色んな事が変化していく中で
私の「記憶」だけは変化することはなかった
母親からされてきた虐待
小中と受けたイジメ
それが大人になっても続いた
数々のイジメ
それがフラッシュバックという形になって
これから何十年も恐怖に陥れた。
今まで「目を背けてきた嫌な過去」
それが自分の意に反して強制的に思い出される
父親から言われたこと
母親から言われたこと
されてきた暴力
それを見て見ぬ振りをしてた「周りの大人」の冷たい視線
「ブス」
「デブ」
「近寄るな」
「触るな」
「汚い」
「笑うな」
「死ね」
「お前は生きてるだけで迷惑だ」
「臭い」
無視
親や周りから
サンドバックにされてきた
自分の子どもを「金づる」にもされた
私のやっとできた友達にさえも母親が「お金の無心」をして
…嫌われた
働くところは全部潰された
身体も心も「労わる」なんて言葉は存在しなかった
私が
お父さんの思うような
頭がよくて、スポーツができて、スタイルが良くて、友達もたくさんできて
お父さんの「自慢の子ども」だったら
お父さんは自分の命を持ってまで、私に嫌がらせをしたんだ…
私がいなかったら
お父さんも死なずに済んだ
お祖母ちゃんもお爺ちゃんも
私がいなかったら
もっと穏やかに生きれた
私がいなかったら
お爺ちゃんお祖母ちゃんもお父さんと
仲良く過ごせた
全部、私が産まれたせいで
みんなの人生が狂ってしまった
そして、私も
自分の子どもの人生を狂わせようとしているのかもしれない
恐怖
何度も自分を責めたり
親を恨んだりした
なんで要らない子ども(私)を産んだのか
なんでお祖母ちゃんは母親の悪口を一切言わなかったのか
私を産んだのも「嫌がらせ」だったのか
お父さんは私をみて
母親を思い出し、憎かったんじゃないか
だから出来の悪い私に
できない「教育」をさせて嫌がらせしたのか
母親は私が「裕福」な生活をしている私をどんなに恨んだんだろう
それは母親本人から聞いた言葉でもある
「お前だけ、いい生活をしやがって…あの生活は本当は私(母親)がしたかった生活だ、お前だけいい生活をしやがって…あの家は私の物だ」
父親が自殺する前に私に言った一言。
私の周りは
私を「嫌う」人でいっぱいだった。
私が死んだらみんな喜ぶだろうな
父親が亡くなって
私が転校する時もそうだった
最後の挨拶の時も
「やったー!明日からカビがいなくなるってよ~!」と叫んだ男子生徒
それを注意もしない先生
小学生の時に言われた「今から死んで?」
社会人になっても
どんな時も
学歴がないから必死に私なりにもがいてきた…
具合が悪くても、母親の救急車をタクシー代わりに使う、あの光景を見てから、病院に行くことすら恥ずかしくなっていけなくなった
総合病院に罹ったときも「○○さん(母親)の娘さんだよね、お母さんの医療費…まだ払ってもらってないんだけど…」
と何度も言われた
その度に「すみません…」としか言えなかった
もう病院にも行けない
急に襲ってくるフラッシュバックは
その時の光景や会話が
場所や時間
そんなものはお構いなく襲ってくる
なんのキッカケがあるわけでもない
フラッシュバックの頻度が多くなるにつれて
パニック発作も多くなった
パニック発作はフラッシュバックと同時にくることもあれば
全く関係なく、予期なく来ることもあった
それを制御することは「不可能」だった
結局、私は
みんなのように
「望まれて産まれたわけでもなく、産まれてからも大切にされたわけでもない」
この言葉を自分に呪いのように言い聞かせた
親にも大切にされなかったのに
他人が…
まして私を「大切にしてくれる人」なんているハズがない
世の中の結婚している人のほとんどは
最低でも「親からは愛されて、人を愛することがどんなことがわかっている人」
理屈からすれば、「当然」だった