毒母の日常生活とは…。

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たぶん、このブログを読んでくれている皆さんが思っている
「毒母の生活」はどんなの?
と思われていると思います。

ブログの中では、なかなか細かいところまで伝えきれていないな、と思い
1つの「記録」として書くことにしました。

小学5年の頃の母親は、とある「団地」に住んでいました。

下に1部屋(多分6畳くらい?)とキッチン(1畳)トイレ(和式のボットントイレ)
二階に6畳くらいの部屋が二つを襖を取って一つの部屋にして使っていました。
お風呂は、玄関を出てすぐのところにあった。洗濯機も一緒に置いてあった。
お風呂は団地では「自分で用意するもの」なのだそうだ。洗い場も着替えるスペースも一緒でなければ身動きもできない状態だった。

母親は、その当時から「宗教」にはまっていて、その「祭壇?」のようなものが場所を陣取って、子供たちも座る場所もないくらいのスペースでした。

朝は早くからその宗教の「集会?」のようなところに行き、お昼頃に帰ってきてパチンコ屋へ…。

義理の弟妹は当時保育園だったが、朝ごはんなど用意はされていなかった。

夕方一度パチンコ屋から帰ってきたら小さい自分の子供と私を連れてパチンコ屋に戻る(当時未成年でも入れた)

そしてパチンコ屋にいる「どこかのおじさんやおばさん」にご飯やお菓子をもらって飢えをしのいでいた…。

そんな風景をみて母親はニヤニヤしていた。

そして、私の父が亡くなる直前には私に
「タバコとお酒」
を強要してきたのだ。

そう、ブログにも書いてある通り、
「子供を利用して奢ってもらう」
という考えだった。

周りには「理解のあるいい親」を演じていたと思う。
現に、周りからは「お母さんはあなたのことをとても心配していたのよ」などと言われたものだ。

それも「演技」なのだが…。

パチンコや飲み屋に行って自分は働かず、再婚した相手の給与だけで生活していたようだが、普段の食生活は凄まじいものだった

近くに「商店」があったのだが、そこでは「野菜、魚、肉、豆腐、お菓子」など結構なんでも置いてあったので利用者はたくさんいたと思う。

その商店で
「豆腐50円分」
などと平気で言えるのだ…。

店主は困った顔をしていたがいつものことなのだろう
「はいはい」
といってビニール袋に豆腐の一丁の半分くらい?を入れてくれていた。

それでなにを作るかと言えば
「それを二人で分けなさい」
とだけ言い、自分はまたパチンコに行くのである。
そうして、子供たちだけを残してパチンコや飲み屋に行くことが大半だった。

当時から「お米」は全くない、に等しく、インスタントラーメンなどで弟たちは空腹を満たしていた。インスタントラーメンも一袋を二人で分け合うのだ…。
到底お腹いっぱいにはならない…。
スープをたくさんにしてお腹を満たしていたようだ、
どう見てもスープと麺の比率が合わなかった。

そうやって豆腐一丁も買えない生活をしながらも、再婚相手が仕事から帰ってくると、いかにも「私、ちゃんと家事してます!」と言わんばかりにキチンとこなす。

コイツは本当に「女優だな」と思った。

人の前や再婚相手の前では
「病弱だけどキチンと家事をしています」という設定ならしい。

なにか「都合の悪いこと」があると、すぐ「具合が悪くて…」
とよわよわしい声を出す。

そして、パチンコや飲み屋で使ったせいで「電気、ガス、水道」が止められても公共機関に電話して「体調が悪くて払いにいけないから給料日までとめないでくれ」と電話するのだ。

電話といってもその当時は「携帯」なんてものはなかったため「家電」だ。

お金もなくなり、時間もないとなれば今度は夕方から夜中まで宗教仲間に電話をし始める。子供たちが少しでもうるさくすると睨んでくるという有様。

「今、子供たちが食べるものがない」状況でも「宗教」には「お布施」といってお金を献上する…意味が分からなかった。

お金もなくなれば、今度は私に殴る蹴るの暴力に走った。

そして私の父にお金を要求したようだ。

その金額はわからない、わからないように隠したんだと思う。
父が度々団地に訪ねてきたが、私に会わせることなく返したことも何度もある。

その後に父は自殺した。

そして、時は私が就職してからの話になる。

就職してから連れ戻されたところは「一軒家」だった。
家を買ったと言っていた。

間取りはほぼ団地と変わらない間取り。
スペースが広くなったことくらい、あとお風呂が家の中にある、ということくらいで相変わらず子供たちの部屋はなく、散らかりっぱなしだった。

その当時の生活は、もう弟たちも大きくなってはいたが、学校へも行かず家にいた。

母親はその当時、リビングで寝起きしていたようで朝の5時からテレビゲームをし、私が起きると「コーヒー淹れて」といい、インスタントのコーヒーをいれるとリビングに敷いたままの布団から出ることもせずゲームを続けていた。

そうして10時くらいになるとようやく子供たちが起きてきて、お菓子を食べたり、漫画を読んだりしていた。

食生活は相変わらず家に合わせて買ったであろう炊飯ジャーも活躍することなく「米もない」という状況は続いていた。

冷蔵庫は空っぽ。

他のページにも書いたが「お風呂」は赤カビだらけ…。
トイレも新築とは思えないくらい汚い状態だった。

それを私に掃除しろ、というのだ。

その時私に言った一言が
「トイレは手を突っ込んで洗うもんだ」
といった。

………。

このトイレでなんでその言葉が出るのか…。

この人は「平気」でそういうことを言う、
周りにも。

周りの人は普段の母親のことを知らないから真に受ける。
そして「いい人像」が出来上がる。

世間では「子供思いの良い母親」
なのだ。

子供たちが学校に行かない理由が分かったときがあった

そう「校納金未払い」なのだ。

なんと「小学生」のころからずっと…。

それは教育委員会直々に家に校納金を徴収しに来た時に判明した。

その時も母親は誰が来たのか察したのか玄関に出ることを命じた。
それが教育委員会だった。

「お母さんいますか」と言われて「いません」というと「来るまで待ってます」といったもんだかから母親も出なければいけない状況になり玄関に出てきた。

それで私はその場を去ったので金額云々は分からないが小学校から二人分となると相当な金額だと思われる。

どう考えても自分が悪いのに教育委員会に対して逆切れをしていた。

そういう人なのである。
まだまだどんでもない行動や言動があるが今回はここまで。




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