「京都桂川介護心中事件」他人事じゃ~ない(;;

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コラム
いまだに、たまにおもいだす事件・・・。



あれは、2006年2月1日の寒い冬の朝。

京都市伏見区桂川の河川敷で、ある親子が

心中を試み、母親は死亡、息子は助かった。


アパートの契約は、「1月31日」で終了

だった。


そして、アパート契約の終了した次の日に

「50代の息子は、大好きな母と心中」を

決意した。(;;



「もう、2月分の家賃30000円が無い

し、デイケアの3600円払うと、残金は

7000円だ」



・・・親子は、なつかしい京都の街や鴨川

を車いすを引いて「心中旅行」した・・・



最後に立ち寄った「コンビニ」で「パンと

ジュース」を買った。

もう、「毎日2回の食事」は必要ない。



・・・そして午後7時、京都の街を回り

続け、母は言った「もう、家に帰ろう」


・・・そして、一度はアパートの前まで

二人は帰ったが、そこはもう「自宅」


ではない・・・そして、二人は桂川の

河川敷へ・・・



(それから何時間たったのだろうか?

二人は何を語ったのか?、いや、決意


するための時間が必要だったのか?

いまでは、もうだれもわからない。)



「もう生きられへんのやで、ここで

終わりや」


「そうか、あかんのか。一緒やで、

お前と一緒や」


「すまんな。すまんな。」


「こっちにこい!・・・お前はワシの

子や。ワシがやったる」



その最後の言葉を聞いて息子は母の

首を絞めた。(;;

そして、自分も「自殺」を図った。



2月1日の朝二人は、発見された。

母はすでに死亡、息子は助かった。



・・・昔、まだ父親が「呉服店」を

やっていたころ。当時は裕福だった。

息子は父の後継者となった。


しかし厳しい父親だった。

「他人に後ろ指さされる生き方をする

な」といつも言われた。・・・



しかし、不景気で呉服の売り上げは落ち

廃業した。 またその後、父は死んだ。


それから、母は「認知症」になった。

最後には、夜中に近所を徘徊し、何度も

警察に保護された。


それを見かねた息子は、派遣労働先を

休職した。そう、介護のためだ。


もちろん「月15万」の給料はない。


最初は、なんとか「失業手当」の10万

があったが、それも数か月で終了だ。


カードローンの「25万」の枠ももう

ない。



そして、最後の頼みの「生活保護」を

申請した。



しかし、「仕事を休職中」との理由から

役所が「不受理」にした。



「職場復帰するまで、生活保護がほしい」


「働けるなら、頑張ってください」



家賃は「月に15000円」だ。


それに光熱費、病院代、交通費、食費、

デイケア、おむつ代、被服費・・・。


「カネはない・・・」



彼らはどうすればよかったのか??



ボクもずっと前から考えさせられてる。



裁判長も泣いた。(;;


検察官も弁護士も傍聴人も泣いた(;;


ボクも思わず、こらえきれなかったよ。



ボクの母は、同じ「86才」だ。

ボクは「60代」で、ちょっと違うけど、

まるで「5080問題」の真っ最中。


もしボクに同じような「母の痴呆」看護

とかの問題が発生したら?


少ない年金では、とうてい「解消」でき

ないよ。


では「介護施設」とかは「受け入れ可能」

なのか?


よく「順番待ち」と聞く。


カネがあれば「有料施設」には入れるだ

ろうが、見当がつかない。


「病院」のたらい回し?なのか??


最近は、「自宅看護」が主流?と聞く。



「どうすれば、いいのか?」

「いまだに、解決方法はない」



・・・また、「桂川心中」が起きる

のかもしれない・・・今は、映画

「楢山節考」の「姥捨て山」って

存在しないから・・・⁈。(ーー;




裁判で、「懲役2年6月」、「執行

猶予3年」を受けた息子だが、彼は

その後8年を派遣社員として頑張った


が、「不景気で解雇」となり「小銭

とへその緒2つ」と一緒に、琵琶湖

大橋から身を投げた。(;;



今は「ダイスキで、生まれ変わっても

また一緒の母と暮らしたい」との遺志


をついで、形見と遺言と一緒に火葬

され、他界した。墓、仏壇はない。



すでに同様の事件が多発する「日本」

だが、「少子高齢化」問題はある意味

「本当の戦争?」なのかもしれない。


もう「普通の病院」ではなく「野戦

病棟?」のような「戦場対応?」の

「姿勢」が必要かもね。そう、


「やさしさ」も必要だけど「動ける

者は、動け!」というちょっとキツイ


けど「今、もうすでに戦場のベッド」

で寝ていると思ってほしい。とね。


まさに、ちょい前の「コロナ」のとき

がそうだし、まさかの「核戦争?」が


突発的に?起きることも想定しないと

いけない時代だね。たぶんだけど・・。



じゃ、またね。



i heard so sad news before about son killed

his old mum with dementia at kyoto japan.


long time ago their family would be rich

to open japanese kimono shop.

but bankruptcy due to recession.


and dad had died, and unfortunately mum

got with dementia.

her son tried for all best everyday.


mum went around here and there everynight.

so he stopped his job and cared mum.

but he gradually ran out of money.


at last he consulted  with welfare about the 

welfare issue.

but the life insurance window refused him.


they lost their house.

and no money.


some winter day night they wandered and

decided to die together in kyoto.


at next morning son strangled his mum to 

death.


the son attempted suicide.

but he had be survived only.

he arrested and got 3 years of probation.


he cried and thanked it.

everyone cried, too.


but 8 years after he died by throwing 

himself off a biwako big bridge.


now i felt they went heaven together.

i pray so.

tks






















































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