(288日目)死を選ぶ瞬間とは。

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このブログは2つのスタイルで書くようになった。
一つは「ワイと助手」の二人の掛け合い的なもの。
もう一つは私の思うままに一人語りするもの。

今日も一人語りスタイルで行きたいと思う。


さて、現代はストレス社会なんて言われているけど、
ストレスが全くないのも問題だったりする。
無きゃ無いで人間って成長しないと思うの。

適度なストレスはそれを乗り越えるためのパワーになったり
自分の成長に繋がったり、新しい発見に繋がったりする。
ストレスが無ければ恐らくそれに気づくことも無いだろう。

言ってしまえばしぼみ切った風船みたいなもの。
地べたにヘタって落ちていて、いつか劣化し千切れていく。

しかし過剰なストレスも問題だよね。
ストレスが掛かりすぎる=膨らみ切った風船であり
破裂の危険性が間近に迫っているとも言えるよね。

X(Twitter)を見ていても病んだ心を吐露する投稿があったり
先が見えずに彷徨っている投稿を目にすることがある。
これは膨らみ切った風船では無いだろうか。

破裂してしまったら回復できない心の病となり
時には死を選んでしまうこともあるだろう。


さて、普段アホな感じでブログを書いているけど
こんな私も人生で一度だけ死を考える瞬間があったなぁ。

それは前職で追い込まれた時だった。

ストレス耐性Sクラスと言われ自己評価も同じくだったが
その時だけは崖っぷちに立っている感覚だったような。

毎日夜が明けるのがしんどくて
1日をどう過ごすかを考えるだけで気が滅入る。
家には食事と風呂、そして短時間の睡眠だけのために
帰るようなそんな日々が続いていた。

原因はシステム開発の失敗にある。
情報システム責任者として、
プロジェクトマネージャーとして旗を振っていたけど
思うように開発が進まずに納期がどんどん遅延。
そして予算を超えて支出が膨らんでいた。

会社内での自分の立場はどんどん追い込まれていって
4~50人集まる会議の場では吊し上げられていた。
それこそほぼ毎日、経営幹部に会議室に呼び出され
罵声を浴びせられ、プライドも何もかもズタズタだったなぁ。

そんな時に平常時には考えないようなことが頭によぎる。
仕事帰り、通勤に使っていた地下鉄のホームを歩いていると
このまま飛び込めば楽になれるだろうなぁ』なんて。

別に『死にたい』と思ってホームに向かってるんじゃなく、
そこを歩いていると勝手に脳内でその考えがよぎってしまう。
まるで吸い込まれるような感覚・・・
とでも言えば分かってもらえるだろうか?

電車に飛び込んだ人のニュースを見るたびに思うのは
『同じような気持ちだったんかなぁ』なんて思う。
SNSとかヤフコメ見ると『人の迷惑を考えろよ!』
そんな言葉が溢れるが、私はそうは思えない。
なぜなら、突発的な行動だったかもしれないからね。
自分が経験していると理解が広がるもんだ。

幸いなことに私はこの世に未練タラタラだったので
今、生きている。あの時に誤った判断しなくて良かった。

今思えば前職での出来事は、
途中で風向きを変えられる機会はあったように思う。
社内でのコミュニケーション方法を変えることもできたし
自ら職務を辞して適任者を見つけるために動くこともできた。

しかし、その時は自分のプライドであったり
立場を守るための意識が強かったためにできなかった。
ん〜、残念。

しかし、それに気づくことができたのも
いま生きているからに他ならない。
それに気づけたから自分自身が成長して
仕事を通じて多くの楽しみを得ることもできて
人生ハッピーじゃん!とも感じている。
とんだハッピー野郎だわ。

新しい出会いから得られることも多いし
前職では実現できなかったことにも取り組める。
そんな人生が楽しい。

人間が不安に陥るのは先が見えないからに他ならない。
先が見えないからこそ自分で道を切り開く楽しみがある。
しんどいことを乗り越えて成長する自分を楽しめる

その楽しみを想像できれば
人生を変えられるかもしれないね。
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