気付くのではなく、起きてくる

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コラム
こんばんは。


今日もお散歩楽しみ、温泉でゆったりもしてきました。


最近理解が深まるごとに号泣が起きてきます。
そうだったのか・・・
と、このものの様子から
気付きが起きてきます。


知識の中では得られなかった体感です。
つくづくと、このものの、
自分というものの様子を見る以外ないのだなと
感じます。


あの時の今、今ここ、きっと先の今に
その時にその時でしか起き得ないこと
湧き得ないことが起き続けてる。


寸分の狂いもないのだから
未来という今も
狂いようもないのだろう・・・


本当にうっすらとした感覚を
消えゆくものを
あれっというものが
少しずつ
そういうことか・・・と
この中でまた深まる感じ


そこに触れると
なぜか号泣が起きてくる。


このサラさんからは
そのような表現が起きているようです。


”すべてが、その通りにあるだけです。
今、ある 。
そのものによらなければ、そのものは絶対にわからない。
という基本的な勉強の仕方を忘れてるんじゃないですか。
自分自身というものを本当に知りたかったら
自分自身に向かう以外にない。
古今東西の聖人たちが、必ず歩んできた道です。” 老子さんより


問題や迷いは頭の中だけに・・・
今、ある。
それだけ。
シンプル。


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