新しい人生の幕開け…24

記事
ライフスタイル
この家をどうしようか…

選択肢はほぼない。
引っ越すしかないのだ。

不動産屋とも揉めているし、これからの家のことも考えると、この先は考えられない。

そう話し合った。

けれど私は「妊婦」だ。一人で荷物をどうのこうのすることには限界がある。
かといって、どこに引っ越すのかもまだ決まっていない。

娘が小学校に入学しているのもあって、学区を変えたくはなかった。
それは、旦那にも伝えて同意してくれた。

それから数日、家探しをしていた。
けれどそうそう学区内にある「貸家」はなかった。

アパートは子供がまだ小さいせいもあって近隣の人に迷惑をかけると思ってアパートは除外。
貸家に絞っていた。

子供は伸び伸び育てたい。

それはやっぱり児童相談所で育ててしまった自分に責任があると思っている。

保育園や学校でも子供なりにストレスを感じて過ごしてると思えば、家では
「自分」をちゃんと出してほしかった。

少しくらいうるさくても怒られない空間に居てほしかった。

子供でも「我慢をしている」私は痛いほど知っている。
「していい我慢と」「しなくてもいい我慢」
子供の時しかできないことをたくさんさせてあげたい。

私自身、父親に「強制的に習い事」をさせられたこと
母親に「理不尽や暴力を振るわれたこと」
これは、子供であっても「我慢しなくていい」し、誰かに助けてほしかった。
けれど誰にも言えなかった。

金銭的な贅沢はさせてあげれないけど、それでもできる限りのことはしてあげたい。

私は父が亡くなってから
「自分の居場所は自分で作る」
ずっとそう思ってきた。

なんだかんだ考えて毎日が過ぎた。
本当に時間や色んなものが足りなかったと思う。

そんなある日。

パート先に行くと、Rさんたちがザワザワしている。

なんだろ…。そう思って近づいてみた。

そこには…
「店舗閉店のお知らせ」
と書いた紙がRさんの手にあった。

え?閉店?
「どういうこと?」と聞くと
Rさん曰く、某スーパーがオープンした当時は飲食をするお客さんがたくさん来ていて人材も足りなくて私を採用したりしたんだけど、他の店舗が軒並み撤退したのを機にさっぱりお客さんがこなくなって…。
といっていた。

確かに、そのラーメン屋さんの隣は有名なドーナッツ屋さんだったり、たこ焼き屋さんだったり店舗がたくさん入っていたが、一軒…また一軒と撤退していた。
そして最後まで残っていたのが、ココのラーメン屋さんだった。

そこも無くなる。…ということはここで働いているみんなの仕事もなくなる。ということだった。
Rさんは会社の撤退だから失業保険とかもちゃんとすぐ貰えると思うから。
と言っていたが…。

期限は今月いっぱい。といっても2週間くらいしかなかった。

もうプライベートも仕事もしっちゃかめっちゃかだった。
もうお腹も目立ってきている。

それと同時進行をしなければならなくなった。

そんな時、重なるもので…。

いつもはあまり動かない旦那が仕事から帰ってきて
「おい!見つけたぞ!一軒家!」と意気込んで帰ってきた。
影で動いてくれていたのか。
そう思ってちょっとビックリしたけど朗報ではある。
けれどすぐに
「学区変わらないで一軒家で家賃のこととかも考えたら贅沢は言えないからな、文句は言うなよ」と言われた。

なんかその一言でイラっとしたが、まず物件のチラシを見た。

…学区もいいし、スーパーも近い、コンビニも近い…
えっと…
家の中は…!!
「ボットン便所」
ボットンとか今だにあるのか!

これか…旦那が「文句いうなよ」と言った理由は…。

なにも言えないじゃん…。

まだトイレトレーニングも必要の子供もいるし…これから子供も産まれるのに…
ボットンとは…。

条件はとてもいいけど…。
今のところからもそんなに遠くない。

学校は15分くらい短縮される。
保育園は遠くなるけどどの道、車の送迎だからいいとして…。

「ここにどうやって引っ越すの?費用は?業者にお願いするの?」
と聞いてみた。
そうすると旦那は
「引っ越し業者は頼まない、親父と俺でやる。費用はなんとかする」
というのだ。

またお義父さん…。
前回の時も引っ越しが終わってから来たのに…。

私はもう…なにも考えられなくなった。
思考停止状態というか(笑)

私は
「ここでいいけど引っ越しは私も限界あるからお願いね」とだけ言った。
旦那は「おお!任せとけ!これであの不動産屋と切れるな!」
とやる気満々だった。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す