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子どもへのイライラは親の身勝手な期待のせい?

*************子どもへのイライラは親の身勝手な期待のせい?子どもが失敗するトラブルを起こす子どもの問題そのものについて親ならなかなか冷静に対処することは難しいですかくいう私も娘が自傷行為を繰り返し不登校になったとき出口のない真っ暗なトンネルにただただうずくまっているそんな感じで毎日メソメソため息ばかりついていました。このように一見心配していて体調まで壊している母何が親をそんなに苦しめているのでしょうか? 自傷行為はまるで自分の身を切り裂かれるように辛い…それは本当ですがこの世で一番不幸なのは自分ではないかとまで思い込んでいました💦でも不登校のことは(うちの場合は高校)・単位が取れなくなる・お金かかっているのに卒業してくれないとやだ・〇〇ちゃんが不登校って言われたくない・中卒なんて世の中そんなに甘くない今思い出してみるとなんか自分の都合でしか考えていませんでした。 子どもの反抗や不登校にイライラするのは自分の期待を子どもが裏切ったからではないですか?普通に(何が普通かは別として)大学まで通いどこかの正社員になって留学して海外で生活したりそんな夢を描いていてそれなのに学校にいつ行くのかもわからないしそれ以前に話をしてもくれない…泣き叫んだり脅してみたりお願いしてみたり…いろいろなことをして試してみては打ちのめされていく…チーン今日は登校するのかな?そんな期待をしてしまう朝が辛すぎるそれ、親のやり方が間違っているよというサインです! こんなときはまず一旦心の距離を置いて子どもの視点で世界を見てみませんか?私は娘からお説教したり、口論になるたびに 「全部おまえのせいだ、死ね
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ひとりじゃないよ

初めまして。ゆうかと申します。初めてココナラアプリで電話のお話相手というお仕事がある事がわかり、こちらのブログを書かせて頂いています。私は自己紹介にある通り、機能不全家族の中で育ちました。いつも喧嘩している両親、お互いの悪口を子どもに吹き込みながら育てるという最悪な環境でした。父親との不和のストレスを、母親は子どもたちにストレスを発散し、スピリチュアルにはまり、何百万とお金をつぎ込んでいきました。元々優しく繊細だった一番上の兄は、見事に母親のストレス捌け口となり、小さい頃から傷つき、大学まで何とか出たもののそのまま引きこもりに。引きこもりの代償は家庭内暴力でした。寝巻きと裸足で家から飛び出して逃げ、「助けてください!!」と近所中を叫んで助けを求めました。追いついた兄には髪の毛を捕まれ、アスファルトに頭を打ちつけられ足で何度も蹴られ踏みつけられ、ぎゃあーー!!と叫んでいる所を驚いて出てきたご近所さんには、母は「いえいえ、何でもないんですよ〜♪」と笑顔で対応。その後も兄を叱る事や咎める事も何もせず、「キレさせたあんたが悪い」と私に言い放っていました。二番目に姉がいるのですが、姉も何度も兄に暴力を振るわれていますが、母親は兄の暴力を「ただの兄弟喧嘩ね♪」と言わんとしない様な笑顔で、一切止めずに座って眺めているだけでした(姉が殴られている時は、必死で私が兄の暴力を止めていました)。背の高い兄からの凄まじい家庭内暴力と、それを一切止めずに笑顔で見守る母親。恐怖でしかありません。姉は家族から逃げる様に結婚し、家を出ていきました。兄の暴力は、まず自分より下の妹達だけに向かっておりましたので、
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生い立ち④〜夜のお店と共に〜

8月のボーナスもらって サッサと 辞めてやりましたが…辞める時 自宅まで 総務課長 勝手に 来ましたねー。脅しですよ!私が辞めたら 次回から 私の出身校からは 採らないって言ったそうです。そんな事知らず 帰宅したら 殴られました。入社試験の時は 父親は 会わなくてオッケーで 辞めると言えば 父親に 脅しですから…怖いですよ。退職後 転々と 転職しました。事務員、ウエイトレス、コンパニオン…いつか見返してやる!と秘めながら…まともな会社に事務員として勤務して、二十歳に成りました。成人式も終え…まさかの まだまだ 父親の酒乱です。密かに心に決めている事が 私なりに ありました。もしも 私が成人式終えてからも 親父が 母に 暴力振るったら 親父を半○しにして 出て行こう!と…記憶をたどれば 3歳の頃から まともに安眠した日は なかったです。酒を飲んで帰宅しては 母や私を 殴り蹴り…母の上に 私が かぶさり かばって 暴行です。夜中に 裸足で 何度も 逃げました。母が 裸足で 飛び出すので 追いかけました。どっかに行っちゃうって 焦って…近所でも有名でした。成人式終えたある日 私の目の前で 父親が母を殴りました。その瞬間、私は父親に 殴りかかり 「出て行け!」「上等だ!出てってやる」でした。母に 借金し アパート借り ちゃんと 父親に 出て行くからと 筋通して 一人暮らし 始まりました。朝8時から夕方5時まで 事務員で、即刻変身してコンパニオン…クラブのホステス…事務員の給料全部 車のローンで 消えますから…掛け持ち辛く とうとう 事務職退社です。正直に事情を説明しました。社長が 亡く
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部屋の中をめちゃめちゃに荒らした息子

当時 息子は絶望と迷いの真っ只中にました。 それを見ている私も息子と同じでした。 登校出来ない辛さ。 みんなのように登校したいのに出来なくて苦しい。 うちにいても何もすることがない。 お母さんは仕事でずっと うちにいない。お姉ちゃんも部活でずっとうちにいない。 うちに引きこもるようになった息子に、不安や心配が募っていく私。 私の息子への接し方も、その時点で明らかに変わって来ていました。 いじめが発覚する前、息子が急に行方不明になっていた時期や、 警察にお世話になったりしていた時は、息子を頭ごなしに叱ったり 嘆いたりしていたのが、少し 様子を見るような接し方に変わって来ていました。この頃、息子はお姉ちゃんとぶつかることも多くなりました。 お姉ちゃんは活発で友達も多く、連日ハードな部活を日々 こなしてはいましたが、捻挫をしたり、テスト直前にも試合が入ったりと お姉ちゃんなりに精一杯の生活を送っていました。お姉ちゃんが疲れて部活から帰って来る時間帯などに、家でだらだらしている息子と些細な事で喧嘩になることが増えてきました。2歳年上のお姉ちゃんに、息子は口で勝つことはほとんどなく、いつも言い負かされていた息子。 その日は お姉ちゃんのちょっとした態度にカチンと来た息子が 台所の食器棚を倒し、椅子をぶん投げ、カーテンを引きちぎったり ととにかく部屋の中をめちゃめちゃにしていたのです。 その日 仕事から帰って来た私は、玄関を開けて唖然・呆然で立ちすくみました。子供部屋にお姉ちゃんは引きこもっていました。 息子はいませんでした。 お姉ちゃんに 何があったのかを聞いて事態を把握して後 しばらく
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うつ病の体験談【色のない人生を送ってきて。】

私は人より「生」に無頓着な人間です。 子供の頃からそれほど生きたいとは思わず、人生ってつまらないなと思っていました。 父親は自己中心的な人で、自分の思い通りにいかないと家族に暴力をふるい、殴る蹴る、風呂に沈められるは日常的にありました。 そんな親の元で過ごしたため、私の中には「人の機嫌を損ねてはいけない」「自分より上の人が言うことは絶対」という考えが自然と植え付けられていました。 その考えに支配され、学生の頃から友達とは深く踏み込めず孤立したり上辺だけの関係がとても多くつまらない青春を過ごしてきました。 そんな私に、人生を更に狂わせる大きな出来事が起こりました。 それは、唯一信頼して心を開いていた恋人の浮気です。 当時、私は演劇や放送の勉強をしながら舞台に参加して、毎日アルバイトと稽古に追われる日々を過ごしていました。 彼は年下で学生だったので、私より自由な時間が多く、毎日忙しくメールの返信が遅い私に腹を立て浮気をしたそうです。 浮気を問い詰めると彼は泣いて謝り、「もうしない、一番大切なのはお前だけだ、許してください」と何時間も訴えてきました。 私は彼にベタ惚れでしたし、結婚も考えていたので彼を許してしまいました。 結局その後も、彼が変わることはなく、私がバイトや稽古で忙しいと毎回浮気をし、公演後に芋ずる形式に浮気が発覚し、人間不信になってしまいました。 毎回私が忙しくて構わないのが悪い、原因は私にあると言われているようでとても辛く、また裏切られるのではないかとバイトや舞台にも集中できなくなり、病んでいく一方でした。 今思うとその時の私には彼しか頼れる人がいないので縋り付いてい
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うつ病の体験談【誤解されがちなうつ病】

物心ついた時には父からの暴言や暴力。そして学生になったとたん、クラスメイトからの命にもかかわるようなひどいいじめ。逃れようと大人に相談しても何も変わらず私はだんだん心を閉ざすようになりました。そのころはまだ子供で、心よりも先に体に症状が出ることが多く、アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎、周期性嘔吐症など繰り返していました。それでも父は病院へ連れて行こうとはせず、母も内科までは連れて行ってはくれるものの、そこで精神科を紹介されても連れて行ってはもらえませんでした。当時は今のように心療内科というものがなく、うつ病も精神科での診察だったため、精神科に通っていることでさらにいじめが激しくなったらだめだという理由からでした。しかし、本当はこの時思い切って精神科でも行っていれば、今のような苦しみはなかったのではないかと思っています。 それでも小さい頃は通っていた内科の先生がいろいろと話を聞いてくれたため、何とか乗り切ってすごしました。うつが再発したのは結婚してからでした。旦那のモラハラが引き金になって小さい頃の嫌なことがよみがえり何もやる気が起きなくなてしまうのです。ひどいときにはトイレにすらなかなか行けないという時もありました。また、子供たちの声やしぐさにイライラして手を挙げてしまうこともありました。このままでは自分がされて嫌だったことを子供にしてしまうと考え、まずは児童相談所に相談。すると児童相談所から、「今は精神科に行かなくても心療内科というところもある。心療内科と精神科、内科も一緒になっているところもあるから、内科へ通う気持ちで受信して見たらどうだろう」とアドバイスを頂いたのです。
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家庭内暴力を受けた話

はじめまして!ブルベナースです☺今日は少しデリケートな話を書きたいと思います。あまり明るい話題ではないので、モードじゃない人はブログから離れてくださいね。よろしくおねがいします(人´・ω・`)ここであえて自分の黒歴史を発信する理由は、自分の気持ちに蓋をしてしまっている人に吐き出していいんだよと伝えたいからです。これを読んでいるあなたにも、きっと心の奥にしまっている欲望や不満はあると思います。私がそういった気持ちを吐き出すきっかけになれればなと願っています。私の場合、主な心の傷は家庭内暴力です。実は家庭内暴力は珍しいことではなく、意外と身近な人にも起きていることだったりするので、もしかしたら、あなたもその一人かもしれないですね。もし、共感するところがあったら、あなたが悪かったんじゃないよ。あなたにどうにかできたことではないから過去の自分を責めないで。加害者を許せない自分を責めないで。話せる人がいたらどんどん話してみて。のメッセージを受け止めてほしいと思います🍀私が最終的に伝えたいのはそういうことです。△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△私は思春期真っ只中に家庭が崩壊してしまい(それ以前に崩壊はしていたかもしれないけど💦)親から暴力を受けました。その回数はたったの1回。「1回で良かったじゃないか」と思いますよね。少し、想像できますか。ーーー高校生2年生の夏。思春期真っ只中の少女。母親の病気という一家の危機があり、家族が力を合わせて団結しようとしています。思春期で父親をさけていた少女は、一家の危機を乗り越えるべく、再び父親に信頼を寄せようと努力します
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「家族を助けたい気持ち」がいじめを受ける原因?

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