受精卵選択-優生思想-弱者切捨

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昨日の記事に続いています。

「優生思想」に絡む問題は複雑かつセンシティブで、明らかに私なんかの手には余るのですが、非常に興味があるテーマでもあるので、一応取り上げてみることにしました。

優生思想問題というと、私が思い出すのはやはり「神聖喜劇」で知られる作家 大西巨人氏と評論家 渡部昇一氏とのいわゆる「神聖な義務」論争です(両氏共故人)。

以下に簡単に説明します。

かなり昔のことですが、渡部氏は「自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は子供をつくるのをあきらめるべきではないか。それが神聖な義務だ」との意見をある週刊誌のコラムで述べました。

大西氏は作家ですが、寡作で収入がほとんどなく生活保護を受けていて、しかも、長男と次男は遺伝性疾患である血友病に罹患していたのです。

また、次男の1ヶ月の医療扶助費が1500万円に達したことがあるとのことです。

要するに、渡部氏は、遺伝性疾患の子供が生まれたのなら、次の子供も同様の疾病に罹患する可能性が高いので、裕福ではない親は第2子をもうけるのを諦めろといったわけです。

渡部氏は上記の社会的負担についても触れています。

この主張に対して、大西氏は激怒し、「破廉恥漢渡部は非人間的デマゴギーに立って“なぜお前(大西巨人)は『既に生まれた生命』次男野人を『未然に』抹殺しなかったのか”と私(の「人身」)を攻撃批難したのである」と反論しました(これは単なる怒りの声であって、反論にはなっていませんが)。

世間は大西氏側につき、渡部氏を「ナチスの優生思想」の持ち主であるとして激烈な批判を浴びせました。

まあ、世間の人たちの反応は理解できます。

判官贔屓、加えて反ナチス意識もあるようです。

しかし、その一方で、生活保護受給家庭や障害者手当受給者に対しては、表立ってではないにしても、非難や場合によっては嫌がらせをする人間が後を絶ちません。

いつものことですが、本音と建前の乖離がひどいですね。

ところで、日本では、1948年に優生保護法という法律が制定されています。

この法律は、「不良な子孫の出生を防止する」ための優生手術(子どもを産めないようにする手術)や、女性の人工妊娠中絶を規定するための法律でしたが、1996年に廃止されました。

しかし、法律が廃止されたとしても、優生思想は今でも我々の社会の隅々にまで浸透しています。

現在、母親の羊水の検査によって異常のある子どもが生まれるかどうかを調べる「胎児診断」が行われています。

その根底には、「障害児は不幸な子どもであり、障害児を持つことは悩み多きことである」という価値観があります。

これが隠された「優生思想」ですね。

胎児に異常が発見されたときに中絶するかについてのアンケートで、きわめて多くの人たちが中絶を選ぶという結果が出ているのを見てもそれがわかります。

要するに、口先では障害があろうとなかろうと、すべての人間は平等だと言いながら、心の中では、多くの人は、自分の子どもは五体満足で生まれたほうがいいと思っているのです。

これは本能的なことであり、仕方がないことかも知れません。

しかし、私は昨日の記事で触れた受精卵の時点からの選択を許せば、こうした隠された優生思想により、必ず障害を有する可能性のある子供の排除に向かうと思っています。

そして、それは弱い者は切り捨てていいのだという考え方に繋がります。

しかし、私たちの社会が文明社会であるとするのならば、弱者を援助・救済してこそその名に値するのではないでしょうか。

今後、受精卵の選択を進めるのであれば、「隠された優生思想」をいかに弱めていくも課題にして欲しいものです。

では

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