迷いの原因

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おはようございます*^^*


安心の中で自由に寛いでいられることって
とても豊かなことですね。


必要であれば必ず与えられるし
(自分の都合とは限らない)
今ここに広がっているものは
どうあがこうと、これが全体の正解。


これを曇らせるのが
人皆に備わってる自我という働き。


自我もまた悪いものではなく
全体から現れているものなのですが
多く私たちはそれが本当の自分の声だと思い
振り回されているのですね。


常に
何かしなきゃいけないんじゃない?
このままではダメなんかない?
そうささやいています。


それにより、もっともっとと私たちは外に向けて
気を向けてきたのです。
今ここから常に離れてきました。
もう振り回されるのも充分ですよね。


前回の記事にしたけれど
もう一つの視点に気づかれてくると
その自我の声は本当ではないこと
ただ、湯気のように湧いてきてるものだと
観えてきます。


迷わされない
惑わされない・・・・


自我という仕組みなので
その視点が生まれても
変わらず湧いてくるものは湧いてきます。
でも相手にしなくなる。


無視すればいい。
え?そんなことしていいの?
また囁きかけるかもしれません。


大丈夫です。
その声を無視できるようになれば
今ここの穏やかさ、安らぎが
少しずつ顕わになってくることでしょう。


もう一つの視点は特別でもなんでもありません。
ずっとあったものだから・・・
もっとこうしなきゃだったり
外に求める特別さや、知ろうとする動きが
それを隠しています。
物質も精神的なこと、知識もここからは
全て同じ。


もうそれらに疲れたら
そこに寛いでみませんか?
そとに求めても、何かを知っても
終わりはありません。
ずっと外に求め続ける動きが起きて
彷徨い続けます。


これでいい・・・
そう今ここはいつも開かれています。






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