見過ごされてる中にある大切なもの
おはようございます*^^*お散歩も心地よく感じられる気候になってきました。朝夕、少し歩くだけでも心身緩み、体も軽やかに感じられているように思います。変わり続けている自然そのものにそっと力を貸してあげるような心地で体にも自然な動きを与えてあげる事大事なのかもしれないなと。血のめぐりも動くことでスムーズになりますものね^^ここでの表現は、一般の人が好まないような表現が多いように思いますが読んでくださる方がいるというのも良く似た状態におられる方がおられるのかな?と。希望や望みの無くなった先に感じられる場所だと思うので・・・希望や望みは思考の中の世界のことだから。小さなころ、”この私というものは死んだらどこにいくのだろう”そう考えては停止していました。考えてわかることではなかったのだなと今ではそのころの自分と答え合わせができている感じです。その都度、その答えのきっかけになるような出合いや表現がここに現れてきました。”私”という感覚をずっと見続けたりした時期もあり逆に思考まみれというか頭がぐるぐるしていました(笑)”私とは何か・・・”そう感じていたときに、徐々に背後にそれはあると感じられるようになって・・・慣れ親しんだ”私”と背後のその感覚は別だった!という気づきが起き・・・その背後を感じているとあるとき、以前も表現した時間がゆっくりになり(このゆっくりになったというのは、特別なことではなく、完全に思考が止まった状態だと思います)ここに映る手が勝手に動き、考えている私がいなくて勝手に思考が湧き上がっていたことが見えたのでした。戻った時はなんだ?!え?!誰が動かしてたの?!と怖くなったのを
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