私は出された薬をただ眺めていた。
確か…「セルシン、パキシル」という薬だったと思う。
その薬にどんな効果があるかなんて、わからず飲んだ。
この薬で本当に「うつ病が治るんだろうか…」
どれくらいで治るんだろう、そもそも「うつ病」は…
家にいると色々なことが頭をよぎる…
会社で私は何か先輩たちに「嫌なこと」をしたんだろうか、詐欺師とまで言われなければいけない何かをしたんだろうか…
外に買い物に行くと知っているかのように「今日休み?」と聞いてくるのはワザとなのか…
私はもう働ける場所なんかないのかもしれない…
私は…そうだ…
元々「誰からも必要とされていなかった」…
もう涙すら出てはくれなかった。
「明日…市役所に行こう…」
けれど一つ心配なことがあった。
それは母親のこと。
保護を申請すると「親族に連絡が行く」というのを聞いたことがある。
もし…
私が保護を受給すると母親は目の色を変えて金銭を取りに来るだろう…
アイツはやりかねない。
それだったらいっそ、子供たちと死んでしまおうか…
保護を申請するのにも凄く悩んだ。
もし家がバレたら…
またあの地獄のような日々が続く…
せっかく女性相談所まで行って逃げたのに…
それだけは避けなければ…。
なぜ、それほどまでに「母親」の行動に恐怖を感じるのか…
それは、やっぱり地元にいると嫌でも母親の話は聞こえてきていた。
いかにも「子供を心配しない親はいない」とか「辛い思いをさせてしまった」などとお涙頂戴話をしているようだった。
私はそこから母親のことを思い出すだけで「動悸」がするようになった。
怒りと恨みと憎しみと…情けなさ…。
私は何時間も子供たちが帰ってくる時間までずっとボーっとそんな事を考えていた。
けれど、子供たちには「元気なお母さん」というイメージを壊したくなくて、元気を装っていた。
子供たちもまだ私が仕事を辞めたことを教えてはいないが、たぶん雰囲気で察していたとは思う。
子供たちにも今思えば「気を使わせてしまったな」と後悔している。
当時の私は「負けた」ような気がして、自分を許せなかった。
保護を受給するのも私の意志次第だけど、確実に「受給」できる保証などなかった。
私は翌朝、子供たちを学校などに送ってから、市役所に行ってみることにした。
とりあえず話だけでも、と思ったのだ。
市役所の駐車場に着くと、今までとは見る景色が違った。
今までは何にも感じていなかった行きかう市民の人が、「税金泥棒」と言っているように感じた。
車の中から出ることが怖くなった…このまま帰ろうかな…
車の中にいると急に周りの雑音が聞こえなくなった…
え?!なに?
なにか私だけが違う世界にいるような感覚。
慌てて車から飛び出た!
すると「音」が戻ってきた。
なんだったんだろう、今のは…。
けれど車から出てしまったから、少し深呼吸をして、市役所に入ることにした。
案内通りに進むとこじんまりとしたところにあった…
私がもたもたしていると職員の方が声を掛けてくれた
「どうしましたか?」と…
けれど私はどうしていいかわからず、戸惑っていると
「何かご相談ですか?」と聞いてくれた。
私は「えっと…生活保護のことで相談したいんですが」とやっとの思いで言えた。
そうすると職員さんは少し笑顔で「そうですか、それではこちらの個室の方に入って待っててくださいね、担当とお話聞かせてください」と言われ個室に通された。
とても「広い」とか「綺麗」な部屋ではなかったが、ちゃんとプライバシーは守られているような感じだった。
少し待っていると担当?の男性と女性が二人入ってきた。
色んな話をしたが、やはり「保護を受給するのにはご親族にご連絡をしなければなりません」と言われた。
私は「それだけは辞めてください」と。そして、その「辞めてほしい理由」も話した。
そうすると保護課の一人の人は席を外しどこかに行ってしまった。
もちろん「元旦那」の話にもなったが、「今までは貰えていたので話してみます」ということになった。
そういう話をしていたらもう一人の人がまた入ってきた。
そして二人で何やら書類を見ていたようだった。
そして「なるほど…女性相談所にいたことが確認できました、児童相談所も利用されていたんですね」と…。
ちゃんと履歴として残っているらしい。
「保護の結果云々ではなくお母さんのほうには連絡しないようにコチラでも把握しておきます」と言ってくれた。
後は「借金などはありませんか?」と聞かれた。
そういえばクレジットカードも借金になるのか…
車のローンは終わってるし…と考えていたら…
思い出した…
母親と最初の旦那にサラ金の名義貸しの分…。
もはやいくらあるのかもわからないことも話をした。
ただ「車は持たせてください」とお願いした。
病気になっても近くに病院もないしスーパーもない…
まだ保育園児がいることもある…
そして息子の通院のことも話した。
バスなんてバス停までどれだけ歩くか、ちょっと街中に住んでいる人には想像ができないかもしれないが、バス停も場所に寄っては数キロ歩く上に2時間に1本という本数と、車で行けば真っすぐに「5分」でつく道をなぜか遠回りさせられ乗り継ぎしてやっと着くのだ。
その上、「冬」になるととんでもない。
全てが「田舎」なのだ。
都合のいいものなんてない。
私はできるだけのことを伝えた。
が、現実、私が保護を受給するには
「自己破産」
をしなければならない、と言われた。
「生活を守るためのお金を借金には回されない」と。
確かにそうだなと、それは納得したし、むしろ今までなんで「督促」もこなかったのか不思議なくらいだった。
けれどこれは自分でもいつか、やらなければいけないことだなとは思っていた。いいきっかけだったのかもしれない。
そして自己破産が成立か、申請中となっていなければ、どちらにせよ受給できないようだった。
なるほど…。
保護課の人がいうには「このまま家庭裁判所に行って自己破産の話を聞いてきて」ということだった。
「家庭裁判所…」※地元は「簡易裁判所」
はぁ…
何回目だろう…。
父の死から…
私は父からも恨まれてるんだろうな、と思った。
よく母親は私に言っていた
「子供は親を選らんんで産まれてくるんだとよ!お前らがお母さんを選んだんだ!自分から選んだんだから仕方ないよな~」
と…。
私は宗教が大嫌いになった理由の一つの言葉である。
これは「仏教」の言葉らしいし、本来は全く違う意味だと今なら理解できるが、当時は「呪いの言葉」でしかなかった。
母親からの「呪縛の言葉」はずっと私を苦しめることになっていた。