喫茶★失恋~にょ

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小説
 喫茶★失恋~にょ 

 さて、今流れている音楽。
 それは、THE ALFEEさんの「夜明けを求めて」です。
 この歌を聞いて思い出したお話があります。
 それは、言語障害で「にょ」しか喋れない女の子の話です。
 貴方にもあったでしょう?
 はつ恋と呼ばれるころが……
 これはそんな彼女の小さな小さな恋物語。

***********************

 ママが死にました。
 パパは知りません。

 ママを包丁で刺した後、何処かへ行きました。

「ママ…?」

 ママが動かない。
 病院のベットで、寝息を立てずに眠っている。

 理由は、知っている。
 パパが刺したんだ。

 パパがママを殺したんだ……
 私は、知らないお兄さんに抱き上げられ涙を流した。

 ママが死んだ。
 パパは何処かへ行った。
 私は、これからどうすれば良いの?

 私は、涙を流すしかできなかった。
 知らない人の胸の中で…

「にょ?」

 男の人が優しく私の頭を撫でてくれた。

 私は、言葉をまだ話せない。
 ちなみに私は「にょ」しか、話せない。
 たまに奇跡が起きて、「にゅ」が話せる。

「にゅ~」

 私は、泣いた。
 枯れるまで泣いた。

 パパがママを刺した原因は、私の言語障害が原因だった。

 パパがママを刺した。
 パバは私も刺そうとした。

 だけど、パパは私の目を見た後、奇声をあげて家を飛び出たんだ。

 私は、ママの体を揺すった。
 ママは、ゆっくりと目を開け、私の頭を撫でた。

 グリグリ、グリグリ。
 グリグリ……

 グリグリ、グリグリ。
 グリグリ……

 私は、安心した。
 安心して、ウトウトと眠くなった。

 グリグリ、グリグリ、グリグリ

 それでも、ママはニッコリと笑い頭を撫でてくれた。
 グリグリ、グリ・・・

 私が目を覚ましたとき、知らないお兄さんにだっこされていた。
 ママは眠っている。
 静かに眠っている。
 寝息は、立ててはいない。
 私は、知らない男に抱かれている。
 なんかこの言い方大人っぽい。

 でも、このお兄さん誰だろう?

「にょにょ?」

「あ、起きた?」

「にょにょにょにょ?」

「何が言いたいの?」

「にょにょにょ!にょにょにょにょ!
 にょにょにょにょにょ!」

「何言ってるかわかんないよ……」

 お兄さんは、困った顔をして笑った。

 私は、手足をばたつかせると、お兄さんは床にそっと私を置いてくれた。

「にょにょにょ」

 お兄さんは、苦笑いを浮かべて笑った。

「やっぱ、わかんないや……」

 お兄さんは、ママの顔を見てつらそうに苦笑いを浮かべた。

「久しぶりにあったら、死んでたなんてシャレになんないよ。
 ガキ残して、何やってんだよ」

 悔しそうに涙を流した。
 あれ?私、この人知っている。

 何度か会った事がある気がする。

 んっと、誰だっけ。

 私は、不思議そうに男の子の顔を見た。

「あ、俺、太郎だけど覚えている??」

 あー。
 そうだった、太郎さんだ。
 ママの弟で、去年のお正月に会った気がする。

「覚えているわけないよね。」

 太郎さんは呟いた。

「3歳のガキに、何言ってるんだろう」

「にょ?」 

 ガラガラガラ。
 扉が開く。
 そこには、お婆ちゃんが立っていた。

「太郎?」

「あ、お母さん」

「さぁ、太郎帰るわよ。」

「うん」

「瞳ちゃん、ごめんね。バイバイ」

 お婆ちゃんは、そう言うと太郎さんを強引に引っ張って出ていった。

 私は、このとき子供心に理解していた。
 お婆ちゃんとは、もう二度と会えない。

「にょにょ・・・」

 私は、手を振った。
 それしかできなかった。

 部屋には、眠っているママと私が二人。
 看護婦さんの足跡は聞こえるけど、入ってはこない。
 私は、そっとママに触れてみた。

 冷たい。

 ひんやりとした部屋に私と二人。

「君のママは、死んだんだよ」

 誰も居ないはずの部屋の中でその声が響いた。
 私は、振り返る。

 そこには、知らない男の子が立っていた。

「君のママは死んだんだよ」

 男の子はもう一度繰り返した。

「にょにょ?」

 男の子は、苦笑いを浮かべながらこう言った。

「『にょにょ』って何語だよ。」

 男の子は、部屋に入りママの顔にハンカチを乗せると手を合わせた。

「にょ!?」

 何をするの?と私は言いたかった。
 でも伝わるはずも無い。

「もしかして、お前は『にょ』しか言えない
 にょにょにょ星人か!?」

 男の子は、そう言うと体を構え、私の頭にチョップをした。
 痛い。
 痛いときに痛いって言えたら幸せだろうな。
 私は、「にょー」
 と叫んだ。

 私の言葉を理解してくれる存在は、もう居ない。
 パパは、私の言葉を理解してくれなかったけど。
 ママは、私が何を言っても理解してくれた。

 もう、ママはいない。
 そう思うと、涙が流れた。

「なんだよ、何泣いているんだよ・・・」

 男の子は、そう言うと、頭を撫でてくれた。
 男の子の姿をもう一度確認すると、パジャマを着ていた。
 男の子は入院しているのだろうか?

「ごめん、泣くなってコレをあげるから……」

 男の子は、そう言うとクマのキーホルダーをくれた。

「にょー」

 私は、ありがとうって意味で言ったけど伝わったのか伝わってないのか、私の頭をくしゃくしゃっと撫でてくれた。

「俺の名前は、斉藤 博。
 お前の名前は?」

「にょにょにょ」

 男の子は、困った顔で答えた。

「うーん。何が言いたいのかわかんない。
 もう、『にょにょにょ星人』で良いかな?」

「にょにょにょ!にょにょにょにょにょ!」

 私は、抗議した。
 そんな、あだ名は、嫌だ。

「やっぱ、ダメか?
 じゃ、なんて呼べば良い?」

 私は、考えた考えて考えて考えた結果。
 指で文字を書いた。

 ひ

 と

 み

「わかんない、もう一度」

 ひ

「ひ?」

 と

「と?」

 み

「み?」


「ひとみ!」

 私は、コクリと頷いた。


「ひとみって言うのかぁ~
 ありきたりな名前だなぁ~」

 私は、口を膨らませ抗議した。

「にょ!!?」

「怒るなって、俺だってありきたりな名前なんだし」

 男の子は、にっと白い歯を出して笑った。

「お前はこれからどうするの?」

 私は首を横に振った。

「さっき、俺の先生が来てたから、お前も孤児院に来るのかもな?」

「にょにょにょ?」

「『孤児院』
 親が居ない子供が行くところだよ。
 『施設』って言えばわかるかな?」

 私は、首を横に振った。

「お前何歳?
 歳の分だけ鳴いてみて?」

「にょ。にょ。にょ。」

 私は、3回「にょ」を言うと博くんの目を見た。

「3歳か、俺よりふたつも年下なんだな」

「にょにょにょ」

 私は首をかしげて博の目を見た。
 ガラガラガラ
 その時、扉が開いた。

 そこには、知らない年輩のおばあさんが立っていた。
 おばあさんは、私の目線に合わせるようにしゃがむと

「貴方が、有得 瞳ちゃん?」

 と聞いてきた。
 私は、「にょ」と言い。
 軽く頷く。

「そう、よかった。
 私、孤児院の先生をやっているの・・・
 今日は、先生の所に泊まらない?」
 私は、博の顔を見た。

「大丈夫だよ
 この人は、先生だから」

 博くんは優しく呟いた。
 私は、ママの手をぎゅっと握った。
 握っておかないと不安で不安で押しつぶされそうになった。

 ママの手は硬く冷たかった。
 おばあさんは、私の頭を撫でながら言った。

「瞳ちゃんのママも泊まって良いって言ってたよ」

「にょ?」

 本当に、ママがそう言ったの?

 私は、ママの手を離し、おばあさんの手を握った。
 すると、博くんも私の手を握ってくれた。

 暖かい。
 私、これ知ってる『温もり』って言うんだ。

「お前は、今日から俺の子分なんだからな」

 博くんは、笑いながら私に言った。
 私は、子分でもなんでもよかった。
 一人じゃないのなら……
 それでよかった。
 その日の夜。

 私は、黒い服の人に囲まれていた。
 みんな、泣いていた。

 ママは、綺麗な化粧をしていた。
 そして、そのママは、大きな木の箱の中で眠っていた。

「にょにょ?」

 ママと呼んでも、ママは返事を返さなかった。
 ママの体に触れてみると、ひんやりと冷たかった。

 鉄のように硬く、南極の鉄のように冷たく感じた・・・
 不安で泣きそうなとき、博くんが私の手を握ってくれた。

「俺は、まだ生きているから暖かいよ」

 博くんは、先生に駄々をこねて一緒についてきてくれた。

 知らない人だらけの場所に、知っている人がひとりでもいる。
 それが、何より嬉しかった。

「にょにょにょ」

 私を握る手に力が入った。

「お前は俺の子分なんだからな」

 そういった博くんの手は少し震えていた。

 次の日の昼。
 お葬式がはじまった。
 そこも、やっぱり黒い服を着た人が沢山居て、怖かった。
 私、お葬式なんてよくわからない。
 ただ、先生が言っていた。

「今日は、お葬式だから。
 ママときちんとお別れを言うのよ」

 私は、じっとママの顔を見ていた。
 綺麗に化粧をして、今にも『いってきます』と言ってお出かけするような気がした。

 私はいつも留守番
 いい子にお留守番していると、私の大好きなコロッケを買ってきてくれるんだ。
 私は、それが嬉しかった。

 だけど、もうそんな事は起きないんだ。
 私は、知っている。
 もう、ママには会えないって。
 ママは、黒い男の人たちに担がれ、そして車の中へと入っていった。

 黒い服を着た人が黒い車に乗ってどこかへ行く。
 私たちも、小さなバスにのり、その後をついていった。

 これから、何が起こるのだろう。

 大きな建物の中に連れて行かれて。
 大きな部屋に案内された。

「みなさん、最後のお別れをしてください」

 皆、ママに手を合わせて泣いていた。
 ねぇ。最後ってどういう事?
 ねぇ、お別れって?
 私は、言葉が話せない。

「にょにょにょ」

 と意味不明の言葉しか出てこない。
 ママは、木の箱に入ったまま、小さな穴の中に掘り込まれると・・・
 その穴のドアを閉められた。

「焼き上がりは45分程度になります」

 45分したら、ママにあえるの?
 ママが帰ってくるの?

 私は、さよならって手を振ったけど。
 聞きたかった。

『ママはどこにいったの?』

 でも、誰にも伝えれなかった。

 45分なんて、あっという間。

 ママが箱から出てきたとき。
 そこには、ママがいなかった。

 残ったのは、白い粉と白い塊。

 みんなが、少しずつ大きさの違うお箸で骨をつまみ
 小さな箱の中にいれて入った。

 こんなのママじゃない!
 私は、わんわんと泣いた。

 博くんが私をぎゅっとしてくれた。
 博くんの心臓の音が、バクバクと聞こえた。

「ママがいなくても僕はいるよ」

 博くんが耳元で呟いた。
 私は、コクリと頷き涙を止めた。
 白い箱に入れられたママの一部を小さなキーホルダーに入れて、知らないおじさんが私にくれた。

「これ、ママだから大切にしまってね」

 私は、おじさんからそれを受け取ると。
 ぎゅっと、それを抱きしめた。

 ママ、お帰りなさい。
 私は、暫くそのままでいると先生が私の肩をやさしく叩いた。

「もう、帰りましょうか……」

 私は、コクリと頷いた。
 お葬式にも御通夜にも、太郎くんとお婆ちゃんが来ることは無かった。

 ママは、小さな小さな箱に閉じ込められました。
 蓋を開けようとしたら、お坊さんに叱られました。

 どうして?私、悪い事をしていないのに……

 ママは、小さな小さな箱の中。
 出してあげることも姿を確認することも出来ません。

 ママは何処に行ったの?
 博くんに聞いたけど「わかんない」と答えました。

 少し悲しかった。
 博君の言った「わかんない」は、【ママが何処に行ったのか】が、分からないのではなく。

「私の言葉がわかんない」

 なのだから。
 それでも、博君は一生懸命、私の話を聞いてくれたので嬉しかった。

 ありがとう。

 先生が、私の体を抱き上げると私にこう言いました。

「今日から、先生が貴方のお母さんよ」

 私には、ママがいる。
 ママがママではなくなって先生が【お母さん?】
 意味がわかんない。

 私は、詳しく聞きたかったけど言葉は、通じませんでした。
 私は、言われるがままに手を引かれ。
 言われるがままについて行った。

 そこは、孤児院。
 そこは、ひなた院。

 ついた頃には日が暮れていた。

 夕日に照らされた院は、眩しかった。

「お前誰だ?」

 知らない男の子に声を掛けられた。

「にょにょにょ……」

 言葉が出ない。

「にょにょさん?」

 続いて、知らない女の子が、その男の子の影からひょこりと顔を出す。

「この子は、有得 瞳ちゃんよ。
 みんな、仲良くね」

 先生が、そう言うとみんなは、「はーい」と返事をした。

「こいつは、病気で、『にょ』しか話せないんだ…
 だからって、苛めたらダメだからな!」

 博くんは、私の体を持ち上げてそういった。

 みんなは、しーんと、静まりかえった。

「にょにょにょ?にょにょにょにょ…
 にょにょにょ!」

 言葉が出ない。
 私は一生懸命、挨拶をした。
 だけど、誰一人、私の言葉を理解できる人はいなかった。
 子供たちは、少しずつ散り散りになり、各自仲の言い子達と遊び始めた。

「大丈夫、少しずつ慣れて行くさ……」

 博くんは、そう言うと、私の頭をくしゃりと撫でてくれた。
 博くんは、「じゃ、俺用事があるから」
 そう言うと、博君は部屋を出て行った。
 私は、奇妙な目で見られていたが、気にしないことにした。

「あいつ、絶対おかしいって……」

 私は、その声の方を見た。

「うわ、こっち見た。
 にょにょにょが移るぞ、逃げろー」

 男の子たちは、そう言うと走って部屋を出て行った。

「……にょ」

 すると、女の子が話しかけてきた。

「貴方、本当に『にょ』しか話せないの?」

「にょにょにょにょにょ!にょにょ!
 にょにょにょ!」

 私は、一生懸命身振り手振りで伝えようとした。

【よろしくお願いします】

 って言いたかった。

 だけど、伝わらなかった。

「変なのー」

 女の子は、そう言うと友達の輪の中に入っていった。

「…にょ」

 どうすればいい?
 私だって、言葉を話したい。
 でも、話せないんだ。
 仕方がないじゃないか。

 自分の中で、言葉を続けた。

 私が顔をあげると、ひそひそ話をしている子供たとの姿が見えた。

 それは、数ヶ月前、保育園に初めて行った時のこと。
 そこで、友達を作ることは出来なかった。

『にょ』しか話せない。

 そこにある壁は大きかった。

 見える壁は、叩けば壊せる。
 だけど見えない壁は、叩いただけじゃ壊れない。

 ママが手を引っ張って保育園に連れてきてくれた。

「お友達いっぱい作ろうね」

 ママは、私の目を見て優しく微笑んだ。
 そこからは、私は保育園の先生に手を引かれ、教室の中に戻った。

「今日から新しく入るお友達を紹介します。」

 先生は、そう言って私を紹介した。

「にょにょにょ……」

 自己紹介をしようとしたけれど、言葉が出ない。

「この有得 瞳ちゃんは病気で『にょ』しか言えないの。
 だからって、苛めないように!
 みんな、仲良くね!」

 先生が、私の代わりに自己紹介。
 嬉しいけど切ない。
 私は、輪に入ることなど出来なかった。

「おはよう」「さようなら」
「こんにちわ」「ありがとう」
「ごめんなさい」

 日常生活で、必要な言葉が言葉として出てこない。

 輪からはみ出すモノ。
 輪を乱すモノ。
 輪に入れないモノ。

 そんな子が、いきなり入ってきても、友達が出来るはずもなく、私はやがて孤立していく事になる。

「あ、にょにょにょが来たー!」

 クラスの誰かが言った。

「にょにょにょが移るぞー!
 みんな逃げろー」

 皆、私が近寄れば、皆が離れていく…

「……にょ」

『……行かないで』

 そう言いたかったけど、言えなかった…

「保育園楽しい?」

 ある日、ママが、私に優しい声で尋ねた。
 私は何も答えなかった。

「何かあった?」

 私は、首を横にふる。
 本当は言いたかった。
 だけど言えなかった…

「……にょ」

 私は、小さな声で呟き、ママの手を強く握った。

「……保育園、瞳にはまだ少し早かったかな?」

 私は何も答えれない。
 ママは、そんな私を見て優しく抱きしめた。

「気づけなくてごめんね」

 私は、その日のうちに保育園を辞めた。
 それは、私が保育園に入って2ヶ月後の事だった。




 女の子は、ニッコリ笑うと私に軽く会釈をした。
 私も、その女の子に軽く会釈をした。

「……」

 女の子は、何も話さず私にスコップを貸してくれた。

「……」

 何かを言いたそうだったけど、何も言わなかった。
 私たちは無言で砂山を作った。
 そんな私達の元に、博くんが現れた。

「俺も一緒に遊んでもいい?」

 その女の子は、コクリと頷いた。

「コイツの名前は瞳。
 病気で『にょ』しか話せないんだ。」

 博くんは、そう言うと私の頭をくしゃりと撫でた。
 女の子は、にっこりと微笑んだ。

「でな、瞳。
 こいつの名前は、港。瞳より一つ上だよ。
 ちょっと色々あって、声を出す事が出来ないんだ。」

 港ちゃんは、コクリと頷き私の前に手をそっと出した。

 私は、その手を握る。
 この人は、私と同じなんだ。
 私と同じで言葉が話せないんだ。
 少し安心した。
 女の子は、私の袖をひっぱり、遊ぼうって目で訴えた。
 私は、コクリと頷き、砂場の砂にスコップを入れた。

 カシャリ。

 砂場の砂は少し硬かった。

 ――次の日

 話さなきゃ。
 私また一人ぼっちになってしまう。

 挨拶しなきゃ。
 私は、一人で砂場で遊ぶ私と同じ歳位の女の子に声を掛けることにした。
 挨拶は、簡単、手を上にあげてこう言うだけ。

「にょ!」

 女の子は、何にも反応しない。
 ただ無心で、砂場で砂山を作っている。

 私は、もう一度声を掛けた。

「にょ!」

 すると、女の子は私の目を見ながら首をかしげた。
すると女の子が、地面に指で、文字を書いた。

【わたしこえがでないの】

 私は、コクリと頷くと同じように文字を書いた。
 わたしは、にょしかいえない。

 ひらがなはある程度読み書きは出来る。

 ママに将来使えないと困るからと、叩き込まれたからだ。

 勉強は苦手だったけど、初めて意思疎通が出来た事に私は喜んだ。
 音のない会話。
 声をあげれば皆避けて行く…

 でも、文字だけだったら会話が出来る。

【よろしくね】

 私がそう書くと港ちゃんは、にっこりと笑う。
 そして、震えながら文字を書いた。

【ともだちになってくれる?】

 私は、コクリと頷き、港ちゃんの手を握った。

 私に、初めて友達が出来た。
 それが、嬉しかった。
 トンネルをつくろう
 私が出した提案に、港ちゃんはこくりと頷いた。

 私たちは、まず砂山を作った。
 大きな大きな砂山を作り、そしてその山に手を入れた。

 ずりずりずりずり

 少し。
 また少しと、穴を掘り進んでいく。
 私の手が港ちゃんの手に触れる。
 あったかい。
 港ちゃんはニッコリと笑った。
 砂場に港ちゃんは文字を書く

 かんせい

 私は、ニッコリと笑い返し手を握った。
 楽しかった。
 穴が空いたトンネルを覗くと港ちゃんの顔が見えた。

 嬉しかった。

 ママが死んでから初めて誰かに触れた。
 ママが死んでから初めて笑えた。

 そんな気がした。
 港ちゃんの手の鼓動が私の鼓動と重なる。
 胸の奥がドキドキと響く。

 そして、私が少し動いた途端。
 そのトンネルは静かに壊れた。

 少し泣きそうになった。

 だけど、港ちゃんは、クスクスと笑っていた。
 だから、私もクスクスと笑うことが出来た。

 何が楽しいのだろう?
 何が面白いのだろう?

 なにもわからないけど私達はクスクスと笑った。

 その日から私達は常に一緒に居た。
 私と、港ちゃん、そして時々、博くん。

 博くんとは、病院と孤児院を行ったり来たりしているので、滅多に遊べなかったけど、港ちゃんとはよく遊んだ。

 そんなある日。
 博君が、孤児院に来なくなった。

 空は青く。
 海は青い。

 でも、いつかは赤くなるんだ。
 そんな事、考えた事もなかった。

 私は、先生に博くんの事を尋ねた。

「にょにょにょにょにょ」

 しかし、先生は困った顔をして苦笑いを浮かべた。
 港ちゃんも私の傍にやって来た。
 港ちゃんは、じっと先生の顔を見つめて、博くんの事を聞いていた。
 私は、目を見たらわかるけど、先生にはわからなかったのか、今度は困った顔をした。
 私は、考えた。
 どうしたら、先生に伝わるかな?

 私たちは、一生懸命頭を悩ませた。
 そして、私は思いついた。
 文字で伝えよう。
 私は、紙と鉛筆を取り出し、文字を書いた。

「ひろしくんは?」

 先生は、ゆっくりと私の頭を撫でて言いました。

「博君はね、今、病院で入院しているんだー
 瞳ちゃんと港ちゃんもお見舞いに行く?」

 私たちは、コクリと頷いた。
 私たちは、先生に手を引かれ大きな病院に向かった。

 私は、この病院を知っている。
 ママが死んだ時に来た病院だ。

 505号室。

 そこに博君が居た。
 だけど、少し様子が変だ。

 髪の毛が無かった。

「にょにょにょにょにょにょにょ?」

 私はびっくりした。

『どうしたの?』

 って聞きたかった。
 だけど、言葉にならない。

 博くんは、照れくさそうに笑いながら言った。

「髪の毛全部、抜けちゃった」

 私は、ゆっくりと博くんの手を握った。

「どうしたんだよ?」

 私でも、どうしてかはわからない……

 だけど、そうしないと、不安で不安で仕方が無かった。

 今、握りしめておかないと、博君がどこかへ消えてしまいそうで怖かった。

 気づいた時……
 私は、ボロボロと涙を流していた。
 何故だかわからないけど……
 涙が流れた。

「どうしたんだよ?」

 博くんが、そう言うと笑った。
 港ちゃんは、私の頭をいい子、いい子してくれた。

「にょにょにょにょ……」

 言葉が出ない、何を言ったらいいのか解らない……
 ただ、私は、『にょ』しか言えなかった。

 病院から孤児院まで、そんなに離れてはいなかった。
 だから、次の日もその次の日もお見舞いにいった。

「そんな毎日来なくてもいいよ……」

 博くんは、照れくさそうに笑った。
 でも、私は毎日会いたくなった。

 港ちゃんは、今日は風邪でお見舞いはお休み。
 今は、点滴を受けている。

「俺、明日手術なんだってさ……」

 博くんが手を震わせながら私の手を握った。

「にょにょにょ」

 手術って何?
 私は、そう聞きたかったけど言葉に出来なかった。

「俺、怖い……」

「にょにょにょ」

「手術嫌だ!」

 博くんはそう言うと、立ち上がって走り出した。
 私も、博くんを追いかけた。

「瞳、ついて来てくれるのか?」

「にょにょ」

 私は、『うん』とうなずいた。

 博くんと一緒ならどこでもよかった……

 博君は、私の手をぎゅっと握ると病院を出た。
 私たちの小さな小さな冒険が始まるのだと、私の中で胸が高鳴った。

「俺、お母さんに会いたい」

「にょ?」

「俺のお母さん、死んでいないんだ……」

「にょにょにょ……」

「東京って場所にいるんだ……」

「にょーにょ?」

「だから、空港に行こう」

 博くんは、私の手を引っ張った。
 そして、私はそれに従った。

 私たちは、お金を持っていなかった。
 駅のホームで、私達は呆然と立っていた。

 すると、博君は何かを思いついたかのように私の目を見て言った。

「いいか?
 瞳、俺はあの人の後にこっそりとついて行くから……
 お前は、あの人の後ろについていけ……」

 それが、どういう意味かはわからない。
 だけど私は、コクリとうなずいた。

 博くんは、ロングヘアーの女性の後ろについて歩いて行く。
 改札口は自然と通る事が出来た。

 私は、同じように、ショートヘアーの女性の後をついて歩いた。
 すると、問題なく通る事が出来た。

 博くんは、私の手を握りしめた。
 そして、私たちはゆっくりと電車のホームへ歩いて行った。

 電車にゆらゆらと揺られついた場所は名前も知らない駅……

「大丈夫だから」

 博くんがはそう言って私の手を引っ張った。

「確か、この辺にお母さんのアパートがあるんだ……」

 博くんは、メモを片手に住所をたどった。

「にょにょにょ?」

「うん?
 大丈夫だよ……
 俺、一回来た事があるから……」

 博くんは、そう言うとニッコリと笑った。
 それでも、私は不安だった。
 知らない街に、知らない場所
 一人になったら帰れない。

不安で不安で仕方がなく……

 私は、力いっぱい、博君の手を握りしめた。

「大丈夫だよ」

 博くんは、そう言うと私の頭を撫でた。

「ここが、俺のお母さんのアパート」

 博くんが、指を指した場所に見えたのは小さなアパート

「ここの2階の202号室が、俺のお母さんの部屋なんだ」

「にょにょにょ……」

 ゆっくりと私たちは階段を登った。

ピンポーン

 インターフォンを鳴らすと見知らぬ男の人が顔を出した。

 誰?

 と思っても、私は博くんのお母さんの顔も知らない。
 しかし、博くんも知らないようだった。

「お兄さん誰?」

「君たちこそ誰?」

 お兄さんは、私たちを眼を細くして睨みました。

「あのお母さんは……」

「お母さん??
 おい、幸子!
 こいつら、お前の子供?」

 お兄さんは、奥に居る裸の女の人に尋ねました。
 女の人はダルそうに体を起こすと博くんの顔を見た。

「もしかして、博?」

 博くんは、コクリと頷きました。

「髪の毛どうしたの?
 病院は??」

「薬の副作用で全部抜けちゃった……」

「……」

「もう、出てきたの?」

 女の人は、そう言うと煙草に火をつけた。

「お母さんに会いに来たんだ」

 博くんは、少し照れながら言った。

「病院に帰りなさい」

 博くんのママは、冷たく言った。

「今日、手術があって……」

「いいから帰りなさい!」

「……」

 博くんは、悔しそうに歯を食いしばりました。

「にょ?」

「……突然来てごめんなさい」

「私は、貴方を捨てたの……
 だから、私は貴方を孤児院に預けた
 先生との約束で、月に一回は会いに行っているけど……
 本当は嫌なの……
 アンタに、それわかる?」

「……」

 博くんは、何も答えない。
 博くんのママは、カッターシャツを着ると財布からお札を取り出した。

「これ、あげるから、これで帰りなさい」

 渡されたのは全部で3万円。
 それを博くんママは、博くんの手に無理やり握らせた。

 博くんは、悔しそうにうなずくと私の手を握った。

「帰るぞ、瞳」

 私は、コクリと頷いた。
 博くんのママは、冷たい声で言った。

「またね」

 博くんは、何も答えなかった。
 博くんは、くしゃくしゃのお札をさらに握りつぶし。
 そして涙を堪えているのが私にもわかった。

「にょにょにょ……」

『泣いても良いよ』

 そう言いたかったけど……
 言葉に表す事が出来なかった。

 ゆっくりと歩く見知らぬ道
 私の知らない道を、また戻る。
 今度はきちんと切符を二人分買った。
 電車に揺られる私達。

 二人とも言葉を話す事はない。
 私に話せる言葉はない。

 こんな時、どんな言葉をかけたらいいのかが分からない……

 行きの時間より帰りの時間の方が長く感じた。
 同じ時間で、帰っているのに……
 帰りの時間の方が長く感じた。

 電車を降りて知っている街に来た時。

 博くんは、咳をした。

「コホコホコホ」

 博くんの手から、真っ赤な血が零れた。

「にょにょにょ?」

 そして、博くんはその場で倒れた。
 どうすればいいのか解らない……

 私は、道行く人に声をかけた。

「にょにょにょ!」

『助けて!!』

 そう言いたいのに言葉にならない

 誰も助けてくれない……

「にょにょにょにょにょにょ!にょにょ!」

 誰も気づいてくれない……

 孤独、不安、絶望……

その全てが私の頭をくるくると回転した。


「瞳……」


 博くんが、苦しそうに私の名前を呼んだ。

「病院に帰ろう……」

 私は、博君の体を引っ張った。
 ゆっくりゆっくり引っ張った。

 ズルズル……
 ズルルズルル……
 ズルルルと

 その時、知らない誰かが声をかけてくれた。

「どうしたの?」

 私は、最後のチャンスだと思い言葉を出した。

「にょにょにゅにゅにゅにょにゅにょ……」

 やっぱり、言葉が出ない。
 やっぱり、私はダメな子だ……

 だけど、その人は博くんの事に気づいてくれた。

「大変だわ
 救急車を呼ばなくちゃ……」

 その人は、慌てて近くの公衆電話から電話をかけてくれた。
 救急車がすぐに来た。
 私も一緒に救急車に乗った。
 私は、文字で博くんが入院している病院の名前を書いた。
 救命士さんは、すぐに状況を把握し、その病院に向かった。
 病院に向かうと、孤児院の先生が立っていた。
 私は、怒られると思った。

 だけど違った。

 先生は、私の顔を見ると顔をくしゃくしゃにさせて涙を流した。

「ダメじゃない、勝手に遠い所に行っちゃ……」

 私も、自然と涙が出た。
 今までの不安、絶望、全てが流れた気がした。

 だから、私は泣いた。
 いっぱい泣いた。

 博くんは、すぐに手術室に入った。
 本当は今日、手術するはずだった。
 それが無理をしたからこうなった。

 私のせいだ……
 私が止めていればこんな事にはならなかったんだ。

 そう考えると急に怖くなった。
 博くんが死んだらどうしよう……

 私は、怖くて怖くて涙が止まらなくなった。
 先生は、そんな私を優しく抱きしめてくれた。

 手術室のランプが消えた。
 そして、そこからお医者さんがいっぱい出てきた。

 先生がお医者さんに尋ねる。

「博くんは、どうなりましたか……」

 お医者さんは、首を横に振った。

「命だけは何とかなりましたが……
 このまま昏睡状態が続けば……」

「そんな……」

 先生は、涙を流した。
 私は、言葉の意味を理解できないでいた。
 病室で博くんが眠っている

 博くんが動かない
 でも、手を握ると温かかった。
 私は、その温もりに安心感を覚えた。
 私は、毎日、毎日、毎日、お見舞いに行った。

 面会時間は昼の3時から……

 それまでは、港ちゃんと一緒に遊ぶ。
 3時のおやつの時間が終わったらすぐに博君に会いに行く……
 博君は、目を覚まさない。
 そんなある日……

 港ちゃんのお父さんと言う人が現れた。

「港、すまなかったな……」

「!?」

 港ちゃんは、目を丸くして驚いた。

「……?」

 そして、港ちゃんは、その男の人の体に飛びついた。

「今日から日本で、働く事になった
 これで、一緒に暮らせるぞ……」

 おじさんは、そう言うと港ちゃんを抱きしめて、院長室の方に向かった。
 私は、その光景をじっと見ていた。
 ただ見ているだけしか出来なかった。

 次に、港ちゃんが出ていく時……
 港ちゃんは、おじさんと手をつないでいた。

「にょにょにょ?」

 私は、港ちゃんに声をかけた。
 港ちゃんは、私に手を振った。
 私も港ちゃんに手を振った。

 バイバイ

 その後、港ちゃんが孤児院に来る事はなかった。
 私は、またひとりぼっち。
 でも、寂しくない
 おやつの時間が過ぎれば、博くんに会いに行き……
 先生が迎えに来れば、先生と帰る。

 それのくり返し……

 先生は、長く付き合ってくれた。
 根気よく付き合ってくれたんだと思う。

 私は、そんな事など気にしないで、毎日博くんの元へと遊びに行った。

 そんなある日……

 博くんが病室から消えた……

 私はいっぱい、いっぱい病院を探した。
 だけど、どこを探してもいなかった。
 看護婦さんに聞いた。

「にょにょにょ」

「何かな?」

 ダメだ、言葉が通じない。
 私は、落ち込んだけど病院の中をいっぱいっぱい探した。
 そして、先生が私を見つけた。

「瞳ちゃん帰ろう……」

 先生は、辛そうにそう言うと私の体を抱きしめた。

「……にょにょにょ」

「博くんはね、遠い所に行ったの……」

 先生が何を言っているかわからない。

「だからね
 今夜、博くんに会いに行こう」

 先生が何を言っているかわからない。

「瞳ちゃん
 強くなろうね」

 先生が何を言っているかわからない。
 先生に連れられて行った場所には、博くんが眠っていた。
 博くんは、木のベットの中で眠っていて、周りにはお花畑が出来ていた。

「……にょにょにょ」

 私は、博君の体にそっと触れた。
 とても冷たかった。

 私の瞳から涙が零れた。
 ママと同じだ……
 ママと同じで、もうすぐ小さな箱の中に入るんだ……
 涙が止まらない……
 何故だかわからないけど涙が止まらない……

 私のせいだ……
 私が、あの時止めていれば……
 博くんは、冷たくならなくてすんだかもしれない。
 私が、あの時止めていれば……
 何度も何度も心の中でその言葉を繰り返した。

 次の日……
 博くんは、小さな箱に入って孤児院に戻って来た。
 博くんのお母さんは、お通夜にもお葬式来なかった。

 孤児院の片隅に博くんは存在している。
 私は、何もできない……
 言葉も話す事も出来ない……
 私は泣いた
 小さく泣いた

 私は、空に向かって叫んだ。

「にょにょにょにょにょにょ!にょにょ!」


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「愛してその人を得ることは最上である。
 愛してその人を失うことは、その次によい」
 イギリスの作家、ウィリアム・メークピース・サッカレーはそういいました。
 愛して結ばれることは最高にしあわせなこと。
 そして、そのまま最後を迎えることはその次にしあわせなこと。
 そう私は解釈しています。
 好きな人が命を失うまで恋をした女の子。
 男の子の気持ちはどうだったのかはわかりません。
 でも、もしも男の子が死ななかったら……
 色んな可能性があったでしょう。
 はつ恋は実らないモノといいますが、さてさてどうなっていたのでしょうね。
 夢は無限に愛は永遠に。
 きっとしあわせな未来があったでしょう。
 でも、生きる上で「あのとき」は通用しません。
 「あのとき」を後悔したのなら。
 「今から」を後悔しないようにしましょう。
 それが生きるということなのです。
 それでは、また会いましょう。
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