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お金に対する不安について考えてみるー前回の続き

前回のエントリーでは借金で行き詰っても自己破産という手もある、と書きました。 様々なご意見・ご批判もあるでしょうが、要はたかが借金を返せなかった程度のことで人生を捨てることなんてないし、堂々と生きていけばいいと言いたかったのです。 そして、今回はその先というか、自己破産しても生活再建が自力では難しいときにはどうすればいいか、について私なりの考えを書いてみます。 具体的には自己破産をしたかどうかに関わらず(多額の借金の有無に関わらずですね)、現在は収入の手段がなくなってしまい、貯金や資産もないという場合です。 病気で働けない、失業して次の仕事が見つからない等々、人生には色んなことが起きます。 ときには手元にお金が無くなって、収入の見込みも皆無となるなんてことは誰にでも起こりうることです。 こんな時、誰か頼れる人がいれば、恥も外聞もかなぐり捨てて頼るに限ります。 この受けた恩を決して忘れず、生活が落ち着いた時に何らかの形で恩返しをすることを忘れなければ、関係が壊れることはありません。 どうしても、身近に頼れる人がいない、あるいはどうしても他人に知られたくないというときは、最終手段として「生活保護」を申請するしかありません。 生活保護については、自己破産と同様に世間では多くの誤解・都市伝説の類が広がったままです。 生活保護制度については色々と欠陥があるのは確かですが、ここではそれについては触れません。 制度や政治の欠陥をあげつらっても、目の前の困った人たちは助けられませんからね。 実際に生活保護の手続きの仕方、受給の仕方についてはネットや書籍等で有益な情報が載っていますのでそちらを参
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地獄への道…12

前から雰囲気が悪くなっていた「お隣さん」…。とうとう実害、というか当たりが強くなってきたのと、発言と暴言が多くなっていた。前から少し発言は気になっていたが大家さんに相談していたため、原因はわかっていた。だから、あまり前のようには関わらないようにしてきた。が、その時はあまり深く考えなかったが、夜中にいきなり叫び始めたり。その原因が「私の家の子どもたちがうるさいから」と。とうに子供たちは寝ている時間である。子供たちは21時前後には寝ている。お隣さんが叫ぶのは22時過ぎ…。私自身も22時には寝ている。叫び声で起こされるのだ。それが数日続き、とうとう「子供たち」を怒鳴り始めた。学校から帰ってくる時間を狙っているのか、偶然なのかはわからないが子供たちが家に入る寸前を狙って「お前ら!!毎日うるせぇんだよ!!」と怒鳴り始めたのだ。子供たちもビックリしていた。私もその時はすぐ玄関にいって謝っていたが、これが続くのはもう耐えられなかった。大家さんは当時すでにご年配のため、アパートの管理を大手の管理会社に譲渡していた。そこで、その管理会社に電話することにした。が、明確な対処も得られず…。大家さんからは何も聞いていないという返事だった。これではコチラばかりが「クレーマー」のようになってしまう。そう感じた。どう考えても「子どもが住んでいる」という時点で、コチラが悪くなるのは分かっていた。もう…引っ越すしかないか…。とはいってもすぐに引っ越せるわけもなく…。生活保護を受給している以上、今まで通りにはいかない。まずは「目の前」のことを1つ1つこなしていくしかなかった。上の娘も中学生になり、それなりに学校生
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地獄への道…11

息子はとても美味しそうに食べた。私も久しぶりにまともにご飯を食べたせいか、全部は食べきれなかった。そして、少しそのドライブインで休憩した後、帰ることにした。その帰りは私は、「息子のこれから」のことを考えていた。お腹がいっぱいになったのか、珍しく車の中で息子は寝てしまっていた。息子のことばかり考えられる時間は限られている。上と下の娘のことも考えなければいけなかった。先生からのイジメや友達間のイジメで一時不登校になった娘。私に悩みを言えないでいるのではないか…。子どもたちには私が仕事を辞めたことは言っていなかった。仕事を辞めたことは…「言えなかった」プライドとかそういうものではなく…「お母さんが仕事をしていない」ということが、どれだけ子どもを傷つけるか、私は知っていた。そう自分の…あの「毒母」がそうだったから…。もちろん自分から辞めたくて辞めたのではないということを子どもに伝えても傷つくだけだろう。それでも私がやらなければいけないことは山積みだったから、これで仕事となったら、とてもじゃないが相当大変だったのかもしれない。その後、家に帰りいつものようにご飯などを作り普段の生活に戻っていた。息子は相変わらず、近くの公園に行ったり一人で遊んでいることが多かった。私も遊んであげたいと思ってはいたが…どうにも、朝8時を過ぎると急に体が動かなくなる…。身体に鉛のようなものが覆いかぶさっているかのように…。それと共に「お日様」や明るい場所、テレビの音さえもうるさく感じてなにもできない状態が続いていた。薬は飲んでいる。それでもパニックも動悸も何も治まらない…。私は単なる「甘え」なのか…これはいつ治
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「大谷翔平をネラエ!日本をダメにしろ!?」

もう、「大谷翔平」の「タロット鑑定」は、やらないのじゃ。あまりに「的中?」するのは、イヤじゃ。これ以上もし、鑑定をして「最悪」の結果がでるのは、イヤじゃし。それよりもねぇ~、この「事件?」って、何か「おかしく」ないかい?何か一応は、「水原一平」通訳が、「大谷」の口座から「450万ドル?」を「9回」に分けて「50万ドル」づつ「違法賭博業者」の口座に送金したんでしょ~?!でもねぇ~、「アメリカ」では「38州?」だったっけ?もうほとんどというか「80%?」の「州」が「ギャンブル合法」なんですよ~。イイですかぁ~?!そこに「ポカン?」と穴が、空いたようにギャンブル非合法の「カリフォルニア州」が存在しているのですぅ~。これって「ナンナン?」ねぇ~、これって、政治的な意味がアルのじゃと感じるぞよ。米国は「民主党」と「共和党」という「2大政治政党」のシステムじゃ。それで「カリフォルニア州」は、確か「民主党支持」じゃ。というか「共和党」より「民主党支持」の人間が多いという一応「民主党支持基盤」の土地柄じゃ。あれ?「民主党」って、あの今の大統領の「バイデン」さんが、在籍している「政党」ですよね~♪何やら「黒い疑惑」の多い「大統領親子」ですけど~、それも、今期で終了するかもしれないという「ウワサ」じゃ。そう「アメリカ次期大統領選挙」がもうすぐじゃ。すでに「3月」の「予備選」、そう「スーパーチューズデー」は、終了した。大方の指示は「トランプ」優位とは、言われているけど、まだ、結果はわからないのじゃ。前の「2016年大統領選挙」で「ヒラリークリントン」が、大優勢との事じゃったが、「フタを開けると」なん
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「調和」と「良い塩梅」

最近、切にグローバリズムが進んでいると私は感じるのですが そんな中で、「調和」とは何か?と考えています。 「調和」と聞くと みんな仲良く、美しく みたいな印象を受けるのですが、 これは、日本人の感性であって、他の国で育った人々にはできにくいことだと 私は思っています。 とにかく、世の中は醜い。 日本だけが美しく感じでしまうのは、私だけでしょうか。 そんな、醜い世の中で 日本人だけが美しく生きるのは、とても辛いことだと思います。 日本人だけが「調和」と言う、美しい生き様を見せても 踏みにじられることが多くあると感じます。 ですので、日本人同士は美しく「調和」を奏で 大和魂を持っていない相手に対しては 「良い塩梅」で付き合って行くのが良いと私は思うのです。 もしも、相手が傷口に塩を塗る様なことをやって来たら 日本人はその者の相手を一生しなくてもいい。 それが「良い塩梅」です。 これだけ、グローバリズムが進むと、日本人の優しい心持ちも変える必要があるのです。 決して、餌食になるような、か弱い子羊で居てはいけないのです。 学校では 「人に親切に」 や 「困った人に声をかけましょう」 などと習います。 それは、大和魂を持った相手には、そうすると良いと思います。 ですが、大和魂の無い、まして相手を敬う気持ちの無い魂の人たちには むやみに親切にする必要は無いですし 困っていても声をかける必要は無いと思います。 これが、「良い塩梅」なのです。 最近、生活保護の受給者が増えていますが その中で外国人の生活保護の受給者が日本人以上に増えています。 例えば、在日韓国人・朝鮮人の生活保護を受給率は日本
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「特定技能実習制度は、ヤベ~じゃろ!」

ドンドンとどんどんと「外国人」が増えてくるぅ~!「あれ?ココは日本なの?」とゆ~状況が、今はまだ「実感ナイ?」けど、確実に、密(ひそ)かに、日本が「ジャパン」になっていくのじゃ!誰がこんな状況を秘密裡に進めているのじゃ?まさか?「ヤツかっ!」日本の総理なのに・・・ナニを考えて、ナニをやってんねん?!・・・そう「岸田文雄」じゃ!・・・それと「河野太郎」じゃ!「デジタル庁」大臣じゃけど、今問題の「マイナンバーカード」では、「被災者は、マイナカードを持って避難してください」との事じゃけど、結局「スイカカード」を代用しての運用を余儀なくされたのじゃ。ま、「スイカ」のほうが「災害時を含め通常時も便利?」という結果じゃ。「あれ?」それに「停電」しているので「マイナカード」がほぼ使えなかったという。また「お年寄り」は通常「マイナカード」は「金庫等」に入れていたりするし。そりゃ~普段は不要で使わないじゃろ~。「保険証」なら「サイフ」にいれて常備するのは普通じゃ。とにかく「情報ミス」やあらゆる「金融、病歴、個人情報、免許情報等」多くの情報を一括で「一か所」に集中するのは、便利な反面「非常に危険」をはらんでいるのじゃ。もし「紛失」したら?もう「何もできない」じゃんか。もし「車やバイク」の運転時じゃと「無免」になるじゃろ~。いずれ「携帯」に「マイナ情報」の「アプリ」を入れるにしても、携帯紛失なら、それこそ「何も」できないぜよ。とにかく「誰か」に「情報」を「イッキに一括で、即、盗まれる」ということは、「社会的生物の人間にとって(死)」を意味するのじゃ。「自分の情報のすべてをだれかに知られ、また、握(に
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地獄への道…10

こんな人生、終わってしまいたい。そうずっと思っていた。その度に「自分には子どもがいる」と言い聞かせてきた。私の感情など、どうでもいい。この子たちが「幸せ」であればそれでいい。私の役目はこの子たちを自分のような惨めではなく「幸せな人生」を送らせてあげること。それだけしか「私の価値」は要らないし、価値すらない。息子が「支援学校」に通えるようになるまで、家にいたが、それを心配した支援学校の校長先生から電話が度々きていた。「息子くん、どうしてますか?もしよかったら、転校手続きが終わるまで、少し学校にきませんか?」と言ってくれた。私は、涙が出るほど嬉しかった。私は「ありがとうございます。息子は今外で遊んでいます。息子に話してみて、もし希望があればお伺いさせていただきます!」と答えた。その日の夕方、息子が帰ってきた時、早速聞いてみた。そしたら息子は「え!!いいの!?行きたい!」と飛び跳ねて喜んでいた。私もそれを見てとても嬉しくなった。翌日、早速学校に電話した。校長先生に代わってもらい、息子が行きたいと言っていたことを伝えたら「いつでもお待ちしています!」と言ってくれた。息子は「明日にでも行きたい!」という感じだったし、この電話で行くことを伝えた。「学校の都合が良ければ、明日にでも伺いたいのですが…」というと「もちろんです!明日は学校の方も特別な行事がないので、ぜひ!先生にも話しておきます!」と言ってくれた。そのことを息子に伝えると息子は張り切っていた。まだ、転校できるとは決まっていなかったが、それでも「学校にいく」ということは子ども心に嬉しかったのだろう。お姉ちゃんや妹も誰も責めたりはしな
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「生活保護でホテル971泊~♪^^;」

2021年ごろの事件じゃけど、生活保護のよくある「水増し請求」じゃが、ボクはふとこの記事が気になったのじゃ。(^^;あ~。「おいぃ~!?」「岩手県盛岡市の保護担当者」に恫喝(どうかつ)して、「保護費の水増し請求」をしていた「90才の老人と二人の夫婦」とみられる「3人」が「盛岡市」に対して、「ホテル代+水増し請求」をしていた模様じゃ。なにやら「保護担当者」は、「上限は4万円までですので、それで家を探してください」との回答じゃったが、男は妻に指示して「通常のホテル代を調べて、その1か月分の請求を市に出せ!」という事情が「第三者委員会」での経緯であり、ボクもそんな感じだと思うぜよ。しかし、かなり前に「家賃が払えないので、家を探す間はホテルに泊まる」なんていうのが、まかり通るのかい?なんで、そんな「チンピラ」に「市の税金」や「国の税金」を「月に45万程度?」も払わんといかんのじゃ?!「生活保護費=国が75%で、市が25%?」の分配での負担じゃったと記憶しているけどね~、そりゃ~「市の負担分=45X0.25=11.25万円」じゃ。月の住宅補助の負担部分だけで、これだけの「アホな経費?」を市がなんと「3年近く?」も支払っているというぞよ。「ナンヤネン!」ホンマに「盛岡市」はナニをビビッているんじゃ?!前にも「恫喝ヤクザの生活保護費請求事件?」があったと思うけど、盛岡市もね~、こんな「ハードクレーマー?」は、ちゃんと「警官同伴?」でね~「現状聴取」を「チンピラ」にせんとイカンぜよ~!この「チンピラ」は「はは~ん。ビビッているなぁ~!じゃ、このまま保護費を水増し請求しても、この担当者ならイケル
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「中学生・学童疎開の謎!~生きて帰れ!;;」

「なに?中学生が親元を離れて、数か月の寄宿舎生活をするの?受験とか勉強のために??・・・」あ~、そう。という政府の発表じゃけど、これって、ナンナン??まだ「中学生」なのに、なんで親元を離れないとイケナイのかい?!今まで、そんな事は「神戸大地震」でも「東北大地震」でもきいたことないけど・・・なんでや?^^;しかも、最初は「2か月程度?」と言っていたのが、「無期限?」という怪しさじゃ。何でも「高校受験を控えているから・・・」という理由かい?!あのな~「高校受験」等よりも、まんず「親子や家族が一緒にこの震災を乗り切る!」というのが、一番の勉強じゃ!!!そう、「ホンモノの生きた実践的な知恵を育てる最高の時」じゃ!!!こんな「災害緊急時」はね~、「半年や一年」位の「学年のズレ?」があってもエエわい!自宅で「お勉強」すればエエのじゃ!「パソコンやタブレット、スマホ」等で十分じゃ!卒業の証書は、各学校で渡したらエエのじゃ!「ちょっとくらい単位が足らなくてもOK!」じゃ!卒業証書さえあれば「就職」も「進学」もOKじゃ!たとえ「学校」に行っても、あまり「お勉強しない?」子供もいっぱいおるのじゃ!何が「疎開?」じゃ??戦時中じゃ~ねえ!しかも「中学生400人中の240~250人くらい?」が「100キロ程度離れた寄宿舎的な宿?に滞在」するが「勉強は自由勉強?」というし「先生は不在?」とのことじゃけど、そりゃ~「子供は自分で勉強をするのかい?自由なら自宅でイイじゃん!」ということじゃ!ナンデこんな「アホな」事をダレが考えて、ダレが実行しているんじゃ?前の「大地震」のときは、こんなこと全然無かったじゃん
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地獄への道…9

保育園から受けてきた「発達検査」。息子は小学5年生になっていた。それでもまだ自分の「名前」さえ漢字では書けなかった。決して複雑な書体ではない。名前だけでも画数は20。マンガを買ってみたが、見ているのはマンガの「絵」だけ。内容は理解できていない。マンガもその当時流行っていたアニメで、わかりやすいかと思い購入した。それでもペラペラとめくって終わった。「面白くないの?」と聞いてみたが「よくわかんない!」で終わってしまった。一緒に読もうか、と誘っては見たものの断られてしまった。だが、息子の「コミュニケーション能力」は、他の姉妹より長けていた。どこでも「友達」になれる。それは凄いことだと思った。そこを伸ばしてやりたい。いい意味でも悪い意味でも「KY」なのだ。いつだったか、学校の先生に言われたことがある。「息子君ね、すごいよ」と笑いながらだったが話してくれた。先生が廊下を走っていた生徒を廊下で叱っていたそうだ。数人いたそうだが、先生自身も叱ったのはいいが後に引けなかったという。そして次の授業の時間まで怒りを持ちこしてしまい、生徒も先生もどうにも引けなった状態だったという。そんなところに、息子が「♪~♪~」と鼻歌を歌いながら廊下の影の階段から降りてきたそうだ。息子の鼻歌を聞いた先生と生徒は、あまりの可笑しさにお互いに笑ってしまい、その場は納まったというエピソードがあった、という。階段を下りてきた息子は、そんなことはつゆ知らず、シレッとその場を去って行ってしまったと。「お母さん、本来はね、先生が怒っている声なんかを聞くと他の生徒は静かにして当たり障りないようにしていくんですよ、けれど息子君は違
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幸せを感じるとは *ケアマネさん応援 だけじゃなく

ケアマネさんだけではなく、支援に当たる方、介護にあたる方、考えたことはありますか?あなたが援助している方が、幸せだと感じるのはどのような時だと思います? 福祉職と心理学の関係とは何でしょう? 心理的支援という言葉もありますよね? 心理学は、人の心の動きや仕組、心理的現象を研究する学問で、心が、そう感じるのかを表した統計だと勝手に思っています。 心理的支援とは、心理学に基づいた問題解決を行う支援で、主に社会福祉士や精神保健福祉士が提供していることとされます。 でも、心理に関係することのコアの答えは? 経営だけでなく、コアコンピタンスは福祉の世界でも必要ではないでしょうか?(異業種に関わるスーシャルワーカーの思考?) コアコンピタンス(競合他社に真似できない能力)は福祉に関わる誰でもが持っていい能力だと考えて、今まで、ケアマネさんや支援者側の方に説明してきました。 「人が幸せを感じる」コアを考えたことが有りますか? 例えば以前の話です。 利用者のお宅へ訪問しました。 先輩の訪問に付き合い訪問した先は、変形もあるひざ関節痛で長時間の歩行は無理。自宅内では何とか摑まりながら移動していました。 ご主人は20年以上前に死別。お子さんはいません。 この時、80歳。 大きな団地に独居で生活保護受給で、人柄は良く、ご近所や長年の友人に囲まれて暮らしています。貯金はありません。 訪問で、初めましての挨拶を済まし、近況のご様子をお聞きしながら「ケアマネさんが定期的に来るのがうれしい。今日は二人も来てくれるから余計に嬉しい」と歓迎していただき、近況報告も含め、色々話を楽しそうにしました。 お茶を入れて
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地獄への道…8

2時間かかろうが、「息子の診断」をしっかりしてくれるところならどこでも診察してもらいたかった。藁にもすがる思い、とはこのことかと思うくらいだった。私は元々「地図」が苦手なので初診ということもあり電話して場所を聞いた。それでも想像は付かなかったが、「近くまで行ったらまだ電話してもいいですか?」と聞いたら快く受けてくれた。秋田市内すらあまり詳しくないが、そこを越していくとなると本当にわからない…。息子を乗せて長時間の運転に耐えられるだろうか…。その当時、私の車にはテレビがみれるようなものもなく、DVDを見せたいが、そうするとカーナビの地図が見れなくなる…。私は息子が退屈しないように話しかけたりして運転していた。その病院は、大きい病院のように「数か月待ち」という状態ではなかったため初診でもすんなり受付をしてもらえた。もちろん、発達障害の検査は時間を要するだろうが、まずは診察から…。数時間走っていくと、もう少しのところで道に迷ってしまった…。病院に電話するか…。電話してみると、丁寧に教えてくれた。「わかりずらいですよね、安全運転でいらしてください」と言ってもらえた。やっとの思いで着いた、その病院は周りには何もなく、道を挟んだところに喫茶店のようなものがポツンとあるだけ…。周りは木々に囲まれていた。建物は新しい作りになっていた。いよいよ診察である。受付に行くと笑顔で「遠くからお疲れさまでした」と言ってもらえた。待合室という「物々しい」感じはなく、まるで「別荘」を思わせるような造り。待っている人は置いてある本を読んだりしていたが、そんなに多くの人はいなかった。数分待っていると「こんなに早い
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地獄への道…7

生活保護が決定してから2週間くらい経っただろうか、保護のお金が振り込まれていた。少し金銭面的には安心したが、前にも話した通り「人間失格」を張り付けられたような感じがして、どことなく後ろめたさがあった。保護の振込金額は、子供手当などを相殺して振り込まれるが、それでも十分だと思った。車所有の件は、保護の方から「特別許可」という形になった。トントン拍子に物事が決まっていく中、私の体調は反するかのように悪くなっていった…。元々痩せていたわけではないが、体重は減り、とうとう血圧が上80前後になっていた。精神科に通うようになり、慣れない「薬」と合わない「薬」のせいか、脳みそが全く「機能」してくれない。とにかく「眠い」…とにかく下の子を保育園に預ける、というまでが精一杯になっていた。それでも「生活保護受給者」だと思われたくなくて必死だった。そして、「仕事を辞めたこと」も自分の中では消化できていなかった。けれど日を追うごとに「どうせ生活保護を受給するなら、うつ病をしっかり治そう!そして歯医者にも行こう…、行けなかった病院や自分の体を治していこう、それからまた社会復帰すればいい」と思うようになった。そう思えるまでに半年は掛かったと思う。それまでは「会社を訴えてやろうか」、母親のこと、父親の死、全てが「恨み」に変わっていた。母親の宗教、お金のこと、イジメられたこと、サラ金のこと、最初の旦那のこと、元旦那のこと…取られてしまった息子のこと挙げればキリがないほどに恨む要素はたくさんあった。自分は本当に愛されたことはあるのか…子供たちに愛情は与えてられているのか…ただ一つ親だからという「見栄とプライド」
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地獄への道…6

離婚してまだ半年経ったか、経たないかで元旦那からの再婚の電話。反対とかどういう感情よりも怒りや、「やっぱり…」という感情の方が強かった。その電話ついでに「生活保護を受けるかもしれない」ことも話した。そしたら「あ~じゃあこっちも都合がいいや、今までみたいに生活費入れなくて済むし、その話もしたかったから」人間とは思えない発言だった。けれど私はその当時、もう感情などほとんどなかったおかげでキレずに済んだのかもしれない。子供たちとの面会はどうするのか、と聞くと、「ん~今までのようには行けないからな~」と…。私は「じゃあコッチからなんとか言っておくよ」と言った。もう相手に期待しても無駄だと思った。全てを諦めていた。それでも子供たちの問題は待ってはくれない。次は息子だった。療育センターに通っていることも学校に話した上で、「特別学級」に通級していた息子。少しは環境がよくなったかと思っていた。息子は3年生くらいだったと思う。保育園の時から診察を受けていたが、一向に「診断」は付かず…。もう半ば「発達障害」のことは「秋田では診断できないのではないか」と不信感でしかなかった。そのあたりから私は個人で「発達障害専門」の医師を探していた。その最中、時折「学校に行きたくない」とまたいい始めていた。その度に、私は「無理に行かなくていいよ」と言ってきたが、お姉ちゃんの姿を見ると、それも忘れて学校に行ったりもしたが、どうしてもダメな時は休ませていた。そういう時は、なるべく公園に行ったりしていた。息子は「体を動かす」のが得意のようで、スポーツにとても興味を持っていた。ルールなどは覚えられないがゲーム自体は好きなよ
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生活保護制度の1つの役割ー自立支援

ここ最近、ニュースで生活保護のデモが取り上げられていました。この件は、ここでは、特に書くことはないのですが、生活保護税度は、日本での最後のセーフティーネットと言われていて、保険などでも生活がどうにもならない時などに使用されていたりします。最近では、引きこもりの人にも適応されるなど、生活保護制度が適応できる範囲が広がってきています。国から、生活資金や物資を供給して、最低限の生活を支援するものではありますが、同時にこの生活保護制度の1つの側面として、自立支援が組み込まれています。その制度として、保護者の自立に向けた支援計画や就労支援が行われます。就労に向けた支援や一定期間ごとに就労状況の評価も行われ、就労できない保護者に対しては、評価の見直し等が行われ、保護者に合わせて取り組みを変化させていくという仕組みがあります。生活保護の終了時点では、保護者の状況に合わせて、就労支援金も支給される仕組みになっています。保護者によって、出来る仕事内容や時間が変わってくるため、その状況に合わせて、対応が変化していきます。また、基本となる生活保護制度の仕組みはありますが、地域によって、地域福祉の支援が変わってくるため、支援内容には、違いや地域に合わせた特性があります。この自立支援は、歴史があるもので、戦後から取り組みが行われていました。社会福祉法が出来てから、大きな変化がありますが、先人から取り組まれている取り組みになります。このように、生活保護は、保護を受けているだけといいうようなイメージのSNSを見ることもあるのですが、このような仕組みも存在しています。
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地獄への道…3

いきなり、全ての「お金」が入ってこない状態に陥った。ただ「今すぐ食べ物がない」とう状態ではなかったから、なんとか「失業手当」が入ってくるまで頑張ろう、と思っていた。ところが…。その週末の恒例の「飲み会」の時、2人から言われた。「ヒカリちゃん、大丈夫なの?もう限界じゃない?」と…。彼女たちに何を言ったわけではない。元旦那からの振り込みもなくなった、などということも言っていない。いつもであれば「楽しい飲み会」だったのだが、その時は違った。Yちゃんたち2人が何を影で話していたのかは定かではないが、たぶん、今までの私を見てくれていたのだろう…。段々「痩せていく姿」と「なにも食べようとしない姿」、頼るところはないことは、もちろん知っている。私がどんなに話題を変えようとしても、2人は私の体と経済面、そして子供たちのことを心配してくれていた。いつもなら笑ってやり過ごす…そして、自分でなんとか解決をしてきたつもり。今回も特別なことではない、と自分では思っていた。2人に話すことになるのには時間は掛からなかった。そう…「なんで仕事を辞めたか」仕事のことも2人には話していなかったが、Gさんに仕事のことを聞かれたのか、なんだったのか…きっかけは忘れてしまったが、仕事のことを聞かれた時に、私は感情を抑えられなかった…。私はあまり「人前」で泣いたことがない。それが自分の意志とは裏腹に、涙が出て止まらなかった。その時、初めてYちゃんたちに「仕事を辞めたこと」を話した。そのいきさつも全部。けど「どうにかなるよ!」をおどけてみせたが、Yちゃんは顔面蒼白。私がどんな思いで「仕事をしていたか」を知っていたし、なんだ
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「生活保護不正受給(^^;」

「あの~、生活保護を申請したいです」「は?、どういう理由で申請ですか?」「え~、どういう理由って、オカネがもう無いんです!」「え?オカネが無い・・・じゃ、働いて稼いだらどうですか?」「いやぁ~、ちょっと具合悪くて、仕事できないんですがぁ~・・・。」「はい?じゃ~、病院で検査受けたんですか?」「いえ、まだ診察は受けてません」「そうですねぇ~、まず、職安に行ってそこで働けそうな仕事があれば、それをやってみてくださいよ~!ねっ?!」「はい、そうしたいんですが、やっぱり’パニック障害’でして、仕事ができない上に、’コミュニケーション障害’もあるんですよねぇ~・・・。」「もぉ~、それじゃ~、何も仕事できないじゃ~ないですかぁ~!!」「ま、ちょっとウチでは、判断しかねますので、まず病院に行って’診断書’でももらえば一応’保護申請’は検討してみますよ。いいですか?それで??」「はい~、ありがと~ございますっ!」((よし!やったね!保護費ゲット))「さてえ~、じゃ、保護費の受け取りで市役所行かなくっちゃ!」「なんか保護費も案外、簡単にゲットできて、楽勝じゃんか~!へへ」「次!李さ~~ん。李レオンさ~ん!」「え?もぉ~、あんまり大きな声で名前呼ばれたら、ちょい恥ずかしいじゃん」「小中や高校の知り合いがいたら、どうすんのよ~!ねぇ~~!もぉ~。」「ま、でもいっか、今月はっと、12万だな~♪じゃ、まずキャバクラ行って~そのあと、競馬とパチンコでしょ~、あ、酒も買っとこうか~。^^」(((それを聞かれていた李さん)))「え?アンタ、それって不正受給じゃ~ないの?」「は?まぁねぇ~、不正でっしゃろな」「
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新しい人生の終焉…7

私は早速、その大家さんに電話してみた。人の良さそうな人でとても優しかった印象を受けた。そして空いているかを聞いたら、「リフォームしてないけどそれでもいいなら入れるよ」と言ってくれた。どうせ、子供たちから汚される(-_-;)私は「大丈夫です、見せてもらえますか?」と聞くと快く快諾してくれた。翌日、仕事の合間を縫って物件を大家さんと一緒に見に行くことにした。2DKとはいうものの1部屋が広かったのでとても良かった。小さくではあるけど「小屋」も付いていた。隣の人の間に小屋が挟んであったので「防音」という意味もあるのかもしれない。そう思ったら、とてもいい条件だった。車も止められる。そして、なにより…アパートの前がとても「急坂」だった。これが「いい条件」な話はまた後で話そうと思う。大家さんは「こんなボロだからお子さんとかいるなら敷金とかいらないよ!」と言ってくれた。私は凄く親切な大家さんと思ったよりいい物件で「即答」した。大家さんはおじいちゃんではあるがとても元気そうな人だった。「さすがに今は契約書はないから来月入居の契約書作ってくるけど、入るなら今月の分はいらないから~鍵だけもう渡しておくね~荷物とかたくさんあるでしょ~」ととても気さく?というか、コッチが堅苦しいのおか?というくらい気さくな大家さんだった。そして私は、「そうすれば今月からお願いします」と言って、お互いその場を後にした。私はその日にもう旦那に言うことにした。とりあえず、仕事を終わらせ、子供たちを迎えに行きご飯とお風呂を済ませて、子供たちが寝るのを待って旦那に電話をした。「もうアパート見つかったから後は手配よろしくね」と。そ
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「超貧困世代60代以上の女性を救え!」

ボクは、若い時「東京」にいた。「広島」から「東京」へ、12年間。「自由が丘」、「豊洲」、「池袋」、「江古田」・・・ちょっと懐かしい。誰もが知っていそうな場所ばかり。もちろん「渋谷」もよく行っていた。しかし、そこで「悲惨な事件」があったのを全然知らなかったよ。2020年11月、渋谷区幡ヶ谷のある「バス停」で起こった。そこには「64才のホームレスの女性」がいた。そこを居場所にしていた女性、そこを通り過ぎた「ひきこもり男」が、「なんか、ジャマだ!」との一方的な言いがかりをつけ、「石の入ったペットボトル」で頭部を殴りつけ、死亡させた。「くも膜下出血」だ。あとで、老母と一緒に出頭したが、仮釈放の間に「自殺」した。なんとも「痛ましい」事件だけど、彼女はね~、「広島出身」なんだよ。「広島」では「劇団女優」もやっていた「笑顔の魅力的な女性」だった。あだ名は「ミッキー」だ。どうして渋谷で「ホームレス」をやっていたのか?少し前には「試食販売員」として働いていた彼女。「コロナ」での「解雇」が襲った。「そんな状態なら、’生活保護’でも申請したらイイのに・・・」「いいですか?」「生活保護」って、税金です。なるべく市役所も「お金」を出したくないんだ。もし「市役所」に「お金」が足りなくなると「公務に支障が出たり」、最悪だと北海道の夕張市のような「破産団体」として「国とかの直轄管理となり、職員の解雇や減給、その他のあらゆる削減を強行される」と聞いたことあるよ。おそらくそうじゃ。だから、もし生活保護申請しても、「あの~、できれば住所地で申請していただけませんか?」「ネットカフェではダメなの?」「はい、実際の住所
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「京都桂川介護心中事件」他人事じゃ~ない(;;

いまだに、たまにおもいだす事件・・・。あれは、2006年2月1日の寒い冬の朝。京都市伏見区桂川の河川敷で、ある親子が心中を試み、母親は死亡、息子は助かった。アパートの契約は、「1月31日」で終了だった。そして、アパート契約の終了した次の日に「50代の息子は、大好きな母と心中」を決意した。(;;「もう、2月分の家賃30000円が無いし、デイケアの3600円払うと、残金は7000円だ」・・・親子は、なつかしい京都の街や鴨川を車いすを引いて「心中旅行」した・・・最後に立ち寄った「コンビニ」で「パンとジュース」を買った。もう、「毎日2回の食事」は必要ない。・・・そして午後7時、京都の街を回り続け、母は言った「もう、家に帰ろう」・・・そして、一度はアパートの前まで二人は帰ったが、そこはもう「自宅」ではない・・・そして、二人は桂川の河川敷へ・・・(それから何時間たったのだろうか?二人は何を語ったのか?、いや、決意するための時間が必要だったのか?いまでは、もうだれもわからない。)「もう生きられへんのやで、ここで終わりや」「そうか、あかんのか。一緒やで、お前と一緒や」「すまんな。すまんな。」「こっちにこい!・・・お前はワシの子や。ワシがやったる」その最後の言葉を聞いて息子は母の首を絞めた。(;;そして、自分も「自殺」を図った。2月1日の朝二人は、発見された。母はすでに死亡、息子は助かった。・・・昔、まだ父親が「呉服店」をやっていたころ。当時は裕福だった。息子は父の後継者となった。しかし厳しい父親だった。「他人に後ろ指さされる生き方をするな」といつも言われた。・・・しかし、不景気で呉服の売り上げ
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「ウクライナ代理母ビジネス」・・・って?!

まず初めに~、前に書いたブログ記事で「公営競馬は、八百長か?!」なんだけど~、記憶力ちょい落ちてるのか「ダイナガリバー」の「優勝サイン?」が「有馬記念」だったか「日本ダービー」だったかどちらも「G1」レースなので、まあ、「どっちでもええやん」ということでも「どっちもサイン出てた」でもいいんだけどね~、ま、ボクも「おじちゃま?」なのでゆるしてたもれぇ~♪(^^ んがっ!?(え?「おじ~ちゃま?」ではナイ^^;)(((そして本題の記事ですぅ~)))まあね~、今までだって「代理母」とか世界でも日本でも色々あったよね。(^^;日本の芸能人でも「代理母」を使っての「ワタシもママになりたいの!」という欲望?を果たしたヒトもいるね。ただねぇ~、今回の「ウクライナ」での代理母ビジネス?って、これはも~死活問題ということで、「致し方なく?」とのことじゃね。今、戦争中で「なかなか仕事ない」ので、「宿とメシと医療と高額契約金?」を狙っての「代理母希望者が殺到?」しているとのことじゃね。^^;;;ボクの聞いているところだと「約300万」くらいで請け負っているらしいね。ドルだと「2万ドル~2万5千ドル」くらいかな~?!今のウクライナだとけっこう高額の取引だね。「ちょっと母体とか代理母の心理面」とかあとで問題にならないかって、危惧(きぐ)するけどね。^^;だけど、カネあるヤツは「いくらでも払う」という「オリガルヒ?」のような富豪なので「コドモはカネで買う時代」という意識なのかねぇ~(^^;ロシアの「コドモ連れ去り」とかも問題あるけど、「ニンゲンもイヌ・ネコのように繁殖させたらええねん!」という感覚って、ボ
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生活保護を受けていた過去

どうがんばっても生活が苦しくて、借金がかさみ自己破産の末に生活保護を受けていたことがあります。申請に行ったときのことは今でも覚えていて生活福祉課がどこにあるか分からなかったので市役所内で聞いたときすごく見下されたように見られました。きっとあの目は、本当に貧しさを味わったことがない人なら誰でも同じ目で見るんだろうなと思う。人は本能的に貧しさが嫌いだから。それは逆に言うと、存在する人間は皆豊かであるということ。だから貧しいという状態がおかしいということになるんです。お金がないだけなのに、それと貧しいということとはまったく違うと思うのです。本当に貧しくなったことがない人ぎりぎりでも仕事と家があって収入もある人にとっては本能的に忌み嫌う種類の人間の集まりが生活保護者。私は生活保護を受けた経験があってよかったなと思います。なぜなら、単にお金がないだけの人を貧しいと捕らえなくなった事やむしろ自分自身という豊かさに気づけたこと生活保護はもっと気楽に気軽に受けてほしいと思ったしそしてそこからいくらでも好きに稼げると知ったこと。ただの同情や想像力で寄り添うのではなく経験者だからこそ寄り添えるようになったこと。自分の富は流したいところにいくらでも流そうと思えるようになったこと。苦しくてつらい時期が長ければ長いほど咲かす花も実る果実もでかいということが分かったから。
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新しい人生の幕開け…35

妊娠してからはもちろん、「うつ病」の薬は飲んでいない。そもそも「通院」すらまともにしていない。もちろん、「自分がうつ病になるわけがない」とも思っていたけど、だれも親身にはなってはくれなかったし、そこまでまだ「うつ病」が認知されていなかった。日々過ごしていると「病院に行く」というのは子供主体になってしまい、自分はギリギリまで「病院」というところにはいかなかった。旦那が帰ってきて、名前を決めよう、という話になった。もう時間がない。色んな案が出たが、女の子なのに?という感じの名前になった…。私はあまり賛成ではなかったが、何時間も話しても埒が明かなかった…。お互い離れていても子供の名前の漢字や画数や意味などは考えていると思っていた。けれど旦那は「もうこれでいいんじゃない?」なんてことを言い出す始末。「名前は一生ものなんだよ!」と言っても…「俺の名前も適当だった」だの「爺さんが付けた」だの全くお門違いな答えしか返ってこなかった。夕方までには出さないと、明日にはまた旦那が仕事にいってしまう…。私が出してもいいけど、出生届けくらいは旦那に出してほしかった。出産したことがある人ならわかるかもしれないが、出産したからといって自動的になんでも手続きができるわけではない。健康保険の加入の手続きやたくさんの書類などがあった。今はどうかはわからないが…。そして、出産一時金…。これが問題となった。これは、もちろん私は旦那の扶養になっていたから旦那の社会保険から支給されることになる。その当時の金額は35万円くらいだったと思う。そのお金を…「少し貸してほしい」と言い出したのだ。はい??また始まった。このパター
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新しい人生の幕開け…34

そういえば、あの後、お義母さんたちは本当に「歩いて」家に帰ったんだろうか。ふと思い出して、旦那に電話した。旦那はすぐ出た。まだトラックを走らせているようだった。「おう!どうした?」という相変わらずの応答だったが、事情を説明した。そしたら「なんだってな…。役に立たない奴らだな…。俺になんにも連絡きてないから、どうせ親父に迎えに来てもらったんだろ、どこかで」という返事だった。「悪いけど、私もそれどころじゃなかったし、止めけどどうにもならなかったし…。あとであなたから連絡してみて。なにかあったら大変だし。」と。「わかった」と言ってくれたが…「それと…赤ちゃんの名前、もうそろそろ決めなきゃいけないんだけど…いつ帰ってくる?」と聞くと「おう!そうだな!明日帰る予定だ!その時決めて、市役所に出しに行かなきゃだろ?」というので「うん、そうだよ。子供たちも名前ないと呼びにくいし、この子もかわいそうだよ」と…。そうすると旦那は「俺も考えてはいるから帰ったら二人で決めよう」ということになった。今までどの子も「私が付けた」とか「二人で話し合って決めた名前」という子がいない。裁判で取られた息子も元旦那の親と義姉さん。娘もそう…。手元にいる息子は、憎いあの母親。そう、勝手に名前を決められて出生届を出された。私の入院中に…。だから、せめて「二人」で決めたかった。全部自分の思い通りにとは言わない。二人で…。そして、ようやく寝ることにした。3人で寝ていると子供の成長がすごくわかる。体が大きくなったな…寝相が悪くなったな(笑)…そうしていると、赤ちゃんがミルクの時間で泣き始めた。最初は子供たち起きるかな?と心配
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新しい人生の幕開け…33

まずは赤ちゃんが寝ていてくれている間、そして子供たちが帰ってくる前に家の掃除からだった。…産後はゆっくりしたかった…。そういう約束だったよね…。自分の気持ちがぐちゃぐちゃだった。けれど協力してくれる人が一人でもいてくれて心強かった。二人で掃除をするとすぐに片付いた。やれやれ…。私はRさんにお礼をいい、コーヒーを入れた。Rさんは、旦那の両親に対する文句は止まらなかった。それはそうだ。それは私も同感だったけど、赤ちゃんにも、子供にも罪はない。そう、全部私が悪いのだ。Rさんとは色んな話をしていたけど「お前、退院してすぐなんだから少し寝ろ、学校は帰ってくるだろうけど保育園は私が行くから!保育園に電話しておいて!まだ時間あるけど、軽くご飯も作っていくから、少し寝な!」と言ってくれた。私は申し訳なさ過ぎて、寝れるわけもないが、少し横になった。そうしているうちに赤ちゃんが起きた。ミルクを作ったり、オムツを変えたりしたがなかなか寝てくれない…。けれど赤ちゃんの顔を見ると本当に癒される。この頃、まだ名前は決まっていなかった。普通は入院している間や、産まれる前に夫婦で決めたりするものだろうけど、なにせ、旦那もいない。電話やなにかで決められるようなものではない。旦那は明日帰ってくるとのことだった。本当に、私は旦那に愛されているのだろうか…。愛されているつもりになったんだろうかそれとも勘違いなのかそもそも「愛されるってどういうことなんだろう」以前からも感じていたことが、またふと頭をよぎる。けれど、子連れの私と結婚するなんて愛情がないとできないよね…同情だけで結婚とはならないよね…。私は必死に考えた。そ
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新しい人生の幕開け…31

夕方になり、Rさんが息子を保育園まで迎えにいってくれた。Rさんがいなかったらどうなっていただろう…。本当に感謝と申し訳なさしかなかった。最初は反対していたRさんだけど、いざとなるとこうやって協力してくれる…。けれど甘えてばかりはいられない。5日間、どうすればいいのか…。それだけが心配だった。Rさんには「今旦那の親がこっちに向かっているらしいから」ということは伝えたが、病院にくる気配はなかった。そして、18時頃になりRさんに電話をしてみた。そうすると「家に旦那の親がいたから子供たちそのまま置いてきたよ、けど大丈夫かな」と心配の様子だった。明日になれば旦那も帰ってくるだろうし…。と思ったが…。私は家に電話を掛けてみることにした、そうすると娘がでた「おばあちゃんたち来てる?大丈夫?」と聞いたら「来てるよ!けど私たちなに食べるかわかんないってゆってまだなにもご飯食べてない、お腹空いた~」と…。なんだって??どういうことだ?どうする気でいるんだ?もうパニックだった。娘には「もうちょっとでお母さん退院するから待っててね、ご飯はあると思うから、卵掛けご飯でいいから食べてね!弟にもあげてね!」といい、切りたくない電話を一度切った。旦那に今度は電話をした。「どうなってんの?子供らお腹空かせてるけどなんにもご飯作れないって…、私は5日間退院できないし、どうするつもりでいるの?」と本当に腸が煮えくりかえるような思いで旦那に言った。「ごめん~だってしょうがないだろ!俺だって仕事だし、頼める人いないんだから!」と…。それを言われれば私は何も言えない。自分にまともな親がいたら、こんなことにはなっていないだ
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受精卵選択-優生思想-弱者切捨

昨日の記事に続いています。「優生思想」に絡む問題は複雑かつセンシティブで、明らかに私なんかの手には余るのですが、非常に興味があるテーマでもあるので、一応取り上げてみることにしました。優生思想問題というと、私が思い出すのはやはり「神聖喜劇」で知られる作家 大西巨人氏と評論家 渡部昇一氏とのいわゆる「神聖な義務」論争です(両氏共故人)。以下に簡単に説明します。かなり昔のことですが、渡部氏は「自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は子供をつくるのをあきらめるべきではないか。それが神聖な義務だ」との意見をある週刊誌のコラムで述べました。大西氏は作家ですが、寡作で収入がほとんどなく生活保護を受けていて、しかも、長男と次男は遺伝性疾患である血友病に罹患していたのです。また、次男の1ヶ月の医療扶助費が1500万円に達したことがあるとのことです。要するに、渡部氏は、遺伝性疾患の子供が生まれたのなら、次の子供も同様の疾病に罹患する可能性が高いので、裕福ではない親は第2子をもうけるのを諦めろといったわけです。渡部氏は上記の社会的負担についても触れています。この主張に対して、大西氏は激怒し、「破廉恥漢渡部は非人間的デマゴギーに立って“なぜお前(大西巨人)は『既に生まれた生命』次男野人を『未然に』抹殺しなかったのか”と私(の「人身」)を攻撃批難したのである」と反論しました(これは単なる怒りの声であって、反論にはなっていませんが)。世間は大西氏側につき、渡部氏を「ナチスの優生思想」の持ち主であるとして激烈な批判を浴びせました。まあ、世間の人たちの反応は理解できます。
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新しい人生の幕開け…23

卒園式の日は、旦那は出席しなかった。なぜなのか…。それはわからない。仕事でもそういう「式」には参加してほしかった。周りは旦那どころか「祖父母」まで参加していた。また襲ってくる「孤独感」せっかく再婚したのに…。私と一緒にいることが「恥ずかしい」のだろうか子供といることが恥ずかしいのだろうか…。なんだろう。今までの保育園の行事にも参加することはなかった、「運動会」や「夕涼み会」など…。私はいつも「一人」で参加していた。もちろん自分の子供だから苦痛ではないし、成長を見れるのは嬉しい行事。なんだかいつも「シングルマザー」の気持ちでいた。それでもいい、「自分で決めたんだ、この結婚も妊娠も…」そうやって自分に言い聞かせて…。卒園式が終わり家に帰り、息子はそのまま保育園に預けて娘と二人で過ごした。もうすぐ小学校の入学式に向けての準備だ!卒園式から入学式って結構短いですよね💦前から準備は少しずつしていた。自分と同じようにならないように、巾着袋はキャラクターにしたり、なるべく「みんなと同じ」を意識した。入学式の服もその当時は高かったし、もちろんお下がりもない。ランドセルはまだ安いのがあったから1万円くらいのを購入していた。けれど、みんなは結構高いランドセルに驚いた祖父母がいる、って強いな、本当にそう思った。今では色んな色とデザインがあるが、その当時は安いランドセルと高いランドセルの差が大きかった。それでも娘は何も言わなかった…。遠慮していたのだと思う。「言えなかった」が正しいのだと思う。そうして家の問題もあったが時間は止まらず、娘は入学した。入学式は旦那は参加した。けれど、他の親御さんたちに「挨
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新しい人生の幕開け…21

私は勇気を出して「トイレ」にいった。判定は…。「陽性」…。え…。今仕事始めたばかりなのに、まだ旦那は子供たちとそんなに多くの時間を過ごしてないのに…。どうしよう…。パニックになった。その話はすぐにRさんに報告した。仕事のこともあるからだ。Rさんは「やっぱり…。おかしいと思ったよ。で、堕すんでしょ?」と当然のように聞いてきた。え?なんで他人からこんなこと言われなきゃいけないんだろう。やっぱりRさんは苦手だ。「ちょっと考えるし、旦那にも相談しなきゃだから」と濁した。「仕事は出てもらうからね」といい、Rさんは電話を切った。溜息しかでなかった。嬉しいことだけど、今じゃないような気がする。けれど私ももう28歳だ。多分これが最後の妊娠となるだろう。まずは旦那に相談だ!夜になり、子供たちが寝静まってから私は旦那に切り出した。「あのね…最近体調が悪かったんだけど…調べたらね、妊娠してた」と。旦那は「まじ?ホント?おう!そうか!やった~!」と喜んでいたが「ん、でもね、ちょっと考えてる…今の子供たちだけでも大変でしょ、経済的にも色々…それに私、息子の産後の時も無理してしまってるから体力的にも自信ないんだよね」と気持ちそのままを伝えた。「え?それっておろすってこと?1人くらい増えたって変わらないだろ!せっかくの命なのに…それに俺にとっては初めての子だし…」と。確かにそうだ。今の子供たちは旦那の子供ではない、だからこそ、もっと今の子供たちと触れ合ってほしかったし、「自分の子供はかわいい」みたいに産まれたら、今の子供たちへの態度が変わってしまうんじゃないか、という不安もあった。それも伝えた。けれど旦那は
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新しい人生の幕開け…20

来年、上の娘が小学校に入学する。そんな時、私の急な体調不良…それでも仕事に行っていた。なんだろう…。熱もないしな…。私は幼少期から熱を出すということがあまりなかった。祖母がいうには「うち熱」といって、体温計には出にくい熱を出すそうだ。それでふと、思い出した。「あ、私、そういえば何年か前に『うつ病』って言われたんだ…、そのせいかもしれない」と、私は近くの精神科を受診した。診断された病院はもう遠い。しかもその時は「私がなるわけない」と思ったり、当時彼だった旦那もそんなに気にも留めていなかったから忘れていた。現に、「うつ病」と言われる症状はでていなかったと思う。母親のことや元旦那のこと、色んなことでたまに思い出して動悸がすることはあったけど、それが「うつ病」の症状だとは思いもしなかった。病院に行ったが、精神科は物々しい雰囲気で、病院内は薄暗く居心地がいいとはとても言えなかった。先生に前にうつ病と診断されたことなどを伝えたが、先生は私の顔をみるなり「今までの育成環境」を聞いてきた。はっきりいって、「げっ!」と思ったが、そのまま簡単に伝えた。黙って先生は聞いていた。そして「よく生きてこれましたね」と…。私は「はい?」とキョトンとしてしまった。どういうことだろう…。診察が終わり、薬を出されたが「眠くなるかもしれない」と言われ眠くなられたら…仕事はおろか、子供のことができない。そう思い、薬はその時は飲まなかったと記憶している。けれど、目まいと吐き気が辛くなり、休みの前の日だけ飲んでみた。気持ち悪さや目まいは治まったように感じたが、眠気がすごかった…。車なんて運転できない、と思うほどだった。怖
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新しい人生の幕開け…11

その日は本当に疲れてしまった。次の日の仕事が休みで本当によかった。その夜は子供たちは「おばあちゃん、おじいちゃんがきた!」や「新しい家ひろ~い!」などと楽しんでいたが、お義母さんは「おばあちゃんじゃない!」と娘に強く否定した。なんなんだろう、この人…。その光景を見た旦那がやっと「うるさい!ババアは黙ってろ!」と言った。怒鳴ってくれたことで私の怒りは少し和らいだが、それを言われた娘は悲しかったと思う。絶対にこの親たちとは仲良くなれない、と確信した。翌朝、私はいつも通り5時に起きて掃除をしていた。私はいつも起きてから家の掃除をする。これは多分、元旦那の姑から「朝飯前の仕事をしろ」というのが染みついているせいだと思う。その習慣は今でも変わってはいない。そして洗濯を回しながら朝ごはんの支度をしていた。もちろん、舅姑の分も。そうしているうちに子供たちが起きてきた。ご飯を食べ、テレビを見ていると、舅が先に起きてきた。舅は割と子供たちと仲良くしてくれていた。そしてもう9時になろうとしているころにノコノコと姑が起きてきた…。ありえない…。「あら~朝早いのね~、お腹すいちゃった!ご飯食べる!」とあたかも当然のように言ってきた。「そこにできてます」というと「あら!あなたたちもう食べたの?」とシレッとしていた。旦那の話には聞いていた。お義母さんが料理ができないこと、自分のお母さんの味(おふくろの味)というものが分からないこと。全部おばあちゃんがしてくれたことなど…。聞いてはいたが、ここまでとは…。子供たちは、近所の子供たちが遊びに来てくれたので外に遊びに行った。旦那は車庫の中を片付けたりしていた。旦
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次がは、母が他界した後になります

母が他界した後、泣いている暇なんてありません。安置所から火葬になる期間三日。逢いに行きたくても、行ける距離じゃない。母と再会したのは、火葬場でした。身体の水分が抜けていて、お髭が生えていました。お金持ちの葬儀は、まぁすごいんですよ。火葬も「こんなに人集めるの??」ってくらい我が家にはお金がありません。と言うか生活保護で支給される金額をオーバーしたら、自腹になります。私が利用した『小さなお葬式』は生活保護対応。実は、訪問看護師さんの最期のお世話も『自腹』で2万です。生活保護の葬儀は基本的に『火葬式』のみになります。お寺関係は全部自腹です。火葬式は『葬祭扶助』と言い、福祉から約26万ほど支給され、その26万で収まる様に火葬式を行ないます。自腹で払ったのは『火葬が終わるまでの椅子代』です。「は??椅子代??」使いまわしの椅子に一脚970円払いました。合計五脚母が、火炉に入る瞬間『なんも言えね・・・・』とぐっと堪え一言つぶやきました。「40分ほどお待ちください」待合室も簡素。一応お金を払った椅子に座り待つ事40分で「お待たせいたしました」と担当者が火葬炉に案内。ほとんど、遺骨がありませんでした。申し訳ないくらい。その、少ない遺骨を五人で骨壺に入れて、ペット用ですがミニ骨壺に火葬炉担当者が、骨を入れてくれました(葬儀屋に分骨を頼むとオプション料金がかかります)全てが終わった・・・わけではありません!!火葬から通常49日で納骨ですが、我が家は火葬後七日で納骨しましたお墓なんてありません。『永代供養』を選びました。5万5千円。(これも、自腹)分骨したのは、事前に永代供養でも『合肥』になるから
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うつ病で苦しんでいる方へのメッセージ・・・

今日は、自分を「客観的」に観ることが大切な事である「意」を伝える『禅語』のひとつを紹介います。 「客観的に自分を見る」のは大変です。でも訓練次第で出来る様になります。そんな「意」が皆さんに伝わればよいなと思います。 *****『惺惺着』(せいせいじゃく) 全ての人々には、心の奥深くに住む「もう一人の自分」がいます。その自分に対して問いかける『目を覚ましていますか(惺惺着)』という声。変化や刺激のない生活を送るうちに、つい眠ってしまいそうになる「自分の本心を励ます」言葉です。 人はつい、楽な道を行こうとしてしまうものです。それを正す本心が眠っていたら、どんどん怠け癖がついてしまいます。日々の生活でも「自分に問いかける」ことを忘れずに、しっかりと目を覚まし、本心を偽らないようにしましょう。*****この話は十数年前、まだ私が心理カウンセラーとなる前の出来事です。そして、この経験から現在の道を進もうと決心した出来事でもあります。生活保護施設に私と同年代の『うつ病』患者がいました。仮にこの方を「Yさん(男性)」と呼びます。Yさんは、生活保護施設に入所していました。そんな環境の中『うつ病』を治すため一生懸命努力をしていました。しかし、病状がなかなか改善の方向に向かわず、またドクターとの相性に恵まれなった為、悩み苦しむ日々を過ごしていました。月日が経ち、Yさんはとうとう『本心(本当の心)』が眠ってしまいました。病気に立ち向かう勇気と希望、そして努力をすることを諦めてしまったのです。Yさんを不愍と思い多くの言葉や勇気を付けて貰おうと、気にかけていました。しかし、その思いはYさんには届かず、Y
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生活保護と医療

新型コロナウイルス感染症の流行によって生活保護の受給者が増えています。 生活保護と医療の現状を、あなたはご存知ですか?①生活保護受給者が医療を受けるには ②生活保護の費用内訳 ③生活保護と医療の課題 ①生活保護受給者が医療を受けるには 生活保護受給者は、医療を受けるためにまず福祉事務所に申請します。 申請や、手続きが必要です。 ②生活保護の費用内訳 生活保護にかかる費用は、半分が医療費です。 その次は生活、住宅の順に多くなっています。 ③生活保護と医療の課題 循環器疾患、つまり心臓病や糖尿病、腎臓病など生活習慣病に関わる病気にかかりやすいです。 これらは生活習慣が原因でかかる病気が多く、病気を予防することが課題です。 精神・行動障害の割合が高いのも特徴です。 ストレス等によって精神や行動障害があり仕事をできず、収入が無いため生活保護を受給せざるを得ない方もいるようです。 まとめ 生活保護は日本における素晴らしい制度だと考えます。 必要な人に、正しく使われる制度であって欲しいですね。 あなたは、いかがですか?
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新しい自分へ…20

初めて3人で買い物に行った。娘はとても喜んでいた。けれど一つ気になったことがあった。3歳くらいの年齢だと「お菓子」や「おもちゃ」をねだるものだろうが、全くねだらなかった。私はふと気になり、わざとお菓子コーナーに向かった。「何か食べたいものある?」と聞くと娘は、黙って「アンパンマンチョコ」を指さした。「チョコかぁ!いいね!カゴに入れていいよ!」というとニッコリしてカゴに入れた。そうか…。施設ではそういうこともできなかったからか…。好きなお菓子がいつでも食べれるわけではない、そして選べるわけでもない。その施設ではある日ご飯に「もずく」がでたそうだ。娘は一口食べて「吐き気」がしたため食べ進めることができなかったそうだが、それを見た施設の人はこっぴどく娘を叱ったらしい。それから「もずく」は家では出さないようにしていた。好きなものの食べられなければ、嫌いなものは怒られる…。子供にとってどんなに苦痛だったろうか…。少し私たちの生活や保育園に慣れるまでは「自分の意見を言える」ように練習させようと思った。そうしてアパートに着き、娘と彼は一緒に居間で遊んでいた。その間私がご飯を作る…。もはや「絵にかいたような家族」だった。もちろん、下の息子のことを忘れているわけではない。確実に前に進んでいる。全員がそろってご飯を食べるまで、もう少し!私はより一層チカラがみなぎった。夜ご飯が出来て3人でゆっくり食べる食事は本当においしかった。テレビを見ながら話しをしたり、娘が「見たい」というアニメを見たり。彼と娘は私のご飯を「美味しいね!」といってペロリと食べてしまった。私が娘に「お風呂入るよ~」というと娘は「お
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どうしてFP2の資格を取得したのか

理由はたった一つ‘お金の基礎的な知識を身につけて、自分を守るため’ですFP2の試験は私の場合は問題集1冊を購入し、繰り返し説きまくって合格しました(*^^)vやっぱり役に立ちそうな知識は多くあります保険の事、相続の事、不動産の事など一見自分には関係ないようなことでも、ふとした時に『なるほど!』と思う瞬間はあるんですよね先日、知人が私にこんな話を持ち掛けてきました「もねちゃん、200万円で中古マンション買わない?投資物件として」(◎_◎;)えっ?!何を言っているんだろう?マンションってそんなに安く買えないヨ「2000万とかじゃなくて?」と聞き返すと、どうやら何者かに投資物件を勧められたとのこと怪しい(;´Д`) 知人はこう続けました「200万円で買ったらあとはお金かからないんだよ」いや・・固定資産税や、修繕積立金は?!それでも勧めてきましたがお断りしました200万円なら、私は別の事に使いたいです(回転ずしでお皿の色を気にしないで思いっきり食べてみたい!)FP2級の試験自体は宅建などと違って比較的取りやすいと思います♪私の場合は問題集1冊+試験代金(8000円位)なのでコストは1万円程度お仕事で使う知識ではないので、全てを今も覚えているわけではないけど、勉強する前よりはお金に対して‘安心感’は得られました失業しても、病気になっても生きていくための最低限のお金に悩まなくても大丈夫なんです何とかなる(*^^*)興味のある分野は、ちょっとでも勉強すると人生が楽になるかもしれませんね
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新しい自分へ…8

それから彼からはしばらく連絡はなかった。私は、バイトや子供たちのことに専念していた。けれど実際問題、お金が貯まるなど何年先になるかわからない状態が現実だった。それでも「諦める」という考えはなかった。児童養護施設では最低2年施設に入所してもらう、というのが条件だったが、私はそれより早く子供を引き取りたかった。気づけばもう1年が経とうとしていた。小学校入学前までには…一緒に生活していたい…。今のバイトでは無理だ…。その頃の秋田県はパートでもアルバイトでも「副業」ということが原則「禁止」されていた。そのころ、ちょうど「某牛丼チェーン店」は「牛肉輸入制限」かなにかで肉が入ってこなくなる事態に陥り、店は混雑、シフトも人数も増やして対応していた。帰るのは、シャワーを浴びに帰るだけの日々が2週間くらい続いた。これでは「副業」どころの話ではない…。体力的にも限界に近かった。忙しかったせいもあり、色んなことを忘れて仕事に打ち込むことができた。そして、牛肉がなくなりシフトも通常に戻った…やっと休める…それを見計らったかのように「彼」から電話がきたのである。私はハッとした…。そうだ、返事も返していない。返事だけはしようと電話にでたそうすると相変わらず何事もなかったかのように接してきた。そうか、ただの気の迷いだったんだな、私はあの話には触れないようにしていた。そうして、今までの仕事のことや彼の仕事のことなど他愛もない話をしていたそうすると「それで、考えてくれた?あの話」と…え?私はどうやって返していいのか分からなくなった。断る、ということをしたことがないからどうやって断ったらいいのか分からなかった。黙
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新しい自分へ…4

i子さんは、私たちをアパートに呼んでくれた。そして、お昼ご飯を作ってくれた。娘はi子さんのことを「ばあば」と呼ぶようになっていた。I子さんはそれを聞いて喜んでいるようだった。i子さんの息子さんは遠く北海道に住んでいて、奥さんとも仲が悪いらしい…。I子さんの家庭事情もよく話してくれていたからなんとなくは知っていた。だからか私の娘も「孫」のようにかわいがってくれた。そろそろ施設に戻らなければいけない時間になっていた。I子さんのアパートを出て、私のアパートに行き荷物をもって自転車に乗せて施設に向かった。娘は施設に戻ることはわかっていただろうが、私もあまり触れないようにしていた。自転車に乗って30分くらいして施設に着くと、やはり寂し気な顔になった…。施設の人に引き渡すときは、娘も私も泣いていた。やっぱり寂しい…。苦しい…。辛い…。帰りの道中、私は考えた「あんまり会わない方がいいのかな…、でもな、見放されたと思ってほしくない。かといって頻繁だとまた施設の人から言われるし…。間隔的にどうしよう…。」と考えながら自転車を漕いでいた。今度は下の息子に会いにいった。息子の「外泊の許可」を取りたかったから話だけでも聞いてみようと思った。乳児院は比較的、外泊もokらしい。よかった!息子と少し会って、その日は帰った。あのまま帰りたくなかった。苦しかった、娘はもっと苦しいと思うとどうしていいかわからなくなった。息子とはいつでも会えそうだ。それなら娘に専念しよう、そう思った。娘を2週間に一回息子を3週間に1回のペースで外泊させよう!そう決めた。とはいえ、娘の幼稚園の関係上、土日でなければ外泊は不可能だった
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離婚まで…38

i子さんとばったり道であった!私は嬉しくなった!そして道端にも関わらず、色々話した。話しているうちにi子さんの家がこの近くだというのだ。私のアパートと歩いて10分くらいの距離にいるようだった。「ついでだからおいで!」と言われて嬉しくなってi子さんのアパートに付いていった。そしたらなんと、風呂トイレ共有のアパートに住んでいた。i子さんは「ここ汚くてね、また私掃除からよ(笑)」などと笑いながらいっていたが部屋はi子さんらしく綺麗にされていた。i子さんは「花」が大好きだ。その部屋にもたくさんの花があった。シェルターから出たときのことや今までの話、色々二人で話した。そして時間も遅くなりそろそろ帰ろうかな、と思っていた時「晩御飯食べていきなよ!私も一人で食べても美味しくないし!」といってくれたので、その言葉に甘えることにしました。i子さんはとても料理が好きな人ならしく、ドンドン料理が出てきました。こんな料理は何年ぶりだろう…暖かいご飯、みそ汁、漬物や焼き魚…サラダ…テーブルに乗せられないくらいの料理が出てきた。どれも美味しく、泣きそうになった…これは美味しくて、もそうだけど、「子供たちに食べさせてあげたかった」という気持ちが強かった。そしてなにより、i子さんの気持ちが嬉しかった。たくさんご馳走になった後、「今度私のアパートにも遊びにきて!」と言って帰った。i子さんは携帯電話ではなく、「家電」を契約したようで家の電話番号もおしえてもらった。そうして、数日が経った…。全く何事も前に進まない時間が過ぎていった。アパートを借りてから2週間ほど経ったとき、私は初めて娘のいる施設にいった。娘は私を見
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離婚まで…37

その間私は、保険屋さんの勉強に通っていた。試験も終わり、さぁ!仕事するぞ!というときになりいきなりの「採用解除」のようなことを言われた…。私は頭が真っ白になった。理由は「車がないこと」だったらしいが、そんなことは面接のときに話していることだ。それも上司に話したが、「本社の決定だから…」しか回答はもらえなかった…。え、これからどうすればいいの?アパートの支払いは?生活は?アルバイトも以前に「車を所有していないと雇用できない」と言われていた。コンビニのアルバイトでさえだ。なぜかというと「夜勤のとき危ないから」だそうだ。本当に地方は「車がない」と仕事もできない。免許はあっても車がない…自転車はあったが、もはや仕事の手段にはならないようだ。早く仕事に就いて子供たちを引き取るんだ!そういう願いも虚しく…。なぜこうも上手くいかないんだろう…シェルターの職員に相談をしに行ったそしたら「生活保護をもらいにいきなさい」と言われた。「生活保護…。」生活保護がどんなものなのかさっぱりわからなかった「とにかく市役所いっておいで!そのままでいいから!」と言われたそして、市役所に行き、言われた通り「保護課」にいった。そうすると「相談室」のような狭いところで色々話を聞かれた若い男性だったと記憶しているが、とても丁寧に相談にのってくれて最後のほうは泣きそうになったが、「ここで泣くのはずるい」と自分に言い聞かせてなんとか抑えた。そうして、何時間か話した後、その男性職員は「すぐ手続きしますね!印鑑は持っていますか?」と聞かれた。今は持っていないことを伝えると、後ででいいので持ってきて、とのことだった。生活保護の仕
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なぜ「うつ病で会社を休職・退職された方の相談」に乗るのか?

僕がうつ病を20代後半で発症して、約20年近くなろうとしてます。現在もメンタルクリックにお世話になっていますし、抗うつ剤も服用しております。仕事は単純労働のフリーターで、お給料も手取り10万円もいかないために、障害年金も受給させてもらってます。特に資格もスキルもない僕が、恐れ多くも「うつ病で会社を休職・退職された方の相談に乗ります」というコンテンツで出品させて頂いた理由は、「ご相談に乗ることにより、うつ病で数多くの失敗を経験した僕だからこそできるアドバイスがあるのでないか?」と思ったからです。●休職期間の時、なぜ何もせずにボケーと暮らしてしたのだろうか?●復職時に、職場の方になぜあんな態度をとったのだろか?●復職後、しばらくは仕事ができたのに、なぜ体調が悪くなったのだろうか?●なぜ、休職・復職を繰り返すのか?●退職後、なぜ金銭的な問題(借金)が発生してしまったのか?●退職後、なぜ3年以上も家に引きこもり、最終的に生活保護を受給してしまったのか?「そんな失敗した人間のアドバイスなんかいらないよ!」と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、「うつ病の方はこれをすると失敗しますよ(うつの必敗の法則)」という引き出しはたくさんある方だと思います。そして、ご相談後に、休職中の方は一日でも早く復職して頂き、または退職中の方は社会復帰して、新しい会社ご活躍して頂けたらと思います。どんな些細なことでも結構ですので、お問い合わせ頂ければ、親身になってご相談に乗らせて頂きます。↓↓会社を休職・退職中の方のお悩みを相談させて下さい(電話相談)↓↓お気に入り追加、フォロー、DM、お待ちしております! 少
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「人としてどうなんだ」を問う映画

佐藤健、阿部寛、清原果耶、物語の主要人物がスクリーンのなかでくすんでいた。 映画「護られなかった者たちへ」エンターティメントというより、ドキュメンタリーに近い泥の匂いと鉛色の空を感じる映画だった。 餓死という不可解な連続殺人事件を追う、刑事役の阿部寛は、他作品で見せた歯切れのよさがない。常に顔色は悪く最後まで震災の影を引きずっている。佐藤健は画面のなかで静かに怒りを押し殺す目をしている。いつもなら一滴の清涼感となるであろう清原果耶も眩しい輝きを封じていた。三人とも尖った憤りを重く隠している。 唯一救いとなるのが、佐藤健、清原果耶が演じる利根と幹子が漁港を二人乗りの自転車で走るシーンだった。二人の破顔が見れたのはその場面だけだ。倍賞美津子の遠島けいに、笑顔でいなさいと言われて振りむく利根の笑顔はまだ慣れていなかった。笑うことに罪悪感を感じているようだった。 決して、後味のいい物語ではない。それは、観客だけでなく役者にも滲み出ているようだ。 それは、まだこの物語が終わっていないからだ。 続きは最後に伝えられた、円山幹子のSNSへの投稿に現れている。 生活保護行政の理不尽さ、所轄官庁である福祉保険事務所の対応など、一方方向に向ける怒りは、この物語を見れば誰もが持つ。それでも幹子は、「タスケテ」の声をあげ続けて欲しい、と訴えている。そして誰もが、その「タスケテ」の声に耳を澄まして欲しい、と訴えている。 その声を聞くのは誰でもいい。            誰もが聞かなくちゃいけない。 立場もあることも知っている。            自分の生活があるのも勿論分っている。 それでも、誰も
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幸せな人への妬み

ひろゆきは好きだし、だいたい本当のことを言ってますが、木村花が悪いというのには同意できませんでした。私はひろゆきじゃないから仕方ないですけどね。生活保護に関しては、ひろゆきも言うように、俺は働いてるのに楽してる奴はけしからんという人がけっこういるんでしょうね。ホームレスに対する差別とか。ニートが非難されるのも、楽してる奴がけしからんということなんだと思うんですよね。なので一種の嫉妬なんですね。私も仕事の形態が違うから仕方がないんだけど、比較的楽に稼いでいるので妬まれたようです。時給ではなく、売れなければゼロという、個人事業主みたいなものなんですけどね。ニーチェも言うように何かいいところがある人のことは嫉妬する人がいますからね。DaiGoも、言っちゃいけないことを言ったのは確かですが、金持ちの有名人をこの機会に叩いてやろうという人も一定数いると思うんですよね。ただ、DaiGoの場合は「俺は高い税金を払ってるんだ」という動画の方が本音だと思うので、謝ってもなかなか難しいとは思いますよ。ひろゆきも言うように、実際は生活保護やホームレスを差別してる人は、けっこう多いんじゃないか?ということです。不景気なので、嫉妬、差別が酷くなっているんじゃないか?とのことです。自分が豊かで幸せな人は、そのような事はしないんですよね。私はけっこう金持ちになった頃がかつてあって、自分が幸せなら自然と人格も良くなるなと実感しました。これが逆に、自分は不幸なのに人格を磨きなさいという事だと苦しいんですよ。なので不幸な人が幸せな人を妬むのは、仕方ないのかも知れませんね。
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地獄の沙汰も金次第

このブログを書くにつれ少しずつ読んでくださる方が増えとても嬉しく何とも言えない気持ちで^^励みになっています!「地獄の沙汰も金次第」というちょっと怖い感じのタイトルつけていますが今日はそんなお話をしたいと思います。知り合いの老夫婦は若い時に手に手を取って遠方から逃れるように移り住んできた方々です。お二人は子供もいなかった事から自由気ままに楽しく暮らしていきました。ご主人はとてもお元気で80歳まで会社の社長さんが許可してくださりトラックに乗っていました。いくら元気とは言えその年齢を考えるといつ不調になってもおかしくありません。良く働きましたが二人は一緒に遊んでいたので貯金もありません。身体が動きにくくなって仕事が出来なくなって年金もかけていませんでしたので受け取れず生活保護を受ける事になりました。お酒もたばこも生活保護を受けている人には嗜好品となり当然ながら拘束されてしまいます。「好きな事も出来ずに生きて居たくない!こんな思いするぐらいなら殺してくれ」と福祉課の人を困らせます。あがいてもごねてもしょうがないのです。嫌なら生活保護を受けずに自分たちで何とかすれば自由なんです。けどそんなお金もない。奥さんが捨ててきた息子は大きくなって後に大きな会社を持ち資産家になっているそうですが面倒は一切見る気がないそうです。あまりにも自由に生きてきた代償は大きいのかもしれません。そんな老人ではなくても今は年金や貯金がなかったら大変な時代です。長生きするのが苦しくなるなんて・・・母は義父がまだ生きていた頃、ケンカするたびに「離婚する!」と言っていました。他界してからも籍が抜けるそうでそれも母は真剣
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生活保護と不正受給の本当

生活保護はとかく不正受給がクローズアップされ、報道の的になることで世間からの批判や偏見の対象になり易いですが、行き過ぎた報道や誤報も多く生まれています。つまり、マスメディアが視聴者の耳目を集めやすい角度から強引に切り取っただけの偏向報道、いわばポジショントークの賜物なので、むしろこれこそ厳に批判される必要があります。H24年の厚生労働省・主幹課長会議資料によれば生活保護の不正受給率は金額ベースで『0.4%』です。しかもこの中には、高校生の子供のアルバイト代を申告する必要がないと誤解していただけなど悪意のないケースも含まれ、単に行政の説明不足にすぎない事例も多々含まれています。むしろ、不正受給よりも深刻な問題は『受給漏れ』でありこれこそ、すみやかに改善されなけばならない現実です。日本の生活保護の捕捉率(ある制度の対象となる人、資格のある人の中で、実際にその制度から受給している人がどれくらいいるかを表す数値)は『20%にも満たない』数値で推移しています。欧米の先進諸国を見てみると、ドイツやイギリスでも60%を超えておりフランスや、福祉大国と呼ばれるスウェーデンに至っては80%に及びます。(5人の生活保護資格者のうち4人以上は受給できている)生活保護制度全体の国民利用率については、日本が1.5%程度に過ぎないのに対して、欧州諸国は平均で5%を超え、ドイツ・イギリスに至っては10%に近い生活保護の利用率を維持しています。日本人がいかに同胞に厳しい国民であるか、公共を頼ろうとする人たちに対していかに厳しい視線を向けているかの証左です。日本は圧倒的に、生活保護を含む福祉後進国であるといわざ
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仕事が無くて元気が無い方を勇気づけたい

コロナ鬱。こけも何故か問い合わせが増えてるけど、まだまだメンタル的な戦いはこれからだね。絶対にこんなもんじゃない。ネット社会になれば日本人は病む人が増える。生活保護は恥ずかしい事じゃないって事を先に伝えたいな。今の所日本には権利があるし、普通に贅沢さえしなければ生活出来るよ。長野県で言えば単身で11万円弱かな。多分生活保護は最強。夢を目指したりお勉強したり好きなこと出来る時間が沢山出来る。やりたい事をチャレンジする為に堂々と国に助けてもらえばよき。確実に貰いたいなら行政書士さんにお願いする事。生活保護者からはお金取らない先生が多いから電話して色々相談するといいよ。審査を通過させたいならポイントは1つ。「仕事が出来ない事を証明する事」適当な精神科に行ってうつ病の診断書とか貰えれば、窓口で仕事出来るんじゃないんですか?って誘導にも理由がつけられる。たらい回しにされる場所もあるみたいだけど今は生活保護申請もゆるい。生活出来なくなる心配なんてしなくていいから出来る限り今を悔いのないように頑張ればいーよね。全然大丈夫😆
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ココナラを始めて1年が経ちました

ブログの更新をすっかり忘れておりました。いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。ココナラを始めて早くも1年が経ちましたが、おかげ様でゆるーく続けながらも、定期的に生活保護のご相談をお受けすることができています。本当にありがとうございます。さて、2月にファイナンシャルプランナー検定3級を受験しましたが、先日、合格証書が届きました!年を取ると、こういった賞状みたいなものを受け取る機会って無くなりますね笑とはいえ、勉強した甲斐もあって、きちんと合格できたことはとても嬉しく思います。少しだけお金の知識が強化されたような気もします。FPの勉強をしてて思ったのですが、「生きていくうえでお金の勉強は大事」だということを、改めて感じました。当たり前のことですが、お金のことについて学ぶ機会というのは学校や会社では殆ど用意されていませんので、自発的に勉強しなければ、なかなか学ぶ機会はありません。それなのに、お金の問題は死ぬまで付きまとう一生の課題です。お金というと幅広いですが、税・保険・年金など、人が生きるうえで避けて通れないのに、学校や会社では教えてくれないことが沢山あります。そういった意味では、FP試験は良いきっかけになったと思います。生活保護に限らず、税・保険・年金など、お困りのことがございましたら、お答えできる範囲でご対応いたします(^^)/
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ココナラを始めて11か月が経ちました

こんにちは。いつも読んでくださる方、ありがとうございます。ココナラを始めて早や11か月が経ちました。おかげ様で引き続き生活保護のご相談を承っております。今回は生活保護とは関係ありませんが、先週、FP(ファイナンシャルプランナー)技能検定3級を受験してきました。ライフプラン、税金、保険、不動産など、お金に関する幅広い分野を学ぶことになります。十数年ぶりに試験勉強をしました笑勉強方法は「FP3級ドットコム」というサイトの、「過去問道場」というページで、ひたすら過去問を解くというもの。こちらのサイトには大変お世話になりました。運営者様には本当に感謝です。試験会場に行くと、200人以上はいるかと思うくらいの広ーい会議室。受験者も大学生らしき若者から70歳以上と思われる年配者まで様々でした。午前に学科(10:00~12:00)、午後に実技試験(13:30~14:30)が行われ、計3時間の戦いです。試験自体はそこまで難しくなく、すべて選択式のマークシート方式です。6割取れたら合格ということで、帰りの電車で早速自己採点。結果、学科57/60点、実技18/20点と、合格してそうでひとまずホッとしました(^^)3月に合格通知が届くそうなので、こちらのブログでまたご報告したいと思います。FP試験は、万人にお勧めできる内容です。お金に関わる内容を幅広く学ぶことができます。義務教育に入れてもいいんじゃない?とも思えるほどで、若い頃に挑戦しても良かったなと感じました。(参考)勉強時間 約30時間受験料 8,000円+振込手数料教材代 0円当日の電車代 700円当日の昼食代 500円
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ココナラを始めて10か月が経ちました

早いもので今年もあと1週間程度ですね。最近は厳しい寒さが続き、ブルブル凍えながらパソコンにむかってます。引き続き、生活保護の相談メインでココナラ活動を続けています。私の経験談ですが、年末年始は生活保護の申請って、意外と多いです。年末年始は役所は基本休みですが、生活保護の申請を受け付けるための「年末当番」なるものがありました。職場に2~3人だけが出勤し、申請があれば受け付ける体制を整えておくのです。2~3人しか居ないので心細いですが、そういうときに限って生活保護の申請のために来庁する方がけっこう多かった記憶があります。しかもホームレスの方や生活にひっ迫してる方など、悠長にできない案件だったりすることが多かったような気がします。「年末年始は役所も休みだから、相談に行けない」と思ってる方、意外と多いのではないでしょうか?そんなときは迷わず役所に電話しましょう!役所は休みでも、生活保護の申請はいつだってできます。なんなら正月もできます。守衛さんや電話交換手が生活保護部署に繋いでくれる市町村が少なくはないと思います。また、私のサービスも平日休日関係なく相談を受け付けております。お困りのことがございましたら、いつでもご連絡ください(^^)/
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ココナラを始めて9か月が経ちました

ココナラを始めて早や9か月が経ちました。もう生活保護の相談がメインとなっております笑生きるって難しいですね。人それぞれ状況も異なりますし、ハードモード人生の場合は自身の力だけではどうしようもないこともあります。そんなときはプロに聞いて、手っ取り早く解決したいところです。徒然草の一節に、私が好きなこんな言葉があります。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」ざっくり要約すると、「なんでもプロに聞くのがいいよね」と、個人的に解釈しています。困ったことも、行き詰ったことも、自分の力だけで解決するのではなく、その道のプロや経験者の力に頼るということ。圧倒的にコスパが違います。生活保護を受けるって、相当に生活に困っている状況だと思います。そんな時に、悠長に「これからどうしようか考えよう」という余裕もない、という方も少なくないと想像します。そんな時は、手っ取り早くプロに頼れば良いのです。どうしようどうしようと悩んで時間を浪費するよりも、さっさとプロに聞けば圧倒的に早く解決することもあると思います。私の生活保護サービスは、1,000円で10日間チャットでご相談に応じるというものです。1,000円というのは、ココナラで設定できる最安料金です。これ以下の料金にできないので、1,000円にしているのです。また、生活に困窮している方に、高額な料金設定にするのも気が引けます。どうぞ気楽に、お試し気分でご相談ください。生活保護のこと、何でもお答えします(^^)/
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ココナラを始めて8か月が経ちました

ブログ投稿をすっかり忘れておりました。ココナラを始めてはや8か月が経ちました。おかげ様で販売実績も20件を超え、毎月コンスタントに生活保護に関するご相談を承ることができております。また、ありがたいことに、すべての評価で★5をいただいております。本当にありがとうございますm(_ _)m生活の状況、ご家族の事情なども人それぞれで、ご相談内容は多岐にわたりますが、共通して言えることがあります。生活保護は憲法で保障された国民の権利であり、「いつでも誰でも、どんな状況でも何度でも」ノーリスクで申請することができます。役所の水際対策は不法行為です。これさえしっかりと認識していれば、恐れずに役所に申請することができます。現在生活に困っているけど、申請が通るかわからない、追い返されたらどうしよう、、、と悩んでおられる方、結構おられます。でも、生活保護は「国民の権利」です。生活保護を受けることは悪いことでも恥ずかしいことでも何でもありません。人生だれでも、ちょっとしたきっかけで生活困窮に陥ることがあり得ます。それが自分の責任でなくても、です。そんな時は、迷わず生活保護を申請しましょう。わからないことがあれば何でもお答えします(^^)/
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ココナラを始めて5か月が経ちました

こんにちわ!今日は仕事も休みでのんびり家で過ごしていました。早いものでココナラを始めてもう5か月が経ちました。先月からアクセス件数もほとんど無く、1か月くらい音沙汰もなく忘れそうになっていたときに、なんと立て続けに3日連続でご相談がありました!今ではもうココナラは生活保護のご相談の場となりました。ケースワーカーをしていた当時もそうでしたが、やっぱりみんな人生人それぞれで、誰にでも人生の落とし穴にハマりそうなことってあるんだと感じました。それは自分自身だけではなく、身近な人にも同じこと。誰かとつながって生きている以上、家族や友人が困ったら自分も何かしら影響がある。それを黙ってみて見ぬふりはできない。でも自分だけではどうやって解決したらいいかわからない。そういうときに、状況を打破できるお手伝いができたら、嬉しいですよね。幸せに生きていくためには人とのつながりは無くてはならないものですが、仕事でもココナラみたいな場でも、誰かの役に立ってもらえたら嬉しいと思いますし、相談してもらえる=頼ってもらえるっていうのは、ありがたいことです。細々とではありますが、これからもココナラでの活動を続けていきたいと思います。生活でお困りのことがあれば、いつでもご相談ください('ω')ノ
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ココナラを始めて4か月が経ちました

2023年2月から始めたココナラですが、あっという間に4か月が経ちました。いや、ほんと時間が経つのは早いものです。当初は「パワポやエクセルくらいなら自分でもできるし何かやれないかな?」という気持ちから始めましたが、今はほとんどが生活保護に関するご相談がメインとなりました。当初の想定と現在では全然違っていること、また、想定外のことが実際は上手くいくことなど、やっぱりやってみないとわからないものですね。おかげ様で購入実績も2ケタを突破し、現在も生活保護のご相談が1件、PowerPoint資料作成1件ご対応中です。ありがとうございます!、、ちなみに「ハゲ治療のご相談」は購入実績ゼロです笑半分ネタですが、薄毛に悩んできた私が感じたことや知識、経験は決して無駄ではないはずです!笑久々のパワポ資料作成については「ナノ粒子」に関するものでした。パッと見ても理解できなさそうですが、学生時代の経験からきちんと理解し、資料に落とし込む作業も難なくこなせました。このご依頼で生きた経験は「学生時代に論文をたくさん読んでいたこと」「英語をしっかり勉強してたこと」「PowerPoint操作を仕事で駆使してること」の3つです。過去の経験が無駄にならず、今に生きていることを実感したご依頼でした。お困りのことがあれば、お気軽にご相談ください(^^♪
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ココナラを始めて3か月が経ちました

2023年2月から始めたココナラですが、早くも3か月が経ちました。これまでの販売実績としましては、PowerPoint資料作成が2件、生活保護に関するご相談が7件(ほか現在1件進行中)という結果です。1か月あたり3件ほどのペースで、私としては時間的にまだまだ余裕があります笑最近は特に生活保護に関するご相談が多くなりました。1サービスあたり10日間ご相談をお受けしておりますが、ご質問など10日間で体感50件ほどでしょうか。これまでどんな質問にもすべて答えることができております。ケースワーカーの仕事は大変でしたが、違う場所で活かされ、そして感謝されることは本当に嬉しいことです。また、ご相談を通じて保護の申請に至り、無事に保護を受けられるようになった方もおられました。困った人の助けになることは本当に嬉しく思います(不正受給には大反対ですが)。まだまだ時間が空いておりますので、生活保護制度のことで聞きたいこと、日々の生活でお困りのこと、気になることなどがございましたら、遠慮なくメッセージでも何でもご連絡ください('ω')ノこれからもココナラでの活動を継続して頑張ってまいりたいと思います。
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ココナラを始めて2か月が経ちました

2023年2月からココナラを始めて、早くも2か月が経ちました。2か月目の状況としましては、なんとPowerPoint資料作成のお見積りが1件、生活保護のご相談が3件を承ることができました!残念ながらPowerPoint資料のお見積りは、ご依頼内容がPowerPointの機能に搭載されていない仕様が含まれていたため、その旨をお伝えし、泣く泣く「辞退」する結果となってしまいました。。一方、生活保護のご相談についてはチャットだけで完結できるため、いつでも誰でも、どんなご相談でも対応でき、お断りすることも無く、すべて承ることができます。そして、ご相談3件のうち1件は無事に保護の申請に至ることができ、2件についてはおひねりもいただくことができました!評価も星5を頂くことができました。ありがとうございます。生活状況や悩み事は人によって本当に様々で、なかなか相談しにくいデリケートな内容も含まれています。生活保護は制度もややこしくてネットで調べるのも独りではなかなか難しいこともあります。お金・生活に直結した切実な問題は、誰かに相談してでも、早く解決して安心したいですよね。介護もそうですが、たとえ自分のことではなくても、身近な人が困って手伝わなければならないことも起こりえます。本当は自分の生活で精一杯なのに、他の人の助けまで十分に手が回るのは中々難しいものがあります。お金や生活のこと、身近な人のことで悩みや心配事を抱えておられる方がおられましたら、どうぞご気軽にご相談ください。何でもお答えします('ω')ノ
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ココナラを始めて1か月が経ちました

2023年2月よりココナラを始めましたが、おかげ様で3件のご依頼を承ることができました。PowerPoint資料作成が2件、生活保護のご相談が1件PowerPoint資料作成はとても大変でした。購入者様のご意向を汲むために何度も修正する必要が発生し、「どんな資料を求めているのか」「どのように資料を使ってプレゼンしたいのか」を考えさせられる大変良い機会となりました。パワポ操作は慣れているので特に問題はありませんが、構成や資料のイメージ、素材集めなど悪戦苦闘しましたが、おかげ様で2件とも星5つの評価をいただくことができました。感謝です。生活保護の相談については、ケースワーカーとしての経験もあったことから、ご質問やお悩みについてはすべて答えることができました(まさかのおひねりもいただきました)。ココナラを調べて思ったことが、「生活保護をはじめとする行政サービスに関する相談を受けられる出品サービスが少ない」ということ。閲覧件数やお気に入り登録数を見ても、生活保護の相談の出品が最も多かったことから、潜在的に生活の悩みをかかえていらっしゃる方が多いのでは?と感じました。役所で相談するのは勇気がいることですし、こういった場で気軽に相談でき、生活が良い方向に向かえばいいですね。お金のこと、生活のことでお困りの方、生活保護の制度について気になる方がおられましたら、何でも結構ですのでご気軽にご相談ください。何でもお答えします('ω')ノ
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自分の意志はどんな状態でも持つ

先日は、訪問看護の契約に行った方は60代の男性。  生活保護の方で、脳梗塞で倒れ車いす生活の為、施設に入所しました。 1人づつ部屋があるのですが、とても狭く、寝るスペースしかない状態です。 食堂もあるのですが、食堂は4人座って食べるスペースで一杯になってしまうくらい狭いのです。 60代の男性は「衣食住あるだけで、ありがたい。この生活に慣れていく」 と言っていました。 実はこの施設は、以前はビジネスホテルだったそうで、 そのまま居抜きで住宅型の有料老人ホームになりました。 ここに住む人はほとんどが、生活保護の方で、 ・1人で暮らせない ・有料老人ホームに入居できない 方に、用意した施設でした。 専属の訪問介護、訪問診療もついているので、何も困ることはないのです。 今回の方は、施設のことの言う事を聞いてれば何でもやってくれるから、 それでいいんだと。言葉も少なめなのは、言葉の出にくさから、 言語聴覚士が対応する予定となっています。 言語聴覚士が入ることによって、言語のリハビリをし、 言葉の出にくさをリハビリをすることによって 出しやすくしていきます。 ただ私から見た利用者さんは、何だか全てをケアマネジャーに決められ、 自分に意志を言えず、決められた時間、決められた内容のようにも思いました。 家族は疎遠状態で誰も身内がいない状態で、家族の意向というのもない。 生活には全く困らない状態であっても、自分の意志をもって生活をしなければ 自分じゃないような、どこか寂しいようにも思えました。 自分の意志を持つことで、最後まで自分が主役になれる人生を
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