安心こえた 安心

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コラム
おはようございます。


歩くことがまた気持ちいい季節なので
近くの公園を歩くのが日課です。
神社の階段もあるので、そこの上り下りも
鍛えるために^^
今日は何歩歩けたんだろう・・・っていうのが楽しみだったりします。


こんな風な気ままに過ごさせてもらえることは
本当に有難いし
なぜ、できているのか今でもわかりません。


まさかこのような生活ができるなんて
想像できる中にいなかったし
意図したわけでもないですし・・・


一人で仕事なんてしようと思ったこともありませんし、
バリバリ外で働いた経験もありません。


だからこそ、
今でもふと湧く考えを掴んでしまうと
この”自分”がどうこうしてきたわけでも
出来るわけでもないので
怖さに包まれることもあります。


生きる上で生活するということで
働くということが必要ですものね。


でも、このお電話待機して、お話できることは
なんというか
お仕事と背負ってるような感じではなく
自然にこの体を活かせている気がしています。
気負わずにできる・・・


今までのお仕事は、さあ、今から仕事だから、
明日仕事だからと力みは少なからずあったのですが。


電話の無い時間に
考えを掴んで今からずれることが多かったので
そこで今ここを味わうようになり
感覚が少しずつ深まった気がしています。


これもしようとしたことではなく
起きてきたこと・・・


これからも、きっといろんなことが
起きてくるでしょう。
その動きと一緒にいれたらなと感じるのでした。


全体の動きと私たちは離れていないですから。
そこは安心ですよ。
ただ、自己都合に合うかどうかはわかりません。


でも多くはこの自己都合の安心と勘違いしてしまうこと。
その安心を求め続けると
ずれてしまいます。
いつまでも、一喜一憂し続けることに・・・
都合と外れていても、それは間違いのない
全体の動きそのものだということです。
その安心ですね。


そして、自己都合と外れたことが
あのときのこの”自分”が悪かったから・・・
そのような意味づけを探す必要もないです。
そうとしか起き得なかったということ。


それがあるがままものごとを見るということでもありますね。
また、このあるがまま見るということは
湧いた時に書いてみようと思います。







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