ひとりじゃないよ

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初めまして。ゆうかと申します。

初めてココナラアプリで電話のお話相手というお仕事がある事がわかり、こちらのブログを書かせて頂いています。

私は自己紹介にある通り、機能不全家族の中で育ちました。


いつも喧嘩している両親、お互いの悪口を子どもに吹き込みながら育てるという最悪な環境でした。
父親との不和のストレスを、母親は子どもたちにストレスを発散し、スピリチュアルにはまり、何百万とお金をつぎ込んでいきました。


元々優しく繊細だった一番上の兄は、見事に母親のストレス捌け口となり、小さい頃から傷つき、大学まで何とか出たもののそのまま引きこもりに。

引きこもりの代償は家庭内暴力でした。

寝巻きと裸足で家から飛び出して逃げ、「助けてください!!」と近所中を叫んで助けを求めました。

追いついた兄には髪の毛を捕まれ、アスファルトに頭を打ちつけられ足で何度も蹴られ踏みつけられ、ぎゃあーー!!と叫んでいる所を驚いて出てきたご近所さんには、母は「いえいえ、何でもないんですよ〜♪」と笑顔で対応。

その後も兄を叱る事や咎める事も何もせず、「キレさせたあんたが悪い」と私に言い放っていました。

二番目に姉がいるのですが、姉も何度も兄に暴力を振るわれていますが、母親は兄の暴力を「ただの兄弟喧嘩ね♪」と言わんとしない様な笑顔で、一切止めずに座って眺めているだけでした(姉が殴られている時は、必死で私が兄の暴力を止めていました)。

背の高い兄からの凄まじい家庭内暴力と、それを一切止めずに笑顔で見守る母親。恐怖でしかありません。

姉は家族から逃げる様に結婚し、家を出ていきました。

兄の暴力は、まず自分より下の妹達だけに向かっておりましたので、父親は無関心。母親は暴力を振るう兄とニコニコと会話をしていました。

今思うと、母はスピリチュアル狂いの様になっていたので、正常な判断はもう持ち合わせていなかった様に思います。

家に味方になってくれる人は、誰ひとりとしていませんでした。(姉も壊れた家族が嫌いになり、私を含む家族を心でシャットアウトしていたので、あまり連絡も取れませんでした。)

私は兄の暴力がきっかけで一週間ホームレス状態になり、ホテル等を転々とした後、ひとり暮らしをしました。

その時はビジネスホテルのフロントをしておりましたので、毎日沢山来てくださるお客様や、連泊をしていてフロントスタッフ皆とも仲が良いお客様も沢山おり、お客様との会話が癒しでした。

私は19歳の時に病気が原因で、大学一年間を休学せざるを得なかった経験があったので、こんな凄まじい事が起こっても「体が元気なら何でも出来る」と自分の経験から感じていました。

しかし家族の事(特に母親)の事が全く理解が出来ず、やはり誰かに必死で話を聞いてもらう事はしていました。

その時私にとって本当に救いになったのは、その時呼吸法等を教えてくれていた習い事の先生の存在でした。

その先生に、やっとはっきりと
「あなたのお母さんは頭がおかしい」
「普通は大事な娘にそんな事は言わない」等、はっきりと言ってくれ(毒親育ちの方にはわかると思うのですが、小さい頃から母親に育てられ、小さい頃は母親が大好きでしたし、一番影響力が大きく、何が普通で何が普通でないかわからなくなってくるのです。)、混乱した私の頭の中を整理してくれました。

めちゃくちゃな家族の事、母親や兄弟に何を言われたか何をされたか、普通の家族はどうするのか、普通がわからない、愛情がある母親像は一体どういうものなのか一切わからないと泣きながら話す私の話を、しっかりと受け止めてくれました。

先生は根気強く何時間も話を聞いてくれ、しっかりと
「あなたはおかしくない。おかしいのはゆうかちゃんの家族ね」とはっきりと言ってもらう事によって、やっと心が整理ができたのです。

機能不全家族の中で育ってしまうと、愛情のある普通の「家族の愛」というものが、どういうものなのか一切わからなくなるのです。そして暴力が振るわれても「あんたが悪い」と言われてしまうと、本当にそうなのだろうかと思いたくなくても思ってしまうのです。


先生に言われてすごく嬉しかった言葉は、
「血縁じゃない。魂のご縁がある人とだけ仲良くしていけばいい」という言葉でした。

血縁があるから仲が良いとは限らない。血縁があっても、憎み合う家族だっています。(うちの場合は完全に何かのカルマ解消の為に集められた様な家族だった様に思います(笑))
もしお母さんから生まれたとしても、その人が酷い事をあなたにしていたら、許せなくていい。許せなくて当たり前です。


私もずっと母親を許せずにいました。

この兄の幾度かの暴力事件も、私の20代の頃の、15年以上前のお話で、一切連絡を取っていなかった兄とまた顔を合わせる事になったのは、7年前突然、心筋梗塞で亡くなった父親のお葬式でした。

不思議なもので、あれだけ大変だっためちゃくちゃな家族が、父の死を持って、またひとつに集めてくれた様な、とても穏やかな空気が流れていました。

父親の死は突然すぎて(前日まで元気に飲んだり食べたりしていたので)、家族にショックを与えましたが、同時に少しの団結をもたらしました。色々と嫌でも皆で話し合わないといけない事が多すぎるからです。

暴力を振るっていた兄は、不仲の両親の一番の犠牲者で、外で働くことが出来ず引きこもりになったり、家族で一番苦しんでいた様でした。
その兄が、しっかりと喪主を務め、父親の仕事の紹介をし、泣いて震える手でしっかりと文章を読み上げていました。

私はもう結婚していたので夫と共にお葬式に行ったので、もし兄が暴力を振るう様なそぶりを見せたら助けてもらおうと思っていました(実際はもうそんな事は全くなかったので大丈夫でした)。

今でも私ひとりでは恐ろしくて実家には近寄れないのですが、母も兄も私も前より年を取ることによって、以前よりは落ち着いた様に思います。

私はずっと母親を許せずにいましたが、2019年に子どもが産まれ、少しだけ思いが変わりました。

10ヶ月の妊娠期間。つわりの辛さ、妊娠後期のお腹が重くて動けないこと。足がむくみ、足がつり、夜中もお腹が大きく苦しくて寝られない。産む時の壮絶な痛み、辛さ。産後の体のボロボロの状態の中、赤ちゃんに昼も夜もおっぱいをあげなければいけない事。

自分の母親だけでなく、全世界のお母さんの偉大さを知ることが出来ました。

もし、今お母さんを許せない人がいても大丈夫です。許さなくていい。
「時間薬」とは、本当その通りで、もしかしたらお母さんが亡くなって何年も経ってから、ふと心が軽くなる時が来るのかもしれません。

私があなたに言いたいことは、「お母さん、あなたを産んでくださってありがとうございます」という事です。

キラキラ輝くこの人生は、あなたのものです。
今辛い時があったら、何でもいいので、吐き出してください。

ただ誰かとおしゃべりしたい!楽しみたい!というのももちろん大歓迎です。

壊れそうな事が何回も起きた人生でしたが、私はあの時、全て自分の思いを聞いてくれた人がいてくれたおかげで今があると言えます。

たったひとりで一番辛かった20代の頃より、年を取ってしまった自分が気づいた事があります。
当たり前なのですが、人生は有限だという事。

どんなお金持ちの人でも、権威を持った人でも、人間である以上、「死」というものからは逃れられないのです。

このたった一度の人生、あなたはどういう風に生きたいでしょうか。

あなた様の魂のご縁にもしなれましたら、これほど嬉しいことはありません。

産まれてきてくれて、ありがとう。

ゆうかより、愛を込めて。

長い文章、読んでくださり、ありがとうございました。



↓こちらで電話のお話相手をさせて頂いております。もしご興味がある方、ぜひどうぞ。


私の様な機能不全家族でお悩みの方、ぜひ吐き出してみてください。


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