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地獄への道…10

こんな人生、終わってしまいたい。そうずっと思っていた。その度に「自分には子どもがいる」と言い聞かせてきた。私の感情など、どうでもいい。この子たちが「幸せ」であればそれでいい。私の役目はこの子たちを自分のような惨めではなく「幸せな人生」を送らせてあげること。それだけしか「私の価値」は要らないし、価値すらない。息子が「支援学校」に通えるようになるまで、家にいたが、それを心配した支援学校の校長先生から電話が度々きていた。「息子くん、どうしてますか?もしよかったら、転校手続きが終わるまで、少し学校にきませんか?」と言ってくれた。私は、涙が出るほど嬉しかった。私は「ありがとうございます。息子は今外で遊んでいます。息子に話してみて、もし希望があればお伺いさせていただきます!」と答えた。その日の夕方、息子が帰ってきた時、早速聞いてみた。そしたら息子は「え!!いいの!?行きたい!」と飛び跳ねて喜んでいた。私もそれを見てとても嬉しくなった。翌日、早速学校に電話した。校長先生に代わってもらい、息子が行きたいと言っていたことを伝えたら「いつでもお待ちしています!」と言ってくれた。息子は「明日にでも行きたい!」という感じだったし、この電話で行くことを伝えた。「学校の都合が良ければ、明日にでも伺いたいのですが…」というと「もちろんです!明日は学校の方も特別な行事がないので、ぜひ!先生にも話しておきます!」と言ってくれた。そのことを息子に伝えると息子は張り切っていた。まだ、転校できるとは決まっていなかったが、それでも「学校にいく」ということは子ども心に嬉しかったのだろう。お姉ちゃんや妹も誰も責めたりはしな
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安全基地を理解する

こんにちは!食べ過ぎの日々の原です。痩せないとなーと思いつつ食べてしまいます。さて、最近、アタッチメントについて取り上げてきましたが、これに関連してとても重要な概念があります。それが「安全基地(secure base)」です。以下では安全基地の説明をしていきたいと思います。安全基地とは、2~3歳頃になる子どもにみられるもので子どもの不安やストレスを軽減して安心感や安全感をもたらす養育者の存在のことを言います。アタッチメントのタイプがどれなのか理解するためにエインズワースがストレンジ・シチュエーション法を作ったのですが、安全基地もエインズワースによって作られました(別の研究者が作ったといわれることもあるのですが、ここではエインズワースにします)。安全基地について例えば、公園に行くと子どもが1人で遊びに行きますが、困ったり泣いてしまったりして自分自身の不安感が高まったら母親のもとにいくのは母親が安全基地の役割をしているといえます。より専門的な表現をすると、子どもが1人で探索行動をしている中で不安場面や恐怖場面、欲求不満場面が生じるとすぐに養育者(主に母親)のところに戻ってきて接触行動や定位行動をとります。これは、養育者との物理的接触を取ることで安心感や安全感を持とうとするアタッチメントの行動といえます。大切なのは、子どもが1人で探索行動をして不快な場面が生じたら養育者のもとに行き、ストレスや不安感を低減させてからまた探索行動に行くことを繰り返すことです。これを何度も行うことではじめてのおつかいにも行けるようになるのです。子どもの発達で安全基地が取り上げられることが多いのですが、人間
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地獄への道…9

保育園から受けてきた「発達検査」。息子は小学5年生になっていた。それでもまだ自分の「名前」さえ漢字では書けなかった。決して複雑な書体ではない。名前だけでも画数は20。マンガを買ってみたが、見ているのはマンガの「絵」だけ。内容は理解できていない。マンガもその当時流行っていたアニメで、わかりやすいかと思い購入した。それでもペラペラとめくって終わった。「面白くないの?」と聞いてみたが「よくわかんない!」で終わってしまった。一緒に読もうか、と誘っては見たものの断られてしまった。だが、息子の「コミュニケーション能力」は、他の姉妹より長けていた。どこでも「友達」になれる。それは凄いことだと思った。そこを伸ばしてやりたい。いい意味でも悪い意味でも「KY」なのだ。いつだったか、学校の先生に言われたことがある。「息子君ね、すごいよ」と笑いながらだったが話してくれた。先生が廊下を走っていた生徒を廊下で叱っていたそうだ。数人いたそうだが、先生自身も叱ったのはいいが後に引けなかったという。そして次の授業の時間まで怒りを持ちこしてしまい、生徒も先生もどうにも引けなった状態だったという。そんなところに、息子が「♪~♪~」と鼻歌を歌いながら廊下の影の階段から降りてきたそうだ。息子の鼻歌を聞いた先生と生徒は、あまりの可笑しさにお互いに笑ってしまい、その場は納まったというエピソードがあった、という。階段を下りてきた息子は、そんなことはつゆ知らず、シレッとその場を去って行ってしまったと。「お母さん、本来はね、先生が怒っている声なんかを聞くと他の生徒は静かにして当たり障りないようにしていくんですよ、けれど息子君は違
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今では考えられない母の怒り方

とにかくヒステリックな人でした。 何がきっかけでキレ始めるか分からず、一度切れたら数時間にも及ぶお説教。 お説教と言えるのかは、別ですが。。。 元々理容師をしていた祖母が亡くなる前までは、祖母が髪を切ったり 眉を整えたりしてくれていました。 祖母は私の入学式の日になくなりました。 おしゃれやメイクに興味を持ち始め 初めて自分で眉を整えた時のことです。 当時 結構、眉が濃く眉の真ん中が薄っすら繋がっていたので 洗面所にあった剃刀で眉の真ん中と眉の下を祖母がやってくれていたように剃りました。 整った眉で顔が違って見えたのか 母は眉を剃ったことにすぐ気が付き **「おまえ その眉毛なに?剃ったんか!?」**と突然キレはじめました。 いつも祖母がしていてくれた事を自分でしただけなのでそんなに怒られると思ってなかった私は何も言えず萎縮していました。 「正座しろ」と言われテーブルの前に座ると、母は剃刀をもってきて
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誹謗中傷やいじめの中で生きる④自分の気持ちを言葉にして自分を知る

言語化。言葉にする話をしています。ここでは、心理学に近い話を書いていきます。いきなりですが。この一言や誰かの言葉、何かの文章で、ふと、自分の考えが大きく変わることは、ないでしょうか?少し考えてみて下さい。好きな人とか、親、上司、先生、友人など、影響を受けた誰かの言葉が出てくるでしょうか?それは、もしかしたら、自分の中で言葉に出来ていなかったことかもしれませんし、自分が全く考えていなかった言葉かもしれません。前回紹介した本は、ベストセラーですが、知らない方が読むと、衝撃的な内容と思うかもしれません。このように、人は、自分の外にある言葉に影響を受けるのですが、求めているものが、自分の目や耳に入ってくることが多いです。例えば、忘れ物をすることが多くて、起こられたり、嫌がらせを受けている人がいるとします。この方が、発達障害のADHDという本を読んだときに、「もしかしたら、自分のことかもしれない。」と思うことがあるかもしれません。そして、ADHDのことを知ると、次の行動で、治療方法などを探していく行動に出る可能性があります。このように何かを知ることで、行動が変わるという事があります。例えば、学生がいじめを受けている時に、フリースクールのことを知り、この場所なら、学校に行けるかもと考えて、行ってみると友達が出来たという事もあったりします。このように言葉は、知識になり、行動に変わります。何がどこで、変わるか分からないので、色々な言葉に触れていくのは、大切な事です。個人的な話ですが、僕は、子どものころ貧しい環境だったので、クラスメートが読むような少年ジャンプなどの雑誌は、買えませんでした。よく
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理不尽過ぎる母 私の自己肯定感が育たなくなった原因

小学生の時、朝 学校に行くのが遅くなってしまった日のことです学校に遅刻の連絡をしてもらった事もなく、学校まで送ってもらったこともありませんでした。たぶん10時くらいは過ぎていたんじゃないかと思います。学校に向かおうを家を出るとき、「母からゴミ出して行って!」と言われ、結構大き目な段ボールにゴミが詰められた箱を渡されました。小学生の私にはとても重く持ち上がらず、引きずりながら運びました。ゴミ捨て場は一般のお家の前なのですが、すでにゴミの収集は終わった後だったようで一つもありませんでした。出さないと母に叩かれる。。。もうゴミないけど出していいのかな?と思っていたところ 収集場所の前の家の人が気付き「もう収集終わってるから出しちゃダメだよ」と注意されました。もちろん出してはいけないのは当たり前に分かっていたのですがその時はどうしよう叩かれる どうしよう。。。しか頭にありませんでしたとは言え持って帰るしかないし、ちゃんと伝えれば大丈夫だろうと自分に言い聞かせ また重い段ボール箱を引きずり自宅へ戻りました家の前に置いて、部屋にあがり 母に「ゴミ捨て場の前の家の人が、もう収集終わったから出したらダメだって」と伝えました。母は「はぁ???」とキレ始め、「あのゴミどーするん?」「私子が遅刻なんかするから間に合わんかたんじゃろーが!」「ゴミどーにかしてこいや!!」などの罵声を浴びせながら私を殴る蹴る。髪も引っ張られぐちゃぐちゃ 泣いて顔もぐちゃぐちゃ、その日は学校休みました。ちなみに学校に行くのが遅くなった理由なのですが、当時は3人姉妹(内3番目だけ弟)で3人分の洗濯済の衣類が部屋に山積みになっ
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自分が虐待されていたと気付くまで

皆さん こんにちわ、こんばんわ今日は自分が ”母の行為は虐待だったんだと気付くまでのお話です。小学校低学年の頃 祖母の家に預けられ、祖母と一緒にお風呂に入った時の事アザだらけの私の身体を見た祖母に「身体どうしたの?」と聞かれ、私「お母さんに怒られた」と答えました。お風呂から上がってすぐ祖母が私の自宅に電話をし「あんた、これ虐待よ」と言っていました。そのころ私自身 虐待という言葉も知らなかったですし自分が悪いから叱られたんだと思っていました。はっきりとは何を話していたかは覚えていませんが、祖母は結構長い時間、母と話しをしていました。翌日 学校があるため自宅に帰宅し母に言われたこと。「私(母)があんたを虐待してんだってよ。何が虐待じゃ、あんたがいらん事するけぇ怒られるんじゃろ」もうずいぶん前の事なので私が何をして怒られたのかは覚えていませんがこの頃は、蹴られるのは当たり前で、布団たたきやダスキンのモップの棒で叩かれたりしていました。祖母は母に虐待を指摘して以降 一つ変わったことがありました。武器が硬い物から柔らかい物へ記憶にあるのは 皮のベルト。硬い物で殴るとアザができるのですが、皮のベルトだと皮膚の表面が赤くなるだけでアザにはなりません。これも大人になってから気が付きました。。。そこから数年後 母からの暴力やお金の要求に耐えられなくなり家出をし関西に逃げ、野宿→パチンコ店で住込みバイト→夜職そしてモラハラ夫と出会い5年交際の後 妊娠出産。5年付き合っても、モラハラに気付かない超鈍感な自分に乾杯 笑そして一人目の子を産んで育児してて気が付きました。母の行為は虐待だったんだと。自分が
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地獄への道…8

2時間かかろうが、「息子の診断」をしっかりしてくれるところならどこでも診察してもらいたかった。藁にもすがる思い、とはこのことかと思うくらいだった。私は元々「地図」が苦手なので初診ということもあり電話して場所を聞いた。それでも想像は付かなかったが、「近くまで行ったらまだ電話してもいいですか?」と聞いたら快く受けてくれた。秋田市内すらあまり詳しくないが、そこを越していくとなると本当にわからない…。息子を乗せて長時間の運転に耐えられるだろうか…。その当時、私の車にはテレビがみれるようなものもなく、DVDを見せたいが、そうするとカーナビの地図が見れなくなる…。私は息子が退屈しないように話しかけたりして運転していた。その病院は、大きい病院のように「数か月待ち」という状態ではなかったため初診でもすんなり受付をしてもらえた。もちろん、発達障害の検査は時間を要するだろうが、まずは診察から…。数時間走っていくと、もう少しのところで道に迷ってしまった…。病院に電話するか…。電話してみると、丁寧に教えてくれた。「わかりずらいですよね、安全運転でいらしてください」と言ってもらえた。やっとの思いで着いた、その病院は周りには何もなく、道を挟んだところに喫茶店のようなものがポツンとあるだけ…。周りは木々に囲まれていた。建物は新しい作りになっていた。いよいよ診察である。受付に行くと笑顔で「遠くからお疲れさまでした」と言ってもらえた。待合室という「物々しい」感じはなく、まるで「別荘」を思わせるような造り。待っている人は置いてある本を読んだりしていたが、そんなに多くの人はいなかった。数分待っていると「こんなに早い
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地獄への道…7

生活保護が決定してから2週間くらい経っただろうか、保護のお金が振り込まれていた。少し金銭面的には安心したが、前にも話した通り「人間失格」を張り付けられたような感じがして、どことなく後ろめたさがあった。保護の振込金額は、子供手当などを相殺して振り込まれるが、それでも十分だと思った。車所有の件は、保護の方から「特別許可」という形になった。トントン拍子に物事が決まっていく中、私の体調は反するかのように悪くなっていった…。元々痩せていたわけではないが、体重は減り、とうとう血圧が上80前後になっていた。精神科に通うようになり、慣れない「薬」と合わない「薬」のせいか、脳みそが全く「機能」してくれない。とにかく「眠い」…とにかく下の子を保育園に預ける、というまでが精一杯になっていた。それでも「生活保護受給者」だと思われたくなくて必死だった。そして、「仕事を辞めたこと」も自分の中では消化できていなかった。けれど日を追うごとに「どうせ生活保護を受給するなら、うつ病をしっかり治そう!そして歯医者にも行こう…、行けなかった病院や自分の体を治していこう、それからまた社会復帰すればいい」と思うようになった。そう思えるまでに半年は掛かったと思う。それまでは「会社を訴えてやろうか」、母親のこと、父親の死、全てが「恨み」に変わっていた。母親の宗教、お金のこと、イジメられたこと、サラ金のこと、最初の旦那のこと、元旦那のこと…取られてしまった息子のこと挙げればキリがないほどに恨む要素はたくさんあった。自分は本当に愛されたことはあるのか…子供たちに愛情は与えてられているのか…ただ一つ親だからという「見栄とプライド」
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地獄への道…6

離婚してまだ半年経ったか、経たないかで元旦那からの再婚の電話。反対とかどういう感情よりも怒りや、「やっぱり…」という感情の方が強かった。その電話ついでに「生活保護を受けるかもしれない」ことも話した。そしたら「あ~じゃあこっちも都合がいいや、今までみたいに生活費入れなくて済むし、その話もしたかったから」人間とは思えない発言だった。けれど私はその当時、もう感情などほとんどなかったおかげでキレずに済んだのかもしれない。子供たちとの面会はどうするのか、と聞くと、「ん~今までのようには行けないからな~」と…。私は「じゃあコッチからなんとか言っておくよ」と言った。もう相手に期待しても無駄だと思った。全てを諦めていた。それでも子供たちの問題は待ってはくれない。次は息子だった。療育センターに通っていることも学校に話した上で、「特別学級」に通級していた息子。少しは環境がよくなったかと思っていた。息子は3年生くらいだったと思う。保育園の時から診察を受けていたが、一向に「診断」は付かず…。もう半ば「発達障害」のことは「秋田では診断できないのではないか」と不信感でしかなかった。そのあたりから私は個人で「発達障害専門」の医師を探していた。その最中、時折「学校に行きたくない」とまたいい始めていた。その度に、私は「無理に行かなくていいよ」と言ってきたが、お姉ちゃんの姿を見ると、それも忘れて学校に行ったりもしたが、どうしてもダメな時は休ませていた。そういう時は、なるべく公園に行ったりしていた。息子は「体を動かす」のが得意のようで、スポーツにとても興味を持っていた。ルールなどは覚えられないがゲーム自体は好きなよ
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「子どもに太る食事を与えることは、もしかすると虐待に値することではないか」と考えています。

親が子どもに食事を与えないことは虐待の典型的なパターンですが、 肉大好き一家とか、大食い家族とかのタイトルで、子どもにモリモリ焼き肉や食事を食べさせているテレビを数年前に見て、 モリモリ焼き肉を食べている子どもが、肥満体型だと目にした時に私は、 「子どもに太る食事を与えることも、虐待に値するようなものだ」と感じました。 このことについて、 摂食障害経験者なので、やや偏った価値観と、管理栄養士の知識で発言させて頂きたいと思います。 偏りがあるので不快に思われる方もいるかもしれません。すみません。ご了承下さい。 多くの子どもは親や親族のもとで、食卓に出された食事を(食物アレルギーや嫌いで食べられない他は)無条件に受け入れ、食べます。 食べることは生きるために必要だからです。 食卓には親の食事に対する興味関心、食事の嗜好はもちろん、食事への価値観がそのまま映し出されるし、 忙しい家庭では、お店で買ってきたものを家で食べる頻度が多くなるなど、食卓には家庭環境をも反映されるので、 子どもは親の「食」と食卓を囲む「環境」全てを、無条件に受け入れることになるとも言えるでしょう。 私自身はその時代にはまだ珍しい共働き夫婦のもとに育ったので、おばあちゃん子でした。 料理や家事を引き受けている祖母の食事は華やかさのない和食ベースの食事で、 母は「おばあちゃんは料理上手でレパートリーも豊富だった」と言っていたけど、それは大昔のことか、単に私が子どもだったから嗜好が合わなかったのか分からないけれど、 遠足に持っていくお弁当は毎回「茶色」という印象がする「地味弁」で、他の子の華やかな色のあるお弁当が羨ま
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地獄への道…5

私はとことん「今まで」のことができなくなっていた。 それでも必死に子供達には気づかれないように過ごした。 その間も、上の娘は小学5年生になり、息子は小学生2年生くらいにはなっていたと思う。 卒園から「療育センター」に通院していたものの、「発達障害」の診断は確定されることはなかった。 通級しながら学校に行く息子に異変も起きていた。 そして、上の娘にも異変が‥。 私は子供達を引き取ってからずっと「子供達の話はちゃんと聞いてあげよう」というのは心がけていた。自分の当時のことを思い出すと「会話」はとても「大切だ」とつくづく思ったからである。 自分の小学生時代は多分、親とのコミュニケーションが成り立たなく、友達との距離感や話し方、色んなことが欠如してたと思う。 大人になってからもとても苦労した。 その経験があるから「会話」は大切にしてきた。 上の娘の様子が変だと思い、「最近学校どう?」とそれとなく聞いてみた。 すると、娘は何やら言いたそうな言いたくなさそうなそぶりをしていた。 少し待って見ると娘が口を開いた。 「この前ね‥学校で2時間目の時に先生に机教室から出された‥私だけ廊下で勉強してた」 という。 はい?どういうことだろう‥。 私は、「何かしたの?」と聞いてみた。 私は自分の子供の話は聞くが「全部鵜呑み」にするのは違うと思うのだ。 話を聞くと、どうやら 「隣の席の子が何かを落としたのを拾ってあげたら、その瞬間に先生が見つけ、『遊んでいるなら教室から出ていきなさい!』と言われた」 というのだ。 娘もその子も先生のあまりの大きい罵声に驚いて、何も言えなかったそうだ。 それからどうしたか、
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地獄への道…4

私は出された薬をただ眺めていた。確か…「セルシン、パキシル」という薬だったと思う。その薬にどんな効果があるかなんて、わからず飲んだ。この薬で本当に「うつ病が治るんだろうか…」どれくらいで治るんだろう、そもそも「うつ病」は…家にいると色々なことが頭をよぎる…会社で私は何か先輩たちに「嫌なこと」をしたんだろうか、詐欺師とまで言われなければいけない何かをしたんだろうか…外に買い物に行くと知っているかのように「今日休み?」と聞いてくるのはワザとなのか…私はもう働ける場所なんかないのかもしれない…私は…そうだ…元々「誰からも必要とされていなかった」…もう涙すら出てはくれなかった。「明日…市役所に行こう…」けれど一つ心配なことがあった。それは母親のこと。保護を申請すると「親族に連絡が行く」というのを聞いたことがある。もし…私が保護を受給すると母親は目の色を変えて金銭を取りに来るだろう…アイツはやりかねない。それだったらいっそ、子供たちと死んでしまおうか…保護を申請するのにも凄く悩んだ。もし家がバレたら…またあの地獄のような日々が続く…せっかく女性相談所まで行って逃げたのに…それだけは避けなければ…。なぜ、それほどまでに「母親」の行動に恐怖を感じるのか…それは、やっぱり地元にいると嫌でも母親の話は聞こえてきていた。いかにも「子供を心配しない親はいない」とか「辛い思いをさせてしまった」などとお涙頂戴話をしているようだった。私はそこから母親のことを思い出すだけで「動悸」がするようになった。怒りと恨みと憎しみと…情けなさ…。私は何時間も子供たちが帰ってくる時間までずっとボーっとそんな事を考えていた
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地獄への道…3

いきなり、全ての「お金」が入ってこない状態に陥った。ただ「今すぐ食べ物がない」とう状態ではなかったから、なんとか「失業手当」が入ってくるまで頑張ろう、と思っていた。ところが…。その週末の恒例の「飲み会」の時、2人から言われた。「ヒカリちゃん、大丈夫なの?もう限界じゃない?」と…。彼女たちに何を言ったわけではない。元旦那からの振り込みもなくなった、などということも言っていない。いつもであれば「楽しい飲み会」だったのだが、その時は違った。Yちゃんたち2人が何を影で話していたのかは定かではないが、たぶん、今までの私を見てくれていたのだろう…。段々「痩せていく姿」と「なにも食べようとしない姿」、頼るところはないことは、もちろん知っている。私がどんなに話題を変えようとしても、2人は私の体と経済面、そして子供たちのことを心配してくれていた。いつもなら笑ってやり過ごす…そして、自分でなんとか解決をしてきたつもり。今回も特別なことではない、と自分では思っていた。2人に話すことになるのには時間は掛からなかった。そう…「なんで仕事を辞めたか」仕事のことも2人には話していなかったが、Gさんに仕事のことを聞かれたのか、なんだったのか…きっかけは忘れてしまったが、仕事のことを聞かれた時に、私は感情を抑えられなかった…。私はあまり「人前」で泣いたことがない。それが自分の意志とは裏腹に、涙が出て止まらなかった。その時、初めてYちゃんたちに「仕事を辞めたこと」を話した。そのいきさつも全部。けど「どうにかなるよ!」をおどけてみせたが、Yちゃんは顔面蒼白。私がどんな思いで「仕事をしていたか」を知っていたし、なんだ
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地獄への道…2

私は子供たちに「仕事を辞めた」ことを隠していた。いつものようにスーツを着て、保育園にいつも通り送った。けれど、その後から行くところがない…。そのまま家に帰る…。私は気分転換に友達を呼んだ。今まではあまり関わりのない友達?知人といったほうが当てはまるのか…。その知人Yちゃんに連絡してみたところ、快く遊びに来てくれた。何も聞かず、ただ他愛のない話をしたりして過ごした。多分スーツを着ているから仕事の合間に会っているのだろうと思っていたと思う、Yちゃんは3勤3休の仕事をしていたため、ただタイミングがよく会えたのだ。それから何回か会う機会があった。私は、他の仕事をしないと!!と思いつつも…買い物にスーパーに出ても「あれ?今日お仕事お休み?」と保険屋で出会ったお客さんに話しかけられる。私は「あ~…はい…」と言葉を濁す。「辞めた」とは言いたくなかった。辞めたくて辞めたんじゃない!!そう叫びたかった。その瞬間!!今まで味わったことのない「動悸」がしたのだ。もう立っていることすらできず、しゃがみこんでしまった。なんだ?!これ!!誰かが話掛けてくれたと思うが、声があまり聞こえてこなかった。しゃがんで少し経ったら落ち着いた。立ち眩みだったんだろう…。そう思った。さすがにビックリした。血圧もそんなに高いわけではない、むしろ「低いほう」だったから「たちくらみ」だと思った。買い物を済ませ帰宅したとき、また激しい動悸…。なんだろう…。そういえば、仕事を辞めてから、ご飯…食べていない…。何日経っただろう…。そう、私は家ではあまりご飯を食べていなかった。そもそも。朝は子供たちの準備や家事で食べずに出社していた、
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地獄への道…1

アパートに引っ越してから3か月くらいだろうか、仕事も順調だった。次々と業績も上がり、自分でいうのもなんだか、私が入社したときは営業員が私を含め4人しかいなかった営業部も25人にもなっていた。ほぼ私の「部下」と言われる人たちである。全国入賞も何度もした。実際、成績を挙げているという感覚がなかったので、特別偉ぶったりることはなかったように思う。よく「保険屋」というと名義貸しであったり、架空契約などがまだあった時代ではあった。けれど私の場合は契約をするのはお客さんの「職場」か自分の会社に来てもらう、というスタイルが9割を占めていた。会社に来てもらうことで上司とも面談できる。全ては「不正な契約ではない」という証明にもなるのだ。「押し付けない営業」が功を奏したのか営業員も増えていった、というのが今となっては成績に繋がったのだと思う。そして、そうしている間に一度だけ、旦那がアパートにきた。それは何でもない日だったが、アパートまでの場所を教え、子供たちに「お父さんがくるって」というと、喜ぶのかな、と思ったが予想とは反して「ふ~ん…」だった。あれ?私旦那の悪口とか言ったかな…態度に出たかな…なんだろう…と少し心配になったが、来ることが決まっていたので来た時の態度やその後の気持ちを子供たちに聞いてみようと思った。旦那はアパートの玄関…といってもすぐキッチンなので丸見えなのだが「こんなところに住んでるのか…狭くないか?」と言ってきたが「大きければいいということではないから十分です」といった。そして、子供たちが部屋から出てきた。リビングとは呼べないようなところで少し会話をしたりしていたが、どこかぎこ
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新しい人生の終焉…7

私は早速、その大家さんに電話してみた。人の良さそうな人でとても優しかった印象を受けた。そして空いているかを聞いたら、「リフォームしてないけどそれでもいいなら入れるよ」と言ってくれた。どうせ、子供たちから汚される(-_-;)私は「大丈夫です、見せてもらえますか?」と聞くと快く快諾してくれた。翌日、仕事の合間を縫って物件を大家さんと一緒に見に行くことにした。2DKとはいうものの1部屋が広かったのでとても良かった。小さくではあるけど「小屋」も付いていた。隣の人の間に小屋が挟んであったので「防音」という意味もあるのかもしれない。そう思ったら、とてもいい条件だった。車も止められる。そして、なにより…アパートの前がとても「急坂」だった。これが「いい条件」な話はまた後で話そうと思う。大家さんは「こんなボロだからお子さんとかいるなら敷金とかいらないよ!」と言ってくれた。私は凄く親切な大家さんと思ったよりいい物件で「即答」した。大家さんはおじいちゃんではあるがとても元気そうな人だった。「さすがに今は契約書はないから来月入居の契約書作ってくるけど、入るなら今月の分はいらないから~鍵だけもう渡しておくね~荷物とかたくさんあるでしょ~」ととても気さく?というか、コッチが堅苦しいのおか?というくらい気さくな大家さんだった。そして私は、「そうすれば今月からお願いします」と言って、お互いその場を後にした。私はその日にもう旦那に言うことにした。とりあえず、仕事を終わらせ、子供たちを迎えに行きご飯とお風呂を済ませて、子供たちが寝るのを待って旦那に電話をした。「もうアパート見つかったから後は手配よろしくね」と。そ
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普段の活動③ラジオ10月前半放送★「命の授業」 ➡カサンドラ相談

命の授業11月18日(土)平和を祈る広島から送ります。講演会*Your Life ~あなたの命~ に登壇される広島ご当地ヒーロー安芸戦士メープルカイザー製作委員会 代表 木村和彦さんをお迎えし、収録を無事終えました。幼少期に預けられていた叔母さまからの虐待が周囲に発覚し、その後児童養護施設に預けられ、いじめを受ける、というこども時代を過ごされた木村さん。大人になっても生きづらさを抱えながら、何とか生きて来れたとおっしゃいます。つらいだけのこども時代に、当時こどもたちに大人気だった、仮面ライダーが助けに来てくれると信じ願っていた、その時の想いから、現在のご当地ヒーローとしての虐待防止啓発活動を始めたのだそうです。*こども時代に受けた心の傷が原因かどうかわからないけれど生きづらさを抱えている。*自分は虐待サバイバーです。だいぶ無かったことにしたけど、今でも苦しみが消えていないもかも。このような方はおられませんか?収録ではこれまでのご体験や想い、11月の講演会への想いをお聴きしました。こんにちは!ももままです♪少しずつ涼しくなってまいりましたが、それは以前の35度を超える暑さに比べてしまうからこそだと思います。まだまだ最高気温は30度越えの東京です。残暑厳しい折、皆さまいかがお過ごしでしょうか?今日の画像はスッキリとは到底言えませんが(笑)人となりをご紹介する時に「スッキリ」にはなかなかできないものです♪ご興味のある方はこちらに。ちなみにインスタにも上げたものはこちら▼もし30分お時間がありましたら、Your Life~あなたの命~のご紹介の収録をYouTube動画にしましたので、観
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新しい人生の終焉…6

その日は何もできない、と言われ点滴を打たれたまま気を失ったように寝ていた。翌朝起きたら、看護師さんが「体調どうですか?」などと言いながら血圧や体温を測ってくれていた。お腹に違和感はあったものの昨日ほどではない感じがしたので、「もう大丈夫です」というと看護師さんは血相を変えて「あんた!なんでここのナースセンターの前の病室にいると思ってんの?あんた昨日死にそうだったんだよ?血圧も上60もなかったし!」と怒られてしまった。血圧なんて普段測ることもないから、それが異常なのかなんなのかすら分からなかった。病院のご飯を食べていると、旦那から電話がきた。「あれ?起きてるの?子供たちのことが全然わからなくて…保育園に何を持たせればいいの?朝ご飯はどうしてたの?」という電話だった…。私は「入院している場合ではない、もう帰ろう」と思った。過去にもあった…同じことが…。そして過去にも2日で退院してきている。医師のいうことも無視して…私に「休んでいる時間」も「体を治す時間」もないのだ。ましてやこれから「離婚しよう」としているのに…。この弱みに付け込んで離婚がなかったこと、になるのも、すごく嫌だった。もしかしたら「プライド」だったのかもしれない。けれど、私は「引き返す」選択肢はなかった。その電話を切った後、点滴などを変えにきた看護師さんが「午後から診察ありますからね」と言って去っていった。今日のところはまず保育園や学校に行くとどうにかなるだろう…子供たちが帰るころには家に帰っていなければ、子供たちも心配するし、ご飯や洗濯や…などと考えていた。もう私の中では「今日中に退院」すると決めていた。旦那がお見舞い
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683鬱になりやすい人は・・・

鬱になりやすい人は・・・ 鬱になりやすい人は?、お誕生日を賜りますと解明できますよ。 お誕生日から「個性分析」を文書で長年お渡ししてきました。 その方の内面「A」は本来の性格70%です、ここから性格が見えてきます。 外面「B」は外でのその方の行動基本が見えてきます。 そして意思決定「C」です。 字のごとく、物事を考えて決める性格です。全ての枠(ABC)に「松個性」「梅個性」「桜個性」が入ります。 松個性: https://coconala.com/blogs/2610093/116928 梅個性: https://coconala.com/blogs/2610093/117001 桜個性: https://coconala.com/blogs/2610093/117536 各個性も掘り下げると4種類があります。 内容は上記のURLをご参考にお願いいたします。1.鬱になりやすい人の簡単な方法は「A,B,C」の中に桜個性が2個以上のある方。 2.意思決定「C」に桜個性がある方です。  何故「C」にあるとなりやすいかと言うと、自分の発言、行動を他人がどの様に見ているのか気になって病む傾向が高いからです。 3.「A,B,C」のいずれにも桜個性が無くて病む人は稀に幼少期の虐待が原因のものです。 個性分析、性格診断、月の運氣の3つが重要です。 上記の個性分析、性格診断は永久保存版です。 https://coconala.com/services/1834058 ※鬱を治すには、 ア)過ぎた事、1秒前の事、過去を忘れる訓練がいります。 これが前回お伝えしました「キャンセル、キャンセル、キャン
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愛のある男

子供を育てていると、人間がどのように意識が形作られていくのか、その後どのような人生をつくりあげて歩んでいくのかという一連の流れがみえるようになるのが良いところだと思う。 「こどもを育てる」ということだけに目的を絞ると、それはめちゃめちゃ労苦でしかないけど、子供によって多くの学びを与えられて、自分だけでは超えられない意識の限界を突破させてもらえることにありがたさや喜びを感じられるならば、子育ては本当に最高の修行場だと思う。 学校で問題を起こしている子供とそうでない子供の差は、はたからみると歴然で、いじめ、意地悪をしにいく子供は、例外なく、自分の親にいじめ、意地悪をされて育った子供である。いじめられる子供も、親に圧力をあたえられて、抵抗できないで育った経験のある子供で、この両者がそろってはじめて「いじめ」が成立する。 そもそも算命学では、加害者と被害者は、陰陽であると考える。つまり、片方だけがいた場合は、何事も事件は成立しない。同じ意識次元の極をつくる両者がそろって初めて、物事は成立すると考え、どちらが悪いというようなことは判断しない世界なのである。つまり、原因のない被害者はいないし、原因のない加害者はいないのである。 つまり、親が、子供のこころを尊重したり、人権に配慮したりして育ててこなかったからこそ、いじめる子供はひとを大事にするということが、本質的にどういうことなのかがわからない。子供のまちがった認知が外に出ているわけなので、親とのやりとりがどのようにあってそうなったのかまで見ないと、その子の本質は見えてこない。ちゃんと聞き取れば、過去のその子との関わりの中で発生した親の人格
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なぜ、解消する覚悟がない人は解消できないのか?

こんにちはつばさですせみの鳴き声もだんだん少なくなって夏が終わりにかけてますね私はひぐらしが好きなのでこの時期になると聞きたくなりますみなさんはどうですか?さて、今日は『自分の人生の課題を解消することの覚悟』です。今まで多くの方の支援をしてきましたが解消できる方と解消できない方には明確な差がありますそれは…『絶対に解消する!』という覚悟があるかないかですなぜか、『自分は何も向き合う気がないけれど、相談したら解消する?』と考えている方が一定数いるんですねこういった支援職の方はうすうす気づいていると思いますが本人が解消する意思を持っていないものを他人が解消の支援をしてあげることは100%不可能なんですねどんな解消する技術があっても、お金があっても、時間があっても、解消しない人は『〇〇が理由で、できません』と言います。…それって、本当ですか?私はそうは思いません。なぜなら、火事に巻き込まれた自分の子供がいたとして自分がその親でその子に価値を見ているのなら『どんな理由があっても、たとえ死のうが助けてあげたい』と思うでしょう。自分自身の価値がそこにあれば、誰でも解消したいと思います。解消しない方を見ていると、『解消しない方が自分にとって都合がいい』と勘違いしていることが非常に多いです。でも、解消しないでいることの方が人生が苦しくなることなんて頭で考えたらわかるのですがそれでもどこかで、課題を解消しないことを望んでいます課題を解消してしまうと自分自身が今まで悪者にしてきた相手が悪者ではないことを知ってしまうため抵抗してしまうのですだから、そういう時は誰がサポートしても課題が解消しません。あ
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新しい人生の終焉…5

証人の欄に書いてもらった後、旦那はモノも言わず、実家から出たが私は、一応、お礼をいい、その場を後にした。その帰りの車の中では、今後の養育費…というか生活費などの話になり…。初めは「やり直す前提」という離婚、だった。私も旦那を信じれる自信がなかったし、その旦那の顔を見て過ごすということや、今まで子供たちに「お父さんが働いてくれてるからだよ」というのがとてつもなく辛い。別に言わなくても良いかもしれないが、子供たちの中でも「お父さんがいない生活」そして、結局、学校の「保護者の欄」が私に変わるのだ。到底、隠し通せるものでもない。子供たちになんて言ったらいいかなどを話した。旦那的には、「どうせ今までも毎日帰る仕事じゃなかったし、たまに顔は出すからそのままで」と言っていた、なんでこの人は「自分のこと」しか考えられないんだろう…。本当に呆れた。生活費も15万あれば、今まで間に合ってきただろう?とまで言った。…そりゃね…それしかなかったと思ってたからね…私の給料とかをやりくりしてたよね…。その開き直る言葉にもイラついたが、もうこれを出せば「他人」…。「この足で直接市役所持って行く?」と聞くと、「それは俺がいない時に出してくれ」というのだ。なんて勝手なんだろう…。それをまず無視して、私は家計の細かいところを言った。子供たちには「学資保険」などが掛けてあった。その支払いや、今後私たちが住むアパートは自分たちで決めることも…。そして、旦那が自分で決めた15万の生活費を入れる口座なども話しあった。私も仕事がある。いつまでも時間があるわけではない。「離婚届け」いつ出そうか…。と考えていると「下の子供は俺
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【有料】療育的・特性的視点で読み解く「母の言うことより父の言葉は聞く」はなぜか?そして、虐待へとつながる関わりの話

前回の記事以前ツイッターで以下のことをつぶやきました 「母の言うことより父の言葉は聞く」は子育ての世界ではよく聞く なんで「言うことを聞く」のか。結論から言うと 「父が子育てに優れている」「母が劣っている」わけではない 経験上感じたことを療育的・特性的視点を基に、以下に記述していきますこのツイートも大きな反響があったので、ここに書き込みたいと思います療育的にみると「子どもが言うことを聞く構造が出来上がっている」 【母親】の場合子供と四六時中一緒の場面が多く、その中で常に子どもとやりとりが発生します 細かく見ていくと、関わり中に母親の声かけに対して、子供が「イエス」「ノー」で応える場面が多いです 多く関わっている母親は止める場面や注意する場面が必然的に増えます。イヤイヤ期を迎えると特に「ノー」が増えるのです 療育的視点で見るとすべてのお子さんに「自閉傾向」は少なからずあります
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新しい人生の終焉…4

私は決めた。…「離婚する」…。このままでは、不信感しかない、そして、また自分の心を殺して、このまま生きていくのか…。それで子供たちに「素直になりなさい」と言えるのか…。子供たちにどんな顔して毎日を送ればいいのか。親として、妻として…そして一人の女性として…それは果たして「正解」なのか…。色んなことを考えての「決断」だった。私の気持ちは何日経っても変わることはなかった。旦那が帰ってくる日を待った。そして、その日は案外すぐ来たのか、そう感じただけなのかはわからない。そして、子供たちが寝静まった後、旦那に話をした。「もうあなたを信じることはできない…。」と…そうすると旦那は「なんでこれからやり直そうとしているのに、そういうことをいうんだ!」と言ってきたが、その後に「じゃあ別れなくてもよかったじゃん」と…。なにを言っているんだ?この人は?自分の言っていることの意味も今口に出していいことの区別もつかないのか?私はキレそうにもなったが、「もう別れる」と決めた心には怒りなどはなかった。そして、私は淡々と続けた。「離婚するにも証人が必要だから、それはRさんに頼んであるけど、もう一人、あなたの方から出してね、それと慰謝料とか養育費を決めたい」と一気に話した。旦那はここまで言って初めて本気だと思ったのか「どうしたら許してくれるの?」「お前にだって悪いところはあるぞ」などと言ってきたが黙ってただ、反応もせず旦那の言う事を聞いていた。そうすると段々「わかった…もう相手とは別れたし、俺にはお前しかいないから、やり直すという前提で離婚しよう」と言い出した。なんて都合のいい人だ。こんな人だと本当に思っていな
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親権は本当に必要か?

皆様、いかがお過ごしでしょうか?暑いので本当に体調の方、ご気を付けてお過ごしになられている事を願っております。最近、Twitter(Xと改名されましたがTwitterと呼びます)の方で「親権はなくて良い」とのツイートをご覧になりました。これについて、私が思った事を記事にします。まず、親権は必要かどうか、結論から言うと私は…親権は必要ないと考えています。確かに子供、特にまだ小さければ何かあった時に子供は責任を取れません。しかし、親の責任にするとそれはそれで子供が虐待などの被害に遭う事をあり得ると思います。例えば、子供が何かやらかしたとします。それで親は罰のつもりであれも駄目、これも駄目と子供がする事を制限します。これはネグレクトに当たる行き過ぎた行いです。どんな理由があれ、これは親の方が重罪を犯しています。更にタチが悪い事に、子供がどれだけ訴えても親はもちろん、他所の人間、ましてや警察に知らせても子供のSOSは届かない事がザラにあります。こんな状況で、子供が学校から帰る時に家に帰りたいと思いますか?どんなに嫌がっても親権が関わる事でどうしても子供は実家に帰されます。家出をしても帰されます。このように子供にとって実家は安心出来る場所でなくても親権があるせいで他に住める所が子供にはない訳です。これはツイートで見たのですが、「普通育ちには親権などなくても自然に実家に帰って来ます。毒親育ちにとっても親権がなく他に暮らせる場所があれば子供としても安心」的な書き込みを見ました。本当に親権は邪魔な訳ですね。カウンセラーの資格を先日入手した私ですが、勉強した時に教材にこんな事が書いてありました。
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今を充実させる3つのコツ

わたしたちは親の育てられ方や子ども時代の友人や学校の先生の影響をうけています。 幸福も不幸も・・・。 いじめや虐待などの傷つき体験は、今の人間関係にも影響を及ぼしています。時に、自分が同じことをしてしまうのではないかと心配する人もいます。 不幸は連鎖させないようにしたいところです。過去の不幸を繰り返さないために、自分が過去の体験の影響で苦しまないために、今を充実させることのコツは以下の3点でしょうか。1.今を豊かに感じる工夫を2.気持ちにゆとりを 3.笑いのある楽しい生活を傷つき体験は、向き合うことがしんどいものです。何もかもをさらけ出したり、思いきって直そうとすることは負担も大きいことがあるので注意が必要です。時間をかけながら安心できる環境で立ち直ることを優先させましょう。 ケガをした野生動物が一時的に人間に保護されて、野生に戻るためのケアを受けるように。 心の健康の観点からは、今を充実させていきながら、安全に自分の今と過去に関われるようになることを目指すことをおすすめします。 時には後退することもありながら、小さな一歩を進めていきましょう。人生はいつだってここからです。 応援しています。
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新しい人生の終焉…3

それから半年の時間が過ぎた…。私もなるべく「自然」に振る舞うようにした…。夜の性生活は、その中でも「地獄」だった…純真と、そんな綺麗なことを言う気はないが…結婚する前の女性のことをどうの言うつもりは到底ないが、夫婦でいて…その間も私との行為もありながら、影でも誰かと行為をしている…。どうしてもそういう想像が私を苦しめた。もう別れたとはいいつつも…不信感しかない…。かといって、性生活を断って、それを理由にまた浮気されるのか、という恐怖が私を襲った。旦那はそんなことは「なかった」かのようにしてくる…。私は、あのおぞましい過去を思い出した…そう、母親に「売られた時」のこと…。感情を殺した、あの時のこと…。同じ感じがした。それからというもの、私は「性生活」を拒むようになってしまった…。私の中では、もう「離婚」という文字が頭にあったのかもしれない。別れたとて、給料が戻ったわけではなかった…それも「不信」の原因だった。本当に「別れたのか…」もう何もかも信じれなくなった…。けれど、その反面、私の仕事は順調だった。成績も伸びて、グングン昇格もしていった…。私を認めてくれる場所は「会社」になっていた。息子の診断はまだ、明らかにはならなかったが、自分には「やるべき事」がたくさんあった。その中で、たくさんたくさん考えた。自分の気持ちと向き合った。何度も書いているけど、子供たちを引き取れたのは今の旦那のおかげで、その感謝ももちろん忘れてはいない。それは到底、私一人のチカラでは成しえなかったこと…だけど、それとこれとは「別問題」であって、だからといって「やっていいことと悪いこと」の区別くらいしてほしかっ
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有名漫画家とその娘の確執

なんでも漫画家の西原理恵子さんの娘さんがブログで母親からの虐待を告発したそうです。かなり前のことなんですが、西原さんの昔からの大ファンである私としては、まったく知りませんでした。それはいいとして、ちょっとネットで関連情報を調べてみました。2022年6月に西原さんの娘さんが自身のブログで母親からの虐待を告発したんですね。娘さんは母親から暴力や暴言を受けた他、プライバシーが侵害されたと主張しました。西原さんは告発を認め、謝罪しましたが、娘さんは母親との絶縁を宣言しています。「お母さんは何を思って私の許可無く、私の個人情報を書いて、出版したんだろう」「個人情報を使って印象操作をしたり、人が嫌がっていることを無理矢理することは絶対に許されることじゃない」「お母さんは書かないでと言ったことをsnsに書いた」「私の個人情報をばらした上に私のメンタルを壊して」などと告発。さらに西原から12歳のときに整形手術を強要されたり、暴言を吐かれたりしていたなどと綴り、物議を醸しました。これに対して、おそらく西原さんのエッセイ漫画「毎日かあさん」(毎日新聞出版)の愛読者であろう人たちを中心にがっかりしたといった声が上げられました。しかし、言って悪いですが、こういう人たちは西原さんの他の作品、特に初期のものを読んでいないのでしょうね。尊敬する岡田登志夫さんがいうとおり、その作品で感動したからといってその作者を尊敬するのは大きな間違いなんですね。作品が素晴らしいからといってその作品を生み出した芸術家の人格が素晴らしいなんてことはありません。むしろ反対であることが多いようです。西原さんもそうで、人間的には欠陥
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新しい人生の終焉…2

Rさんが、夜にも関わらず、とんできてくれた。もしかしたら、「人の不幸」を興味本位で来たのかもしれない。それでもよかった。そんなことを考えられる余裕などはなかった。Rさんは「二人で話なさい」と子供たちの面倒を見てくれていた。私はRさんが来てくれたので安堵したのか冷静になった…。けれど私の怒りが修まったわけではない。旦那と二人で向き合って話をした。どこで知り合ったのか、いつからなのかなど色々…。知り合ったのは当時流行っていたゲームアプリ。半年くらい前からだそうだ。それって…ディズニーに行くかという話があったあたり…。その間には旦那は「家族ゴッコ」をしていたのか…。私たちと…。もう頭がパニックというか真っ白になった。頭が真っ白というのは、こういうことを言うんだなと、どこか他人をみるように冷静だった。子供たちにもずっと「お父さん頑張って仕事をしているから学校にいけるんだよ」とずっと言い聞かせていた。子供たちの前で一切「自分の稼ぎで」と言ったことはない…。私も前の旦那で少しでも学んだつもりだった。今の旦那に尽くしてきたつもりだった…。仕事中の急なお弁当、給料が少ないと私が借金していたこともある。舅姑、お墓まで全部させてもらったと自負している。旦那の顔は立ててきたつもり…。「うつ病」のことだって何にも言ってくれなかったから病院にもほとんど行ってない。私が何をして「他の女性と一緒になりたい」と思ったのか、そして何を思って家に帰ってきていたのか…。私と子供たちだけが「我慢」していたのか…。どんなにお金がなくても…どんなに子供たちはお父さんに会いたくても…。怒りも沸いたが、虚しくもなった。けれど
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当たるおもしろ7月17日から23日の星座別運勢占い

りゅうちぇるのご冥福をお祈りいたします。海水浴って7月1日からオッケイなんですね。もっとはやく海水浴行けばよかった・・コロナで色んな薬飲んでしまったから砂浴して化学薬品デトックスしたいです。先週の星座占いで、天秤座が冥王星+で蟹座がストレス-でフラワーエッセンスが太陽蟹座のエッセンスだったんですけど、有名人のりゅうちぇるとぺこファミリーを例に考えると実は天秤座と蟹座って正反対の価値観の星座で相性がとても悪いんですよね。でも、わがままで正直で内弁慶な蟹座さんにとって、わがままを抑え、他人に合わせ上手な天秤座は魅力的にうつって、天秤座が好きな蟹座さん多いんですよね。天秤座あるあるなんですけど、天秤座の人は一人と長く付き合うよりも、色んな人と仲良くなりたい、人気者になりたいって社交的な人が多いから、いろんな人と仲良くしたいから、我を隠して、他人に合わせ上手な人が多い。風のエレメントの星座なので恋愛向き、生涯独身貴族向きで結婚など家庭向きのエレメントではないんですね。それが天秤座さんの大きな特徴。蟹座さんはたくさんの人に好かれなくていい、友達一人だけでもいいから、性格の悪い部分も本性をさらけだせる、お父さんやお母さんのように自分の欠点も何もかもうけいれてくれる家族や恋人のような人が一人いればいいって感覚それが蟹座さんの大きな特徴なんですよね。蟹座の人が優しくて気を使ってくれる場合は、貴方に心を許してなくて、信用ならない人とみなしています。かに座の人は気に入った相手の前ではものすごくわがままになり、母親や父親にみせる姿をさらけだしてきます。だから、他人は他人、家族とは違うという感覚の人か
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愛着障がいとは?

 そもそも「愛着障がい」は幼少期の愛着形成が何かしらの理由で上手くいかず、大人になると自己肯定感などが低くなりやすく、コミュニケーションがとりずらい(コミュ障)や日常生活、心身の健康などに大きな影響を及ぼす可能性もあります。 大きく分けて「反応性アタッチメント障がい(反応性愛着障がい)」と「脱抑制型退陣交流愛着障がい」があります。 残念ながらこちらも脳みそ関係(メンヘラ)ですので、実際のところ'原因不明'です。 ですが、原因として考えられる可能性に「毒親」が関わっているはずです。・虐待があった・頻繁に親や養育者の交代があった(離再婚を繰り返すなど)・ネグレクト(育児放棄)・過干渉(子どもの自主自律を妨げ、支配する)・幸せの横取り、人格否定(「あなたは○○(いやな親族など)とそっくり」など)・きょうだい比較、子ども比較(子どもの'比較ぐせ'や恨みなどにつながります)・親自身がメンヘラ(精神系の病気)(特に、「新型うつ病」や「躁うつ病」、「境界型人格障がい」、「解離性障がい(多重人格)」「カサンドラ症候群」は周りの環境や自身の気分体調、対人関係に振り回されやすいです)(そして残念ですが、「カサンドラ症候群」はお医者さんたちが認めた「正式な病気」ではありません) 厄介なのが、気質特性が'発達障がい'、'HSC(HSP)スペクトラム(繊細っ子)(繊細さん)'と非常に類似しているため、医療関係者や心理学の専門家は特に慎重に診断、告知しないといけません。 そしてさらに厄介なのが、「発達障がい+愛着障がい」、「HSPスペクトラム(繊細さん)+愛着障がい」などの「併存当事者」も少なからず存在す
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新しい人生の終焉

浮気が発覚したのはディズニーランドから帰ってきて、半年も経たない頃だった。その日は、仕事から私も仕事から帰ってきて、子供たちにご飯を食べさせている時に旦那が、「これから帰る」と電話がきた。今までにも急に帰ってくることはあったので、さほど気にしていなかった。ご飯の準備しなきゃな、くらいの気持ちだった。そうして、旦那が帰ってきて色々していた。そうして一通り家事やら子供たちを寝せて一休みしようとしていた時「ちょっと話がある」と言ってきた。今度はなんだろう…。私は、仕事を変えるとかそういう話だと思っていた。「ごめん…好きな人ができた…」と…。私は呆然とした。私はどこか冷静を装っていた。「その人はどんな人なの?どこで知り合ったの?」と聞いた。そうすると旦那は「ゲームアプリで知り合った…最近家にこれなかったのは、その人の家に行っていたから……その人が弱いんだ!お前みたいに強くない!うつ病なんだ!俺がいないと」バアアアァン!!私は旦那の顔を叩いていた。「なに?誰が強いって?誰が弱いって?私もあんたと一緒になる前に病院で『うつ病』って診断されたとき、あんたなんて言った?ふざけんな!!」と怒ったというより、もう怒鳴っていた。旦那は涙目になっていた。「誰が子供産んでくれって頭下げたんだよ!お前に育てられんのか?それともなに、その女に育ててもらうのか?!!」と今までの「我慢」を全部さらけ出した。サラ金を払ったこと、生活費の足りない分をクレジットカードで補っていたこと、一人で育児をしてきたこと全部全部…。それでも旦那は「ごめん!すまなかった!」と土下座をした。それにも腹が立った。よくよく聞くと「毎月の
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新しい人生の幕開け…46

ディズニーランドを地図を見ながら色々回ってみたけれど、一生懸命回ったつもりが、ほんの一部なことに驚いた(笑)そして、いよいよお土産を買うことにして、お土産屋さんが立ち並ぶところに向かった。もう、どれがどれなのかわからず(笑)。色々見たいけれど、それどころじゃない人混み!!お土産、なんてものはそもそも「旅行」をしたことがないのだから、なにを買ったらいいかもわからなかった。お土産っていったいどんなのがいいんだろう…。まずそこからだった。ミッキーのかわいい缶に入ったクッキー…飴…は溶けそうだからやめようか…ぬいぐるみは…小さいのでも結構な値段がした。一か所で決めれず、他のお店もみることに…。けれど「なんの違いがあるのか」もわからなかった。子供たちも「これが欲しい!」「あれも~」で、ゆっくり選ぶなどという時間とか、「楽しむ」ということがうまくできなかった気がする。自分のお土産のセンスがないのと人混みと子供たちの声で私はなぜか焦っていた。けれど旦那は、人混みを避け、私たちとあまり会話をしようともしない。だから、旦那に相談したり楽しく話したりしてお土産を選べなかった。私は旦那のお義母さんたちにももちろんお土産を買っていきたい気持ちがあったから、なにがいいのか聞きたくても、そばにいない…。一度、店を出てから「お義母さんたち、なにがいいんだろう?」と聞くと旦那は「親父は酒でもいいんじゃね」と…なんでディズニーにまできて「お酒」なんだよ…。と思いつつも…、ディズニーのラベルかなんかのお酒があるかなど探してみたが見つけられなかった。もう15時くらいになって夜のパレードも見たかったが「帰り」のことを
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新しい人生の幕開け…45

ディズニーランドに入場した瞬間、子供たちはとても喜んでいた!「うわぁ~~!!ジャスミンだ~!!」などとはしゃいでいた!旦那はなんだがグチグチ言っていたがあえて無視をした。せっかく楽しい時間を嫌な時間にしたくなかった。旦那にしれみれば、そんなに楽しいところではなかったかもしれないが、一緒に楽しんでほしかった。けれど子供というのは何かを感じたのか、それとも子供ながらの純粋さなのか、「お父さん!こっち!こっち!」などと言って手を引っ張って連れ出していた。パレードをみたり、ディズニーおなじみの「ポップコーン」を自分の好きなキャラクターの入れ物を選んで首から下げて楽しそうだった。ベビーカーを押して子供の手を引きながらは大変だった。旦那は、ちょっと離れたところから付いてきている感じ。疲れているのはわかってるけどね…。子供たちも楽しんでるんだから…もうちょっと楽しそうにしてくれてもいいじゃん…。ふと周りに目をやると、お父さんが肩車をしていたり、お父さんがベビーカーを押していたり…。幸せそうな…「幸せ」を絵にかいたような、というのはこのことをいうんだろうな、と思える家族がたくさんいた。全員ではないことはわかっているつもりでも…。私たちも「そう在りたかった」…。それは「無理」な…「難しいこと」だったのか…。私が高望みしすぎているのか…。私は子供たちの嬉しそうな顔を見ながら…少し寂しい気持ちになった。それから、少し色んなところを回って、「隠れミッキー」を探したり、キャストの方たちから色んなサービスをしてもらったりして子供たちは大喜びだった。下の娘は、あんなに行きたがっていた「ディズニーランド」なの
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新しい人生の始まり…44

思ったより「ディズニーランド」までは遠かった(笑)なんでも県外に行くのは修学旅行などでしか行ったことがない。高校にもなれば、色々あったかもしれないけど、高校にも行けてなかったから、そんな体験をする機会もなかった。車だったから子供のトイレや空腹などに対応が臨機応変にできた。本当にこれだけはよかった。旦那も休み休み運転をしていた。子供たちもいい加減飽きてきたりもしてきたが、ほぼ寝ていたり、車に付いていたテレビなDVDなどをみて過ごした。本なども持ってきたが「車酔い」が起こってしまい中断した。そもそもこんなに長い時間、車に乗っていることがない。そんなこんなで、やっと近くまで来たのは「朝方」5時くらいだったと思う。近くになっても子供たちは起きてこなかったし、開場までまだ時間があったから駐車場で私たちも仮眠をとった。2時間も寝ただろうか。少しまぶしくなった光で起きた。周りに目をやると、もうすでに少しづつ車は増えていた。朝方に来た時は「東京ドームシティ」などディズニーランドのホテルなどが立ち並んでいたのがあまり見えなかったが、明るくなるとすごく立派なホテルが見えた。あぁ…私のボーナスがもっと多かったらな…と少し落ち込んだ…。チケットを取って、ガソリン代と、食事代などだけで精一杯だった。色々ディズニーに関して色んな人に聞いたら「お土産だけでうん万いくよ」などと言われていたから、少し構えていた(笑)子供たちに楽しんでもらいたい!私が楽しむというのも一理あったが、2歳くらいの子供をベビーカーに乗せて2人の子供を連れて、尚且つ「自分も楽しむ」などいう器用なことはできなかった、というか「初めて」の体
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当たるおもしろ星座別6月19日から25日の運勢占い

ついに新メニュー。今まで3千件以上占いをしてきて毒親育ちの方がとても多いと感じました。毒親のせいで麻痺して自我がなく、何を努力したら良いのか、どうしたら幸せになれるのかを全て人に聞かないとわからなくなってしまい、占い依存に陥るのがわかりました。 そこで毒親に育てられた方に特化した専門メニューを作りました。 まず毒親育ちの方は自己中な親のせいでイエスマンで自我がなく、好みのタイプがよくわからず、自分に告白してくる人としか付き合えない、友達も自分に声をかけてくる人にしか興味がない、でも寄ってくる人は男女問わず親と似たタイプの支配的なテイカーばかりで幸せになれないって人が多いですよね。また職業選びも親の言うとおりにしてるけど幸せを感じられない等、仕事、恋愛、人間関係など人生全般の迷子になってしまって生きづらいですよね 私自身も虐待サバイバーなので自身の経験も含めて、より的確にアドバイスを出来ると自負しております。【ちなみにこちらはカウンセリングではなく占いですので、親にどのような虐待をされたか、親への恨みつらみ等は記載しないようにお願いします。私も母に虐待されたことを思い出してしまいますので】 ①毒親に育てられたあなたへ労いと癒しの占いをします ②毒親は反面教師ですので毒親の真似はしないで下さい。どのような性格の人を目標に目指せばよいか占います ③どのような人物に自分から声をかけたり、友達になると良いのか占います ④どのような異性と相性が合うのか、どのような異性と恋人になると良いのか占います ⑤どのような仕事が向いているのか占います ⑥休日はどのように過ごしたり、どのような趣味を持つ
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貧困と暴力

貧困と暴力って仲良しなんだよね。 貧しさは人からいろんなものを奪ってしまうんだ。 お金がないことで喧嘩が多い夫婦って多い。 それを見てきた子供たちもきっとたくさんいるよね お金がないと諦めなくてはいけないことや 我慢しなくてはいけないことがたくさん出てきて つもりに積もってやり場のない怒りみたいなものが 爆発する。 その怒りの矛先は どうしたって自分よりも弱い者(多くは子供)に向けられる。 虐待というやつだ。妻(女)にその暴力が向くことも多い 数年前に万引き家族っている映画を観たときにも 貧困と暴力は仲良しなんだと感じたよ 理不尽な暴力を妻や子供が受けることが多いんだ。 これが現実 虐待っていう言葉はわりと最近定着したけど 僕の子供のころはそんな言葉を耳にしたことはなかった でも昔から、貧しさゆえの理不尽な暴力はあったんだよね 今でこそ少なくなってはいるだろうけど 高度成長期に僕は幼いながらにも クラスの友達のそういう事件を知っていた。 僕も母子家庭で貧しかったけど、 ありがたいことに暴力は受けなかった。 もし父親がいたらきっと僕も理不尽な暴力を 当たり前のように受けていたかもしれない。 生活の苦しさのあまり感情は怒りになってそれが暴力になるの。 味噌汁こぼした、返事をしなかった、なにか壊した、忘れ物した・・・ 子供なら当たり前のようにしちゃうことも、 その些細なことを理由にパンパンに膨れ上がった怒りが 子供に対する暴力に変わるの。 親は親で目の前の生活をどうするかに必死になって、 気持ちに余裕などないからその暴力も悪いことだとは思ってもいないし、 教育だ、躾だくらいに感じてい
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新しい人生の幕開け…43

子供たちに伝える前に「日にち」を決めなければ、子供たちに「守れない約束」をしてしまう可能性があるから、日にちを決めることにした。けれど、子供たちが「夏休み」なことと、私たちの仕事に影響を与えない日にちにしなければならなかったが、私の場合はなんとかなる。問題は旦那だ。旦那に電話をした。「ディズニーのことなんだけど…いつ行けそう?決めないとチケットも私の休みも取れないし、あなたも休み取れないでしょ?お盆時期はどうしても混雑するし…小さい子を連れて混雑したところに行くのも子供大変だし…」と…。旦那は「会社に聞いてみる、これははっきりしないと全部だめになるからな」と言ってくれた。旦那は行く前から「ディズニーまでの道順は仕事で何回も通ってるから大丈夫だ」と自信満々に言っていた。そして、数時間後、会社に聞いたであろう旦那から折り返しの電話がきた。「8月の10日から3日休み取れた!そのままお盆休みでいいって」と電話がきた。そういう時だけはちゃんと休み取れるんだな…と、少し腑に落ちないところがあったが、仕方がない…。日にちが決まったところで、子供たちが学校や保育園から帰ってきたら真っ先に報告しよう!子供たちの喜ぶ顔を想像したら嬉しくなってきた!とうとう子供たちを迎えに行く時間になった!そして、みんなが揃ったご飯の時間…。「聞いて!今度ディズニーランドにみんなでいくよ~!!」すると…「ほんと!!??わーい!!(∩´∀`)∩ワーイ!!」とみんなで喜んでくれた!!良かった!この顔を見たかった!それからしばらく「ディズニーランド」の話で盛り上がった!子供たちは興奮状態だった。それからしばらくテレビやな
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親とのこじれた関係 世界はそこだけじゃない

親とのこじれた関係「世界はそこだけじゃない」小さい頃家庭は世界の全てです外からは隔離された小さな社会そこで起きたことが子どもの将来に大きく影響することは違いありません人は生まれたときからいろいろな「権利」を持っています幸せになる権利尊重される権利公平に扱われる権利その他にもたくさんでもそれを教えてくれることはなかなかありません家庭の中で暴言や暴力ネグレクト性的被害に遭っている子どもたちは「自分はそういうものだ」と思い込んでしまいますどんなことをする親でも親からの愛情なくては生きていけないから愛情を欲してしまうそれが子どもです自分の親がまともな人間じゃないと気づくまでに長い年月がかかりますそしてその時には土台となる人格形成ができあがってしまっていることが悲しい事実ですもっと子どもの逃げる場所があればヤングケアラーだと誰かに相談できることができたなら親も育児ができない大変だと弱音を吐く場所があれば子どもの未来に希望が持てるのに…生きやすい社会になるのにと思わずにはいられません虐待されて亡くなった命一つ間違えばあれば自分だったかもしれない胸が締め付けられる思いをいつまで感じればいいのでしょう子どもに対しての暴力が止められずに悩んでいるそんなお母さん、お父さんのお話もお聞きしますそれはきっとあなたの問題を解決しないとエスカレートしてしまうかもしれませんそして大人になっても親子関係で悩んでいるあなた昔あったことに今も苦しめられている子どもの頃起きたことはあなたの責任ではありません今も抱えている悲しみや苦しみのエネルギーを今、自分が幸せになるために使ってください全ての子どもが幸せになります
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「なぜ嘘をつくのか?」 3

 それでは、そもそも「嘘」とは何でしょうか? 「嘘」には大きく分けて、4つに分類されるそうです。【自分も相手も傷つけない嘘】 主に、「物語(フィクション)」と分かって楽しめる嘘です。それ以外にも、相手や周りの人を思っての「見て見ぬふりの嘘」もこれに当たります。 他愛のない噓ですので、お互いプラスとなる嘘です。【相手のための自己犠牲の嘘】 主に「相手をかばうための嘘」がこれに当たります。友達(恋人)をかばうために「自分がやった」という嘘や虐待、DVを受けていても家族をかばうため「自分はやられていない」と言う嘘、周りを心配させまいと「学校でいじめられていない」と言う嘘もこれに当たります。 特に、HSPスペクトラム(繊細さん)、発達障がい(ASD)(併存当事者含む)や精神系被害者にこの傾向が強く、嘘が積りに積もると'うつ'や'依存症(共依存)'などのメンヘラ(精神病)へ発展しやすいです。 最悪、精神科などの医療機関や児童心理治療施設などの専門機関に頼るしかありません。【相手も自分も傷つける嘘】 自暴自棄となったときにつく嘘です。本当は「大好き」なのに、家族に「大嫌い」という嘘です。これには「自己嫌悪」や「後悔」を伴います。 境界性人格障がいや解離性障がい(多重人格)に多い傾向だそうです。 本心とは真逆なことが多く、お互いマイナスとなる嘘です。 ひどい場合は、精神科の医療機関などでの長期入院も覚悟しないといけません。【相手を傷つけて、自分を守る嘘】 自分の利益や保身のため、相手を陥れる嘘です。 多くが「私ではなくて、○○さんがこうしたからミスをした」という自分の過失(失敗)を相手の責任
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カウンセリング、始めました。その理由は?

はじめまして、はなの保健室です!このブログを開いていただきありがとうございます。まず、簡単な自己紹介ですが、私は現役看護師で保健師資格、メンタル心理カウンセラーの資格を持っています。ココナラで出品しているサービスとしては、電話相談とチャットカウンセリングの2種類があります。1,なぜ、ココナラでカウンセリングを始めたのか?その理由は大学時代まで遡ります。私は、大学生の時に辛い実習や友達との付き合いからストレスを感じ、死にたいと考えるようになっていました。そしてついに、2022年の12月に自殺未遂を図って精神病院に入院することになりました。医師や看護師、臨床心理士さん、そして家族に支えられ、無事退院することができましたが、その経験から私も誰かを救いたいと考えるようになりました。そこで目を付けたのがカウンセリングです。カウンセリングは入院中は、臨床心理士さんが私に対して行っていましたが、実は入院する前から職場の臨床心理士さんにお世話になっており数か月ほどフォローを受けていました。その方が私の家族や精神科につなげてくれたため、今の私は生きているといえます。命の恩人というやつですね!2,なぜメンタル心理カウンセラーの資格をとったのか?きっかけは、臨床心理士さんが行っていたカウンセリングへの憧れ、私もカウンセリングを行いたいと思ったことです。その中でメンタル心理カウンセラーという資格にたどり着きました。メンタル心理カウンセラーというのは「JADP認定メンタル心理カウンセラー資格」のことで、JADPという一般社団法人 日本能力開発推進協会が認定している資格のことです。国家資格ではなく民間資格
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当たるおもしろ星座別6月の総合運勢占い

風邪ひいてました。ここ数年、試されるようなことが続いていて疲れました。親子関係に問題のある闇を抱えた人が寄ってきて過去の悲しいことを思い出して鬱になります。私、子供の頃、発達障碍の母親に虐待されてたんですよね。まじで殺されると思いました。普段は優しい母親だけど、優しい完璧な母親を演じてるけど、本当は発達障碍なのに、父に発達障碍がばれたら幻滅されて離婚されると思って、父の前ではすごく理想の完璧な母親だけど、父が仕事でいないときは、本当は食器洗いなんてしたくない、掃除したくないってものを破壊しまくって怪獣のように大暴れするんですね。物にだけ八つ当たりするならまだしも、母親が時計投げたときに妹の頭に直撃しそうになったから、妹をかばって私にあたったら、それが爽快だったようで、それから物ではなく私に暴力をふるようになって、最初はお父さんといるときの優しいお母さんが好きだから我慢して耐えてたけど、父は優しいけど、「お母さんがお父さんがいない時に虐待するから、助けて、離婚して」っていったけど、父の前ではめちゃくちゃ完璧すぎる母だったから、信じてくれなかったんですね、隠れてみてよって言っても、父は真実を知ろうとしてくれなかったんですね。子供より母を選んだので、そういうのもあり、父はほかの同級生の父親に比べたらかなり良い父親の部類ですが、絶対に子供嫌いな人はパートナーに選ばない。子供好きな人をパートナーに選ぶと思った。最初、そのことを超根にもってたけど、大人になり、旦那さんが奥さんが仕事中に息子たちを虐待していて息子さんたちに「お母さん、お父さん怖いから離婚して」と頼まれても子供も大切だけど、旦
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新しい人生の幕開け…42

後日、銀行から旦那に仮審査の結果の電話がきたようだった。旦那から私が仕事中に電話が来た。「仮審査…ダメだって」とひどく落胆した声だった。私は正直ホッとした。「そっか…残念だね…でもしょうがないよね」とは言ったが。まず一つ肩の荷が下りた感じがした。本当は「家を建てる」ってもっとウキウキしたり、楽しんだりして建てるものという感覚だったから…。けれど、その当時の私はとても楽しめるというような気持ちではなかった。これで家を建てることが実現してしまったら、とてもじゃないけど家計が続かないとわかっていた。その当時の旦那の給料は15~18万…。今の時代は可能かもしれないが、その当時はダメだった。そのうえに子供が3人ともなれば銀行も貸さないだろうなと。私が働いてはいるものの「連名」ではないから尚更だろう。さて、まずは一件落着というところですか…。旦那も諦めたというか諦めざる終えなかったので。そうして、そんな忙しい日々を送って数か月が過ぎた。ある日、下の娘が「ディズニーランドに行きたい」と言い出した。そういえば…私も行ったことがないな~とぼんやり考えていた。私がないということは上の子供たちも行ったことはなく…。近々私のボーナスが出る…そのボーナスの金額で行けたら連れていきたいなぁ…くらいに考えていた。それで旦那に夜子供たちが寝静まってから電話をしてみた。「もしさ、ボーナスがよかったらディズニー連れてってくれない?子供たち行きたがってたし…まぁ…いくら貰えるか次第だけど」と…。そうしたら旦那は開口一番「ボーナスがある会社でいいな」と嫌味を言われた。旦那だって最初はボーナスがある会社にはいたのだ。そ
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新しい人生の幕開け…41

少しの間は、息子も元気に学校に行ってくれていた。娘も、弟のことに関して、たまに愚痴は言うものの友達と遊んだりしているようだった。その間、「家を建てる」という話は平行線状態だった。旦那が銀行に行く時間がない、というのだ。土地ももう決まったような状態で、買う坪数は「100坪」田舎の特権なような坪数(笑)私が無知のまま、「簡単でいいから設計図」を書いてと言われて書いた家の設計図も完成していた。その次のステップにいっていないのだ。散々急かせておいて、自分はこれだ…。その銀行の「仮審査」に行けない。電話越しに、ここまでやってんなんでなの?と聞いてみた。旦那は「銀行って15時までだろ?都合よくいかないんだよ」などと言っていたが、家を買う時点での時間は取れていたのに、一番肝心な時間が取れないのは別の理由があるのだと思った。だから少しつっこんで聞いてみた。そうすると旦那は「断られたらどうしようとは思ってる」と本心がでてきた。今更?「それ、私も言ったよね、家の話の時に…。ブラックだったし、いくら一括で返したとしてもリストには載ってるって…それでも大丈夫なの?って聞いたよね」というと、旦那は沈黙した…。やっぱり直前になって困ったんだ…。怖いんだ…。きっとサラ金のこともお義父さんには言っていないから勝手にドンドン話を勧めたんだろう…。けれど自分で話を持ってきたからには自分でケジメを付けてほしい。私だってもう日々の時間がギリギリで生活している。金銭面も…。けれど、もう何も理由なくして、この話を「なし」にすることはできない。大家さんでもある不動屋さんも乗り気だからだ。どうするのか…。少し沈黙の後、旦那は
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新しい人生の幕開け…40

それでも息子は毎日学校へ登校していました。何度教えてもわからない算数、何度書いても書けない漢字。それでも私は怒ったことはありません。なぜなら…。「この子には生きる術を教えるのが一番いい」と思っていたからです。なので家でのお手伝いなどを率先してやらせてあげました。どうやら「料理」が好きなようで、目玉焼きが上手くできるととても嬉しそうにしていました。それから数か月の時が経ち…。何回も療育センターに通い、それでも発覚せず…。ただ「辛い思い」をさせているのではないか、という心配の方が大きかったように思う。その頃、上の娘が「もう弟と学校に行きたくない!」と言い始めた。理由を聞くと「恥ずかしい行動をする」というのだ。大声で叫んだり、誰彼構わず声を掛けたりすると、一緒にいると恥ずかしいが、姉弟という関係も生徒にはバレているから、どうしようもない、と…。そうか…。そんなことがあったんだ…。娘も我慢してきたんだな…、私はその話を聞いて「ありがとう。そっか、そういうことがあったんだね。息子は元気すぎるからね!お姉ちゃんも心配だったでしょ。見守ってくれてありがとう。弟が悪いことしたら、ちゃんと怒っていいからね!けどね?ダメ!だけではわからないから、『なんで悪いことなのか』を教えてくれたらお母さんがありがたいな、そしてなにかあったら、ちゃんとお母さんに言ってね」と…。それでも娘は最初こそ、一緒に登校などしなかったが、それを責めることもしなかった。娘は娘の友達などの「世界」がある。それを弟とはいえ、家庭の中でのことで壊してほしくなかったし、先生たちも理解できないようなことを子供たちに理解してもらおうなど
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新しい人生の幕開け…39

私は、日々が「秒」のように過ぎていった。夜寝る頃には「次の日の朝」をどう早く、的確に、完璧にこなすか…、ということを考えながら眠りについた。もちろん、子供との「会話」もちゃんと聞いてあげたい。そのための時間も必要。私にご飯など食べる時間すらなかった。ご飯を食べるのは、仕事の合間の15時あたり。一日、その一食だけになった。仕事の間に、息子の病院や、PTA、そして仕事に必要な試験の勉強。息子が学校に入学して初めての夏休みの時の話。夏休みは二人とも「学童」に預けていた。そのためお弁当も作らなければならなかった。学童にもお金がかかるが、二人がもう少し大きくなるまでの辛抱だ、と思い入れていた。もちろん私が仕事中、事故などの心配もあったからだ。なんせ旦那の両親はアテにならない。そして、夏休みが過ぎた。一年生の「夏休み」と言えば、みなさんも記憶があるだろうか、「花や野菜を育てるための鉢植え」を持ち帰って毎日観察する、または収穫する、というものだ。息子は夏休みが終わり、そのプランターを持って行かなければならなかったのを何日も忘れていたようで、先生から連絡帳に「お母さんが持ってきてください」と書かれていた。私は息子にも登校時に伝えたが、気づいたら…また忘れている…。これは、私が持って行かなければ…と思い車にプランターを入れ、下の子を保育園に預け、とりあえずは仕事に向かった。朝礼を終えて、学校の休み時間に合わせていこうと思ったが、今度は自分のアポイントの時間と重なることがわかり…。これはどうしようもない、と私は学校に向かった。本当はプランターは一年生のクラスの隣の庭?のようなところにみんなの分が置
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毒親、辛い家庭環境から逃げる方法

今回は生まれは選べない、親ガチャ。DV、モラハラ。そうした言葉が認識され始め、多少なりとも辛い方の保護権利は出来始めたのではないでしょうか。ですが、まだまだ直ぐに逃げるには難しい、厳しい、どこに相談したらいいのかわからない、相談しても改善されなかった、理解されなかった、バレたら怖い…などの経験はあるのではないでしょうか。一生このままなのかな…いいえ、そんな事はありません。今回は、あなたが怯えず自由に人としての権利を持って生きていくための手段を私の経験を交えて幾つかご紹介します。※自分はそこまで酷くないから相談できない…そう思っても、生きるのが辛いのは心のSOSです。どうか下記の内容を踏まえて、相談だけでもしてみてください。【まずは、区役所の民生委員さんに相談する】※未成年、成人、子持ち、独身不問まずは、近くの区役所に電話をかけて、民生委員さんがいるかどうか確認しましょう。電話が使えない、もしくは通話履歴を監視されているなどで自由に携帯を使えない場合はそのまま区役所に行きましょう。民生委員さんは、親身に話を聞いてくれNPO法人のシェルターを紹介してくれたりと、今のあなたの状況を変える為に橋渡しやアドバイスをしてくれます。また、NPO法人は場所によって弁護士が運営していたり、未成年の方が進学を諦めなくてはならないなどといった状況にも保護し相談に乗ってくれる団体があります。※学校を中退し、家計を支えろといった親の強要やバイト代搾取(従わなければ家から追い出そうとしたり暴言で支配する)など。空きがあり、条件によっては即日に職員さんが一緒に荷物を運んでくれて、送迎によりシェルターで保護し
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毒親の介護どうする?

毒親」という言葉が嫌いです。 ⁡ ⁡ でも、説明しやすいので使うことにします。 ⁡ ⁡ 子どもの頃に愛された記憶がなかったり ⁡ ⁡ 虐待されていたり ⁡ ⁡ そんな親に介護が必要になったら あなたはどうしますか? ⁡ ⁡ ⁡ 子にとって親への愛情は複雑で あんなに殴られたのに 暴言を吐かれたのに 愛されたかったり ⁡ ⁡ 嫌いなのに放っておけなかったりと、とてもやっかいなものです ⁡ ⁡ ⁡ 介護というと、世間体を考えたり、親せきなどが面倒なことを言ってくることもあるでしょう ⁡ ⁡ ⁡ 絶対やりたくない けれど やらなければならない ⁡ ⁡ ⁡ 責任感と憎悪 そして罪悪感などの感情の 板挟みになって苦しむこともあるかもしれません💦 ⁡ ⁡ ⁡ でも… 私の場合ですが ⁡ ⁡ 過去の虐待は 今の私に影響を及ぼさないと 思っていたのに ⁡ ⁡ 身体には深く刻まれていることがありました ⁡ ⁡ 一緒にいると血が逆流するような感じになる ⁡ ⁡ 動機がする ⁡ ⁡ 体力を奪われるように疲労を感じる ⁡ ⁡ これは一種のPTSDで 無理をするなという体からのサインです ⁡ ⁡ ⁡ 「嫌いな親の介護」を 無理にすることで ⁡ ⁡ ストレスがたまり 家族や職場の人間関係にまで 影響が出て ⁡ ⁡ フラッシュバックに苦しんだり 精神的に病んでしまう人がいます ⁡ ⁡ ⁡ 今一番大切なのは あなたの生活です ⁡ ⁡ ソーシャルワーカーに相談したり 介護の段取りをするだけにしたり ⁡ ⁡ 無理のない範囲で 自分を責めなくていい最低のラインで介護を手伝いましょう ⁡ ⁡ ⁡ 私は10年ほど前に
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新しい人生の幕開け…38

日常でも、様々な変化もあり、その中でも息子の「障害」のことは、まだはっきりしない診察と診断だった。前に検査したときもまだ「保育園ですからね」などと言われ…はぐらかされてきたように思うが、まだその頃では「発達障害」というものに先生たちすら「知識」がなかったのだと思う。その年の春、息子は1年生になった。保育園の先生からは最後まで「息子君は普通の男の子です!」と言われた…。けれど、私は納得がいかなかった。それは「障がい者」にしたい、ということではなく、やはりどこか「違う」ということが明確ではないが、本に書いてあった行動と思考が同じだったのだ。これは「男の子だから」などで済まされない。なんとも言い難い…説明がしずらかった。入学式にも旦那は出席はしなかった。入学式の準備も私一人で行った。旦那の両親からも「お祝い」などは貰ってもいないしお祝いの言葉すらなかった。上の娘の時の運動会なども旦那は出席はしなかったが、Rさん家族が一緒にいてくれたから少しは気持ちはラクになった。Rさん家族は、その頃「離婚」をしてRさん子供が学区が同じになったのを機に、イベント事には協力してくれた。もちろん旦那の両親などは来ない。私が住んでいる地域は春に運動会をする。なので入学したら初めてのイベントが運動会となる。息子が入学するまでは運動会さえ、娘と私の「二人ばっち」だった。ごめんね…と、つい言ってしまったことがある。けれど娘は「お母さんと一緒だから大丈夫!」と言ってくれた。本当はみんなが羨ましいだろうに…。他の親たちは一生懸命、自分の子供たちの運動会を「ビデオ」に撮っていたが、ウチにはそんな贅沢品はなかった。携帯す
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新しい人生の幕開け…37

もう、この仕事でずっと頑張ろう!そう思って入社を考えた。子供たちのPTA、運動会、色々な行事や病気などに柔軟に対応してくれるし、なおかつ、学歴などその頃はあまり重要視していなかったようだった。一時預かりの手続きも終わり、保険屋さん入社説明会のようなものに行ったりで、久しぶりに「忙しい」毎日がきた。仕事をこんなにしていない時期もなかなかなかったが、仕事をしない時期というのは、逆に忙しかったりもする。私はその頃になると、一日置きに床掃除、トレイ掃除、草むしり、障子の張替えなどをしていたため、「自分の時間」というものが全くといっていいいほどなかった。突然帰ってくる旦那のお弁当作りや、買い物。一日のルーティーンとしてはとてもハードだった。そして、その上「ワンオペ」である。それでももしかしたら、その時が一番「幸せ」だったのかもしれない。私は、前に使っていたスーツがあったから、それをそのまま使うことにした。なるべくお金は掛けれないし、掛けたくない。しかも「一時保育」には9時から15時までで、約3千円くらい…。そして、保険屋から日払いで頂くお金が3千円…。全くプラスにはならなかったが、マイナスにならないだけいいとしなければ…。保育園の先生たちも、仕事が決まって入園まで少しだからと、頑張ってくれている。1か月くらいで入園が決まり、その頃には私も無事試験に合格して、入社となっていた。その頃の朝のルーティーン5:30 起床(洗顔、歯磨き)5:45 掃除(リビング・トイレ・廊下)洗濯を回す     床ふき・玄関・前日の茶碗の片付けなど6:00 子供たち起床(着替え・洗顔をさせる・下の子の着替え)6:
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新しい人生の幕開け…36

「学歴」…。私は行きたくなくて行かなかったわけではない。けれど、それは相手の会社には全く関係のないこと。それに同情してほしいとも思わなかったが、こんなにも「学歴」に関して言われることがなかった。私の中で「学歴」はコンプレックスになっていった…。何もできない資格もない…。当然、仕事をしないと「保育園」に入園できない、という負のループだった。息子は「育児」という名目で通園できているが、それも1年くらいしたらもう通じないだろう…。息子だけの問題ではない。働かないと生活ができない…。どうしよう…。そうして、下の子が1歳になろうとした時、前職の保険屋さんが訪問にきた。「どうしてる~」と。その時の私には輝いて見えた…。生き生き仕事してるな~と…。玄関先で世間話を少ししていた。その元上司は「そういえば仕事なにしてるんだっけ」と言ってきた。私は、ことの経緯を説明して、今仕事がない状況なことと、やっぱり子供が保育園に入れられないことなど、色々話した。そうすると…「あら!じゃあ丁度よかった!ウチにまたおいでよ」といってくれたのだ!!私には願ってもいない話だった。出戻りになるし、ちょっと行きづらいな、とも思ったが、そんな悠長なことは言っていられない。「え!?いいんですか?」と口から出てしまった。と、なぜかトントン拍子に仕事が決まってしまった。私は嬉しくなった。よし!またこれで頑張れる!しかも子供がいても、気にしないで子供のために時間も作れるし、土日休みだし!!学歴も関係ないならもってこいだ!私は早速旦那に連絡をして、報告した。そうすると旦那は「また保険屋やるの?仕事、そんなに焦らなくてもいいんじゃな
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虐待サバイバーの複雑性PTSD

PTSDとは、心に大きな衝撃で傷を負いトラウマになってしまい引き起こされる病気です。◆衝撃的な体験をしてから、どう生きていいかわからなくなった◆些細なことで怒るなど、感情のコントロールが難しい◆人を信じられず、怖く感じることが多い◆自分の感じ方をまったく肯定できない◆なかなか治らないうつ病や摂食障害などがあるこのようなことに心当たりがあればトラウマを疑ってみるとよいと思います。また、複雑性PTSDとは 「長期に渡って逃げられない状況で反復する」 ことによって起きたものであり 虐待や性被害などに多く見られます。 これは大変深刻なもので、トラウマの中でも 独立した診断基準となりつつあります。私は幼児期から虐待を受けていました。その頻度はいかほどだったのか定かではありませんが私が母の身長を超えるまで続き(中学生くらい)何も信じられなかった空白の長い時間があります。母のヒステリースイッチが入ると「憎い、可愛げがない、嫌いだ、醜い、こん畜生」などと言われながら、母の気が済むまで殴られ蹴られ、投げ飛ばされていました。そうすることでしか自分を保てないほど母も追い詰められていたことやストレスがあったことは理解できるのですが暴行が終わるまで「これは夢なんだ。本当のお母さんが助けに来てくれる。」そう自分に言い聞かせながら顔をかばい海老のように体を丸めて耐えたことは忘れられません。家から逃げたい一心で10代で結婚し結婚して子育てをする上で多くのつまずきを経験してきました。離婚をして再婚をしても同じような問題が繰り返されました。当時は、結婚生活にも子育てにも悩みはつきものだと思っていましたが幸せな生
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新しい人生の幕開け…35

妊娠してからはもちろん、「うつ病」の薬は飲んでいない。そもそも「通院」すらまともにしていない。もちろん、「自分がうつ病になるわけがない」とも思っていたけど、だれも親身にはなってはくれなかったし、そこまでまだ「うつ病」が認知されていなかった。日々過ごしていると「病院に行く」というのは子供主体になってしまい、自分はギリギリまで「病院」というところにはいかなかった。旦那が帰ってきて、名前を決めよう、という話になった。もう時間がない。色んな案が出たが、女の子なのに?という感じの名前になった…。私はあまり賛成ではなかったが、何時間も話しても埒が明かなかった…。お互い離れていても子供の名前の漢字や画数や意味などは考えていると思っていた。けれど旦那は「もうこれでいいんじゃない?」なんてことを言い出す始末。「名前は一生ものなんだよ!」と言っても…「俺の名前も適当だった」だの「爺さんが付けた」だの全くお門違いな答えしか返ってこなかった。夕方までには出さないと、明日にはまた旦那が仕事にいってしまう…。私が出してもいいけど、出生届けくらいは旦那に出してほしかった。出産したことがある人ならわかるかもしれないが、出産したからといって自動的になんでも手続きができるわけではない。健康保険の加入の手続きやたくさんの書類などがあった。今はどうかはわからないが…。そして、出産一時金…。これが問題となった。これは、もちろん私は旦那の扶養になっていたから旦那の社会保険から支給されることになる。その当時の金額は35万円くらいだったと思う。そのお金を…「少し貸してほしい」と言い出したのだ。はい??また始まった。このパター
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新しい人生の幕開け…34

そういえば、あの後、お義母さんたちは本当に「歩いて」家に帰ったんだろうか。ふと思い出して、旦那に電話した。旦那はすぐ出た。まだトラックを走らせているようだった。「おう!どうした?」という相変わらずの応答だったが、事情を説明した。そしたら「なんだってな…。役に立たない奴らだな…。俺になんにも連絡きてないから、どうせ親父に迎えに来てもらったんだろ、どこかで」という返事だった。「悪いけど、私もそれどころじゃなかったし、止めけどどうにもならなかったし…。あとであなたから連絡してみて。なにかあったら大変だし。」と。「わかった」と言ってくれたが…「それと…赤ちゃんの名前、もうそろそろ決めなきゃいけないんだけど…いつ帰ってくる?」と聞くと「おう!そうだな!明日帰る予定だ!その時決めて、市役所に出しに行かなきゃだろ?」というので「うん、そうだよ。子供たちも名前ないと呼びにくいし、この子もかわいそうだよ」と…。そうすると旦那は「俺も考えてはいるから帰ったら二人で決めよう」ということになった。今までどの子も「私が付けた」とか「二人で話し合って決めた名前」という子がいない。裁判で取られた息子も元旦那の親と義姉さん。娘もそう…。手元にいる息子は、憎いあの母親。そう、勝手に名前を決められて出生届を出された。私の入院中に…。だから、せめて「二人」で決めたかった。全部自分の思い通りにとは言わない。二人で…。そして、ようやく寝ることにした。3人で寝ていると子供の成長がすごくわかる。体が大きくなったな…寝相が悪くなったな(笑)…そうしていると、赤ちゃんがミルクの時間で泣き始めた。最初は子供たち起きるかな?と心配
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新しい人生の幕開け…33

まずは赤ちゃんが寝ていてくれている間、そして子供たちが帰ってくる前に家の掃除からだった。…産後はゆっくりしたかった…。そういう約束だったよね…。自分の気持ちがぐちゃぐちゃだった。けれど協力してくれる人が一人でもいてくれて心強かった。二人で掃除をするとすぐに片付いた。やれやれ…。私はRさんにお礼をいい、コーヒーを入れた。Rさんは、旦那の両親に対する文句は止まらなかった。それはそうだ。それは私も同感だったけど、赤ちゃんにも、子供にも罪はない。そう、全部私が悪いのだ。Rさんとは色んな話をしていたけど「お前、退院してすぐなんだから少し寝ろ、学校は帰ってくるだろうけど保育園は私が行くから!保育園に電話しておいて!まだ時間あるけど、軽くご飯も作っていくから、少し寝な!」と言ってくれた。私は申し訳なさ過ぎて、寝れるわけもないが、少し横になった。そうしているうちに赤ちゃんが起きた。ミルクを作ったり、オムツを変えたりしたがなかなか寝てくれない…。けれど赤ちゃんの顔を見ると本当に癒される。この頃、まだ名前は決まっていなかった。普通は入院している間や、産まれる前に夫婦で決めたりするものだろうけど、なにせ、旦那もいない。電話やなにかで決められるようなものではない。旦那は明日帰ってくるとのことだった。本当に、私は旦那に愛されているのだろうか…。愛されているつもりになったんだろうかそれとも勘違いなのかそもそも「愛されるってどういうことなんだろう」以前からも感じていたことが、またふと頭をよぎる。けれど、子連れの私と結婚するなんて愛情がないとできないよね…同情だけで結婚とはならないよね…。私は必死に考えた。そ
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新しい人生の幕開け…32

一人病室にいると、旦那が看護師さんと一緒に入ってきた。「おう!やっと帰ってきたぞ!」と呑気な言葉と共に入ってきた。イラっとした。それでも病院では怒るわけにもいかず…。一人で悶々としていた。そして、お義母さんたちのことを言うと、「それは大丈夫だから!」と言い放つ…。「そういってこの間だって帰ろうとしたじゃん」というと「ちゃんと言って聞かせたから!」と…。もう言い合いにもなりなくなくて、私からはもう何も言わなかったが、旦那が帰ってきたならもう子供たちも大丈夫かな、とも思った。そして、3日目。旦那に電話すると…なんと!仕事に行っている!「え?入院している間は子供たち見てくれるんじゃなかったの?」というと「いつまでも休めないよ…」と…それはそうだけど…自分の親がどれだけのことをしたかわからないのか…まだ小さい子供にご飯も食べされられないのに…。そうしてまた、毎日子供たちに電話をした。ちゃんと学校に行けたか、保育園に行けたか、迎えはきたか、ご飯は食べれているか、お風呂は入ったか…。学校でなにがあったか、保育園でどんなことをしたか…。そんな電話の途中でさえ、お義母さんが「毎日電話うるさい!」などと聞こえてくる…。腸が煮えくりそうなのを必死で我慢した。子供たちには「もうすぐで赤ちゃんと一緒に帰るからね!」と言って安心させることしかできなかった。Rさんはたまに病院に来てくれた。赤ちゃんと私と話をしに…。Rさんは「あの親じゃだめだな…、私が子供たちを見ようと思ったけど、『あんた誰』って言われたし」と…。なんてことを言うんだろう。本当に「非常識」。そんな感じでとうとう「退院」の日がやってきた!私は
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新しい人生の幕開け…31

夕方になり、Rさんが息子を保育園まで迎えにいってくれた。Rさんがいなかったらどうなっていただろう…。本当に感謝と申し訳なさしかなかった。最初は反対していたRさんだけど、いざとなるとこうやって協力してくれる…。けれど甘えてばかりはいられない。5日間、どうすればいいのか…。それだけが心配だった。Rさんには「今旦那の親がこっちに向かっているらしいから」ということは伝えたが、病院にくる気配はなかった。そして、18時頃になりRさんに電話をしてみた。そうすると「家に旦那の親がいたから子供たちそのまま置いてきたよ、けど大丈夫かな」と心配の様子だった。明日になれば旦那も帰ってくるだろうし…。と思ったが…。私は家に電話を掛けてみることにした、そうすると娘がでた「おばあちゃんたち来てる?大丈夫?」と聞いたら「来てるよ!けど私たちなに食べるかわかんないってゆってまだなにもご飯食べてない、お腹空いた~」と…。なんだって??どういうことだ?どうする気でいるんだ?もうパニックだった。娘には「もうちょっとでお母さん退院するから待っててね、ご飯はあると思うから、卵掛けご飯でいいから食べてね!弟にもあげてね!」といい、切りたくない電話を一度切った。旦那に今度は電話をした。「どうなってんの?子供らお腹空かせてるけどなんにもご飯作れないって…、私は5日間退院できないし、どうするつもりでいるの?」と本当に腸が煮えくりかえるような思いで旦那に言った。「ごめん~だってしょうがないだろ!俺だって仕事だし、頼める人いないんだから!」と…。それを言われれば私は何も言えない。自分にまともな親がいたら、こんなことにはなっていないだ
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新しい人生の幕開け…29

療育センターに着いた。色々日頃の生活などを聞かれたりして、その日は終わった。次の診察の日に「診断テスト」というものをするらしい。息子は終始、何事もなく居たためあまり先生からハッキリとわかるようなことはなかったからかもしれないが「男の子は女の子より発育が遅いですからね」などと言われてしまった…。お子さんをお持ちの方なら一度は経験があると思うが、家では熱を出してグッタリしていたのに「病院に着くと元気になる」、あの現象ですね。片道1時間もかけて診察にきたのに診察はたった5分くらいだった。子供には丁寧かと思っていたが…。やっと家に帰ってきたころにはもう夕飯の時間だった。その頃旦那はまた「無職」になっていたが、さすがにこの数か月でいろんな体験をしたのだと思う。高校卒業してから、少し地元の会社にいたようだが、「大型免許」を取ってからずっと「長距離運転手」だったらしいので、今まで見下していた仕事にも何も言わなくなった。だからといって「家事」などができる人ではないため、ひたすらハローワーク通いをしていた。そんなある日、「やっぱり俺、長距離に戻るわ、悪いけど」と言った。まぁ…いろんな経験もしたし、これから子供が産まれるしな…。私も仕事できないし…。と思って「うん、わかったよ」と言った。そして私が続けて「この子が産まれるときには立ち会えるように会社に話してちょうだいね、それだけ」と言った。私は、もう旦那もいるのにお産の時「一人でいる」というのがとても怖いというか寂しかった…だからそれだけはしてほしかった。旦那は「それはする!出産が近くなったら地元周りさせてもらうようにする」と言ってくれた。本当にそ
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新しい人生の幕開け…28

ドタバタだった引っ越しも終わり、前の不動産屋とも前のように揉めることもなく終わった。子供たちは新しい家の近くに早々に友達を見つけたらしい。その間、息子の検診があった。確か5歳児検診だったと思う。子供たちには日頃から「本の読み聞かせ」はしていた。娘は黙って聞きながら眠りにつくが、息子は、例えば昔話のお決まりの「昔、昔あるところに…」と始まりますよね。そうすると「昔っていつも昔??!あるところってどこ??」など質問攻めに合うこと多々ありました(笑)けれどそれは、「興味」の一つだと思っていたからそんなに深く考えたことはなかった。検診の時、保健婦さんと息子と私とで話や色々なことをしていると、保健婦さんが「息子君、この色な~に?」と問いかけた。そうすると息子は「あお!」…明らかに「赤」だった。そして次の質問「この色は?」「きいろ!」…「青」だった。テーマは変わって男の子なら興味があるであろう「車」のことについて聞き始めた「これは?」と指を指す保健婦…「パトカー!」…救急車だ…。あれ?こんなに私教えてこなかったっけ…。と疑問を抱いた。子供むけの本も毎月買っていた。そこには救急車やパトカーなど散々書いていたし見せていたけど…確かに興味がなかったかもしれない…。保健婦さんは…少し考えた様子で「お母さん…息子さん…もしかしたら『発達障害』かもしれません…。専門医に一度診察してもらったほうがいいかもしれません」と言われた。初めて聞く言葉だった。「私は、そうですか…、どこにいけばいいですか?」と聞いた。「秋田市にいかないといけませんが、予約がないと受診できないのでコチラで予約とっても大丈夫ですか」と
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