地獄への道…7

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生活保護が決定してから2週間くらい経っただろうか、保護のお金が振り込まれていた。

少し金銭面的には安心したが、前にも話した通り
「人間失格」
を張り付けられたような感じがして、どことなく後ろめたさがあった。

保護の振込金額は、子供手当などを相殺して振り込まれるが、それでも十分だと思った。

車所有の件は、保護の方から「特別許可」という形になった。

トントン拍子に物事が決まっていく中、私の体調は反するかのように悪くなっていった…。

元々痩せていたわけではないが、体重は減り、とうとう血圧が上80前後になっていた。

精神科に通うようになり、慣れない「薬」と合わない「薬」のせいか、脳みそが全く「機能」してくれない。

とにかく「眠い」…

とにかく下の子を保育園に預ける、というまでが精一杯になっていた。
それでも
「生活保護受給者」だと思われたくなくて必死だった。

そして、「仕事を辞めたこと」も自分の中では消化できていなかった。

けれど日を追うごとに
「どうせ生活保護を受給するなら、うつ病をしっかり治そう!そして歯医者にも行こう…、行けなかった病院や自分の体を治していこう、それからまた社会復帰すればいい」
と思うようになった。

そう思えるまでに半年は掛かったと思う。

それまでは「会社を訴えてやろうか」、母親のこと、父親の死、全てが
「恨み」に変わっていた。

母親の宗教、お金のこと、イジメられたこと、サラ金のこと、最初の旦那のこと、元旦那のこと…取られてしまった息子のこと

挙げればキリがないほどに恨む要素はたくさんあった。

自分は本当に愛されたことはあるのか…
子供たちに愛情は与えてられているのか…

ただ一つ

親だからという「見栄とプライド」は捨てようと思って生きてきた。

それに左右された幼少期だったから…。

子供たちには「子供らしく」その瞬間を生きてほしかった。

家にいてもすることには限界がある…
そして、お隣さんもいつもいない時間にずっと車があるのを見てか、
「お仕事辞めたんですか?」などと聞いてくる。

私はそれだけで発狂しそうだった。

苦笑いと会釈をしながら有無を言わず家の中に入る。

ずっと家の中にいた。
子供たち以外話す人はいなかった。

部屋の電気の「ジー」という音でさえもうるさく感じる。

そして自分のふがいなさを隠すように布団へもぐりこむ。

そうすると一時的に安心するものの、動悸がしてくる。

そしてついには、息がしずらくなってくる。
パニック発作、というものらしい。

それはいつ、どこで発作がくるかわからなかった。

幼少期、「小児喘息」というものにはかかったことがあるが、それとはまた違う苦しさ。

あれほど「死んでもいい」と思っていたのに、いざ「死にそう」になると自然と「助けて」と思ってしまう。

不思議だと思った。

今まではあまり近所の人とも交流がなく、隣の方(カップル?夫婦?)もとてもよくしてくれていたが、私が仕事を辞めて、しばらくしてから顔を合わせることが度々あった。

お隣さんの様子がおかしい…。

前までは挨拶程度ではあったが、笑顔で挨拶などをしてくれていた。
私も「毎日子供たちがうるさくてすみません💦」というと「全然聞こえませんよ」などと言ってくれていた、もちろんそんなことはないだろうが、コチラも謝罪してみたりお隣さんも笑顔で返してくれていた。

ところが…
最近では挨拶どころか目も合わせてくれない…
挨拶もしない…

なにか私悪いことしたかな…。

やっぱり子供たちうるさかったかな…。
次会ったら、もう一回謝ろう、そう思っていた。

そうして数日後、たまたまお隣さんと顔を合わせたから
「こんにちは…毎日子供たちがうるさくてすみません💦」
というと
「本当だよ!!こっちは寝れねーんだよ!!」
と、怒鳴られた…。
私はビックリして「すみません💦」と言いながら、本当は車にいくはずだったのを部屋に戻ってしまった…。

え…どうしたんだろう…。
子供たちは夕方から夜の9時までくらいしか騒ぐ、といってもお風呂やご飯などが終わったら寝てしまう…
朝には学校などに行く…。

どうしたんだろう…。
私は少しパニックになっていた。

お隣さんからそんな言葉がくるとは思っていなかったからだ…。
もちろん私の甘えもあったかもしれないが、1階と2階のような作りではなく「長屋」のような作りなので足音が極端にうるさい、ということではなさそう…。

私は「どうしよう…」としばらく考えた…こういう場合は……

大家!!大家さんに電話して対処法を聞こう!
当事者同士が関わったらダメ、と何かでみたことがある!

大家さんに早速電話した。大家さんはもう定年退職をしていて家にいる人と聞いていた。

大家さんに事情を話すと…
「あ~なんだかお隣さん精神的に参っているようだね…、といってもお宅のことではなくて仕事が上手くいっていないらしい…それで奥さん?だったかな?女性の人がいるでしょ?その人一人で切り盛りしているみたいだよ…だからあんまり気にしなくていいよ!と言ってもあんまり酷いようだったらまた連絡頂戴」
と言ってくれた。

そういわれてみればお隣さんの奥さん?女性の方が少し瘦せていたような気がする…。

私も他人事とは思えなかったが、なんとなく複雑な気持ちになった。

あまり声を掛けない方がよさそう、と思った。

そうしているうちに裁判所から正式に「自己破産決定通知」(詳しい名称は忘れました)
が来た。

それを今度は生活保護に持って行かなくてはならなかった。

これで「全てが無くなった」…。

私がこの子たちに「残せる」ものはなんだろう…。
ただ残すものが「借金」でなくてよかった。

そんなすごく「レベルの低い」財産の残し方ってあるだろうか…。

これではまるで父や毒母と同じではないか…。

なんだろう…この感覚。

結局「親と同じこと」をしているのか…

そう思うだけでパニックになり、自暴自棄になった。

色んな考えが交錯して、自分はどうあればいいのか
自分はなんのために生きているのか
子供たちは本当は児童養護施設のほうが良かったのではないか…。

色んな人を憎み、恨んで、その度に
「絶対立ち直ってやる!」という気持ちと
「やっぱり親と同じことをしている」という罪悪感
常に両極端な感情がいた。

私は長く生活保護を受給しようとは思ってもいなかった。

だから「今のウチにやれることをやろう」そうとも思った。

精神科の先生との会話はほぼ覚えていないが、生活保護が決定したことをいうと「良かったね」と言ってくれたが、私的には「なにを思ってよかった」のかさっぱりわからなかった。

自立支援の申請もしたりと少し忙しかったが、その度に病院にいくと倒れそうになって看護師さんに抱えられ点滴を打つ日々もあった。

やっと周りが落ち着いた頃に、やっと見つけた…。

「発達障害専門の病院」

ここだ!!ここならきっと息子の診断をキチンと出してくれる!!

それは家から車で今までより遠い2時間半掛かる場所にあった。




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