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オラクルカード・四文字熟語・ことわざカード

いつもありがとうございます(^▽^)/ MAKO(マコ)です。 【あなたの心を癒します♡支えます♡】 【占い💛心理カウンセラー】心に響きますところお受け取り下さいね。【矢車菊】やぐるまぎく新旧の友情から学びましょう。ご友人を大切にね♪(^∇^*)【付和雷同】今のご自分のお気持ちに素直でいてくださいね。【早起きは三文の徳】季節が移り変わり春がやってきました。だいぶ暖かくなってきました。規則正しい生活をしていきましょうね。良い事が起こりそうですね。以上のメッセージをお届け致しました。MAKOより
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ブッダの教えから学ぶ「真面目な恋愛論」

恋愛は富むもの、貧しいものにも平等です。ブッダが托鉢して悟った恋愛マニュアルねるふが独自の解釈で、今回は真面目な動画を作ってみた!それでは、ゆっくりご覧ください。ゲットザグローリー
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#36 石の上にも三年

こんにちは😊百々です🍑突然ですが 「石の上にも三年」ってことわざ聞いたことありますか?(๑ŏ _ ŏ๑)結構有名なことわざですよね💗ことわざの由来は冷たい石の上にも三年座り続けると暖まる ことから「努力」「忍耐」などをモチーフによく使われていることわざです❕私も大好きなことわざなんです♡なんでこのことわざが今日のブログに??って思われたそこのあなた!今から四柱推命を絡めて伝えたいことがあるのです🤭私はよく運気のお話で良い時期に新しいことを!悪い時期は休息してね!と言っていますが、、人生にそんな何回も新しいことしてられるか〜!ってなりますよね🤣ほとんどの人は今していること、続けていることがこの先どうなるのかということに興味があります。当たり前です。今まで続けてきたんですもの✨✋今までしてきたことをスパッとやめてくださいなんて絶対言いません😊!!石の上にも三年 とあるように頑張っていればいつか実るのです。ずっと頑張ることって相当大変じゃないですか。ましてやずっと成果が出ていなかったら続ける意味あるの?ともなると思うんです。それでも私は後悔がないように、やめる前に全力で取り組めるまではやるべき!だと思います!!!そして例えば三年頑張り続けていたら運気の並は毎日、年がら年中流れているのでその中でも良い時、悪い時があると思うのですよ✨自分のメンタル面だったり、目に見えた結果だったりねʕ ◦`꒳´◦ʔ運気が上がる時期には頑張り方を変えてみたりね✨新しい発想も取り入れてみたり✨ですのでとりあえず何年努力し続けるか、よりも自分ができる全力を出し切るまでは続けましょう😳『100点は無理かもしれん
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オラクルカード・四文字熟語・ことわざカード

いつもありがとうございます(^▽^)/ MAKO(マコ)です。 【あなたの心を癒します♡支えます♡】 【占い💛心理カウンセラー】 心に響きますところお受け取り下さいね。 本日のオラクルカードはフラワーハピネスカードより【ゼラニウム】カラー:白 数字:7  花言葉:信じたい『信じられない だけどやっぱり信じたい』誰かを疑ってしまう時、私達はついそちらの感情に支配されてしまいます。信じたいのに。こんな言葉、言いたくなかったのに。やめたくてもやめられず、夜は暗い空が怖くて仕方がない。だけど私達は夜空に浮かぶ星たちに、ひたすら願い続けるのです。この夜が終わりますように。明日こそは、あなたのことを信じられますように。と。(リーディングBookより)【用意周到】ご自分では気が付いていないかも知れませんが、準備が整っているようですね。【水を得た魚のよう】力を発揮する時が来ている様ですね。前へ進んでいきましょう。以上のメッセージをお届け致しました。 MAKOより宜しかったら5月まで見積依頼特典行っております。ご興味のあります方は是非お声がけ下さい。⇩ブログ参考下さい。
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流れる水のように

”流水腐らず、戸枢螻せず(りゅうすいくさらず、こすうろうせず)”という ことわざがあります。言葉どおりの意味としては、”流れる水は腐らない、常に開閉している戸は虫に食われることはない”ということですが、ことわざとしての意味は、”いつも活発に動いているものには、沈滞や腐敗がない”ということです。人は往々にして、慣れ親しんだ習慣や固定観念にとどまろうとするものです。何においても、できることなら楽をしたいし、慣れ親しんだ習慣や考えを変えることには、つい抵抗を感じてしまうのではないでしょうか。これは、生命維持のための本能的なものでもあるので、ごく自然な感情です。されど、より良い未来を望むのであれば、ゆっくりとその快適な範囲を広げてゆくことがカギになります。人は人生の中での経験などから、価値観や癖などを身に着けるものです。それらはポジティブなものもありますが、ネガティブなものもありますね。わたしの恩師にカイロプラクターをしている方がいるのですが、講義の中で繰り返し聞かされたことがあります。「特定の物事に対する固定観念や執着、心の絡まりなどが病気のきっかけになる。」「その凝り固まった箇所を、きちんと認識して向き合うことは自身の責任であり、溶きほぐすことが快方への道だ。」「そして、溶きほぐすことができたら、適度な運動をする習慣をつけたほうがいいよ♪」もっともなことだと思います。これは、健康のためだけでなく、より良い生き方や、良いものを創出するためにも役立つことだと思っています。流れる水のように・・・、ちょっと意識をして進んで行きましょう。それでは。
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臍で茶を沸かす

笑うジャンルから、これを持ってきました。意味などは、考えずとも分かると思いますが。これは有名なものですよね?あなたも知っていることわざでしたか?これぐらい大笑いしてみたいですね。「臍(へそ)で茶を沸かす」とは、おかしくてしょうがないこと。または、ばかばかしくて仕方がないことのたとえです。大笑いして腹が捩よじれる様子が、湯が沸き上がるのに似ていることから。 あざけりの意味で使うことが多いですね。 「臍が茶を沸かす」「臍茶」とも言います。本来は「臍が茶を沸かす」が正しいとされていますが、今となってはどちらも使える表現とされています。「臍で湯を沸かす」は誤りですので、間違いには気をつけてください。江戸時代の浄瑠璃(じょうるり)に「へそを茶化す」という言い回しがあり、それが語源だという説もあります。 そこでの「へそを茶化す」とは、人のへそを馬鹿にするという意味です。 江戸時代は、素肌を人に見せることがなかったので、他人にへそを見せること自体が笑いの種となっていました。 それが、時代の流れと共に「臍で茶を沸かす」という言い回しに変わったということなのですね。類義語の紹介ですが、「笑止千万(しょうしぜんばん)」があります。これはとは、非常にばかばかしいという意味です。「臍が茶を沸かす」は「臍で茶を沸かす」と同じ意味で使うことが出来ます。 先ほども書きましたが本来の正しい言い方は、「臍で茶を沸かす」ではなく、「臍が茶を沸かす」だとも言われています。今はどちらでもいいことですが。あなたは、最近大笑いしたことありますか?それはどんな場面でなのでしょうか?ぜひとも聞いてみたくなりますね。●まとめ
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初心忘るべからず

何事にもこれが当てはまりますね。何かに取り組んでいるとき、このことわざを思い出してください。原点に戻るのも大事。「初心忘るべからず」とは、何事においても、始めた頃の謙虚で真剣な気持ちを持ち続けていかねばならないという戒めの言葉です。学び始めた頃の謙虚な気持ちを忘れてはならないという戒めで、世阿弥(ぜあみ)が能楽の修行について言った言葉。 『花鑑』に「当流に万能一徳の一句あり。初心不可忘」とあるのに基づく。「初心不可忘」とは、しょしんわするべからずと読みます。詳しく書くと、こうなります。「しかれば、当流に、万能一徳の一句あり。  初心不可忘(しょしんわするべからず)  この句、三箇条の口伝あり。  是非初心不可忘(ぜひのしょしんわするべからず)。  時々初心不可忘(じじのしょしんわするべからず)。  老後初心不可忘(ろうごのしょしんわするべからず)。 この三、よくよく口伝すべし。」第一の「是非の初心を忘るべからず」は、自分の芸が上達したかどうか判断する基準となる初心を忘れるなということ。ここでの「初心」は、初心時代の未熟さのこと。第二の「時々の初心忘るべからず」は、その年齢にふさわしい芸に挑むということは、その段階においては初心者であり、やはり未熟さ、つたなさがある。そのひとつひとつを忘れてはならないということ。第三の「老後の初心忘るべからず」は、「老年期になって初めて行う芸というものがあり、初心がある。年をとったからもういいとか、完成したとかいうことはない」ということ。初めてのことに取り組む際の新鮮な気持ち、初々しい気持ち以上に、自分の未熟さを忘れるな、つたなかったときのことを
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千里の道も一歩から

コツコツと歩んでいけば、成功もすれば失敗もあるでしょう。でも、ときには立ち止まって、立ちつくして休憩をするもよし、後ろを振り返るのもいいと思いますよ。色んな道がありますね?「千里の道も一歩から」とは、どんなに大きな事業でも、まず手近なところから着実に努力を重ねていけば成功するという教えです。千里もある遠い道のりであっても、まず踏み出した第一歩から始まるという意味から。 『老子』に「合抱の木も毫末より生じ、九層の台も、累土より起こり、千里の行も足下より始まる(両手で抱えるほどの大木でも、毛先ほどの小さな芽から成長し、九層にも及ぶ高台も、小さな土を重ねることから着手し、千里の道のりも足下の一歩から始まる)」とあります。 古代中国の思想書である「老子」の言葉が由来だそうです。人なのか本なのか不明ですが、思想書「老子」から出てきた言葉です。「千里の道も一歩より始まる」「千里の道も一歩より起こる」とも言います。現在、大きなトラブルについてではなく、大きな事業について使われます。「里」は昔の長さの単位で、古代の中国では、だいたい400メートル程度になるとのことです。類義語には、「千里の行も足下に始まる」、「高きに登るには卑きよりす」、「始めの一歩、末の千里」などがあります。他にもありますが、割愛です。英語は、Little by little one goes far.(少しずつ歩いて、人は遠くまで行く)だと思います。人それぞれ、道というものは違うと思いますが、日々の一歩を大事にして、目標に向かって突き進んでいきたいものですね。●まとめ「千里の道も一歩から」とは、どんなに大きな事業でも、 ま
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怪我の功名

愛犬に嚙まれたので、このことわざを持ってきました。生易しいものじゃなかったんですけどね。怪我は。本気噛みの流血沙汰ですよ。寝ぼけていたみたいですが…。私情を挟んだものを選んでしまいましたが…「怪我の功名」とは、失敗や過失、あるいは何気なくしたことなどが、偶然によい結果をもたらすことのたとえのことを言います。「怪我」とは不測の結果・過ちのことを言い、「功名」とは手柄を立てて名を上げることで、過ちが思いがけず生んだ手柄という意味から。「怪我の巧妙」や「怪我の光明」などと書くのは誤りです。注意を。もともとのことわざの成り立ちを書くと、「けが」を「怪我」と書くのは当て字で、もともと過失や偶然の負傷を表していました。 また「功名」は、古くは「高名」と書き、高い評判という意味でしたが、次第に手柄の意が生じました。現在では「高名」とするのは誤りです。故事成語などではなく「怪我」という言葉の比喩から出来たことわざです。 「怪我」は実際に負傷をしたことだけを表しているのではありません。 「けが」を「怪我」とするのは当て字ですが、元々は「穢れる(けがれる)」のことで「誤ること、偶然負傷してしまったこと」といった意味を持ちます。 そのため、怪我以外の不測の事態やふとした過ちを表します。病気や怪我、仕事での失敗、日常の小さなミスなど様々なネガティブなことに対して使うことができます。それらから好結果を得ることを表します。意外と奥深いことわざですよね?●まとめ「怪我の功名」とは、失敗や過失、あるいは何気なくしたことなどが、 偶然によい結果をもたらすことのたとえのことを言います。 「怪我」とは不測の結果
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負けるが勝ち

今年はオリンピックともあって、毎日が熱い戦いですね。テレビで観戦して、応援していますか?負けるが勝ちって聞くと、「えっ?」って気持ちにもなりますね。でも、ちゃんと意味を理解すると、納得するかもしれません。勝負は勝つか負けるかですが…「負けるが勝ち」とは、つまらない争いは避け、その場の勝ちは相手に譲るのが賢明で、最終的な勝利につながるという意味です。その場では勝ちを相手に譲ることで、最終的には勝利へ繋がるのは、どこの世界でも通用すると思います。たとえば、あまりやってはいけないことですが、喧嘩などもそうです。口や力で相手に勝てたとしても、あとから何をされるか分かりません。なので、その場は譲り、最終的に勝ちをもぎ取るのは賢明とも言えます。一見負けたように見えたとしても、あえて争うことを放棄していったん相手に勝ちを譲ることのほうが、結局は勝ちに結びつく例が多いですね。英語だと、Yielding is sometimes the best way of succeeding.(譲歩も時には成功の最善策である)こういう言葉もあるほどですから、万国共通なのかもしれません。また、「逃げるが勝ち」とも言いますね?あれも似た意味を持っています。「逃げるが勝ち」…無駄な戦いや愚かな争いなら、避けて逃げるほうが、結局は勝利や利益を得られるということの意味。どちらも最終的には勝つことになっていますね?無益な争いは避けるのが賢明とも言えるということでしょう。●まとめ「負けるが勝ち」とは、つまらない争いは避け、その場の勝ちは 相手に譲るのが賢明で、最終的な勝利につながるという意味です。喧嘩にしても言えること
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思い立ったが吉日

あなたは何かにチャレンジしようと決意したものがありますか?それとも、すでにチャレンジ中でしょうか。なんにしても、それは褒められるべき行いだと思います。なぜなら、いくつになってもチャレンジすることができ、それをやってみたいという意思がそこにはあるからです。自分のために貫く「思い立ったが吉日」とは、何かをしようと決意したら、そう思った日を吉日としてすぐに取りかかるのが良いということです。思い立ったら、すぐに行動に移せる人は、相当な覚悟をお持ちです。生半可な気持ちで動くと、挫折します。ここは強い意志を持ってください。やる気だけあっても、長続きしない場合もあります。目的や夢をもって動ける人になりましょう。また、飽きやすい性格も長くは続きませんね?背水の陣で挑むような覚悟をもって、動いてみましょう。こういったことを並べると、思い立ったらすぐに動ける人は、勇気があり、覚悟さえも持っているとも言えます。あなたもそれぐらいの思いを背負って、何かにチャレンジしていますか?軽い気持ちだと、いつでもやめられると思ってしまうかもしれません。でも、夢や目的をもって動かれる人は違います。まずは、その人が周囲からは輝いてみえるからです。そして目標達成のためなら、努力さえも惜しまない人です。そういう人になりたいですか?それなら、小さいことから何か始めてみませんか?そのほうが目的なども実現しやすいからです。ご近所の方へ毎日挨拶するなどのコミュニケーションからでもいいですね。勇気も要りますし、交流の場にもなります。いきなり大きなことをやらなくても大丈夫です。ちょっと背伸びしたぐらいのことから何か始めてみませんか?
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君子危うきに近寄らず

今日の会話の中で出てきたことわざなので、取り上げてみました。こういう風に思ったときはありますか?どこに危険があるか潜んでいるのか分かりませんよね。「君子危うきに近寄らず」とは、教養があり徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかないということです。「君子」とは、学識・人格ともに優れ、徳のある人のこと。 「君子危うきに近寄らず」は孔子の言葉と思う人も多いが、これに酷似した言葉は『論語(孔子の言行について纏めた書物)』にはない。 正確な出典は不明であるが、『春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)』には「君子不近刑人」とあり、これが元になっているという説が存在しています。「君子不近刑人」という漢文は「君子刑人に近寄らず」となり、「聡明で徳のある人は、罪を犯した危険な人間には近づかない」という意味を持ちます。または「君子は罪を犯した人間には近づかない」という言葉です。なので、どちらにしても「君子危うきに近寄らず」の由来には、これなのではないかという説があるのです。「君子危うきにのぞまず」とも言います。危険な場所や物や人などには近づかない、関わらないのが一番賢いことだと「君子危うきに近寄らず」では、そう伝えたいのだと思います。●まとめ「君子危うきに近寄らず」とは、教養があり徳がある者は、自分の行動を 慎むものだから、危険なところには近づかないということです。 「君子」とは、学識・人格ともに優れ、徳のある人のこと。恒例の例文。「何かスカウトされた友人に、君子危うきに近寄らずだよと伝えてみたよ」こういうのでいかがでしょうか? (台風17号ができそうですね?)レンちゃんママ
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泥棒を捕らえて縄を綯う

省略ことわざ、おそらく最後と思われるものを持ってきました。実は省略された言葉を私は知りませんでした。あまり聞きませんからね。今回は短めに紹介します。「泥縄」と言うそうです。「泥棒を捕らえて縄を綯う(なう)」とは、事が起きてから慌てて準備を始めることのたとえのことを言います。このことわざは、泥棒を捕まえてから慌てて縄を準備しても、泥棒は逃げてしまうだろうということから。 「綯う(なう)」とは、糸や紐を一本により合わせることです。 「盗人を捕らえて縄を綯う(なう)」とも言います。 類義語で、「盗人を見て縄を綯う(なう)」とあるので、混合しないように。泥縄式(どろなわしき)という言葉も使われることがあり、意味は、事が起こってからあわてて対策を講じること。意味は一緒ですね。それにしても、泥棒を捕まえてから縛るための縄を綯う(なう)のでは間に合わないことから、行き当たりばったりのやり方をたとえで使われることわざですが、想像すると「泥棒!」と言ってから、せっせと縄を作るとは面白い光景ですね。●まとめ「泥棒を捕らえて縄を綯う(なう)」とは、事が起きてから慌てて準備を 始めることのたとえのことを言います。 このことわざは、泥棒を捕まえてから慌てて縄を準備しても、 泥棒は逃げてしまうだろうということから。恒例の例文でも。「泥棒を捕らえて縄を綯うでは遅いから、前もって災害に備えた準備をする」これって大事なことですよね。 (泥刑は遊んだことあります。刑泥とも言いますね)レンちゃんママでした。
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鴨が葱を背負って来る

これも省略されることわざのひとつですね。たぶん、省略のことわざはこれで最後かな?と思っています。もし見つかったら、また取り上げてみますね。こんな好都合なことないですが…「鴨が葱を背負ってくる」とは、うまいことが重なり、ますます好都合であることのたとえで使います。鴨鍋に葱はつきものだが、鴨が自分で葱まで背負ってやって来てくれれば、すぐに食べられて好都合であることから。 多くは、お人好しが、こちらの利益になる材料を持ってくることを言います。 略して「鴨葱」とも使いますね?なお、注意点があり、直接その相手に対して使うのは失礼にあたります。「鴨」という言葉は騙しやすい人、利用しやすい人という意味があります。実際、詐欺に騙されやすい人を「鴨(カモ)」と呼んでいる背景には、そうやって騙すことからきています。鴨鍋が江戸時代によく食べられていましたが、独特なにおいがあり、鴨鍋には葱などの香味野菜が必須でした。鴨鍋に必須である葱を鴨が背負ってやって来てくれることで、都合よく鴨鍋の材料が揃います。このような鴨が自ら葱を背負ってやってくるという好都合な状況から、自分にとって上手いことが重なる状況を「鴨が葱を背負って来る」ということわざで表現するようになりました。なぜ鴨に葱が必要なのか、これで分かったと思います。くれぐれも本人を目の前にして、発言しないように気をつけてくださいね?●まとめ「鴨が葱を背負ってくる」とは、うまいことが重なり、ますます好都合で あることのたとえで使います。 鴨鍋に葱はつきものだが、鴨が自分で葱まで背負ってやって来てくれれば、 すぐに食べられて好都合であることから。 多くは、
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頭隠して尻隠さず

これは比較的によく使う言葉ですが、意味は知っていますか?正しい使い方をしているなら、あまり出てこないことわざです。たとえば、「うちの犬、よく頭隠して尻隠さずの姿が可愛い」は、間違った使い方です。この機会に覚えておいて損はないですよ。間違った意味が当たり前のように使われる昨今。「頭隠して尻隠さず」とは、悪事や欠点などの一部を隠して、全部を隠したつもりでいることの意味です。詳しく書くと、雉(きじ)は、追われると草むらの中に頭を突っ込んで隠れたつもりでいるが、尾は丸見えになっていることから。 一部だけを隠して、すべてを隠したつもりでいる愚かさを笑うことば。まったくもって、「うちの犬は~」だなんて使いたくないですね。同じ動物から来ていていますが、由来は愚かさを笑うだなんて、小さな家族に使いたいとは思いませんよね?間違ったほうの意味が浸透している気がするので、広辞苑にいずれは、そちらの意味も載るかもしれませんが。今のところは、間違った意味だということを認識してください。でも叱られたペットたちがそういう風に隠れると可愛いのは確かですね。何かイタズラして、隠れたつもりでいるなら、このことわざは、合っているかもしれませんね?状況に応じて、使い分けをするのが一番ですね。意味を知っている人からすれば、意味が分からないこともあり得るので。人に対して使うところは、あまり見かけませんね。先ほど書いたことわざの由来が由来なので、使うのも失礼かもしれません。気をつけるべき、ことわざということですね。ことわざとしては間違った意味でも、可愛らしく表現された意味として、そちらのほうを使ってみたい気がしますよね?●
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ひとのため

私は ”情けは人の為ならず”と言う諺が好きだ。ご存知の通り ”他人に情けをかけることは 巡り巡って自分に良いことがある”と言う意味。 なるほどな。と思うし 考えた人凄いな、と思うけど なんか、あざとい気もする。 だって、純粋に他人のためではなく 結局、自分のことを考えているのだから。 まぁ、 ”あざとい”も 生きるためのスキルと考えればそれまでだが なんか気持ちがすっきりしない。 そして今日 ”卑下も自慢のうち”という諺に会った。 意味は、そのまま ”表面は謙遜しながら、 内心では うらやましがらせることを意図して話す様子” つまり、 ”過度の謙遜は自慢の一種”ということ。 わかる~。 って、 そんなシーンに出くわしたら 面倒だから 乗っかっちゃうな~。 あ、でも、それも結局、 ”早くやり過ごしたい”という、自分のためか。 自分を守るためのスキルなのか。 もしや ”純粋”って存在しないの?と思った。 だって、 自分に巡ってくることを期待せずに善を行っても 善を行ったことで、心は晴れやかになるもの。 良い気分を味わえることは、 いつの間にか覚えてしまっているから それがどうしてもついて回るもの。 でも、これって感情がある以上 仕方のないことなのかもしれない。 人間は感情があるからこそ 人間らしいのだから。 そういえば ”自分を愛せなければ、人を愛せない” なんて言葉も聞いたことあるし。 自分しか愛せない人も居る気もするけど でも、きっと それでも良いのかも。 だって、人は一人で生きているわけでは無くて 他人と繋がっているから。 一人ぼっちだったとしても その人が一人ぼっちと感じ
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虎穴に入らずんば虎子を得ず

ずっと読みを間違えていたことわざです。有名なことわざなのに。あなたは正しく読めましたか?中国から来ていることわざです。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とは、危険を避けていては、大きな成功も有り得ないということのたとえのことを言います。虎はその子を非常に大事に守り育てるところから、虎の子は、とても価値の高いもののたとえとして使われます。その虎の子を得るためには、虎の住むほら穴に危険をおかして入らねばならないことから、危険をおかさなければ大きな成功や功名は得られないということ。 後漢(ごかん)の班超(はんちょう)が匈奴(きょうど)との戦いで危機に陥ったとき、部下に言った言葉から。この言葉で鼓舞したんですね。ことわざの言葉を言い、みんなを発憤させた結果、敵を打ち破ることに成功、結果、班超(はんちょう)は西方諸民族を平定した英雄となったそうです。現在では「虎子」は「虎児」とも書き、「こし」とも読みます。「虎穴」を「虎口」とするのは誤りです。 私が間違えて読んでいた「入らずんば」を「はいらずんば」と読むのは誤り。正しくは「入らずんば(いらずんば)」と読みます。あなたは正しく読めたでしょうか?もしどこか間違っていたら、一緒に修正しておきましょう。●まとめ「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とは、危険を避けていては、大きな成功も 有り得ないということのたとえのことを言います。 虎はその子を非常に大事に守り育てるところから、虎の子は、とても価値の 高いもののたとえとして使われます。その虎の子を得るためには、虎の住む ほら穴に危険をおかして入らねばならないことから、危険をおかさなければ 大きな成功や功名
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元の鞘に収まる

今日もまた省略されることわざを持ってきました。よく勘違いされる言葉でもあります。「へ」ではなく、「に」です。「元の鞘に収まる」とは、いったん離縁した夫婦や、絶縁した者が、再び以前と同じ関係に戻ることのたとえです。「鞘」とは、刀や剣などの刀身の部分をおさめておく筒のことで、抜かれた刀が本来収まっている鞘に戻ることからいう。 実際のところ、日本刀は一本一本作られるもので、それぞれの刀身の反り方や長さや厚みに合わせて鞘も作られます。ですから、本来の正しい鞘でないとしっくり収まらないのです。つまり、新しい鞘に収めたところで刀と鞘はぴったりと合いませんから、元々の古い鞘に収め直して落ち着いた、ということです。復縁した恋愛関係や夫婦関係にぴったりの比喩表現かも知れませんね。主に男女の人間関係において使われます。 また「おさまる」は「納まる」とも書くことがあります。 略して「元鞘」とも言いますね?実は「元鞘」という言葉は「元の鞘に収まる」の略語で、比較的最近使われるようになった言葉です。「元鞘」も「元の鞘に収まる」も、全く同じ意味で用いられています。こうして改めてみると、納得のいく内容ですね?●まとめ「元の鞘に収まる」とは、いったん離縁した夫婦や、絶縁した者が、 再び以前と同じ関係に戻ることのたとえです。 「鞘」とは、刀や剣などの刀身の部分をおさめておく筒のことで、 抜かれた刀が本来収まっている鞘に戻ることからいう。いつもの例文のコーナーです。「あれだけの大喧嘩をしておいて、結局は元の鞘に収まったらしいよ」 (台風の影響は大丈夫ですか?)レンちゃんママでした。
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京の着倒れ、大阪の食い倒れ

大阪は聞いたことあると思いますが、京都はないですね。あなたは聞いたことありますか?ちょっと珍しいので、今回取り上げてみました。大体は想像できるものだと思いますが。京都の人は知っているのでしょうか?「京の着倒れ大阪の食い倒れ」とは、京都の人は衣服に金をかける着道楽、大阪の人は飲食に金をかける食道楽の気風があるということです。「着倒れ」は、着るものに金をかけすぎて財産をなくすこと。 「食い倒れ」は、飲食に金をかけすぎて財産をなくすこと。 服飾にできる限り贅沢をする優雅な京の気風と、飲食の質を重んじる商人の町である大阪の気質を対比させていった言葉。くだいて言うと、京都の人は、衣装に大金をはたいて惜しまず、大阪人は、食を大切にしてお金を掛けて楽しむ、食道楽の気風があることを揶揄しているのです。これにならって、他県・他国(主に近隣)との対照的な違いを指したことわざが多くあります。類義語は多くありすぎて書くのが大変なので、割愛させていただきますが、主に「阿波の着倒れ、伊予の食い倒れ」などの着倒れや食い倒れが多いです。あなたは京都や大阪に行って、これらのことを実感したことありますか?まぁ、大阪は今でも食い倒れの町と言われているので、意識したことあるかもしれませんね。京の着倒れは、江戸時代ならではかもしれませんが、おしゃれな方が多かった証拠でもあるんでしょう。見てみたいものですね。●まとめ「京の着倒れ大阪の食い倒れ」とは、京都の人は衣服に金をかける着道楽、 大阪の人は飲食に金をかける食道楽の気風があるということです。 「着倒れ」は、着るものに金をかけすぎて財産をなくすこと。 「食い倒れ」は、
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物も言い様で角が立つ

書かなくても意味が分かることわざじゃないでしょうか?これ以上、何を書けばいいのかわからないぐらいです。でも、初めて知る方もいるかもしれないので書きます。知っている方は意味が合っているかの確認をしてください。言葉にするなら気をつけたいですね。「物も言いようで角が立つ」とは、それほでないことでも、言い方によって相手の感情をそこなうことがあるから、言葉遣いには気をつけるべきだという戒めの言葉です。同じことを言うにしても、言葉の選び方によって、相手を不快にさせたり怒らせたりすることもある。言葉は慎重に選んで使うべきだという教え。 「角が立つ」とは、人間関係が穏やかでなくなるという意味です。 「丸い卵も切りようで三角、物も言いようで角が立つ」と続けても言います。「物は言いよう」と似ていますね。あれは類義語になります。意味も似たようなものでしょう。このことわざを分解して書くと、物=口に出して言うことば。言いよう=言い方。言葉使い。話し方。角が立つ=他人との関係が悪くなる。ということになります。物は物体ではなく、抽象的な表現の仕方ですね。ビジネスにおいては、気をつけたい言葉の使い方。まさにこのことわざが当てはまりますね。●まとめ「物も言いようで角が立つ」とは、それほでないことでも、言い方によって 相手の感情をそこなうことがあるから、言葉遣いには気をつけるべきだという 戒めの言葉です。 同じことを言うにしても、言葉の選び方によって、相手を不快にさせたり 怒らせたりすることもある。言葉は慎重に選んで使うべきだという教え。「もう少し言い方を考えてみたら?物は言いようで角が立つって言うよね?」例えで
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犬の遠吠え

これは初めて聞いた方が多いのではと思います。「負け」がつくかつかないかで、少し意味も変わってきます。当然ながら、浮かんできたことわざは類義語に当たるんですよ。なので、意味のほうも似てくるわけです。意味も似ています。「犬の遠吠え」とは、臆病者が陰で威張ったり、陰口を言ったりすることのたとえです。弱い犬が相手から遠く離れたところで、尻込みしながら吠え立てることから。 主に、勝ち目のない相手を陰でののしることのたとえとして使われます。 「遠吠え」とは、犬などの動物が遠くで声を長く引いて吠えること。「負け犬の遠吠え」との違い。「負け犬の遠吠え」とは、臆病者が本人の前では出来ないくせに、陰では威張ったり悪口を言ったりすることのたとえです。少し違いますね。どちらも共通しているのは陰で威張ったり、陰口(悪口)をいう点です。それなら、一緒にしてしまえばいいのに、分けるのには訳があるのでしょう。臆病者も同じですね。どちらにしても、尾を丸めて吠えているということでしょうか?臆病な犬ほどよく吠えると言われ、強い犬がいたとき近くことができず、少し離れたところから吠えたてるようなことがあります。この様子を人間に例え「犬の遠吠え」の慣用句が使われるようになったという説もありますので、由来としても合っているのではないでしょうか?「負け犬の遠吠え」と言いそうですが、「犬の遠吠え」と言って、周囲の人に何それと驚かせてみてはいかがでしょうか?●まとめ「犬の遠吠え」とは、臆病者が陰で威張ったり、陰口を言ったりすることの たとえに使われています。 弱い犬が相手から遠く離れたところで、尻込みしながら吠え立てることから。
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立つ鳥跡を濁さず

このことわざを聞いて、もうひとつのことわざを想像できますか?もうひとつのことわざは、類義語ですが分かるでしょうか?たぶん、喉まで出ているという方が多いかもしれません。それぐらい似ていますからね。どんな鳥なんでしょうね?「立つ鳥跡を濁さず」とは、立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め。また、引き際は美しくあるべきだということ。水鳥が飛び立ったあとの水辺は、濁ることなく清く澄んだままであることから言います。ここでの「立つ」は、「飛び上がって去る」という意味です。また「立つ鳥跡を汚さず」とも言いますよ。私が言いたかった類義語は、「飛ぶ鳥跡を濁さず」です。似ているので、このことわざを聞いて、どちらを想像するでしょうか?こちらの意味は、立ち去る者は、自分のいた場所を汚れたままにせず、きれいにしてから行くものだという戒め。また、引き際はきれいであるべきということ。意味は似ていますが、どちらを使うのが正しいのかと言えば、「立つ鳥跡を濁さず」のほうが正しいと言えます。例文、「ここで働けなくなるのは寂しいが、立つ鳥跡を濁さずの精神で、未練を口にするのはやめよう。」などに使います。あまり使わないかもしれませんが。使うとしたら、こういう風に使ってみてください。●まとめ「立つ鳥跡を濁さず」とは、立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末を していくべきという戒め。また、引き際は美しくあるべきだということ。 水鳥が飛び立ったあとの水辺は、濁ることなく清く澄んだままであることから言います。ここでの「立つ」は、「飛び上がって去る」という意味です。 また「立つ鳥跡を汚さず」とも言い
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一所懸命

これも実はことわざって知っていましたか?意外と知られてないかもしれませんが、日常では使う機会もあるのでは?でも、意味を知ると大げさなと思うところもあると思います。そして実はビジネスなどではあまり使わないほうがいいかもしれませんね。このことわざを使いすぎるのも…「一所懸命」とは、ひとつの事に命をがけで取り組むこと。本気で何かに打ち込むことも含まれています。封建時代、君主から賜った一箇所の領地を命を懸けて守ったことから。 「一生懸命」は「一所懸命」が変化したものです。こう書くと、どちらを使えば正しいの?と思うかもしれません。ビジネスや一般的には、「一所懸命」はあまり使わないです。冒頭でもああいうことを書きましたが、実は歌舞伎役者が使います。「一生懸命」と「一所懸命」はどちらも同じ意味を表しています。しかし、一生懸命は物事に対して全力に取り組むさまであるのに対し、一所懸命の「一所」は「一カ所」を表します。そのため、ひとつのことに力を尽くすというようなニュアンスにも取れ、違いがあるのです。先ほども書きましたが、現在では一生懸命の方が一般的ですが、歌舞伎においては、一所懸命が使われることがあります。それは、歌舞伎では基本的に古語を使用することや、代々伝わる屋号(一所)を命がけで守るという意味を持つことから、一所懸命を使うようです。なので、もしビジネスで使うのであれば、一生懸命ですね。類義語でもあるので、こちらを取り上げました。使い分けに関して、参考になれば幸いです。●まとめ「一所懸命」とは、ひとつの事に命をがけで取り組むこと。 本気で何かに打ち込むことも含まれています。 封建時代、君主か
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親しき仲にも礼儀あり

こういう場面がきっとあなたにも訪れることでしょう。あなたは、そのとき怒りますか?呆れますか?相手もまた横柄な態度かもしれません。あなたもそうならないためにも、気をつけたいものですね。読み方に気をつけたものがあります。「親しき仲にも礼儀あり」とは、どんなに親密な間柄であっても、守るべき礼儀があるということです。これは、仲が良くとも、度が過ぎて礼を失するようなことがあってはいけないという戒めの言葉で、親しいことにより遠慮がなくなっていき、それが不和の元にもなるということを意味しています。まぁ、大体は分かりますよね?また、「仲」は「中」とも書きます。「親しき中にも礼儀あり」そして、こちらも「親しき仲に礼儀あり」とも言います。どちらも間違いではありません。あなたは親しい間からだからと言って、横柄な態度や我が儘を言ってはいませんか?少し礼儀正しくして、相手の人を驚かせてみましょう。また、親しくなくても、初めての方にため口などを使っていませんか?そういうのは、あなたという人柄を勘違いさせますので、変えるべきです。フレンドリーに接したかったと思っても、まず相手はあなたのことを知りません。これからというときに、そういう態度は傷つきます。なので、どんな状況下でも相手を重んじることが大切です。相手は鏡に映った自分自身だと思って、尊重しましょう。●まとめ「親しき仲にも礼儀あり」とは、どんなに親密な間柄であっても、 守るべき礼儀があるということです。また、「仲」は「中」とも書きます。「親しき中にも礼儀あり」 そして、こちらも「親しき仲に礼儀あり」とも言います。 どちらも間違いではありません。どんな状況
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犬も歩けば棒に当たる

このことわざの意味、2つあることを知っていますか?しかも、意味の内容は災難と幸福とそれぞれ違います。どちらかといえば、災難のほうで使われることが多いと思います。でも幸福の意味があるとなると、使い分けが困りますね?同じことわざ、でも意味は?「犬も歩けば棒に当たる」とは、でしゃばると思わぬ災難にあうという戒め。また、じっとしていないで、何でもいいからやってみれば、思わぬ幸運にあうことのたとえでもあります。信じられない話ですが、「棒に当たる」とは、人に棒で殴られるという意味。 本来は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味であった。 現在では、「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという、反対の意味で使われています。 「犬も歩けば棒に会う」とも言います。でも、あまり聞きませんね?これらの意味を知ると、さすがに使うのに抵抗を覚えますが、今はいい意味でも使われることが多いので、その場の状況次第で、使ってみるといいかもしれません。あなたなら、災難と幸運。どちらの意味で使いたいですか?どちらの意味で使っても大丈夫です。 とはいえ、なるべくならいい意味で使いたいものですね? ちなみに英語でこのことわざを使うとしたら、The dog that trots about finds a bone.(歩きまわる犬は骨を見つける)になります。やはり、いい意味で使われることが多い証拠でもあるんですね。2つの相反する意味を持つことわざでしたが、使う機会があるとするなら、いい意味で使ってみませんか?●まとめ
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案ずるより産むが易し

書くときに間違いやすいことわざを持ってきました。意味は知っていると思いますが。「易し(易い)」を「安し(安い)」と書くのは誤りです。ここでも気をつけておきたい言葉ですね。いろいろ間違えやすいことわざです。「案ずるより産むが易し」とは、始める前はあれこれ心配をするものだが、実際にやってみると案外たやすくできるものだというたとえです。このことわざの成り立ちは、お産する前は本人も周囲の人も色々と心配することが多いが、終わってみると案外たやすく済んでしまうものであるということから。 また、出産に限らず、物事は事前にあれこれ思い悩むよりも、実際はそれほど難しくないということからでもあります。 あまり取り越し苦労をするなという慰めの意味で使われることが多いです。 「案ずるより産むが易い」とも言い、「産む」は「生む」とも書きます。私は案ずるより「も」産むが易し…と、「も」を入れて使ってしまいますが、これは間違いです。本当に間違えやすいことわざですね。先ほども書きましたが、易しも間違いやすいので、自信のない方は、ひらがなで書くことをおすすめします。知らず知らずのうちに、恥をかかないためにも、今回をいい機会にして、覚えておくのもいいかもしれませんね。他にも、間違いやすいことわざは存在すると思うので、そういったものを紹介していきたいと思います。●まとめ「案ずるより産むが易し」とは、始める前はあれこれ心配をするものだが、 実際にやってみると案外たやすくできるものだというたとえです。 出産に限らず、物事は事前にあれこれ思い悩むよりも、実際はそれほど難しくないということからでもあります。「案ずるより産む
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為せば成る為さねば成らぬ何事も

どんなことでも強い意志を持ってやれば必ず成就するということで、やる気の大切さを説いた言葉を意味します。暑いと、どうもやる気すら出てこなくなりますよね?でも気合や強い意志があれば、願いも叶うってことですね。暑いと本当にやる気が起きないですね?「為せば成る為さねば成らぬ何事も」とは、できそうもないことでも、その気になってやり通せばできるということの意味です。できそうもないものって、何でしょうか?あなたには、お仕事などでありますか?やってみなければ、分からないってことは多いです。できるかできないかは、あなたのそのやる気次第にかかっています。でも「為せば成る為さねば成らぬ何事も」精神でいくと、 やり通せるかもしれませんね。私もチャレンジしてみようと思ったら、手を出してみます。できるかできないかは置いておいて、その過程を楽しみますね。結果がどう転ぶかは分かりませんが、損はしていないはずです。失敗したとしても、それもまた勉強になりますから。このように過程すら楽しめるなら、やる気も起き、成し遂げられると思います。一番いけないことは、何もしようとしないことです。それは時間が勿体ないですよね?時は金なりですよ。そして、結果が何であれ、やる気を起こした自分自身を褒めてください。更なるやる気が起きると思いますよ?●まとめ「為せば成る為さねば成らぬ何事も」とは、できそうもないことでも、 その気になってやり通せばできるということの意味です。やってみなければ、分からないってことは多いです。 できるかできないかは、あなたのそのやる気次第にかかっています。でも「為せば成る為さねば成らぬ何事も」精神でいくと、
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安物買いの銭失い

最近は安いもので良質なものも売られていますが、これ買って失敗したなぁってことありませんか?今回は、安くても値段相応だと言うことを書いていこうかと思います。壊れてもいいのなら、安さを追求してもいいと思いますよ?壊れるときは必ず訪れる。「安物買いの銭失い」とは、安い物を買うと品質が悪かったり、すぐ傷んだりして、結局損をすることの意味です。とは言え、高いものでも壊れるときは必ず来ます。なので、どちらがお得なのかは分からないのが現状ですね。すぐに壊れてもいいから少しでも安いものを買いたい。少しでも長持ちしてくれるなら、多少高くてもいい。あなたなら、どちらを選びますか?私は機能性重視なので、多少高くても…な人間です。もちろん、値段に似合ったものを買いますので、壊れてしまったら、残念ですが諦めます。家電でも保証書がついていても、その通りには壊れませんよね?大抵は保証期間を過ぎてから、壊れるという不思議さを持っています。もし欲しいものが見つかったら、2,3日は考えてみましょう。それが本当に欲しいものかどうか。買って損はしないか。ちゃんと使うものか…などを考えたうえで、購入するといい買い物ができて、おすすめです。焦って買う人は、損しやすいタイプとも言えますね。後悔しないのならば、購入されるのを止めませんが。焦りは禁物です。値段に関係なく、衝動買いは損する傾向にあります。そして大抵の人は後悔することが多いですよね?慎重になりすぎるのも問題と思いますが、ちゃんと吟味して、買うのであれば、失敗や後悔することはないと思います。どうせ買うのであれば、安くても高くても後悔のないもので、壊れても、損しようと
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聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥

やっぱり一生の恥をさらして生きるより、一時の恥で済むのなら、聞いたほうがいいですよね?それができれば苦労はしないという、プライドの高い方は、そのプライドさえも思い切って捨てましょう。末代の恥とも言いますね?いくつになっても、初めてのものに出会うことがあります。だからこそ、できない・または知らないことは当たり前です。それを年下に聞くのは憚られるとか考えずに、素直に聞いてみましょう。「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」とは、無知であることを恥じ、分からないことを人に聞かないでいることを、その後の人生においてずっと恥を抱えたままになるという意味の言葉です。また「一生」の部分が「末代」になり、恥が子孫にまで継承されると考える言い回しも存在します。これはこれで嫌ですよね?無知であることを恥じるよりも、知らないことを学べる楽しさのほうに意識を向けてみませんか?きっと楽しいと思いますよ?初めてに出会うことそのものに年齢なんて関係ありません。誰だって最初は分かりません。だからこそ、知っている人に聞くのが最善であり、理解力が深まります。あなたにも何かを教える立場になると、分かると思います。相手も勇気を出して、聞いてくれているんだなって。一生恥じて生きるよりは、今必要なことを聞くようにしたいですね。●まとめ知らないことがあって、当たり前なんです。それを恥じる必要はありません。「今更だけど…」って聞いてみてください。あなたが思うほど、相手はそこまで意識していないかもしれませんよ?むしろ、知らないことを知れるきっかけを楽しみましょう。そのほうがきっと楽しくなるはずです。 (分かる範囲なら答えたり、調べた
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🐱😺😻😻😼猫に小判🐈

ことわざ、故事成語、慣用句については、厳密な違いを判別させるのではなく、音読して、その節回しの面白さや特徴を味わわせることを目的としていますしかし、授業をする教員がその違いを知らないわけにはいかないので、簡単に説明します3年生は「ことわざ」「故事成語」です①意味を調べたり、②それを使って文を考えることが目的です「ことわざ」とは、光村図書出版の教科書上の説明では「生きる上での知恵や教えを、短い言葉や言い回しで表したもの」と、説明しています 🐶犬も歩けば 棒に当たる 善は 急げ 帯に短し 襷に長し 所変われば 品変わる 🐵サルも 木から落ちる 石橋を 叩いて 渡る 若い時の苦労は 買ってでもせよ 塵も積もれば山となる 😼猫の手も 借りたい昨日紹介した 十進分類表「1」にある ことわざの絵本や辞典を使うことをお勧めしますまた、ことわざのカルタ=通称 犬棒カルタなどと言いますこれも おもしろい💘遊び乍ら競いながら 暗唱するには うってつけです💚「故事成語」は、上記光村図書出版では「中国に伝わる古い出来事や物語が元になってできた言葉」と説明しています 50歩百歩 矛盾 遂行 漁夫の利・・・が取り上げられています これも 故事成語辞典や絵本を図書室からたくさん借りてきて、教室に置い  ておきましょう 子供は面白がって読みますことわざ、故事成語の区別なく、気に入った言葉をかける「短冊」を準備しておきましょう表に ことわざ、故事成語裏に、意味   書いた人の名前ポスト または 文箱(ふばこ)も準備します(なんでもいいです、ダダの菓子箱で十分)1週間ほどきます 1人何枚入れられたかが、評価です=
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嘘も方便

嘘はつかないようにしていますが、それが相手のためになるなら、私も嘘をつくかもしれません。あなたなら、どうしますか?難しいですよね。「嘘も方便」とは、嘘をつくことは悪いことではあるが、時と場合によっては嘘が必要なときもあるということです。目的を遂げるために、時には嘘をつくことも必要になるという意。 「方便」とは、仏教用語で、衆生(しゅじょう:一切の生きとし生けるもの)を真の教えに導く為に用いる仮の手段のこと。悪事に結びつく嘘を許されるという意味で使うのは誤りなので注意を。「目的を達成するための使う便宜的な手段」をあらわし、あくまでも相手の利益になることを前提に、やんわりと嘘を肯定している表現です。ここで面白い雑学を。「方便」の語源はサンスクリット語の「ウパーヤ(upaya)」で、「(目的に)近づく」という意味にあとから漢字を当てたものです。 「ウパーヤ(方便)」は、解脱(悟り)のために必要な仏の智慧「般若(はんにゃ)」を体得する手段として欠かすことができないものとして、位置づけられています。サンスクリット語は、古代インド・アーリア語に属する言語だそうです。「ウパーヤ」がどうやったら、「方便」に繋がったか分かりませんが、仏教を通してきたというのは面白いですね。●まとめ「嘘も方便」とは、嘘をつくことは悪いことではあるが、時と場合によっては 嘘が必要なときもあるということです。 目的を遂げるために、時には嘘をつくことも必要になるという意。例文ではこうでしょう。「料理の中に苦手な物があったけど、嘘も方便で喜んだ」 (台風の進路が気になります)レンちゃんママでした。
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青は藍より出でて藍より青し

このことわざは聞いたことあると思います。意味は?と言われたら、うまく答えられないかもしれませんが。でも、実はとても大切な教えの言葉なのです。どういうことなのか書いていきます。努力が実を結ぶとき。「青は藍より出でて藍より青し」とは、弟子が師匠の学識や技量を越えることのたとえに使われます。「藍」とは、染料に使う藍草のことで、藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色となります。その関係を弟子と師匠にあてはめて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという意のことわざです。荀子(じゅんし)の言葉で、学問や努力により持って生まれた資質を越えることができるということ。このことわざは2つの意味を持ちます。 1.人は学問や努力によって、もともと持って生まれた本性をも越えることが  出来ること。 2.弟子が、師の学識や技量を越えること。 2の意味で使うことが多いですね。「青は藍より出でて、藍より青し。氷は水これをなして、水より寒し」に基づきます。類義語にも、「氷は水より出でて水より寒し」とあります。同じく弟子が師よりも勝る事をたとえたことわざです。詳しく書くと、水からできた氷が水よりも冷たいということから、「門人が師よりもすぐれたものになる」というたとえです。「青は藍より出でて藍より青し」がとても大切な教えかというと、門人が師よりも一歩進んだ修養ができていることをたとえた言葉という点で、それは「努力によって修養を高めることができる」ということだからです。頑張り次第で師さえ超えていけるということですね。●まとめ「青は藍より出でて藍より青し」とは、弟子が師匠の学識や技量を越えること のたとえに使われます。 「
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転ばぬ先の杖

省略ことわざがたぶん出尽くしたので、有名どころを持ってきました。意味は大体のことは分かっていると思いますが、復習も兼ねて書いていきたいと思います。杖があると何かと役立つでしょうね。「転ばぬ先の杖」とは、失敗しないように、万が一に備えてあらかじめ十分な準備をしておくことのたとえのことを言います。転んでから杖を用意しても何の意味もなさない。転ぶ前に用心して手に杖を持つべきだということです。 また、転んで怪我をする前に、体を支える杖を準備することから、様々なリスクに対して「準備・用心すること」の例えとして使用されます。「先」とは、ある基準より前(時間的に)という意味を持ちます。 「転ばぬ」の「ぬ」は「転ぶ」の打ち消しの助動詞で、「転ぶ先の杖」としても意味は変わりませんが、ことわざでは「転ばぬ」を用いるのが一般的。 「転ばぬ先の杖柱」、「倒れぬ先の杖」、「こけぬ先に杖」とも言います。「転ばぬ先の杖」は、「不測の事態にそなえる」、「不安なことを、前もってとりのぞいておく」、「相手に注意を促す」ときに使用することができます。自然災害のとき、不安があるとき、注意を促すなどですね。「転ばぬ先の杖」と似たことわざには、「備えあれば憂いなし」、「石橋を叩いて渡る」など、よく使用されることわざが多いので、一緒に覚えておいて損はないでしょう。●まとめ「転ばぬ先の杖」とは、失敗しないように、万が一に備えてあらかじめ 十分な準備をしておくことのたとえのことを言います。 転んでから杖を用意しても何の意味もなさない。 転ぶ前に用心して手に杖を持つべきだということです。例文は何がいいでしょうか?「転ばぬ先の杖
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藪をつついて蛇を出す

また省略ことわざを持ってきました。この意味は分かると思います。実際にやらないことをおすすめしますが…。いわゆる藪蛇ですね。「藪をつついて蛇を出す」とは、余計なことをして、かえって悪い結果をまねくことのたとえです。藪をつついてわざわざ蛇を追い出し、その蛇に噛まれるという愚かさから、せっかくおさまっているものを、いらぬことをしてかえって災いを招くことを言います。 「藪を叩いて蛇を出す」とも表現されます。「藪から棒」と混同して、出し抜けに物事を行うの意で使うのは誤りです。「藪から棒」は、前触れなく、突然物事を行うことを意味します。 「藪」とは、草や木が生い茂っている場所のことです。 必要がないにも関わらずに藪をつついた結果、藪の中で大人しくしていた蛇が出て来る様子を表しています。蛇は、災難のたとえです。実際に藪から蛇が出てくるかは分かりませんが、しないほうが賢明ですね。●まとめ「藪をつついて蛇を出す」とは、余計なことをして、かえって悪い結果を まねくことのたとえです。 藪をつついてわざわざ蛇を追い出し、その蛇に噛まれるという愚かさから、 せっかくおさまっているものを、いらぬことをしてかえって災いを招くことを 言います。例文を書くとするなら、「藪をつついて蛇を出すなんて、情けない話だね」とかでしょうか?合っているといいのですが。 (台風の影響すごいですね)レンちゃんママでした。
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棚から牡丹餅

省略されやすいことわざを持ってきました。意味はきっと御存知だと思います。漢字からしてボタンと読みたくなりますね?「棚から牡丹餅」とは、思いがけない幸運が舞い込むことのたとえです。先ほども書きましたが、ぼたん餅ではなく、ぼた餅なので注意を。棚から落ちてきた牡丹餅が、ちょうどあいていた口に落ちておさまることから言います。略して「棚ぼた(たなぼた)」とも言いますね。とは言え、牡丹餅が幸運につながることについて疑問を持つ方がおられると思います。幸運の意味は、昔砂糖が貴重品であったことに由来しています。おそらく江戸時代、庶民が甘いものを口にできる機会は滅多になかった昔は、貴重品である牡丹餅が偶然口に入ることは、思いがけない幸運を手に入れた状況であると言うことができたということです。類義語には、「開いた口へ牡丹餅」とありますが面白いことに、対義語には、「棚から牡丹餅は落ちてこない」ともあります。こうも差があると、本当にことわざって奥深く楽しいものですね。英語では、He thinks that roasted larks will fall into his mouth.(ヒバリのあぶり肉が口の中に落ちてきはしないかと思っている)どちらも落ちてこないかと幸運を待っている状況ですね。●まとめ「棚から牡丹餅」とは、思いがけない幸運が舞い込むことのたとえです。 先ほども書きましたが、ぼたん餅ではなく、ぼた餅なので注意を。 棚から落ちてきた牡丹餅が、ちょうどあいていた口に落ちておさまることから 言います。略して「棚ぼた(たなぼた)」とも言いますね。恒例の例文を。「棚から牡丹餅といえば、この前部屋の片
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我思う、故に我在り

有名な言葉を持ってきましたが、この言葉がことわざだというのを知っている人はきっとそう多くはないでしょう。もし意味なども知っているとしたら、すごいと思います。どんな意味を想像しますか?「我思う、故に我在り」とは、あらゆる存在は疑うことができるが、そう考えている自己の存在だけは疑うことができないということです。フランスの哲学者・デカルトの『方法序説』にある一節、「私は考える。だから私は存在する」という意味の言葉から。「我思う、故に我有り」と書くのは誤りなので、注意してください。英語では、「I think, therefore I am.」(我思う、故に我あり)ラテン語では、「Cogito, ergo sum.」(コーギトー・エルゴー・スム)フランス語では「Je pense, donc je suis」(ジュ パンス ドンク ジュ スィ)珍しく英語以外にも書いたので、発音も載せておきます。フランス語で書かれた本ですが、ラテン語のほうが有名な言葉でもあります。何となくで使っていることわざでしたが、結構深い意味がありましたね。これは例文を考えるのが難しそうです。●まとめ「我思う、故に我在り」とは、あらゆる存在は疑うことができるが、 そう考えている自己の存在だけは疑うことができないということです。 フランスの哲学者・デカルトの『方法序説』にある一節、 「私は考える。だから私は存在する」という意味の言葉から。例文を考えてみましたが、「我思う、故に我在りって、デカルトの書いた本の言葉が有名だね。」が妥当なところじゃないでしょうか。 (今回は難しかったので短めにしました)レンちゃんママでした。
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念には念を入れよ

このことわざを知らない人はいないと思います。それぐらいの認知度はあるのではないでしょうか?今では、念には念をまでしか言いませんね。「念には念を入れよ」とは、用心の上に、さらに用心を重ねよということ。注意した上にも、さらに注意せよということです。 手抜かりがないかどうか、細心の注意をせよという意味でもあります。 「念を入れる」とは、間違いのないように気を配ることを強めた言い方。 「念には念を入れる」や「念を入れよ」とも言います。念とは、常に心の中を行ったり来たりしている思いのことで、仏教において非常に重視されています。また、「念」という漢字そのものに「注意する」という意味が込められています。慎重に物事を進めるべきだという教訓が、そのままことわざになったとされています。類義語では、「石橋を叩いて渡る」、「二番目の考えが最善である」など。対義語では、「一か八か」、「彩ずる仏の鼻を欠く」、「念者の不念」英語で表現すると、Second thoughts are best.(二番目の考えが最も良い)となります。英語の内容は類義語のものと似ていますね?仏教と繋がりがあることわざだったんですね。今では省略して言う、このことわざにも深い意味がちゃんとありました。少しでも話のネタになるようであるなら嬉しいです。●まとめ「念には念を入れよ」とは、用心の上に、さらに用心を重ねよということ。 注意した上にも、さらに注意せよということです。 手抜かりがないかどうか、細心の注意をせよという意味でもあります。 「念を入れる」とは、間違いのないように気を配ることを強めた言い方。 「念には念を入れる」や「念を
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親思う心にまさる親心

ちょっと分かりづらいかもしれませんが、じっくり読むと分かります。最近、親子関係のことわざを持ってきていますね。今回の内容は今までと違っていい内容です。どういう意味でかはあとで分かります。思い思われな関係が望ましいですね。「親思う心にまさる親心」とは、子が親を思う気持ち以上に、親の子に対する慈愛の気持ちはさらに強いものだということです。「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」という、幕末の志士、吉田松陰が二十九歳で処刑されたときに詠んだ辞世の句。吉田松陰(まつだしょういん)とは、松下村塾を開き、明治維新を支える多くの人材を育てたことで知られていますね。伊藤博文とか。意訳:「子が親を思う気持ち以上に、親が子を思う気持ちは強いものだ。今日のこの報せを聞いた親は何と思うだろうか。」が由来だったんですね。また、「けふ」は(松陰の)手紙が両親の元に届いた日を意味します。親を思う以上に親は子供のことを思ってくれていると聞くと、親孝行したくなりませんか?「孝行のしたい時分に親はなし」とも言いますよね。なるべく早くに親孝行しましょう。●まとめ「親思う心にまさる親心」とは、子が親を思う気持ち以上に、親の子に対する 慈愛の気持ちはさらに強いものだということです。 「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」意訳:「子が親を思う気持ち以上に、親が子を思う気持ちは強いものだ。 今日のこの報せを聞いた親は何と思うだろうか。」という、幕末の志士、吉田松陰が二十九歳で処刑されたときに詠んだ辞世の句。例文を書くとすれば、「あなたも親になれば、親思う心にまさる親心って気持ちが分かってくるよ」でしょ
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親の光は七光

今日も有名なことわざを持ってきました。意味は言わずとも分かるかと思います。でも知っているものと少し違うと感じる人もいるでしょう。それについても書いていきます。本来はこちらが正しい?「親の光は七光」とは、親の威光によって子が恩恵を受けること。また、親の名声や地位を子が大いに利用すること。親の威光が子に及んで、あらゆる余沢を受けることを言います。 親の社会的地位や名声のおかげで、子が得を得たり、それを利用すること。多く、子の実力によるものではなく、子が親の恩恵を受けて成功した場合に使われます。「七光り」の「七」は、数が多いことを表す。このことわざを略して「親の七光り」とも言います。ほとんどの人が知っているこの言葉は省略されたものなんですよね。またついでに「七光り」の「七」についてですが、先ほど書いた通り、「七変化」や「七色」など、昔から七という数字は大きな数を表します。 なので、「七光り」とは「7つの光」という意味ではなく、「親の偉大な力」を表しているのです。意味が分かると納得ですね。●まとめ「親の光は七光」とは、親の威光によって子が恩恵を受けること。 また、親の名声や地位を子が大いに利用すること。 「親の七光り」は、テレビなどでよく使われる言葉です。ですが、正確には「親の光は七光り」なので、正しく覚えましょう。例文を書くなら、「彼は有名政治家を父に持つ。彼の成功をねたむ人々は、口をそろえて「親の光は七光り」と言うだろう。」などです。まぁ、有名なことわざなので、書かなくても分かりますね。 (これぐらいがちょうどいい読み応えかな?)レンちゃんママでした。
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目は心の鏡

意外かもしれませんが、これもことわざのひとつなんですよ。初めて見たとしても、意味は何となく分かりますよね?類義語では、「目は口ほどに物を言う」とあるので、どんなに偽ろうとも目は素直ってことなんでしょうね。鏡と言えば、いろんな言葉にも使われますね。「目は心の鏡」とは、目にはその人の心の正邪が表れるということです。目はその人の心を映し出す鏡のようなものだから、目を見ればその人の心のさまが読み取れるものであり、心が清く正しい人は、瞳も澄んでいるものだという意味でもあります。英語だと、The eye is the window of the heart.(目は心の窓)この英語は、「目は心の窓」ということわざにも使えそうですね。ちなみに「目は心の窓」も類義語です。鏡ですが、「鏡花水月(きょうかすいげつ)」をご存知ですか?意味のほうですが、鏡に映った花や水に映った月のように、目には見えながら手にとることができないもの。 また、言葉では表現できず、ただ心に感知するしかない物事。これはことわざではなく、四字熟語です。何とも言えないものがありますね。「人こそ人の鏡」これはことわざになります。その意味は、他人の言動は鏡に自分をうつす鏡のようなものであるから、他人を見て自分を改める参考にせよということです。これも大事なことですよね?人の振り見て我が振り直せってことですから。このように鏡はいろいろな場面でも使われます。鏡は素直にそのままを映し出すことから、多用されているだと思います。まぁ、鏡の話を持ち出しましたが、今回は目の話ですね。目もいろいろ使われていますね。「目から鱗が落ちる」とか「鵜の目鷹の目
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急いては事を仕損じる

これは、読み間違いの多いことわざのひとつだと思います。どのあたりが間違えやすいと思いますか?分かる人にとっては、え?こんなところが分からないの?って言われそうな言葉ですが、読み間違い、言い間違いが多いのは確かです。恥をかく前に覚えて損はないです。「急いては事を仕損じる」とは、何事も焦ってやると失敗しがちだから、急ぐときほど落ち着いて行動せよという戒めです。さて、問題の読みですが、「せいてはことをしそんじる」です。「いそいてことをしそんじる」と、かつての私は読んでましたが、正しくは、「せいてはことをしそんじる」とのことです。物事は焦ってすればするほど、冷静沈着に出来なくなるものだから、焦っている時ほどじっくり落ち着き、考えて対処せよということから。 「急いては事を仕損ずる」「急いては事を過つ」とも言います。また、「急いては」を「いそいでは」というのは誤りですので注意を。これもまた間違いやすいところではありますね。あなたは間違えずに読めましたか?間違えた方は、この機会に覚えておきましょう。振り込め詐欺もそうでしたね。3時までに振り込むように促して、冷静な思考を取り上げれらた人に、このことわざを送りたいです。まぁ、おそらく聞く耳は持たないでしょうけど。詐欺にあわないためにも、冷静な状態は必要になります。そして考えることも。こういうことは大事だと思いますよ。あなたの周りにもそうならないように、声掛けをしてみてください。●まとめ「急いては事を仕損じる」とは、何事も焦ってやると失敗しがちだから、 急ぐときほど落ち着いて行動せよという戒めです。読みのほうですが、「せいてはことをしそんじる」で
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急がば回れ

これも言い間違えやすいことわざじゃないでしょうか?ちょっと言いづらいところもありますし。でも、意味のほうは浸透していると思います。ご想像通りの意味で間違いないでしょう。近道は遠回りとも言いますね「急がば回れ」とは、急いで物事をなしとげようとするときは、危険を含む近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行くほうがかえって得策だということを意味しています。また、急ぐからといって慣れない近道を通れば、道に迷うなどして、かえって遅くなるもの。それよりも、多少の手間や時間がかかる回り道であっても本道を行くほうが、結局は早く目的地に着くということ。「急げば回る」「急ぐ道は回れ」とも言います。使い方には注意があり、ただ「ゆっくり行く」の意味で使うのは誤り。 たとえば、 「人生は長いものだから、ゆっくり歩けば良い。急がば回れというように、のんびり行こうじゃないか」は間違いです。これさえ、踏まえておけば、あとは問題ないかと。最初のほうにも書きましたが、これは近道は遠回りと似たものですね。どんなに急ぎのようであっても、近道するよりも遠回りを選んだほうが結局のところ、無事に目的地に早く着きますって意味なので。近道を選んだところでいいことがないっていうのは、人生においても、言えることじゃないでしょうか?先を急ぎすぎるのも良くないという。人生においても、物理的な道であっても、急ぐのであれば、遠回りになることを選んで、結局は最短ルートを選びましょう。●まとめ「急がば回れ」とは、急いで物事をなしとげようとするときは、 危険を含む近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行くほうがかえって 得策だということを意味してい
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石橋を叩いて渡る

このことわざを知らない人は少ないと思います。もちろん、ご存じの方は意味も理解されていることでしょう。用心することは大切なことです。用心しないのは無謀とも言えます。だからこそ、この言葉が生まれたのだと思います。対策はしっかりと。「石橋を叩いて渡る」とは、用心の上にさらに用心を重ねて物事を行うこと。詳しく書くと、壊れるはずのない強固な石の橋を、一応叩いて安全性を確かめて渡ることから、用心し過ぎるほど用心深くなることをいう。 「石橋を叩いて渡れ」「石の橋も叩いて渡れ」とも使います。 さらにこのことわざを転化させて、「石橋を叩いても渡らない(用心に用心を重ねたのに、結局実行しない)」や「石橋を叩いて壊す(用心深くなりすぎた為に失敗する)」などの表現もあるので、一緒に覚えておいて、使ってみるのもいいかもしれませんね。たとえば、「私の性格は、石橋を叩いて壊すような性格なんですよ」とか、冗談交じりの自己紹介などをすると、笑い話にも変わりますよね?失敗するのは問題ですが、用心に越したことはないご時世ですね。色んな詐欺も存在します。これを読んでいるあなたは大丈夫と思いますが、「オレオレ詐欺」や「わたしわたし詐欺」、SNSを送って詐欺を働くなんてものも存在しますので、警戒するのは当然のことと言えます。周囲の人に注意を促してみてください。それこそ、石橋を叩いて渡るように、日々の生活の中に取り入れてください。自分の身を守るのはあなた自身です。気をつけてくださいね。●まとめ「石橋を叩いて渡る」とは、用心の上にさらに用心を重ねて物事を行うこと。 壊れるはずのない強固な石の橋を、一応叩いて安全性を 確かめて
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百聞は一見に如かず

このことわざには続きがあることをご存じですか?これだけでも十分な気もしますが、まだあるんです。あなたは、どんな意味の続きを想像しますか?とは言っても、すぐには浮かばないですよね。「百聞は一見にしかず」とは、百回聞くよりも、たった一度でも自分の目で見たほうが確かだということの意味です。そして、続きにはこうあります。百聞は一見にしかずの後には、「百見は一考にしかず」、「百考は一行にしかず」、「百行は一果にしかず」と続きます。その意味はこうです。「百見は一考にしかず」は、「いくら自分でたくさん見ても考えなければ意味が無い」という意味で、「百考は一行にしかず」は「いくらたくさん考えても、それを実行に移さなくては意味が無い」という意味。「百行は一果にしかず」は「いくら実行に移しても成果をあげなくては意味が無い」という意味。これらをまとめると、「自分の目で見て考え、それを実行に移して成果に結びつけることが大切である」という意味のことわざとなります。まるで山本五十六さんを思い出させる内容ですね?え、私だけですか? 「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」最初のほうは有名ですよね?後半の部分はあまり知られていませんが。どちらも教育の現場にも使えそうな言葉ですね。長くなりましたが、百聞は一見に如かずとは、何回聞かされても一度は見たほうが自分のためにもいいということですよね。そういう場面にあうことがあれば、自分から見させてください!と頼み込むのもありで
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三つ子の魂百まで?

あなたは、この言葉を言われて、何と思うのでしょうか?誉め言葉?それとも嫌味な言葉?どちらを思うのでしょう?また、このことわざを聞いて、三つ子って3人の兄弟で魂が百?と、そのままに意味を取っていませんか?もちろん、違います。勘違いされることわざって多いですね。「三つ子の魂百まで」とは、幼い頃の性格は、年をとっても変わらないという意味のことです。ちなみに補足情報。「三つ子」とは、三才の子供のこと。転じて幼い子を言います。 「魂」が「心」「根性」「知恵」に、「百」が「八十」「七十」「六十」に置き換わった表現があり、組み合わせによって多くの句がある。そして英語ではこんな表現も。The leopard cannot change his spots.(ヒョウは斑点を変えることはできない) The child is father of the man.(子供は大人の父)いろいろありますね!性格を変えることは難しいことです。ですが、変えようと思えば、努力次第で変えられます。ただ、根本的に変えられるかと言えば、やはり難しいところがありますね。ネットや運転だと性格が変わる人もいますが、あれは一時的なものです。根本的には幼いころのまま変わらないってことですね。良い性格ならそのままに、でも悪い性格はどうにかして直したいですよね?まず、どんなところが悪いのかを周囲に聞くことです。自覚が大事。そして、性格が悪くなった原因を考えることも大事です。またそんな自分を好きになってみる。こういう人は自己中心的でありながら、実は自分のことを愛せていない人が多いようです。こういう風に悪い性格を直して、周囲を驚かせてみ
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果報は寝て待て

よく家宝と間違われやすいことわざですが、正しくは果報…良い知らせの意味なので、間違えていた人はこの機会に覚えておくといいですよ?昨日書いた内容と意味はさして変わりませんが、このことわざも結局のところ焦りは禁物と言っています。どれだけ焦りがいけないかという証拠ですね?寝て待つだけでいい?「果報は寝て待て」とは、運というものは人の力ではどうにもできないものだから、あせらずに時機を待つのが良いということの意味です。言葉そのままに受けとけないでくださいね?「寝て待て」といっても、怠けていれば良いという意ではなく、人事を尽くした後は気長に良い知らせを待つしかないということですので。今時風に言うならば、「やるだけのことをやったから、あとはいい知らせが来るのを気長に待とう」って感じの意味じゃないでしょうか?なので、焦りは禁物ってことがここでも分かりますね?今も昔もどんだけ焦っていたのでしょうか?と思わざるを得ないですが。英語にも、Everything comes to him who waits.(待つ者はどんなことでも叶えられる)昨日、紹介しましたね。改めて、待つって大事なんですね。だからこそ、焦るな、焦っても意味がないって伝えたい言葉なんでしょう。もちろん、人事を尽くしてやるだけのことをやってからという意味ですが。あなたも焦ったりすることがあると思いますが、果報は寝て待てのような精神を貫けますか?どこかで焦りが出てしまい、先へ行こうとしていませんか?それは間違いだと先人たちの知恵でも教えてくれています。やるだけのことをやったなら、あとはおとなしく身を引いておきましょう。無駄に悪あがきなど
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心頭を滅却すれば火もまた涼し

暑い日が続きますが、お身体に変わりはありませんか?こういうときは、麦茶を飲んで体を冷やしたり、また涼しい場所に移動し、熱中症対策をすることをおすすめします。というのも、私はここ数日間、エアコンが壊れて大変な思いをしました。よりによって、夏場に壊れますか!って話ですよね?まぁ、こういう話は置いておいて本題へ。人間、耐えようと思えば耐えられる?「心頭滅却すれば火もまた涼し」の意味は、どんな苦難にあっても、それを超越した境地に至れば、苦しいとは感じなくなるものである。という意味です。あなたは最近、苦難にあったことありますか?それを乗り越えるために、何かやってみましたか?人間は乗り越えようと思えば、乗り越えられます。結果がどうであれ。でも、いつも言っていますが、結果よりも通過点が大事です。それさえ、分かっているなら、大丈夫です。あなたはできます。様々なところで得た経験があなたを救ってくれます。なので、困難や苦難にあうとしても、乗り切れるという確信と自信を持ってください。あなたにはあなただけの経験値という武器がありますから。頑張ることもできれば、乗り越えることも可能なんです。もし、ダメだなぁと思うときが訪れるでしょうが、そのときは今まで経験したことを思い出してください。それがあなたを助けてくれる支えになりますから。それでも無理だなって思ったら、諦めてください。なぜなら、向いていないことをムキになってする必要はないからです。それは向いていないんだと知る機会、またそこまでの経緯を活かして、次に向かいましょう。でも諦め癖がつくのだけは避けてください。これはあなたのための警鐘です。諦め癖のついた
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善は急げ

いいもの、いい商品は待ってくれることはありませんね?待ってくれていたら、こちらも急いでまで手にしようとはしないでしょう。とはいえ、冷静な判断も求められます。あとで後悔しても遅いからです。あなたの場合は、すぐに行動に移せる人ですか?それとも…?考えるのを放棄しましょう。たまには、こういうことも大切です。善は急げには、「よいことはためらわずすぐに行え」という意味があり、また「すぐに行動しないとせっかくのチャンスを逃してしまう」や「好機を逃すべきではない」という戒めの意図もあります。この場合、善いと思ったら、すぐ行動ってことですね!これとない好機を見つけたら、ためらわずに飛び込んでください。こういうときにチャンスを逃したほうが後悔します。そのためにも、これはよいものだと認識する力を養わねければなりません。どうやって認識するかについては、対象のものがあなたにとって、どれぐらいの価値あるものかによるかと思います。今は磨かれていない原石だ!と思ったら、そこで行動あるのみですね?いずれは原石が輝くときが訪れたとき、あなたの判断は正しく、正解だったとも言えます。また「急いではことを仕損じる」ともあるように、必ずしもよいことが続くとは限らないので気をつけてください。対応力、判断力、忍耐力も必要になるかもしれないですね。タイムセールではないですが、冷静さに欠けた行動は止めておきましょう。購入後に我に返り、後悔することのないように、気をつけたいものですね。●まとめ考えることを放棄するのも、ときには必要ですが、冷静さだけは失わないようにしましょう。あなたが思ったチャンスだと思うなら、それは何が何でも逃
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よく言われる「引き寄せの法則」とはなんぞや

埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。序章ココナラで「引き寄せの法則」を扱うと。それを表現したことわざが多数あるように、非常に身近なものであるにもかかわらず「占い・スピリチュアル」カテゴリーになってしまうほど、この言葉はすっかり怪しげなものとなってしまいましたが。もしかして、引き寄せの法則が「怪しい」「宗教的」なものになってしまったのは、ことわざを使わなくなったせいもあるのではないか?と、思いこんなサービスをやって、一部公開していますが。特に「二度あることは三度ある」「噂をすれば影」「果報は寝て待て」など、引き寄せの法則そのままの意味です。すぐに達成したいことでも、焦らず気長に待てば、噂をするようにして現れて、更に二度あることはまたそれがやってくる。 引き寄せの法則のプロセスが、挙げたことわざの中で成立している訳です。 日本は自分が無宗教であると錯覚しているほど、信仰が生活の中に完全に溶け込んでいる文化ですから、その土地を愛し心穏やかでいることがいかに大切か。ということがよく分かっているはずなのですが。 戦争に負けるということは、国内で同じ民族がそれを忘れさせようと、精神的な破壊工作を行うわけですが。ことわざを使わない。というのもその一つなのかもしれません。 さて、焦らず気長に待てば願いが叶う。と言う事は、大きな願いが叶う前は小さな事も引き寄せている。 と、言う訳で。 最近、私が探し求めていたドーナツを出す店が、この前よく見ている、某地域紹介バラエティー番組のパロディーのYouTube多摩地域限定紹介チャンネルの動画にて、紹介されていました。 そのド
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心の余裕で運をつかむ!見て見ぬふりをやめて幸運体質に変わる秘訣

おはようございます🌅皆さん、最近何か気になることがあっても、見て見ぬふりをしていませんか?忙しい日々の中で、些細なことや問題を後回しにしてしまうことは誰にでもあります。しかし、その見て見ぬふりこそが、実はあなたの運気を下げてしまう原因になっているかもしれません。「見て見ぬふり」は、一時的には心の負担を軽減するように見えるかもしれませんが、実際には心と脳に大きな圧迫感を与え続けています。解決されない問題や未完了のタスクは、無意識のうちにストレスを蓄積させ、心の奥で常に気になり続けるものです。その結果、日常生活においてもどこか落ち着かず、集中力が欠けてしまうことが多くなります。しかし、気になることに早めに対処することで、心の中に余裕が生まれます。その余裕は、時間的なゆとりを生み出し、考え方に幅を持たせるための重要な要素となります。余裕があれば、物事を冷静に考えることができるだけでなく、新たな発想やアイデアも生まれやすくなります。また、余裕を持つことで、あなたの人的魅力も自然と高まります。人は余裕のある人に引き寄せられるものです。余裕のある態度や言動は、周囲に安心感を与え、信頼されやすくなるでしょう。すると、自然と良い人間関係が築かれ、良い出会いにも恵まれるようになります。運をつかむためには、心と時間に余裕を持つことが不可欠です。そのためには、まずは見て見ぬふりをやめ、気になることを一つ一つ丁寧に対処していくことが大切です。小さなことでも、解決することで心が軽くなり、新しいチャンスや運を引き寄せるための準備が整います。今日から、気になることに向き合い、早めに対処する習慣を身につけてみ
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ことわざ

ああ言えばこう言う(ああいえばこういう)相手の言うことを素直に聞かず、           理屈をつけて反論すること。梅個性(大物):https://coconala.com/blogs/2722005/228651 松個性(城) :https://coconala.com/blogs/2722005/228889 桜個性(人) :https://coconala.com/blogs/2722005/228829 リズム意味 :https://coconala.com/blogs/2722005/215858 1000円クーポン:https://coconala.com/invite/B5QXX3
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眉に唾を付ける

これ、勘違いされている方も多いのではないでしょうか?私も勘違いしていました。では、どういう意味なんでしょうか?眉唾とか言いませんか?「眉に唾をつける」とは、だまされないように用心することのたとえです。狐や狸に化かされないためには、眉に唾をつけると良いという俗言から、疑わしい物に騙されないために用心することを言います。 「眉唾」「眉に唾を塗る」「眉に唾をする」「眉毛に唾を付ける」など。キツネやタヌキが人を化かす際、彼らは人間の眉の本数を数えることで、心を読むと考えられていたそうです。そこで「眉に唾」をすると、眉が濡れてくっつき、正しい本数が数えられなくなるため、防ぐことができるのです。私は気合入れるためにすることかと思いましたが、用心することなんですね。あなたは意味も知っていましたか?世の中には、人を騙してお金を取ろうとする人がたくさんいます。騙されないためにも、出来過ぎた話を聞いたときには、眉に唾をつけることを忘れないようにしましょう。●まとめ「眉に唾をつける」とは、だまされないように用心することのたとえです。 狐や狸に化かされないためには、眉に唾をつけると良いという俗言から、 疑わしい物に騙されないために用心することを言います。 他に「眉唾」「眉に唾を塗る」「眉に唾をする」「眉毛に唾を付ける」など。 例文を書くとすれば、「上手い話には裏があると言うし、詐欺にあわないためにも、簡単に利益が得られる話には、眉に唾をつけて聞くようにしている。」が妥当でしょうね。 (台風14号、日本に来ますね。怖い)レンちゃんママでした。
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子供の喧嘩に親が出る

これがことわざって驚いている方いるんじゃないでしょうか?昔からこういうことがあるってことでしょうね。意味も分かると思うので、短めにまとめたいと思います。こういう親もいますよね。「子供の喧嘩に親が出る」とは、つまらぬことに口出しをする大人げない行為のことを言います。子供同士の他愛ない喧嘩にそれぞれの親が干渉し、親同士が憎んだり、恨んだりすることから転じて、つまらないことに当事者以外がしゃしゃり出て、余計なことをする人の意味です。また、子供同士の喧嘩に親がくちばしを入れ、自分の子供に味方すること。その結果、親同士の喧嘩に発展しがちである。したがって、大人げない振る舞いをしたり、余計な口出しをするなという意味でもあります。類義語は、「子供喧嘩が親喧嘩」と言います。似たり寄ったりですね。そういえば、親子のことわざは昨日も書きましたが、どちらも親馬鹿のことわざでした。覚えていますか?「親馬鹿子馬鹿」です。こちらは親同士の問題にまで発展していますことわざですね。あなたは、こういう経験はそうそうないと思いますが、こういう親は困りますよね?トラブルにならないように、気をつけましょう。●まとめ「子供の喧嘩に親が出る」とは、つまらぬことに口出しをする大人げない行為のことを言います。 子供同士の他愛ない喧嘩にそれぞれの親が干渉し、親同士が憎んだり、 恨んだりすることから転じて、つまらないことに当事者以外がしゃしゃり 出て、余計なことをする人の意味です。また、子供同士の喧嘩に親がくちばしを入れ、自分の子供に味方すること。 その結果、親同士の喧嘩に発展しがちである。したがって、大人げない 振る舞いをした
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親馬鹿子馬鹿

ちょっと聞きなれない言葉が含まれていますよね?これもことわざなんですよ。今日も短めにまとめていこうかと思います。タイトル見れば、大体のことが分かるので。溺愛もほどほどに。「親馬鹿子馬鹿」とは、親は自分の子を溺愛するあまり、子の愚かさに気づかず、子は親の愛情に甘えて愚かなことをするというです。親は子を溺愛し、子は親の愛情に甘え悪さをすると言った親子関係を他人が客観的に捉えた様子から転じてきている言葉。親馬鹿なら聞いたことがあるかと思いますが、そこに子馬鹿もつきます。最初知ったとき、小馬鹿にするのかと思っていました。勘違い。親馬鹿子馬鹿なので、覚えておきましょう。今ではこのことわざが当てはまる親が増えているような気もします。うちの子に限って…とか。溺愛もほどほどにしてほしいですね。「獅子の子落とし」とまではいきませんが。ちなみに、実際にライオンが子を深い谷に落とすかというと、母親は非常に子煩悩で、父親は見た目によらず意気地がないから出来ないそうです。話を戻して、子を思うのはいいことですが、子供がそれに甘えるのも問題ですよね。昨日書いたような「親の光は七光り」みたいなことにならなければいいですが。●まとめ「親馬鹿子馬鹿」とは、親は自分の子を溺愛するあまり、子の愚かさに 気づかず、子は親の愛情に甘えて愚かなことをするというです。 親は子を溺愛し、子は親の愛情に甘え悪さをすると言った親子関係を 他人が客観的に捉えた様子から転じてきている言葉。例文をひとつ、「親馬鹿小馬鹿とはよくいったもので、彼は財閥の息子だが、それに胡座をかいて毎日遊んでばかりいるけど、その両親も彼を責めたり、咎めたりも
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鶴の一声

有名なことわざを持ってきました。ここぞと言うときには、このことわざでしょう。あなたは使ったことがありますか?最近めっきり減りましたよね。なんで鶴なんでしょうか?「鶴の一声」とは、大勢で議論しているときに、否応なしに従わせるような有力者・権威者の一言のことです。鶴は首が長く、周囲を威圧するように甲高い声で鳴くことから。また「一声」は「いっせい」とは読まず、「鶴の一言」とは言いません。鶴の理由書いてありましたね。こういう意味から来たそうです。もっと掘り下げてみましょう。鶴は首が長く、鳴管(めいかん)と呼ばれる発声器官が他の鳥より発達しているため、金管楽器(きんかんがっき:ラッパ)のように甲高い声で鳴く。そして、その声は大きく、力強く、よく響き、遠くまで聞こえます。 このような特徴から「鶴の一声」は、大きな発言力を持つ人の一声に例えられるようになったそうです。発言力を持つ人って身近にいたりしますよね?主に両親とかでしょうか?ここぞというときに、鶴の一声を言いますね。あなたの周りではどうですか?自分がまさに鶴でしょうか?●まとめ「鶴の一声」とは、大勢で議論しているときに、否応なしに従わせるような 有力者・権威者の一言のことです。 鶴は首が長く、周囲を威圧するように甲高い声で鳴くことから。滅多に鳴かない鶴が鳴くのですから、相当な迫力でしょうね。例文を書くとしたら、「父の鶴の一声で家族会議が終了した」とかでしょうか?うーん、例えを考えるのも難しいですね。 (今日は短めにして、読みやすくしました)レンちゃんママでした。
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物言えば唇寒し秋の風

俳句のように読んでもらえれば分かりやすいと思います。9月に入りましたので、このことわざを選んでみました。どんなものを想像しますか?実はこれ後悔したあとのことわざなんですよ。あとで悔いるから後悔。「物言えば唇寒し秋の風」とは、人の悪口を言えば、なんとなく後味の悪い思いをするというたとえです。また、余計なことを言えば災いを招くというたとえでもあります。人の欠点を批判したり自分の長所を自慢したりした後は、必ず言わなきゃよかったという思いにとらわれるものである。また、そうしたことによって余計な災難を自ら招くこともあるということです。 口を開くと秋の冷たい風が唇に触れて、寒々とした気分になることから。 松尾芭蕉の「座右の銘」にある句で、この句の前には「人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ」とあります。この意味は、人の短所を軽率に指摘してはならない。自分の長所を誇らしげに、自慢してはならないということです。分かってはいてもしてしまうのが人間の性なので、これは戒めの言葉ですね。このことわざは、略して「物言えば唇寒し」とも言うことがあるそうですが、どちらを使うかあなた次第となるんでしょう。どちらが覚えやすいですか?●まとめ「物言えば唇寒し秋の風」とは、人の悪口を言えば、なんとなく後味の悪い 思いをするというたとえです。 また、余計なことを言えば災いを招くというたとえでもあります。 人の欠点を批判したり自分の長所を自慢したりした後は、必ず言わなきゃ よかったという思いにとらわれるものである。また、そうしたことによって 余計な災難を自ら招くこともあるということです。ちなみに対義語は「思うこと言
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一銭を笑う者は一銭に泣く

どこかで聞いたことある言葉ですよね?そうです、あの言葉は類義語で同じ意味でもあります。いつの時代でも、お金に関して粗末に扱うといけないという、教えがあったのでしょうね?必要なときにないと困りますよね。「一銭を笑う者は一銭に泣く」とは、わずかな金額であっても、お金を粗末にしてはならないという戒め。「一銭」はわずかな金額を意味し、はした金だからと馬鹿にする者は、そのはした金が無くていつか泣く思いをするだろうということから。 どんなに小さい金額でも金銭を粗末に扱ってはならないという戒めの意味を込め、また、貯蓄や倹約の大切さを言うときにも使われます。先ほど類義語と言った、「一円を笑う者は一円に泣く」のほうが今では使われる言葉ですね。現在だと、「一銭」より「一円」かな。軽く雑学を書くと、「一銭」は一円の百分の一の価値だそうです。あなたもこの言葉を胸に刻んで、日々を生活していますか?「一銭」にしろ、「一円」にしても、あなたの大切なお金です。大事に扱いましょうね。ちなみに英語では、「Take care of the penny」と言います。使う機会がないと思うので、軽く読み流してくださいね。●まとめ「一銭を笑う者は一銭に泣く」とは、わずかな金額であっても、 お金を粗末にしてはならないという戒め。 「一銭」はわずかな金額を意味し、はした金だからと馬鹿にする者は、 そのはした金が無くていつか泣く思いをするだろうということから。 どんなに小さい金額でも金銭を粗末に扱ってはならないという戒めの 意味を込め、また、貯蓄や倹約の大切さを言うときにも使われます。お金のありがたみは、ないときほど強く感じるも
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清水の舞台から飛び降りる

旅行などで見たことある人が多い場所の一つではないでしょうか?私も行きましたが、そんなに高くなかったと思うのは私だけでしょうか?今ではユネスコ世界遺産に指定されていますよね。少し今回は歴史関係も書いていこうかなと思います。正式には音羽山清水寺(おんわさんきよみずでら)です。「清水の舞台から飛び降りる」とは、思い切って大きな決断をすることのたとえです。その舞台から飛び降りるほど、必死の覚悟で実行するという意味。 多く値段の高い物を買うときや、値段を大きくまけるときなどに使われます。清水寺には高い崖に張り出して作られた舞台があり、その崖から飛び降りると所願成就のときに怪我をせずに済み、もしくは死んで成仏できるといわれ、身を投げる者が絶えなかったと言います。 私の知る限りでは、身を投げる者はみな、生きていれば願いが叶うという、ある種の願掛け行為にも似たことをしていました。上にも書いていますが、分かりやすく書くとそういう意味です。なので、そこまでの高さなのかな?と修学旅行のときに見ましたが、今と昔では違うのかもしれないと感じたほど、高くないように見えたので、きっと昔はもっと高さがあったのかもしれませんね。飛び降りようとは思いませんでしたが。そんな言葉ってある?って思うかもしれませんが、類義語があり、「清水の舞台から後ろ飛び」と言う言葉もあります。怖いですね。●まとめ「清水の舞台から飛び降りる」とは、思い切って大きな決断をすることの たとえです。 その舞台から飛び降りるほど、必死の覚悟で実行するという意味。 多く値段の高い物を買うときや、値段を大きくまけるときなどに使われます。当時の雑学も
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和を以て貴しとなす

ここで書く「和」とは調和の省略ということだと思います。でも、意味からすると和やかでもいい気はしますが。ちょっと後半部分は読みづらいですね。書くとしたら、間違えやすいポイントでもあります。書き間違いにご注意を。「和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)」とは、何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ。人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという教え。聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉です。『礼記』には「礼は之(これ)和を以て貴し(とうとし)と為す」とある。 「和」の精神とは、体裁だけ取り繕ったものではなく、自分にも人にも正直に、不満があればお互いにそれをぶつけ合い、理解し合うということが本質ではなかろうかともあります。間違いやすい漢字、「和を以て尊しとなす」の表記は間違いではないですが、原典に従うならば「尊し」は「貴し」です。ご注意を。聖徳太子の時代からのものだということは知りませんでしたが、昔からこういうことは問題視されていたんですね。だからこそ、こういう憲法を作り出したというわけです。この時代はどういういざこざがあったかは分かりませんが。●まとめ「和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)」とは、何事を やるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ。 人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという 教え。聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉です。 『礼記』には「礼は之(これ)和を以て貴し(とうとし)と為す」とある。「和を以て尊しとなす」の
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漁夫の利

これを聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?意味を知っている方なら、当事者だと悔しい思いをするって思うのかも?読んだそのまま、ことわざの由来としては漁師から来ています。あなたもこの意味と同じような経験したことありますか?書いて字のごとく。「漁夫の利」とは、当事者同士が争っているうちに、第三者が何の苦労もなく利益をさらうことのたとえです。これは、『戦国策・燕』にある次の故事に基づく話から生まれました。 鷸(しぎという名の鳥)とハマグリが争っているのを利用して、漁夫が両方ともつかまえたという話です。この反対の言葉は、「二兎を追う者は一兎をも得ず」余談でした。第三者が何の苦労もせずに、かっさらっていくのは悔しいですよね?しかも、ほぼ知らぬ間にってことですから。そういう経験されたことありますか?ないって答える方のほうが多いかもしれませんね。でも、横取りをされたことがあるって方は多いかもしれません。利益にしても、他のものにしても。ちなみに英語だと、Two dogs fight for a bone and the third runs away with it.(二匹の犬が一本の骨を得ようと争い、三の犬がその骨を持って逃げる)こちらも漁夫の利と変わりありませんが、やはり第三者(ここでは犬)が横取りをすることに変わらないですね。これを防ぐには、一番いいのは争わないことです。そうすれば、こういうことはまず問題ごとは起きないでしょう。争いごとをしてしまう人間ですが、それを避けることができるのもまた同じ、人間ですので、なるべく…ほかの方法を探しましょう。そうすれば、このようなことはきっと起きないと
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