プライベートな日記:占い師なつたま
なにか天界からの声が聞こえれば、幸せになれるとか。自分の使命が見つかれば、悩まず生きていけるとか。スピリチュアルカウンセリングは、そういった生まれた理由ごと解消するようなものだと思われがちである。そんなことはなく魂の目覚めというのは、目覚めどころか内臓すべてが新たなものと生まれ変わるようなものである。昔から正岡子規が好きで、『坂の上の雲』で秋山真之に「おまえの世界は広いが、わしの世界は深いのじゃ」という彼の言葉がある。10代の頃、虚弱体質だった時に、それを知って、その「深い生き方」を知りたくて、たくさんの本を読んだ。私は、スピリチュアルカウンセラーの仕事をさせて頂いているが、本質的には哲学に興味がある。生きる、とは何か。仕事の世界はあるか。守護とはなにか、呪いとは何か。願いとは何か、幸せとは何か。大好きな作家の方に池田晶子さんという哲学エッセイストがいて、「哲学の巫女」と呼ばれていた。なんと羨ましく憧れる呼称だろう。他人を占えるとわかってきた時に、仏教やキリスト教では占い師は地獄行きだと知り、どうせ地獄に行くなら神様や仏様を出し抜くような答えを出したいと思っている。私の守護とお客様の守護と相談しながら、神様が決めた運命があるなら、それがお客様にとって良くないなら、神様が瞬きしている間に少し方向転換してしまいたい。そこには、単なる霊界からのメッセージでなく「哲学」が必要だ。人間が考える、人間のための神託。どうせ地獄に落ちるなら、この世には綺麗な言葉を遺していきたいものである。占いの時につかう美しいエネルギーは、日本刀のような鋭さである。斬れるが、活かせる。それで良いと思っている。
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