神さまが 私 という夢を見てる

記事
コラム
おはようございます。


昨日、お電話くださった方がシェアしてくださった
おみくじの表現。


”過ぎた繰り言取り越し苦労、神の授けし身を破る
取り返しのつかぬ過去のことを、 繰り返し思い悩んだり
定かではない将来の事を案じ煩うのは
ただ心を痛め身を損なうだけの無益なことである。
今日は唯今日の務めを朗らかに一生懸命尽くし
明日は明日の務めに精を出す。
日々神さまの御心に寄り添い、明るく正しい心で暮らすことが肝要であり、
禍いも転じて幸となるただ一つの正道である。”


神さまが”私”という夢を見ている。
そのように感じています。


今ここの現れは
”私”がしている以前に起きてきている、
その起こしている何か・・・
それを神さまだと表現されるのであれば


”私がしている”という夢を見てる。


ここに無い、
湧き上がる過去や未来に囚われるのは
まさにその夢の中にいますよという
お知らせ。


”私”にはわからない中で
神さまの表現がその”私”含めて起きてるのであれば
全信頼の中で
起きるがまま、あるがまま存在するしかないですね。


今起きていること
その動きと一緒に


何がこれを起こしてるのか・・・
そこを感じながら


なぜかわからないけれど
神さま(全体)と一緒に起きるがままに
これを正道というのかなと
感じるのでした。






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