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地獄への道…7

生活保護が決定してから2週間くらい経っただろうか、保護のお金が振り込まれていた。少し金銭面的には安心したが、前にも話した通り「人間失格」を張り付けられたような感じがして、どことなく後ろめたさがあった。保護の振込金額は、子供手当などを相殺して振り込まれるが、それでも十分だと思った。車所有の件は、保護の方から「特別許可」という形になった。トントン拍子に物事が決まっていく中、私の体調は反するかのように悪くなっていった…。元々痩せていたわけではないが、体重は減り、とうとう血圧が上80前後になっていた。精神科に通うようになり、慣れない「薬」と合わない「薬」のせいか、脳みそが全く「機能」してくれない。とにかく「眠い」…とにかく下の子を保育園に預ける、というまでが精一杯になっていた。それでも「生活保護受給者」だと思われたくなくて必死だった。そして、「仕事を辞めたこと」も自分の中では消化できていなかった。けれど日を追うごとに「どうせ生活保護を受給するなら、うつ病をしっかり治そう!そして歯医者にも行こう…、行けなかった病院や自分の体を治していこう、それからまた社会復帰すればいい」と思うようになった。そう思えるまでに半年は掛かったと思う。それまでは「会社を訴えてやろうか」、母親のこと、父親の死、全てが「恨み」に変わっていた。母親の宗教、お金のこと、イジメられたこと、サラ金のこと、最初の旦那のこと、元旦那のこと…取られてしまった息子のこと挙げればキリがないほどに恨む要素はたくさんあった。自分は本当に愛されたことはあるのか…子供たちに愛情は与えてられているのか…ただ一つ親だからという「見栄とプライド」
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朝倉未来の敗戦

朝倉君の77秒KOを見た後、彼のYoutubeのひとり語りを見たわけだが現在は寝て記憶は戻っているらしいが、昨日の段階では「死にたい」と口走っていて、パンチドランカー的な徴候が十分みられた。昔からボクシングを見てるので、朝倉君は格闘家というよりインフルエンサーとしてみていたが昨日の敗戦の弁は、人間ドラマとして見ると非常に興味深いので紹介する。栄枯盛衰。世の中すべての人や物事には繁栄と衰退がある。どんなに努力して何かを手に入れても、ちょっとした油断でポロっと今まであったものがなくなることは人生にはよくあるのだ。その衝撃を、記憶がないながらも必死に冷静に探し、第三者視点で客観的に分析して引退をほのめかし「死んでもいい感じなんだよな、気分的に、このまま」と言った。格闘技が好きだけどもう勝てないと悟ることと、自分の体に起こっていることの恐怖、それ以前にプライドはズタズタであろう。このような境地や、時間は、勝負師だけに訪れるわけではない。どんな人にも訪れる。彼ほど、合理的である程度成功していても、窮地に立たされれば死を望む。それが人間だ。そしてそうした発言には、肉体のダメージが大きく関係している。彼はパンチドランカーの傾向が見えているので、注意が必要であろう。しかし毎日働く労働者たちはパンチドランカー程のダメージは受けてないまでも、本当に健康なのかは甚だ疑問だ。食生活による栄養不足や運動不足などにより、体が蝕まれていることに気づかずに心療内科に通っても治ることはない。肉体の健康、心の健康、友達や家族の存在。大きなイベントがあれば、この3つのバランスは崩れる。試合後の朝倉未来は自分でバラン
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地獄への道…6

離婚してまだ半年経ったか、経たないかで元旦那からの再婚の電話。反対とかどういう感情よりも怒りや、「やっぱり…」という感情の方が強かった。その電話ついでに「生活保護を受けるかもしれない」ことも話した。そしたら「あ~じゃあこっちも都合がいいや、今までみたいに生活費入れなくて済むし、その話もしたかったから」人間とは思えない発言だった。けれど私はその当時、もう感情などほとんどなかったおかげでキレずに済んだのかもしれない。子供たちとの面会はどうするのか、と聞くと、「ん~今までのようには行けないからな~」と…。私は「じゃあコッチからなんとか言っておくよ」と言った。もう相手に期待しても無駄だと思った。全てを諦めていた。それでも子供たちの問題は待ってはくれない。次は息子だった。療育センターに通っていることも学校に話した上で、「特別学級」に通級していた息子。少しは環境がよくなったかと思っていた。息子は3年生くらいだったと思う。保育園の時から診察を受けていたが、一向に「診断」は付かず…。もう半ば「発達障害」のことは「秋田では診断できないのではないか」と不信感でしかなかった。そのあたりから私は個人で「発達障害専門」の医師を探していた。その最中、時折「学校に行きたくない」とまたいい始めていた。その度に、私は「無理に行かなくていいよ」と言ってきたが、お姉ちゃんの姿を見ると、それも忘れて学校に行ったりもしたが、どうしてもダメな時は休ませていた。そういう時は、なるべく公園に行ったりしていた。息子は「体を動かす」のが得意のようで、スポーツにとても興味を持っていた。ルールなどは覚えられないがゲーム自体は好きなよ
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地獄への道…5

私はとことん「今まで」のことができなくなっていた。 それでも必死に子供達には気づかれないように過ごした。 その間も、上の娘は小学5年生になり、息子は小学生2年生くらいにはなっていたと思う。 卒園から「療育センター」に通院していたものの、「発達障害」の診断は確定されることはなかった。 通級しながら学校に行く息子に異変も起きていた。 そして、上の娘にも異変が‥。 私は子供達を引き取ってからずっと「子供達の話はちゃんと聞いてあげよう」というのは心がけていた。自分の当時のことを思い出すと「会話」はとても「大切だ」とつくづく思ったからである。 自分の小学生時代は多分、親とのコミュニケーションが成り立たなく、友達との距離感や話し方、色んなことが欠如してたと思う。 大人になってからもとても苦労した。 その経験があるから「会話」は大切にしてきた。 上の娘の様子が変だと思い、「最近学校どう?」とそれとなく聞いてみた。 すると、娘は何やら言いたそうな言いたくなさそうなそぶりをしていた。 少し待って見ると娘が口を開いた。 「この前ね‥学校で2時間目の時に先生に机教室から出された‥私だけ廊下で勉強してた」 という。 はい?どういうことだろう‥。 私は、「何かしたの?」と聞いてみた。 私は自分の子供の話は聞くが「全部鵜呑み」にするのは違うと思うのだ。 話を聞くと、どうやら 「隣の席の子が何かを落としたのを拾ってあげたら、その瞬間に先生が見つけ、『遊んでいるなら教室から出ていきなさい!』と言われた」 というのだ。 娘もその子も先生のあまりの大きい罵声に驚いて、何も言えなかったそうだ。 それからどうしたか、
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地獄への道…4

私は出された薬をただ眺めていた。確か…「セルシン、パキシル」という薬だったと思う。その薬にどんな効果があるかなんて、わからず飲んだ。この薬で本当に「うつ病が治るんだろうか…」どれくらいで治るんだろう、そもそも「うつ病」は…家にいると色々なことが頭をよぎる…会社で私は何か先輩たちに「嫌なこと」をしたんだろうか、詐欺師とまで言われなければいけない何かをしたんだろうか…外に買い物に行くと知っているかのように「今日休み?」と聞いてくるのはワザとなのか…私はもう働ける場所なんかないのかもしれない…私は…そうだ…元々「誰からも必要とされていなかった」…もう涙すら出てはくれなかった。「明日…市役所に行こう…」けれど一つ心配なことがあった。それは母親のこと。保護を申請すると「親族に連絡が行く」というのを聞いたことがある。もし…私が保護を受給すると母親は目の色を変えて金銭を取りに来るだろう…アイツはやりかねない。それだったらいっそ、子供たちと死んでしまおうか…保護を申請するのにも凄く悩んだ。もし家がバレたら…またあの地獄のような日々が続く…せっかく女性相談所まで行って逃げたのに…それだけは避けなければ…。なぜ、それほどまでに「母親」の行動に恐怖を感じるのか…それは、やっぱり地元にいると嫌でも母親の話は聞こえてきていた。いかにも「子供を心配しない親はいない」とか「辛い思いをさせてしまった」などとお涙頂戴話をしているようだった。私はそこから母親のことを思い出すだけで「動悸」がするようになった。怒りと恨みと憎しみと…情けなさ…。私は何時間も子供たちが帰ってくる時間までずっとボーっとそんな事を考えていた
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地獄への道…2

私は子供たちに「仕事を辞めた」ことを隠していた。いつものようにスーツを着て、保育園にいつも通り送った。けれど、その後から行くところがない…。そのまま家に帰る…。私は気分転換に友達を呼んだ。今まではあまり関わりのない友達?知人といったほうが当てはまるのか…。その知人Yちゃんに連絡してみたところ、快く遊びに来てくれた。何も聞かず、ただ他愛のない話をしたりして過ごした。多分スーツを着ているから仕事の合間に会っているのだろうと思っていたと思う、Yちゃんは3勤3休の仕事をしていたため、ただタイミングがよく会えたのだ。それから何回か会う機会があった。私は、他の仕事をしないと!!と思いつつも…買い物にスーパーに出ても「あれ?今日お仕事お休み?」と保険屋で出会ったお客さんに話しかけられる。私は「あ~…はい…」と言葉を濁す。「辞めた」とは言いたくなかった。辞めたくて辞めたんじゃない!!そう叫びたかった。その瞬間!!今まで味わったことのない「動悸」がしたのだ。もう立っていることすらできず、しゃがみこんでしまった。なんだ?!これ!!誰かが話掛けてくれたと思うが、声があまり聞こえてこなかった。しゃがんで少し経ったら落ち着いた。立ち眩みだったんだろう…。そう思った。さすがにビックリした。血圧もそんなに高いわけではない、むしろ「低いほう」だったから「たちくらみ」だと思った。買い物を済ませ帰宅したとき、また激しい動悸…。なんだろう…。そういえば、仕事を辞めてから、ご飯…食べていない…。何日経っただろう…。そう、私は家ではあまりご飯を食べていなかった。そもそも。朝は子供たちの準備や家事で食べずに出社していた、
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地獄への道…1

アパートに引っ越してから3か月くらいだろうか、仕事も順調だった。次々と業績も上がり、自分でいうのもなんだか、私が入社したときは営業員が私を含め4人しかいなかった営業部も25人にもなっていた。ほぼ私の「部下」と言われる人たちである。全国入賞も何度もした。実際、成績を挙げているという感覚がなかったので、特別偉ぶったりることはなかったように思う。よく「保険屋」というと名義貸しであったり、架空契約などがまだあった時代ではあった。けれど私の場合は契約をするのはお客さんの「職場」か自分の会社に来てもらう、というスタイルが9割を占めていた。会社に来てもらうことで上司とも面談できる。全ては「不正な契約ではない」という証明にもなるのだ。「押し付けない営業」が功を奏したのか営業員も増えていった、というのが今となっては成績に繋がったのだと思う。そして、そうしている間に一度だけ、旦那がアパートにきた。それは何でもない日だったが、アパートまでの場所を教え、子供たちに「お父さんがくるって」というと、喜ぶのかな、と思ったが予想とは反して「ふ~ん…」だった。あれ?私旦那の悪口とか言ったかな…態度に出たかな…なんだろう…と少し心配になったが、来ることが決まっていたので来た時の態度やその後の気持ちを子供たちに聞いてみようと思った。旦那はアパートの玄関…といってもすぐキッチンなので丸見えなのだが「こんなところに住んでるのか…狭くないか?」と言ってきたが「大きければいいということではないから十分です」といった。そして、子供たちが部屋から出てきた。リビングとは呼べないようなところで少し会話をしたりしていたが、どこかぎこ
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新しい人生の終焉…7

私は早速、その大家さんに電話してみた。人の良さそうな人でとても優しかった印象を受けた。そして空いているかを聞いたら、「リフォームしてないけどそれでもいいなら入れるよ」と言ってくれた。どうせ、子供たちから汚される(-_-;)私は「大丈夫です、見せてもらえますか?」と聞くと快く快諾してくれた。翌日、仕事の合間を縫って物件を大家さんと一緒に見に行くことにした。2DKとはいうものの1部屋が広かったのでとても良かった。小さくではあるけど「小屋」も付いていた。隣の人の間に小屋が挟んであったので「防音」という意味もあるのかもしれない。そう思ったら、とてもいい条件だった。車も止められる。そして、なにより…アパートの前がとても「急坂」だった。これが「いい条件」な話はまた後で話そうと思う。大家さんは「こんなボロだからお子さんとかいるなら敷金とかいらないよ!」と言ってくれた。私は凄く親切な大家さんと思ったよりいい物件で「即答」した。大家さんはおじいちゃんではあるがとても元気そうな人だった。「さすがに今は契約書はないから来月入居の契約書作ってくるけど、入るなら今月の分はいらないから~鍵だけもう渡しておくね~荷物とかたくさんあるでしょ~」ととても気さく?というか、コッチが堅苦しいのおか?というくらい気さくな大家さんだった。そして私は、「そうすれば今月からお願いします」と言って、お互いその場を後にした。私はその日にもう旦那に言うことにした。とりあえず、仕事を終わらせ、子供たちを迎えに行きご飯とお風呂を済ませて、子供たちが寝るのを待って旦那に電話をした。「もうアパート見つかったから後は手配よろしくね」と。そ
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自殺予防週間 最終日

前の日曜日から自殺予防週間と言われる1週間が始まりました。その自殺予防週間が本日9/16で幕を閉じます。私はココナラでは特に何も言っていませんでしたが、他でこの週間に関する事に触れていましたし、世の子供達の事も考えていました。正直、今日までの1週間がこういう名が付いていますが毎週が自殺予防週間で良いですよね…。調べによると「自殺について誤解や偏見をなくし、正しい知識を普及啓発する期間。国や地方公共団体が連携して、毎年9月10日から1週間、啓発活動を強力に推進している。」との事でこの1週間に限りこの名が設定されているようです。活動もこう言った内容以外にも積極的にする必要があるのはもちろんですし、実際にあまり知らせていないだけで動いている人達もおられると思うので、実際のところ毎週が自殺予防週間ですね。そもそもこの名前的に活動とか関係なく毎週付いていて良い名前ですね。調べていて気付いたのですが、90年代後半から自殺者年間3万人の時代が始まったのは前から知っていましたが具体的に何年から始まったかは1998年からだそうですね。1998年は私が生まれた年、そして今年で25年。25年間自殺者3万人の時代が続いているとの事になります。私が生まれた年に始まり、その私も自殺志願の経験者1人に入っている事は縁を感じるというか運命を感じるというか…。何たる偶然。このブログを書いている最中にふと気になった事がありたった今調べました。今の若者(私も若いですが)は知らない人も多いと思われる1人のアイドル、80年代に壮大な人気を博した岡田有希子というアイドルが1986年に原因不明の自殺をした。この自殺により、
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X(旧ツィッター)で面白い投稿を見ましたので取り上げたいと思います。

X(旧ツィッター)で面白い投稿を見ましたので取り上げたいと思います。以下に引用します。「なんでも言ってねって言ったくせに死にたくてたまらなくてつらいって言ったら教科書通りの言葉しか言えない人しかいないから、結局誰にも言えなくなるんよなー生きたくても生きれない人いるよって説教なんていらない分かってることしか言えない人キライ偽善者ばっかり」どうですか、甘えているでしょう。多分若い人なんでしょうね。文章から女性のような気もします。それはいいとして、「教科書通りの言葉しか言えない人」って当たり前でしょう。「死にたくてたまらなくてつらい」なんて相談を受けたら、言えることは限られます。「ああそう、じゃあ死ねば」なんて言えるわけがない。「生きたくても生きれない人いるよ」というのが一番無難ですね。それを「説教なんていらない。分かってることしか言えない人キライ」って、一体他人に何を期待してるんでしょう。私だったらこんなことを聞かされたら、「フーン」で済まして、その人から離れます。面倒くさいだけですから。自分の聞きたいことしか受け付けないんだったら、最初から相談しないか、言って欲しい言葉をあらかじめ紙にでも書いて渡して読んでもらえばいい。この人は自分が悩んでいるからと他人に迷惑をかけても平気なんですね。本当にかまってちゃんもいい加減にしないと。普段から友達に迷惑をかけまくってるんだろうなあ。本人がなんといおうと、自分のことが大好きであることがよくわかります。大体、他人の助言なんて本当に役に立つことはあまりありません。ただ、聞いてもらうことが大切であり、聞いてくれる友人がいることが大事なんです。つい
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新しい人生の終焉…6

その日は何もできない、と言われ点滴を打たれたまま気を失ったように寝ていた。翌朝起きたら、看護師さんが「体調どうですか?」などと言いながら血圧や体温を測ってくれていた。お腹に違和感はあったものの昨日ほどではない感じがしたので、「もう大丈夫です」というと看護師さんは血相を変えて「あんた!なんでここのナースセンターの前の病室にいると思ってんの?あんた昨日死にそうだったんだよ?血圧も上60もなかったし!」と怒られてしまった。血圧なんて普段測ることもないから、それが異常なのかなんなのかすら分からなかった。病院のご飯を食べていると、旦那から電話がきた。「あれ?起きてるの?子供たちのことが全然わからなくて…保育園に何を持たせればいいの?朝ご飯はどうしてたの?」という電話だった…。私は「入院している場合ではない、もう帰ろう」と思った。過去にもあった…同じことが…。そして過去にも2日で退院してきている。医師のいうことも無視して…私に「休んでいる時間」も「体を治す時間」もないのだ。ましてやこれから「離婚しよう」としているのに…。この弱みに付け込んで離婚がなかったこと、になるのも、すごく嫌だった。もしかしたら「プライド」だったのかもしれない。けれど、私は「引き返す」選択肢はなかった。その電話を切った後、点滴などを変えにきた看護師さんが「午後から診察ありますからね」と言って去っていった。今日のところはまず保育園や学校に行くとどうにかなるだろう…子供たちが帰るころには家に帰っていなければ、子供たちも心配するし、ご飯や洗濯や…などと考えていた。もう私の中では「今日中に退院」すると決めていた。旦那がお見舞い
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(288日目)死を選ぶ瞬間とは。

このブログは2つのスタイルで書くようになった。一つは「ワイと助手」の二人の掛け合い的なもの。もう一つは私の思うままに一人語りするもの。今日も一人語りスタイルで行きたいと思う。さて、現代はストレス社会なんて言われているけど、ストレスが全くないのも問題だったりする。無きゃ無いで人間って成長しないと思うの。適度なストレスはそれを乗り越えるためのパワーになったり自分の成長に繋がったり、新しい発見に繋がったりする。ストレスが無ければ恐らくそれに気づくことも無いだろう。言ってしまえばしぼみ切った風船みたいなもの。地べたにヘタって落ちていて、いつか劣化し千切れていく。しかし過剰なストレスも問題だよね。ストレスが掛かりすぎる=膨らみ切った風船であり破裂の危険性が間近に迫っているとも言えるよね。X(Twitter)を見ていても病んだ心を吐露する投稿があったり先が見えずに彷徨っている投稿を目にすることがある。これは膨らみ切った風船では無いだろうか。破裂してしまったら回復できない心の病となり時には死を選んでしまうこともあるだろう。さて、普段アホな感じでブログを書いているけどこんな私も人生で一度だけ死を考える瞬間があったなぁ。それは前職で追い込まれた時だった。ストレス耐性Sクラスと言われ自己評価も同じくだったがその時だけは崖っぷちに立っている感覚だったような。毎日夜が明けるのがしんどくて1日をどう過ごすかを考えるだけで気が滅入る。家には食事と風呂、そして短時間の睡眠だけのために帰るようなそんな日々が続いていた。原因はシステム開発の失敗にある。情報システム責任者として、プロジェクトマネージャーとして旗を
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【超ショートショート】「わがままと自殺」など

「わがままと自殺」 僕は辛い人生を歩んで来ました。 まず、父親が酷いやつでした。 母さんの妊娠が発覚した途端、 完全に姿を消しました。 母さんは必死に働き、 僕を育ててくれました。 だけど僕が中学生の頃、 母さんが彼氏を作ってから、 僕の生活はより辛くなりました。 いえ、暴力は受けていません。 母さんの彼氏はいい人だったんです。 ただ、だからこそ、 僕は片想いしてしまいました。 そうです。僕は同性愛者です。 僕は母さんの彼氏が好きになり、 だけど母さんの恋を邪魔したくなかったので、 高校は寮のある学校に進みました。 家庭の事情と、 生まれ持った性質によって、 仕方なく家を出たんです。 そしてこれが、 転落の始まりでした。 「女みたい」という理由から、 虐められるようになったんです。 先生にも相談できず、 退学して家に帰りたかったけど、 例の事情から帰れなくて、 僕はひたすら辛い3年間を過ごしました。 ようやく高校を卒業した後、 大学に行く選択肢はあったものの、 僕は働き始めました。 今まで誰かに与えられた環境は、 全て理不尽なものだったので、 自分自身の手で人生を切り開こうとしたんです。 だけど就職したのは、 家族経営の会社でした。 「よそ者」の社員には発言権がなく、 出世するには、 家族の一員になるしかない。 だから僕は嫌で堪らなかったけど、 その家族の娘と交際し、 婿入りしたんです。 そしてどうにか跡取りになる子供を作り、 会社の上役に登りつめました。 しかし、古くさい経営によって、 徐々に会社は傾き始めており、 僕は危機感のない連中の分まで、 昼夜を問わず働きました。 愛
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第12話 歩き疲れた

前前前回からお読みくださいませ。実話です。私は歩き続け、変な行動に出ます。どうしたでしょう?「壁とか蹴った!」違います。裸足だし、痛いのはこっちです。スリッパだってないです。自分の置かれている状況がわかるまで、誰か来ないかと、ひたすら歩き続け、なんと!「たまに、歌い出した」のです!どうせ叫んでも、来ないし、閉じ込められていることまでは、察しています。ならば、それって防音室じゃね?歌い放題じゃね!?で、熱唱♪マジです!人が死んで、トイレの水のんで、パシパシなコンタクトの目の乾きで、謎の飯配布で体力回復させ、また歩き続き、大熱唱し続ける。ワンマンライブです。あぁアカペラね。でもレコーディングでアカペラなんて慣れてますから、上手く歌えているかどうかはわかります。一応10曲は用意するみたいな感じに。客?そんなもん居るに決まってんじゃんないっすか?ナースの防犯カメラです。ずっと監視されているはずです。聞こえるかわかりませんが、聞こうとすれば聞こえるんじゃないでしょうか?コイツ・・・マジで・・・何歌ってるんだろう・・・!?と興味持てばの話です。かなり、マジな歌なので、鼻歌じゃないなとわかるはず・・・。熱唱!開始!届け~!ナースコール~!2時間を終え、私は、1人ベッドで、息を付いている。ハァハァ・・・。マジかぁ・・・、ガン無視か・・・。ひでぇ・・・。神よ!おぉ神よ!ん?こ、これって法律違反じゃね?人権侵害じゃね?なんでナースコール出ないの?なんで、誰も何も言ってくれないの?なんなの?この状況。夕飯っぽい。あっ!あの~!すみませんゴロゴロゴロゴロ(車輪の音)貪る私。さて、夜の部、歌うか!マジで
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「超貧困世代60代以上の女性を救え!」

ボクは、若い時「東京」にいた。「広島」から「東京」へ、12年間。「自由が丘」、「豊洲」、「池袋」、「江古田」・・・ちょっと懐かしい。誰もが知っていそうな場所ばかり。もちろん「渋谷」もよく行っていた。しかし、そこで「悲惨な事件」があったのを全然知らなかったよ。2020年11月、渋谷区幡ヶ谷のある「バス停」で起こった。そこには「64才のホームレスの女性」がいた。そこを居場所にしていた女性、そこを通り過ぎた「ひきこもり男」が、「なんか、ジャマだ!」との一方的な言いがかりをつけ、「石の入ったペットボトル」で頭部を殴りつけ、死亡させた。「くも膜下出血」だ。あとで、老母と一緒に出頭したが、仮釈放の間に「自殺」した。なんとも「痛ましい」事件だけど、彼女はね~、「広島出身」なんだよ。「広島」では「劇団女優」もやっていた「笑顔の魅力的な女性」だった。あだ名は「ミッキー」だ。どうして渋谷で「ホームレス」をやっていたのか?少し前には「試食販売員」として働いていた彼女。「コロナ」での「解雇」が襲った。「そんな状態なら、’生活保護’でも申請したらイイのに・・・」「いいですか?」「生活保護」って、税金です。なるべく市役所も「お金」を出したくないんだ。もし「市役所」に「お金」が足りなくなると「公務に支障が出たり」、最悪だと北海道の夕張市のような「破産団体」として「国とかの直轄管理となり、職員の解雇や減給、その他のあらゆる削減を強行される」と聞いたことあるよ。おそらくそうじゃ。だから、もし生活保護申請しても、「あの~、できれば住所地で申請していただけませんか?」「ネットカフェではダメなの?」「はい、実際の住所
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「京アニ放火殺人事件」裁判開始!

もうあれから4年かな?放火なんていう言葉にほど遠い場所、「アニメーション・スタジオ」じゃ。「夢の創造工房」、どれだけの人がアニメという’天使’に救われたか・・。ボクだって、アニメはコドモの頃から大好きじゃ。^^「オバケのQ太郎」や「鉄腕アトム」、「魔法使いサリー」、「リボンの騎士」・・・もう、いっぱいあって書き出せないぜよ・・・アニメは必須じゃね。ボクにとって「歌」、「アニメ」、「ダンス」は無くてはならないもの。その「アニメ」の城を潰された!;;ワケもわからずいきなり「焼かれ」、「一酸化炭素中毒で息もできずに逝った」夢実現のアーチストたち。あのときは、「世界中が泣いた」と記憶している。(;;そう、もう「日本」だけのモノではない「ジャパン・アニメ」じゃね。アニメの世界で何かあれば、もう速攻で世界に知れ渡るのじゃ!前から日本のアニメは、「世界で愛されていた」存在だった。しかし、「コロナのパンデミック」もあり、「世界が日本のアニメを欲求し、愛した」んだ。日本は世界から「ジャポニズム」という言葉で昔から表現され「蒔絵」、「古伊万里」、「浮世絵版画」という3大美術が有名だよね。^^特に「浮世絵」なんてくしくも、「京都」の庶民生活が起源といわれている。もう大昔から「京都」ってアニメの聖地だったんだね。「浮世」って「今現在」という意味だし。まさに「現代京都事情?」という江戸時代の「アニメ」かな?!ところで、その「聖地」を汚し抹殺した犯人「青葉真司」。なにやら「ウラミ」があったらしい。以前に自分の書いた「原稿?」を「京アニ」に送り、その内容をパクられたとのことじゃ。やれやれ・・。ま、その前に「
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第1話ブログ開始サービスも開始致しました

ココナラで死にたい!消えたい!それも障害を抱えた人からの電話相談を深夜に開始致しました。前から待機はしていたのですが、いっこうにかかってこないので、なかなかたどり着かないのだな、私のサービスは今にも死にたい!と思っている人に、表示がされないのだなぁ・・・と思っています。それで死者は自殺者は年間3万人。それって、毎日死んでいる人がいるって計算になりますよね?自死を選ぶ前に、駆け込み寺が必要です。それから死ねばいいぐらいな発想だけもって、勇気持って掛けてみてください。私の傾聴力にかけてみてください。魔法じゃない、でもできるよ。では、失礼いたします。次回また、消えたい、死にたい日記を書きます。では電話待機したいと思います。
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新しい人生の終焉…5

証人の欄に書いてもらった後、旦那はモノも言わず、実家から出たが私は、一応、お礼をいい、その場を後にした。その帰りの車の中では、今後の養育費…というか生活費などの話になり…。初めは「やり直す前提」という離婚、だった。私も旦那を信じれる自信がなかったし、その旦那の顔を見て過ごすということや、今まで子供たちに「お父さんが働いてくれてるからだよ」というのがとてつもなく辛い。別に言わなくても良いかもしれないが、子供たちの中でも「お父さんがいない生活」そして、結局、学校の「保護者の欄」が私に変わるのだ。到底、隠し通せるものでもない。子供たちになんて言ったらいいかなどを話した。旦那的には、「どうせ今までも毎日帰る仕事じゃなかったし、たまに顔は出すからそのままで」と言っていた、なんでこの人は「自分のこと」しか考えられないんだろう…。本当に呆れた。生活費も15万あれば、今まで間に合ってきただろう?とまで言った。…そりゃね…それしかなかったと思ってたからね…私の給料とかをやりくりしてたよね…。その開き直る言葉にもイラついたが、もうこれを出せば「他人」…。「この足で直接市役所持って行く?」と聞くと、「それは俺がいない時に出してくれ」というのだ。なんて勝手なんだろう…。それをまず無視して、私は家計の細かいところを言った。子供たちには「学資保険」などが掛けてあった。その支払いや、今後私たちが住むアパートは自分たちで決めることも…。そして、旦那が自分で決めた15万の生活費を入れる口座なども話しあった。私も仕事がある。いつまでも時間があるわけではない。「離婚届け」いつ出そうか…。と考えていると「下の子供は俺
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新しい人生の終焉…4

私は決めた。…「離婚する」…。このままでは、不信感しかない、そして、また自分の心を殺して、このまま生きていくのか…。それで子供たちに「素直になりなさい」と言えるのか…。子供たちにどんな顔して毎日を送ればいいのか。親として、妻として…そして一人の女性として…それは果たして「正解」なのか…。色んなことを考えての「決断」だった。私の気持ちは何日経っても変わることはなかった。旦那が帰ってくる日を待った。そして、その日は案外すぐ来たのか、そう感じただけなのかはわからない。そして、子供たちが寝静まった後、旦那に話をした。「もうあなたを信じることはできない…。」と…そうすると旦那は「なんでこれからやり直そうとしているのに、そういうことをいうんだ!」と言ってきたが、その後に「じゃあ別れなくてもよかったじゃん」と…。なにを言っているんだ?この人は?自分の言っていることの意味も今口に出していいことの区別もつかないのか?私はキレそうにもなったが、「もう別れる」と決めた心には怒りなどはなかった。そして、私は淡々と続けた。「離婚するにも証人が必要だから、それはRさんに頼んであるけど、もう一人、あなたの方から出してね、それと慰謝料とか養育費を決めたい」と一気に話した。旦那はここまで言って初めて本気だと思ったのか「どうしたら許してくれるの?」「お前にだって悪いところはあるぞ」などと言ってきたが黙ってただ、反応もせず旦那の言う事を聞いていた。そうすると段々「わかった…もう相手とは別れたし、俺にはお前しかいないから、やり直すという前提で離婚しよう」と言い出した。なんて都合のいい人だ。こんな人だと本当に思っていな
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新しい人生の終焉…3

それから半年の時間が過ぎた…。私もなるべく「自然」に振る舞うようにした…。夜の性生活は、その中でも「地獄」だった…純真と、そんな綺麗なことを言う気はないが…結婚する前の女性のことをどうの言うつもりは到底ないが、夫婦でいて…その間も私との行為もありながら、影でも誰かと行為をしている…。どうしてもそういう想像が私を苦しめた。もう別れたとはいいつつも…不信感しかない…。かといって、性生活を断って、それを理由にまた浮気されるのか、という恐怖が私を襲った。旦那はそんなことは「なかった」かのようにしてくる…。私は、あのおぞましい過去を思い出した…そう、母親に「売られた時」のこと…。感情を殺した、あの時のこと…。同じ感じがした。それからというもの、私は「性生活」を拒むようになってしまった…。私の中では、もう「離婚」という文字が頭にあったのかもしれない。別れたとて、給料が戻ったわけではなかった…それも「不信」の原因だった。本当に「別れたのか…」もう何もかも信じれなくなった…。けれど、その反面、私の仕事は順調だった。成績も伸びて、グングン昇格もしていった…。私を認めてくれる場所は「会社」になっていた。息子の診断はまだ、明らかにはならなかったが、自分には「やるべき事」がたくさんあった。その中で、たくさんたくさん考えた。自分の気持ちと向き合った。何度も書いているけど、子供たちを引き取れたのは今の旦那のおかげで、その感謝ももちろん忘れてはいない。それは到底、私一人のチカラでは成しえなかったこと…だけど、それとこれとは「別問題」であって、だからといって「やっていいことと悪いこと」の区別くらいしてほしかっ
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新しい人生の終焉…2

Rさんが、夜にも関わらず、とんできてくれた。もしかしたら、「人の不幸」を興味本位で来たのかもしれない。それでもよかった。そんなことを考えられる余裕などはなかった。Rさんは「二人で話なさい」と子供たちの面倒を見てくれていた。私はRさんが来てくれたので安堵したのか冷静になった…。けれど私の怒りが修まったわけではない。旦那と二人で向き合って話をした。どこで知り合ったのか、いつからなのかなど色々…。知り合ったのは当時流行っていたゲームアプリ。半年くらい前からだそうだ。それって…ディズニーに行くかという話があったあたり…。その間には旦那は「家族ゴッコ」をしていたのか…。私たちと…。もう頭がパニックというか真っ白になった。頭が真っ白というのは、こういうことを言うんだなと、どこか他人をみるように冷静だった。子供たちにもずっと「お父さん頑張って仕事をしているから学校にいけるんだよ」とずっと言い聞かせていた。子供たちの前で一切「自分の稼ぎで」と言ったことはない…。私も前の旦那で少しでも学んだつもりだった。今の旦那に尽くしてきたつもりだった…。仕事中の急なお弁当、給料が少ないと私が借金していたこともある。舅姑、お墓まで全部させてもらったと自負している。旦那の顔は立ててきたつもり…。「うつ病」のことだって何にも言ってくれなかったから病院にもほとんど行ってない。私が何をして「他の女性と一緒になりたい」と思ったのか、そして何を思って家に帰ってきていたのか…。私と子供たちだけが「我慢」していたのか…。どんなにお金がなくても…どんなに子供たちはお父さんに会いたくても…。怒りも沸いたが、虚しくもなった。けれど
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当たるおもしろ7月17日から23日の星座別運勢占い

りゅうちぇるのご冥福をお祈りいたします。海水浴って7月1日からオッケイなんですね。もっとはやく海水浴行けばよかった・・コロナで色んな薬飲んでしまったから砂浴して化学薬品デトックスしたいです。先週の星座占いで、天秤座が冥王星+で蟹座がストレス-でフラワーエッセンスが太陽蟹座のエッセンスだったんですけど、有名人のりゅうちぇるとぺこファミリーを例に考えると実は天秤座と蟹座って正反対の価値観の星座で相性がとても悪いんですよね。でも、わがままで正直で内弁慶な蟹座さんにとって、わがままを抑え、他人に合わせ上手な天秤座は魅力的にうつって、天秤座が好きな蟹座さん多いんですよね。天秤座あるあるなんですけど、天秤座の人は一人と長く付き合うよりも、色んな人と仲良くなりたい、人気者になりたいって社交的な人が多いから、いろんな人と仲良くしたいから、我を隠して、他人に合わせ上手な人が多い。風のエレメントの星座なので恋愛向き、生涯独身貴族向きで結婚など家庭向きのエレメントではないんですね。それが天秤座さんの大きな特徴。蟹座さんはたくさんの人に好かれなくていい、友達一人だけでもいいから、性格の悪い部分も本性をさらけだせる、お父さんやお母さんのように自分の欠点も何もかもうけいれてくれる家族や恋人のような人が一人いればいいって感覚それが蟹座さんの大きな特徴なんですよね。蟹座の人が優しくて気を使ってくれる場合は、貴方に心を許してなくて、信用ならない人とみなしています。かに座の人は気に入った相手の前ではものすごくわがままになり、母親や父親にみせる姿をさらけだしてきます。だから、他人は他人、家族とは違うという感覚の人か
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誹謗中傷問題とネット上の対策についての議論

YouTuberのあおちゃんぺさんがタレントのryuchellさんの死とそれを巡る誹謗中傷問題について、以下のように発信しています。-リプで誹謗中傷をするのは良くないと思いますが、ツイートで思想を述べるのは普通のことです。それで「傷つく人がいる」というなら、私をブロックすればいいだけのこと。たまたま流れてくるから、見たくなくても見てしまうというならSNSやめた方が良いです。例えば私が猫の写真を投稿します。小さい頃猫に噛まれてそこから菌が繁殖し、腕を失う事になった人が見てしまったとします。それを私に、見てしまって傷つくから書くな載せるなはお門違いです。誰も傷つかない、不快な思いをしないなんて無理です。不快なものを見たくなければ、その人をブロックするかSNSを辞めるしかありません-(引用終了)。まったくそのとおりですね。テレビやYouTubeで露出し、有名になった人間はそれに伴う対価を支払うのは当然でしょう。さらにツィッターまでやっているのですから。ツィッターはリプを止めることができるし、他のSNSにしても見ないで済ますことは簡単なことです。もし自分に耐性がないのなら、露出を止めればいい。ところで、現役の政治家から誹謗中傷の取り締まりに前向きな姿勢を取ろうとしている人が結構いるようです。さすがに名前を売る機会には敏感ですね。大阪府知事の吉村洋文氏はツイッターで「この9月にネット上の差別や誹謗中傷への対策強化の条例案を出す。1年かけて専門家会議の意見を聞き、ネット上の差別には大阪府が発信者に直接注意指導を、誹謗中傷には幅広い相談体制の充実を、その他対策を条例化する。国に要望済みだが、
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有名人の自殺の影響:救済への警鐘が社会を変える

ニュースによれば、人気タレントのryuchellさんが東京都内のマンションで死亡しているのが見つかったとのことです。今のところ正確な死因は不明とされていますが。自殺の可能性が高いとの説もあります。私はryuchellさんについては、ほとんど知識がないので特に言うべきことはありません。しかし、こうした有名人が自殺すると、その影響は単に個人や家族に留まりまらず、その衝撃は社会全体に広がり、多くの人々に影響を与える可能性があります。 そこで今日は有名人の自殺について考えてみたいと思います。1.    影響力の拡大有名人の自殺は、メディアの注目を浴びるため、その影響力は一般人よりもはるかに大きくなります。 彼らの死はニュースやソーシャルメディアで広まり、無数の人々にその存在を知らせます。彼らの自殺によって、同じような苦悩や心の痛みを抱える人々が希望を失い、絶望の道を選ぶ可能性が高まります。2.    社会への衝撃有名人の自殺は社会全体に衝撃を与え、多くの人々に深い悲しみや喪失感をもたらします。 彼らはアイコンやヒーローとして尊敬され、多くの人々にとっては希望や励ましの象徴です。その喪失は社会に暗い影を落とし、多くの人々の心に深い傷を残すこととなります。3.    若者への影響有名人の自殺は特に若者に大きな影響を与えます。 若者は彼らのアイドルやモデルとして有名人を崇拝し、彼らの行動や言動に触発されることがあります。有名人の自殺は若者に自殺行為を模倣する可能性を与えるだけでなく、彼らのメンタルヘルスに悪影響を及ぼすこともあります。若者は敏感で影響されやすいため、彼らを救済するための支援策
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新しい人生の終焉

浮気が発覚したのはディズニーランドから帰ってきて、半年も経たない頃だった。その日は、仕事から私も仕事から帰ってきて、子供たちにご飯を食べさせている時に旦那が、「これから帰る」と電話がきた。今までにも急に帰ってくることはあったので、さほど気にしていなかった。ご飯の準備しなきゃな、くらいの気持ちだった。そうして、旦那が帰ってきて色々していた。そうして一通り家事やら子供たちを寝せて一休みしようとしていた時「ちょっと話がある」と言ってきた。今度はなんだろう…。私は、仕事を変えるとかそういう話だと思っていた。「ごめん…好きな人ができた…」と…。私は呆然とした。私はどこか冷静を装っていた。「その人はどんな人なの?どこで知り合ったの?」と聞いた。そうすると旦那は「ゲームアプリで知り合った…最近家にこれなかったのは、その人の家に行っていたから……その人が弱いんだ!お前みたいに強くない!うつ病なんだ!俺がいないと」バアアアァン!!私は旦那の顔を叩いていた。「なに?誰が強いって?誰が弱いって?私もあんたと一緒になる前に病院で『うつ病』って診断されたとき、あんたなんて言った?ふざけんな!!」と怒ったというより、もう怒鳴っていた。旦那は涙目になっていた。「誰が子供産んでくれって頭下げたんだよ!お前に育てられんのか?それともなに、その女に育ててもらうのか?!!」と今までの「我慢」を全部さらけ出した。サラ金を払ったこと、生活費の足りない分をクレジットカードで補っていたこと、一人で育児をしてきたこと全部全部…。それでも旦那は「ごめん!すまなかった!」と土下座をした。それにも腹が立った。よくよく聞くと「毎月の
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新しい人生の始まり…44

思ったより「ディズニーランド」までは遠かった(笑)なんでも県外に行くのは修学旅行などでしか行ったことがない。高校にもなれば、色々あったかもしれないけど、高校にも行けてなかったから、そんな体験をする機会もなかった。車だったから子供のトイレや空腹などに対応が臨機応変にできた。本当にこれだけはよかった。旦那も休み休み運転をしていた。子供たちもいい加減飽きてきたりもしてきたが、ほぼ寝ていたり、車に付いていたテレビなDVDなどをみて過ごした。本なども持ってきたが「車酔い」が起こってしまい中断した。そもそもこんなに長い時間、車に乗っていることがない。そんなこんなで、やっと近くまで来たのは「朝方」5時くらいだったと思う。近くになっても子供たちは起きてこなかったし、開場までまだ時間があったから駐車場で私たちも仮眠をとった。2時間も寝ただろうか。少しまぶしくなった光で起きた。周りに目をやると、もうすでに少しづつ車は増えていた。朝方に来た時は「東京ドームシティ」などディズニーランドのホテルなどが立ち並んでいたのがあまり見えなかったが、明るくなるとすごく立派なホテルが見えた。あぁ…私のボーナスがもっと多かったらな…と少し落ち込んだ…。チケットを取って、ガソリン代と、食事代などだけで精一杯だった。色々ディズニーに関して色んな人に聞いたら「お土産だけでうん万いくよ」などと言われていたから、少し構えていた(笑)子供たちに楽しんでもらいたい!私が楽しむというのも一理あったが、2歳くらいの子供をベビーカーに乗せて2人の子供を連れて、尚且つ「自分も楽しむ」などいう器用なことはできなかった、というか「初めて」の体
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新しい人生の幕開け…43

子供たちに伝える前に「日にち」を決めなければ、子供たちに「守れない約束」をしてしまう可能性があるから、日にちを決めることにした。けれど、子供たちが「夏休み」なことと、私たちの仕事に影響を与えない日にちにしなければならなかったが、私の場合はなんとかなる。問題は旦那だ。旦那に電話をした。「ディズニーのことなんだけど…いつ行けそう?決めないとチケットも私の休みも取れないし、あなたも休み取れないでしょ?お盆時期はどうしても混雑するし…小さい子を連れて混雑したところに行くのも子供大変だし…」と…。旦那は「会社に聞いてみる、これははっきりしないと全部だめになるからな」と言ってくれた。旦那は行く前から「ディズニーまでの道順は仕事で何回も通ってるから大丈夫だ」と自信満々に言っていた。そして、数時間後、会社に聞いたであろう旦那から折り返しの電話がきた。「8月の10日から3日休み取れた!そのままお盆休みでいいって」と電話がきた。そういう時だけはちゃんと休み取れるんだな…と、少し腑に落ちないところがあったが、仕方がない…。日にちが決まったところで、子供たちが学校や保育園から帰ってきたら真っ先に報告しよう!子供たちの喜ぶ顔を想像したら嬉しくなってきた!とうとう子供たちを迎えに行く時間になった!そして、みんなが揃ったご飯の時間…。「聞いて!今度ディズニーランドにみんなでいくよ~!!」すると…「ほんと!!??わーい!!(∩´∀`)∩ワーイ!!」とみんなで喜んでくれた!!良かった!この顔を見たかった!それからしばらく「ディズニーランド」の話で盛り上がった!子供たちは興奮状態だった。それからしばらくテレビやな
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「乗っ取り屋」に気をつけろ!

あれは、二十数年前のこと・・・「手を引け!」「は?何言ってるの?」「あんた、だれ?」ある日、中年女とその娘らしき二人が我が家へ突然上がり込んできた!びっくりするやら、ゾッとするやら。どうやら、この二人・・・(次男の3番目の結婚相手の親とその次女のようだ。)私と母親の前で、「次男との縁を切れ!次男の会社は私たちのモノだ!税金は脱税が当たり前だ!」とのこと・・・。いやはや、おどろいた!ヤクザも顔負けの威勢の良さ!人間性も社会性も無いヤツら!もう無茶苦茶な論理と会話に戦慄を覚えた(^^;「先手必勝!」ということで、私たちの周囲もだいぶ調査済みで兄弟親戚の目ぼしい家は、速攻で訪問し、相手の状況や容姿を確認済みのようだ!(それに、次男の連れ子小学生3人は住んでいた家を売られ、一気に追い出された!)もう、詐欺や恐喝に慣れて、まるで「乗っ取り屋」が仕事のようだった。この二人・・実は、農家の人間なのに、このヤクザっぷり・・(ま、その農家っていうのも、前には健全な家だったが、ご主人が不倫をして、ヤクザ女に子ができて、その子を理由に農家を乗っ取り、奥さんと娘さんは追い出された!・・ニンゲンでは無い!)その後、奥さんは自殺をし、そのご主人は「変死」でまだ若いのにこの世を去った!もちろん警察に捜査されたよ(^^;)そして、その農家の遺産は、追い出された娘さんの所に長女が行き脅して「遺産放棄」を書かせた!そう、長女というのは、「次男の嫁だ!」もう、親子二代で「乗っ取り屋」って、聞いたことないよ(ーー;なんか「小室圭親子」も顔負じゃ!小室も不審死、金銭問題、ヤクザ、公金詐欺、弁護士資格不正取得?とかいろい
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テクノロジー「世界終了前行動」

【世界の終わり】 今回オンラインゲームを使い ゲームサービスが終了する その事を人類滅亡だと仮定して 最後の日どうするのか実験しました オンラインゲームが終了すると 長時間かけて育て愛着のキャラや 大勢の人と知り合い共に過ごした 日々の時間が一瞬でなくなります。 この状態を観察すると 人類が世界滅亡する事を知り その日が来る直前までどのような 行動をするのか予想できます。 結果大多数の人達は 今ある財産をすべて使い切る為 もう何も気にせず大豪遊して 最後の時を待ちました。 逆に暴動を起こして自爆する人は 少数派にとどまる事が解かり 人の道徳が全面的に崩壊する事は 発生しなかったのです。 更にゲーム内の人々は キャラを育てたり報酬を得たり 自らの成長につながる行動は 興味を無くしていました。 しかしサービス終了する前に 自分でキャラを消す人と 最後まで残る2種類の行動が見られ 興味深い結果が出ました。 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【生き方】 ごく少数ですがサービスが終わり どうせ待ってもキャラが消えるのに わざわざ自分でキャラを消すような 面倒な作業をする人がいます。 その人たちは ゲーム内で他のキャラクターに 大迷惑な事をしまくって暴走し 暴動を起こす人たちでした。 その行動を現実に置き換えると 世界が終わるならここぞとばかりに 犯罪行為を好き放題やってその後 自殺してして終わる事です。 ゲームを自分の意志で終了した人々は 道徳心と責任感とゲームの愛着を失い それが反社会的行動になったと 研究者が分析してます。 逆に大多数の人達は 気の合う友達や懐かしい人たちと グ
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新しい人生の幕開け…42

後日、銀行から旦那に仮審査の結果の電話がきたようだった。旦那から私が仕事中に電話が来た。「仮審査…ダメだって」とひどく落胆した声だった。私は正直ホッとした。「そっか…残念だね…でもしょうがないよね」とは言ったが。まず一つ肩の荷が下りた感じがした。本当は「家を建てる」ってもっとウキウキしたり、楽しんだりして建てるものという感覚だったから…。けれど、その当時の私はとても楽しめるというような気持ちではなかった。これで家を建てることが実現してしまったら、とてもじゃないけど家計が続かないとわかっていた。その当時の旦那の給料は15~18万…。今の時代は可能かもしれないが、その当時はダメだった。そのうえに子供が3人ともなれば銀行も貸さないだろうなと。私が働いてはいるものの「連名」ではないから尚更だろう。さて、まずは一件落着というところですか…。旦那も諦めたというか諦めざる終えなかったので。そうして、そんな忙しい日々を送って数か月が過ぎた。ある日、下の娘が「ディズニーランドに行きたい」と言い出した。そういえば…私も行ったことがないな~とぼんやり考えていた。私がないということは上の子供たちも行ったことはなく…。近々私のボーナスが出る…そのボーナスの金額で行けたら連れていきたいなぁ…くらいに考えていた。それで旦那に夜子供たちが寝静まってから電話をしてみた。「もしさ、ボーナスがよかったらディズニー連れてってくれない?子供たち行きたがってたし…まぁ…いくら貰えるか次第だけど」と…。そうしたら旦那は開口一番「ボーナスがある会社でいいな」と嫌味を言われた。旦那だって最初はボーナスがある会社にはいたのだ。そ
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新しい人生の幕開け…41

少しの間は、息子も元気に学校に行ってくれていた。娘も、弟のことに関して、たまに愚痴は言うものの友達と遊んだりしているようだった。その間、「家を建てる」という話は平行線状態だった。旦那が銀行に行く時間がない、というのだ。土地ももう決まったような状態で、買う坪数は「100坪」田舎の特権なような坪数(笑)私が無知のまま、「簡単でいいから設計図」を書いてと言われて書いた家の設計図も完成していた。その次のステップにいっていないのだ。散々急かせておいて、自分はこれだ…。その銀行の「仮審査」に行けない。電話越しに、ここまでやってんなんでなの?と聞いてみた。旦那は「銀行って15時までだろ?都合よくいかないんだよ」などと言っていたが、家を買う時点での時間は取れていたのに、一番肝心な時間が取れないのは別の理由があるのだと思った。だから少しつっこんで聞いてみた。そうすると旦那は「断られたらどうしようとは思ってる」と本心がでてきた。今更?「それ、私も言ったよね、家の話の時に…。ブラックだったし、いくら一括で返したとしてもリストには載ってるって…それでも大丈夫なの?って聞いたよね」というと、旦那は沈黙した…。やっぱり直前になって困ったんだ…。怖いんだ…。きっとサラ金のこともお義父さんには言っていないから勝手にドンドン話を勧めたんだろう…。けれど自分で話を持ってきたからには自分でケジメを付けてほしい。私だってもう日々の時間がギリギリで生活している。金銭面も…。けれど、もう何も理由なくして、この話を「なし」にすることはできない。大家さんでもある不動屋さんも乗り気だからだ。どうするのか…。少し沈黙の後、旦那は
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梨園の一家心中事件をスピリチュアル的に考える

  18日に東京・目黒区の自宅で倒れ、救急搬送された歌舞伎俳優、市川猿之助さん(47)が前日に両親と一家心中について話し合ったという趣旨の説明を警察にしていたことが20日、分かった。 「死んで生まれ変わろうと家族で話し、両親が睡眠薬を飲んだ」などとも話しており、親子3人が倒れているのが発見される前日の17日に〝無理心中の決断〟を下したようだ。   19日に行われた司法解剖の結果、段四郎さんと延子さんは睡眠導入剤のような向精神薬を大量に飲んだことによる中毒死の疑いがもたれている。    以前もお話しましたが残念ながらスピリチュアル的には自殺は最悪な決断になります。  どんな人でも、この世に生を受けたということは、魂を磨く修行をするためなのです。大変な困難に遭遇したとしても、自殺して問題を解決することは出来ません。  自殺して問題を解決しようとした人の霊界のペナルティとしては、 1. 未浄化霊として相当期間この世をさまよう。 2. 次に生まれ変わるまでの期間がかなり長くなる。 3. 自殺したことが自分のカルマとして残る。 などが考えられます。   1に関しては自殺された方が唯物論者で自分の死を自覚していない場合が多いので、今回は当てはまらないかもしれませんが、注目すべきは2で、早く生まれ変わりたいと思っても、霊界のペナルティのために天寿をまっとうされた方よりも遅く生まれ変わる可能性が高いのです。   ですから、自殺は絶対やるべきではないし、やってもいいことは何もありません。    自殺したくなった場合は、信頼できる方やカウンセラーなどにご相談されることを強くお勧めいたします。 ht
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新しい人生の幕開け…40

それでも息子は毎日学校へ登校していました。何度教えてもわからない算数、何度書いても書けない漢字。それでも私は怒ったことはありません。なぜなら…。「この子には生きる術を教えるのが一番いい」と思っていたからです。なので家でのお手伝いなどを率先してやらせてあげました。どうやら「料理」が好きなようで、目玉焼きが上手くできるととても嬉しそうにしていました。それから数か月の時が経ち…。何回も療育センターに通い、それでも発覚せず…。ただ「辛い思い」をさせているのではないか、という心配の方が大きかったように思う。その頃、上の娘が「もう弟と学校に行きたくない!」と言い始めた。理由を聞くと「恥ずかしい行動をする」というのだ。大声で叫んだり、誰彼構わず声を掛けたりすると、一緒にいると恥ずかしいが、姉弟という関係も生徒にはバレているから、どうしようもない、と…。そうか…。そんなことがあったんだ…。娘も我慢してきたんだな…、私はその話を聞いて「ありがとう。そっか、そういうことがあったんだね。息子は元気すぎるからね!お姉ちゃんも心配だったでしょ。見守ってくれてありがとう。弟が悪いことしたら、ちゃんと怒っていいからね!けどね?ダメ!だけではわからないから、『なんで悪いことなのか』を教えてくれたらお母さんがありがたいな、そしてなにかあったら、ちゃんとお母さんに言ってね」と…。それでも娘は最初こそ、一緒に登校などしなかったが、それを責めることもしなかった。娘は娘の友達などの「世界」がある。それを弟とはいえ、家庭の中でのことで壊してほしくなかったし、先生たちも理解できないようなことを子供たちに理解してもらおうなど
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現世をせい一杯生きよう

少し前から小説や映画なんかでも、生き返りや生まれ変わりを扱った話をよく目にします。ご存じかどうかわかりませんが、いわゆる「なろうけい」の転生ものがその典型です。簡単に説明すると、「なろう系」とは、小説投稿サイト「小説家になろう」に投稿された作品のことをいいします。主人公は現世では普通もしくは普通以下の人間、うだつの上がらない中年だったり、引きこもり青年だったり、いじめられている中学生だったっりするんですが、彼らが異世界に転生したり、異世界に召喚されたりするわけですね。そして、転生先では主人公は強力な魔法を使えるといったトンデモない能力をもっていて(チートといいます)、無敵の大活躍します。主人公が強くなっていく成長物語や、恋愛要素がある作品もあります。これが小説から、マンガになったり、アニメ化されているわけです。それこそ本屋にいくと山ほどその系統の本がありますし、テレビアニメも半分くらいは転生ものといってもいいでしょう。私はほとんど読んでいないので正確にはいえないのですが、その中には面白いものや、優れた作品もあるようです。ただ、私はどちらかというとアイデアの貧困を感じます。特に、主人公が異世界に転生することで、自分自身を変えることができるという安易な描写がされている場合があることが気になります。なぜかというと、これに影響を受けているのかどうかは正確には分かりませんが、小学生高学年と中学生を対象としたある調査では6割が生まれ変わりを信じているとの結果が出たとのことです。それだけならいいんですが、だから死んでも構わないと考えるとすると話は別です。実際に、自殺したある中学生は遺書に生ま
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毒親・自殺問題の相談を始めました

皆様、初めましてです。「OMEGAの相談所」です。私、OMEGAは毒親環境で生まれ、外の世界でも様々な苦痛に直面し、自殺も何度も考えながら生きてきました。両親に限らず、外の世界の大人達にも過干渉に育てられました…。過干渉なので、もちろん精神的・心理的虐待を受けてきたという事です…。ここ半年過ぎぐらい、自分のこれまでの人生や世の中を濃く見つめ直してきました。今も色々考え続けてます。この社会は世間が言ってる以上に闇だらけ…。簡単に言いがちな言葉は実は言葉以上に重いものも多数…。そう思えてきたのです。例えば、「もう大人なんだから!」と説教する人間は世の中に多く居るイメージがあると思いますが、説教する人ほどどうなのでしょうか?本当に大人になり切れてるのでしょうか?そういう人ほど、幼さが目立つ気がします。実際問題、”本当の大人”なんて分かる人は世の中に居ないと思います。だから、”自分にとっての大人”を生きれば良いと思います。もちろん、その”大人”を人に押し付けるのはアウトです。もっと簡単な例を挙げると、これは人によっては気にしない、もしくは感謝が芽生える人もいらっしゃると思いますが、「頑張れ!」という言葉、どう思いますか?言ってる側は励ましたり応援しているつもりで言っているのかもしれませんが、返って負担になりませんか?特に鬱状態になってる時に言われると余計に辛い言葉に聞こえる方も多いかと思われます。私は人にも「無理しないでね」「無理のない程度」という言い方をしますし、自分も言われる時はそういう言い方をしてほしいと思っています。無論「無理しないでね」も辛い言葉に聞こえてしまう人も居ます…。
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【閲覧注意】壮絶ないじめに遭ったのに死ななかった理由

ネガティブな内容になるので苦手な方は読まないでください。プロフィールにも書きましたが、壮絶ないじめに高校時代に遭いました。でも、よくよく考えていたら、結構幼少期は(幼稚園~小学校低学年頃かな)結構気が強くて、攻撃性も強かったので私もそれなりのことはしていたかもしれません。とは言っても、トラウマになるようなことはしたかもしれないけれど、死に追いやるまでのことはしていない気がしますが・・・。高校時代のいじめは本当に、精神的な面での暴力に遭いましたし、人の陰湿さと攻撃性のを感じるようないじめでした。集団的ないじめにほぼ近いかなと思います。なんていうか、不良グループや性格の悪いクラスで目立つタイプのギャルにターゲットにされていましたね。当時の自分を振り返ると自分の考え方や在り方も健全ではなかったと今では思うのですが、それがあったにしろ結構ひどい目に遭ったのではないかと思います。そのいじめから、数年たった時にいじめの主犯格(クラスで目立つタイプのギャル)に仕事先でバッタリ遭遇したのですが、気まずそうにしていました(笑)私に対して申し訳ないというよりは、あんなことをして気まずいって感じでしたね。(たぶん自分大好きな人なので私に対して申し訳ないという気持ちはないと思います笑)そんな性格を見抜いているから、(色々噂なども聞いていて)そんなにいい人ぶらなくてもいいのになあと思ってみていました(笑)どんなことをされたのかについては沢山毎日嫌なことをされてきたので具体例は挙げにくいです。きりがないので機会がありましたら後日されたことについて書きたいと思います。話は戻して、どうして自殺しなかったかにつ
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カウンセラーを始めたきっかけ

私の生い立ちは、みなさん、読んでいただけだでしょうか?まだだよって方は、ぜひ、ご一読を♡今日は、カウンセラーになったきっかけを話したいと思います私は、大学を出てから、障害者施設でずーっと働いていましたかれこれ、12,3年◎カウンセラーになりたいなぁって思ったのは、漠然と結婚しているころただ、それは、私もいつかそんな風になったらいいなぁって本当に夢物語というかもしも、制限なくってノートに書きだしたものです◎私は、どんなカウンセリングできるんだろうか?得意分野は何かな?苦手なことはなんだろう?どんなクライアントさんがきてどんなやり取りしているかな?メニュー表はこんなでその時、娘ちゃんとどんな生活しているかな?ってただただ、夢のようなことを書き記していました。そして、その存在は、ほぼ忘れていたの(笑)離婚したのは2020年この年、コロナ禍となりましたよねその年から立て続けに3件の自〇が起こったんですもう、ショックだった身近な人だったから、ただ、このことがあったからはっと思い出したんだよね私自身こそ生きづらくて生きてるって何だろう?ってただ、ただ、怯える毎日そこから救い出してくれた心理学この知識が私には、あったのに生きづらいなって悩んでたのって私だけじゃなくってすっごく身近にいたんだなってなのに、何にもできなかったなのに、そんなこと全然知らなかったこの知識や感情との付き合い方、意識の付き合い方伝えていたらどうなっていただろう?もしかしたら、自〇なんてしなくてよかったのかもしれないなんて考えてしまったの夢物語でカウンセラーなんてノートに書いてたのにってそして、2022年長年勤めた職場を娘
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新しい人生の幕開け…39

私は、日々が「秒」のように過ぎていった。夜寝る頃には「次の日の朝」をどう早く、的確に、完璧にこなすか…、ということを考えながら眠りについた。もちろん、子供との「会話」もちゃんと聞いてあげたい。そのための時間も必要。私にご飯など食べる時間すらなかった。ご飯を食べるのは、仕事の合間の15時あたり。一日、その一食だけになった。仕事の間に、息子の病院や、PTA、そして仕事に必要な試験の勉強。息子が学校に入学して初めての夏休みの時の話。夏休みは二人とも「学童」に預けていた。そのためお弁当も作らなければならなかった。学童にもお金がかかるが、二人がもう少し大きくなるまでの辛抱だ、と思い入れていた。もちろん私が仕事中、事故などの心配もあったからだ。なんせ旦那の両親はアテにならない。そして、夏休みが過ぎた。一年生の「夏休み」と言えば、みなさんも記憶があるだろうか、「花や野菜を育てるための鉢植え」を持ち帰って毎日観察する、または収穫する、というものだ。息子は夏休みが終わり、そのプランターを持って行かなければならなかったのを何日も忘れていたようで、先生から連絡帳に「お母さんが持ってきてください」と書かれていた。私は息子にも登校時に伝えたが、気づいたら…また忘れている…。これは、私が持って行かなければ…と思い車にプランターを入れ、下の子を保育園に預け、とりあえずは仕事に向かった。朝礼を終えて、学校の休み時間に合わせていこうと思ったが、今度は自分のアポイントの時間と重なることがわかり…。これはどうしようもない、と私は学校に向かった。本当はプランターは一年生のクラスの隣の庭?のようなところにみんなの分が置
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日常への色付け ~幸も不幸も自分次第~

雨が降る。風が吹く。花が咲く。どれも自然現象で、それ以上もそれ以下もない。花鳥風月、意味を与えるのは人間であって、その人間の心情によって意味づけは変わってきます。この地球上、宇宙の中で起こることはすべて自然現象です。私たち人間の社会活動すら自然現象と言っても過言ではないと思います。つまり、何事も、それ以上でもそれ以下でもない。意味を与えるのは人間であって、更に言うと、私自身がその事象に意味を与えている。そして、また、どの自然現象に目を向けるかも自分自身に委ねられています。日常は自然現象の連続です。しかも、無数の。その日常のどこに目を向けてどのような意味づけをするか、それは私自身に委ねられています。ひょっとすると感情すら自然現象の一部であって、それ以上もそれ以下もないものかもしれません。さあ、自分だけのこの日常。人生。どのように色付けをしていきましょうか。********* お悩み相談がありましたら、お気軽にお電話ください。 私、ぴよが提供するサービスは目的に応じて3パターンあります。 あなたの豊かな未来のお役立ちをさせていただきます。 ➀重くなった心をちょっとだけ軽くしたい方 ➁自己実現や理想の未来を手に入れたいと願う方  ③お仕事(営業)や対人関係の向上を目指したい方
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新しい人生の幕開け…38

日常でも、様々な変化もあり、その中でも息子の「障害」のことは、まだはっきりしない診察と診断だった。前に検査したときもまだ「保育園ですからね」などと言われ…はぐらかされてきたように思うが、まだその頃では「発達障害」というものに先生たちすら「知識」がなかったのだと思う。その年の春、息子は1年生になった。保育園の先生からは最後まで「息子君は普通の男の子です!」と言われた…。けれど、私は納得がいかなかった。それは「障がい者」にしたい、ということではなく、やはりどこか「違う」ということが明確ではないが、本に書いてあった行動と思考が同じだったのだ。これは「男の子だから」などで済まされない。なんとも言い難い…説明がしずらかった。入学式にも旦那は出席はしなかった。入学式の準備も私一人で行った。旦那の両親からも「お祝い」などは貰ってもいないしお祝いの言葉すらなかった。上の娘の時の運動会なども旦那は出席はしなかったが、Rさん家族が一緒にいてくれたから少しは気持ちはラクになった。Rさん家族は、その頃「離婚」をしてRさん子供が学区が同じになったのを機に、イベント事には協力してくれた。もちろん旦那の両親などは来ない。私が住んでいる地域は春に運動会をする。なので入学したら初めてのイベントが運動会となる。息子が入学するまでは運動会さえ、娘と私の「二人ばっち」だった。ごめんね…と、つい言ってしまったことがある。けれど娘は「お母さんと一緒だから大丈夫!」と言ってくれた。本当はみんなが羨ましいだろうに…。他の親たちは一生懸命、自分の子供たちの運動会を「ビデオ」に撮っていたが、ウチにはそんな贅沢品はなかった。携帯す
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新しい人生の幕開け…37

もう、この仕事でずっと頑張ろう!そう思って入社を考えた。子供たちのPTA、運動会、色々な行事や病気などに柔軟に対応してくれるし、なおかつ、学歴などその頃はあまり重要視していなかったようだった。一時預かりの手続きも終わり、保険屋さん入社説明会のようなものに行ったりで、久しぶりに「忙しい」毎日がきた。仕事をこんなにしていない時期もなかなかなかったが、仕事をしない時期というのは、逆に忙しかったりもする。私はその頃になると、一日置きに床掃除、トレイ掃除、草むしり、障子の張替えなどをしていたため、「自分の時間」というものが全くといっていいいほどなかった。突然帰ってくる旦那のお弁当作りや、買い物。一日のルーティーンとしてはとてもハードだった。そして、その上「ワンオペ」である。それでももしかしたら、その時が一番「幸せ」だったのかもしれない。私は、前に使っていたスーツがあったから、それをそのまま使うことにした。なるべくお金は掛けれないし、掛けたくない。しかも「一時保育」には9時から15時までで、約3千円くらい…。そして、保険屋から日払いで頂くお金が3千円…。全くプラスにはならなかったが、マイナスにならないだけいいとしなければ…。保育園の先生たちも、仕事が決まって入園まで少しだからと、頑張ってくれている。1か月くらいで入園が決まり、その頃には私も無事試験に合格して、入社となっていた。その頃の朝のルーティーン5:30 起床(洗顔、歯磨き)5:45 掃除(リビング・トイレ・廊下)洗濯を回す     床ふき・玄関・前日の茶碗の片付けなど6:00 子供たち起床(着替え・洗顔をさせる・下の子の着替え)6:
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新しい人生の幕開け…36

「学歴」…。私は行きたくなくて行かなかったわけではない。けれど、それは相手の会社には全く関係のないこと。それに同情してほしいとも思わなかったが、こんなにも「学歴」に関して言われることがなかった。私の中で「学歴」はコンプレックスになっていった…。何もできない資格もない…。当然、仕事をしないと「保育園」に入園できない、という負のループだった。息子は「育児」という名目で通園できているが、それも1年くらいしたらもう通じないだろう…。息子だけの問題ではない。働かないと生活ができない…。どうしよう…。そうして、下の子が1歳になろうとした時、前職の保険屋さんが訪問にきた。「どうしてる~」と。その時の私には輝いて見えた…。生き生き仕事してるな~と…。玄関先で世間話を少ししていた。その元上司は「そういえば仕事なにしてるんだっけ」と言ってきた。私は、ことの経緯を説明して、今仕事がない状況なことと、やっぱり子供が保育園に入れられないことなど、色々話した。そうすると…「あら!じゃあ丁度よかった!ウチにまたおいでよ」といってくれたのだ!!私には願ってもいない話だった。出戻りになるし、ちょっと行きづらいな、とも思ったが、そんな悠長なことは言っていられない。「え!?いいんですか?」と口から出てしまった。と、なぜかトントン拍子に仕事が決まってしまった。私は嬉しくなった。よし!またこれで頑張れる!しかも子供がいても、気にしないで子供のために時間も作れるし、土日休みだし!!学歴も関係ないならもってこいだ!私は早速旦那に連絡をして、報告した。そうすると旦那は「また保険屋やるの?仕事、そんなに焦らなくてもいいんじゃな
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新しい人生の幕開け…35

妊娠してからはもちろん、「うつ病」の薬は飲んでいない。そもそも「通院」すらまともにしていない。もちろん、「自分がうつ病になるわけがない」とも思っていたけど、だれも親身にはなってはくれなかったし、そこまでまだ「うつ病」が認知されていなかった。日々過ごしていると「病院に行く」というのは子供主体になってしまい、自分はギリギリまで「病院」というところにはいかなかった。旦那が帰ってきて、名前を決めよう、という話になった。もう時間がない。色んな案が出たが、女の子なのに?という感じの名前になった…。私はあまり賛成ではなかったが、何時間も話しても埒が明かなかった…。お互い離れていても子供の名前の漢字や画数や意味などは考えていると思っていた。けれど旦那は「もうこれでいいんじゃない?」なんてことを言い出す始末。「名前は一生ものなんだよ!」と言っても…「俺の名前も適当だった」だの「爺さんが付けた」だの全くお門違いな答えしか返ってこなかった。夕方までには出さないと、明日にはまた旦那が仕事にいってしまう…。私が出してもいいけど、出生届けくらいは旦那に出してほしかった。出産したことがある人ならわかるかもしれないが、出産したからといって自動的になんでも手続きができるわけではない。健康保険の加入の手続きやたくさんの書類などがあった。今はどうかはわからないが…。そして、出産一時金…。これが問題となった。これは、もちろん私は旦那の扶養になっていたから旦那の社会保険から支給されることになる。その当時の金額は35万円くらいだったと思う。そのお金を…「少し貸してほしい」と言い出したのだ。はい??また始まった。このパター
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新しい人生の幕開け…34

そういえば、あの後、お義母さんたちは本当に「歩いて」家に帰ったんだろうか。ふと思い出して、旦那に電話した。旦那はすぐ出た。まだトラックを走らせているようだった。「おう!どうした?」という相変わらずの応答だったが、事情を説明した。そしたら「なんだってな…。役に立たない奴らだな…。俺になんにも連絡きてないから、どうせ親父に迎えに来てもらったんだろ、どこかで」という返事だった。「悪いけど、私もそれどころじゃなかったし、止めけどどうにもならなかったし…。あとであなたから連絡してみて。なにかあったら大変だし。」と。「わかった」と言ってくれたが…「それと…赤ちゃんの名前、もうそろそろ決めなきゃいけないんだけど…いつ帰ってくる?」と聞くと「おう!そうだな!明日帰る予定だ!その時決めて、市役所に出しに行かなきゃだろ?」というので「うん、そうだよ。子供たちも名前ないと呼びにくいし、この子もかわいそうだよ」と…。そうすると旦那は「俺も考えてはいるから帰ったら二人で決めよう」ということになった。今までどの子も「私が付けた」とか「二人で話し合って決めた名前」という子がいない。裁判で取られた息子も元旦那の親と義姉さん。娘もそう…。手元にいる息子は、憎いあの母親。そう、勝手に名前を決められて出生届を出された。私の入院中に…。だから、せめて「二人」で決めたかった。全部自分の思い通りにとは言わない。二人で…。そして、ようやく寝ることにした。3人で寝ていると子供の成長がすごくわかる。体が大きくなったな…寝相が悪くなったな(笑)…そうしていると、赤ちゃんがミルクの時間で泣き始めた。最初は子供たち起きるかな?と心配
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新しい人生の幕開け…33

まずは赤ちゃんが寝ていてくれている間、そして子供たちが帰ってくる前に家の掃除からだった。…産後はゆっくりしたかった…。そういう約束だったよね…。自分の気持ちがぐちゃぐちゃだった。けれど協力してくれる人が一人でもいてくれて心強かった。二人で掃除をするとすぐに片付いた。やれやれ…。私はRさんにお礼をいい、コーヒーを入れた。Rさんは、旦那の両親に対する文句は止まらなかった。それはそうだ。それは私も同感だったけど、赤ちゃんにも、子供にも罪はない。そう、全部私が悪いのだ。Rさんとは色んな話をしていたけど「お前、退院してすぐなんだから少し寝ろ、学校は帰ってくるだろうけど保育園は私が行くから!保育園に電話しておいて!まだ時間あるけど、軽くご飯も作っていくから、少し寝な!」と言ってくれた。私は申し訳なさ過ぎて、寝れるわけもないが、少し横になった。そうしているうちに赤ちゃんが起きた。ミルクを作ったり、オムツを変えたりしたがなかなか寝てくれない…。けれど赤ちゃんの顔を見ると本当に癒される。この頃、まだ名前は決まっていなかった。普通は入院している間や、産まれる前に夫婦で決めたりするものだろうけど、なにせ、旦那もいない。電話やなにかで決められるようなものではない。旦那は明日帰ってくるとのことだった。本当に、私は旦那に愛されているのだろうか…。愛されているつもりになったんだろうかそれとも勘違いなのかそもそも「愛されるってどういうことなんだろう」以前からも感じていたことが、またふと頭をよぎる。けれど、子連れの私と結婚するなんて愛情がないとできないよね…同情だけで結婚とはならないよね…。私は必死に考えた。そ
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新しい人生の幕開け…32

一人病室にいると、旦那が看護師さんと一緒に入ってきた。「おう!やっと帰ってきたぞ!」と呑気な言葉と共に入ってきた。イラっとした。それでも病院では怒るわけにもいかず…。一人で悶々としていた。そして、お義母さんたちのことを言うと、「それは大丈夫だから!」と言い放つ…。「そういってこの間だって帰ろうとしたじゃん」というと「ちゃんと言って聞かせたから!」と…。もう言い合いにもなりなくなくて、私からはもう何も言わなかったが、旦那が帰ってきたならもう子供たちも大丈夫かな、とも思った。そして、3日目。旦那に電話すると…なんと!仕事に行っている!「え?入院している間は子供たち見てくれるんじゃなかったの?」というと「いつまでも休めないよ…」と…それはそうだけど…自分の親がどれだけのことをしたかわからないのか…まだ小さい子供にご飯も食べされられないのに…。そうしてまた、毎日子供たちに電話をした。ちゃんと学校に行けたか、保育園に行けたか、迎えはきたか、ご飯は食べれているか、お風呂は入ったか…。学校でなにがあったか、保育園でどんなことをしたか…。そんな電話の途中でさえ、お義母さんが「毎日電話うるさい!」などと聞こえてくる…。腸が煮えくりそうなのを必死で我慢した。子供たちには「もうすぐで赤ちゃんと一緒に帰るからね!」と言って安心させることしかできなかった。Rさんはたまに病院に来てくれた。赤ちゃんと私と話をしに…。Rさんは「あの親じゃだめだな…、私が子供たちを見ようと思ったけど、『あんた誰』って言われたし」と…。なんてことを言うんだろう。本当に「非常識」。そんな感じでとうとう「退院」の日がやってきた!私は
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新しい人生の幕開け…31

夕方になり、Rさんが息子を保育園まで迎えにいってくれた。Rさんがいなかったらどうなっていただろう…。本当に感謝と申し訳なさしかなかった。最初は反対していたRさんだけど、いざとなるとこうやって協力してくれる…。けれど甘えてばかりはいられない。5日間、どうすればいいのか…。それだけが心配だった。Rさんには「今旦那の親がこっちに向かっているらしいから」ということは伝えたが、病院にくる気配はなかった。そして、18時頃になりRさんに電話をしてみた。そうすると「家に旦那の親がいたから子供たちそのまま置いてきたよ、けど大丈夫かな」と心配の様子だった。明日になれば旦那も帰ってくるだろうし…。と思ったが…。私は家に電話を掛けてみることにした、そうすると娘がでた「おばあちゃんたち来てる?大丈夫?」と聞いたら「来てるよ!けど私たちなに食べるかわかんないってゆってまだなにもご飯食べてない、お腹空いた~」と…。なんだって??どういうことだ?どうする気でいるんだ?もうパニックだった。娘には「もうちょっとでお母さん退院するから待っててね、ご飯はあると思うから、卵掛けご飯でいいから食べてね!弟にもあげてね!」といい、切りたくない電話を一度切った。旦那に今度は電話をした。「どうなってんの?子供らお腹空かせてるけどなんにもご飯作れないって…、私は5日間退院できないし、どうするつもりでいるの?」と本当に腸が煮えくりかえるような思いで旦那に言った。「ごめん~だってしょうがないだろ!俺だって仕事だし、頼める人いないんだから!」と…。それを言われれば私は何も言えない。自分にまともな親がいたら、こんなことにはなっていないだ
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新しい人生の幕開け…30

いよいよ「出産」も間近になってきた。退院してからの準備もできた!いつでも「入院できる」準備は整った!あとは待つだけ…。予定日はまだだったが、少し落ち着きたかった。が、なんだか腰?お腹が張っている…少し休もう…。そう思って私は座った。少し休んでいるとちょっと治まった。良かった…そんな時間を過ごしていると、Rさんが突然やってきた。珍しい、突然くるなんて。家にあがってもらい、少し話をしていた。「もう産まれてもいい時期だよね~」なんて話ていた。そうするとまたお腹が張ってきた!「痛い…」というと、Rさんは「それって陣痛じゃないの?」と言った。予定日よりはちょっと早い…しかもその日に限ってお腹の痛みが頻繁にきていた。病院に電話したら?というので電話してみたら「いつ産まれてもいい時期だから心配だったら病院にきてください」とのことだった。私はすぐ旦那に電話をした。「ちょっと早いけどいよいよかもしれない、もしかしてこのまま入院なったら子供たちのことお願いします」と…旦那は「わかった!俺もこれから会社に電話したり親父に電話したりするから気を付けていってこいよ」というので「車はRさんにお願いする、たまた居てくれたから」というと「わかった」とだけ言って電話が切れた。Rさんにお願いの一言もないのか…。ちょっとがっかりしたが、今はそれどころではなかった。定期的に痛みがくるようになった。時間を測ると「10分置き」…。上の子供たちも案外安産だったのもあって少し早いかもしれない、Rさんに伝えると「病院に行こう」と言ってくれた。まだ子供たちが帰ってくる時間ではなかったが、後のことは旦那に任せよう…そう思った。そん
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新しい人生の幕開け…29

療育センターに着いた。色々日頃の生活などを聞かれたりして、その日は終わった。次の診察の日に「診断テスト」というものをするらしい。息子は終始、何事もなく居たためあまり先生からハッキリとわかるようなことはなかったからかもしれないが「男の子は女の子より発育が遅いですからね」などと言われてしまった…。お子さんをお持ちの方なら一度は経験があると思うが、家では熱を出してグッタリしていたのに「病院に着くと元気になる」、あの現象ですね。片道1時間もかけて診察にきたのに診察はたった5分くらいだった。子供には丁寧かと思っていたが…。やっと家に帰ってきたころにはもう夕飯の時間だった。その頃旦那はまた「無職」になっていたが、さすがにこの数か月でいろんな体験をしたのだと思う。高校卒業してから、少し地元の会社にいたようだが、「大型免許」を取ってからずっと「長距離運転手」だったらしいので、今まで見下していた仕事にも何も言わなくなった。だからといって「家事」などができる人ではないため、ひたすらハローワーク通いをしていた。そんなある日、「やっぱり俺、長距離に戻るわ、悪いけど」と言った。まぁ…いろんな経験もしたし、これから子供が産まれるしな…。私も仕事できないし…。と思って「うん、わかったよ」と言った。そして私が続けて「この子が産まれるときには立ち会えるように会社に話してちょうだいね、それだけ」と言った。私は、もう旦那もいるのにお産の時「一人でいる」というのがとても怖いというか寂しかった…だからそれだけはしてほしかった。旦那は「それはする!出産が近くなったら地元周りさせてもらうようにする」と言ってくれた。本当にそ
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新しい人生の幕開け…28

ドタバタだった引っ越しも終わり、前の不動産屋とも前のように揉めることもなく終わった。子供たちは新しい家の近くに早々に友達を見つけたらしい。その間、息子の検診があった。確か5歳児検診だったと思う。子供たちには日頃から「本の読み聞かせ」はしていた。娘は黙って聞きながら眠りにつくが、息子は、例えば昔話のお決まりの「昔、昔あるところに…」と始まりますよね。そうすると「昔っていつも昔??!あるところってどこ??」など質問攻めに合うこと多々ありました(笑)けれどそれは、「興味」の一つだと思っていたからそんなに深く考えたことはなかった。検診の時、保健婦さんと息子と私とで話や色々なことをしていると、保健婦さんが「息子君、この色な~に?」と問いかけた。そうすると息子は「あお!」…明らかに「赤」だった。そして次の質問「この色は?」「きいろ!」…「青」だった。テーマは変わって男の子なら興味があるであろう「車」のことについて聞き始めた「これは?」と指を指す保健婦…「パトカー!」…救急車だ…。あれ?こんなに私教えてこなかったっけ…。と疑問を抱いた。子供むけの本も毎月買っていた。そこには救急車やパトカーなど散々書いていたし見せていたけど…確かに興味がなかったかもしれない…。保健婦さんは…少し考えた様子で「お母さん…息子さん…もしかしたら『発達障害』かもしれません…。専門医に一度診察してもらったほうがいいかもしれません」と言われた。初めて聞く言葉だった。「私は、そうですか…、どこにいけばいいですか?」と聞いた。「秋田市にいかないといけませんが、予約がないと受診できないのでコチラで予約とっても大丈夫ですか」と
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私が死ねなかった理由②

前回の続きになります。多少、閲覧注意というか・・今、死にたいほど苦しんでいる方は見ない方がいいかもしれない・・というか。いや、見た方がいいのか?とりあえず、自己責任でお願いします。あくまで、この話は私が体験したというか、思っただけの話なので・・まぁ、こんな人もいるんだな程度で(^^;)今回のお話は、かなりスピリチュアルよりです。沖縄で育った私は、周りに視える・分かるという方がいるというのが当たり前でした。そんな私も、チラホラ視たり・聞こえたり、なんかがあったりしてたんですけど・・それが、どんな人とかは分からないんですよ(^^;)強いて言えば、男か女か子供か?が分かるくらいです。そんな環境の中で育つと、霊というものがどんなものなのか、という事も聞かされる?聞く?事がよくあるんですね。私が「死にたい」と思った時に必ず思い出す話があるんです。子供の頃から聞いていて知っていた話なのに忘れているんですよ、その時まで・・その話というのが・・「自殺した人のその後」なんですよね。皆さん、自殺した方ってその後どうなっているか想像できますか?私が聞かされてきた話というのは・・「自殺をした時の心情のまま留まる」なんですよ。皆さん、視え方が違うので様々な表現方法なのですが、言っている意味は同じだと感じました。自殺をした時の心情ってどんな感じだと思います。私が「死にたい」と思った時は「辛い」「苦しい」「もう無理」「逃げたい」「憎い」というような感情が渦巻いていたんですよね。という事は、その感情のまま「そこに留まる」って事になるんですよ。その感情から逃れるために、死んだはずなのにですよ。そして、この話には
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私が死ねなかった理由

今までの人生の中で2回程、本気で「死にたいな」と思った事があるんですよ。私のプロフィールを見てもらうと分かると思うんですけど、結構色々な目に遭っているのですが、あれは本当に一部で・・公に書ける事だけしか書いていなくて(^^;)それで、ある方が「死ぬ勇気が無くて死ねなかった」「ただ生きているだけの人生を選んだ」と思っている方がいたのですが、どう思います?私は、「自殺」した方って「別に勇気があったから自殺した」とは思っていないんですよ。というより、「希望を持って死んだ」ように思えるんですよね。最後の救いというか、救われる為に死ぬみたいな。だからね、どんな意図があろうとも「生きる」を選択している時点で私は凄い「勇気」があると思うんですよ。というより今、生きているだけで選択している事になっている。だって、「生きる」って大変じゃないですか?絶対に困難があるって分かっているわけですから・・それを、選択するわけですからね。だからといって、「自殺」した方が「勇気」の無かった人とも思っていなくて、それだけ辛い目にあっていた事だと思うんですよね。「辛い」という気持ちと「勇気」は別物っていうか・・選択の話になった時に「勇気」を選ぶか「救い」を選ぶかの話しなだけで、どっちが悪いとかは無いとも思うんです。だって、救われたっていいじゃないですか。でも、「自殺」したら救われるか?というと違うんですけど、その話は今度にしようと思います。じゃあ、私がなぜ死ねなかったか・・「死にたい」と思うと、必ず2つの事が頭を過るんですよ。今日は、その1つを書いてみようと思います。目の前に「死ぬ」か「生きる」の選択肢があった時
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ある自殺志願者とのチャットカウンセリング

昨日、チャットカウンセリングに、Aさん(仮名)というある自殺志願者の男性の方からご相談を受けました。以下、その内容を一部割愛して、御紹介させていただきます。何か感じること、学ばれることがあれば幸いです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーAさん:私は精神障害者1級(うつ病・適応障害・自閉症スペクトラム障害)です。19歳の時に職場と信仰のギャップのストレスでうつ病を発症し、依頼、精神科に通院し、一昨年、精神障害者1級の認定を受けました。現在は無職で、障害年金で生計を立てています。私には予てから夢があり、それを叶えるために3年前、上京しました。しかし、コロナ禍の影響でそれが実現不可能になり、そのストレスと絶望感で希望を見失い、将来を悲観するようになり、精神症状は悪化し、重複受診を繰り返し、ODで薬物依存症になり、依存症専門の精神病院に入院しました。半年間の入院生活を経て、退院後、1年半かけて薬物依存症からは回復し、今のところスリップはしていません。しかし、障害等級が1級になり、就労困難になり(これまで15回も転職していて、適応障害の為、どこに勤めても長続きしません)、予てからの夢も諦めざるを得なくなり、このまま障害者として不毛な人生を送って、何の生きた証も残さず、自己実現の欲求の追及もできず、精神障害者という汚名を残し死んでいくのだと思うと、生きていくこと自体が非常に辛くなり、何か違う生き甲斐を探そうと試行錯誤しましたが、どうすることもできず、私自身が存在していることに違和感を感じ、この世から消えてしまいたい。死にたいという欲求が日に日に強くなって
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新しい人生の幕開け…27

私のパート先の方が先に撤退するということで、撤退する作業が行われた。そこではもう使わない食器などを持って帰っていい、とのことだったので、使えそうなものをもらって帰ってきたりしていた。最後には本社の人たちも来て、昼間の短時間ではあったが「お疲れ様会」が行われた。撤退作業はたった1日で終わった。人数が結構いたので、すぐ終わったのだ。高校生のバイトの子たちも…パートの人たちも、最後には笑顔で迎えられた。みんなに私のお腹を気遣ってもらったり優しい人たちだった。けれど、そのフードコートの中でもたくさんのトラブルはあった。お金が盗まれた、勝手に店のものを食べた…など。犯人はわかった時もあったが最後までわからなかったこともある。けれど、印象的な件を一つ。パート・アルバイトの募集は随時ハローワークに出していたらしく、時々「面接」の電話はきていた。その中で「はい、○○です!」と電話を出ると、声と話し方だけでも、結構なお年寄りの声がした。「お宅さんで、アルバイトの募集をしているときいたので…」と女性。「はい、募集しております!面接のご希望ですか?」と聞くと「はい…だと思います」と…。思います??おかしいな…と思いながら「○○様が面接のご希望でしょうか」と聞くと「あたしゃもう年よりだから、息子に働いてもらいたいと思って」というのだ。え??親が、というよりもう成人しているであろう息子の面接を親がする、という行為に驚いた。「すみません…アルバイトされる息子さんからもう一度お電話いただけるようお伝えください…」と返した。本人ではないのに「面接の予定」は入れられないのだ。高校生でも「自分」で面接の電話は自分
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新しい人生の幕開け…25

引っ越しできる「貸家」があったようだ。色々考えてはみたが、物件が他にないのでまずは見てみることにした。数日後、引っ越し先の物件を「内覧」することにした。子供たちを学校や保育園に送った後、旦那が電話をしていた。その相手はこれから行く物件の方の不動産屋さんだった。時間は今すぐどうぞ、とのことだったので、すぐ二人で向かった。その家はすぐ着いた。今の家から車で5分ほど。着くと玄関で不動産屋さんらしい人が立っていた。とても人の良さそうな感じがした。建物の外観は…今の家と比べると、それはやっぱり古く見えた。そして軽く挨拶をして中を見せてもらうことになった。玄関は広いな…すぐ右はお座敷か…真っすぐがリビング!!すごい広い!!換気扇もリフォームされてる!窓も大きくていいな!続き間があるのね。便利そう。そして二階や色んな所をみて最後に「お風呂とトイレ」だった。不動産屋さんも申し訳なさそうに「工事したいんですけどね…ここは住宅街で簡単にできないんですよ…」などと言っていた。最初から水洗は可能らしいが、その工事も住宅が密集していると簡単ではないらしい。お風呂はよくアパートなどで使われているタイプの「手動」のガスの「追い炊き機能」そして、洗い場は「石畳」だった。お風呂のドアは「木」でできていた。昭和の木の枠に擦りガラス。その向かいにトイレがあるから擦りガラス越しに誰が入っているのかがわかる。そして旦那と不動産屋さんはとても仲良く話をしているが…パッと私の顔を見ると「キッチンや水場は奥さんのお城ですからね」などと不動産屋さんは話しかけてきた。そうよ、旦那なんかほとんど家事しないし朝晩だけいる人じゃん…と
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新しい人生の幕開け…24

この家をどうしようか…選択肢はほぼない。引っ越すしかないのだ。不動産屋とも揉めているし、これからの家のことも考えると、この先は考えられない。そう話し合った。けれど私は「妊婦」だ。一人で荷物をどうのこうのすることには限界がある。かといって、どこに引っ越すのかもまだ決まっていない。娘が小学校に入学しているのもあって、学区を変えたくはなかった。それは、旦那にも伝えて同意してくれた。それから数日、家探しをしていた。けれどそうそう学区内にある「貸家」はなかった。アパートは子供がまだ小さいせいもあって近隣の人に迷惑をかけると思ってアパートは除外。貸家に絞っていた。子供は伸び伸び育てたい。それはやっぱり児童相談所で育ててしまった自分に責任があると思っている。保育園や学校でも子供なりにストレスを感じて過ごしてると思えば、家では「自分」をちゃんと出してほしかった。少しくらいうるさくても怒られない空間に居てほしかった。子供でも「我慢をしている」私は痛いほど知っている。「していい我慢と」「しなくてもいい我慢」子供の時しかできないことをたくさんさせてあげたい。私自身、父親に「強制的に習い事」をさせられたこと母親に「理不尽や暴力を振るわれたこと」これは、子供であっても「我慢しなくていい」し、誰かに助けてほしかった。けれど誰にも言えなかった。金銭的な贅沢はさせてあげれないけど、それでもできる限りのことはしてあげたい。私は父が亡くなってから「自分の居場所は自分で作る」ずっとそう思ってきた。なんだかんだ考えて毎日が過ぎた。本当に時間や色んなものが足りなかったと思う。そんなある日。パート先に行くと、Rさんたちが
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あるテレビドラマと一家心中について

今週から「Get Ready!」(TBS)というドラマが始まったのですが、皆さんはご覧になりましたか。なんでも「多額の報酬と引き換えに、手段を選ばず患者の命を救う正体不明の闇医者チームを描いた医療エンターテインメント」だそうです。このうたい文句を聞くと、ある程度の年齢の方は、「ブラックジャック」を思い出すと思います。制作側は完全オリジナルといっていますが、明らかに影響を受けていましたね。だいたい、主役のビジュアルからして似ていました。ということで、私は医療系の話が大好きですし、「ブラックジャック」も高く評価していますから、観てみることにしました。それで感想をまず書いておくと、がっかりの一言です。完全オリジナルなので、原作はないのですが、なんというか、漫画みたいなストーリーなんですね。法外な報酬と引き換えに違法なオペを請け負う闇医者チームとのことですが、このエピソードでは、なんと800億円もふっかけます。800億円ですよ、800億円。脚本家と演出家の正気を疑います。いくら作り話でも限度というものがあるでしょう。しかも、主人公は患者が強引なM&Aで財を成したからとオペを拒否します。いって悪いですが、この主人公は神様気取りで、自分は他人の生死を左右する資格があると思っているわけです。傲慢としかいいようがありません。まあ、お話ですから、報酬がいくら高くても、主人公が患者に生きる資格があるかを決めてもいいでしょう。考えてみれば、仕置き人の裏返しみたいなものですからね。嫌なら観なければいいだけです(私は観るのは止めます)。ただ、どうしても気になったことがあります。患者である超大富豪
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新しい人生の幕開け…23

卒園式の日は、旦那は出席しなかった。なぜなのか…。それはわからない。仕事でもそういう「式」には参加してほしかった。周りは旦那どころか「祖父母」まで参加していた。また襲ってくる「孤独感」せっかく再婚したのに…。私と一緒にいることが「恥ずかしい」のだろうか子供といることが恥ずかしいのだろうか…。なんだろう。今までの保育園の行事にも参加することはなかった、「運動会」や「夕涼み会」など…。私はいつも「一人」で参加していた。もちろん自分の子供だから苦痛ではないし、成長を見れるのは嬉しい行事。なんだかいつも「シングルマザー」の気持ちでいた。それでもいい、「自分で決めたんだ、この結婚も妊娠も…」そうやって自分に言い聞かせて…。卒園式が終わり家に帰り、息子はそのまま保育園に預けて娘と二人で過ごした。もうすぐ小学校の入学式に向けての準備だ!卒園式から入学式って結構短いですよね💦前から準備は少しずつしていた。自分と同じようにならないように、巾着袋はキャラクターにしたり、なるべく「みんなと同じ」を意識した。入学式の服もその当時は高かったし、もちろんお下がりもない。ランドセルはまだ安いのがあったから1万円くらいのを購入していた。けれど、みんなは結構高いランドセルに驚いた祖父母がいる、って強いな、本当にそう思った。今では色んな色とデザインがあるが、その当時は安いランドセルと高いランドセルの差が大きかった。それでも娘は何も言わなかった…。遠慮していたのだと思う。「言えなかった」が正しいのだと思う。そうして家の問題もあったが時間は止まらず、娘は入学した。入学式は旦那は参加した。けれど、他の親御さんたちに「挨
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新しい人生の幕開け…22

私は決意した。「この子を産む!」それはお義父さんが帰った次の日に旦那に言った。旦那は嬉しそうに「ありがとう!俺も協力するから!絶対今までのようにはさせない!」と強く言ってくれた。そして、私は仕事に行った。Rさんに伝えなければ…。その日は私は早番だった気がする。Rさんは私と一時間シフトが被っていた。その時Rさんに「この間のことなんだけど、病院に行ったらやっぱり妊娠してた…それで私も迷ったんだけど、お義父さんもきて頭下げられちゃって…。今までのようにはさせないって言葉、信じてみようと思うし、旦那の子供が初めてだから産もう思ってる。迷惑かけるかもしれないけどよろしくお願いします」と伝えた。Rさんは「もし今の子供たちと比べられたらどうすんの」などと言われたが、それも説明した。Rさんはなんだかんだいいつつも「わかった。けど臨月ギリギリまで働いてもらうから」と言った。「それは大丈夫です」と答えた。そんなに家計だって余裕があるわけではない。少しでも働いていた方がいい。雇ってもられるなら私としても助かることだった。その日の仕事からは本当に辛かった。つわりが襲ってきて、フラフラしながら仕事をしていた。その日やっとの思いで仕事を終え、少し休んでから子供たちを迎えに行った。その夜、旦那が帰ってきたのを見計らって、子供たちにも報告した。「ねぇねぇ!○○たち!お姉ちゃん、お兄ちゃんになるんだよ!」というと、上の娘は「やった~!!女の子がいいな~!」と喜んでくれた。下の息子はあまりわかってない様子だったが、お姉ちゃんが喜んでいるのをみて喜んでいるようだった。けれど、それからも旦那は「家事」をしてくれるよう
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新しい人生の幕開け…21

私は勇気を出して「トイレ」にいった。判定は…。「陽性」…。え…。今仕事始めたばかりなのに、まだ旦那は子供たちとそんなに多くの時間を過ごしてないのに…。どうしよう…。パニックになった。その話はすぐにRさんに報告した。仕事のこともあるからだ。Rさんは「やっぱり…。おかしいと思ったよ。で、堕すんでしょ?」と当然のように聞いてきた。え?なんで他人からこんなこと言われなきゃいけないんだろう。やっぱりRさんは苦手だ。「ちょっと考えるし、旦那にも相談しなきゃだから」と濁した。「仕事は出てもらうからね」といい、Rさんは電話を切った。溜息しかでなかった。嬉しいことだけど、今じゃないような気がする。けれど私ももう28歳だ。多分これが最後の妊娠となるだろう。まずは旦那に相談だ!夜になり、子供たちが寝静まってから私は旦那に切り出した。「あのね…最近体調が悪かったんだけど…調べたらね、妊娠してた」と。旦那は「まじ?ホント?おう!そうか!やった~!」と喜んでいたが「ん、でもね、ちょっと考えてる…今の子供たちだけでも大変でしょ、経済的にも色々…それに私、息子の産後の時も無理してしまってるから体力的にも自信ないんだよね」と気持ちそのままを伝えた。「え?それっておろすってこと?1人くらい増えたって変わらないだろ!せっかくの命なのに…それに俺にとっては初めての子だし…」と。確かにそうだ。今の子供たちは旦那の子供ではない、だからこそ、もっと今の子供たちと触れ合ってほしかったし、「自分の子供はかわいい」みたいに産まれたら、今の子供たちへの態度が変わってしまうんじゃないか、という不安もあった。それも伝えた。けれど旦那は
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