感覚が自然に広がる

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コラム
こんにちは~*^^*


今日は両親がドライブがてらきてくれるみたいです。
いつものお気に入りのお店はお休みみたいで
どこになるかは、そのときの今に任せてみようと思ってます。


最近の向き合ってきた流れから
さらに自然と同じというか同調されてるような
感覚が深まってきています。


私たち人だけが、勝手になんでも決めて動けるんだ!と
思い込んできたけれど
実は、私がやっていると思い込んでいただけだったのだということが
はっきりと現れてくるという感じですね。


体の感覚ということも
”私が感じてる”と感じる以前に感覚はあります。
私というものも
ふとここに湧いてきているとき以外なくて
これも、何かを想像するものと同じ。
ふと、誰かを思い出すのと同等に
私も浮かぶものとしてあって・・・


この感覚をどのように表現していいのか
難しいけれど
植物を観るとわかりやすくて
その自然な動きと同じように
私たちにもその変化が
私を超えたいのちの動きにより現れているということ・・・


この間から表現起きてる
身近だった方の死からも
そのような感覚が届いてくるのですよね。
なので全体の中に溶けられたその方の
優しさは自然の中でいつもあって
届けられているというような・・・


今ここで、その表現として
この文字や手の動きもまた起きていて・・・・


いのちから感じてみると
すべてはただ現れてること
起きてること


そのことに対して
この私と思われる思考が
意味をつけて理解しているというのか。


”私たちがしている”と思っていることも
実は
いのちから起きてきてること。


不思議だけど
知るというより
感覚が自然に広がる感じです。







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