家族のこと_深夜、裸足で外へ出されて①

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コラム
幼稚園の頃、
私はほとんど喋らない子どもでした。

喋り方が、分からなかった。

何を話せばいいのかも、分からなかった。

自分から誰かに、話しかけた記憶はありません。
話しかけられても、小さな声で短く返すだけ。

当然、友達もできませんでした。

両親は共働きで、
家にいる時間はほとんどなく、
その代わり、祖父母が毎日のように家に来て、
家事と、私の世話をしてくれていました。

参観日も、遠足も、運動会も、
そばにいたのは祖父母でした。

幼い頃の記憶に、
両親の姿はほとんど残っていません。

当時は残業が当たり前の時代。
両親は朝早く出て、夜遅く帰る。

私が起きている時間に、
顔を合わせることはほとんどありませんでした。

「家族で過ごした時間」
そう呼べる記憶は、ほぼありません。

唯一、家族が揃う日曜日。

それは安らぎの日ではなく、
私にとっては緊張の日でした。

働きづくめで疲れ切った両親は、
昼過ぎまで起きず、家事もされないまま、
祖父母が来ない日の家は、
すぐに荒れていきました。

そして、
些細なことで手が飛んでくる日でもありました。

その頃から、
私は「大人は怖い」と感じるようになります。

両親とは話さず、友達もいない。

祖父母も多くを語る人ではありませんでした。

言葉を使う機会そのものが、
私には、ほとんどなかったのだと思います。

両親は2人とも真面目で、教育熱心な人間でした。
幼稚園の頃から塾やピアノなど。

休みの日は、家でも両親から、
厳しく指導されていました。

「期待」されていたのだと思います。

でも、うまくできていないと、
頭や顔を何度も何度も
叩かれることがよくありました。

顔は真っ赤、鼻血がでる事もありました。

深夜、叩かれて頬を真っ赤にしたまま、
パジャマのまま裸足で、
外に追い出されることも珍しくありませんでした。

私には弟がいます。

その弟と二人で、
真っ暗な玄関の前に立たされ、
泣きながら「ごめんなさい」と
扉を叩くこともありました。

近所の人たちの中では、
「厳しすぎる怖い両親」という事は
有名でした。

でも当時は、
虐待に対して、今のように通報するという概念がなかったので、
近所の人たちも、「かわいそうに」と言うだけで、
助い手を差し伸べる訳では、ありませんでした。

当時は、
見て見ぬフリをするしかなかったのだと思います。

そして、不思議なことに__

こういう日常には、
人は慣れてしまうのです。

そのうち、
私たちは泣かなくなりました。

真っ暗な中、
静かに月を見上げて、
扉が開くのを待つ子どもになりました。

玄関の灯りはなくても、
月だけは、いつも明るかった。

私と弟を、
そっと照らして包んでくれている気がしました。

「お月様、きれいだね」

パジャマのまま地べたに座って、
二人でいつも、空を見上げていました。

大人になった今でも、
月を見ると、
少しだけ心がほっとするのは、
あの夜の記憶があるからかもしれません。

弟は、大人になってから大学を卒業し、
その後、家に引きこもるようになりました。

働くこともできず、
長い時間を部屋の中で過ごしています。

昔は、
そんな弟のことを
恥ずかしいと思っていました。

働かないことは甘えだと
思い込んでいた時期もあります。

でも今は、違います。

外に出られず、
このまま一生を終えてしまうかもしれない。

その弟の人生の重さを思うと、
「犯罪を犯す事もなく、それでも生きているだけで、偉い」
そう思えるようになりました。

もしかすると、
長女の私の出来次第で、
両親からの圧力が、弟にも
向けられていたのかもしれません。

いつか、
弟が助けが必要とする日が来たら、
手を差し伸べたいと思っています。

また一緒に、
月を眺められたらいいな、と。

このあと私は、
大人しすぎる」という理由で、
幼稚園や小学校で
いじめを受けるようになります。

最初に私をいじめたのは、
幼稚園の担任の先生でした。

そこから私は__

さらに深く、
大人に心を閉ざしていくことになります。

mito

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