手を置かれたまま、なぜか私はその男性と一緒に学校の方へ歩き続けました。 何か話しかけられていましたが、 怖くて、ほとんど耳に入ってきません。 知らない男性にこんなふうに話しかけられたことは今まで一度もありませんでした。体も心も硬直し、何が起きているのか分からないまま、頭の中は混乱していました。途中で、若い会社員風の男性とすれ違いました。 その人は、 私たちの異様
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死にたいと思っていた、幼稚園時代③

4歳のとき、「幼稚園に行きたくない」と一度だけ勇気を出して、両親に伝えたことがあります。すると母は、自分の仕事をわざわざ遅らせ、私の手を引っ張り、私を引きずるようにして、園の送迎バスが待つ場所へ連れていきました。あの時、私は初めて親の前であんなに泣いていた気がします。泣いていたけれど、何も喋れない。母は私に、「先生や幼稚園に、迷惑がかかるから!」そう怒鳴られ、私は無理矢理、幼稚園のバスに乗せられました。バスに乗った時には、全てを諦め、泣き止んでいました。その光景を見ていたバスに同乗していた先生も、何か声を掛けてくれる訳ではありません。その経験があり、幼稚園には「行かないといけない場所なんだ」と、思い込んでいたのだと思います。幼稚園の頃、塾に通っていたこともあり、私は簡単な字を、読み書きする事ができていました。家にあった勉強用のノートに、鉛筆で何度も、何度も、「しにたい、しにたい」そう殴り書きをしていました。書いたページはちぎって、ぐしゃぐしゃに丸め、ゴミ箱に捨てていました。両親は家事をほとんどせず、ゴミに気づくこともありません。ゴミの日に、ゴミを捨てるのは、いつも祖父母でした。だから、その紙にも気付かれる事は、なかったのです。私が「死にたい」と思っていることは、両親に気づかれることは、ありません。「死ぬ」ということが、どうゆうことなのか、深く理解していたわけではありません。でも、死ねば幼稚園に行かなくてもいい。それだけははっきりと分かっていました。ただ、4歳の私には、死に方がわかりませんでした。家の前の道路の真ん中に寝そべり、車が来るのを待つ。でも、運転手さんが直ぐに寝そべって
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幼稚園の先生に壊された日②

私は、あの日のことを今でも生々しく覚えています。幼稚園の教室で、みんなと円を作って、椅子を丸く並べて座り、先生の話を聞いていたときでした。突然、先生が教室中に響く大きな声でこう言いました。「みんな~!みとちゃんは喋れなくて、 気持ち悪い病気だから、うつるから近づかないでね~」 その瞬間、教室の空気が凍りつきました。周りの子どもたちが一斉に、私を見ました。私の両隣に座っていた子は、 椅子をずらして離れていき、 私の周りには、空間ができました。 私は、何が起きているのかわからず、ただ苦笑いをすることしかできませんでした。 先生の方を、ちらっと見ると___ さげすむような目で、ほくそ笑んでいました。あの表情だけは今でも一生、忘れられません。それから私は、クラスで完全に一人ぼっちになりました。「気持ち悪いから、こっち来ないで!!」毎日のように先生や周りの子から言われ、避けられました。 行事で誰もやりたがらない役目があると、 「おまえが行けよ」そう言って、棒みたいなもので、背中を押されることもありました。幼い私には、なぜ嫌われているのか、分かりませんでした。ただ、こう思うしかなかったのです。「私は喋れなくて、気持ち悪いんだ。病気なんだ。」 泣くと、もっと嫌われる気がして、私は泣きませんでした。何も言わず、苦笑いをしながら、息を止めるように耐えていました。 耐えることしか、幼稚園児の私には分からなかったのです。先生のいじめは、さらにエスカレートしました。「喋れないし、頭がおかしいから、病院に連れていく」 「頭を手術してもらえばいい」 そう脅され、幼稚園の階段から、突き落とされそうになったこ
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家族のこと_深夜、裸足で外へ出されて①

幼稚園の頃、私はほとんど喋らない子どもでした。 喋り方が、分からなかった。 何を話せばいいのかも、分からなかった。 自分から誰かに、話しかけた記憶はありません。 話しかけられても、小さな声で短く返すだけ。 当然、友達もできませんでした。両親は共働きで、 家にいる時間はほとんどなく、 その代わり、祖父母が毎日のように家に来て、 家事と、私の世話をしてくれていました。 参観日も、遠足も、運動会も、 そばにいたのは祖父母でした。 幼い頃の記憶に、 両親の姿はほとんど残っていません。 当時は残業が当たり前の時代。 両親は朝早く出て、夜遅く帰る。 私が起きている時間に、 顔を合わせることはほとんどありませんでした。「家族で過ごした時間」そう呼べる記憶は、ほぼありません。 唯一、家族が揃う日曜日。 それは安らぎの日ではなく、私にとっては緊張の日でした。 働きづくめで疲れ切った両親は、 昼過ぎまで起きず、家事もされないまま、 祖父母が来ない日の家は、 すぐに荒れていきました。 そして、 些細なことで手が飛んでくる日でもありました。 その頃から、 私は「大人は怖い」と感じるようになります。 両親とは話さず、友達もいない。祖父母も多くを語る人ではありませんでした。 言葉を使う機会そのものが、 私には、ほとんどなかったのだと思います。 両親は2人とも真面目で、教育熱心な人間でした。 幼稚園の頃から塾やピアノなど。 休みの日は、家でも両親から、厳しく指導されていました。「期待」されていたのだと思います。でも、うまくできていないと、 頭や顔を何度も何度も 叩かれることがよくありました。 顔は真っ赤、鼻
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新しい人生の幕開け…19

旦那も新しい職場で慣れてきた1か月くらい経ったであろうか。旦那も私も「新しい仕事」に対して、一生懸命だったと思う。時間も休みもバラバラになってしまったが、みんなが顔を合わせる時間は増えたと思う。もちろん会話も増えた。会話が増えると共に「喧嘩」も増えてきたと思う。そんな大きい喧嘩ではなかったと思う。喧嘩の原因は、やっぱり「金銭問題」だった。それまでは旦那が35万前後、私も同じくらいの収入があった。二人で65万以上の収入があったわけだが、旦那も新人というのもあってか、旦那の収入は15万ほど…私はパートだから6万ほどに落ちていた。それでも保育料は二人で月5万、家賃5万、車のローン5万、公共料金3万、携帯料金二台3万(昔は高かったです)。もう無理ですね…。まずは「保育料」を今の収入を市役所に提示して保育料を下げてもらったりした。そんな話もしているのに旦那は、あっけらかんとしている。ちょっと話そうもんなら「無言」を貫いていた。貯金もそんなにない…。前回の無職の時などで使ってしまっていた。失業期間にも補填してきた。旦那のお義父さんにもお金を借りたりした。……もうだめか…。そう思ったが、旦那に相談してもどうにもならない。お金の問題だけは誰にも相談できない。どうしよう…。一人で悩む日々…それでも日常は止まることなくやってくる。子供たちにもたべさせなきゃいけない保育園に行くには車も使わなければいけない。もうガソリンさえままならないくらいに貧困状態になっていた。そこでハッと気づいた。旦那は自分のファミリーカーで仕事に行っている。それを私の「軽自動車」で通勤してくれないか、と提案した。ガソリンだって
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70 親を選べない子ども 虐待されても「親を選ぶ権利」は認められないのか

親を選べない子ども 虐待されても「親を選ぶ権利」は認められないのか  子どもへの身体的虐待やネグレクト(育児放棄)により、痛ましい結果になった事件がたびたび報じられますが、こうしたとき、親が意識や行動を変えるか、周囲が救いの手を差し伸べない限り、子どもが自分の意思で身体的虐待やネグレクトから逃れることは困難です。一般的に「子どもは親を選べない」と言われますが、実際はどうなのでしょうか。子どもの権利・法律問題に詳しい、佐藤みのり法律事務所の佐藤みのり弁護士に聞きました。 実親との親子関係解消は困難 Q.現行の法律では、子どもが親を選ぶ権利は認められているのでしょうか。 佐藤さん「子どもに『親を選ぶ権利』を直接認めた法律はありません。しかし、児童虐待から子どもを守るため、民法では『親権喪失』(民法834条)、『親権停止』(同834条の2)、『管理権喪失』(同835条)といった親権を制限する制度が定められています。 親権とは、親が子どもを育てる権利と義務のことで、具体的には、親が子どもの身の回りの世話、教育やしつけをしたり、子どもの財産を管理したりすることが含まれます。『子の利益のために』行うことが法律に明記されており(同820条)、虐待は親権の乱用にあたります」 Q.なぜ、子どもが親を選ぶ権利は認められていないのでしょうか。 佐藤さん「全ての人に実の親がおり、さまざまな事情があるにせよ、子どもにとって実の親は大切な存在です。『自分がどのように生まれたのか』は、子どものアイデンティティーにも大きな影響を及ぼします。そのため、法律上も、血のつながった実の親子関係を基本としていろいろな制
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当たるおもしろ星座別12月19日25日の運勢占い

12月12日から18日の運勢占いをおやすみしてすみません。11日に縁結びの神社で朝5時に起きて16時30分までボランティアしたのですが、やばいくらいに筋肉痛になってしまい、おやすみしてました。全国のパワースポットめぐりしても何も変化ない人は、絶対に有名なパワースポットに行くよりも、どこか好きな神社で掃除のボランティアなり、参加したほうがご利益出ますよ。実際私がボランティアした神社は過去にボランティアが縁で知り合って結婚した人も多いそうです!しかし、この日は一番大変な日だったからか、独身の男性はいませんでした(´;ω;`)藁をはこんで藁をしばって、竹串をとんかちで叩いて門松作ったり、門松ピーリングしたり、雑草抜きとか落ち葉拾いとか広い神社なのでとても大変でした(;'∀')家族で参加してる人が1組いて、夫婦で仲良く参加するなんて羨ましいと言われてました。私もそんな旦那さん欲しいと思ってたら、他の主婦の方が「貴方の旦那さん、ずっとにこにこしていて、良い人そうだし、ボランティアまで一緒に参加するなんて完璧で仲良しでうらやましい」と言われたら主婦「内弁慶ですよ。家ではぶすって呼んでくるし・・・」ボランティアの人「えーそんな風にみえない。ずっとにこにこして愛想よい。本物のぶすにはぶすって言わないからジョークよ。可愛いの裏返しよ」とか言われてましたが。私も一緒にボランティア参加する旦那さんいいなと思ったけど、モラハラの人って外面が超イイから、モラハラなんだろうか・・それとも嫉妬されないための謙遜なんだろうか・・・モラハラだったら怖い(;'∀')。てか、ジョーダンでも奥さんをブス呼ばわりする人
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新しい人生の幕開け…12

仕事を辞めようと思う…。それは突然のことだった。「え?なんで?」と聞くと、『どうやら給料が足りない(長距離の運転手の相場がわからないが以前よりは下がっていた)し、こんなに寝ないで走って帰ることもできないし、なにより社長にイライラしてきた。』ということらしい…。確かに最近の電話は愚痴が多くなってきてはいた。それは感じていたが…。「自分には運転手しか向いていない」とも言っていた。たまに従業員同士のいざこざは聞いていたが、聞いていれば特に旦那は「板挟み」状態のことも多かった。私は反対も賛成もできず「次はどこの会社とかもう決めているの?」と聞いてみた。どの業界もそうかもしれないが、「情報網」みたいなものは回っているらしく今までも色んなトラック会社の名前を聞いていた。すると旦那は「いや、毎日家に帰れる仕事がしたい」という。私はビックリしたが、嬉しかった。それが現実になるかどうかは別として…。旦那はそれから相当悩んだと思う。今仕事を辞めたら…家を買うということも遠くなる。けれど、それは言えなかった。私の仕事は順調だったが、旦那の借金を返済したため「貯金」はほぼない状態だった。もう半年くらいで娘が小学校に入学する時期に、タイミングが悪い…。もう旦那の両親に期待はできないし、そもそも期待してはいなかったから世間的にいう「ランドセルはおじいちゃん、おばあちゃんから買ってもらう」ということはできなかった。子連れの再婚がこんなにも辛いものだなんて…。私の親とは絶対つながりを持ちたくないから何も言えないけど。子供たちに「おじいちゃん、おばあちゃん」という存在を持たせてあげたかったのは自分のエゴかもしれ
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新しい人生の幕開け…6

彼に、いつ言おうか迷っていた。電話でする話ではない。私の感情はバラバラだった。ここまで来たのに…。彼も凄く頑張ってくれたのに…。同情だけでは絶対できないことまでしてくれたのに…。やっぱり相手も自分も子供たちも「不幸」にするのはいつも「自分」幸せだった。そんなことを思っていた、その日の夜。彼から電話がきた。私はドキッとした。彼は相変わらず「何してた~?」とノーテンキな話し方をする。私はいつも通りに接することにした。なにせ彼は運転手だ。事故に遭われたら大変だから。普通に日常のことや子供たちの話などをしていると珍しく彼が「そういえば婚姻届けのことなんだけどー」と切り出してきた。私はまたもや「ドキッ」とした。触れないで置こうと思っていたからだ。私は「うん」としか答えられず黙ってしまったが、彼は続けざまにこういった。「俺の運転手の仲間に証人になってくれるって人がいてさ!別にだれでもいいんだろ?親族じゃなくても!」と一気に話された。私は「え?なんで?どういうこと?」と聞き返してしまった。彼は「どういうこともなにも、お前に身内もいないのはわかってるし、今始めたばかりの保険屋で証人になってくれる人いないだろ、だから俺が探しておいた。」というのだ。私は、心底「また迷惑をかけてしまった」と思った。だから私は「ありがとう…けどそれには甘えられないよ。言おうと思ってたけど、入籍諦めようと思ってたんだ…。」と言ってしまった。我慢ができなかった。彼にばかり負担をかけてしまっている自分が惨めで情けなくて、不甲斐なくて迷惑ばかりかけている自分に彼の職場の人まで巻き込むなんて…。それを聞いた彼は「なに言ってんの
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新しい自分へ…21

娘を引き取ってから初めての「登園」。事前に保育園の先生や園長先生からはとても温まる言葉をもらっていて、本当に救われた。「お母さん、よく頑張ってきましたね…、これからはお母さん一人で頑張らないように私たちを頼ってくださいね!」と…。保育園の準備はまだ完璧とまではいかなかったが、先生たちは「少しづつでいいから」と言ってくれていた。登園当日、娘はやや緊張していたようだが、なにか様子が変だ…。娘を保育園に預けて仕事に向かおうとすると、娘は急に「行かないで!」と泣き出したのだ。先生もビックリした様子だったが、「そうか…ここも施設と同じだと思っているのか…。」とすぐに察することができた。だから私は「ちゃんと夕方迎えにくるよ!約束!」といい、指切りをして、まだグズグズ泣いている娘を先生に預け、私は仕事に行った。私は「しばらくは保育園の迎えの時間を早い時間にしよう」と思った。幸い、「保険屋」は時間の自由は効く会社だ。けれど一応、上司にも相談して早めに帰宅させてもらえることになった。心配だけれど、それでも一緒に進んで行くしかない!本当は1週間くらい仕事を休もうか悩んだが、まだ下の息子のこともある…。早めに迎えに行って「本当に迎えに来てもらえる」という安心を持ってもらうのが精一杯だった。その日は15時で会社を出て娘を迎えに行った。保育園に入ると1番に私を見つけて「おかぁさ~ん!」と半分泣きながら走ってきた。「ほら、ちゃんと迎えに来たでしょ(*^^*)」というと娘もホッとした様子で「うん!」とうなずいた。先生に少し様子を聞いたが、みんなの前では泣いたり困らせることはなかったと…。娘ながらに周りに気を
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新しい自分へ…19

娘を引き取る準備はできている。アパートに帰って足りないものの見直しをして、準備万端!彼は帰ってきてもそんなに家にいる時間は少なかったが細かい気遣いをしてくれてた。引き取りの日も一緒に迎えに行ってくれるという話になった。引き取りまで時間はすぐ過ぎた。引き取りの朝、私は今日は娘の好きなものをたくさん食べさせてあげよう!そして、好きなことをさせてあげよう!彼の車で娘を迎えに行った。娘は面会部屋で施設の人と待っていた。娘は走って私に駆けつけてきた!私は「帰ろうね」といい抱きしめた。彼はほんの少ししかない娘の「荷物」を車に積んでくれていた。私は施設の人に挨拶をし、お礼をいい、施設の外観を少し振り返りながら施設の門を閉めた…。娘と手を繋いで…。彼と娘はもう仲良くなっていたから、なんの抵抗もなかった。そして、娘に「なにが食べたい?」と聞くと「お母さんの料理!」と言った…私はファミレスなどを想像していたからビックリしたけど嬉しくなった。「じゃあ、何が食べたい?お母さん作るから!」というと「ポテトサラダと煮物!」と答えた。家に材料がなかったからみんなで買い物に行くことにした。
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虐待されてました。

★母親との地獄の日々は生まれた時から私はずっとケガが多かったそうです。 皿が落ちてきてケガをしたなど 母親といる時だけ ケガをしたとのことでした。 ★5歳で拒食症と過食症になりました。私は拒食症に5歳でなりました。 無理やり口にねじ込まれました。 今度は過食になり、 太ったからと 何も食べさせてもらえませんでした。 お腹がすいた私は、 キッチンにおいてある買い物財布から ばれないようにお金を抜いて スーパーに駆け込んでました。 見つからないように 食べるのが精一杯でした。 誰も味方はいない それでも 母親を守ろうとしました。 ★突然の別れアル中で精神障害を患うようになった母親が ある日癇癪をおこし暴れました。 そして、突然出ていきました そのまま、離婚になりましたが、 「子供は私のことが好きなのだ!」と 調停でも暴れ、私を連れ去ろうとしました。 ある日、私を手なずけようと菓子パンを持ってきました。 何も食べさせようとしなかったのに! 私は怒りに任せ、 去り際に車に乗った母親のフロントガラスに 「こんなのいらねーよ!」 と叩きつけました。 それが最後になりました。 ★相続調停で母親の死を知る 後年、母親は亡くなったと 母親の再婚相手から来ました。 その時も返事がなく 和解ができず 弁護士を雇い、調停になりました。 調停の場であらわになったのは 代理人のある士業の方が 「私に逆らうのは許せん!」と 和解の手紙も再婚相手に見せず 無視をしていたという理由だったそうです。 私は椅子から落ちそうになりました。 その理由だけでなく、 死んでもなお私に迷惑をかけるのか そんな思いでした。 ★
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ここまで読んでくださった方へ__場面緘黙症という言葉⑥

”場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)”という名称があります。家などのリラックスできる場所では話せるのに、 幼稚園や学校、職場など、 特定の社会的な場面になると、 声が出なくなってしまう状態のことを指します。 それは決して、 「内気な性格」や「人見知り」ではありません。強い不安によって脳がフリーズし、 体がすくんでしまう 「不安障害」の一種とされています。私が幼稚園で話せなかったのも、これがあったのかもしれません。もしかしたら、同じような経験をしてきた方も、いるのではないでしょうか。「こうゆう名前がある」と知るだけで、少し心が軽くなる方もいます。ーご感想を教えてくださった、ご相談者さまへー一昨日と昨日、相談を頂いた最後に、「ブログ、読んでいます」と、別々の方が、電話口で伝えてくださいました。直接、声で感想を聞けたこと。凄く嬉しかったです。正直、重く暗い内容のブログを読んだと伝えるのは勇気がいることだと思います。掛ける言葉にも迷いますよね。それでも伝えてくださったことに、心から感動しました。「書いていてよかった」と、本気で思えました。本当にありがとうございます。このブログを書くことには、私なりの意味があります。その理由も、少しお伝えしました。こうして受け取ってくださる方がいることが、何より励みです。このブログを読んで、ご自身の過去と重ねたり、似た経験を思い出したりする方もいるかもしれません。もし何か、私にできることがあれば。お話を聞けることがあれば。そう思っています。相談を聞く側として、表面だけ合わせることも、その場しのぎの言葉を選ぶことも、きっと簡単です。心理学的な答えや、マニュ
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私に期待していた両親が、涙した日⑤

幼稚園を卒業し、小学校に入学する前の春休み。私は、穏やかな日々を過ごしていました。もう幼稚園に行かなくていい。誰にも虐められない。それだけで、私の世界はとても静かで、平和でした。ところが、ある日の日曜日。自宅に一本の電話がかかってきました。電話はリビングにあり、私は電話のすぐ近くにいました。電話に出た母が、「ええっ・・・・!!」と、驚いた声を出し、その直後に聞こえてきた、すすり泣き。なんだか聞いてはいけない気がして、私は廊下に出て、息を潜めました。電話の相手は、あの幼稚園の担任でした。母は泣きながら、リビングにいた父に、電話の内容を話していました。私は、ただならぬ予感がして、その場から逃げるように、自分の部屋に閉じこもりました。「私のせいで、お母さんが泣いている。」「親に迷惑を掛けてしまったかもしれない」「また、怒られる」それしか、頭にありませんでした。しばらくして、目を真っ赤にした母が、私の部屋に来ました。そして、母はこう言いました__・娘さんは、幼稚園で一言も喋れなかった事 ・原因は、障害かもしれない ・普通の小学校に通えるか心配 ・一度、病院で診てもらった方がいい ・「私自身も、とても苦労しました」と、電話口で担任が泣いていた という内容でした。 電話の内容は、 今でもはっきりと覚えています。 その話を聞いている間、私は、恥ずかしくて悔しくて、何も言えず、ただ下を向いて聞いていました。でも私は、幼稚園で、”話せなかった”のではありません。幼稚園で、”喋らなかった”だけです。当時は今より、障害への理解が薄い時代。世間体を気にして、私に期待していた真面目な両親にとって、それは
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愛のある男

子供を育てていると、人間がどのように意識が形作られていくのか、その後どのような人生をつくりあげて歩んでいくのかという一連の流れがみえるようになるのが良いところだと思う。 「こどもを育てる」ということだけに目的を絞ると、それはめちゃめちゃ労苦でしかないけど、子供によって多くの学びを与えられて、自分だけでは超えられない意識の限界を突破させてもらえることにありがたさや喜びを感じられるならば、子育ては本当に最高の修行場だと思う。 学校で問題を起こしている子供とそうでない子供の差は、はたからみると歴然で、いじめ、意地悪をしにいく子供は、例外なく、自分の親にいじめ、意地悪をされて育った子供である。いじめられる子供も、親に圧力をあたえられて、抵抗できないで育った経験のある子供で、この両者がそろってはじめて「いじめ」が成立する。 そもそも算命学では、加害者と被害者は、陰陽であると考える。つまり、片方だけがいた場合は、何事も事件は成立しない。同じ意識次元の極をつくる両者がそろって初めて、物事は成立すると考え、どちらが悪いというようなことは判断しない世界なのである。つまり、原因のない被害者はいないし、原因のない加害者はいないのである。 つまり、親が、子供のこころを尊重したり、人権に配慮したりして育ててこなかったからこそ、いじめる子供はひとを大事にするということが、本質的にどういうことなのかがわからない。子供のまちがった認知が外に出ているわけなので、親とのやりとりがどのようにあってそうなったのかまで見ないと、その子の本質は見えてこない。ちゃんと聞き取れば、過去のその子との関わりの中で発生した親の人格
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新しい人生の終焉…2

Rさんが、夜にも関わらず、とんできてくれた。もしかしたら、「人の不幸」を興味本位で来たのかもしれない。それでもよかった。そんなことを考えられる余裕などはなかった。Rさんは「二人で話なさい」と子供たちの面倒を見てくれていた。私はRさんが来てくれたので安堵したのか冷静になった…。けれど私の怒りが修まったわけではない。旦那と二人で向き合って話をした。どこで知り合ったのか、いつからなのかなど色々…。知り合ったのは当時流行っていたゲームアプリ。半年くらい前からだそうだ。それって…ディズニーに行くかという話があったあたり…。その間には旦那は「家族ゴッコ」をしていたのか…。私たちと…。もう頭がパニックというか真っ白になった。頭が真っ白というのは、こういうことを言うんだなと、どこか他人をみるように冷静だった。子供たちにもずっと「お父さん頑張って仕事をしているから学校にいけるんだよ」とずっと言い聞かせていた。子供たちの前で一切「自分の稼ぎで」と言ったことはない…。私も前の旦那で少しでも学んだつもりだった。今の旦那に尽くしてきたつもりだった…。仕事中の急なお弁当、給料が少ないと私が借金していたこともある。舅姑、お墓まで全部させてもらったと自負している。旦那の顔は立ててきたつもり…。「うつ病」のことだって何にも言ってくれなかったから病院にもほとんど行ってない。私が何をして「他の女性と一緒になりたい」と思ったのか、そして何を思って家に帰ってきていたのか…。私と子供たちだけが「我慢」していたのか…。どんなにお金がなくても…どんなに子供たちはお父さんに会いたくても…。怒りも沸いたが、虚しくもなった。けれど
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新しい人生の幕開け…13

旦那は翌日ハローワークに行って面接の日どりを決めてきたようだ。旦那は求人票を私に見せてきた。……。「職種/営業・外壁のリフォームのアポイントのルート営業」「給与/35万以上可」私はバカにされている気分だったから「やれるやらやれば?」と言った。旦那は結構浮かれている感じだった。そして、面接当日、旦那はいつもは作業着だったのだが面接にはスーツで行った。ネクタイの結び方すらおぼつかない手つきで…。数時間経ってから旦那が帰ってきた。「俺、あんな会社の面接は初めてだ!みんなスーツ着てるし現場にも車で送迎だって!」と息巻いていた。結果は数日後にきた。「採用」旦那はすごく喜んでいた。今までやったことのない職種なことと給料、そして「ラク」な仕事だと思っているし、スーツを着る仕事など初めてらしい。ウキウキしていた。仕事初日…どんよりした顔で帰ってきた。まず子供たちのことをしてから旦那の話を聞くことにした。私は二階から降りて旦那のところにいった。旦那は難しい顔をして、紙を見ていた。なになに??「ロープレしてこいって言われた…。」「あ~そうなのね!営業なら普通だからね」とチクリと言ってやった。そして旦那が見ていた紙を見ると…。A4サイズにちょこっとだけ書かれた営業用の挨拶やアポイントを取るための言葉が並べられていた。「じゃあ、それ読んでみて」というと、ぎこちない言葉で話し始めた。そして「会社の人、これ暗記してこいっていうんだよ、いくら見ても覚えれない!」とダダをこね始めた。「え、これくらい普通だし逆になんで覚えれないの?少ないくらいだけど」と言った。そして何度かロープレをしたがとてもじゃないけど、営
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新しい人生の幕開け…4

入籍はまだしていなかった。子供たちを引き取るのが最優先だったから。そうしているうちに半年の年月が経っていた…。子供たちもスッカリ保育園や生活に馴れ、私も順調に仕事をしていた。仕事は思ったより順調で、今までは貰ったことがない給料の額になっていたが、私は今までと同じ生活をしていた。そして密かに「貯金」をしていた。子供たちがこれから小学生になるときの「準備費用」として貯めていた。なんでも彼には言えなかった…。かといって信用していないわけではない。どこか「迷惑」だと思っている自分がいた。日々の生活は彼の給料と私の給料で生活していた。それでも月に20万円くらいは貯金できていた。ある日彼が仕事から帰ってきたときに思い切って聞いてみた。「入籍、どうする?いつにする?」と…彼は「あ~、忙しくて忘れてたな…」と…。入籍って忘れるものなのか、とも思ったが言えなかった…。彼は続けてこういった「今度帰ってくるときに入籍するから婚姻届け、もらってきて」と…。私はなんだか腑に落ちなかった…。それは「しょうがない」という感じがしたからだ。疲れているのかもしれないが、私は再婚になるけど彼は初婚。なんだか私だけが「浮かれている」と思ってしまった。元旦那も「プロポーズ」なんかなかったから、ちょっとは期待した。それと共に「フラッシュバック」のような感覚に陥ったが、すぐにその記憶は自分の中で消した。私は彼の言葉に「うん」としか返せなかった。翌日、私は市役所に行き「入籍届」を取りに行った…。本当はこれって二人で取りに来たかったな…。その気持ちを抑え受け取った…。仕事から帰り子供たちにご飯やお風呂、そして寝たのを見計らっ
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小学校生活6

そんな中、5年生のPTAがあった。授業参観日、という嫌な日。その日は父は参観日には来ないことになっていた。時間になると続々くる母親たち授業が始まったその先生は何を思ったのか「自分の席に立って自分の名前とお母さんの名前と趣味をいいなさい」といった。もちろん、私には母親がいないことはわかりきっていることである。どうしよう…頭が真っ白になった…他の親もいる…なんて言おう…母親の名前…他の人は張り切って自分の名前と母親の名前と好きなことを言って座った…。やばい…自分の順番がくる…とうとう自分の順番になった自分の名前をいい…その後、なにを言ったらいいのか、なんて言ったらいいのかわからなくなった。ただ悔しくて、苦しくて、辛くて、涙がでた。その光景を先生は、ニヤリと笑いながら見ていた。数分後…「もう座りなさい」と言われて座った。周りからはクスクスと笑い声が聞こえた。その日の授業参観は、なにをしたのか、もう覚えていない。多分、記憶から消したかった。けれど、それだけは今でも消えない。私に対するイジメはもう、誰も助けてはくれない。その傍らで、母親が毎日のように電話をしてくるそして、私は誰かに聞いてほしくて母親にいじめられていることを話した。母親は、「お母さんがいないせいでイジメられたんだね、辛かったね、ごめんんね、学校なんて行かなくていいよ」と言った。学校に行かないのは「負け」のような気がしたから、学校に行かない選択肢はなかった。父に学校に行かない、なんて言えるはずがない。そうして12月がきた12月と言えばクリスマス。クリスマスは私にとっては、そんなにうれしいものではなかった。頼んだものを買っても
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虹色の蟹⑬

二年生になり、気がつくと、あれほど続いていたいじめは、いつの間にか、なくなっていました。そして私自身の、あの頃の異様な行動も、いつの間にか、なくなっていました。きっと、いじめをしていた子どもたちも、異様な行動をしなくなった私に、飽きてしまったのだと思います。もちろん、あの出来事を忘れたわけではありません。心のどこかには、ずっと残っていました。そして表面上は静かな学校生活が、また始まりました。そんなある日、思いがけない出来事が起こりました。私が図工の時間に描いた「虹色の蟹」の絵が、学校の中で表彰されたのです。そしてその絵が学校の廊下に、飾られることになりました。自分が描いた絵が、みんなが通る場所に飾られている。それは、私にとって初めての経験でした。嬉しくてたまらなくて、特に用事があるわけでもないのに、何度もその廊下へ行きました。そして、誰にも気づかれないように、そっと、自分の絵を見上げていました。「私が描いた絵・・・」そんなふうに思いながら、少し離れたところから、何度もチラチラと眺めたりもしていたのです。目立たないように、静かに過ごしていた二年生の生活。その中で、この出来事は、私の心に小さな光を灯してくれました。そして、このあと__私の人生を少し変えることになる、ある出会いが訪れます。mito
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小学生になって、初めてのお友達⑦

小学一年生になった私は、幼稚園の頃と同じように、とても静かな子どもでした。 「先生」という存在は、私にとってとても怖く、頭に浮かぶのは、「怒られる」というイメージばかり。 先生の前では声が小さくなり、 自分から話しかけることもできませんでした。 一年生の担任の先生は、 決して怖い人ではなかったと思います。 それでも私は、「先生=怖い」という思い込みを、 そのまま持ち越していました。そんな私にも、初めて「お友達」と呼べる存在ができました。 同じように、とても静かな女の子でした。業間休みになると、外で走り回るよりも、 教室に残って、一緒に絵を描いたり塗り絵をしたり。一緒に外へ出て、 花壇の花を眺めたり、 ブランコに並んで座ったり、 小さな声で、ぽつぽつ話したり。 お友達のお家に行くこともありました。お友達のお母さんに優しく迎え入れられ、彼女のお家でも、穏やかに楽しく過ごしていました。初めての友達。初めて知らないお家に、お呼ばれ。そして、初めてニコニコしながら、同じ年の子どもと、おしゃべりをする。何もかもが新鮮で、他の子どもとは相変わらず、話すことはできませんでしたが、安心して学校に行っていたと思います。お友達と二人で過ごす時間は、とても穏やかでした。幼稚園の頃とは違い、先生から暴言や暴力を受けることもなく、誰かに、いじめられることもありませんでした。 決して明るく目立つわけではなかったけれど、この平凡で静かな日々は、私にとって、とても大切な時間でした。 家ではずっと両親はとても厳しく、 深夜に家を追い出されたり、叩かれることは続いていました。 それでも、幼稚園の頃と比べれば、 心は
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幼稚園の卒業アルバムを黒く塗り潰した日④

年長さん。卒園の頃。幼稚園の卒業アルバムが、卒園式の前日、みんなに配られました。でも、私にとっての卒業アルバムは、どうでもいいものでした。きっと、みんなは家に帰って、「見て見て」と親に見せたのだと思います。でも、私は違いました。アルバムを持って帰った日、両親に見つからないように、自分の部屋の、机の引き出しの一番下の奥に、そっと隠しました。アルバムを、見られたくなかったのです。暗い表情の自分が、たくさん写っている写真ばかり__両親に見られて、幼稚園で先生やみんなに、虐められていることがバレそうで、そしてきっと、「お前が悪い」と怒られる。そう言われる気がして、どうしても見せられませんでした。両親は忙しく、私のことも、卒業アルバムのことも、何も聞いてきませんでした。アルバムの中には、私を無視して避けていた同級生たち。そして、一番見たくない担任の先生の顔。それが、ずらりと並んでいて、ページを開くたび、胸がぎゅっと苦しくなりました。アルバムは、思い出の記録ではなく、幼稚園時代の傷を、一つずつ並べたものにしか見えませんでした。気づくと私は、黒いマジックを握りしめ、みんなの顔も、先生の顔も、次々に黒く塗りつぶしていました。気づけば、アルバム全体は、真っ黒。自分の顔まで、黒く塗りつぶされていました。なぜ、自分の顔まで塗りつぶしてしまったのか__それは、自分の顔も、存在も、「気持ち悪い」と思っていたからです。どんな心境だったのかは、幼すぎて、今となっては分かりません。ただ、幼稚園時代をなかったことにしたかった。見てしまえば、あの時のことを思い出して、また傷つく。そう思っていたのかもしれません。幼
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当たるおもしろ7月17日から23日の星座別運勢占い

りゅうちぇるのご冥福をお祈りいたします。海水浴って7月1日からオッケイなんですね。もっとはやく海水浴行けばよかった・・コロナで色んな薬飲んでしまったから砂浴して化学薬品デトックスしたいです。先週の星座占いで、天秤座が冥王星+で蟹座がストレス-でフラワーエッセンスが太陽蟹座のエッセンスだったんですけど、有名人のりゅうちぇるとぺこファミリーを例に考えると実は天秤座と蟹座って正反対の価値観の星座で相性がとても悪いんですよね。でも、わがままで正直で内弁慶な蟹座さんにとって、わがままを抑え、他人に合わせ上手な天秤座は魅力的にうつって、天秤座が好きな蟹座さん多いんですよね。天秤座あるあるなんですけど、天秤座の人は一人と長く付き合うよりも、色んな人と仲良くなりたい、人気者になりたいって社交的な人が多いから、いろんな人と仲良くしたいから、我を隠して、他人に合わせ上手な人が多い。風のエレメントの星座なので恋愛向き、生涯独身貴族向きで結婚など家庭向きのエレメントではないんですね。それが天秤座さんの大きな特徴。蟹座さんはたくさんの人に好かれなくていい、友達一人だけでもいいから、性格の悪い部分も本性をさらけだせる、お父さんやお母さんのように自分の欠点も何もかもうけいれてくれる家族や恋人のような人が一人いればいいって感覚それが蟹座さんの大きな特徴なんですよね。蟹座の人が優しくて気を使ってくれる場合は、貴方に心を許してなくて、信用ならない人とみなしています。かに座の人は気に入った相手の前ではものすごくわがままになり、母親や父親にみせる姿をさらけだしてきます。だから、他人は他人、家族とは違うという感覚の人か
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新しい人生の幕開け…42

後日、銀行から旦那に仮審査の結果の電話がきたようだった。旦那から私が仕事中に電話が来た。「仮審査…ダメだって」とひどく落胆した声だった。私は正直ホッとした。「そっか…残念だね…でもしょうがないよね」とは言ったが。まず一つ肩の荷が下りた感じがした。本当は「家を建てる」ってもっとウキウキしたり、楽しんだりして建てるものという感覚だったから…。けれど、その当時の私はとても楽しめるというような気持ちではなかった。これで家を建てることが実現してしまったら、とてもじゃないけど家計が続かないとわかっていた。その当時の旦那の給料は15~18万…。今の時代は可能かもしれないが、その当時はダメだった。そのうえに子供が3人ともなれば銀行も貸さないだろうなと。私が働いてはいるものの「連名」ではないから尚更だろう。さて、まずは一件落着というところですか…。旦那も諦めたというか諦めざる終えなかったので。そうして、そんな忙しい日々を送って数か月が過ぎた。ある日、下の娘が「ディズニーランドに行きたい」と言い出した。そういえば…私も行ったことがないな~とぼんやり考えていた。私がないということは上の子供たちも行ったことはなく…。近々私のボーナスが出る…そのボーナスの金額で行けたら連れていきたいなぁ…くらいに考えていた。それで旦那に夜子供たちが寝静まってから電話をしてみた。「もしさ、ボーナスがよかったらディズニー連れてってくれない?子供たち行きたがってたし…まぁ…いくら貰えるか次第だけど」と…。そうしたら旦那は開口一番「ボーナスがある会社でいいな」と嫌味を言われた。旦那だって最初はボーナスがある会社にはいたのだ。そ
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虐待防止を踏まえた認定こども園の役割

全国保育協議会は12月、児童福祉に詳しい関西大教授の山縣文治氏による「虐待防止を踏まえた認定こども園の役割について」と題した講義を対面とオンラインによるハイブリッド形式で認定こども園研修会を開催した。山縣氏は虐待予防の局面を4段階に分けて提示①発生予防②早期発見・早期対応③重度化・深刻化の予防、回復的支援④再発の予防、フォローアップ、見守り保育施設は②と④での尽力が期待されるとした。③の重度化・深刻化の予防、回復的支援については、「深刻なケースを保育施設職員だけで対応するのは不可能。深入りしないようにして、市町村や児童相談所など専門機関につなぐことが仕事だ」と述べた。また、保育施設職員による園児虐待について、職員間の暴力やこども間の暴力、制度の低水準(職員配置基準)などさまざまな虐待誘発要因を挙げ、「職員個人の資質だけではなく、職員が犠牲になっている可能性もゼロではない」と指摘。組織全体で虐待要因を減らしていくことの重要性を強調したほか、理事会や評議員会をしっかり機能させておくことも大切だ、とアドバイスした。「週刊福祉新聞 12月20日発刊」より引用保育施設職員による虐待のニュースが昨年は続いていました。私の知る保育士の方や保育園・こども園は本当に真剣に子どもに向き合ってくださっている方ばかりでした。しかし、上記にも挙げられているように「職員間の暴力」や「こども間の暴力」「制度の低水準」についても見聞きしていました。保育士の方は皆さんこどもが大好き!という方ばかりです。そうでなければおそらく保育士・幼稚園教諭の資格取得もしないと思いますし、更には過酷な環境の中で務められている様
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新しい人生の幕開け…25

引っ越しできる「貸家」があったようだ。色々考えてはみたが、物件が他にないのでまずは見てみることにした。数日後、引っ越し先の物件を「内覧」することにした。子供たちを学校や保育園に送った後、旦那が電話をしていた。その相手はこれから行く物件の方の不動産屋さんだった。時間は今すぐどうぞ、とのことだったので、すぐ二人で向かった。その家はすぐ着いた。今の家から車で5分ほど。着くと玄関で不動産屋さんらしい人が立っていた。とても人の良さそうな感じがした。建物の外観は…今の家と比べると、それはやっぱり古く見えた。そして軽く挨拶をして中を見せてもらうことになった。玄関は広いな…すぐ右はお座敷か…真っすぐがリビング!!すごい広い!!換気扇もリフォームされてる!窓も大きくていいな!続き間があるのね。便利そう。そして二階や色んな所をみて最後に「お風呂とトイレ」だった。不動産屋さんも申し訳なさそうに「工事したいんですけどね…ここは住宅街で簡単にできないんですよ…」などと言っていた。最初から水洗は可能らしいが、その工事も住宅が密集していると簡単ではないらしい。お風呂はよくアパートなどで使われているタイプの「手動」のガスの「追い炊き機能」そして、洗い場は「石畳」だった。お風呂のドアは「木」でできていた。昭和の木の枠に擦りガラス。その向かいにトイレがあるから擦りガラス越しに誰が入っているのかがわかる。そして旦那と不動産屋さんはとても仲良く話をしているが…パッと私の顔を見ると「キッチンや水場は奥さんのお城ですからね」などと不動産屋さんは話しかけてきた。そうよ、旦那なんかほとんど家事しないし朝晩だけいる人じゃん…と
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新しい人生の幕開け…20

来年、上の娘が小学校に入学する。そんな時、私の急な体調不良…それでも仕事に行っていた。なんだろう…。熱もないしな…。私は幼少期から熱を出すということがあまりなかった。祖母がいうには「うち熱」といって、体温計には出にくい熱を出すそうだ。それでふと、思い出した。「あ、私、そういえば何年か前に『うつ病』って言われたんだ…、そのせいかもしれない」と、私は近くの精神科を受診した。診断された病院はもう遠い。しかもその時は「私がなるわけない」と思ったり、当時彼だった旦那もそんなに気にも留めていなかったから忘れていた。現に、「うつ病」と言われる症状はでていなかったと思う。母親のことや元旦那のこと、色んなことでたまに思い出して動悸がすることはあったけど、それが「うつ病」の症状だとは思いもしなかった。病院に行ったが、精神科は物々しい雰囲気で、病院内は薄暗く居心地がいいとはとても言えなかった。先生に前にうつ病と診断されたことなどを伝えたが、先生は私の顔をみるなり「今までの育成環境」を聞いてきた。はっきりいって、「げっ!」と思ったが、そのまま簡単に伝えた。黙って先生は聞いていた。そして「よく生きてこれましたね」と…。私は「はい?」とキョトンとしてしまった。どういうことだろう…。診察が終わり、薬を出されたが「眠くなるかもしれない」と言われ眠くなられたら…仕事はおろか、子供のことができない。そう思い、薬はその時は飲まなかったと記憶している。けれど、目まいと吐き気が辛くなり、休みの前の日だけ飲んでみた。気持ち悪さや目まいは治まったように感じたが、眠気がすごかった…。車なんて運転できない、と思うほどだった。怖
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毒親地獄からの脱出方法

➊毒親に主にドンナ虐待を受け続けて居たかを、端的に要約して書き出す。 ➋自身の根幹的トラウマが何だったか、ハッキリと再認識する。 ➌2度と自身を同じ憂き目に遭わせ無いと、固く決意し固く誓う。 ➍同じ、又は似た様な酷い言動の人は、即刻に断固として縁を切る。 ➎毒親育ちで不幸でヒトデナシの人格障害者の自分自身が、絶対に必ず100%自分で自分自身に同じ酷い言動をし続けてシマッテ居るので、即時に改め、再発を警戒し続ける。 常に、最凶の敵に成り得るのは自分自身だし、最強の味方に成れるのも自分自身。 これが「地獄脱出ゲーム」と言う名の人生に陥ってる人、「自分の人生を生きられ無いと言う病」に罹って居る人が、先ず最初に果たさ無ければ成ら無い、最重要の緊急ミッションの1つ。 #毒親 #トラウマ #反面教師 #虐め #虐待 #地獄 #魔境 #決別 #起死回生 #自分の人生を生きられ無いと言う病 #加藤諦三
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#3 知っているでしょうか

最近すっかり寒いですねさて突然ですがみなさんに聞いてみたいことがあります「虐待」という言葉をご存知でしょうか?_最近ニュースで良く見かけますよね恐らくこどもを殴る、蹴るのようなことをイメージされたのではないでしょうかそのイメージは大正解です!!ただ「虐待」というのはこどもを殴ったり蹴ったりすることに限りません我々の世界だとこども同士の能力を本人の前で比べたり「○○やってあげるから□□君はこれやって」といった交換条件でこどもを動かしたりするのも虐待と言われていますプロフィールにも書いているのですがなぜ大人は殴ったり蹴ったりするのでしょうか「こどもが一回で言うことを聞かないから」「こどもが嫌い」「こどもも叩いてきたり、蹴ってきたりするから」理由は様々だと思います私はこどもに手を出してしまう最大の理由は「どうして良いか分からないから」だと思っています・おもちゃの片付けをしなさいと 何度も言っているのに片付けない・ゲームを止めなさいと言っているけど止めないこのような状況の時にどう子どもと接したら良いかをどなたか小学校、中学校、高校で学んだ方はいらっしゃいますか?恐らくいないと思いますどうして良いか分からないから力で言うことを聞かせてしまうではないでしょうかこどもの視点で話すと・「おもちゃを片づけなさい」と 言われたことに気づいていないかもしれない・ゲームを止めた後の見通しが持てない 現実世界がしんどくて、逃避しているかもしれないですよねこのようなまずはこどもの行動に「なぜ?」と疑問を持つようにすることを癖づけると関わり方のレパートリーも増えていきそうじゃないですか?お父さん、お母さんは
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新しい人生の幕開け…10

新婚、のような初々しさはなく、ただ淡々と時間だけが過ぎていった。旦那の借金を全額返済し、数年したら家を買う。その一心だった。そして、旦那が帰ってきた時にお世話になっている不動産屋さんに一緒に向かった。そして、不動産の人は何も知らないのでしかたなかったが、旦那は乗り気で引っ越しの話や家賃の話、色々していた。もう話は完全にあの戸建てに引っ越す話になっていた。そこで引っ越しの日どりなどの話が進んでいた。私はわざと「え、引っ越しって私一人でやるの?」というと、旦那は「実家からも手伝いに来てもらうし俺もいるようにする」と言われたので、反対する理由もなかった。引っ越し当日。引っ越しといっても、そもそもあまり「物」がなかったせいもあって案外スムーズに行ったが、来ると言っていた「旦那の両親」が来ていなかった。遠いせいもあるだろうと思ってあまり気にしてはいなかったが、引っ越し先も伝えなければならないのでは?とも思った。なんでこの人(旦那)はこんなにのんびりしているんだろう…。引っ越しは旦那と不動産の人が手伝ってくれた。トラックも出してくれた。そのおかげで1往復と少しで荷物の搬入は終わった。天気も良くて引っ越し日和だった。その物件にあった物などは使わないものは不動産で持って行っていく、というので差し当たり見た感じで使えなさそうなものは持って行ってもらった。さて、やりますか!子供たちが帰ってくるまでにでかさないと大変だ!と、ふと気づくとまだ旦那の両親はこない。旦那に聞いてみた。「あれ、お義父さんたちは?」と、それで気づいたのか、それともわざとなのかわからないが、「あれ?そういえばこないな、電話してみ
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疲れやすいのはHSP?発達障碍?グレー?おすすめ動画

占いやスピリチュアルにはまりやすい人の特徴として対人関係で緊張してすごく疲れてしまう人が多いと思います。私も緊張したり、疲れやすいです。hspや発達障碍やグレーという言葉を聞いてもぴんとこない人も多いかもしれませんがどれも普通の平均的な人とは違う特徴をもっています。①HSPは両親や家族などに発達障碍の人(それっぽい人)がいるけど、自身は発達障碍だと診断されなかったけど、発達障碍に似た対人緊張や感覚過敏をもっているグレーな人がHSPといわれる人が多いです。人の気持ちがわかる人が多いので占い師やカウンセラーなどに多いです。日本ではHSPは障碍と認められていません。hspの人は発達障碍の人の言動や行動に傷つきやすいので恋人や夫婦になるとカサンドラ症候群になりやすい人が多いのが特徴です。ちなみに今の時代の小学生の9割がグレーゾーンといわれてるそうです。私の時代はHSPの人が少なかったのですごく大変でした。例えば、親が離婚した子がいて、だから親について触れられてほしくない子がいたんですけど、その子の立場になって考えられなくて、しつこく親のことを聞いたり、すごい鈍感な子が多かったんですね。こんなことを言ったら傷つくとか酷いことを言われても全然傷つかなかったり、神経がぶっとい人が多かったです。子供関係の仕事をしてたときに「今の時代の子供たちの9割がグレーゾーンなんだよ」という話を聞いて生まれる時代を間違えたとおもいました。自分が子供の時より、今のHSPの子たちのが優しくて自分と似た波長の子が多くて気が合うんですよ。親が発達障碍でも子供には親よりも軽度にしか遺伝しない場合と親よりも重症に遺伝す
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結婚生活26

とにかく「逃げたい!もうこの生活は嫌だ!」何かが弾けたような気がした。車に娘を乗せ、急いで家を飛び出た…そうして自分の地元まで走っていたら物凄いスピードで追いかけてくる車が…旦那だ…まるでカーチェイスのようになっていた。こういう時にお巡りさんというものはいない。街中まできてしまったため、信号も多い…どうにかすり抜けたり小道に入ったり…行先など考えていなかったただ、あの家から、旦那から離れたかった…。けれど、所詮軽自動車、乗用車には勝てなかった…追い詰められてしまった…旦那が車から出てきて大声で怒鳴り声をあげる車をたたきつける娘は泣く…地獄絵図だった。その怒鳴り声を聞いて何事かと思った近所の見知らぬおじさんが私たちに近づいてきたそして、旦那となにか話している私たちは車で震えていた。数分…いや何分たったか今でも記憶にないがとても長い時間のように感じたこのまま警察にでも捕まって欲しいとも思った。オジサンが私たちのそばに来たそして、そっと私たちに気遣うように「旦那さんには怒っておいたから、今日は帰りなさい」と言われた。私は誰かもわからない人にこれ以上迷惑をかけるのは申し訳ないと思い「はい」とだけ言った。それからどう帰ったか覚えていない…途中で何度も「今逃げたら逃げ切れるか」としか考えていなかった。そして、家に着いた…家に入るとお義母さんが「生意気なことしやがって」とだけ捨て台詞のようにいってどこかにいってしまった…気が付いたら息子を迎えに行く時間になっていたいつもなら、私が行くのにその日は旦那が行った。また逃げられないように、だと思う。もうその辺りから夫婦としての修復は不可能だったんだ
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きみに読む物語

みなさんこんにちは!春をいまかいまかと待ちわびている悠也です!突然ですが!「きみに読む物語」という映画をご存知ですか?2005年公開の洋画のラブロマンス映画なのですが、先日とある方に「涙腺ゆるめなあなたにオススメ!」と教えてくださったのでプライムビデオで鑑賞してみました!軽く内容を説明しますと良家の娘と貧しい家で育つ青年との身分を越えた純愛の物語です✨激しく人を愛した経験がある方は心打たれる作品だと思います!まだ観たことないという方にはぜひ観ていただきたい映画です!ぼくは号泣しました😭若き日の純愛って素晴らしいですよね!熱く、力強くて未熟で幼い2人が輝いてる瞬間だと思います✨そしてお互いに歳を重ねて愛と理解を深めていく。素敵ですね🥺ストーリーとは関係ありませんが、作中ヒロインのアリーの服装が可愛くて色使いも素敵なので個人的な見どころです♪素敵な作品をオススメしてくださって感謝しています✨ここまでみてくださってどうもありがとうございました(•‿•)↓ぼくのイチオシサービスです↓
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小学校時代

小学校に入学する前、ランドセルやいろんなモノをそろえますよね♪ それが楽しみだったり…。 祖母は前回も話した通り、現役時代に仕事中の事故で「右手の腕」から下が切断されて義手をしていました。でも裁縫をしたり、料理はもちろん、ゲートボールに行ったり(笑) フットワークの軽い人でした。おばあちゃんが私が入学の準備をしてくれて、「給食袋」などの巾着袋を手作りしてくれました。 入学式当日… みんなは「キャラクター」がついたかわいい巾着でした。 私のは…「着物の切れ端」の巾着でした。 愕然としました。「お母さんがいないということは、こういうことなのか…」 と、茫然としている私に、ある女の子が「え!手づくり?い~な~」と言ってくれたのです。 私は「??」と思いましたが、すぐに嬉しくなりました。 もちろん帰ってから早速おばあちゃんに報告したのはいうまでもありません。 しかし、入学式を終え、学校生活に慣れてきたころ「それ」は始まりました。最初のきっかけは、今でも思い出せません。「じゃれあい」だったのかもしれません。最初は「文房具」を盗まれるとか、小さいことだった。次は…「自由時間に仲間に入れてもらえない」私は、その頃から校庭で一人で遊ぶようになった。それから徐々に…「〇〇菌」と、呼ばれるようになった。「それ」が始まるのに時間は掛からなかった。原因は、髪の毛だったかもしれない…巾着だったかもしれないけれど、それを祖母に言うことは私にはできなかった。
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私の今までを書いていきます…

某ブログサイトにも載せていますが、私がなぜ、「メンタルケア心理士」になったか…それは必然だったのだと思います。最初の虐待今、考えると「あれがが虐待だったのか…」と、思うことを、つらつら書いていきます。私が物心ついた時には、もう母親は一緒には住んでいませんでした。なんで自分には「母親」がいないのか…3歳から育ててくれていた「おじいちゃん・おばあちゃん・お父さん」には聞けませんでした。聞いた話では私が3歳のころに「いなくなった、どこにいったんだろうね~」と、おばあちゃんは毎日、私に謝ったり、おばあちゃん自身を責めていました。私は「お母さん」がいないことに、そんなに気にしたことはなかったので、なんとなく子供心に申し訳なさがありました。私が保育園に通い始めてから、おじいちゃんが「がん」で亡くなりました。私の全てを理解してくれていたのは、おじいちゃんだったのを今になって思い出します。今日はここまでにします。
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 孤独で寂しかった、不安で辛くて苦しかった。

はじめまして。医療相談員の『なな』と申します。プロフィールをご覧いただきまして、ありがとうございます。あなたがココに辿り着かれたのはきっと不安と隣り合わせで胸いっぱいの思いで生きてこられ張り詰めた気持ちを抱えながら自分を責めたり誰かを責めたり今この瞬間まで色んな感情を抱え込まれながら長い時間を過ごされてきたのでしょうかね・・・。よくココまで頑張ってこられましたね毎日不安で苦しかったんですね解決できなくて、心がもがいて苦しまれましたねあなたの涙、あなたの悲しみあなたの懸命な姿は決して無駄ではありません私もあなたと同じような感情でもがいて生きてきました周りには明るく振る舞うが心が孤独だった私は「話しを聞いてもらいたい、相談して何か解決できたらいいな、 誰か・・・聞いてほしい。誰か助けて、傍にいてほしい。」そんな思いがこみ上げます。しかし実行しようとするが、①「誰かに相談したいけど、どこに相談したらいいのかわからない」②「親や家族には心配かけて困らせてしまうから言えない」③「誰にも言えない内容だから言えない」④ 専門職の人に相談したいけど 「早口で事務的だった」 「気を遣うし少し怖い」 「相談員は実体験が無いし共感してくれない」  こんな気持ちで押しつぶされ  身近に相談する事も出来ませんでした私は◉スーツケースと息子を抱えて 日本に帰国、国際結婚離婚を1回◉入院手術を1回◉身内の突然死◉ステップファミリー 夫からの精神的虐待◉息子の非行◉2回目の離婚◉顔面麻痺で緊急入院1分350〜400円だった高額な金額の電話占いが私の拠り所の場でした。当時は近所のおばさんに話しを聞いてもらってる
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地獄への道…9

保育園から受けてきた「発達検査」。息子は小学5年生になっていた。それでもまだ自分の「名前」さえ漢字では書けなかった。決して複雑な書体ではない。名前だけでも画数は20。マンガを買ってみたが、見ているのはマンガの「絵」だけ。内容は理解できていない。マンガもその当時流行っていたアニメで、わかりやすいかと思い購入した。それでもペラペラとめくって終わった。「面白くないの?」と聞いてみたが「よくわかんない!」で終わってしまった。一緒に読もうか、と誘っては見たものの断られてしまった。だが、息子の「コミュニケーション能力」は、他の姉妹より長けていた。どこでも「友達」になれる。それは凄いことだと思った。そこを伸ばしてやりたい。いい意味でも悪い意味でも「KY」なのだ。いつだったか、学校の先生に言われたことがある。「息子君ね、すごいよ」と笑いながらだったが話してくれた。先生が廊下を走っていた生徒を廊下で叱っていたそうだ。数人いたそうだが、先生自身も叱ったのはいいが後に引けなかったという。そして次の授業の時間まで怒りを持ちこしてしまい、生徒も先生もどうにも引けなった状態だったという。そんなところに、息子が「♪~♪~」と鼻歌を歌いながら廊下の影の階段から降りてきたそうだ。息子の鼻歌を聞いた先生と生徒は、あまりの可笑しさにお互いに笑ってしまい、その場は納まったというエピソードがあった、という。階段を下りてきた息子は、そんなことはつゆ知らず、シレッとその場を去って行ってしまったと。「お母さん、本来はね、先生が怒っている声なんかを聞くと他の生徒は静かにして当たり障りないようにしていくんですよ、けれど息子君は違
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誹謗中傷やいじめの中で生きる④自分の気持ちを言葉にして自分を知る

言語化。言葉にする話をしています。ここでは、心理学に近い話を書いていきます。いきなりですが。この一言や誰かの言葉、何かの文章で、ふと、自分の考えが大きく変わることは、ないでしょうか?少し考えてみて下さい。好きな人とか、親、上司、先生、友人など、影響を受けた誰かの言葉が出てくるでしょうか?それは、もしかしたら、自分の中で言葉に出来ていなかったことかもしれませんし、自分が全く考えていなかった言葉かもしれません。前回紹介した本は、ベストセラーですが、知らない方が読むと、衝撃的な内容と思うかもしれません。このように、人は、自分の外にある言葉に影響を受けるのですが、求めているものが、自分の目や耳に入ってくることが多いです。例えば、忘れ物をすることが多くて、起こられたり、嫌がらせを受けている人がいるとします。この方が、発達障害のADHDという本を読んだときに、「もしかしたら、自分のことかもしれない。」と思うことがあるかもしれません。そして、ADHDのことを知ると、次の行動で、治療方法などを探していく行動に出る可能性があります。このように何かを知ることで、行動が変わるという事があります。例えば、学生がいじめを受けている時に、フリースクールのことを知り、この場所なら、学校に行けるかもと考えて、行ってみると友達が出来たという事もあったりします。このように言葉は、知識になり、行動に変わります。何がどこで、変わるか分からないので、色々な言葉に触れていくのは、大切な事です。個人的な話ですが、僕は、子どものころ貧しい環境だったので、クラスメートが読むような少年ジャンプなどの雑誌は、買えませんでした。よく
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有名漫画家とその娘の確執

なんでも漫画家の西原理恵子さんの娘さんがブログで母親からの虐待を告発したそうです。かなり前のことなんですが、西原さんの昔からの大ファンである私としては、まったく知りませんでした。それはいいとして、ちょっとネットで関連情報を調べてみました。2022年6月に西原さんの娘さんが自身のブログで母親からの虐待を告発したんですね。娘さんは母親から暴力や暴言を受けた他、プライバシーが侵害されたと主張しました。西原さんは告発を認め、謝罪しましたが、娘さんは母親との絶縁を宣言しています。「お母さんは何を思って私の許可無く、私の個人情報を書いて、出版したんだろう」「個人情報を使って印象操作をしたり、人が嫌がっていることを無理矢理することは絶対に許されることじゃない」「お母さんは書かないでと言ったことをsnsに書いた」「私の個人情報をばらした上に私のメンタルを壊して」などと告発。さらに西原から12歳のときに整形手術を強要されたり、暴言を吐かれたりしていたなどと綴り、物議を醸しました。これに対して、おそらく西原さんのエッセイ漫画「毎日かあさん」(毎日新聞出版)の愛読者であろう人たちを中心にがっかりしたといった声が上げられました。しかし、言って悪いですが、こういう人たちは西原さんの他の作品、特に初期のものを読んでいないのでしょうね。尊敬する岡田登志夫さんがいうとおり、その作品で感動したからといってその作者を尊敬するのは大きな間違いなんですね。作品が素晴らしいからといってその作品を生み出した芸術家の人格が素晴らしいなんてことはありません。むしろ反対であることが多いようです。西原さんもそうで、人間的には欠陥
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新しい人生の幕開け…32

一人病室にいると、旦那が看護師さんと一緒に入ってきた。「おう!やっと帰ってきたぞ!」と呑気な言葉と共に入ってきた。イラっとした。それでも病院では怒るわけにもいかず…。一人で悶々としていた。そして、お義母さんたちのことを言うと、「それは大丈夫だから!」と言い放つ…。「そういってこの間だって帰ろうとしたじゃん」というと「ちゃんと言って聞かせたから!」と…。もう言い合いにもなりなくなくて、私からはもう何も言わなかったが、旦那が帰ってきたならもう子供たちも大丈夫かな、とも思った。そして、3日目。旦那に電話すると…なんと!仕事に行っている!「え?入院している間は子供たち見てくれるんじゃなかったの?」というと「いつまでも休めないよ…」と…それはそうだけど…自分の親がどれだけのことをしたかわからないのか…まだ小さい子供にご飯も食べされられないのに…。そうしてまた、毎日子供たちに電話をした。ちゃんと学校に行けたか、保育園に行けたか、迎えはきたか、ご飯は食べれているか、お風呂は入ったか…。学校でなにがあったか、保育園でどんなことをしたか…。そんな電話の途中でさえ、お義母さんが「毎日電話うるさい!」などと聞こえてくる…。腸が煮えくりそうなのを必死で我慢した。子供たちには「もうすぐで赤ちゃんと一緒に帰るからね!」と言って安心させることしかできなかった。Rさんはたまに病院に来てくれた。赤ちゃんと私と話をしに…。Rさんは「あの親じゃだめだな…、私が子供たちを見ようと思ったけど、『あんた誰』って言われたし」と…。なんてことを言うんだろう。本当に「非常識」。そんな感じでとうとう「退院」の日がやってきた!私は
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新しい人生の幕開け…28

ドタバタだった引っ越しも終わり、前の不動産屋とも前のように揉めることもなく終わった。子供たちは新しい家の近くに早々に友達を見つけたらしい。その間、息子の検診があった。確か5歳児検診だったと思う。子供たちには日頃から「本の読み聞かせ」はしていた。娘は黙って聞きながら眠りにつくが、息子は、例えば昔話のお決まりの「昔、昔あるところに…」と始まりますよね。そうすると「昔っていつも昔??!あるところってどこ??」など質問攻めに合うこと多々ありました(笑)けれどそれは、「興味」の一つだと思っていたからそんなに深く考えたことはなかった。検診の時、保健婦さんと息子と私とで話や色々なことをしていると、保健婦さんが「息子君、この色な~に?」と問いかけた。そうすると息子は「あお!」…明らかに「赤」だった。そして次の質問「この色は?」「きいろ!」…「青」だった。テーマは変わって男の子なら興味があるであろう「車」のことについて聞き始めた「これは?」と指を指す保健婦…「パトカー!」…救急車だ…。あれ?こんなに私教えてこなかったっけ…。と疑問を抱いた。子供むけの本も毎月買っていた。そこには救急車やパトカーなど散々書いていたし見せていたけど…確かに興味がなかったかもしれない…。保健婦さんは…少し考えた様子で「お母さん…息子さん…もしかしたら『発達障害』かもしれません…。専門医に一度診察してもらったほうがいいかもしれません」と言われた。初めて聞く言葉だった。「私は、そうですか…、どこにいけばいいですか?」と聞いた。「秋田市にいかないといけませんが、予約がないと受診できないのでコチラで予約とっても大丈夫ですか」と
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新しい人生の幕開け…22

私は決意した。「この子を産む!」それはお義父さんが帰った次の日に旦那に言った。旦那は嬉しそうに「ありがとう!俺も協力するから!絶対今までのようにはさせない!」と強く言ってくれた。そして、私は仕事に行った。Rさんに伝えなければ…。その日は私は早番だった気がする。Rさんは私と一時間シフトが被っていた。その時Rさんに「この間のことなんだけど、病院に行ったらやっぱり妊娠してた…それで私も迷ったんだけど、お義父さんもきて頭下げられちゃって…。今までのようにはさせないって言葉、信じてみようと思うし、旦那の子供が初めてだから産もう思ってる。迷惑かけるかもしれないけどよろしくお願いします」と伝えた。Rさんは「もし今の子供たちと比べられたらどうすんの」などと言われたが、それも説明した。Rさんはなんだかんだいいつつも「わかった。けど臨月ギリギリまで働いてもらうから」と言った。「それは大丈夫です」と答えた。そんなに家計だって余裕があるわけではない。少しでも働いていた方がいい。雇ってもられるなら私としても助かることだった。その日の仕事からは本当に辛かった。つわりが襲ってきて、フラフラしながら仕事をしていた。その日やっとの思いで仕事を終え、少し休んでから子供たちを迎えに行った。その夜、旦那が帰ってきたのを見計らって、子供たちにも報告した。「ねぇねぇ!○○たち!お姉ちゃん、お兄ちゃんになるんだよ!」というと、上の娘は「やった~!!女の子がいいな~!」と喜んでくれた。下の息子はあまりわかってない様子だったが、お姉ちゃんが喜んでいるのをみて喜んでいるようだった。けれど、それからも旦那は「家事」をしてくれるよう
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