地獄への道…3

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いきなり、全ての「お金」が入ってこない状態に陥った。

ただ「今すぐ食べ物がない」とう状態ではなかったから、なんとか「失業手当」が入ってくるまで頑張ろう、と思っていた。

ところが…。

その週末の恒例の「飲み会」の時、2人から言われた。

「ヒカリちゃん、大丈夫なの?もう限界じゃない?」と…。

彼女たちに何を言ったわけではない。

元旦那からの振り込みもなくなった、などということも言っていない。

いつもであれば「楽しい飲み会」だったのだが、その時は違った。

Yちゃんたち2人が何を影で話していたのかは定かではないが、たぶん、今までの私を見てくれていたのだろう…。

段々「痩せていく姿」と「なにも食べようとしない姿」、頼るところはないことは、もちろん知っている。

私がどんなに話題を変えようとしても、2人は私の体と経済面、そして子供たちのことを心配してくれていた。

いつもなら笑ってやり過ごす…
そして、自分でなんとか解決をしてきたつもり。

今回も特別なことではない、と自分では思っていた。

2人に話すことになるのには時間は掛からなかった。

そう…「なんで仕事を辞めたか」

仕事のことも2人には話していなかったが、Gさんに仕事のことを聞かれたのか、なんだったのか…きっかけは忘れてしまったが、仕事のことを聞かれた時に、私は感情を抑えられなかった…。

私はあまり「人前」で泣いたことがない。

それが自分の意志とは裏腹に、涙が出て止まらなかった。

その時、初めてYちゃんたちに「仕事を辞めたこと」を話した。

そのいきさつも全部。

けど「どうにかなるよ!」をおどけてみせたが、Yちゃんは顔面蒼白。

私がどんな思いで「仕事をしていたか」を知っていたし、なんだかんだYちゃんも、その当時の時代情勢の波に乗せられ「早期リストラ」の対象となっていた矢先であった。

けれどYちゃんと私では待遇が全然違う。

Yちゃんは先にも書いた通り結婚もしていなければ子供もいない。そして、「リストラ」だから退職金も多く貰って、その後の就職までちゃんとサポートされていた。

そのちょっとした間に、集まって私たちと飲み会をしていた。

多分Gさんにも私のことは大まかにではあるが話していたのだろう。

私は「暗い雰囲気」がとても苦手だったから、どうにか話を明るい話題にしようとしても、その時ばかりはどうしようもなかった。

2人は
「ヒカリちゃん、もう生活保護もらいなよ」
と…

私は「え!?そこまでじゃないから大丈夫だよ」
と断った。

がYちゃんは引き下がらなかった。
「子供もいるんだよ?」と…。
そして、最近異常に痩せてきたこと、ご飯を食べれていないこと、自分ではわからなかった「顔色」。
気付かれないようにしていたことと自分では気づかなかったこと。
全部言われてしまった。

私は何も言えなかった。

子供がいて、何の資格もない、祖父母もいない女の人を雇うような会社は、田舎ではどこにもなかった。
それに加え、もう採用の年齢は35歳まで、という年齢制限を、仕事を辞めてからどれだけみたことか…。

…終わりか…。

もう、どうしてもだめなのか…。

他になにかないのか…。

色々瞬時に考えたが、2人を納得させれるような事は見つからなかった。

「ん…まぁ…考えとくよ」

と話を納めて、その時はお開きになった。

「生活保護」…

その言葉だけで「人間失格」の烙印を押された気分になった。

人格も人権も全て、「権利」を取り上げられたような気持ち。

その日は、どうも寝れなかった。

いつも通りの1日のハズが、朝カーテンを開けてから子供たちを起こしたりしていた毎日。

それが、子供たちが学校などに行くとカーテンを閉めて、そのままベットに寝るという日々が続いた。

なにか「食べたい」ものもない、「見たいテレビもない」

私には「なにもなかった」…。

思考が完全に止まってしまったような感じがした。

フラフラしてもなんにも思わない。

綺麗なものも「綺麗」だと思えない

テレビで「赤ちゃんが捨てられた」というニュースを見ても何も感じなくなっていた。

見るもの全てが「モノクロ」の世界にいるようだった。

感情がない。

そういえば…この感覚…。

あ…。

病院に行ってみよう…。

私は初めて「精神科」という専門機関に行ってみることにした。

半信半疑だったが…。

最初に「うつ病です」と診断されたのは、その時でもう10年前のこと。
そして「精神科医」ではなかったし、自分では「自分がなるハズがない」という思いもあった。

そして、専門科では初めての受診。

色々聞かれた。
幼少期のこと、思春期のこと、父の死、虐待、全てを話せたわけではないが
そのこと自体は淡々と話せたと思う。

けれど、聞かれたから話してみたものの、それが「何になるんだ?」という気持ちでしかなかった。

ただ先生から

「よく生きてきたね」

なんか前にも聞いたことがあるような…。

そんなに自分は「普通」ではないのか?

私が「普通」ではないから「普通の幸せ」が送れないのか?

そしたら今いる子供たちも「幸せではない」のか…。

先生は他になにか言ったかもしれないが、覚えていない…。

「生活保護は申請した方がいいですよ」
それだけは聞こえた。

私は「愛されるべき人間ではなかった」

それだけはハッキリした。



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