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地獄への道…15

私は、その頃には薬漬けになっていた。とにかく子どもたちに悟られないように「テンション」を上げるに必死だったのだ。そして「働いていない」自分にも苛立ちがあった。それでも子どもたちは大きな病気せず、すくすく育ってくれている。それだけでも本当にありがたいことだった。転校が決まってからは、息子はすっかり元気を取り戻した。支援学校に行くことも保護課の担当の人に伝え、色々な手続きや買いそろえなければならないものがあって気持ちはだいぶラクにはなったが、体は休んでいる時間はそれほどなかった。今までもだが、これからもずっと「独り」で、誰にも頼らず生きていかなければならない。私は「生まれた時から一人」だから。私だって、幸せになりたかった。私が望んだのは「ごくごく普通の家庭」贅沢をしたいわけじゃない。高価なブランド品を身に付けたいわけじゃない。ただお父さんお母さんという人がいて子どもがいておじいちゃんおばあちゃんがいておじいちゃんおばあちゃんから子供たちは色んな遊びや、お話を聞いたり話したり私はお姑さんから料理を教わったり…。たまには家族でピクニックに行ったり家の敷地でBBQしたり。そんな家庭が欲しかっただけ子どもは「計画的に」なんてみんな言うけど「計画通り」に行く人生なんて「1つ」もなかった。再婚した当時は元旦那にもそれなりの年収もあったし、それに甘えないで生きようとも努力した。私はいつも「必要」とされたかった。かといって、子どもに対して「お母さんがいなくなったら悲しい?」なんてことは言ったことも思ったこともない。誰にも頼らず、というより「頼れない」が正しい、かな私は「止まる(休む)」ことは許され
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地獄への道…4

私は出された薬をただ眺めていた。確か…「セルシン、パキシル」という薬だったと思う。その薬にどんな効果があるかなんて、わからず飲んだ。この薬で本当に「うつ病が治るんだろうか…」どれくらいで治るんだろう、そもそも「うつ病」は…家にいると色々なことが頭をよぎる…会社で私は何か先輩たちに「嫌なこと」をしたんだろうか、詐欺師とまで言われなければいけない何かをしたんだろうか…外に買い物に行くと知っているかのように「今日休み?」と聞いてくるのはワザとなのか…私はもう働ける場所なんかないのかもしれない…私は…そうだ…元々「誰からも必要とされていなかった」…もう涙すら出てはくれなかった。「明日…市役所に行こう…」けれど一つ心配なことがあった。それは母親のこと。保護を申請すると「親族に連絡が行く」というのを聞いたことがある。もし…私が保護を受給すると母親は目の色を変えて金銭を取りに来るだろう…アイツはやりかねない。それだったらいっそ、子供たちと死んでしまおうか…保護を申請するのにも凄く悩んだ。もし家がバレたら…またあの地獄のような日々が続く…せっかく女性相談所まで行って逃げたのに…それだけは避けなければ…。なぜ、それほどまでに「母親」の行動に恐怖を感じるのか…それは、やっぱり地元にいると嫌でも母親の話は聞こえてきていた。いかにも「子供を心配しない親はいない」とか「辛い思いをさせてしまった」などとお涙頂戴話をしているようだった。私はそこから母親のことを思い出すだけで「動悸」がするようになった。怒りと恨みと憎しみと…情けなさ…。私は何時間も子供たちが帰ってくる時間までずっとボーっとそんな事を考えていた
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地獄への道…6

離婚してまだ半年経ったか、経たないかで元旦那からの再婚の電話。反対とかどういう感情よりも怒りや、「やっぱり…」という感情の方が強かった。その電話ついでに「生活保護を受けるかもしれない」ことも話した。そしたら「あ~じゃあこっちも都合がいいや、今までみたいに生活費入れなくて済むし、その話もしたかったから」人間とは思えない発言だった。けれど私はその当時、もう感情などほとんどなかったおかげでキレずに済んだのかもしれない。子供たちとの面会はどうするのか、と聞くと、「ん~今までのようには行けないからな~」と…。私は「じゃあコッチからなんとか言っておくよ」と言った。もう相手に期待しても無駄だと思った。全てを諦めていた。それでも子供たちの問題は待ってはくれない。次は息子だった。療育センターに通っていることも学校に話した上で、「特別学級」に通級していた息子。少しは環境がよくなったかと思っていた。息子は3年生くらいだったと思う。保育園の時から診察を受けていたが、一向に「診断」は付かず…。もう半ば「発達障害」のことは「秋田では診断できないのではないか」と不信感でしかなかった。そのあたりから私は個人で「発達障害専門」の医師を探していた。その最中、時折「学校に行きたくない」とまたいい始めていた。その度に、私は「無理に行かなくていいよ」と言ってきたが、お姉ちゃんの姿を見ると、それも忘れて学校に行ったりもしたが、どうしてもダメな時は休ませていた。そういう時は、なるべく公園に行ったりしていた。息子は「体を動かす」のが得意のようで、スポーツにとても興味を持っていた。ルールなどは覚えられないがゲーム自体は好きなよ
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地獄への道…5

私はとことん「今まで」のことができなくなっていた。 それでも必死に子供達には気づかれないように過ごした。 その間も、上の娘は小学5年生になり、息子は小学生2年生くらいにはなっていたと思う。 卒園から「療育センター」に通院していたものの、「発達障害」の診断は確定されることはなかった。 通級しながら学校に行く息子に異変も起きていた。 そして、上の娘にも異変が‥。 私は子供達を引き取ってからずっと「子供達の話はちゃんと聞いてあげよう」というのは心がけていた。自分の当時のことを思い出すと「会話」はとても「大切だ」とつくづく思ったからである。 自分の小学生時代は多分、親とのコミュニケーションが成り立たなく、友達との距離感や話し方、色んなことが欠如してたと思う。 大人になってからもとても苦労した。 その経験があるから「会話」は大切にしてきた。 上の娘の様子が変だと思い、「最近学校どう?」とそれとなく聞いてみた。 すると、娘は何やら言いたそうな言いたくなさそうなそぶりをしていた。 少し待って見ると娘が口を開いた。 「この前ね‥学校で2時間目の時に先生に机教室から出された‥私だけ廊下で勉強してた」 という。 はい?どういうことだろう‥。 私は、「何かしたの?」と聞いてみた。 私は自分の子供の話は聞くが「全部鵜呑み」にするのは違うと思うのだ。 話を聞くと、どうやら 「隣の席の子が何かを落としたのを拾ってあげたら、その瞬間に先生が見つけ、『遊んでいるなら教室から出ていきなさい!』と言われた」 というのだ。 娘もその子も先生のあまりの大きい罵声に驚いて、何も言えなかったそうだ。 それからどうしたか、
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地獄への道…19

市役所に電話をする時はいつも緊張する市役所の担当の人にも伝えてあることだと分かっていても「悪いことしているのではないか」「忙しいのに…」「上手く伝わるだろうか」などなど…担当の人は私に「早く仕事を探しなさい」とか、そういうことを言われたことはないけど、それが返って私を苦しめた。もっと軽蔑されるハズなのに…市役所に電話をすると担当の人が出てくれた。「引っ越し先決まりましたか?」と。生活保護を受給して「引っ越し」なんて贅沢というか「ワガママ」だとという考えが止まらなかった。保護課の人からは引っ越しを止められたわけでもない。「否定されない恐怖」があった。私は、事の詳細を話した。相手の大家さんも保護のことに理解があることなどを伝えた。そうすると担当の人は「それはよかったですね!大家さんの連絡先知っていたら教えてください」と言ってきた。が、私は「まだ契約していないので」というと、「そうなんですか!いい物件なら進めたほうがいいですよ!コチラには結果だけ教えてもらえれば!」と言われたなんでも保護課に言わなければいけないと思っていたが結果だけでもいいと言われて「どこまでどう相談すればいいのか」がわからなくなってしまった。報告することや近況を教えなければ「不正受給」と言われるのが怖かった。世の中は保護課の人が思っているより「冷たい」んだ。何を言われるかわからない…だから最善の方法を取っていた。が、それを跳ねつけられると何をどう誰に話せばいいのか…あまり腑に落ちなかったが、その後に「引っ越しの費用はどうなりますか」と聞いた。担当の人は「なるべく最低限でお願いはします。ただ今回は貴方の都合ではなく近
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新しい人生の幕開け…43

子供たちに伝える前に「日にち」を決めなければ、子供たちに「守れない約束」をしてしまう可能性があるから、日にちを決めることにした。けれど、子供たちが「夏休み」なことと、私たちの仕事に影響を与えない日にちにしなければならなかったが、私の場合はなんとかなる。問題は旦那だ。旦那に電話をした。「ディズニーのことなんだけど…いつ行けそう?決めないとチケットも私の休みも取れないし、あなたも休み取れないでしょ?お盆時期はどうしても混雑するし…小さい子を連れて混雑したところに行くのも子供大変だし…」と…。旦那は「会社に聞いてみる、これははっきりしないと全部だめになるからな」と言ってくれた。旦那は行く前から「ディズニーまでの道順は仕事で何回も通ってるから大丈夫だ」と自信満々に言っていた。そして、数時間後、会社に聞いたであろう旦那から折り返しの電話がきた。「8月の10日から3日休み取れた!そのままお盆休みでいいって」と電話がきた。そういう時だけはちゃんと休み取れるんだな…と、少し腑に落ちないところがあったが、仕方がない…。日にちが決まったところで、子供たちが学校や保育園から帰ってきたら真っ先に報告しよう!子供たちの喜ぶ顔を想像したら嬉しくなってきた!とうとう子供たちを迎えに行く時間になった!そして、みんなが揃ったご飯の時間…。「聞いて!今度ディズニーランドにみんなでいくよ~!!」すると…「ほんと!!??わーい!!(∩´∀`)∩ワーイ!!」とみんなで喜んでくれた!!良かった!この顔を見たかった!それからしばらく「ディズニーランド」の話で盛り上がった!子供たちは興奮状態だった。それからしばらくテレビやな
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地獄への道…16

色んな事が変化していく中で私の「記憶」だけは変化することはなかった母親からされてきた虐待小中と受けたイジメそれが大人になっても続いた数々のイジメそれがフラッシュバックという形になってこれから何十年も恐怖に陥れた。今まで「目を背けてきた嫌な過去」それが自分の意に反して強制的に思い出される父親から言われたこと母親から言われたことされてきた暴力それを見て見ぬ振りをしてた「周りの大人」の冷たい視線「ブス」「デブ」「近寄るな」「触るな」「汚い」「笑うな」「死ね」「お前は生きてるだけで迷惑だ」「臭い」無視親や周りからサンドバックにされてきた自分の子どもを「金づる」にもされた私のやっとできた友達にさえも母親が「お金の無心」をして…嫌われた働くところは全部潰された身体も心も「労わる」なんて言葉は存在しなかった私がお父さんの思うような頭がよくて、スポーツができて、スタイルが良くて、友達もたくさんできてお父さんの「自慢の子ども」だったらお父さんは自分の命を持ってまで、私に嫌がらせをしたんだ…私がいなかったらお父さんも死なずに済んだお祖母ちゃんもお爺ちゃんも私がいなかったらもっと穏やかに生きれた私がいなかったらお爺ちゃんお祖母ちゃんもお父さんと仲良く過ごせた全部、私が産まれたせいでみんなの人生が狂ってしまったそして、私も自分の子どもの人生を狂わせようとしているのかもしれない恐怖何度も自分を責めたり親を恨んだりしたなんで要らない子ども(私)を産んだのかなんでお祖母ちゃんは母親の悪口を一切言わなかったのか私を産んだのも「嫌がらせ」だったのかお父さんは私をみて母親を思い出し、憎かったんじゃないかだから出来
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新しい人生の幕開け…46

ディズニーランドを地図を見ながら色々回ってみたけれど、一生懸命回ったつもりが、ほんの一部なことに驚いた(笑)そして、いよいよお土産を買うことにして、お土産屋さんが立ち並ぶところに向かった。もう、どれがどれなのかわからず(笑)。色々見たいけれど、それどころじゃない人混み!!お土産、なんてものはそもそも「旅行」をしたことがないのだから、なにを買ったらいいかもわからなかった。お土産っていったいどんなのがいいんだろう…。まずそこからだった。ミッキーのかわいい缶に入ったクッキー…飴…は溶けそうだからやめようか…ぬいぐるみは…小さいのでも結構な値段がした。一か所で決めれず、他のお店もみることに…。けれど「なんの違いがあるのか」もわからなかった。子供たちも「これが欲しい!」「あれも~」で、ゆっくり選ぶなどという時間とか、「楽しむ」ということがうまくできなかった気がする。自分のお土産のセンスがないのと人混みと子供たちの声で私はなぜか焦っていた。けれど旦那は、人混みを避け、私たちとあまり会話をしようともしない。だから、旦那に相談したり楽しく話したりしてお土産を選べなかった。私は旦那のお義母さんたちにももちろんお土産を買っていきたい気持ちがあったから、なにがいいのか聞きたくても、そばにいない…。一度、店を出てから「お義母さんたち、なにがいいんだろう?」と聞くと旦那は「親父は酒でもいいんじゃね」と…なんでディズニーにまできて「お酒」なんだよ…。と思いつつも…、ディズニーのラベルかなんかのお酒があるかなど探してみたが見つけられなかった。もう15時くらいになって夜のパレードも見たかったが「帰り」のことを
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地獄への道…17

私は、家にいる間、過去のことをずっと思い返していた。今自分は周りの目からはどうやって見えているのか仕事をクビになって喜んでいるだろう元旦那も再婚して幸せなんだろう私には幸せになる権利はないだけど、子どもだけには幸せになってほしいふと思った私を愛してくれた人がいないのに私が子どもを愛するなんてできるんだろうか一緒に遊んでもらった記憶もない私は「自分がしてもらいたかったこと」を子どもに押し付けているだけなのではないだろうか…私は「最低な親」なのでは…逃げる場所なんてどこにもないそれでも朝はやってくる私は引っ越しのことを保護課の方に相談して、とても優しく対応してもらったと思う。さぁ、物件探しだ…あ…仕事していないんだった…どうやって借りればいいんだろう…私は誰に相談できるハズもなく再度、保護課に電話してみたアパートや貸家を借りる時は保護を受給しているとどうなるのか借りられないとなったら、この先お隣の人とずっといなければならない…担当の方が電話に出てくれた、ことの詳細を話すと「そうですよね~、皆さん引っ越しの際は悩まれますが、仕事をしている方より保護を受給している方が審査が通りやすかったりします。家賃の保証があるので、だから安心して探してくださいね!もしなんかトラブルになったらまた連絡くださいね!物件探し一人で大変でしょうが、コチラはお手伝いすることができないので、お母さんココは少し頑張ってくださいね」と優しく言ってくれた。物件探しまで甘える気はなかったが、とても救われた。すこし「目標」が見えた気がした。不動産屋さんにいくのも本当に身体が追い付かないくらいの体力しかなく…不動産屋さんに
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地獄への道…14

待てど暮らせど、学校からの電話や手続きの手紙などはこなかった。もう10日も過ぎると段々苛立ちと焦りが出てくる。その間も支援学校とは連絡を取っていた。支援学校の方は「すでに息子君が転入してくる準備はできています。書類だけです」という電話で、こちらも申し訳なく思ってきた。その電話で「私の方も早くそちらに転校させたいのですが、学校の方が手続きをしてくれないようで…息子も私も困っています」と話した。支援学校の校長先生はとてもいい方で、「お母さんも息子君も辛いですよね、早く手続き取ってくれればいいのに…もちろん支援学校の方からも現在の学校に連絡はしていますが、濁されてしまっている状態で」と話してくれた。支援学校の校長先生も動いてくれている。それなのに、あの学校は…。そんなに「学校にお金が入ること」が重要なのか。今のようなネットが普及している時代ではなかったが、明らかに「嫌がらせ」としか感じられない学校の行動発言。許せない。どうしてやろうか、そこに気持ちがいってしまった。前回も市教委や県教委に行ってもどうにもならなかった経験がある…。もちろん「弁護士」にも相談した。田舎の弁護士は、圧力に弱い。法律や人権とはなんだろう、と本当に考えさせられることばかりだった。それでも何度も学校に電話や面談をしに行った。理解をしてもらおうなんてことは諦めていた。なんでもいいから早く「転校手続き」を取って欲しかった。このままでは、息子は壊れてしまう。息子の気持ちを考えると本当に腸が煮えくり返る気持ちと悔しい気持ちと…申し訳なさでいっぱいだった。「どうせ自分なんか…」と思ってほしくない。できないわけではない、決し
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地獄への道…18

引っ越しの件があまりにも「スムーズ」に行きすぎて、怖くなっていた。絶対、これで済むハズがない…何かあるのかもしれない。土壇場でダメと言われるかもしれない全てが「不安」と疑いでしかなかった。元旦那の時もそうだスムーズに行くと必ず失敗するかといって、拒否ができる立場ではない私はどうなればいいどうすればいい息子も支援学校に馴れてきた頃だった朝夕の送迎は大変だが、毎日帰りの車の中では「○○先生がね!僕と野球したいって言うから一緒にした」など一般学校では味わえなかった「学校での出来事」を話してくれるようになった。自分の思いが伝わらないと癇癪を起すことも、ほぼなくなっていたもっと早く…支援学校に入っていれば…あんなツライ思いをすることはなかったんだと思うと本当に悔しかった。私の周りの友達?交友関係と言えばかつては私の家に友達が遊びにきてワイワイ話をしたりしていた友達?だった人たちは保護を受給する辺りで全く連絡が来なくなった。それはそうだよな…人間失格な人と一緒に話したくもないよな…けど、それを勧めてきたのは、その人たちなのにな…あぁ…そうか、そういうことか「人間失格」になって欲しかったのか。その友達と呼んでいた人たちは、2人。それぞれに「パートナーも子ども」もいない。その人たちのように自由に生活している人にしてみたら私なんて「地獄へ落ちろ」って思われても仕方ないよな。世の中で言う「自分で勝手に結婚して勝手に産んだのに責任のない最低な母親」だもんな友達か…今までいたことなかったからな少しだけ嬉しかったのにな携帯電話を見ても元会社の同僚などしかいないもう消してしまおう…全部。LINEのトークも
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