原作者の死がもたらす世界の崩壊

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ちょうど、今、ホットな話題ですよね。
ネット記事を読んでいると、原作者の人やドラマやアニメの制作現場の人、出版社、テレビ局の人・・・いろいろな立場の人がそれぞれの立場で発言されて、批判されたり、擁護したり、me too的な感じの発言になったりと、様々です。

私は、純粋な読者なので、読者の立場から。
まず、原作者に死なれると「そこじゃなかったら、どこ?」という気持ちになってしまうんですよね。
私が好きなその世界観で、作者の人は少しも楽しくなかったのかしら? そこでは幸せでなかったのかしら、そこにいても苦しかったのかしら・・・と不安に思ってしまうのです。

今話題の作品についてではありません。残念ながら、私は原作を読んでいないし、まだドラマも見ていないので。
「赤毛のアン」シリーズの話です。
私、ファンだと言いながら、ここ数年、書店にも行かない生活だったので知りませんでした!

赤毛のアンシリーズの続編が出版されていたことに!!

タイトルは「アンの想い出の日々」上下
2012年には出版されていたようです。今まで全く知りませんでした!
ファン失格です。まさか、続編が出るなんて思いもしなかったので完全ノーマークでした。

それまでは、赤毛のアンシリーズは10冊、「アンの娘リラ」で終わりだとされていたんです。訳者はもちろん、村岡花子さん、発行は昭和34年だそうです。

昭和34年って・・・ええと、私の知恵袋、ウィキペディアで調べてみたら、昭和34年って、一月から結構すごいことが起こってます。
一月一日、メートル法が施行される。
それまでは、寸とか尺とか、そんなん・・・だった・・・のか・・・。
さらに、同日、キューバ革命。カストロ、チェ・ゲバラ、なんか昔の青春の匂いがぷんぷん香ってきますね。
そして14日には、南極物語で有名な、タロとジロの生存が確認されました。ポロリ・・・生きていたんだね!!よくやった、頑張った!!
二月には、昭和歌謡で伝説の「ザ・ピーナッツ」がデビュー。追いかけーて、追いかけーて、すがりつきたいのー・・・令和女子から総攻撃受けそうな歌詞です。
メンヘラ女子、依存系女子、推し活という名の依存先探しする人も増えてるのにね、アハハ!
三月に、フジテレビ、日本テレビなどの放送が開始・・・黒柳徹子さんの「トットチャンネル」的な時代背景という理解でOKみたいですね。

「アンの娘リラ」では、軍靴の音が聞こえる時代から第一次世界大戦に突入、アンのお気に入りの息子、ウォルターが戦死してしまいます・・・。
そして、末っ子のリラ、「マリラ・マイ・リラ」が子供時代を終え、すっかり年頃のいい娘さんとなり、幼馴染と結ばれる。
そこでおしまいだったのですね。

長い時を経て、2012年、この続編として出版された「アンの想い出の日々」、あとがきを見ますと、実は作者のモンゴメリは死ぬ直前に原稿を出版社に送っていたのだそうです。それが、どういうわけかちゃんとした形で出版されておらず、研究者の偶然の発見で大学図書館に埋もれていた中から出てきたんだそうです。

昨年のある日、まだ実家暮らしをしていた時なのですが(そうこうしているうちに今は自宅に戻っている)、私の苦手な親戚が来るというので、この機会に都会まで行ってこようと、出かけたのです。
その苦手な親戚が、夕方近くまで居座っており、どうやら夕食も食べていくようだと家族からこっそり連絡があり、なかなか帰宅できずに困っていたんですね。
行くところもないし、買い物も済んでしまった、ちょっと書店にでも行って時間をつぶそう・・・そんなきっかけで、書店に何年かぶりで入り、そして赤毛のアンシリーズの続編が刊行されていたのを知った次第です。速攻で買いました。

続編では、時代は変わり、昔は馬車がメインだったプリンス・エドワード島にも自動車が登場しています。
電話も各家庭に備わってます。
アンの娘や息子もそれぞれ結婚し、アンとギルバートはおじいちゃん、おばあちゃんになっています。
アンとギルバートの住むグレン・セント・メアリーの面々も変わり、それでもどこ変わらない日常が流れています。ご近所の大事件、噂話、恋愛話、変人の話、ちょっとしたいざこざ、誤解から生じるすれ違いなどなど。
それと並行して、アンの詩と生前ウォルターが書いた詩が披露され、それにギルバートや子供たち、スーザンがコメントをはさんだりする。
そんな構成になっています。

訳者は、村岡花子さんのお孫さんである村岡美枝さんという方です。
おばあさまの訳で、子供のころからアンの世界に親しんでいたのでしょうね。
まったく違和感なく、あの世界観を感じることができました。出版社の粋な計らいに感謝です。

だけど、あとがきを読んで驚きました。
作者のモンゴメリ、この原稿を出版社に送った後、自ら命を絶っていたそうです。
まさか自殺だったとは!!知りませんでした。

こんな幸せで愉快な物語を書く人がなぜ?
悲しい時や落ち込んでいる時に安心して逃げ込める場所として、赤毛のアンの世界を拠り所としていた私としては、その創造主である作者が、アンの世界では無理だったのかと思うと、「そこじゃなかったら、どこならよかったの?」とやり切れない気持ちになってしまいました。

この「アンの想い出の日々」では、アンのことを嫌っている人たち、気に食わないと思っている人たちがこれまで以上に多く登場します。
村の女王様気取り、注目の的、ご意見番気取り、中心人物が嫉妬の対象になってしまうのはありがちなことですから、もともとアンチも多いキャラなんですよね。

現実にも、赤毛のアンの物語を嫌いな人というのも確かに存在します。
「いつもアンに都合よく物語が進む」のが気に入らないという人もおりますね。リアリストや、オンナオンナしたのが苦手なサバサバ系の人とか・・・もしかしたら、赤毛のアンは読んだことない、別に興味ないという人も多いかもしれません。

特に子供時代の無邪気なアンが、大人になり、結婚し、子供まで生むまで続くとなると、「いや、ちょっとそこまでじゃない」とアンの物語から途中退場してしまう人も多いようです。
かのマーク・トゥエインに「女の子バージョンのトム・ソーヤー」と言わしめたアンですが、結局そのアンだって、ただのお母さんになっちゃうんだ・・・?みたいながっかり感を抱く人も多いかもです。
現に「赤毛のアン」は読んだことあるけど、「アンの娘リラ」までは読んでないという人が多数じゃないでしょうか。
それにもし、あなたが「ジョシー・パイ」(アンの天敵)型の人だったら、アンの世界では生きにくいかもですね。

私はロマンティストなので、赤毛のアン、好きです。悲しい気持ちの時や、孤独を感じている時など、その時の気分にあう巻を手にして読んだりします。
そうすると、何となく安心するんです。お気に入りの毛布にくるまっている犬のような気持ちになるのです。

もちろん、現実では、人から好かれ、いつも中心になっているアンのようなクイーンの立場の人とは、とてもじゃないけど私はお付き合いさせていただけないと思います。
告白しますと、自分もそうなんです。赤毛のアンの世界にそぐわない人種・・・なのです。どちらかというとジョシー・パイ方向の人間かもしれません!!

だけど、小説の中くらい、現実通りの人格じゃなくてもいいじゃない。誰にも知られることなんかないのですから。
逃避できる世界、現実から切り離された場所だけど、心が戻れるように感じられるところ、そういう世界を作ってくれたモンゴメリに感謝していたから、余計にそんな悲しい死に方をしたことがやり切れません。
今更ですが、ご冥福をお祈りします。

赤毛のアンの世界。作者自身のことは救えなかったかもしれないけど、彼女の作った世界で救われる人が私以外にもたくさんいます。だからこそ、何年も出版され続けているわけです。
男性にもおすすめです。「女子どもが読むもの」と決めつけないで、ぜひ手に取ってみてください。新しい発見があるはずです。

アヴォンリーに心の住所を持っていると、いざという時、役に立つこともあるかもしれません。
例えば、明日地球が壊滅的な状況になって、電気も通じなくて、ネットも電話もできなくなって・・・誰も助けに来てくれない状況で堪えなきゃいけない時に、頭の中に別の住所があると、空想の中で私たちは満たされるのです。

音楽が好きな人は、お気に入りのメロディーを頭の中でエンドレスで流しておけばいいし。
落語が好きな人は、志ん朝さんの声でエンドレスで噺を流しておけばいい。
そうすれば、その間は、ぱっと別の世界の住人になれるのです。

私たちの周りには、手を伸ばせばレスキューになってくれるものがたくさんある。
どれだけ頭の中に入れておけるか、電気も電話も、スマホもテレビもラジオ・・・そういうの、なくても、死ぬ直前まで目を閉じれば浮かび上がる居心地のいい世界を持っているかどうか。
今のうちに、ハムスターみたいにいっぱい溜め込んでおきたいですね!

例えば、私の最近のお気に入りの二胡の先生のこの曲。この動画の時だけ、先生、向井理さんにちょっと似てる☆

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