絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

7 件中 1 - 7 件表示
カバー画像

【ほのぼの日記通信♡第725号】養育里親と対談♡

おはようございます♡みなさん、いかがお過ごしでしょうか♡今日も、家事や、お仕事、がんばってくださいね♡今朝もいつもの時間に起きて、早速、朝日記✨カーテン越しから見える外は、めっちゃ晴れてそう☺️良い気分で日記を書けそうです✨*写真はイメージです7月になって外も30度を超える夏日になってきましたね✨みなさん、熱中症対策できてますか??私は、お水や炭酸水などでしっかりと、水分補給してますよ☺️水分補給以外にもエアコンつけて、湿気を落として、過ごしています✨昨日もしっかりと夏日を乗り越えました☺️・・・さて、ちょっと話題を変えますね✨*写真はイメージです朝日記以外にも、毎日取り組んでいるのがスタエフのボイスブログです✨基本的には1人で話してますがなんと、昨日は、初めてのゲストで配信✨女性ゲストのあいさんと、一緒に配信しました✨3人の兄弟を育てたステキな母親さんで子育てについても詳しくお話を聞きました✨また、子育て以外にもとても勉強になったのが、養育里親ですね✨*写真はイメージです児童相談所に預けられた子供たちを里親が引き取って一定期間、子育てをする里親☺️あいさんは、里親登録をして行き場を失った子供たちを助けています✨ステキな活動ですよね✨もちろん、子育ては大変なことですが、他人の子供も面倒見て、育てるのは強い思い入れがないとできないことです✨とても興味深く話を聞いてあいさんの活動に実はすごく応援や支援したいと感じました✨ぜひ、話を聞いてみたいと思ったら、スタンドエフエムで検索して聞いてみてください✨個別で、私か、あいさんに直接DMすると配信ページを教えますよ☺️気楽にお問合せくださ
0
カバー画像

新しい人生の幕開け…24

この家をどうしようか…選択肢はほぼない。引っ越すしかないのだ。不動産屋とも揉めているし、これからの家のことも考えると、この先は考えられない。そう話し合った。けれど私は「妊婦」だ。一人で荷物をどうのこうのすることには限界がある。かといって、どこに引っ越すのかもまだ決まっていない。娘が小学校に入学しているのもあって、学区を変えたくはなかった。それは、旦那にも伝えて同意してくれた。それから数日、家探しをしていた。けれどそうそう学区内にある「貸家」はなかった。アパートは子供がまだ小さいせいもあって近隣の人に迷惑をかけると思ってアパートは除外。貸家に絞っていた。子供は伸び伸び育てたい。それはやっぱり児童相談所で育ててしまった自分に責任があると思っている。保育園や学校でも子供なりにストレスを感じて過ごしてると思えば、家では「自分」をちゃんと出してほしかった。少しくらいうるさくても怒られない空間に居てほしかった。子供でも「我慢をしている」私は痛いほど知っている。「していい我慢と」「しなくてもいい我慢」子供の時しかできないことをたくさんさせてあげたい。私自身、父親に「強制的に習い事」をさせられたこと母親に「理不尽や暴力を振るわれたこと」これは、子供であっても「我慢しなくていい」し、誰かに助けてほしかった。けれど誰にも言えなかった。金銭的な贅沢はさせてあげれないけど、それでもできる限りのことはしてあげたい。私は父が亡くなってから「自分の居場所は自分で作る」ずっとそう思ってきた。なんだかんだ考えて毎日が過ぎた。本当に時間や色んなものが足りなかったと思う。そんなある日。パート先に行くと、Rさんたちが
0
カバー画像

私はこれが苦手です

このシリーズを見る度に胸が痛む ---------------みんながみんなじゃないかもしれない、 全員の思いはわからないけど、 虐待したくてしてる人ばかりじゃないと思うんです 頑張りすぎた結果、の人たちだってたくさんいると思う もちろん、 子どもは保護・庇護される側で、 保護者は護る側、 そこには大人側の未熟さは多いにあると思うし、 理由があれば暴力が許されるわけでもない それは大前提として、だけど、 子どものSOSは同時に 保護者のSOSでもある、という視点を 忘れてほしくはないのです -------------------わが子は、 人一倍繊細な部分があり、 私には予測もつかないことが引き金となって 何時間も泣き叫び続けることがあります。 「ご近所さんはきっと、私が虐待していると思っているんだろうな」 そんな切なさとともに、 突然パニックを起こす子どもの対応に追われる日々です。 その状況も、その不安も なかなかに心身を蝕んでいくため、 どうしようもなく追い込まれたときには 怒鳴りたくなるときも叩きたくなるときもあります。 その衝動に駆られるたび、「あぁ、虐待の始まりはこうなのかもしれない」と思うのです ------------------- もしポスターの文言が、“虐待かもと思ったら” よりも、 “助けを必要としている親子がいるかもと思ったら” なら、 大人側はどんなに救われるだろうと このポスターを見る度に感じます
0
カバー画像

第2の人生の幕開け…2

息子が家にいる。「夢なんだろうか…」と何度も思った。娘も保育園に行っている。これで私の目標は「達成」できた。子供たちを引き取るまで約2年。女性相談所で子供たちと離れてから、とてつもない時間とたくさんのことを経験した。息子と遊びながら、娘の帰ってくる時間を待った。夕方5時娘を迎えに行った。もちろん息子を一人にはできないので車に乗せて…そして、保育園の園長先生にも顔出しのためにも連れて行った。まずは園長先生のところに挨拶に…園長先生は「あら~!!よくきてくれました~!!」と、息子に向かって話しかけていた。職員室に入ってきた先生たちも「こんにちは~かわいいねぇ!いつから登園するの~?」と気軽に声を掛けてくれた。息子は先生たちの顔を見ても怯えることもなくニコニコしていた。前もって息子の入園のこと、そして登園のことは園長先生や市役所の人と話が済んでいたため、スムーズに会話は進んだ。園長先生は「この調子だと明日から登園させてもいいわね!」と言ってくれた。そして、待ちに待った「娘との対面」娘も当時まだ2歳半くらいだったから「覚えているか」が気になったけれど…息子を抱きかかえたまま教室へ行くと、真っ先に「○○~!!」と息子の名前を呼んだ!そして、真っ先に息子に抱きついた。そして、「一緒に帰ろうね」というと「ほんと?○○も一緒に暮らせるの?!」と驚きながら、けれどとても嬉しそうにピョンピョン跳ねながら話してきた。そして先生に帰りの挨拶をして車に乗り込んだ。娘は興奮気味だった。「お母さん!今日は○○の好きな食べ物にしよう!」などと話しながらも、息子にも話しかけながら家路についた。そして、私はまず「
0
カバー画像

“ 未熟な親 ”でいる勇気

「やっぱり私は親になってはいけなかったんだ・・・」 自分の言動が親とそっくりに感じるたび、その自己嫌悪が私を追い詰めました。 -------------------- 親になっていい人、ならないほうがいい人、という区別は存在するのでしょうか? 虐待しても本当に何も感じない人がいることは、残念ながら事実です。 でも、たとえ、 もう嫌だと投げ出しそうになっても、 殴りたくなってしまっても、 否定的な言葉をかけてしまっても、 怒鳴ってしまっても、 それですぐに「親になってはいけない」という烙印を押すのは、 ちょっと待って!!と思います。 結論からいうと、いま、このブログを読んでくれているあなたには、 「あなたならそりゃ、親になっていいいでしょ!」と思います。 なぜなら、この文章を読んでいるということは、 たとえ”今”の自分に不安があるとしても、 変えていきたいという意思をあなたはお持ちだからです。 --------------------------- 子どもを育てるのが苦しすぎて 児童相談所に子どもを預けた時期があります。 その決断は、”当時の” 私にとっては、 自分に ”ダメ親の烙印を押す” ような感覚だったので、ずいぶんと抵抗しました。 結果的に、それは自身の内面と向き合うために必要不可欠なことでした。 - どうして子どもと離れるのが苦しいの?  - 愛しているからではなく依存しているだけじゃないの?  - 自分がダメな親だと周りから言われたくないだけじゃないの?  - 自分のために子どもを利用してるんじゃないの?  - 本当に自分で育てたいの? 様々な問いを自分にし、 たく
0
カバー画像

新しい自分へ…

そんな日々でも、それでも「時間」というものは過ぎていった。あとは息子を引き取るだけとなった。入籍は全部子供を引き取り、そしてそれが落ち着いてからにしようと決めていた。そうしているうちに「一か月」はあっという間に経っていた。娘も保育園に慣れてきていたので「同じ保育園に」と思っていた。そしてそれを保育園の園長先生にも相談した。そしたら園長先生は心よく快諾してくれた。よし!また一歩進んだ!引き取る環境は揃った!あとは彼に相談して時期を決めようと思った。そして、その日に早速相談した。彼は相変わらずの長距離運転手だったから、相談などは全て「携帯電話」で行っていた。そのことを相談すると「保育園もOKしてるなら一日も早いほうがいいね」と言ってくれた。そうなると早速私は次の日「児童相談所」に電話した。何にをするにも「児童相談所」を通さなければならなかった。それも仕方ない…。児童相談所に電話したら「面談」をしたい、とのことだったので近いうちに面談することにした。もちろん児童相談所は土日休みなので、私は休みを取って面談をしに行った。すでに娘を引き取っていた経緯もあってスムーズに事は進んだ。その日に引き取りの日程も決まった。そのまま私は家に帰ろうかとも思ったが、息子に会ってから帰ろうと思った。息子は少し見ないうちに大きくなっていた。引っ越してからあまり息子に会えなくなっていた。1歳半になっていた。1歳の誕生日も施設で過ごさせてしまった…貴重な1歳の誕生日…もう戻ってくることは二度とない1歳…。一か月といえども、怒涛の一か月だったと思う。保育園に馴れさせることや、自分の仕事、家事などをしていたら、自分
0
カバー画像

新しい自分へ…18

慌ただしく日常が過ぎていった…。Rさんはたまに連絡くるくらいで、アパートにはあまりこなくなった。けれど、電話では「娘をいつ引き取るのか」などと聞いてきたりした。引っ越しもようやくひと段落が着き、保育園に入園の面談や色々聞いてこなくてはいけない。仕事をしながら地元と秋田市内を行き来するのは大変だったが、今一時のことだ。そして、市役所の人などとも「引き取りの時期」の話を明確にしなければならない。市役所、児童相談所の人も「居住の確保ができたこと、入園できる保育園があること、そして私に仕事があること、今の交際相手と婚約状態にあること」などからすんなりokを出してくれた。そして、次は児童養護施設…。私は軽い足取りで施設に向かった。施設に着くと、部屋に通された。施設の人は「こんなに短い期間で引き取る人はいませんよ!」と半ば機嫌を悪くしていたが、そんなことは私には関係ない。私は「〇月〇日に引き取りに伺いますのでそれまでお願いします」とだけいい、少し娘に会っていくことにした。そして、娘が面会部屋にきて、いつものように抱き合った。「今日はね、嬉しい報告があるんだよ!あのね!もうすぐ一緒に住めることになったんだよ!」というと、娘はとっても嬉しそうに泣いた。私たちは抱き合って泣いた。こんなに心が温かくなったことがあっただろうか…。面会時間ずっと泣いていた。面会が終わる時間になったが、今までよりも清々しい気分になった。
0
7 件中 1 - 7
有料ブログの投稿方法はこちら