高齢者とのガチ交流と、死の淵経験、身内の死。この3つを受けいれた人は強い

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今回はみげかと直接関係がないが、人生の時間を使う魂の圧力について差が出る3つの要素を語る。

俺は運良く3つを37歳まで経験できたため、本当に運が良かったと思う。
これら3つを経験しないまま、寿命で墓場まで行く人は多数いる

順番に必要性と要素を説明する。
①高齢者とのガチ交流: 仲がよい高齢者の訃報でやり残した後悔を聞ける
②死の淵経験: 自分の存在を再確認し、残った未来の人生を「拾い物」と割り切れる
③身内の死: 自分の余命は、メディアが描く定年後大往生ではなく突然切れる実例を知る

正直、2と3は運ゲーだ。特に②の死の淵体験は、過労死と呼ばれる身体的な限界のパターンと、会社や学校で精神的に追い込まれる2パターンがある。
③は遺伝的な要素や、事故による偶発、亡くなった方の食生活や仕事に
大きく依存する。

②は「田坂広志」さんがAmazonで熱く語っている本が多くある。
ttps://www.amazon.co.jp/dp/B07Z7FMSRL/

ハンターハンター好きの俺は、「死悟強まる熱」と勝手に呼んでいる。
自分の死、余命を悟ることで残りの人生を使う熱量が上がる、の略だ。
死の淵、理不尽を外的要因で受け、自力で乗り切るというイベントだ。
※自傷行為などを推奨するものではないので注意して欲しい

自分が生きる目的、拾い物の命、自分自身の至誠(情熱+使命)を見つける良いきっかけとなるのだが、今の労基が厳しくなった現状ではそこまで発生しない。

これは、経験して乗り越えた人にしかわかない。
これを知って、無理やり理不尽な環境に身を置いたとしても、恐らく知りえない。
若くて元気があるうちに、外的不幸の要因で理不尽を受け、悩み苦しみ、脱するというプロセスは「運ゲーだが自分を知る」一つの因子になる。

③の身内の死については、避けられない悲しみだが、それを乗り超えるたびに人は強くなる。
俺が見てきたのは、大往生で見守られながら幸せに、というものではなかった
ガンで苦しみ、抗がん剤をやめて鎮痛剤から強めの薬で徐々に意識や知識が飛んでいく。
気が付けば、言葉でのやりとりも困難なり……という流れを複数みてきた。

残すものは多かったが、その分「稼いだお金や捻出できた時間」を家族のために全て費やした結果、定年退職後、老後の予定が全て未消化のままひっくり返ってしまった。

「あの時、ああすればよかった」

気づいて言葉にした頃には、もう手も足も動かない状態だった。

それらを直接見て聞いて触れて来た人は、分かるはずだ。

「今この時、五体満足で一番若い時に行動すべきだ」と。

これによって生物が本来持つ、ホメオスタシス(安定になろうとする深層心理)を破り、コンフォートゾーン(快適空間)を脱するきっかけとなる。

50年前の高度経済成長の人口ボーナスがあった時期は、自分を壊して環境に適応する重要性は低かった。年功序列で、型にはまった仕事をすれば「野原ひろしのフツーの家庭」は築けた。

では今の10代はどうか?

年収800万で家車持ちで専業主婦という「あの頃のフツー」ができるか?

今は変化が早すぎて、過去の技術がどんどん変化して市場や流行は変わっていく。
それに順応できる、適応力こそが今の若者に求められるものであり「飽き」や「捨て」や「乗り換え」を本人の覚悟で出来ることが重要だ。

これら自分を壊してリビルドするような行為は、そう簡単にはできない

それを動かす原動力は、「いつ死んでもおかしくない」「やらない後悔よりやる後悔」「今が一番若くて最高の環境」という自覚と感謝だ。

ただ何となく、年を重ねるだけ、という人もいるしその人の生き方にケチをつけるつもりはない。
ただ、老いて動けなくなった時に「あの時の若いうちに、夢をかなえる行動を取っていれば……」というのが、本当に多い。


俺は朝起き会(実践倫理宏正会)で1年休まず、朝5時に集まって続けたが、
そこで80以上の男性女性の方から、生き方や考え方をずーっと聞いてきた。

「墓場に金は持っていけない」

「元気なうちにやりたいことはやっておけ」

そういって元気だったご老体は、コロナ禍の4年間で5名は亡くなってしまった。

普通の人の99%は、若い時の「五体満足と若さのありがたみ」を知らないし気づかない。

50過ぎて諦め、60過ぎて動きにくくなってから、時間と金が余り過ぎて「使い方に困る」のだ。

彼ら彼女らの意見を若いうちに、素直に聞いて、悲しみを乗り越えることで「今若い時に全力で生きよう」という決意に繋がる。

ここの境地まで達することができれば、後は体が勝手に動くので問題ない。
じゃあ自分スゲー! 自慢なのか? というと違う。

それに気づけたこと、幼少期から今までの環境に感謝し、それをココナラブログやKindle本などでフィードバックすることで、1人でも行動の熱量を挙げて「後悔しない人生を送ってほしい」と思ったのだ。

「そんなのあたりまえでしょ」と嗤う人は、終わり際になって初めてその意味を知ると思う。
死の淵、「死悟強まる熱」は、体験した人にしかわからない。でもそれをガチで受け入れることで、後悔する人生はほんの少しでも減るはずだ。

まとめ
①高齢者とのガチ交流: 仲がよい高齢者の訃報でやり残した後悔を聞ける
②死の淵経験: 自分の存在を再確認し、残った未来の人生を「拾い物」と割り切れる
③身内の死: 自分の余命は、メディアが描く定年後大往生ではなく突然切れる実例を知る
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