絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

14 件中 1 - 14 件表示
カバー画像

易占いのルーツ

おはようございます。〇〇の森-hoshi.blog-の星です。本日は易占いのルーツを一緒に紐解いていきましょう✨易占いのルーツ易占いは中国において、一万年以上前に成立した文化がもとになっています。そこから数名の人が主に関わり、今でいう易経を執筆、構築しました。有名な周易が出来たのは周の時代と言われています。なので、そのまま周易と言っています。易占いが出来たときの中国易占いが出来たときの中国はどんな感じだったでしょうか?私たちは想像できないくらい、はるか昔です。当時、まだ文字や漢字もなかったと言われています。なので、当時は「メドギ」という植物を使って占っていました。亀の甲羅をつかうこともあったようですが、亀の甲羅よりも、植物のメドギの方が手に入りやすかったためメドギを使った易が一般的になったと言われています。その後、メドギの代用として竹を使ったことから、今日の筮竹による易占いが出来上がったとされています。学問としての易占い学問としての易が発展したのは大体ですが紀元前500年くらい、孔子が活躍したころからです。それより以前は、学問というよりも、神事・祭り・政治との関連の方が強いように思います。(いまでも占いはそのようなこととの関連が強いですが…)その頃はまだ文字がかけたり、読めたりする人がとても少なかったので孔子や老子のように文字がかけたり読めたりして、本をのこせるような人はとても学があり、すごい人でした。このように、当時文字がかけたり、読めたりする人はめずらしく、学問を非常によく収めている人とされましたしそれがのちの儒教などの文学にも結び付いていきます。いまでは皆さんある程度の漢
0
カバー画像

【short動画】YouTube ブッタの名言

こんばんは、ヒプノセラピーで楽に生きるのセラピストです。本日は、老子の名言をshort動画で紹介させていただいきました。※老子とは?? 紀元前6世紀頃の古代中国の哲学者で、 道教の創始者とされています 老子の実在については諸説あるようです。 老子の哲学の核心は、 「道(タオ)」という概念にあります。私が好きな老子の言葉「足るを知る」と言う言葉があります。内面の声に耳を傾け真の自己の欲望を理解することで、外部の物質的な追求から解放されることを教わった気がしました。ヒプノセラピーの観点で考えると深い自己認識と内面の平和を見つける過程と強く関連しているなぁ、と思います。自然体であることの重要性を説く老子の教えが私は好きです。いつも、ご覧いただきありがとうございます。
0
カバー画像

競争しあうことで、得しているのは誰でしょう?

一 慈悲二 倹約三 あえて世間で一番にならないこと老子 『三宝』一 命を尊重し、自分の命を大切にし、全ての生き物をできる限り大切にすること。思いやりとか、親切とか。ニ 不必要な資源を使わないこと。ケチケチしようってことじゃなく、すでにあるものを有効活用して楽しもう。三 自分のやりたいことを実現するために他人と競争する必要はない。一 「あなたのためを思って言っているのよ。いうことをききなさい。」老子がいってるのはこの「思いやり」ではないですね。「私を大切にしてくれるなら、期待にこたえてくれるでしょう?」「愛されるためにはこれをして、これを我慢しなくっちゃ」これも違いますねwでも、でも、「愛」って言葉を使われたり「思いやる」って言われたりしたら、混乱しちゃうよ。ワンネス、とかね。愛って何?状態。迷子。色々体験して、体感して、自分で腑に落ちるのが1番だけど、そんな難しく考えなくていいよねwちょっとした思いやりって、みんなしてるやん♡二 既にあったよ。って認めるだけだけど、なかなかねw今、ニンゲンをやってるんでw三 私は、小さい頃認められるためには、「いい子」にして「成績上位」じゃないといけないって思ってた。自分の望みを叶えるためには、「競争相手に勝ち抜かないと」だめだって。「競争しなくていい」なんてね、なかなかピンとこなかった。キレイゴトじゃない?みたいなwwホント、ごく最近、「自分のやりたいことは別に競争の必要性ないな」って。競争して、得しているのは、誰?ってのを、すごく冷静に考えてみたら、分かってきた。そんなこと考えなくたって、私が出来ることで、誰かの役に立つなら嬉しいなぁ♪
0
カバー画像

深い水を静かに澄んだままにして

深い水を静かに澄んだままにしてにじむことなく映し出すことができますか?あえてそうすることをしないまま人を愛し、物事を動かすことができますか?老子Le Guin 訳頭や心という「深い水」を、澄んだままにしておくのも、日々の雑多な日常では、至難の業。人の思いやりとか、道の端っこの小さな花とか、美しいものを、「にじむことなく映し出す」のも、忘れがち。にじんだとしても、自分の頭や心で「映しだす」こともしないで、「人を愛す」ことは、きっとできない。自分の都合のいいところだけ波風たてないで、人を愛したいとか、人に愛されたいとか、そんなことはないんだろうなぁ。揉め事が嫌で、自分が我慢すればこの場がおさまる…、なんて考えがちだけど、一緒にバランスとっていきましょうね♡
0
カバー画像

SUPER BEAVER【人として】スピ的〈歌詞解釈〉

ロックバンドSUPER BEAVERの「人として」という歌をご存じですか?2016年発表の歌らしいですね。僕は全然知らなくて、最近たまたま音楽のランダム再生で流れてきたのを聞いたのですが、この曲がとっても良い!何が良いって、歌詞が良いのです!というわけで、今回は私がこの歌の歌詞から感じたことを(勝手に)スピリチュアル的な見方から解釈して、ご紹介させていただきます(^^)人は騙す人は隠す人はそれでもそれでも笑える人は逃げる人は責める人はそれでもそれでも笑える 出だしは人間の弱さの部分を歌っていますね。でも「それでも笑える」ので、人についての希望を捨てていないことが分かります。あなたに嘘をついて後悔をした僕も騙されているかもしれないけど疑って暴くよりも嘘ついた人が気付いて傷付いて解るほうがいいと思うんだ この部分は、自分が積極的に不正を正そうと犯人捜しをして断罪するのではなくて、その裁きの役割は天に委ねている、とも言えると思います。ポイントは「完全に受け身ではない」というところだと思います。聖書にも「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」という有名な聖句がありますが、「相手からの攻撃を受けるだけ受けて、こちらは何もせずに黙っていろ」というのはものすごく難しい。なのですが、嘘ついた人が気付いて「傷付いて」解るほうがいいと思うんだ ということですから、嘘ついた人は傷つくことがここでは前提とされています。この確信があるからこそ、やられっぱなしでも反撃はしなくてもいいやと思えるのです。なぜって、人生は因果応報であり、そのようなツケはきっちり払
0
カバー画像

自然に還るという修行

おはようございます。老子さんにお手伝い頼まれたのは”得度式”というものでした。これから老子さんのもと、お釈迦様の教えの道に入りますという覚悟を示すような式でもあるようでした。浜松の龍泉寺におられたときなら見れるものではないということでした。老子さんは88歳でこちらの方とご縁頂きご結婚されることをきっかけにお寺を息子さんに任されて移住されたようでした。制限なく自由だしそういう格式高い、特別とされる式もこのような何も知らないサラさんが参加できる機会があるというのも特別さや、境目がなくなってきているお知らせなのかもしれないなあと感じたのでした。老子さんも超可愛く自然です。教えというのも、伝える人の考え方でそのまま伝えられていることが本当稀のようです。考え方無くしたこの体の様子・・・それが仏そのものであり、完璧なのですと仰ってました。修行というのも、こうせねばと考えの上で様々なものを絶つというより、自然な状態へ戻る・・・考え方から生まれる制限を解いていくような感じ。過去思い描いていた修行とは反対でした。本当にシンプルです。何か学ぶ必要も、得る必要もなくそちらの方ではなく、逆方向に大切なものは在る。サラさんもどこかそれを知っていてこのような感覚を思い出している最中なのでしょう。様々な出合いがここに繋がっています。皆さんも今、これまでの出合や経験も必ずその流れの一つ。今日も、ただただここで存在していよう・・・今日もありがとう🌠
0
カバー画像

気付くのではなく、起きてくる

こんばんは。今日もお散歩楽しみ、温泉でゆったりもしてきました。最近理解が深まるごとに号泣が起きてきます。そうだったのか・・・と、このものの様子から気付きが起きてきます。知識の中では得られなかった体感です。つくづくと、このものの、自分というものの様子を見る以外ないのだなと感じます。あの時の今、今ここ、きっと先の今にその時にその時でしか起き得ないこと湧き得ないことが起き続けてる。寸分の狂いもないのだから未来という今も狂いようもないのだろう・・・本当にうっすらとした感覚を消えゆくものをあれっというものが少しずつそういうことか・・・とこの中でまた深まる感じそこに触れるとなぜか号泣が起きてくる。このサラさんからはそのような表現が起きているようです。”すべてが、その通りにあるだけです。今、ある 。そのものによらなければ、そのものは絶対にわからない。という基本的な勉強の仕方を忘れてるんじゃないですか。自分自身というものを本当に知りたかったら自分自身に向かう以外にない。古今東西の聖人たちが、必ず歩んできた道です。” 老子さんより問題や迷いは頭の中だけに・・・今、ある。それだけ。シンプル。
0
カバー画像

結果よりなりゆき

今日はもう一つ・・・少し感動のようなものが湧いてきているのでそれと共に・・・感覚的に感じていたこと、不思議だったことが目の前に表現として現れたのでシェアしますね。”TAO 永遠の大河”という本の中の一部。☆☆何の期待もしていないとき、求めていないときにどんな主張もないままでどんな成功も野望も求めないでいたらそこに一つの成り行きとして成功がある。全存在があなたの空の中へと降り注ぐあなたは満たされるこれは成り行き、結果でない結果というのはそれを欲したときにくるもの成り行きというのはそれにまったく考えもしなかったかったときにくる。欲望もない。それが起こる・・・存在の内なる法則の一部として・・・☆☆この私も今までの体験の中で予想もない出会いや出来事がありました。今のこの状態も求めたわけではないのでとても不思議なのです。それは生命の働きなのですね・・・昨夜友人ともお互いのこと話していましたが、なぜ今こうなっているのかわからないし、今このように存在できているのもなぜだかわからないって・・・このココナラさんのことにしても登録させていただいて、6月で4年目になりますが、電話がない日はまだないのです。なぜだかわからない・・・・とても不思議です。でもまたこれもいつまで続くのかわからないし、また別の経験が起きるかもしれません。いつもそのわからない中に存在しています。こうなりたい!がないのですね・・・今までもそうでした。不思議だった・・・求めていないとき存在の内なる法則として生命の働きとして、そのような奇跡は起きてくるのですね・・・これからもどうなるのかもどう進むのかもわからないけど安らいで生命を感じ
0
カバー画像

今日もご機嫌♪

・今朝は10分早く起きられた・朝食のバナナがめっちゃ甘かった・朝から楽しいLINEが来た・職場でいいことがあった・仕事が楽しかった・夕方幸せな電話があった・夕食に作ったお出汁が凄く美味しかった・明日のお弁当が上手にできた・ブログを書けた小さな幸せに囲まれて今日もご機嫌に過ごせました^^「無いものを数えると足りないけれど有るものを数えると足りる」老子の知足という言葉に出会って幸せあるある探しが楽しくなって気づけばめちゃくちゃプラス思考へと変化していた私マイナス思考だった頃が嘘みたいです『幸せになる』のではなく『幸せは有る』私はずっとちゃんと幸せでした気づけていなかっただけ全てが今に繋がってるんだと思うとありがとうの気持ちでいっぱい!!!って、溢れる気持ちを書き出したら今日はこんな内容になりました笑明日も幸せを見つけます♡おやすみなさい🌙
0
カバー画像

太極拳をやっていた時

こんばんは。このブログにお越しいただきありがとうございます♪老子の「道」の教えが好きで、太極拳に憧れていたことがありました。そして、少しだけ太極拳を学びました。24式。。。基礎の基礎だったと思います。でも、私にとっては、頭、手、足と体全体がバラバラな動きをする不思議な太極拳の動きが面白くてまたやりたいと思っています。その太極拳をしていた時に、中国体育大学のトレーナーや京劇のアクターさんが教える時太極拳の形を見せてくれる。「わ~なんて面白い動きなんだ」そう思ってとにかく彼らの動きをよく見て、真似した。週一度だけでも、とにかく、その不思議で魅力的な動きを真似する。鏡を見てみると、自分が思っていたのと全然違う動き。自分で思った動きと、自分がしている動きが違うことに気づいたら、その違いを補正する。そうやって、少しずつ動きを覚えて何度もやって勝手に動きが出るまで繰り返す。あれ、やっぱり真似している。太極拳は面白い動きなだけでなく、攻撃しながら、防御しているという。うまく使えるようになると、護身術にもなる、そんな風にトレーナーが言っていた。私が生きてくる中で、「真似する」ということを何度やってきただろう。でも、「あのステキな動きを覚えたい!」そんな風に思ったら、真似することが一番早かったし、自分にわかりやすかった。イメージできなくてもいい。だって、見ればいいんだから。見て覚えれば、真似すれば、真似したとき「ここがちがうよ!こうするといいよ」そうやってフィードバックしてくれるとさらに真似したいことが身につく。そうやって生きてきたんだと思う。それは、心理学を学んでいたら、腑に落ちた。「モデリン
0
カバー画像

教養としての道教:老子とタオイズム

老子:万物の根源である「道」(タオ)の働きに従う無為自然の生き方を説き、儒家が「道」を人為的・作為的な道徳や秩序として捉えたことを批判しました。『老子(道徳経)』。荘子と併せて「老荘思想」と呼ばれ、道家思想の淵源となり、その「無」の思想は仏教の「空」思想との接点になりました。道教(タオイズム)では神格化されて「太上老君」と呼ばれ、唐朝(李氏)でも老子(李耳)は同姓とされて尊重されました。 無為自然:儒家の礼や仁を人為的なものとして批判し、それらが不要な社会こそ理想であると説きました。古典派経済学の「自由放任(レッセ・フェール)」とも通じる考え方です。無為の政治は秦末の混乱を経た前漢初期の政治で採用され、安定と繁栄の基を築き、第7代武帝はこれを土台に積極政策に転じました。無為の政治は法家思想と組んで君主独裁制の確立に寄与したとされます。また、力の濫用を避け、戦わずして勝つことを眼目とするその軍事論は、『孫子』の兵法との関連性が指摘されています。 (1)古典派経済学:「自由放任(レッセ・フェール)」を中心教義とするので、老荘思想・道教の「無為自然」に対応します。 (2)ケインズ経済学:適切な経済政策により失業を無くそうとするのもで、儒教の「善政主義」に対応します。 (3)社会主義:計画経済・統制経済を指向するので、法家思想に対応すると言えるでしょう。 小国寡民(しょうこくかみん):老子は、小さな共同体の中で、何ものにも拘束されることなく、質素に生きるべきだと説きました。老子の説く理想世界は村落共同体のような世界だと言えます。 柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ):水のように柔和で謙虚な生
0
カバー画像

【教養としての読書】岡倉天心「茶の本」②

0 500円
カバー画像

【教養としての読書】老子

0 1,000円
カバー画像

ココロのアリカタ「足るを知る」ということ

こんにちは里依です。今回は「足るを知る」という事についてのお話です。古代中国の思想家、老子の言葉です 無いものに目を向けるより 有るものに目を向ける事で 心が豊かになり幸福感でみたされる 意識を変えるだけで 今いる場所が劇的に変化していきます 例えば 「私はこんなに頑張っているのに」「なんで私ばかり」 と他者と比較して羨ましがったり妬んだりするのではなく、 「私はすごく頑張ってる!」 と自分を褒めてあげてみてはいかがでしょうか( ¨̮⋆)? 頑張ってる自分をきちんと認める 自分を大切にする その気持ちがとてもとても必要です。 そこに気づいて御自身を認めた時、きっと明日が変化していきますよ♪
0
14 件中 1 - 14
有料ブログの投稿方法はこちら