新しい自分へ…3

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離婚裁判から一か月くらいが経った。

そろそろ「慰謝料」などが振り込まれてもいい時期だ。

私はどういうルートで慰謝料が振り込まれるかわからなかった。
直接…ということは私の口座を相手が知っていなければならないし、裁判所経由で振り込まれるのか、それとも弁護士さんから振り込まれるのか…、

私は、弁護士さんの事務所の近くに丁度用事があってきていたので、行ってみることにした。
弁護士さんはいなくても事務の人がいるから、どういう状況かくらいは教えてくれるかな、と思い寄ってみた。

玄関を入ると、受付で事務の方が私のことを覚えていてくれて
「あら、こんにちは、今日どうしたの?」
と話しかけてくれたので
「慰謝料の件なんですが、いつ頃振り込まれるでしょうかと思って…」
というと
事務の人はいきなり険しい表情になり、
「慰謝料は振り込まれましたが、あなたに振り込まれるだけの金額ではありません!こっちがマイナスなくらいです!!」
とピシャリと言われた。

私は「え?私にはこないということですか?」
あまりの言い方に私は聞き返してしまった。

事務「そうよ!こっちが逆に欲しいくらいだわ!わかったらもう帰って!先生も忙しいのよ!」
と言われてしまった。

あっけに取られているうちに目の前から誰もいなくなり、私はうつむきながら
その事務所を後にした…。

いくら慰謝料が振り込まれたのか、いつ払われたのか、なぜ私には連絡がこなかったのか、裁判に勝っても私が全部払わないといけないのか…。

今のように携帯電話もそこまで詳しく教えてくれるわけでもない。
周りに詳しい人がいるわけでもない。

どれが本当でどのようにすればよかったのか、全く分からなかった。

ただ「離婚が成立した」だけ。
裁判では「それまで(家を出てから裁判までの間)の養育費なども請求する」とも言っていた。

それなのに一銭もこないどころかマイナスだと言われる始末…。

何百万という金額が欲しいわけではないが、少し入ったら子供たちの「服やおもちゃ」を買ってあげたかった。

離婚が成立して少しお金が入ったら、私のアパートに「外泊」させようと思っていたから…。

なぜか「負けた」ような気がした。

知識も知恵もないということ、そして教えてくれる人もいないということは、「惨め」なんだな。
と改めて思った。

ガッカリしながらアパートに着いた。

一人でいるとなんだか落ち着かなかったからI子さんのアパートへ向かった。

i子さんにこの慰謝料の件を報告しながらご飯をご馳走になった。

i子さんはいつも「私の味方」でいてくれる。

i子さんは「子供たち外泊できたらウチにも連れといで!」
と余計なことも言わず、責めもせず、ただ私の「見るべき道」を真っすぐ教えてくれた。

たまに怒られることもあった(笑)
「部屋掃除してるか」とか「布団はちゃんと干しなさい」とか。
けれどそこには悪意が全くなかった。

私が受けてきた母親のような「身勝手な言葉」ではなかった

そして、またバイトを頑張ろう!と思えた。

数日後、娘の施設に電話をしていた。
「外泊」の件でだ。

散々文句は言われた。
「頻繁に面会に来過ぎです!少しは周りの子供のことも考えてください!」
「こんなに面会に来る人はいません!来週にしてください!」
など…。

外泊の話をしたときはもう半ば諦めたかのように「わかりました、1泊だけですよ、幼稚園もありますので…」
と許可をもらった!

やったー!!とうとう一緒に寝れる!ご飯も好きなものをたくさん食べさせてあげよう!

そう思うとワクワクした。

施設に預けてから確か「半年以上」は経っていたと思う。

私の心にはいつも「好きで施設に入れているわけじゃない!早い段階で絶対引き取る!」という気持ちがあった。
それには今の状況ではいけないこともわかっていた。
子供がいると途端に仕事はなくなるだろう。
それにはどうしたらいいか、どこでどうすればいいか、子供がいると1kのアパートでは大変だろう、色々問題は山積みだった。

けれどまずは「外泊」から!

その日を楽しみにしていた。

そして当日、娘を迎えに言ったら満面の笑顔で飛びついてきた!

外泊は本人には直前まで伝えられなかったようでとても喜んでいた。

自転車の後ろに座らせ、途中買い物をし、一緒にアパートに向かった。

急いで夜ご飯の準備をしている最中もずっと私から離れることはなかった。

子供のために子供の好きなものを作る、ただそれだけのことも今までは許されなかった結婚生活。

それを考えるだけで幸せだった。

娘の好きなハンバーグやポテトサラダ、あとはなぜか「ひじき(笑)」

ご飯をたくさん炊いて一人のテーブルではろくにご飯も乗らないテーブルに段ボールを足してご飯をたくさん乗せた。

娘は施設であったことや、嬉しかったこと、怒られたことなどをたくさん話してくれた。

ご飯を食べるときは「正座」をしていたが、本当はいけないことだが
「足、崩していいよ」と声を掛けた。
少し崩した足に、色々辛い思いをさせてしまってるな、と思った。

泣きそうになったがグッと堪えた。泣きたいのは娘の方だ。私ではない。

普段はシャワーだけで済ます浴室も湯舟にお湯を張り、一緒に入った。

二人で入るととても狭い浴室だが、娘の髪を洗ったり体を洗ってあげたり、とても楽しい時間だった。
娘は「せま~い!」と笑いながらお風呂に入っていた。

楽しい時間というのは本当にあっという間で、もう寝なければいけない時間になっていた。

もう21時だ

生活リズムを壊されるのは施設でも困るだろう、そして何より娘は疲れているだろうと思いベットに一緒に入った。

シェルターにいたときのように「本」を読んであげたらいつの間にか寝ていた。

寝顔を見たら一気に涙が溢れてきた…。

なんでこの子を守れないんだろう
どうすればよかった?
どうすれば一緒にいれた?
離婚しないで我慢していればよかった?
なにが正解だった?

声を出さないように我慢していたが、寝ていた娘の目からも涙が…。

私はギュッと抱きしめた。

本当に不甲斐ない
誰にも頼れないとわかっていたけど
こんなに苦しいとは…。

翌朝、私が起きると娘はまだ寝ていた。

朝食に目玉焼きとウィンナーを焼いていたら娘が起きてきた

「お母さん、おはよう!」
と。
「おはよう!ご飯もう少しでできるからね!」というと
「はーい!」といいテレビをつけて待っていた。

「いただきます!」と言ってご飯を一緒に食べた。

朝ごはんなんて私一人だと食べもしない。
けれど子供ってすごい存在だ。

本当にご飯がおいしい。
贅沢なものは出してあげれなかったけど
一緒に食べる、ということだけでこんなに幸せと思える。

施設には午後3時まで送り届けなければいけなかった。

朝ごはんを食べ、二人でゆっくりしていた。
もちろん歯磨きもさせた。
顔も洗って着替えをさせ、あとはゆっくりだった。

「公園に行く?」と聞くと
「行きたーい!」
と言ったので公園に行くことにした。

その時にI子さんも呼ぼう、そう思い公園に行く前にI子さんに電話をし
公園に来てもらうことにした。
公園に向かう途中ジュースを買い公園に着いた。

公園に着くと大喜びで遊具に走っていった。

遊んでいるところを見ているとI子さんが来た。

変に子供に「媚」を売るわけでもなく、ただ「久しぶりだな!元気でやってたか?」と娘に声を掛けていた。
I子さんのことは覚えているようで「うん!元気だよ!」
と返事をして遊具に戻っていった。

I子さんは「子供は元気だなぁ、あんた早く引き取りなさいよ」
と一言だけいった。

私は「うん、そのつもりでいる」とだけ話し、後は普段の会話になっていた。

ブランコに乗る娘の後ろを押したり、滑り台で遊んだりしていたが
「砂場」のおもちゃがなかった。

今度の外泊のときまで用意しておかなきゃな…。

手で砂をかき集めたり、近くにいた子供が貸してくれたりで砂場でも楽しく遊べた。

I子さんも「どれどれ」なんていって一緒に遊んでくれた。

お昼になり、ご飯を食べに一回帰ろう、娘に声を掛けると
I子さんは「うちにおいでよ」と言ってくれた。






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