小学校生活7

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母親に言った
「お父さんになんて説明すればいいの」
そしたら、
「もう隠すことないじゃない、話してしまえば?」
と…
なんて簡単に物事を言うんだろう。

けれど、クリスマスプレゼントを受け取るまで、この人は引かない…

仕方なくプレゼントを受け取りに行った。

そしたら、さっきの罵声とは考えられないような笑顔で玄関に立っていた。

「ほら!みて!ジャンパー!あなたの好きな色!」
と…。

紫だった。
よく男性が着ている、ダボダボの…
スカジャン?
あれでした。
背中にはなぜか龍の絵柄…

私の意見など誰も聞いてはくれない。
気持ちも…

「着てみて!絶対似合うから!」と興奮している。

私は素直に従った…
そうしなければ、また怒鳴られる。
そして長い説教…

着てみた。
母親だけが嬉しそうだった。

そして、そのジャンパーを持ち帰ることに…
帰り道、お父さんにどうやって話そう、そればかり考えていた。
ジャンパーなんて別に欲しくない。捨ててしまうか。
色々考えた。
けれど、ジャンパーを着ないとまた怒鳴られることになる

家に着いてしまった…
あれこれ悩んでいるうちに父が帰ってきた…

これは言うしかない…

「お父さん、あのね、実はお母さんと会っているんだ、クリスマスプレゼントもらった」
ボソッと…
父はピクっとしたと思う。
あ、怒られる

と思ったが
「ほう」
しか言わなかった、否定肯定もしなかった。

なんだか、逆に不安になった。

父を傷つけたのではないか、本当は会ってほしくはないよな…。

父に会っていることを伝えた辺りから、母親の態度がエスカレートしていった。

泊まりにくればいい
と…。
そして、自分の家族を紹介すると。

さすがに泊まるのは約束というか、ルール違反だと思った。

そうしている日々の中で、土曜日だったか日曜日だったか、母親に呼ばれた
そして急に家族を紹介するというのだ。

もう家に着いた時には、その家族という人たちがいた。

再婚したであろう男性
保育園くらいの年齢の男の子とまだ小さい女の子。

子供たちは何も知らないので、すぐに話しかけてきた。
再婚相手であろう男性は、「よく来たな」とだけ。
いい意味だったのか、そうでなかったのかはわからない。
あまり喋らない人のようだった。

家の中は私が座る場所もないくらいだった。

無理やり座る場所を空けてくれて、なんとか座った。
お昼ご飯を食べていけ、という。

別に自分の家にいても一人だったから、いいよ、といった。

でてきたのは、「一丁の豆腐」
鍋に入れられたまま、テーブルの上に置かれた。

私は、ビックリした。これをどうやって誰の分なのか
全くわからなかった。

母親と子供たちは何食わぬ顔で、鍋を突いている。

「おねぇちゃんがいると美味しいね~」などと言って…

私は到底、その鍋に手を付けることはできなかった。
汚いとかそういうことではなく
子供たちのご飯がなくなってしまうと思ったからだ。

「あなたはたべないの?」と言われたが
「おなかすいてない」とウソをついた。

その日は、子供と近くの公園で少し遊んで帰った。

私は色々考えていた。
私の家は食べ物に困ったことはないし、豆腐だけという生活もさせてもらっていない。けれど、狭い一室で肩を寄せ合って食べることはない。

私に足りない物を感じていたのは、そこだったのかもしれない。

けれどどうしようもなかった、どうにもできない。
何が欲しいとは、その時は思わなかったのか思わないふりをしていたのか…。

お正月も終わり。冬休みも終わりに近づくころ

やはり母親から家に泊まってほしいと電話があった。

さすがにダメでしょ、と思ったが父に言ってみた
答えは
「行ってこい」だった

ん?私はそんなに父にとって迷惑な存在だったのか
そうだよな、あんな手紙を書くくらいだもんな…

手紙…
私が小学生のころ、たまたま白い紙が欲しくて探していたら
一枚の手紙を見つけた。誰宛に書いたものかはわからない。
そこには
「今の自分は自分ではない、この子を引き取る予定ではなかった」
色々書いてあったと思うが、その一言に衝撃を受けたことがあった。

なぜか納得がいった。
私は「要らない子」だったんだと。
邪魔だったんだ
だからあんなに怒ったんだ
だから冷たかったんだ

私は完全に居場所を無くした気がした。
それからは、母親の家、自分の家を交互に行き来するようになった。

私は中学三年になっていた。




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