おはようございます*^^*
よくこれはカルマなのでしょうか・・・
という言葉を聴きます。
最近カルマについての表現を聴き、共鳴が起きたので
シェアしますね。
カルマって聴くと、なんだか怖いこと
悪いことのように感じていたのは、私だけでしょうか・・・
(なんだか最近私と表現するととても違和感がありますが
そう表現するしかないので、私と表現します。)
カルマの解消=問題視がなくなること
こんな風に表現されているのが目につきました。
昨日も命の活動という題名で表現しましたが
純粋な命の視点
(生まれたての赤ちゃんの視点ともいえるかな?)
その視点を隠してしまっているもの
それが問題視でもあるよう思います。
命の視点には差がありません。
私たちは、社会の仕組みだったり
また知識だったり、
命に差を植え付けられていますね。
この私の体験からすると
〇普通はこうしなければや、世間体を大切にしなければという
そうでなければ問題だという気持ち
〇両親たちにわかってもらえなかったということへの問題視
〇スピリチュアルな世界が何か特別かのように捉えていたこと
〇元ダンナさんへの問題視
〇義父母との関係性への問題視
〇魂の繋がり(パートナーシップ)の拘りに対する問題視・・・・
今思いつくところでは、これだけの
問題視がその時の経験からなくなっています。
きっと細かいところではたくさんあるのだと思います。
こういうことがカルマの解消。
そうそう、主観で悪いことと感じることが起きた時
それも何か自分が悪いことしたからではないかと
捉えることも問題視ですね^^
逆の、良いと思われることに出合ったからすごいと
特別感をもつことも同じ
なんというかニュートラルということでしょうか・・・
正解だと拘りや憧れが強いほど
そこに気づくことが困難だし
そのことを指摘されると、怒りのような感覚も
芽生えるかもしれませんね。
世界は私たちに問題視していることを教えてくれていますし
それが溶けてくると
ただ平等に物事を見るという視点が生まれてくるので
自然に楽が生まれてきます。
もともと、見るということの上には
何も問題も差も含まれていませんものね。
カルマという表現は怖いものではありませんね。
ただただ問題視していることに気づいていくことなんですね^^