命の活動

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コラム
こんばんは*^^*


命の活動として全てを感じられるということは
差も無くなってきますね。


怒りも喜びも
自分でそれを引き起こしているのではなく
命の活動だとわかると
自分を否定することもなくなりますし、
同時に、他者の全ても
他者自身がしているのではないということも
わかるので
そこに抵抗が無くなってきます。


同時に子どもたちや
近しい存在に起きたことに対しても
不都合なことが起きてくると
自分のどこかが悪かったのではないかと
否定することも多いですが、
それも無くなってきますね。


根本が命の活動の上にそれらの
表現として起きてきているのですもの。


命の視点へ還るというのは
そういう意味付けや、
自己否定の素が顕わになり
自然に手放されていくということでも
あるように感じています。


娘が拒食症のように過去なり
がりがりになってしまったことがあります。
その時、ちょうど離婚という体験が
起きてきていたので
周りはその様な状況だからと
いう人たちもいました。


命の視点がなければ
もしかしたら
私も自分のせいだと否定するということが
起きたかもしれません。


でも不思議とそのままを受け入れて
対応できていたのですよね・・・


娘も病院には頼らず、一人暮らしの中
自然治癒に任せて
今は普通の体に戻っています。


いろんな縁が起きて今ここが現れていますし、
”これが原因だ!”
とそういう風に特定できるものではないということも
見えてきます。


今ここに対して抵抗が現れているとき
それも自然に起きていることだけど、
もしかしたら
何か拘っていることがあるという
お知らせを頂いているのかもしれません。


あの人が間違いだというのであれば
そう思い込んでいる偏った主観の正解があるということ・・・


命の活動を感じられると
間違いは起き得ないということも
見えてきますね^^

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