離婚まで…38

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i子さんとばったり道であった!

私は嬉しくなった!
そして道端にも関わらず、色々話した。

話しているうちにi子さんの家がこの近くだというのだ。
私のアパートと歩いて10分くらいの距離にいるようだった。

「ついでだからおいで!」と言われて嬉しくなってi子さんのアパートに付いていった。

そしたらなんと、風呂トイレ共有のアパートに住んでいた。
i子さんは
「ここ汚くてね、また私掃除からよ(笑)」
などと笑いながらいっていたが部屋はi子さんらしく綺麗にされていた。
i子さんは「花」が大好きだ。
その部屋にもたくさんの花があった。

シェルターから出たときのことや今までの話、色々二人で話した。

そして時間も遅くなりそろそろ帰ろうかな、と思っていた時
「晩御飯食べていきなよ!私も一人で食べても美味しくないし!」
といってくれたので、その言葉に甘えることにしました。

i子さんはとても料理が好きな人ならしく、ドンドン料理が出てきました。

こんな料理は何年ぶりだろう…
暖かいご飯、みそ汁、漬物や焼き魚…
サラダ…
テーブルに乗せられないくらいの料理が出てきた。

どれも美味しく、泣きそうになった…
これは美味しくて、もそうだけど、「子供たちに食べさせてあげたかった」という気持ちが強かった。

そしてなにより、i子さんの気持ちが嬉しかった。

たくさんご馳走になった後、「今度私のアパートにも遊びにきて!」
と言って帰った。

i子さんは携帯電話ではなく、「家電」を契約したようで家の電話番号もおしえてもらった。

そうして、数日が経った…。

全く何事も前に進まない時間が過ぎていった。

アパートを借りてから2週間ほど経ったとき、私は初めて娘のいる施設にいった。

娘は私を見るなり号泣した、それを見た私も泣いた…
二人で抱きしめあって泣いた。

私の口からは「ごめんね」しか出てこなかった。
それしか言えなかった。

時間は限られていた。

1時間…。

娘の話をたくさん聞いてあげれるだけ聞いた。

「必ず迎えに来る」

何回もそう言った。
娘もそれに応えるように「うんうん」と何回もうなずいた。

そして、久しぶりに面会室にあった「本」を読んであげた。

もううぐ娘の「誕生日」

誕生日プレゼントは渡していいのか、も施設の人に聞かなければいけない。

楽しい時間はすぐに終わった。
時間になると施設の人が迎えに来る。

そこでまた娘は泣いた…
私も身を引きちぎられる思いで
「お願いします」と施設の人に渡した。

帰りに施設の人に「誕生日プレゼントを渡したい」と話しかけた。
そしたら施設の人に思わぬ言葉を言われた。

「まだココにきてから日が浅いので頻繁に来られても困ります。プレゼントは施設でも用意しますので…」
と言われた。

私は少しイラっとした。
施設に居れることを望んだわけじゃない。
面会の回数はともかく誕生日くらい祝わせてよ、
そういう気持ちになったが、そこにいる子供たちは「会いたくても会えない、もはや親が誰だかもわからない子供たち」
がたくさんいるのだ。

自分の子供のことだけを考えるのは当然だが、そのあとの子供の気持ち、周りの気持ちも考えないと…
と気持ちを切り替えた。

そのあと、下の息子の乳児院にいった。
そこは「いつでもきてね」というスタイルだったから気が楽だった。
そして、子供たちがどんな風に生活しているか、どこでどんなことをしているかを教えてもらえるし、全面ガラス張りなので衛生状況などは一目でわかるようになっていた。

そこの施設の人もとてもやさしかった。

息子はまだ5か月くらいだったからそんなになにをどうすることもないのだが、それでも成長を見れるのは嬉しいこと。

抱っこしたり、一緒に寝そべって本を読んであげたり。

そこの面会時間は1時間だったが、職員の人もとてもよく日常のことを話してくれた。

そうして、一日が過ぎた…

家に帰ろうと思ったが、i子さんのアパートに電話をしてi子さんのアパートへ向かった。

相変わらず「あんたくるっていったからご飯作ったよ!」といって迎えてくれた。

色々話していく中で、i子さんは自分の息子のことや家が火事になったときのことを話してくれたりしだした。

そんな中で「あんただ娘だったらよかったな」とか「養子になる?」など私のことを親以上に認めて受け入れてくれた。

それからは何度も「養子縁組」の話はされたが私は「私といると迷惑がかかる」という気持ちから受け入れられなかった。

i子さんも一人暮らしで寂しいはずで、自分も一緒にいたいし、いてあげたい、そして娘たちのおばあちゃんになってほしいとさえ思っていた。

けれど自分の今の立場、自分の価値、子供たちのこと…

親にも必要とされなかった私が他人に必要とされるはずがない。

私にのしかかってきた、その感情を「無い」ものにはできなかった。

そうして、数日がたち、私はバイトをまた探すまでに気持ちが安定してきていた。

やっと採用をもらったのは「カラオケ屋」だった。

そのカラオケ屋さんは若い人たちが多かったからとても仲良くしてくれた。

けれどバイトだけでは自分で生活ができるほどではなかった。

昔なので「副業禁止」の会社ばかりだった。

全然返せていない「サラ金の残債」けれどなぜか請求がくることはなかった。
離婚もできていない

なにをどれから手をつければいいのかわからない状態。

けれど今年中には離婚裁判を起こしたい!

その思いで少しずつ貯金をし始めた。
着手金に7万円必要だと言われたから、とにかく7万を貯めることに専念した。

そしてもうすぐ7万貯まる!

そう思った矢先のバイトの解雇…。

理由は「もっといい仕事あるよ」だった…。

もう「捨てられる」ことには馴れていた。

私は「そうですか」とだけいい、辞めた。

もちろん「保護課」にはバイトしていることも話しているため、バイトを辞めたことも話した。

そして次の保護受給日に無理やり7万円を作った。
もう食べるお金も全部着手金に充てた。

そのお金をもって弁護士に向かった…。
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