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新しい人生の幕開け…27

私のパート先の方が先に撤退するということで、撤退する作業が行われた。そこではもう使わない食器などを持って帰っていい、とのことだったので、使えそうなものをもらって帰ってきたりしていた。最後には本社の人たちも来て、昼間の短時間ではあったが「お疲れ様会」が行われた。撤退作業はたった1日で終わった。人数が結構いたので、すぐ終わったのだ。高校生のバイトの子たちも…パートの人たちも、最後には笑顔で迎えられた。みんなに私のお腹を気遣ってもらったり優しい人たちだった。けれど、そのフードコートの中でもたくさんのトラブルはあった。お金が盗まれた、勝手に店のものを食べた…など。犯人はわかった時もあったが最後までわからなかったこともある。けれど、印象的な件を一つ。パート・アルバイトの募集は随時ハローワークに出していたらしく、時々「面接」の電話はきていた。その中で「はい、○○です!」と電話を出ると、声と話し方だけでも、結構なお年寄りの声がした。「お宅さんで、アルバイトの募集をしているときいたので…」と女性。「はい、募集しております!面接のご希望ですか?」と聞くと「はい…だと思います」と…。思います??おかしいな…と思いながら「○○様が面接のご希望でしょうか」と聞くと「あたしゃもう年よりだから、息子に働いてもらいたいと思って」というのだ。え??親が、というよりもう成人しているであろう息子の面接を親がする、という行為に驚いた。「すみません…アルバイトされる息子さんからもう一度お電話いただけるようお伝えください…」と返した。本人ではないのに「面接の予定」は入れられないのだ。高校生でも「自分」で面接の電話は自分
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新しい人生の幕開け…25

引っ越しできる「貸家」があったようだ。色々考えてはみたが、物件が他にないのでまずは見てみることにした。数日後、引っ越し先の物件を「内覧」することにした。子供たちを学校や保育園に送った後、旦那が電話をしていた。その相手はこれから行く物件の方の不動産屋さんだった。時間は今すぐどうぞ、とのことだったので、すぐ二人で向かった。その家はすぐ着いた。今の家から車で5分ほど。着くと玄関で不動産屋さんらしい人が立っていた。とても人の良さそうな感じがした。建物の外観は…今の家と比べると、それはやっぱり古く見えた。そして軽く挨拶をして中を見せてもらうことになった。玄関は広いな…すぐ右はお座敷か…真っすぐがリビング!!すごい広い!!換気扇もリフォームされてる!窓も大きくていいな!続き間があるのね。便利そう。そして二階や色んな所をみて最後に「お風呂とトイレ」だった。不動産屋さんも申し訳なさそうに「工事したいんですけどね…ここは住宅街で簡単にできないんですよ…」などと言っていた。最初から水洗は可能らしいが、その工事も住宅が密集していると簡単ではないらしい。お風呂はよくアパートなどで使われているタイプの「手動」のガスの「追い炊き機能」そして、洗い場は「石畳」だった。お風呂のドアは「木」でできていた。昭和の木の枠に擦りガラス。その向かいにトイレがあるから擦りガラス越しに誰が入っているのかがわかる。そして旦那と不動産屋さんはとても仲良く話をしているが…パッと私の顔を見ると「キッチンや水場は奥さんのお城ですからね」などと不動産屋さんは話しかけてきた。そうよ、旦那なんかほとんど家事しないし朝晩だけいる人じゃん…と
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新しい人生の幕開け…24

この家をどうしようか…選択肢はほぼない。引っ越すしかないのだ。不動産屋とも揉めているし、これからの家のことも考えると、この先は考えられない。そう話し合った。けれど私は「妊婦」だ。一人で荷物をどうのこうのすることには限界がある。かといって、どこに引っ越すのかもまだ決まっていない。娘が小学校に入学しているのもあって、学区を変えたくはなかった。それは、旦那にも伝えて同意してくれた。それから数日、家探しをしていた。けれどそうそう学区内にある「貸家」はなかった。アパートは子供がまだ小さいせいもあって近隣の人に迷惑をかけると思ってアパートは除外。貸家に絞っていた。子供は伸び伸び育てたい。それはやっぱり児童相談所で育ててしまった自分に責任があると思っている。保育園や学校でも子供なりにストレスを感じて過ごしてると思えば、家では「自分」をちゃんと出してほしかった。少しくらいうるさくても怒られない空間に居てほしかった。子供でも「我慢をしている」私は痛いほど知っている。「していい我慢と」「しなくてもいい我慢」子供の時しかできないことをたくさんさせてあげたい。私自身、父親に「強制的に習い事」をさせられたこと母親に「理不尽や暴力を振るわれたこと」これは、子供であっても「我慢しなくていい」し、誰かに助けてほしかった。けれど誰にも言えなかった。金銭的な贅沢はさせてあげれないけど、それでもできる限りのことはしてあげたい。私は父が亡くなってから「自分の居場所は自分で作る」ずっとそう思ってきた。なんだかんだ考えて毎日が過ぎた。本当に時間や色んなものが足りなかったと思う。そんなある日。パート先に行くと、Rさんたちが
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アダルトチルドレンの人生③

私の父は、なぜかよくこんな事を言う人でした。「お父さん、どこかに居なくなってもいいか?」 もちろん私は「マジで、そうしてくれ!」と 心の中では切望しているはずなのに 「どこにも行かないで!」って なぜか毎回言っていたんです。 でも、こんなことよくあることで 私もいい加減ウザイと思っていたんでしょうね・・ ある日、またいつもと同じことを言ってきたんです。 しかも、お布団に入って寝ようとしているのに そこで私は 遂に「いいよ」って言ってしまったんです。 そしたら、お布団から出た父は台所に行って包丁を持ち出して 暴れ始めたんです←本当に厄介 母と取っ組み合いになっているところと 畳に包丁が刺さっているところと 気が付いたら父が家から追い出されているところ位しか 記憶がないんだけど これが決定的になって離婚することになったみたいです。 これで、父の暴力から解放されると物凄く嬉しかった事を覚えています。 そんな父ですが、今では連絡を取り合う仲なのです。私を沢山叩いていた事は記憶にあるようで 「お前の事は沢山叩いてきた」って言うんですね。 一応、彼の中では躾の一環だと思っているんです。 虐待のニュースでよく出てきますよね 「躾のつもりだった」という言い訳 躾は大事だと思います。 でも、暴力は必要ないんです。 というより、意味が無いんですよ。言葉の暴力も同じです。今、少しでも当てはまるなと思ったら早めにやめた方が賢明ですよ。ご自分の為に、子供の為に「これくらいなら」とお考えの方は一度調べてみるといいですよどこからが虐待に入るのか最近は、とても厳しくなっているのでビックリすると思います。そして
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アダルトチルドレンの人生②

前回の続きです。 私の記憶は幼稚園時代くらいからしかないのですが 強烈に覚えているのが、犬にお尻をかまれた事(^^;) 園庭で遊んでいたら野良犬が入ってきて(沖縄は野良犬が多いです)子供たちを追いかけまわしていたんです。 もちろん私も逃げていたのですが、逃げ遅れて あと一歩で教室に入れるところで ある女の子に窓ガラスを閉められてしまったんです。 ガラス越しのあの子の顔を今でもはっきり覚えています(^^) もちろん名前もフルネームで覚えています めちゃくちゃ根に持っている(-_-)←冗談です 私と父との記憶はこの頃から始まっているのですが とにかく叩かれた記憶しかないんです。 素手ではもちろん、ベルトやハンガーでもよく叩かれていました。 どちらも痛いのは同じなのですが、ベルトやハンガーは痛みの種類が違うんです。 なんて説明したらいいのか分からないのですが、とても不快な痛みなんです。 よく、正座をさせられていたのですが ふくらはぎと太ももの間に泡盛の久米仙の瓶を挟んだ状態で正座をさせられるんです。 それがとても痛いんです。 普通の正座と違って足が痺れる速度が速く足の感覚がなくなるので 解放された時には感覚が無く立てないし、しばらく経つと 強烈な痺れに襲われ、太ももまで痺れるんです。 叩かれる理由なのですが、本当にしょうもない事ばかりで 例えば「煙草を買ってきて」「嫌だ」 (昭和の時代はおつかいで子供が買えた) と言っただけでも最悪叩かれます。 「嫌だ」と言えば、そうなる可能性があることを知っていながら なぜか「嫌だ」と答える私・・ いま考えても理解ができず・・バカだったのかな?(^
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新しい人生の幕開け…23

卒園式の日は、旦那は出席しなかった。なぜなのか…。それはわからない。仕事でもそういう「式」には参加してほしかった。周りは旦那どころか「祖父母」まで参加していた。また襲ってくる「孤独感」せっかく再婚したのに…。私と一緒にいることが「恥ずかしい」のだろうか子供といることが恥ずかしいのだろうか…。なんだろう。今までの保育園の行事にも参加することはなかった、「運動会」や「夕涼み会」など…。私はいつも「一人」で参加していた。もちろん自分の子供だから苦痛ではないし、成長を見れるのは嬉しい行事。なんだかいつも「シングルマザー」の気持ちでいた。それでもいい、「自分で決めたんだ、この結婚も妊娠も…」そうやって自分に言い聞かせて…。卒園式が終わり家に帰り、息子はそのまま保育園に預けて娘と二人で過ごした。もうすぐ小学校の入学式に向けての準備だ!卒園式から入学式って結構短いですよね💦前から準備は少しずつしていた。自分と同じようにならないように、巾着袋はキャラクターにしたり、なるべく「みんなと同じ」を意識した。入学式の服もその当時は高かったし、もちろんお下がりもない。ランドセルはまだ安いのがあったから1万円くらいのを購入していた。けれど、みんなは結構高いランドセルに驚いた祖父母がいる、って強いな、本当にそう思った。今では色んな色とデザインがあるが、その当時は安いランドセルと高いランドセルの差が大きかった。それでも娘は何も言わなかった…。遠慮していたのだと思う。「言えなかった」が正しいのだと思う。そうして家の問題もあったが時間は止まらず、娘は入学した。入学式は旦那は参加した。けれど、他の親御さんたちに「挨
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新しい人生の幕開け…22

私は決意した。「この子を産む!」それはお義父さんが帰った次の日に旦那に言った。旦那は嬉しそうに「ありがとう!俺も協力するから!絶対今までのようにはさせない!」と強く言ってくれた。そして、私は仕事に行った。Rさんに伝えなければ…。その日は私は早番だった気がする。Rさんは私と一時間シフトが被っていた。その時Rさんに「この間のことなんだけど、病院に行ったらやっぱり妊娠してた…それで私も迷ったんだけど、お義父さんもきて頭下げられちゃって…。今までのようにはさせないって言葉、信じてみようと思うし、旦那の子供が初めてだから産もう思ってる。迷惑かけるかもしれないけどよろしくお願いします」と伝えた。Rさんは「もし今の子供たちと比べられたらどうすんの」などと言われたが、それも説明した。Rさんはなんだかんだいいつつも「わかった。けど臨月ギリギリまで働いてもらうから」と言った。「それは大丈夫です」と答えた。そんなに家計だって余裕があるわけではない。少しでも働いていた方がいい。雇ってもられるなら私としても助かることだった。その日の仕事からは本当に辛かった。つわりが襲ってきて、フラフラしながら仕事をしていた。その日やっとの思いで仕事を終え、少し休んでから子供たちを迎えに行った。その夜、旦那が帰ってきたのを見計らって、子供たちにも報告した。「ねぇねぇ!○○たち!お姉ちゃん、お兄ちゃんになるんだよ!」というと、上の娘は「やった~!!女の子がいいな~!」と喜んでくれた。下の息子はあまりわかってない様子だったが、お姉ちゃんが喜んでいるのをみて喜んでいるようだった。けれど、それからも旦那は「家事」をしてくれるよう
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新しい人生の幕開け…21

私は勇気を出して「トイレ」にいった。判定は…。「陽性」…。え…。今仕事始めたばかりなのに、まだ旦那は子供たちとそんなに多くの時間を過ごしてないのに…。どうしよう…。パニックになった。その話はすぐにRさんに報告した。仕事のこともあるからだ。Rさんは「やっぱり…。おかしいと思ったよ。で、堕すんでしょ?」と当然のように聞いてきた。え?なんで他人からこんなこと言われなきゃいけないんだろう。やっぱりRさんは苦手だ。「ちょっと考えるし、旦那にも相談しなきゃだから」と濁した。「仕事は出てもらうからね」といい、Rさんは電話を切った。溜息しかでなかった。嬉しいことだけど、今じゃないような気がする。けれど私ももう28歳だ。多分これが最後の妊娠となるだろう。まずは旦那に相談だ!夜になり、子供たちが寝静まってから私は旦那に切り出した。「あのね…最近体調が悪かったんだけど…調べたらね、妊娠してた」と。旦那は「まじ?ホント?おう!そうか!やった~!」と喜んでいたが「ん、でもね、ちょっと考えてる…今の子供たちだけでも大変でしょ、経済的にも色々…それに私、息子の産後の時も無理してしまってるから体力的にも自信ないんだよね」と気持ちそのままを伝えた。「え?それっておろすってこと?1人くらい増えたって変わらないだろ!せっかくの命なのに…それに俺にとっては初めての子だし…」と。確かにそうだ。今の子供たちは旦那の子供ではない、だからこそ、もっと今の子供たちと触れ合ってほしかったし、「自分の子供はかわいい」みたいに産まれたら、今の子供たちへの態度が変わってしまうんじゃないか、という不安もあった。それも伝えた。けれど旦那は
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新しい人生の幕開け…20

来年、上の娘が小学校に入学する。そんな時、私の急な体調不良…それでも仕事に行っていた。なんだろう…。熱もないしな…。私は幼少期から熱を出すということがあまりなかった。祖母がいうには「うち熱」といって、体温計には出にくい熱を出すそうだ。それでふと、思い出した。「あ、私、そういえば何年か前に『うつ病』って言われたんだ…、そのせいかもしれない」と、私は近くの精神科を受診した。診断された病院はもう遠い。しかもその時は「私がなるわけない」と思ったり、当時彼だった旦那もそんなに気にも留めていなかったから忘れていた。現に、「うつ病」と言われる症状はでていなかったと思う。母親のことや元旦那のこと、色んなことでたまに思い出して動悸がすることはあったけど、それが「うつ病」の症状だとは思いもしなかった。病院に行ったが、精神科は物々しい雰囲気で、病院内は薄暗く居心地がいいとはとても言えなかった。先生に前にうつ病と診断されたことなどを伝えたが、先生は私の顔をみるなり「今までの育成環境」を聞いてきた。はっきりいって、「げっ!」と思ったが、そのまま簡単に伝えた。黙って先生は聞いていた。そして「よく生きてこれましたね」と…。私は「はい?」とキョトンとしてしまった。どういうことだろう…。診察が終わり、薬を出されたが「眠くなるかもしれない」と言われ眠くなられたら…仕事はおろか、子供のことができない。そう思い、薬はその時は飲まなかったと記憶している。けれど、目まいと吐き気が辛くなり、休みの前の日だけ飲んでみた。気持ち悪さや目まいは治まったように感じたが、眠気がすごかった…。車なんて運転できない、と思うほどだった。怖
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新しい人生の幕開け…19

旦那も新しい職場で慣れてきた1か月くらい経ったであろうか。旦那も私も「新しい仕事」に対して、一生懸命だったと思う。時間も休みもバラバラになってしまったが、みんなが顔を合わせる時間は増えたと思う。もちろん会話も増えた。会話が増えると共に「喧嘩」も増えてきたと思う。そんな大きい喧嘩ではなかったと思う。喧嘩の原因は、やっぱり「金銭問題」だった。それまでは旦那が35万前後、私も同じくらいの収入があった。二人で65万以上の収入があったわけだが、旦那も新人というのもあってか、旦那の収入は15万ほど…私はパートだから6万ほどに落ちていた。それでも保育料は二人で月5万、家賃5万、車のローン5万、公共料金3万、携帯料金二台3万(昔は高かったです)。もう無理ですね…。まずは「保育料」を今の収入を市役所に提示して保育料を下げてもらったりした。そんな話もしているのに旦那は、あっけらかんとしている。ちょっと話そうもんなら「無言」を貫いていた。貯金もそんなにない…。前回の無職の時などで使ってしまっていた。失業期間にも補填してきた。旦那のお義父さんにもお金を借りたりした。……もうだめか…。そう思ったが、旦那に相談してもどうにもならない。お金の問題だけは誰にも相談できない。どうしよう…。一人で悩む日々…それでも日常は止まることなくやってくる。子供たちにもたべさせなきゃいけない保育園に行くには車も使わなければいけない。もうガソリンさえままならないくらいに貧困状態になっていた。そこでハッと気づいた。旦那は自分のファミリーカーで仕事に行っている。それを私の「軽自動車」で通勤してくれないか、と提案した。ガソリンだって
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70 親を選べない子ども 虐待されても「親を選ぶ権利」は認められないのか

親を選べない子ども 虐待されても「親を選ぶ権利」は認められないのか  子どもへの身体的虐待やネグレクト(育児放棄)により、痛ましい結果になった事件がたびたび報じられますが、こうしたとき、親が意識や行動を変えるか、周囲が救いの手を差し伸べない限り、子どもが自分の意思で身体的虐待やネグレクトから逃れることは困難です。一般的に「子どもは親を選べない」と言われますが、実際はどうなのでしょうか。子どもの権利・法律問題に詳しい、佐藤みのり法律事務所の佐藤みのり弁護士に聞きました。 実親との親子関係解消は困難 Q.現行の法律では、子どもが親を選ぶ権利は認められているのでしょうか。 佐藤さん「子どもに『親を選ぶ権利』を直接認めた法律はありません。しかし、児童虐待から子どもを守るため、民法では『親権喪失』(民法834条)、『親権停止』(同834条の2)、『管理権喪失』(同835条)といった親権を制限する制度が定められています。 親権とは、親が子どもを育てる権利と義務のことで、具体的には、親が子どもの身の回りの世話、教育やしつけをしたり、子どもの財産を管理したりすることが含まれます。『子の利益のために』行うことが法律に明記されており(同820条)、虐待は親権の乱用にあたります」 Q.なぜ、子どもが親を選ぶ権利は認められていないのでしょうか。 佐藤さん「全ての人に実の親がおり、さまざまな事情があるにせよ、子どもにとって実の親は大切な存在です。『自分がどのように生まれたのか』は、子どものアイデンティティーにも大きな影響を及ぼします。そのため、法律上も、血のつながった実の親子関係を基本としていろいろな制
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新しい人生の幕開け…18

Rさんが働くところでバイトをすることになった。時間は朝8時~14時・10時~18時のシフト制だった。朝の8時はちょっとキツイかなと思ったが保育園も7時から開園していたので、その辺は子供たちを少し早く保育園に連れていくことにした。ということは…私の家事をする時間を早めなくてはいけなかったが、それもどうにか時間の逆算をして、なんとかしようと思っていた。時間が早い分、早く終われるから、その時間少し休もうか…などと考えていた。そこのフードコートでは、「ラーメン・パスタ・アイス・クレープ」などを提供していた。全ての工程を、そこの人達でやらなければいけないような感じだった。覚えることがたくさんあるなぁ…。体力も相当必要だった。お昼のピーク時にはたくさんのお客さんがきた。もちろん初日の私にはサポート的なことしかできなかったが、それでも終わったころには、息もできないくらい疲れていた。その職場では、若い人も年配の人も混じっているせいか、あまり「もめ事」のようなものか感じられなかったが、油断はできない。数週間たって、やっと仕事にも慣れてきた。土曜日は保育園にお願いして日曜日だけ、旦那にお願いしていた。その日曜日…、事件は起きた。私がいつも通り、旦那に子供を預けて仕事に行った、お昼のピークになり、忙しくなった。そんな時、旦那が血相を変えて私が働くフードコートに駆け込んできた!!「大変だ!息子がいなくなった!!」とフードコートの目の前で叫んだ。私は咄嗟のことで、「え!なになに?どういうこと?」とパニックになったが、すかさずRさんが「他のお客さんに迷惑だから、ちょっと待って」と促した。待ってもいられなか
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毒親地獄からの脱出方法

➊毒親に主にドンナ虐待を受け続けて居たかを、端的に要約して書き出す。 ➋自身の根幹的トラウマが何だったか、ハッキリと再認識する。 ➌2度と自身を同じ憂き目に遭わせ無いと、固く決意し固く誓う。 ➍同じ、又は似た様な酷い言動の人は、即刻に断固として縁を切る。 ➎毒親育ちで不幸でヒトデナシの人格障害者の自分自身が、絶対に必ず100%自分で自分自身に同じ酷い言動をし続けてシマッテ居るので、即時に改め、再発を警戒し続ける。 常に、最凶の敵に成り得るのは自分自身だし、最強の味方に成れるのも自分自身。 これが「地獄脱出ゲーム」と言う名の人生に陥ってる人、「自分の人生を生きられ無いと言う病」に罹って居る人が、先ず最初に果たさ無ければ成ら無い、最重要の緊急ミッションの1つ。 #毒親 #トラウマ #反面教師 #虐め #虐待 #地獄 #魔境 #決別 #起死回生 #自分の人生を生きられ無いと言う病 #加藤諦三
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新しい人生の幕開け…17

Rさんから突然の電話…。私が会社を辞めたことを誰かに聞いたのだろうか、ちょっとめんどくさいな、と思いながら電話に出た。「久しぶり~!何してた?」と、しらばっくれたような電話だった。「特になにもしてないよ」と当たりさわりのない返事をした。そしたら案の定…「保険屋、辞めたんだって?仕事探してるの?」と言ってきた。「あ~話早いね(笑)」などと話をしていたが、Rさんは思わぬことを私に言ってきた。「いや~実はさ、私今、あの近くのスーパーのフードコートで働いているんだけど、人手が足りないのよね」と。「あ~そうなんだ~」と聞き流していたら「どうせあんた暇でしょ!私ここのフードコートの責任者になっているから面接は私だけど求人票欲しいから早く取ってきて~」と。「ありがたいけど、土日休みじゃないでしょ?」というと「土日は高校生のバイトもいるし、年配の人もいるから完全に土日休みとはいかないけどなるべく休んでいいから」と…。「うん、ありがとう、わかった、旦那に相談してみるね」というとすかさず「旦那なんかアテになんないんだし、自分で決めればいいでしょ」と言われてしまった。そうだけど…一応、相談しないと、という耳は一切聞かず、「今もう面接来てるしあんたのシフトのところ空けておくからハローワーク行ってきて!」といい、電話は切れてしまった。確かにいい話ではある。そこのスーパーはその当時、できたばかりでいろんなフードコートが入っていた。家からも近い…。選択肢などなかった。自分で探しても仕事などなかった。子供のこともわかってくれる人が責任者なら、それはそれでありがたい。Rさんは最近音沙汰なかったと思ったら、そこで
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新しい人生の幕開け…16

旦那の次の仕事場はトラックにも乗りながら集団で作業をするというものだったが、順調に進んでいるようだった。そんな中、私の会社で不穏な空気が流れていた。それは、私より少し前に入社した女の子だったけど年は私よりも若くて可愛らしい女の子だった。名前はYさんと呼ぶことにします。数か月前にYさんから相談を持ち掛けられていた。それは…会社の営業部長の「セクハラとストーカー行為」だというのだ。最初、聞いただけでもゾッとしたけど、真実は分からなかった…。Yさんの相談内容は「しつこく電話がくる、二人で食事に行こう、服装のことに関して『もっと胸元を開けて』、仕事中にドライブに行こう」などなど、本当に彼女は怖くなったりしていたようだった。私や他の人にはもちろん同じことはしてないだろうが、私もその相談を受けてから上司には気を付けてみていた。うん、確かに面談の時間が長すぎる。そして私と出先でYさんと相談を受けている間にも頻繁に電話が鳴るようになっていた。電話に出なければ出るまで電話が鳴っている、という状況を目の当たりにした。私にできることはないか、とYさんに言ったけど「これはどうにもできないし、私も辞めれればいいんだけど…そうもいかなくて…」と諦め加減だった。Yさんの家庭事情も複雑だったので、なにも言い返せなかった。もちろん、そんな話は誰にでもできるわけがないと思っていたし、Yさんも私にしか相談していない、ということだったから私も誰にも相談できなかった。が、しかし…。ある朝、私が出社すると営業部長が私を見た途端、呼び出した。なんだろう、と思い部長の席の前に座った。「おはようございます…」と挨拶する間も与え
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新しい人生の幕開け…15

やっとの思いで家に帰ったときはもう日付は過ぎていた。私は子供たちを部屋に運び布団へと寝せた。そしてI子さんも、なにも言わずに寝た。旦那はまだ泣いている。「明日どうしよう…」と…。そんなことまで私が指示しないといけないの?とほとほと呆れてしまった。そして「明日も早いから」と言い残して私の寝た。次の日の朝、私はいつも通り家の掃除をし朝ごはんを作っているとI子さんが起きてきた。「昨日はお疲れさん」と慰めの言葉をくれた。こっちこそ、本当は楽しませてあげたかったのに…と申し訳ない気持ちだった。子供たちを保育園に送って帰ってくるとまだ旦那は家にいた。もう出勤の時間だ。旦那はガクッと肩を落とし、「会社になんて言おう…」とブツブツ言っていた。それを見たI子さんは「こら!男だったらしっかりしなさい!!」と叱ってくれたが本人はボーッとしているだけだった。そうしているうちに会社から電話がきたようだ。そりゃそうだよな…出張先からいなくなったんだもんな…。旦那はビクっとしながらも電話にでた。色々話していたようだが、ただ「はいはい…」としか答えない旦那。そして何を話したのか「もう自分はできません…辞めさせてください」と言っていた。電話を切った後、「なんていってた?」と聞くと「自分のものを取りにいくのと退職届だしに行ったりしなきゃいけない…会社行くのいやだなぁ…」と子供のようなことを言っていた。私は「事務処理とかもあるからいかなきゃだよ」とチクリと言った。私は多分、その頃から旦那に対しても色々な考え方が変わったように思う。旦那が渋々会社に行くのを見届けてから、私はI子さんを家に送って行った。I子さんは帰りの
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当たるおもしろ星座別12月19日25日の運勢占い

12月12日から18日の運勢占いをおやすみしてすみません。11日に縁結びの神社で朝5時に起きて16時30分までボランティアしたのですが、やばいくらいに筋肉痛になってしまい、おやすみしてました。全国のパワースポットめぐりしても何も変化ない人は、絶対に有名なパワースポットに行くよりも、どこか好きな神社で掃除のボランティアなり、参加したほうがご利益出ますよ。実際私がボランティアした神社は過去にボランティアが縁で知り合って結婚した人も多いそうです!しかし、この日は一番大変な日だったからか、独身の男性はいませんでした(´;ω;`)藁をはこんで藁をしばって、竹串をとんかちで叩いて門松作ったり、門松ピーリングしたり、雑草抜きとか落ち葉拾いとか広い神社なのでとても大変でした(;'∀')家族で参加してる人が1組いて、夫婦で仲良く参加するなんて羨ましいと言われてました。私もそんな旦那さん欲しいと思ってたら、他の主婦の方が「貴方の旦那さん、ずっとにこにこしていて、良い人そうだし、ボランティアまで一緒に参加するなんて完璧で仲良しでうらやましい」と言われたら主婦「内弁慶ですよ。家ではぶすって呼んでくるし・・・」ボランティアの人「えーそんな風にみえない。ずっとにこにこして愛想よい。本物のぶすにはぶすって言わないからジョークよ。可愛いの裏返しよ」とか言われてましたが。私も一緒にボランティア参加する旦那さんいいなと思ったけど、モラハラの人って外面が超イイから、モラハラなんだろうか・・それとも嫉妬されないための謙遜なんだろうか・・・モラハラだったら怖い(;'∀')。てか、ジョーダンでも奥さんをブス呼ばわりする人
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新しい人生の幕開け…14

突然の出張の話。なんで出張になったかと聞くと、「なんか成績上げれない人に限定して講習会?みたいなやつやるんだって」と…。アポの一件もまだとれていないのか…。そこは口には出さず、「どこに出張なの?」と聞くと「宮城の仙台」と言った。期間は2週間くらいだと言っていた。週明けから行くらしい旦那は「初」の出張という経験をする。聞くと、講義室に缶詰め状態らしい。旦那は不安になっていた。「俺缶詰め状態苦手なんだよな…」と…。そして見送った朝。子供たちは寂しがっていたが、旦那からは何も連絡はなかった。多分相当疲れているだろうな、と推測していた。こちらから電話をすることもしなかった。そういう会社はほぼスケジュール管理されていることを知っているからだ。泊まるところはビジネスホテルだと聞いた。そうして次の日、電話がきた。「俺、こんなんだとは思わなかった。缶詰状態に耐えられない…」と弱音を吐いていたが、「そうだね、けどもう少しだから…」と励まして電話を切った。それから数日後の夜、その日は珍しくI子さんが家に泊まりに来ていた。それは旦那にも報告していた。久しぶりに会ったのと子供たちのことを心配してくれていたのとで話が弾んだ。子供たちも大喜びだった。が、寝る時間になり、息子が熱をだした。多分はしゃぎ過ぎかと思われたが、I子さんを残して病院にも行けず、咳もなかったため様子を見ようということになった。が…電話が鳴った。夜の9時過ぎだ。なんだと思い携帯を見ると「旦那」の表示。電話をとると「俺、もう無理だ…お金もないし、車もないから帰れない、どうしよう、けどもうあの会社には居たくない!辞めてきた!もうやだ!」と本
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新しい人生の幕開け…13

旦那は翌日ハローワークに行って面接の日どりを決めてきたようだ。旦那は求人票を私に見せてきた。……。「職種/営業・外壁のリフォームのアポイントのルート営業」「給与/35万以上可」私はバカにされている気分だったから「やれるやらやれば?」と言った。旦那は結構浮かれている感じだった。そして、面接当日、旦那はいつもは作業着だったのだが面接にはスーツで行った。ネクタイの結び方すらおぼつかない手つきで…。数時間経ってから旦那が帰ってきた。「俺、あんな会社の面接は初めてだ!みんなスーツ着てるし現場にも車で送迎だって!」と息巻いていた。結果は数日後にきた。「採用」旦那はすごく喜んでいた。今までやったことのない職種なことと給料、そして「ラク」な仕事だと思っているし、スーツを着る仕事など初めてらしい。ウキウキしていた。仕事初日…どんよりした顔で帰ってきた。まず子供たちのことをしてから旦那の話を聞くことにした。私は二階から降りて旦那のところにいった。旦那は難しい顔をして、紙を見ていた。なになに??「ロープレしてこいって言われた…。」「あ~そうなのね!営業なら普通だからね」とチクリと言ってやった。そして旦那が見ていた紙を見ると…。A4サイズにちょこっとだけ書かれた営業用の挨拶やアポイントを取るための言葉が並べられていた。「じゃあ、それ読んでみて」というと、ぎこちない言葉で話し始めた。そして「会社の人、これ暗記してこいっていうんだよ、いくら見ても覚えれない!」とダダをこね始めた。「え、これくらい普通だし逆になんで覚えれないの?少ないくらいだけど」と言った。そして何度かロープレをしたがとてもじゃないけど、営
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#3 知っているでしょうか

最近すっかり寒いですねさて突然ですがみなさんに聞いてみたいことがあります「虐待」という言葉をご存知でしょうか?_最近ニュースで良く見かけますよね恐らくこどもを殴る、蹴るのようなことをイメージされたのではないでしょうかそのイメージは大正解です!!ただ「虐待」というのはこどもを殴ったり蹴ったりすることに限りません我々の世界だとこども同士の能力を本人の前で比べたり「○○やってあげるから□□君はこれやって」といった交換条件でこどもを動かしたりするのも虐待と言われていますプロフィールにも書いているのですがなぜ大人は殴ったり蹴ったりするのでしょうか「こどもが一回で言うことを聞かないから」「こどもが嫌い」「こどもも叩いてきたり、蹴ってきたりするから」理由は様々だと思います私はこどもに手を出してしまう最大の理由は「どうして良いか分からないから」だと思っています・おもちゃの片付けをしなさいと 何度も言っているのに片付けない・ゲームを止めなさいと言っているけど止めないこのような状況の時にどう子どもと接したら良いかをどなたか小学校、中学校、高校で学んだ方はいらっしゃいますか?恐らくいないと思いますどうして良いか分からないから力で言うことを聞かせてしまうではないでしょうかこどもの視点で話すと・「おもちゃを片づけなさい」と 言われたことに気づいていないかもしれない・ゲームを止めた後の見通しが持てない 現実世界がしんどくて、逃避しているかもしれないですよねこのようなまずはこどもの行動に「なぜ?」と疑問を持つようにすることを癖づけると関わり方のレパートリーも増えていきそうじゃないですか?お父さん、お母さんは
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新しい人生の幕開け…12

仕事を辞めようと思う…。それは突然のことだった。「え?なんで?」と聞くと、『どうやら給料が足りない(長距離の運転手の相場がわからないが以前よりは下がっていた)し、こんなに寝ないで走って帰ることもできないし、なにより社長にイライラしてきた。』ということらしい…。確かに最近の電話は愚痴が多くなってきてはいた。それは感じていたが…。「自分には運転手しか向いていない」とも言っていた。たまに従業員同士のいざこざは聞いていたが、聞いていれば特に旦那は「板挟み」状態のことも多かった。私は反対も賛成もできず「次はどこの会社とかもう決めているの?」と聞いてみた。どの業界もそうかもしれないが、「情報網」みたいなものは回っているらしく今までも色んなトラック会社の名前を聞いていた。すると旦那は「いや、毎日家に帰れる仕事がしたい」という。私はビックリしたが、嬉しかった。それが現実になるかどうかは別として…。旦那はそれから相当悩んだと思う。今仕事を辞めたら…家を買うということも遠くなる。けれど、それは言えなかった。私の仕事は順調だったが、旦那の借金を返済したため「貯金」はほぼない状態だった。もう半年くらいで娘が小学校に入学する時期に、タイミングが悪い…。もう旦那の両親に期待はできないし、そもそも期待してはいなかったから世間的にいう「ランドセルはおじいちゃん、おばあちゃんから買ってもらう」ということはできなかった。子連れの再婚がこんなにも辛いものだなんて…。私の親とは絶対つながりを持ちたくないから何も言えないけど。子供たちに「おじいちゃん、おばあちゃん」という存在を持たせてあげたかったのは自分のエゴかもしれ
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虐待された子は幸せになれる?

そもそも「幸せ」の定義や価値観が 人それぞれなので、言い切ることはできません。 でも 私も虐待を受けて育ちましたが幸せを感じることが難しくその気持ちを継続させるのはもっと難しいと思っています。今では母とも和解して 親孝行できる喜びを感じているわけですが 依然はどうしても許せず 挙句の果てには 母を苦しめるために、自分が不幸でいることを選んでいた時期があります。 自分を傷つけることが 最大の親への復讐… 恐ろしいですね これは意識してしているのではなく そうせざるを得ないのだと思います。 あなたのせいで あなたの娘は不幸なんだよ幸せになれないんだよという 呪いの言葉のようなものです。 そして 自分でも失敗したり、何かにつまずくたびに親に愛されずに育ったからだと言い訳していました。親の愛を感じられなかった (親の愛はあったのかもしれません) 親から虐待を受けていた そんな風に育った人は 自分が成功するイメージや 何かを受け取れることができません。好きな人とどう過ごしていいのか 離れていかれるのが怖くて、ついつい依存してしまったり自分で関係性をぶち壊してみたりします。 幸せになる勇気欲しいですよね。 あなたは誰よりも幸せになっていいんです。 家族や仲間と腹を抱えて笑ったり泣いたり誰もあなたに暴力をふるったり、もう意地悪をしたりしません。大人になったあなたは そういうことをする下等な人と距離を置いていいんです。自分の幸せのために、時間やお金を使っていいんです。どんどん夢を叶えて 信じられる人との出会いや温かい愛情を感じていきましょう。親との関係も 子どものころに戻って、違う角度からみる
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新しい人生の幕開け…10

新婚、のような初々しさはなく、ただ淡々と時間だけが過ぎていった。旦那の借金を全額返済し、数年したら家を買う。その一心だった。そして、旦那が帰ってきた時にお世話になっている不動産屋さんに一緒に向かった。そして、不動産の人は何も知らないのでしかたなかったが、旦那は乗り気で引っ越しの話や家賃の話、色々していた。もう話は完全にあの戸建てに引っ越す話になっていた。そこで引っ越しの日どりなどの話が進んでいた。私はわざと「え、引っ越しって私一人でやるの?」というと、旦那は「実家からも手伝いに来てもらうし俺もいるようにする」と言われたので、反対する理由もなかった。引っ越し当日。引っ越しといっても、そもそもあまり「物」がなかったせいもあって案外スムーズに行ったが、来ると言っていた「旦那の両親」が来ていなかった。遠いせいもあるだろうと思ってあまり気にしてはいなかったが、引っ越し先も伝えなければならないのでは?とも思った。なんでこの人(旦那)はこんなにのんびりしているんだろう…。引っ越しは旦那と不動産の人が手伝ってくれた。トラックも出してくれた。そのおかげで1往復と少しで荷物の搬入は終わった。天気も良くて引っ越し日和だった。その物件にあった物などは使わないものは不動産で持って行っていく、というので差し当たり見た感じで使えなさそうなものは持って行ってもらった。さて、やりますか!子供たちが帰ってくるまでにでかさないと大変だ!と、ふと気づくとまだ旦那の両親はこない。旦那に聞いてみた。「あれ、お義父さんたちは?」と、それで気づいたのか、それともわざとなのかわからないが、「あれ?そういえばこないな、電話してみ
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新しい人生の幕開け…7

家に着いた。彼は、そそくさとなにか準備し始めた。「これからどこかに行くの?」と聞くと「仕事」と答えた。え?婚姻届け一緒に出しに行ってくれるんじゃないの?という言葉と気持ちを飲み込んだ。「明日出発かと思ったよ…気をつけてね」「うん」とだけいい、彼はさっと仕事に行ってしまった。私だって…一応○○の日記念日だから~とか言ってみたかった。他のカップルと同じように…。それにいつ出してとか、○○日出してとか全く婚姻届けを出す日すら何も言われていないし相談もなかった。これをどうしたらいいんだろう。彼に電話して聞いてみることにした。「一緒に出しに行こう」…その言葉を期待して。彼はすぐに電話に出た。まだ近くにいる時間だ。「あのさ、婚姻届け…どうすればいい?」そう聞くのが精一杯だった。「あ、出してくればよかったなー…。まだ日にち書いてないもんな。俺もまたいつ帰れるかわからないしな…。」「………」無言になってしまった。私が勝手に出すようなものではない。いくら証人が揃っても…。彼の気持ちがわからなくなった。なんのために同僚までお願いして証人を書いてもらったのか。無言でいる私に彼は言った「お前、都合のいい時出しておいて!で、出したら教えて」と…。一番聞きたくない言葉だった。「私が結婚記念日になる日を一人で決めるの?」とちょっと突っ込んで聞いた。「しかたないだろ、俺は仕事休めないし積み下ろしの時間も決まってる。俺が帰ってくる日に役所が開いてるとも限らないし、帰ってからは休みたいし…長距離運転手の嫁はそういうもんだ」と返ってきた。私の知っている限りでは長距離の旦那を持つ人はいなかったからわからなかった。知っ
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新しい人生の幕開け…6

彼に、いつ言おうか迷っていた。電話でする話ではない。私の感情はバラバラだった。ここまで来たのに…。彼も凄く頑張ってくれたのに…。同情だけでは絶対できないことまでしてくれたのに…。やっぱり相手も自分も子供たちも「不幸」にするのはいつも「自分」幸せだった。そんなことを思っていた、その日の夜。彼から電話がきた。私はドキッとした。彼は相変わらず「何してた~?」とノーテンキな話し方をする。私はいつも通りに接することにした。なにせ彼は運転手だ。事故に遭われたら大変だから。普通に日常のことや子供たちの話などをしていると珍しく彼が「そういえば婚姻届けのことなんだけどー」と切り出してきた。私はまたもや「ドキッ」とした。触れないで置こうと思っていたからだ。私は「うん」としか答えられず黙ってしまったが、彼は続けざまにこういった。「俺の運転手の仲間に証人になってくれるって人がいてさ!別にだれでもいいんだろ?親族じゃなくても!」と一気に話された。私は「え?なんで?どういうこと?」と聞き返してしまった。彼は「どういうこともなにも、お前に身内もいないのはわかってるし、今始めたばかりの保険屋で証人になってくれる人いないだろ、だから俺が探しておいた。」というのだ。私は、心底「また迷惑をかけてしまった」と思った。だから私は「ありがとう…けどそれには甘えられないよ。言おうと思ってたけど、入籍諦めようと思ってたんだ…。」と言ってしまった。我慢ができなかった。彼にばかり負担をかけてしまっている自分が惨めで情けなくて、不甲斐なくて迷惑ばかりかけている自分に彼の職場の人まで巻き込むなんて…。それを聞いた彼は「なに言ってんの
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新しい人生の幕開け…5

本当に自分は役に立たない…。両親…いや、片親だけでもいない、ということはどれだけ、孤独で辛くて苦しいものか…。もちろん、自分で全て選んできた。それでもやっぱり頼りたいときもある。かといって私は改めてあの「母親」とつながりを持とうとは思わなかった。これ以上「自分の人生」に関わってほしくなかった。証人だけ、という理由だけでは安易すぎる。それなら「入籍」などいらない。婚姻に関して頼れる人もいない…。それだけの「信頼関係」を築いてこなかった。前のアパートの近くなら、I子さんに頼めたかもしれないが、それもなんとなく遠慮した。そうして数日たったある日、Rさんから電話がきた。まずは、子供たちを引き取ったことは伝えなければならない、それは筋として…。Rさんは苦手だったがそれはRさんのフォローもあったから当然。子供たちを引き取ったことを伝えた。Rさんは喜んでくれたが、なにを察したか「あんた再婚する気じゃないだろうね」と言われた。え?だめなの?一瞬、なんでこの人の言うことを聞かなければならないのか全く理解できなかった。なにか「全否定」された気持ちになった。相変わらずの「マシンガントーク」を聞き流し、ふとした時に「うん、再婚する」といった。これは再婚したら苗字がかわっていずれバレるから今のうちに伝えておこうと思った。それに対しRさんはあまり面識のない彼に対し、相当な文句を私にぶつけた。要は「もう子供も引き取ったんだから、あいつは捨てろ」ということだった。私は確かに彼はぶっきらぼうではあるけど、「親を捨ててでも私たちと一緒にいる」という言葉を信じたかった。Rさんに対し反論をしようものなら倍になって返っ
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新しい人生の幕開け…4

入籍はまだしていなかった。子供たちを引き取るのが最優先だったから。そうしているうちに半年の年月が経っていた…。子供たちもスッカリ保育園や生活に馴れ、私も順調に仕事をしていた。仕事は思ったより順調で、今までは貰ったことがない給料の額になっていたが、私は今までと同じ生活をしていた。そして密かに「貯金」をしていた。子供たちがこれから小学生になるときの「準備費用」として貯めていた。なんでも彼には言えなかった…。かといって信用していないわけではない。どこか「迷惑」だと思っている自分がいた。日々の生活は彼の給料と私の給料で生活していた。それでも月に20万円くらいは貯金できていた。ある日彼が仕事から帰ってきたときに思い切って聞いてみた。「入籍、どうする?いつにする?」と…彼は「あ~、忙しくて忘れてたな…」と…。入籍って忘れるものなのか、とも思ったが言えなかった…。彼は続けてこういった「今度帰ってくるときに入籍するから婚姻届け、もらってきて」と…。私はなんだか腑に落ちなかった…。それは「しょうがない」という感じがしたからだ。疲れているのかもしれないが、私は再婚になるけど彼は初婚。なんだか私だけが「浮かれている」と思ってしまった。元旦那も「プロポーズ」なんかなかったから、ちょっとは期待した。それと共に「フラッシュバック」のような感覚に陥ったが、すぐにその記憶は自分の中で消した。私は彼の言葉に「うん」としか返せなかった。翌日、私は市役所に行き「入籍届」を取りに行った…。本当はこれって二人で取りに来たかったな…。その気持ちを抑え受け取った…。仕事から帰り子供たちにご飯やお風呂、そして寝たのを見計らっ
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私たちはいつでも

私は、自分が加害者側になる可能性は いつでもあると思っています。 「まさか自分が(笑)」 そう思っていたことほど、 身をもって経験するよう、 人生はそのようにできていると感じます。 ---------------恵まれた環境下でできることと 不安定な状況下でできることは異なります 精神的に追い込まれた状態、 生活がかかっている状態、 生命に関わる状態でも、 同じ対応をとれるかどうか それは実際にその状況になってみないと、誰にもわかりません。 「絶対に裏切らない」と言っていた人が 簡単に手のひらを返したり、 予想外な人が助けてくれたり、 思っていた以上の自分の冷酷さがみえたり、自分の卑しさに驚いたり、それは実際にその状況になってみないと、 誰にもわかりません。 だから、 その状況に陥って初めてみえた自分 その状況に陥って初めてみえた相手を そんなに責めなくてもいいと思います (  それを受け止めたうえで、  その先どうしていくかを考えるのは  とても大事だけど )--------------- 私たちはいつだって 光にも闇にもなる可能性があることをそれらは一対として自然なことであることもそのバランスの中で 冷静に自他をみていく必要があることも 心に留めておきたいです。
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第2の人生の幕開け…3

私は翌日、会社に休みをもらい、息子と娘と3人で過ごした。保育園の登園の準備もあったが、何より3人で過ごすのは何年ぶりだろうか…。本当は彼も一緒にとも思ったが、彼が帰ってくるのは週末だ。そう何日も空いてはいないのだが、3人で過ごしたかった。思いっきり甘えてほしかったし、私自身も安心したかった。朝はゆっくり起きて、3人で朝ごはんを食べ、私が家事をしている間、子供たちはテレビを見ていた。たまに娘が息子に「絵本」を読んであげたりもしていた。そうして10時頃だったと思う。近所の公園に3人で遊びに行った。ヨチヨチ歩きではあったが、とても歩くのが好きなようで、ゆっくり…娘も歩幅を合わせて歩いた。そして公園に着くと、二人は待ってました!と言わんばかりに遊具で遊んだ。私は、シートを敷いて準備をした。そして、息子や娘と一緒に遊んだ。さすがにまだ1歳半の息子を一日中、公園で遊ばせるのも、体力的に持たないだろうと、午前中で帰ってきた。帰りは疲れて歩けないかな?と思ったが、全然疲れている様子などなく、ちゃんと歩いて帰ってきた。お昼ご飯を食べて、「昼寝」をさせようと思って食器などを片付けて…ふとリビングをみると…そこには二人で手を繋いで寝てしまっていた。私は「これが姉弟かぁ…すごいなぁ…」と感心しつつも、微笑ましく見ていた。明日から登園させよう。この子たちなら大丈夫…。そう思えた。私は静かに明日の登園の準備をした。そこでふと、息子がお世話になっていた施設の人たちの最後の涙と、プレゼントを思いだした。そうだ、初登園は頂いたトレーナーにしよう!私も明日からは仕事に行かなくちゃ…。二人を引き取ったからってゆっく
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私はこれが苦手です

このシリーズを見る度に胸が痛む ---------------みんながみんなじゃないかもしれない、 全員の思いはわからないけど、 虐待したくてしてる人ばかりじゃないと思うんです 頑張りすぎた結果、の人たちだってたくさんいると思う もちろん、 子どもは保護・庇護される側で、 保護者は護る側、 そこには大人側の未熟さは多いにあると思うし、 理由があれば暴力が許されるわけでもない それは大前提として、だけど、 子どものSOSは同時に 保護者のSOSでもある、という視点を 忘れてほしくはないのです -------------------わが子は、 人一倍繊細な部分があり、 私には予測もつかないことが引き金となって 何時間も泣き叫び続けることがあります。 「ご近所さんはきっと、私が虐待していると思っているんだろうな」 そんな切なさとともに、 突然パニックを起こす子どもの対応に追われる日々です。 その状況も、その不安も なかなかに心身を蝕んでいくため、 どうしようもなく追い込まれたときには 怒鳴りたくなるときも叩きたくなるときもあります。 その衝動に駆られるたび、「あぁ、虐待の始まりはこうなのかもしれない」と思うのです ------------------- もしポスターの文言が、“虐待かもと思ったら” よりも、 “助けを必要としている親子がいるかもと思ったら” なら、 大人側はどんなに救われるだろうと このポスターを見る度に感じます
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第2の人生の幕開け…2

息子が家にいる。「夢なんだろうか…」と何度も思った。娘も保育園に行っている。これで私の目標は「達成」できた。子供たちを引き取るまで約2年。女性相談所で子供たちと離れてから、とてつもない時間とたくさんのことを経験した。息子と遊びながら、娘の帰ってくる時間を待った。夕方5時娘を迎えに行った。もちろん息子を一人にはできないので車に乗せて…そして、保育園の園長先生にも顔出しのためにも連れて行った。まずは園長先生のところに挨拶に…園長先生は「あら~!!よくきてくれました~!!」と、息子に向かって話しかけていた。職員室に入ってきた先生たちも「こんにちは~かわいいねぇ!いつから登園するの~?」と気軽に声を掛けてくれた。息子は先生たちの顔を見ても怯えることもなくニコニコしていた。前もって息子の入園のこと、そして登園のことは園長先生や市役所の人と話が済んでいたため、スムーズに会話は進んだ。園長先生は「この調子だと明日から登園させてもいいわね!」と言ってくれた。そして、待ちに待った「娘との対面」娘も当時まだ2歳半くらいだったから「覚えているか」が気になったけれど…息子を抱きかかえたまま教室へ行くと、真っ先に「○○~!!」と息子の名前を呼んだ!そして、真っ先に息子に抱きついた。そして、「一緒に帰ろうね」というと「ほんと?○○も一緒に暮らせるの?!」と驚きながら、けれどとても嬉しそうにピョンピョン跳ねながら話してきた。そして先生に帰りの挨拶をして車に乗り込んだ。娘は興奮気味だった。「お母さん!今日は○○の好きな食べ物にしよう!」などと話しながらも、息子にも話しかけながら家路についた。そして、私はまず「
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第2の人生の幕開け…1

数日後、息子を引き取りの日が来た私は朝からソワソワしていた。娘を保育園に登園させ、その足で施設にむかった。車には新しい「服と靴」を乗せて…。施設に着いたら職員の人たちが出迎えてくれた。そして、事務室のようなところに通され、息子の日常の様子などを細かく説明された。私がそれを聞きながら話をしていると、一人の職員の方が、だんだん目を潤ませ始めた…若い女性の職員の方でした。「息子君、とても懐いてくれて…こんな私が言うのも何なんですが…家や仕事で辛い時は必ず息子くんが笑顔で居てくれるんです…その笑顔にどれだけ癒されたかわかりません」と…。他の職員のかたもそれを聞いて最初こそ「ほら!泣かないの!」と言っていたが、その場でみんな、もちろん私もボロボロと泣いてしまった。私は「ありがとうございます」としか言葉がでてこなかった。施設長の方も慣れているはずなのに泣いていた。続いて施設長の方からこんな言葉をいただいた…「今の世の中、子供を平気で捨てたり、施設に預けたままで全くあいに来られないお母さんもたくさんいます。けれど息子君のお母さんは断トツで違いました。最初はこちらも段々来なくなるんだろうなと思っていましたが、毎月必ず会いに来られる姿を見て本当に励まされました。お母さん、これからが大変だろうと思いますが応援しています。」と。私はただただ頭を下げるだけしかできなかった。そして、職員の方々が席を外した…。あれ?と思ったが、そういうものか、と思っていた。その間、施設長とこれからの話などを軽くしていたら、先ほどの職員の方たちがまた入ってきて…「お母さん…これ…息子君に使ってください。本当はこういうことは
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新しい自分へ…

そんな日々でも、それでも「時間」というものは過ぎていった。あとは息子を引き取るだけとなった。入籍は全部子供を引き取り、そしてそれが落ち着いてからにしようと決めていた。そうしているうちに「一か月」はあっという間に経っていた。娘も保育園に慣れてきていたので「同じ保育園に」と思っていた。そしてそれを保育園の園長先生にも相談した。そしたら園長先生は心よく快諾してくれた。よし!また一歩進んだ!引き取る環境は揃った!あとは彼に相談して時期を決めようと思った。そして、その日に早速相談した。彼は相変わらずの長距離運転手だったから、相談などは全て「携帯電話」で行っていた。そのことを相談すると「保育園もOKしてるなら一日も早いほうがいいね」と言ってくれた。そうなると早速私は次の日「児童相談所」に電話した。何にをするにも「児童相談所」を通さなければならなかった。それも仕方ない…。児童相談所に電話したら「面談」をしたい、とのことだったので近いうちに面談することにした。もちろん児童相談所は土日休みなので、私は休みを取って面談を