中学校生活8

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中学3年ともなると、高校進学の話で学校も盛り上がっていた。

私はそもそも勉強はあまり得意な方ではなく、むしろ成績は下の方だった。
小学校時代から、わからない所があって先生に聞いても無視されるような状態、父にいうと怒られる、塾でも先生には無視されていた。

今のように気軽に調べられるようなものはなく、自分でも勉強は諦めていた。
けれど、父は高校は「〇〇高校にいけ」と言われていた。そこの高校は、この辺の高校では結構レベルが高い高校だった。
それ以外の高校は認めない、という考えの人だった。

父は、仕事を点々としていた。
祖母が亡くなってからは仕事はせず、ビジネス専門学校に通っていた。

それからは、縫製工場、重機会社など。

そんな中、先生が〇〇高校の体験入学に連れて行ってくれた。
家からは、すごく離れた高校だった。

当時はボロボロの校舎だったが、なんだか楽しそうだった。
一緒に体験入学に行った生徒は私に話しかけてもくれた。
同じ学校に話かけてくるのは、先生がいたからだと思う。
同じ高校から私を含めても3人くらいしかいなかった。

体験入学が終わり、母親の家に帰った。

その数分後…電話がなった。

私「もしもし…」
母「あ、今帰ったの、急いであんたの家に来て!お父さん死んだ」

????!!!

え…
死んだ?
なぜ…
どうして

私は急いで自転車に乗った。
どうか無事でありますように…

もうこれ以上、だれも死なないで。

私が家に着いた頃には、警察や近所の人でいっぱいだった。

そこに父はいなかった。
病院にいったのだと思った…

が、誰の声か覚えていないが
「縁側で首を吊った」と…。

自殺…

私は、
「一人になっちゃった」
とどこか冷静に現実を見ていた気がする。
私は、家の中を見て回った。
そしたらテーブルの上に、一枚の紙が置いてあった。

「〇〇(私)ごめんな
許してな
ごめん
ごめんなさい」
もう、自殺が確定だった。

ずるいよ、自分だけ逃げて
自分だけ悪いみたいな言い方して
…そうか、父からも見捨てられたか。
そうか…。

涙すら出てこなかった。

家の中は殺伐としていた。
私なんか最初からいなかったかのように…。

何時間か経ったら親戚の人がきた。
母親は逃げたようだった。
すでに家にいなかった。
親戚の人達はどこに泊まるのかはわからなかったが
その日は母親の家に帰った。
警察の現場検証など色々なことが残っていて家にはいれない状態だった。

次の日には、あの兄も来ていた。

はぁ…また財産か…。

その日は父の遺体も家に帰ってきていたが、私は顔を見ることができなかった。

その夜、親戚と父の兄と私で、やはり「相続」の話と、私の今後をどうするかで話あった。

全ては「私」に掛かっていると…
そうだ、私がこの家で一人残された直属の親族だからだ。

家の件、財産の件、学校の件

15歳の私に全ての権利が重く圧し掛かった。

私は、とりあえず中学校は今の中学で卒業したいこと、
家は未成年を一人生活させることはできないこと
喪主は兄に頼んだ

なにからなにを考えればいいいのかわからなかったが、
全て同時進行していかなかければならないことはわかった。

母親の家に行くと母親は嬉しそうな顔をしていた
そして、こういったのだ
「あなた、相続しなさい!そして私たちであの家に住むのよ!」と…

「…?なに言ってんの、この人」
と思ったが

…そういうことか!!
全てわかった。

父の彼女に嫌がらせ電話をしたり、いろいろなことをしてきた訳が…

この人は「人じゃない」
と確信した。

私が「財産は放棄する」というと

態度が豹変した。
殴られ、蹴られ、引きづり回された。
「お前だけいい思いしやがって!」
「こっちはどんな思いで生活してきたかわかってんのか!」
「お前だけ!!」
と狂ったように私に暴力を振るった…。

私は、やめてとも、嫌だとも言わず
ただ無言で耐えていた。

父の葬式の時には、たくさんの人でいっぱいだった。

「父はたくさんの人から認められていたんだな」
そう思えるほどのお花や電報の数だった。
そして、途切れることのない参列者…。

葬式が終わると、親戚たちが家のものをかき回し、トラックで色々な家具家電を持って行った。
祖母の着物まで…。
近所の人までもが何かを持ち帰っていた。

終わったころには家の中は空っぽになっていた。

思い出は全て誰かに持ち去られていた。
私はどこにいけばいいのか…。

私も死んでしまおうか。
どうせだれも悲しまない。






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