新しい人生の幕開け…38

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日常でも、様々な変化もあり、その中でも息子の「障害」のことは、まだはっきりしない診察と診断だった。

前に検査したときもまだ「保育園ですからね」などと言われ…
はぐらかされてきたように思うが、まだその頃では「発達障害」というものに先生たちすら「知識」がなかったのだと思う。

その年の春、息子は1年生になった。

保育園の先生からは最後まで「息子君は普通の男の子です!」と言われた…。

けれど、私は納得がいかなかった。それは「障がい者」にしたい、ということではなく、やはりどこか「違う」ということが明確ではないが、本に書いてあった行動と思考が同じだったのだ。
これは「男の子だから」などで済まされない。なんとも言い難い…説明がしずらかった。

入学式にも旦那は出席はしなかった。

入学式の準備も私一人で行った。旦那の両親からも「お祝い」などは貰ってもいないしお祝いの言葉すらなかった。

上の娘の時の運動会なども旦那は出席はしなかったが、Rさん家族が一緒にいてくれたから少しは気持ちはラクになった。
Rさん家族は、その頃「離婚」をしてRさん子供が学区が同じになったのを機に、イベント事には協力してくれた。

もちろん旦那の両親などは来ない。

私が住んでいる地域は春に運動会をする。
なので入学したら初めてのイベントが運動会となる。

息子が入学するまでは運動会さえ、娘と私の「二人ばっち」だった。

ごめんね…と、つい言ってしまったことがある。
けれど娘は「お母さんと一緒だから大丈夫!」と言ってくれた。
本当はみんなが羨ましいだろうに…。

他の親たちは一生懸命、自分の子供たちの運動会を「ビデオ」に撮っていたが、ウチにはそんな贅沢品はなかった。

携帯すらまだ「動画」がうまく撮影できないような時代。
写真を撮るので精一杯…。
けれど動く子供たちを撮るのは難しかった。

子供たちに「お父さん」がいるのに…なんで…。
何度そう思っただろうか…。
運動会は突然行うものでもないし、あらかじめ日時は伝えてある。

入学式も運動会も来ない…。

そんなモヤモヤした気持ちで過ごしていた自分。
それを奮い立たせて「旦那として子供たちを引き取ってくれたんだ!感謝しなきゃ」と、モヤモヤした気持ちを消していた。

運動会が終わり、また日常に戻る。

そうしているうちに…前回話した「家を建てる」という話が舞い込んできた。

家を建てる!?
サラ金の話はどうなったんだろう…そんなにすぐリストから消えるものではないことは十分わかっている。
なぜ、そうなったのか…。

それは、また私抜きで話されたことだった。

大家さんは「自営で不動産」を経営している。そして、旦那のお父さんが「大工さん」…。
これで話が「家を建てる」ということになったらしい。

旦那は電話で興奮気味に「家を建てれるぞ!」と言ってきた。
私はサラ金のことなども説明したが、もう暴走してしまっている。
「家を建てるのはいいけど、銀行に行ったり大変なんだよ?運動会にもこれなかったのにどうするの?」というと、ケロッとして「それはちゃんと時間を取る!」というのだ。

私は開く口もなかった。

「あ…そう、じゃあ頑張ってね」というと「何言ってんだよ!これから一緒にハウジングセンターとか見にいかなきゃだろ!」と…。
私はあきれ果ててしまったが、たぶん結果が出れば諦めるだろう…。そう思っていた。
家を建てる、なんてそんな簡単なことではない。
まして、私の名義貸しに使われた「サラ金」の借金も返済されていないのだ。
なぜ通知がこないかはわからなかったが、私が女性相談所に行ってから一度も連絡がなかった。
その話もしてあるのに…。
どうやら周りから「家を建てるなら子供が小学校のうちがいい」と煽られたようだった。
私は、「家」というものにあまりいい思い出はないため、そんなにすごく欲しいとは思わなかったが、「男のプライド」みたいのがあるんだろうな、と思った。
その話をした次の土日には家に帰ってきた。
…そういう時だけ行動早いな…。

子供たちを連れてハウジングセンターに見学に行った。
色んな家のデザインがあって、子供たちは喜んでいた。

私は複雑な気持ちだった。
旦那は営業マンと一生懸命に話をしている。

そうして色々見て回って帰ってきた…
翌日、大家さんが家に来た。

旦那がいると知ってか、それとも教えたのか…。
なんだと思ったら「土地」の話。

「100坪で100万しませんよ!学校も今より近いですし!」と大家さんも乗り気だった。
旦那も浮足立ってその話を聞いていたが…。

この人…ちゃんと理解しているんだろうか…。

今の家の場所はトラックも近くに置ける。けれど、その土地に行ったら置けない…。

その話をポツリとしたら、一瞬両方とも黙ってしまった…。
ほらね…考えてない…。

大家さんは負けじと色んな話を振ってきた。

私は具体的に「なにをして、なにからするのか」を聞いた。

それを聞いたら途方もなく到底旦那だけでは無理な話ばっかりだった。
平日の銀行、土地の見学、家の設計…ローンの組み方…
もちろん、給料などの計算など…。私を「連名」にするかどうかなど…。

旦那は「よし!やるぞ!」と息巻いていたが…。

大家さんが帰ってから二人で話し合っていた。その時、なにを察したか旦那にお義父さんから電話がきた。
なにやら家のことで話をしているようだった。
少し話をしていたようで電話を切った。その後、私に
「おい!お前!すごいぞ!お前が設計しもいいって!」
はい?????

どこにそんな時間があって、どこにそんな知識があると思ってるんだ!!

と怒鳴り散らかしたい気持ちを抑えて…。
「私そんな知識もないよ」というと
「簡単でいいって!」と…。

なんだ「簡単」って…簡単なものを買うんじゃないんだぞ…と、もう私はクタクタに疲れ果てた。

そんな話をしながらも子供たちは久々に帰ってきた「お父さん」と一緒に遊びたくて一生懸命だった。
かといって旦那も、子供たちを無碍にすることもなく、たまに少し遊んだりしてくれたが…。

私に課せられる「事」が多すぎて…。

その次の日は平日だったが珍しく仕事を休んで銀行に行ったようだった、私は仕事なので、構わないことにした。
自分でやる!といったのだからちゃんと「責任」持ってやってもらおうと思った。

こればかりは私も「家を建てる順番」などというものには知識がない…。

設計しろ、と言われたけど、その頃「パソコン」なんてものは家にはなく…。
ハウジングセンターで資料としてもらってきたパンフレットを参考にするしかない…。

銀行に行ってきた旦那は「後は審査結果だけだ、まずいくらの融資とかではなくて融資自体通るかの仮審査をしてきた」と…。
続けて「融資を受けるにも設計を見て見積もりを出さないといけないらしいから後は頼んだ!」
と…。

そうなのか…、設計してどこにどれくらい掛かるかわからないと融資の金額は出せないもんな…。
と一つ、勉強になった。

私は仕事が終わって子供たちを寝せてから「人生初の家の設計」というものをした。
そもそも「人生設計」もままならないのに…。この時は本当にそう思った。
笑われてしまうかもしれませんが(笑)

子供が使っていた「自由帳」を少し貰って、そこに「自分がこんな家に住みたい」という理想とハウジングセンターで見た配置を思い出しながら書いてみた。

はぁ…。できた…。
寝よう…。




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