中学校でも相変わらず、イジメにあっていた。
中学ともなれば、いろんな小学校から入学してきて、新しいスタートを切れると思っていたが、入学当初は、そうでもなかったが、そもそも小学校からの持ち上げありの生徒も方が圧倒的に多かったから、イジメが再発するのも簡単だった。
中学のころは、母親の家と自分の家を行き来していた。
中学二年生くらいには、ほとんど学校に行かないようになっていた。
学校に行く日は父の家から登校するときくらいだった。
その頃くらいに父に彼女ができたらしい。
その彼女にも子供がいて、一個上の年だという、そして同じ学校…
私がイジメられていることはバレていた。
廊下ですれ違うと、すぐに嫌や顔をした。
それは仕方のないことだと思った。
その彼女さんの子供はとても頭もよく、スポーツが万能で…私とは天と地の差があった。
当然のごとく、比べられた。
「〇〇ちゃんは、こんなに頭いいのに、お前はなんだ!恥をかかせるな!」
と、口癖のようにいうようになった。
彼女さんは、父に「なんでそういうことをいうの!」と叱っていたが、私は、父には私がいないことで幸せになるなら、私はいなくなってもいい、と思っていた。
男手1つで、今まで関わったこともない実の子とは言え、私が全部をダメにしている。
そう思った。
母親は、なぜか優しい言葉をかけるようになってきていたせいもあってか、ほぼ母親の家に住み着くようになった。
子供たちも幼いせいか、とても慕ってくれた。
私は母親の家にいてもいいのか…と考えるようになった。
そんな朝、母親の家から学校に行こうとしたとき、
「学校には行くな!」「家から出るな!」と言われた。
え?!
どういうことだろう。
「お前は学校から帰るとき自分の家に寄ってきてるだろ」と…
確かに私の家から母親の家は通り道だった。
だから家によって来る日ももちろんあった。
それがなんでダメだんだろう…
理由は教えてはくれなかった。
それからは「監禁状態」になった。
当時の担任の先生は母親の家に来たが、うまく言いくるめられて帰ってしまった。先生も面倒だったとも思う。
それから母親は人が変わったように豹変した。
父の家の財産や家のこと、彼女のことを調べ始めたのである。
そして、ことあるごとに、彼女への執拗な電話をし父との関係や父の文句を長々と話すようになった。
父の仕事場まで電話をしていたようだ、これは後からわかった話なのだが…。
母親の家は相変わらず、豆腐やカップラーメンを食べて暮らしていた。
再婚相手の男性は長距離運転手だとかでほぼ家にいなかった。
子供たちは、ボロボロの服にボサボサの髪をしていた。
お風呂も満足に入れないような生活をしていた。
お風呂は外に小屋のようなところにあった。お風呂に入るために一度外に出ないといけない構造だった。
今までの住んでいた家とは全てが違っていた。
けれど、何度もいうように、この家には
立派な家や、豪華なご飯よりも
足りない「なにか」があった。
多分私は、それが欲しかったんだと思うが…
それが全ての後悔と懺悔と人生の分岐点になった。