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新しい人生の幕開け…32

一人病室にいると、旦那が看護師さんと一緒に入ってきた。「おう!やっと帰ってきたぞ!」と呑気な言葉と共に入ってきた。イラっとした。それでも病院では怒るわけにもいかず…。一人で悶々としていた。そして、お義母さんたちのことを言うと、「それは大丈夫だから!」と言い放つ…。「そういってこの間だって帰ろうとしたじゃん」というと「ちゃんと言って聞かせたから!」と…。もう言い合いにもなりなくなくて、私からはもう何も言わなかったが、旦那が帰ってきたならもう子供たちも大丈夫かな、とも思った。そして、3日目。旦那に電話すると…なんと!仕事に行っている!「え?入院している間は子供たち見てくれるんじゃなかったの?」というと「いつまでも休めないよ…」と…それはそうだけど…自分の親がどれだけのことをしたかわからないのか…まだ小さい子供にご飯も食べされられないのに…。そうしてまた、毎日子供たちに電話をした。ちゃんと学校に行けたか、保育園に行けたか、迎えはきたか、ご飯は食べれているか、お風呂は入ったか…。学校でなにがあったか、保育園でどんなことをしたか…。そんな電話の途中でさえ、お義母さんが「毎日電話うるさい!」などと聞こえてくる…。腸が煮えくりそうなのを必死で我慢した。子供たちには「もうすぐで赤ちゃんと一緒に帰るからね!」と言って安心させることしかできなかった。Rさんはたまに病院に来てくれた。赤ちゃんと私と話をしに…。Rさんは「あの親じゃだめだな…、私が子供たちを見ようと思ったけど、『あんた誰』って言われたし」と…。なんてことを言うんだろう。本当に「非常識」。そんな感じでとうとう「退院」の日がやってきた!私は
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地獄への道…4

私は出された薬をただ眺めていた。確か…「セルシン、パキシル」という薬だったと思う。その薬にどんな効果があるかなんて、わからず飲んだ。この薬で本当に「うつ病が治るんだろうか…」どれくらいで治るんだろう、そもそも「うつ病」は…家にいると色々なことが頭をよぎる…会社で私は何か先輩たちに「嫌なこと」をしたんだろうか、詐欺師とまで言われなければいけない何かをしたんだろうか…外に買い物に行くと知っているかのように「今日休み?」と聞いてくるのはワザとなのか…私はもう働ける場所なんかないのかもしれない…私は…そうだ…元々「誰からも必要とされていなかった」…もう涙すら出てはくれなかった。「明日…市役所に行こう…」けれど一つ心配なことがあった。それは母親のこと。保護を申請すると「親族に連絡が行く」というのを聞いたことがある。もし…私が保護を受給すると母親は目の色を変えて金銭を取りに来るだろう…アイツはやりかねない。それだったらいっそ、子供たちと死んでしまおうか…保護を申請するのにも凄く悩んだ。もし家がバレたら…またあの地獄のような日々が続く…せっかく女性相談所まで行って逃げたのに…それだけは避けなければ…。なぜ、それほどまでに「母親」の行動に恐怖を感じるのか…それは、やっぱり地元にいると嫌でも母親の話は聞こえてきていた。いかにも「子供を心配しない親はいない」とか「辛い思いをさせてしまった」などとお涙頂戴話をしているようだった。私はそこから母親のことを思い出すだけで「動悸」がするようになった。怒りと恨みと憎しみと…情けなさ…。私は何時間も子供たちが帰ってくる時間までずっとボーっとそんな事を考えていた
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新しい人生の幕開け…33

まずは赤ちゃんが寝ていてくれている間、そして子供たちが帰ってくる前に家の掃除からだった。…産後はゆっくりしたかった…。そういう約束だったよね…。自分の気持ちがぐちゃぐちゃだった。けれど協力してくれる人が一人でもいてくれて心強かった。二人で掃除をするとすぐに片付いた。やれやれ…。私はRさんにお礼をいい、コーヒーを入れた。Rさんは、旦那の両親に対する文句は止まらなかった。それはそうだ。それは私も同感だったけど、赤ちゃんにも、子供にも罪はない。そう、全部私が悪いのだ。Rさんとは色んな話をしていたけど「お前、退院してすぐなんだから少し寝ろ、学校は帰ってくるだろうけど保育園は私が行くから!保育園に電話しておいて!まだ時間あるけど、軽くご飯も作っていくから、少し寝な!」と言ってくれた。私は申し訳なさ過ぎて、寝れるわけもないが、少し横になった。そうしているうちに赤ちゃんが起きた。ミルクを作ったり、オムツを変えたりしたがなかなか寝てくれない…。けれど赤ちゃんの顔を見ると本当に癒される。この頃、まだ名前は決まっていなかった。普通は入院している間や、産まれる前に夫婦で決めたりするものだろうけど、なにせ、旦那もいない。電話やなにかで決められるようなものではない。旦那は明日帰ってくるとのことだった。本当に、私は旦那に愛されているのだろうか…。愛されているつもりになったんだろうかそれとも勘違いなのかそもそも「愛されるってどういうことなんだろう」以前からも感じていたことが、またふと頭をよぎる。けれど、子連れの私と結婚するなんて愛情がないとできないよね…同情だけで結婚とはならないよね…。私は必死に考えた。そ
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地獄への道…6

離婚してまだ半年経ったか、経たないかで元旦那からの再婚の電話。反対とかどういう感情よりも怒りや、「やっぱり…」という感情の方が強かった。その電話ついでに「生活保護を受けるかもしれない」ことも話した。そしたら「あ~じゃあこっちも都合がいいや、今までみたいに生活費入れなくて済むし、その話もしたかったから」人間とは思えない発言だった。けれど私はその当時、もう感情などほとんどなかったおかげでキレずに済んだのかもしれない。子供たちとの面会はどうするのか、と聞くと、「ん~今までのようには行けないからな~」と…。私は「じゃあコッチからなんとか言っておくよ」と言った。もう相手に期待しても無駄だと思った。全てを諦めていた。それでも子供たちの問題は待ってはくれない。次は息子だった。療育センターに通っていることも学校に話した上で、「特別学級」に通級していた息子。少しは環境がよくなったかと思っていた。息子は3年生くらいだったと思う。保育園の時から診察を受けていたが、一向に「診断」は付かず…。もう半ば「発達障害」のことは「秋田では診断できないのではないか」と不信感でしかなかった。そのあたりから私は個人で「発達障害専門」の医師を探していた。その最中、時折「学校に行きたくない」とまたいい始めていた。その度に、私は「無理に行かなくていいよ」と言ってきたが、お姉ちゃんの姿を見ると、それも忘れて学校に行ったりもしたが、どうしてもダメな時は休ませていた。そういう時は、なるべく公園に行ったりしていた。息子は「体を動かす」のが得意のようで、スポーツにとても興味を持っていた。ルールなどは覚えられないがゲーム自体は好きなよ
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新しい人生の終焉

浮気が発覚したのはディズニーランドから帰ってきて、半年も経たない頃だった。その日は、仕事から私も仕事から帰ってきて、子供たちにご飯を食べさせている時に旦那が、「これから帰る」と電話がきた。今までにも急に帰ってくることはあったので、さほど気にしていなかった。ご飯の準備しなきゃな、くらいの気持ちだった。そうして、旦那が帰ってきて色々していた。そうして一通り家事やら子供たちを寝せて一休みしようとしていた時「ちょっと話がある」と言ってきた。今度はなんだろう…。私は、仕事を変えるとかそういう話だと思っていた。「ごめん…好きな人ができた…」と…。私は呆然とした。私はどこか冷静を装っていた。「その人はどんな人なの?どこで知り合ったの?」と聞いた。そうすると旦那は「ゲームアプリで知り合った…最近家にこれなかったのは、その人の家に行っていたから……その人が弱いんだ!お前みたいに強くない!うつ病なんだ!俺がいないと」バアアアァン!!私は旦那の顔を叩いていた。「なに?誰が強いって?誰が弱いって?私もあんたと一緒になる前に病院で『うつ病』って診断されたとき、あんたなんて言った?ふざけんな!!」と怒ったというより、もう怒鳴っていた。旦那は涙目になっていた。「誰が子供産んでくれって頭下げたんだよ!お前に育てられんのか?それともなに、その女に育ててもらうのか?!!」と今までの「我慢」を全部さらけ出した。サラ金を払ったこと、生活費の足りない分をクレジットカードで補っていたこと、一人で育児をしてきたこと全部全部…。それでも旦那は「ごめん!すまなかった!」と土下座をした。それにも腹が立った。よくよく聞くと「毎月の
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新しい人生の幕開け…45

ディズニーランドに入場した瞬間、子供たちはとても喜んでいた!「うわぁ~~!!ジャスミンだ~!!」などとはしゃいでいた!旦那はなんだがグチグチ言っていたがあえて無視をした。せっかく楽しい時間を嫌な時間にしたくなかった。旦那にしれみれば、そんなに楽しいところではなかったかもしれないが、一緒に楽しんでほしかった。けれど子供というのは何かを感じたのか、それとも子供ながらの純粋さなのか、「お父さん!こっち!こっち!」などと言って手を引っ張って連れ出していた。パレードをみたり、ディズニーおなじみの「ポップコーン」を自分の好きなキャラクターの入れ物を選んで首から下げて楽しそうだった。ベビーカーを押して子供の手を引きながらは大変だった。旦那は、ちょっと離れたところから付いてきている感じ。疲れているのはわかってるけどね…。子供たちも楽しんでるんだから…もうちょっと楽しそうにしてくれてもいいじゃん…。ふと周りに目をやると、お父さんが肩車をしていたり、お父さんがベビーカーを押していたり…。幸せそうな…「幸せ」を絵にかいたような、というのはこのことをいうんだろうな、と思える家族がたくさんいた。全員ではないことはわかっているつもりでも…。私たちも「そう在りたかった」…。それは「無理」な…「難しいこと」だったのか…。私が高望みしすぎているのか…。私は子供たちの嬉しそうな顔を見ながら…少し寂しい気持ちになった。それから、少し色んなところを回って、「隠れミッキー」を探したり、キャストの方たちから色んなサービスをしてもらったりして子供たちは大喜びだった。下の娘は、あんなに行きたがっていた「ディズニーランド」なの
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新しい人生の始まり…44

思ったより「ディズニーランド」までは遠かった(笑)なんでも県外に行くのは修学旅行などでしか行ったことがない。高校にもなれば、色々あったかもしれないけど、高校にも行けてなかったから、そんな体験をする機会もなかった。車だったから子供のトイレや空腹などに対応が臨機応変にできた。本当にこれだけはよかった。旦那も休み休み運転をしていた。子供たちもいい加減飽きてきたりもしてきたが、ほぼ寝ていたり、車に付いていたテレビなDVDなどをみて過ごした。本なども持ってきたが「車酔い」が起こってしまい中断した。そもそもこんなに長い時間、車に乗っていることがない。そんなこんなで、やっと近くまで来たのは「朝方」5時くらいだったと思う。近くになっても子供たちは起きてこなかったし、開場までまだ時間があったから駐車場で私たちも仮眠をとった。2時間も寝ただろうか。少しまぶしくなった光で起きた。周りに目をやると、もうすでに少しづつ車は増えていた。朝方に来た時は「東京ドームシティ」などディズニーランドのホテルなどが立ち並んでいたのがあまり見えなかったが、明るくなるとすごく立派なホテルが見えた。あぁ…私のボーナスがもっと多かったらな…と少し落ち込んだ…。チケットを取って、ガソリン代と、食事代などだけで精一杯だった。色々ディズニーに関して色んな人に聞いたら「お土産だけでうん万いくよ」などと言われていたから、少し構えていた(笑)子供たちに楽しんでもらいたい!私が楽しむというのも一理あったが、2歳くらいの子供をベビーカーに乗せて2人の子供を連れて、尚且つ「自分も楽しむ」などいう器用なことはできなかった、というか「初めて」の体
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新しい人生の幕開け…43

子供たちに伝える前に「日にち」を決めなければ、子供たちに「守れない約束」をしてしまう可能性があるから、日にちを決めることにした。けれど、子供たちが「夏休み」なことと、私たちの仕事に影響を与えない日にちにしなければならなかったが、私の場合はなんとかなる。問題は旦那だ。旦那に電話をした。「ディズニーのことなんだけど…いつ行けそう?決めないとチケットも私の休みも取れないし、あなたも休み取れないでしょ?お盆時期はどうしても混雑するし…小さい子を連れて混雑したところに行くのも子供大変だし…」と…。旦那は「会社に聞いてみる、これははっきりしないと全部だめになるからな」と言ってくれた。旦那は行く前から「ディズニーまでの道順は仕事で何回も通ってるから大丈夫だ」と自信満々に言っていた。そして、数時間後、会社に聞いたであろう旦那から折り返しの電話がきた。「8月の10日から3日休み取れた!そのままお盆休みでいいって」と電話がきた。そういう時だけはちゃんと休み取れるんだな…と、少し腑に落ちないところがあったが、仕方がない…。日にちが決まったところで、子供たちが学校や保育園から帰ってきたら真っ先に報告しよう!子供たちの喜ぶ顔を想像したら嬉しくなってきた!とうとう子供たちを迎えに行く時間になった!そして、みんなが揃ったご飯の時間…。「聞いて!今度ディズニーランドにみんなでいくよ~!!」すると…「ほんと!!??わーい!!(∩´∀`)∩ワーイ!!」とみんなで喜んでくれた!!良かった!この顔を見たかった!それからしばらく「ディズニーランド」の話で盛り上がった!子供たちは興奮状態だった。それからしばらくテレビやな
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新しい人生の幕開け…34

そういえば、あの後、お義母さんたちは本当に「歩いて」家に帰ったんだろうか。ふと思い出して、旦那に電話した。旦那はすぐ出た。まだトラックを走らせているようだった。「おう!どうした?」という相変わらずの応答だったが、事情を説明した。そしたら「なんだってな…。役に立たない奴らだな…。俺になんにも連絡きてないから、どうせ親父に迎えに来てもらったんだろ、どこかで」という返事だった。「悪いけど、私もそれどころじゃなかったし、止めけどどうにもならなかったし…。あとであなたから連絡してみて。なにかあったら大変だし。」と。「わかった」と言ってくれたが…「それと…赤ちゃんの名前、もうそろそろ決めなきゃいけないんだけど…いつ帰ってくる?」と聞くと「おう!そうだな!明日帰る予定だ!その時決めて、市役所に出しに行かなきゃだろ?」というので「うん、そうだよ。子供たちも名前ないと呼びにくいし、この子もかわいそうだよ」と…。そうすると旦那は「俺も考えてはいるから帰ったら二人で決めよう」ということになった。今までどの子も「私が付けた」とか「二人で話し合って決めた名前」という子がいない。裁判で取られた息子も元旦那の親と義姉さん。娘もそう…。手元にいる息子は、憎いあの母親。そう、勝手に名前を決められて出生届を出された。私の入院中に…。だから、せめて「二人」で決めたかった。全部自分の思い通りにとは言わない。二人で…。そして、ようやく寝ることにした。3人で寝ていると子供の成長がすごくわかる。体が大きくなったな…寝相が悪くなったな(笑)…そうしていると、赤ちゃんがミルクの時間で泣き始めた。最初は子供たち起きるかな?と心配
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新しい人生の幕開け…46

ディズニーランドを地図を見ながら色々回ってみたけれど、一生懸命回ったつもりが、ほんの一部なことに驚いた(笑)そして、いよいよお土産を買うことにして、お土産屋さんが立ち並ぶところに向かった。もう、どれがどれなのかわからず(笑)。色々見たいけれど、それどころじゃない人混み!!お土産、なんてものはそもそも「旅行」をしたことがないのだから、なにを買ったらいいかもわからなかった。お土産っていったいどんなのがいいんだろう…。まずそこからだった。ミッキーのかわいい缶に入ったクッキー…飴…は溶けそうだからやめようか…ぬいぐるみは…小さいのでも結構な値段がした。一か所で決めれず、他のお店もみることに…。けれど「なんの違いがあるのか」もわからなかった。子供たちも「これが欲しい!」「あれも~」で、ゆっくり選ぶなどという時間とか、「楽しむ」ということがうまくできなかった気がする。自分のお土産のセンスがないのと人混みと子供たちの声で私はなぜか焦っていた。けれど旦那は、人混みを避け、私たちとあまり会話をしようともしない。だから、旦那に相談したり楽しく話したりしてお土産を選べなかった。私は旦那のお義母さんたちにももちろんお土産を買っていきたい気持ちがあったから、なにがいいのか聞きたくても、そばにいない…。一度、店を出てから「お義母さんたち、なにがいいんだろう?」と聞くと旦那は「親父は酒でもいいんじゃね」と…なんでディズニーにまできて「お酒」なんだよ…。と思いつつも…、ディズニーのラベルかなんかのお酒があるかなど探してみたが見つけられなかった。もう15時くらいになって夜のパレードも見たかったが「帰り」のことを
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新しい人生の幕開け…41

少しの間は、息子も元気に学校に行ってくれていた。娘も、弟のことに関して、たまに愚痴は言うものの友達と遊んだりしているようだった。その間、「家を建てる」という話は平行線状態だった。旦那が銀行に行く時間がない、というのだ。土地ももう決まったような状態で、買う坪数は「100坪」田舎の特権なような坪数(笑)私が無知のまま、「簡単でいいから設計図」を書いてと言われて書いた家の設計図も完成していた。その次のステップにいっていないのだ。散々急かせておいて、自分はこれだ…。その銀行の「仮審査」に行けない。電話越しに、ここまでやってんなんでなの?と聞いてみた。旦那は「銀行って15時までだろ?都合よくいかないんだよ」などと言っていたが、家を買う時点での時間は取れていたのに、一番肝心な時間が取れないのは別の理由があるのだと思った。だから少しつっこんで聞いてみた。そうすると旦那は「断られたらどうしようとは思ってる」と本心がでてきた。今更?「それ、私も言ったよね、家の話の時に…。ブラックだったし、いくら一括で返したとしてもリストには載ってるって…それでも大丈夫なの?って聞いたよね」というと、旦那は沈黙した…。やっぱり直前になって困ったんだ…。怖いんだ…。きっとサラ金のこともお義父さんには言っていないから勝手にドンドン話を勧めたんだろう…。けれど自分で話を持ってきたからには自分でケジメを付けてほしい。私だってもう日々の時間がギリギリで生活している。金銭面も…。けれど、もう何も理由なくして、この話を「なし」にすることはできない。大家さんでもある不動屋さんも乗り気だからだ。どうするのか…。少し沈黙の後、旦那は
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地獄への道…13

息子の病院の先生から、息子のことをわかってもらった安心感でいっぱいだった。これでスムーズに物事が動く、そう思っていた。なにせ「診断書」があるから。これがもらえなくて息子も私たちも苦しんだ。けれど現実はそうはいかなかった。学校に電話をした。もちろん診断書のことである。そして、それに伴う「支援学校への転校」の件。これはさすがに学年主任や担任だけの問題ではないだろう、と考えたのであらかじめ担任の先生に「診断書がでたのでお話がしたいのですが」という電話をした。先生はあまりいい返事ではなかったが、時間を取ってもらうことにした。そしてそのことを息子に話すと、一気に顔が暗くなった…。私は息子に「これはね、これからあなたが支援学校に気持ちよく行けるための書類とか、話し合いをしなければならないの。とても大事なんだよ、あなたが学校に行きたくないならお母さんだけが行ってくる。あなたはもう傷つかなくていい」そう伝えた。学校に行かなくてもいいと聞いて少し安心したのかホッとした顔ではあったが、暗い顔をしていた。それを見て、わたしは「絶対、この子に同じ思いはさせない」そう強く決めた。お姉ちゃんや妹は、気を使ってか息子の前で学校の話をすることはなかった。息子がお風呂に入っている間や、いない時に話すが、息子は友達からはとても好かれていた存在だったので、学校が終わると息子を誘ってくれる友達が多かった。それでもその友達は「無理に学校にこなくてもいいよ!俺たち学校が終わればいつでも遊べるし!」という優しい友達ばかりだった。それを見て、娘たちも気を遣うことなく、少しづつ学校の出来事を話すようになってくれた。お姉ちゃんに
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新しい人生の幕開け…39

私は、日々が「秒」のように過ぎていった。夜寝る頃には「次の日の朝」をどう早く、的確に、完璧にこなすか…、ということを考えながら眠りについた。もちろん、子供との「会話」もちゃんと聞いてあげたい。そのための時間も必要。私にご飯など食べる時間すらなかった。ご飯を食べるのは、仕事の合間の15時あたり。一日、その一食だけになった。仕事の間に、息子の病院や、PTA、そして仕事に必要な試験の勉強。息子が学校に入学して初めての夏休みの時の話。夏休みは二人とも「学童」に預けていた。そのためお弁当も作らなければならなかった。学童にもお金がかかるが、二人がもう少し大きくなるまでの辛抱だ、と思い入れていた。もちろん私が仕事中、事故などの心配もあったからだ。なんせ旦那の両親はアテにならない。そして、夏休みが過ぎた。一年生の「夏休み」と言えば、みなさんも記憶があるだろうか、「花や野菜を育てるための鉢植え」を持ち帰って毎日観察する、または収穫する、というものだ。息子は夏休みが終わり、そのプランターを持って行かなければならなかったのを何日も忘れていたようで、先生から連絡帳に「お母さんが持ってきてください」と書かれていた。私は息子にも登校時に伝えたが、気づいたら…また忘れている…。これは、私が持って行かなければ…と思い車にプランターを入れ、下の子を保育園に預け、とりあえずは仕事に向かった。朝礼を終えて、学校の休み時間に合わせていこうと思ったが、今度は自分のアポイントの時間と重なることがわかり…。これはどうしようもない、と私は学校に向かった。本当はプランターは一年生のクラスの隣の庭?のようなところにみんなの分が置
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地獄への道…1

アパートに引っ越してから3か月くらいだろうか、仕事も順調だった。次々と業績も上がり、自分でいうのもなんだか、私が入社したときは営業員が私を含め4人しかいなかった営業部も25人にもなっていた。ほぼ私の「部下」と言われる人たちである。全国入賞も何度もした。実際、成績を挙げているという感覚がなかったので、特別偉ぶったりることはなかったように思う。よく「保険屋」というと名義貸しであったり、架空契約などがまだあった時代ではあった。けれど私の場合は契約をするのはお客さんの「職場」か自分の会社に来てもらう、というスタイルが9割を占めていた。会社に来てもらうことで上司とも面談できる。全ては「不正な契約ではない」という証明にもなるのだ。「押し付けない営業」が功を奏したのか営業員も増えていった、というのが今となっては成績に繋がったのだと思う。そして、そうしている間に一度だけ、旦那がアパートにきた。それは何でもない日だったが、アパートまでの場所を教え、子供たちに「お父さんがくるって」というと、喜ぶのかな、と思ったが予想とは反して「ふ~ん…」だった。あれ?私旦那の悪口とか言ったかな…態度に出たかな…なんだろう…と少し心配になったが、来ることが決まっていたので来た時の態度やその後の気持ちを子供たちに聞いてみようと思った。旦那はアパートの玄関…といってもすぐキッチンなので丸見えなのだが「こんなところに住んでるのか…狭くないか?」と言ってきたが「大きければいいということではないから十分です」といった。そして、子供たちが部屋から出てきた。リビングとは呼べないようなところで少し会話をしたりしていたが、どこかぎこ
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新しい人生の幕開け…36

「学歴」…。私は行きたくなくて行かなかったわけではない。けれど、それは相手の会社には全く関係のないこと。それに同情してほしいとも思わなかったが、こんなにも「学歴」に関して言われることがなかった。私の中で「学歴」はコンプレックスになっていった…。何もできない資格もない…。当然、仕事をしないと「保育園」に入園できない、という負のループだった。息子は「育児」という名目で通園できているが、それも1年くらいしたらもう通じないだろう…。息子だけの問題ではない。働かないと生活ができない…。どうしよう…。そうして、下の子が1歳になろうとした時、前職の保険屋さんが訪問にきた。「どうしてる~」と。その時の私には輝いて見えた…。生き生き仕事してるな~と…。玄関先で世間話を少ししていた。その元上司は「そういえば仕事なにしてるんだっけ」と言ってきた。私は、ことの経緯を説明して、今仕事がない状況なことと、やっぱり子供が保育園に入れられないことなど、色々話した。そうすると…「あら!じゃあ丁度よかった!ウチにまたおいでよ」といってくれたのだ!!私には願ってもいない話だった。出戻りになるし、ちょっと行きづらいな、とも思ったが、そんな悠長なことは言っていられない。「え!?いいんですか?」と口から出てしまった。と、なぜかトントン拍子に仕事が決まってしまった。私は嬉しくなった。よし!またこれで頑張れる!しかも子供がいても、気にしないで子供のために時間も作れるし、土日休みだし!!学歴も関係ないならもってこいだ!私は早速旦那に連絡をして、報告した。そうすると旦那は「また保険屋やるの?仕事、そんなに焦らなくてもいいんじゃな
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新しい人生の幕開け…38

日常でも、様々な変化もあり、その中でも息子の「障害」のことは、まだはっきりしない診察と診断だった。前に検査したときもまだ「保育園ですからね」などと言われ…はぐらかされてきたように思うが、まだその頃では「発達障害」というものに先生たちすら「知識」がなかったのだと思う。その年の春、息子は1年生になった。保育園の先生からは最後まで「息子君は普通の男の子です!」と言われた…。けれど、私は納得がいかなかった。それは「障がい者」にしたい、ということではなく、やはりどこか「違う」ということが明確ではないが、本に書いてあった行動と思考が同じだったのだ。これは「男の子だから」などで済まされない。なんとも言い難い…説明がしずらかった。入学式にも旦那は出席はしなかった。入学式の準備も私一人で行った。旦那の両親からも「お祝い」などは貰ってもいないしお祝いの言葉すらなかった。上の娘の時の運動会なども旦那は出席はしなかったが、Rさん家族が一緒にいてくれたから少しは気持ちはラクになった。Rさん家族は、その頃「離婚」をしてRさん子供が学区が同じになったのを機に、イベント事には協力してくれた。もちろん旦那の両親などは来ない。私が住んでいる地域は春に運動会をする。なので入学したら初めてのイベントが運動会となる。息子が入学するまでは運動会さえ、娘と私の「二人ばっち」だった。ごめんね…と、つい言ってしまったことがある。けれど娘は「お母さんと一緒だから大丈夫!」と言ってくれた。本当はみんなが羨ましいだろうに…。他の親たちは一生懸命、自分の子供たちの運動会を「ビデオ」に撮っていたが、ウチにはそんな贅沢品はなかった。携帯す
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