シラーの「歓喜の歌」⑪第九節~お別れの時間です~
Rettung von Tyrannenketten,
暴君の鎖からの解放。
原罪と最後の審判で人を縛る神からの解放という感じでどうでしょう。
もしくは、自分のやりたいことや、登りたい山に登ることを無意識に制限したり、邪魔したりする「常識」とか「社会的通念」とか「思い込み」。そして、国家や制度といった人に不安を与え、制限を加え、私たちの喜びのエネルギーを奪うもの、第一章で登場したModeです。
もちろん、身分制度という観点から、政治的な意味での王、圧政を強いる権力者という意味で捉えることもできますが、この詩は「魂」に訴えかける系の詩です。政治運動ではありません。
そもそも、「自分が自分自身の王」である一人の人間は、政治運動なんてしない。必要ないだけでなく、無意味だと分かっているのです。
政治とは、制度なんです。人を縛る制度そのもののあり方の話になるんです。一つの星を取り仕切る王がですよ?自分を縛る制度なんて必要ないじゃないですか。また、他人だってその星の王なんです。その別の星を取り仕切っている王を縛る法律が必要か?それはただの支配構造だ。
俺が法律!俺が裁判官!俺が俺の支配者だ!ってことです。俺ルールをちゃんと持ってて、他人の「俺ルール」も尊重する外交官でもある王が、政治運動なんてするか?
意味ないし、不必要なんです。
Großmut auch dem Bösewicht,
悪人にも寛大であれ
Hoffnung auf den Sterbebetten,
死の床での希望であれ
Gnade auf dem Hochgericht!
絞首台での慈悲であれ
Auch die Tot
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