地獄への道…14

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待てど暮らせど、学校からの電話や手続きの手紙などはこなかった。

もう10日も過ぎると段々苛立ちと焦りが出てくる。

その間も支援学校とは連絡を取っていた。

支援学校の方は「すでに息子君が転入してくる準備はできています。書類だけです」という電話で、こちらも申し訳なく思ってきた。
その電話で「私の方も早くそちらに転校させたいのですが、学校の方が手続きをしてくれないようで…息子も私も困っています」
と話した。

支援学校の校長先生はとてもいい方で、「お母さんも息子君も辛いですよね、早く手続き取ってくれればいいのに…もちろん支援学校の方からも現在の学校に連絡はしていますが、濁されてしまっている状態で」
と話してくれた。

支援学校の校長先生も動いてくれている。

それなのに、あの学校は…。

そんなに「学校にお金が入ること」が重要なのか。

今のようなネットが普及している時代ではなかったが、明らかに「嫌がらせ」としか感じられない学校の行動発言。

許せない。

どうしてやろうか、そこに気持ちがいってしまった。

前回も市教委や県教委に行ってもどうにもならなかった経験がある…。

もちろん「弁護士」にも相談した。

田舎の弁護士は、圧力に弱い。

法律や人権とはなんだろう、と本当に考えさせられることばかりだった。

それでも何度も学校に電話や面談をしに行った。
理解をしてもらおうなんてことは諦めていた。

なんでもいいから早く「転校手続き」を取って欲しかった。

このままでは、息子は壊れてしまう。

息子の気持ちを考えると本当に腸が煮えくり返る気持ちと悔しい気持ちと…
申し訳なさでいっぱいだった。

「どうせ自分なんか…」と思ってほしくない。

できないわけではない、決して無理難題を突き付けているわけではない。

息子には息子にあった「教育」をさせてやりたいだけなのだ。

それから1か月くらい経っただろうか。

やっと学校から「手紙」という形で通知がきた。

「やった!!」

早速息子に話した。

「とうとう支援学校に行けるよ!支援学校の校長先生に報告しなきゃだね!」
というと、息子は

「ホント!?やったー!!」
と本当に久しぶりに見る笑顔で喜んだ。

早速、支援学校の方に電話をした。

そしたら支援学校の方にも通知がいっていたらしく、校長先生も喜んでくれた。

早速、支援学校に行くことにした。

転校に伴う準備などの説明を聞きに行かなければならない。

少しは聞いていたが、しっかりとは決まっていない段階だったから、「改めて」という形になる。

私の体調も万全ではなかったが、ここからが息子の「スタート」なのだ。

私がしっかりしなくては。

翌日、お姉ちゃんと妹は学校に行ったあと、息子と二人で支援学校に行った。

学校に着くと、玄関先で校長先生や色んな先生が出迎えてくれた。

体験入学のような形で数回訪れてはいるが、改めてとなると久しぶりに会う先生たち。

息子は笑顔で走って先生たちの元へ行った。

それをみた瞬間、この笑顔のために今まで頑張ってきたんだ。
と改めて思えた。

私が歩いて先生に近づいて挨拶をしようとすると、校長先生が
「あら!お母さん…大丈夫?また痩せたんじゃない?体調大丈夫?もし体調悪かったらすぐに言ってくださいね」と言ってくれた。
そんなに体調悪いように見えたかな…。家に体重計がないので痩せたかどうかもわからない(笑)
自分では意識していないがふらついている、と言われた。
もうその頃には精神薬は相当な量を飲んでいた。 
(ODなどではない)

改めて校長先生や学級の担任の先生の紹介、色んな手続きや用意するもの、などのリストや、学校に行く手段などの確認をした。

学校に行くには結構な距離があるため(他の生徒さんも各方面に分かれている)、通学バスがあるようだった。
その通学バスのバス停まで送迎をしてほしい、などの細かい配慮や、もしお母さんが体調悪い時や送迎が大変だとか、もっと規律正しい生活を求めるのであれば「寄宿舎」という寮もあるから、という説明もされた。

その他、色んな説明もされたが、なにも苦にはならなかった。

息子はその話をしている時、別室で先生と話をしたり、学校の中を探検したりしていたようだ。

その他、息子の特徴や、気を付けてほしいことなどもその時に伝えた。

そして校長先生から、一言
「息子さんもお母さんもよく頑張りましたね、ただ、支援学校が今度は嫌だからといって元の学校には戻れませんからね、そこだけはしっかり納得してくださいね」
と言われた。
以前にも同じ話をされていたし、そのことも息子にしっかりと話している。
息子が理解したかどうかはわからないが、「発達障害」だからとか、まだ小学生だからとか、そういう理由で「大事なこと」をしっかり話したり息子の気持ちを無視したり、そういうことはしたくなかったから、そこは何度も息子にも確認したし約束したことを伝えた。

このブログでは書くことが限られているので、上手く伝えられないが、
本当にここまでくるのに何度も息子と話し合い、長い時間集中できない中でも私と真剣に話もしてきた。

その中で息子は
「僕は僕らしく学校に行きたい」

そう私に言った。

数年経つと、もしかしたら気が変わるかもしれない、ふと思ったが息子の言葉を信じるしかない。

ただ息子には注意した

「いくら支援学校と言っても、嫌なこと、やりたくないこともたくさんあると思う。けれど自分で抱えないでお母さんに教えてね、それと支援学校だからと言って支援学校の先生も息子もなんでも許されることではないこともある、隠さず我慢しないで「あれ?」と思ったら話してね」と言った。

何度も話し合い、今やっとここまで来た。

一通り先生たちと話が終わってから、帰ることになった。

学校に通う日にちも決まった。
校長先生も前の学校から時間が空きすぎているため、少しでも早くと転入の日を早めてくれた。

生活保護の担当にも話し、面談をしたいと言われたが、もうそんな体力も気力も残っておらず…。別の日にしてもらうことにした。

ここ数か月、学校と息子の病院、自分の病院と目まぐるしく動いたせいか、ドッと「うつ状態」に入ってしまった。

その間もお姉ちゃんのPTA、妹のPTA、イベントなどがありとてもじゃないが自分の体調など気に留める時間すらなかった。

ふと時間があると
「自分は母親のように子どもに接していないか」
「自分は親として最低なのでは」
「自分を支えてくれる人なんかいるものか、全部嘘だ」
「なにをやっても自分はダメだ」
「ほら、父親とか母親の思うように不幸せになったね」
「幸せなんて言葉は自分には似合わない」
「生活保護をもらう最低な人間だ」
「社会のお荷物だ」
「みんな絶対バカにしてる、ざまあみろとか思ってる」
「こんな人間が母親になろうだとかおこがましい」
「自分はやっぱり人から利用されても愛されることはない」
「あんなに仕事して社会的にもよかったのに、天国から地獄だ」
「自殺すれば母親に復讐できるか」
「低学歴のデブの歯無に用はないな」

あれ…
笑うってどうやるっけ。

泣くってどうやるんだっけ。

すでに感情は崩壊していた。
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