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「ジャニー喜多川は、CIAなのか?!」

やっぱりね~、っていうか、前にボクがSNSでも書いたけど、彼は「日本の破壊活動の要員」じゃ~ないのかってね。(^^;だってね~、彼は日本で生まれて、両親とも日本人だったかな?たしかそうじゃけど、「アメリカ国籍」だったんだ。「日本国籍」ではないはずじゃ。おそらくコドモのころに「アメリカに移住」でもしたんじゃろ~て。つまり彼は「アメリカ人」だよ!でもま~、日本語がうまいのは当たり前じゃんか。英語もできる!なにやら「韓国語」もOKらし~。まさか「在日2世?」かなって。(違ったら、ゴメンね~^^;でも、芸能界って韓国人が多いもん。)でもね~、彼がオトナの年齢になって「芸能の勉強や芸能界の知り合い」をたくさん持ったというのを聞いたよ。それで「音楽家の息子とかに手を出した」っていうのが、理解できるぜよ。(^^;;それに、もちろん「野球チーム」を作って、そこにいっぱいコドモを集めていたのは、言うまでもなく、「子供をオモチャにする為」じゃね。その後それは「仕事」となったね。「ジャニーズ事務所」。ただねえ~、ちょい気になるのが彼は「終戦時14-15才なんだよね。その数年後は20才、大人」じゃね。その年齢の頃って、おそらく米国にいて「米軍関係者」になっているというウワサ?じゃ。まさかぁ~。だからボクは前から「コイツはもしかして’CIAスパイ?’」かなって思っていたのじゃ。「え?日本にスパイなんているの?」「はい、たっくさんいますよ~♪」「日本は世界の’スパイ天国’です~」ま、「世界で唯一、スパイ防止法が無いのは、ニッポンだけ~。」って超、世界では有名じゃよ~♪だから「もしスパイ活動で逮捕されても日
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「京都桂川介護心中事件」他人事じゃ~ない(;;

いまだに、たまにおもいだす事件・・・。あれは、2006年2月1日の寒い冬の朝。京都市伏見区桂川の河川敷で、ある親子が心中を試み、母親は死亡、息子は助かった。アパートの契約は、「1月31日」で終了だった。そして、アパート契約の終了した次の日に「50代の息子は、大好きな母と心中」を決意した。(;;「もう、2月分の家賃30000円が無いし、デイケアの3600円払うと、残金は7000円だ」・・・親子は、なつかしい京都の街や鴨川を車いすを引いて「心中旅行」した・・・最後に立ち寄った「コンビニ」で「パンとジュース」を買った。もう、「毎日2回の食事」は必要ない。・・・そして午後7時、京都の街を回り続け、母は言った「もう、家に帰ろう」・・・そして、一度はアパートの前まで二人は帰ったが、そこはもう「自宅」ではない・・・そして、二人は桂川の河川敷へ・・・(それから何時間たったのだろうか?二人は何を語ったのか?、いや、決意するための時間が必要だったのか?いまでは、もうだれもわからない。)「もう生きられへんのやで、ここで終わりや」「そうか、あかんのか。一緒やで、お前と一緒や」「すまんな。すまんな。」「こっちにこい!・・・お前はワシの子や。ワシがやったる」その最後の言葉を聞いて息子は母の首を絞めた。(;;そして、自分も「自殺」を図った。2月1日の朝二人は、発見された。母はすでに死亡、息子は助かった。・・・昔、まだ父親が「呉服店」をやっていたころ。当時は裕福だった。息子は父の後継者となった。しかし厳しい父親だった。「他人に後ろ指さされる生き方をするな」といつも言われた。・・・しかし、不景気で呉服の売り上げ
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「ある甘い夏」の記憶・・・。

「〇〇さ~ん!お電話ですょ~!!」(ピンポンパンポ~~~ン~♪)「〇〇さん!オデンワです~~~。」(((電柱のメガホンからボクを名指しで大きな呼び出し音声が!ボクに電話だ)))・・・ここは広島、情島(なさけじま)・・・ボク達一家、パパ・ママ・弟たちと一緒に阿賀港から漁船に乗って広島・情島(なさけじま)に土木工事(擁壁)のために行った。。。とても暑い高校最後の夏だった・・・。^^;ある民家に一家で寝泊まりし、近くのガケ地を掘削し、削ってコンクリで固めるという擁壁工事をパパが請け負い、そのために一家で情島まで渡航した。^^(今では、一家のとてもいい思い出じゃね)・・・(お、ボクに電話って?だれ?)・・・すぐ近くの公衆電話(当時は公衆電話が島では主流だったよ^^;)に走っていき、電話に出た。。。・・・「もしもし?」・・・   ・・・「あ、ウチ!」・・・      ・・・「うん!へへ」・・・初めての彼女からだった・・・^^;;;ボクはうれし~やら、会いたいやら~~、抱きしめたいやら、もう夢中で話した。「ダレからの電話??」「あ~、何でもないけん・・・^^;」ボクの彼女のことは、家族全員知っている。とっても可愛い女子高生だった。^^;;「松本ちえこ」に似た娘(こ)だった。(その当時の思い出の曲が「カナダからの手紙」だ・・・今もキュンとする。)あれは、たしか「高校最後の学園祭」で女子高の友達がトモダチを連れてきていた。その中の一人が「彼女」だ。^^彼女たちがバスで帰る寸前にボクは彼女を見かけた・・・「輝いていた彼女!」そうホントに「カガヤイテイタ^^」んじゃよ!彼女一人だけが「ピカ~」って
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