おはようございます*^^*
東京から戻りました。
それにしても、本当疲れなかったのはなぜだろう・・・
人が多い新宿駅にも3日続けていくことがあったけれど
心身安らいで過ごせました。
きっと、”人込みは疲れる”という観念から解放されたかな。
そして、
”都会で癒しは起きない”
そんな思い込みも・・・
私たちは勝手な思い込みで制限を本当に思った以上にかけてる気がします。
どこにいても
この物体(体)はそこに存在する全体の現れである
命の表現する全てのものとひとつになって
影響しあってる。
そう感じると
都会も田舎もないのですよね・・・
私たちが分けている
建物、人、自然、動物・・・・
それらは命からすると同じ。
どこにいても、この感覚だけは変わらない。
私と思われるところから
何が現れていようが
いつもいつも変わらない
変化を顕わ占める、変わらない場所
それが本来のわたしたち。
”都会では癒しが起きない”という思い込みも
不思議と今回、街中に買い物に出たりする中で
人とのささやかな関わりの中から生まれたのでした。
本当にささやかなことだけど、
自然に体の動きに合わせてそれが起きてきたという感じでした。
両手に荷物を持って歩いているとき、時間を聴かれて・・・
荷物を下に置こうとしたら
自然にそれを持っていただき、スマホの時間をお伝えすることができた。
スーパーでレジ袋をなかなか開けれない方が
隣にいて、自然に開けましょうか?と
声がでて、それが起きた。
道を歩いていると、大きなゴミ箱を運んでいる方がいて
また自然と運びましょうか?と
サポートするが生まれた。
飛行機では、通路側だったので、
奥の方の荷物を取ったり
客室乗務員さんに、ゴミを渡したりと
自然に起きてきた。
ささやかなことだけど、
その都度、温かい心の交流が起きてきて
癒しも一緒に起きたのでした。
こんな風に、何気ない中で
命は自然にどこにいても生かし合ってるのだなあって
深く感じました。
電車に揺られているときも
目に映る人々も景色も
ひとつの命から現れているその表現だと見えて
静けさと、有難さのような不思議な心地に包まれていました。
私から生まれる抵抗がなくなれば
自然と生まれるご縁と
生かし合いが起きるということ。
そしてまたどのように感じていようと
起きていないと思っていても
それは起きているのだということ。
命の動きと一緒になるかならないかだけで
いつもそれの中に私たちはいるのだと感じています。