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変性意識:日常を超える旅へ

今日は、私たちの意識状態について、少し深堀りしてみたいと思います。 皆さんは、「変性意識」という言葉をご存知でしょうか? 変性意識とは、通常の覚醒状態とは異なる意識状態を指します。瞑想、ヨガ、音楽、ダンス、夢、薬物などによって誘発されることがあり、時間の感覚の変化、自我の喪失、神秘的な体験など、様々な特徴があります。 変性意識は、単なる「非日常」体験ではありません。それは、潜在能力の開花、自己探求、スピリチュアルな成長など、様々な可能性を秘めた扉を開く鍵なのです。 変性意識の3つの特徴 変性意識には、以下の3つの特徴があります。1.時間の感覚の変化: 時間の経過が遅く感じられたり、逆に早く感じられたり、時間の概念が消失したりします。 2.自我の喪失: 通常の意識下では常に存在する「私」という感覚が薄れ、一体感や宇宙との繋がりを感じるようになります。 3.神秘的な体験: 幻覚や幻聴、死後の世界や高次の存在との交流など、通常の意識では経験できないような体験をすることがあります。 変性意識を体験する方法 変性意識を体験するには、様々な方法があります。・瞑想: 静かな環境で呼吸に意識を集中することで、心を落ち着かせ、変性意識に入りやすい状態を作ることができます。 ・ヨガ: 身体的な運動と呼吸法を組み合わせることで、心身をリラックスさせ、変性意識を誘発することができます。 ・音楽: 特定の音楽を聴くことで、脳波が変化し、変性意識に入りやすくなります。 ・ダンス: リズミカルな身体の動きは、意識を集中させ、変性意識を誘発する効果があります。 ・夢: 夢は、潜在意識にアクセスできる貴重な機会
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偽我

偽我(ぎが)という言葉があります。現代社会において特に重要な意味を持つようになっているこの言葉は、真我、つまり本当の自己ではない、偽りの自分を指します。自我という言葉とも近い関係にありますが、情報過多な今の時代においては、自我=偽我といっていいかもしれません。これは、私たちが日々直面しているあまりに多量の情報が、自己認識にどのように影響を与えているかを示しています。情報過多の時代に生きる私たちは、常に様々なメディアから流れてくる情報に晒されています。SNS、ニュースサイト、ブログなど、無数の情報源が私たちの意見、価値観、さらには自己認識に影響を及ぼしています。これらの情報源は、しばしば理想化された生活や価値観を提示し、それによって私たち自身の生活や価値観を測る基準となってしまいます。このような環境では、自分自身を客観的に、真実に見ることが難しくなります。偽我は、このような外部からの影響によって形成される自己の偽りのイメージです。私たちは、他人や社会が期待する「理想の自分」に自分を合わせようと努力し、その過程で本当の自分を見失ってしまうことがあります。この「理想の自分」は、しばしば現実離れしており、到達不可能な目標を追い求めることで、ストレスや不安、自己不信を引き起こす原因となります。自我=偽我という考え方は、自分自身を間違った認識で捉えてしまうことの危険性を示しています。自分自身を正しく理解するためには、外部からの情報や他人の期待に流されず、自分自身の内面に目を向け、自己反省と自己理解を深めることが重要です。そのためには、黙想や瞑想、マインドフルネスを日常に取り入れること。自分
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自我さんの降参

おはようございます。今日ものんびりした心地です。相方さんも毎日お昼過ぎまで寝ています。今は無職です。それでも日々、安らぎが増してきているようです。そこに、”仕事をしないことは間違いだ””早起きは良いことだ””二人共有した時間をもたなければならない”などなど、価値観を握っていれば、ここからもいらだちのような反応が出てきていたかもしれないなあと感じるのでした。なるようにしかならないし、必要な動きは必ず起きてきますからね。今までもそうだったように・・・この、”何とかしなきゃいけない”という思考からの動きが苦しみを生んでたのだなあと感じます。ここに”こんな形は嫌だ”という考えがあっても苦しくなるかもしれませんね。人の理想関係なしにいのちの働きは起きてきますし、なんだってお任せします心地で存在するにつれて楽や緩みは増してくるように感じます。呼吸を感じていると以前も書いたけれどそれが自然に起きていること。その呼吸の合間、スペースを感じながらまた感覚、お尻などの触れてる感覚を感じてみるとその生命エネルギーのような何かを感じられると思います。そこに改めることなどないというような力強く安らいだ何かが湧いてきてるのをもしかしたら感じられるかもしれません。昨夜離れた共同生活してる娘たちからの父親巻き込み別離喧嘩騒動のラインがきて一瞬その思考想像の中にはまりましたがそれも、ふわっと浮かんだものにすぎません。消えてぐっすり睡眠に入ることができました。それらはいまここには無いものです。どのような想像も、思考内容もここに無いものです。どれだけそれにはまりこんできたことか・・・本当に、なにもしなくていいんだ・
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自己と自我

 「自己」は英語で「personality(パーソナリティ)」、「self(セルフ)」、「自我」は「identity(アイデンティティ)」、「ego(エゴ)」と訳され、それぞれ別の言葉です。【自我】 '自分が考える'「自分」。「主観視で構成された自分」です。よく心の中心を小さな円で例えられることが多いです。 こちらは比較的に自覚も多いですが、いわゆる「思い込み」のドツボにはまりやすい部分です。【自己】 '他人を通しての'「自分」。「客観視で構成された自分」です。よく心の中心を大きな円で例えられることが多いです。 こちらは相手が指摘などしないと気づかないことが多く、無意識なところがほとんどです。 「自我」は生後半年後以降に鏡の中にいるのが「自分(赤ちゃん)」だと分かっていくところから始まります。こうした「自己認識」に始まりますが、児童期の前半(低学年)までは「自分を見つめる」客観性は不十分です。 また、「自我」は'こだわりの根っこ'に当たる部分のため発達障がいの場合は特に強くなる傾向です。 一方の「自己」は、集団生活の始まる幼児期(園児)や小学生になって親や先生、友だちからの評価や話題を通して少しずつ確立させていきます。 こうした周りの人たちとのかかわりの中で、そのまま自分の特徴として理解していきます。 最近では、「道徳」の授業でもこうした心理学の一部をかじることで「自己」の確立に触れることもあります。 人格障がいなど「自己」の内容が病的な場合、自覚が乏しい分全く気づかずに見過ごされることも多いです。 最近では、「16テスト」や「エゴグラム」のようなAI(人工知能)が気質特性を判
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自我の作られた場所

こんばんは。秋の虫の鳴き声がとても美しいですね・・・神秘的な感じがします。鳴きたいだけ鳴く・・・人は抑えてしまっているところあるかもしれませんね。虫のように泣きたいとき、泣いてもいいですね^^人だけが、”こんなことで泣くべきではない”とか不自然なことしてしまっているのかもしれません。最近、サラさんから、お客さまのお名前を間違えるという失態が起きました。電話ではなく、テキストの方だったので書くということで、目にも見えてるはずなのに・・・とても申し訳なかったです。でも、これも”起きたこと”なのです。サラさんという自我が作られた場所は両親、環境ですが、”良い人であらなければならない””外から良く見られなければならない”このような基準がまだ残っているようでした。それがとても窮屈でもあったのですね。名前を間違えるということが起きたことでそのような基準からの想いが湧き上がりました。この基準があれば、否定する想いが強く湧き上がることでしょう。少し前に書いた実家での失態も、上の基準にずれたことがサラさんから起きたことで総攻撃を受けるという現象なのでした。そのとき、感じ切ったことで今回の出来事でも、うっっとはきましたが心から謝ることと共にさらりとその現象は流れていきました。でも、まだ”良い人でいなければ”や”良く見られたい”という想いが残っていたことにも気が付けたのでした。良い母、良い友人、良い娘、良い人、優しい人、愛ある人・・・その基準が重荷にもなっているみたいでした。もうそれは手放そう・・・ただその時の自然で在ろう・・・ただの人ただのいのち・・・良い人でもなければ、愛ある人でもない優しい人で
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お久しぶりココナラブログ! 宇宙創造から転生、みげかの関連性を語りたい

ttps://stand.fm/episodes/64fbf3fb39c2417256fcb954ttps://note.com/sukidukinn/n/ne3ae00c937e6スタエフとノートの記事、今日半日で色々語り、色々文章化した。最近、ネドじゅんさんの「右脳さん左脳さん」の本をKindle読み放題で読んで考えが変わった。ttps://www.amazon.co.jp/dp/B09BVBWMVL細かいことはnoteに全部描いているのでそっちを読んで欲しい。ココで言いたいのは、ネドじゅんさんの覚醒と急成長凄いな―という感じ。俺も33歳の頃、5年ほど前に明らかに世界の景色が変わって人格が変わったことがあったのよ。それが、ネドじゅんさんの「左脳の思考から右脳の思考」に切り替わったことだと思っている。その時の感覚は、「なんて世界はこんな美しいのだろう」というのと、「今まで見た景色って灰色だったっけ?」という感じ。それから自分が直感の通りに行動して、起業して特許取ってコロナで廃業して、色々な人に会ってってプロセス踏んで、人生が大きく良くなった。その時思ったことは「俺、別人格に乗っ取られたのでは?」という恐怖だった。昔の俺は消極的で、協調性が大事って思い込んで言われる通りに動く社畜だったが、その景色が鮮明になる出来事以降は、自分の直感の通りに動くようになって、苦労はするけど前より断然良い人生になった。だから、人格が塗り替わったかも? と思うほどだったが、10歳の小学校の想いでは今でも思い出せる。ということは、俺の人格だな? って言い聞かせた。その時に、ネドじゅんさんの前に「右脳左
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当たるおもしろ星座別6月19日から25日の運勢占い

ついに新メニュー。今まで3千件以上占いをしてきて毒親育ちの方がとても多いと感じました。毒親のせいで麻痺して自我がなく、何を努力したら良いのか、どうしたら幸せになれるのかを全て人に聞かないとわからなくなってしまい、占い依存に陥るのがわかりました。 そこで毒親に育てられた方に特化した専門メニューを作りました。 まず毒親育ちの方は自己中な親のせいでイエスマンで自我がなく、好みのタイプがよくわからず、自分に告白してくる人としか付き合えない、友達も自分に声をかけてくる人にしか興味がない、でも寄ってくる人は男女問わず親と似たタイプの支配的なテイカーばかりで幸せになれないって人が多いですよね。また職業選びも親の言うとおりにしてるけど幸せを感じられない等、仕事、恋愛、人間関係など人生全般の迷子になってしまって生きづらいですよね 私自身も虐待サバイバーなので自身の経験も含めて、より的確にアドバイスを出来ると自負しております。【ちなみにこちらはカウンセリングではなく占いですので、親にどのような虐待をされたか、親への恨みつらみ等は記載しないようにお願いします。私も母に虐待されたことを思い出してしまいますので】 ①毒親に育てられたあなたへ労いと癒しの占いをします ②毒親は反面教師ですので毒親の真似はしないで下さい。どのような性格の人を目標に目指せばよいか占います ③どのような人物に自分から声をかけたり、友達になると良いのか占います ④どのような異性と相性が合うのか、どのような異性と恋人になると良いのか占います ⑤どのような仕事が向いているのか占います ⑥休日はどのように過ごしたり、どのような趣味を持つ
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迷いの原因

おはようございます*^^*安心の中で自由に寛いでいられることってとても豊かなことですね。必要であれば必ず与えられるし(自分の都合とは限らない)今ここに広がっているものはどうあがこうと、これが全体の正解。これを曇らせるのが人皆に備わってる自我という働き。自我もまた悪いものではなく全体から現れているものなのですが多く私たちはそれが本当の自分の声だと思い振り回されているのですね。常に”何かしなきゃいけないんじゃない?このままではダメなんかない?”そうささやいています。それにより、もっともっとと私たちは外に向けて気を向けてきたのです。今ここから常に離れてきました。もう振り回されるのも充分ですよね。前回の記事にしたけれどもう一つの視点に気づかれてくるとその自我の声は本当ではないことただ、湯気のように湧いてきてるものだと観えてきます。迷わされない惑わされない・・・・自我という仕組みなのでその視点が生まれても変わらず湧いてくるものは湧いてきます。でも相手にしなくなる。無視すればいい。え?そんなことしていいの?とまた囁きかけるかもしれません。大丈夫です。その声を無視できるようになれば今ここの穏やかさ、安らぎが少しずつ顕わになってくることでしょう。もう一つの視点は特別でもなんでもありません。ずっとあったものだから・・・もっとこうしなきゃだったり外に求める特別さや、知ろうとする動きがそれを隠しています。物質も精神的なこと、知識もここからは全て同じ。もうそれらに疲れたらそこに寛いでみませんか?そとに求めても、何かを知っても終わりはありません。ずっと外に求め続ける動きが起きて彷徨い続けます。これでいい
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意図すればアップデートされ💞次の瞬間には新たな自分に

私達の意識は繋がっていて 皆が一つ の世界😄💖そんな 意識の中 の世界上手く伝えられるか分かりませんがとても大切だと感じたので❤️‍🔥私の体験談をシェアします。意識の世界を 言葉に置き換える のは難しいですが経験者であれば、言わんとする事は伝わると思います。この記事がこれから体験する方にとって、足掛かりになればとの願いを込めて🕊✨〜ワンネスの意識フィールドで感じた事〜そこで見た、自分の選択とは 別の選択肢 の数々そのどれもが 等しく可能性を持ち 存在しているどの選択肢も ただそこに存在している そんな感じの空間。良いも悪いも善も悪も正しいも間違いも非難も賞賛も受け入れる、そんな意識さえないそこは、人の持つ エゴという感情が入り込む手前に在る 純粋な領域そして その意識の領域と繋がった 私の自我は穏やかなもので自分の価値観や、思い、自分の選択とは別の 全ての意思 に対しただただ 認識している そんな感覚でした。これ迄 自分と違う 相手の意思を尊重しようと思ってもウィルスが変異したって言ってるのに変異する以前に造られたワクチンを打つ意味が分からない。反ワクだけど、予防の為にイベルメクチン飲んでるって意味が分からない。そんな 批判的な感情 は抱えたまま💦その感情に対し感じる不快感この 不快感❤️‍🩹 は、本来の自分からズレてるサイン答えは 自我 を超えた所に在りました意識が広がっていった、その先に…自分に必要な 何か が養われ、意識が広がると自分とは違う、自分とは別そんな 誤った認識 が解けていく自我が生じる以前の 私達は一つ その意識の世界その空間に 意識が達した瞬間 様々な事が分
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#10.«「笑わないで!」»の、姪の意思表示から教わったこと

こんばんは!詩織です^^*昨日のお話は我が親戚の私の見解で『おとしだまについて』論を書きました^^今日もお正月の話で、【姪との交流の中】でこれは…!【私が小さい頃抱いていた思いと違和感】の正体だったのかな?と思ったことを書いてみたいと思います。お付き合い下さったら喜びます^^♡*姪は、我が家にとってじいじばあばには初の孫であり、初の姪です。兄弟もまだいません。私にとっては育て方が少し厄介だったかもしれないじいじ(父)、そしてばあば(母)。だけど、私との関係も修復できてきた今私も姪が可愛い^^♡ばあばは姪を大好きで、姪もばあばにぞっこんです*^^*私は、今の時代の子育てに関心があり、(ボランティアもしていました。)姪の一挙一動に反応し分析すぎてしまうところもあります(私のHSP気質な部分からでもあります。)姪は可愛くも、ユーモアのある子でわたしたちも笑顔にしてくれます。^^でも、人間なので、もちろん«笑わせようとしてない時間»も多くあるはずです。«その時間»に、わざと や 悪意があるわけではもちろんなく、でも『笑ってしまう(・常に笑顔、・たまに笑い声)』のが、わたしたちじいじ、ばあば、わたしです。(でした。)でも、姪はまだ抑えられこむことなく、自我が芽生え自由に発言できている時期、環境にいるのでわたしたちが笑ったときに、【笑わないで!】【何笑ってんのよ】【なんで笑うのー!!】と意思表示してくれていました⚠️🕊わたしは気づいた、というかおもいがフラッシュバックして姪の気持ちに気づいたんですよね💡🌿わたしたち姉弟が母方の実家に親戚で集まると、【どこの要素で笑っているのかわからないのに
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#16:あなたの『心の向き』は? ~プライドと自我の違い~

たけやんです。  自分の成長のため & 情報のアウトプットを目的に、ブログをはじめました。まったり更新する予定です。 これを読んでくれた方に、少しでもプラスとなる事があれば幸いです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今回は、心理学に関するお話で「プライド」と「自我」の違いをお話し致します。多くの人が「プライド」という言葉に馴染み深く、よく使われていると思います。主に人間関係において、「プライドを傷つけられた!悔しい!」とか、「自分にだってプライドはあるから、そこは絶対に譲れない!」といった風な使い方をされた経験はありませんか?(かく言う私もそうです^^;)この場合の「プライド」が意味するものは、 ・自分の人格(自分なりに考える、人としてのあり方) ・自分の自信(これだけは負けない!という知識や能力)など、主に『プライド = 自尊心や誇り』という認識ではないでしょうか。ですがこれ・・・正確に言うと「自我」になります。その違いについて説明しますね。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【自我 = 利己的な考え方】 自我とは、オーストリアの心理学者であるジークムント・フロイト(1856/5/6~1939/9/23)によって提唱された「人間の心の構造」を説明する概念の一部です。詳細は割愛しますが、ざっくり説明すると『自分本位、自分第一』であり、 ”利己的な考え方” と言えば分かりやすいでしょうか。(例:自分だけが親を独占したい。人にチヤホヤされたい、得したい。   とにかく自分だけを優遇して、愛して欲しい・・・といっ
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【伝えたい真理(しんり)の話】

心は2つの心があって、一つは気づいてる心、もう一つは、考える心です。(考える心=思考と捉えて良いと思います。) もう一つの真理は、心は真偽を見極めることができません。 そして、その考える心と動物脳(本能)が繋がっています。 人間は、みな平等に動物脳(本能)を持って生まれてきます。 動物脳(本能)は、2つの目的があり、一つは、生存、もう一つは、獲得です。その基盤は、恐れです。 そして、動物脳(本能)=自我(エゴ)であり、無意識に密かな快楽を得るために、ネガティブな事をやります。(覚醒した人が教えてくれた真理です。) 無意識がポイントです。気づかずにネガティブ(恥、罪悪感、無感動、深い悲しみ、恐怖、欲望、怒り、プライド)に繋がることをやって、密かな快楽を得ています。 快楽は、喜びから得ることができます。セロトニンやエンドルフィンの幸せ脳内物質です。 動物脳(本能)=自我(エゴ)からの考える心の司令は、本当のわたしではありません。 気づいてる心が本当の<わたし>です。 本当の<わたし>は、愛が基盤です。 自我(エゴ)に気づいて、自我(エゴ)とたたかわず、放棄しましょう。 日本では、2020年2月から、コロナパンデミックの流れとなり、どうしてここまで簡単にほとんどの人が洗脳されるのかを探究してきました。結果、支配者側は、メディアを使って恐れさせることをすれば、自動的に、動物脳(本能)=自我(エゴ)が無意識に反応してネガティブな流れとなることを知っているんだという事に気づきました。『I<わたし>真実と主観性』の本のおかげさまです。 上で書いてるように、心は真偽を見極めることができません。
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幸福の4段階

幸福を4つに分類した説明を知り、考えてみました。まず、雲黒斎さんの動画を一部要約・引用します。気になった方は、YouTubeで検索してみてくださいね。【ゲリラ配信】雑談アワー「幸福論」です。・・・・・オショーの著書『Joy』では幸福とはなんぞやが語られている 幸せには、4つの段階レベルがある 1快楽 体に依存したところに浮かび上がるもの 2幸せ 体以外の状況における依存で感じられるもの     物質から精神に入ってくるもの 3喜び クリエイティビティに関わる幸福 4至福 悟り、きづき、ゼロを見出した感覚 1の快楽、2の幸せは本質的な「しあわせ」ではない 様々なところに依存しているという状態に幸せというレッテル を貼るから3の喜びで質が変わる 4の至福は状況に依存しない意味合いでの幸福の感覚を経験している段階 悩みと幸せは表裏一体 で、何かに悩む、喜ぶとは、3つの軸に対しての一喜一憂している 1つは経済的な問題 満たされていない、満足している 2つめ、人間関係 整っているのか、乱れているのか 3つめは健康状態 快適か、痛み・障害があるか どれもが、1の快楽・2の幸せへの依存によって生まれている幸せ 比較という感覚の世界で浮かび上がる幸せ お金があったら幸せ、パートナーがいないと不幸せ 身体が不調だから不幸せ 内側の問題ではなく、外側にその軸を預けている 内側の在りかたではなく、外の状況の変化 に委ねている…・・・・・自分が今、何を求めているのか、幸せの4分類のどこに当てはまるか考えると、面白いですね。快楽やモノに依存した幸せが悪いわけではないです。それに着目して、それを楽し
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思考を観察しているのが本当の自分なのか?

こんばんは。「自己観察」お聞きになった事ございますか?思ってる事、考えてる事、動いてる身体、これらを観察するのです。効果的な人は結構な割合でいらっしゃいます。ですが...そう、「ですが」なのです。感情や思考と同一化してる所に距離を置き、俯瞰して観れる様になるメソッドですね。「メソッド」を妄信してしまうと、肝心な事を見落としてしまいます。これを出来るようにならないと...以前に書いた「モテる様になる為には痩せないと」と一緒ですよね。で、何が言いたいのかと申しますと観察する必要は無いを言いたいのです。感情や思考は勝手に湧き出てきます。オートマチックですね。勝手に音は聞こえるし、勝手に目はタイプの人を探すし、それによって「あの人イケメン!!」とか「彼女いるのかな?」とか勝手に思考は動きます。勝手にね。それに貴方は意味付けをする。例えば「あーんなにイケメンだから私なんて無理か」とか「顔はいいけどケチっぽいな、なんか匂うぞ?」とか。「また会っちゃった!もしや運命か?」「みずがめ座っぽい」果てしなく脳は動く。今までのデータからはじき出された思考がね。それに伴って感情も加わりリアリティが増す。臨場感満載。同じ彼を見て私なら「なんだあいつじろじろ見やがって」とか「あいつ山羊座だな」「あ?ストーカーか?警察ー!!」となるかも知れませんではないか。これが人生と呼ばれているやつです。オートマチックに動いてるやつです。実態は無いのです。非常に駄作のフィルム映画なのです。貴方はそれではないのです最初からそれらは幻想だったと知る事です。メソッドしている自分と思われるのも幻想だったのだと知る事です感情でも思
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子どもの自我と付き合う

子育て大好きステキなあなたへ 自我の目覚めっていつから始まると思います? 実は0歳後半から始まってるんですね。 1歳から2歳にかけて自分がしたい事が、通らなかった時、腹を立てて泣きます。 しかも、かなり激しく・・・・。 「ギャー!」「うぇーん!」 手足バタバタ! たまに物に当たったりします。 手の付けようがない・・・。 大人は「も~!」思いますが実はこれ、かなり心が成長してるんですね。ここは肯定的に「おっ、成長したな」ととらえてもよいのではないでしょうか。 この時期から、「自分」を作り出します。 自分でやりたいことが増えれば増えるほど、自分で出来ない事が、多くなってきます。そしてこの出来ないことへの苛立ち・・・。 そして、自分以外の人間が介入することでできない事もあります。これが多いんではないんでしょうか? 大人の思いと子どもの思いの食い違い・・・。 大人は子どもがしたい事に少し耳を傾けてみてはどうでしょうか? 聞くことで、解決の糸口が見つかるかもしれません。 「押してもダメなら引いてみな」ということわざがあるように、一歩引くことで、子どものしたい事を引き出し、冷静に判断できますね。 子どもは自分の思いを理解してほしいので一歩も引きません。 ここは大人が一歩引いてみると「そうだったのね。」共感することができ、お互いに解決できます。 「押してもダメなら引いてみな。」 一度試してみてはいかがでしょうか 今日もすくすく育ってくれてありがとう
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大我の意識、世界へと還る遠隔法術ヒーリング-5

自我としての自分や世界から、人の意識の奥深くに ​ ​ 元々存在している大我の意識や世界へと還ることを ​ ​ テーマとした遠隔の法術ヒーリングをお届けします☆ ​ ​ ​ ​ 人の自我意識は愛されている、愛されていない、 ​ ​ 恵まれている、恵まれていないといった条件や概念を ​ ​ 独自に作り出して、満たされていない、欲しい、不足感、不十分 ​ ​ といった自分で自分を苦しめて、傷付けて、生き辛い状態へ ​ ​ 追い込む時間や世界を生み出し続けます。 ​ ​ ​ ​ この永遠に満ち足りることがないループから出るには、 ​ ​ 本来地球で過ごす時間は自身が体験したいストーリーを ​ ​ 遊び尽くすために完全に構築されている世界であり。 ​ ​ ​ ​ 今完全に愛に満ちた世界の中にいる、常に今楽園の体験をしている、 ​ ​ 今現れている世界を受け入れて味わい尽くすこと以上に ​ ​ 幸せなことはないと感じている大我の意識や世界へと ​ ​ 還ることが最も根本的な要因になると思います。 ​ ​ ​ ​ そんな時機が来ていると思われる方は、 ​ ​ ヒーリングのエネルギーを受け取ることを意識しながら、 ​ ​ リラックスして動画を御覧下さい(^-^) ​ ​ ​ ​ 今回は川の流れや音をメインに撮影しました☆ ​ ​ ​ ​ 撮影して欲しい風景をリクエストしてもらえれば、 ​ ​ 可能な範囲で、その条件に合う場所を探しますので、 ​ ​ リクエストもお気軽にどうぞ。
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遠隔法術ヒーリング動画 新しい展開、変容が起こることを許可する

次の遠隔の法術ヒーリングの動画を作成しました☆ ​ ​ 今回は自我さんには受け入れ難い、 ​ ​ 理解し辛い厳しいメッセージでした(^^;) ​ ​ ​ ​ 動画を見ようと思った時に見ると、 ​ ​ 受け取るべき影響やメッセージを受け取れると思います^^ ​ ​ ​ ​ パソコンで見る方は画面を大きくする方が見やすいです。 (文字が小さく見える方には申し訳ないです^^;)
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自我人格の癖

世間の風潮やこれまでと今の人間関係の影響で、 ​ ​ 無意識にするのが当たり前、した方が良いと信じて止まない、 ​ ​ 自我人格の癖や記憶の影響が人の中には存在する。 ​ ​ ​ ​ 家族関係、お金、仕事、学校、家事、育児などが代表例だが、 ​ ​ いずれにしても一方的な視点しか持てない、 ​ ​ 偏った反射的なエネルギー反応が出る箇所は、 ​ ​ 全て自我人格の癖で、管理体・本体の意識とは異なる。 ​ ​ ​ ​ しかし、このエリアに対しては ​ ​ 普通に生きていると疑う機会を持つことがなく、 ​ ​ 疑うとしても大衆や一般的な時代の風潮から ​ ​ 大きく外れることになり兼ねないため、 ​ ​ 自我人格の視点から見ると非常に勇気を要するテーマ。 ​ ​ ​ ​ 時間や心のゆとりに最も関係している部分でもある。 ​ ​ ​ ​ こういうテーマと向き合う人は人間としての意識や、 ​ ​ 人間としての世界、地球アトラクションからの ​ ​ 離脱のタイミングが訪れている方達だろうか。 ​ ​ ​ ​ そこから離脱していくと一部の似たような流れの中にいる方達に、 ​ ​ 連鎖的に新しい可能性と喜びの光が波及するため、 ​ ​ 普通に生きていると疑う意識すら出て来ない ​ ​ 自我人格の癖を解かすことにトライしてみては如何でしょうか?
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不安定の至福

自我人格は理想と安定を思い描き、手に入れようとする。 ​ ​ ​ ​ 努力した結果、形になることもあれば、形にならない場合もあるが、 ​ ​ 形になった瞬間、最高の喜びが湧き上がってきたかもしれない。 ​ ​ ​ ​ しかし、その後の展開を覚えているだろうか? ​ ​ ​ ​ めでたしめでたし・・・。 ​ ​ ​ ​ そう心から思い続けられるような現実を迎えた経験が、 ​ ​ 正直記憶の中に存在しているかと問われると・・・。 ​ ​ ​ ​ 恐らく皆無と答えても言い過ぎではない。 (自我人格視点の場合) ​ ​ ​ ​ 恋愛や結婚で両想いで付き合えたけど、 ​ ​ 後々にイメージと違う体験をして苦い思いをする。 ​ ​ ​ 恵まれた幸せと自由と名誉と家族を得たけど、 ​ ​ 子供やパートナーに愛想を尽かされる、家庭崩壊する。 ​ ​ ​ 莫大なお金(宝くじとか)を手に入れても支出や生活水準が高まって、 ​ ​ 更に金銭で苦労する、お金稼ぎゲームにより縛られる。 ​ ​ ​ ​ これらはよく見られる事例だが、 ​ ​ 自我人格にとっては非常に意地悪で酷なゲーム内容が組み込まれていて、 ​ ​ 自我人格の持つ理想や安定を思い通りに実現することはできない罠が仕掛けられている。 ​ ​ ​ ​ 原因は地球アトラクションの進行権限と決裁権を持つ管理体の人格は、 ​ ​ 理想がずっと続いていく安定を求めておらず、 ​ ​ 自我人格は管理体の人格には逆らえないため。 ​ ​ ​ ​ 管理体の人格は体験そのものと体験の連続から紡がれるストーリーそのものを ​ ​ 至福としている関係上、安定とい
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思い違いと悟り

地球アトラクションの進行権限や決裁権を持つ管理体と、 ​ ​ 体験から後天的に創られた自我人格の温度差は凄まじい。 ​ ​ ​ ​ 自我人格は実創造、実現、成長、改善、解決といった、 ​ ​ 特定の良い結果を得ること、特定の良い結果から満たされるイメージを見ている。 ​ ​ ​ ​ それに対して管理体の人格にはそういった概念が存在していない。 ​ ​ ​ ​ 事前に希望して注文した地球アトラクションでのストーリー体験を ​ ​ 確実に遊べる状況が常に日々展開されていくことが確約されている関係上、 ​ ​ これ以上創造、実現、成長、改善、解決などの行為を加えることができないため。 ​ ​ ​ ​ 展開された体験そのものと、その体験の連続から紡がれる ​ ​ ストーリーそのものに至福を見ている。 ​ ​ ​ ​ 両者の見ている方向が全然違う上に、物事の決裁権は管理体の人格が持ち、 ​ ​ 日々生きている上で人々は自我人格の方を自分だと信じるのが通常。 ​ ​ ​ ​ 人間として生きることになった者達からすると、何ともややこしく、 ​ ​ すぐに解説書を寄越せと主張したくなる衝動に駆られるかもしれない。 ​ ​ ​ ​ 地球アトラクションの目的を考慮すると、管理体の人格の正体を ​ ​ 正確に全て把握することは禁止されていると考えられるため、 ​ ​ この解説書を取り寄せることは厳しいと思われる。 ​ ​ ​ ​ けれど、視点を変えると、生きる時間が ​ ​ 非常に気が楽になる観点として見ることもできる。 ​ ​ ​ ​ 自我人格は創造、実現、成長、改善、解決などの概念を重視して、
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探求の終わり

現代では自我人格を主役として扱い、 ​ ​ 自我人格としての想いを自己として認識する傾向を持ち、 ​ ​ その自己に主導権が与えられていると思って ​ ​ 生きている命が大半を占めているようです。 ​ ​ ​ ​ 目にする情報、耳にする話、 ​ ​ その多くが自我人格の性質に向けられた、 ​ ​ 自我人格が心地良くなるための内容でしょう。 ​ ​ ​ ​ 健康、お金、人間関係、恋愛、美容、仕事など、 ​ ​ 分野を問わず、自我人格にとって何かしら都合の良い、 ​ ​ メリットが多いと感じられる自己実現に関する話。 ​ ​ ​ ​ 好き嫌い、居心地が良い、悪い、合う、合わない、 ​ ​ 幸、不幸、向いている、向いていないといった、 ​ ​ 不平等的な感性を持って生きている自我人格からすると、 ​ ​ とても食い付きやすい内容です。 ​ ​ ​ ​ そこに行くと快適な状態が手に入る、もしくは不快な状態を解消できる ​ ​ 予感を感じさせられるからでしょう。 ​ ​ ​ ​ ただ、地球アトラクションの進行の権限を持っている ​ ​ 管理体の方の自分からすると、そのような時間の中に ​ ​ 目的の体験、味わいたい感覚は存在していないようです。 ​ ​ ​ ​ 現在過ごしている時間の中に目的の体験や感覚が展開されており、 ​ ​ その存在と至福に気付いて欲しいという主張を持っています。 ​ ​ ​ ​ そして、物事の決裁権は自我人格の自分ではなく、 ​ ​ 管理体の方の自分が所持しています。 ​ ​ ​ ​ この食い違いが地球で人間として生きる時の ​ ​ 生き辛さと密接に関係していると
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真理の喜び、真理の世界

自我人格が忌み嫌っている傾向のある負の要素。 ​ ​ ​ ​ それらも地球のアトラクションを完全に機能させ続けるための ​ ​ 歯車として存在し続けているもの。 ​ ​ ​ ​ 共生することを望まれているもの。 ​ ​ ​ ​ 本来は解決して無くそうとするものでも、 ​ ​ 払い除けて避け続けようとするものでも、 ​ ​ 敵役としての立場でもない。 ​ ​ ​ ​ 自我人格にとっては最も苦手で厳しいことかもしれないが、 ​ ​ 現在体験している世界、現れている光景が ​ ​ 等価値の存在として映るようになってくる時。 ​ ​ ​ ​ なりたい、欲しい、叶えたい、 ​ ​ 避けたい、解決したい、何とかしたい、助けて欲しい、 ​ ​ というような自我人格の生きる動機が薄れていく。 ​ ​ ​ ​ 現在の時間に在るということだけで満ち足りてしまい、 ​ ​ もう何をして良いのかが分からず、 ​ ​ 存在の動機が全く異なるものに変化する。 ​ ​ ​ ​ 人々がこのような状態になった時、 ​ ​ 皆は一体何をしていく? ​ ​ ​ ​ 自我人格が思い描く世界が出現するかどうかは場合によりけりだが、 ​ ​ この地球アトラクションの目的が果たされる ​ ​ 天然の世界に返されていくことになるのは確か。 ​ ​ ​ ​ 価値に差を付ける自我人格の感性が等価値を感じられる感性に戻り、 ​ ​ その上で体験することになる時間が各々による、 ​ ​ 各々のためだけに用意された真理の喜び、真理の世界。
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電子書籍 第152弾【自我を越えた究極の境地~自我を越えることで感じられる可能性~】

はじめに 新しい時代に合わせていくには 古い固定観念を壊し 新しい発想をしていく 必要があるのですが 古い固定観念というのは 簡単に壊せそうで壊せないのです。 なぜ古い固定観念を壊すことが 簡単ではないかというと 古い自我と一致しているからなのです。 自我というのは 自分なりに築いてきたことであり その自分なりに築いてきたことを 壊すことが、簡単ではないのです。 自分なりに築いてきたことが 時代に合う、合わないに関係なく 壊すことに抵抗感を感じてしまうのです。 自我を壊すというのは リセットをするような感覚であるので 苦しさを感じてしまうのです。 その苦しさに耐えられないことを どこかで感じているので 古い自我を壊すことを ためらってしまうのですが 古い自我を壊さないことには 新しい自我が芽生えてくることはありません。 古い自我さえ壊すことができれば 固定観念に縛られることなく 新しい時代に合わせることができます。 私たちの自我が 大きなネックになっているのです。 自我を越えた境地というのは 古い自我が壊れて 新しい自我が芽生え その自我が育った 境地のことをいいます。 新しい自我を 芽生えさせることができれば 自然に自我を越えた境地に 至ることができます。 自我を越えた境地で 歩むことができれば 自分の実力以上の力を 発揮することができ より大きな目的を目指す歩みが できるようになります。 今の時代、これからの時代に必要なのは より大きな目的を目指すことなのです。 なぜなら、時代、環境が 成熟しているので 建設していくことが 求められているからです。 成熟した時代、環境という
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【変化を深く悟る】

日常的スピリチュアル、安田です。 変化というのは ある日突然のように起こり 強制的に起こることもあります。 その変化によって 違和感、居心地の悪さ 感じたくない感情 葛藤することがありますが 強制のような変化によって 早まることがあります。 変化の真っ只中では 心理的な余裕がないのですが 変化を深く悟ることで 結果として導かれていることを 感じることができます。 とくに、自分の力だけでは どうにもできない変化というのは 経験、体験したくないことを するしかないように導かれていきます。 自分にとっては したくない経験、体験であっても 成長のために与えられることがあります。 何が自分に必要なのかは 分かるようで分からないのです。 大抵の場合 自分の都合を基準にして 必要なことを考えてしまうのですが 必要なことというのは 自分の都合が基準ではないのです。 宗教的に言えば 神様の都合によって 導かれているので その都合には、否応なしに 合わせていくしかないのです。 中には、自分の願うように 思うように歩んでいる人もいますが 意識的だろうが、無意識的だろうが 何らかのことを悟っていて その悟りのままに 歩んでいるのです。 願い、思いと悟りが 一致している場合は 自分の願いのまま 思いのままに歩めるのです。 変化というのは 良くも悪くも 厳しさがあります。 その厳しさによって 転換ができるのですが 転換されることで 深く悟ることができます。 時代の転換期というのは 環境の変化によって どうにもできないことに 葛藤するようになります。 その葛藤によって 古い自我を壊すことができ 新しい自我の
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【心理的な免疫】

日常的スピリチュアル、安田です。 今の時代の試練は 内的な試練、精神的な試練が 強くなっています。 環境が成熟すればするほど 内的、精神的な試練が 強くなっていくので 精神的な強さ、免疫が 必要になっていくのです。 免疫というのは 負荷をかけることで 身についていくのですが 負荷をかけることを 避けようとする人が多いのです。 自分で先に負荷をかけておくことで 多少追い込まれることがあったとしても 難なく乗り越えることができるのです。 身体の免疫は 運動をすることで 身につけることが できるのですが 心理的な免疫は 学ぶことと瞑想の習慣で 身につけることができます。 とくに瞑想の習慣は 心理的に負荷をかけることができ より免疫を身につけやすいのです。 いつの時代の人でも 楽をすることばかりを 考えているのですが 楽することばかりを 求めてしまうと 免疫が身につかないのです。 負荷をかけることは 苦しいことなのですが 与えられる苦しさよりも 苦しさを求めることの方が 精神的には楽なのです。 免疫を身につけなければ 精神的に追い込まれることで苦しくなり どうにもできなくなることで 苦しくなってしまうのです。 成長するためにも 苦しさは必要ですし 努力をするというのは 苦しいことなのです。 なので、苦しさからは 逃れようがないのです。 先に免疫を身につけるために 苦しさを感じるか 後から追い込まれて 苦しさを感じるかの 違いだけなのです。 何をするにしても 楽してできることはありません。 努力をしなければ 何も満たされなくなり 空しさで苦しくなるし 何も目指さなければ 精神的に病んでし
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【使命が与えられる背景】

日常的スピリチュアル、安田です。 使命というのは 自分で悟ることではあるのですが 与えられることでもあるのです。 与えられることであれば スムーズに悟りたいのですが 使命を悟るのに 時間がかかってしまうこともあります。 使命が簡単に悟れないのは 自分なりに築いてきた 自我があるからなのです。 本来は、自然に 使命が悟れたのですが 自我が芽生えてくることで 自分なりの基準で 築いてしまったのです。 自我が芽生えることは 成長段階に必要なことなのですが 本能を基準にして 自我を築いてしまい 本来の自我を 芽生えさせることが できなかったのです。 なので、使命を悟ることが できなかったのです。 悟りの境地に至るには 自我を壊すことが 必要なのですが 自我を壊すというのは 生みの苦しみを 感じるようになります。 今まで自分なりに 築いてきたことを 壊していくので 苦しみを感じるのです。 悟りの境地に至るのが 簡単ではないのは 生みの苦しみに 耐えられないからなのです。 生みの苦しみというのは 感じたくない感情に 耐えることであり 耐え切ることで 転換することができ 悟りの境地に至れるのです。 悟りの境地に至れば 自然に使命を悟ることができ 使命を全うすることに 集中、投入することができます。 悟りの境地に至っても 葛藤はするのですが 葛藤しても思いを越えて 歩み続けることができます。 いくら悟っても 葛藤することからは 逃れることはできません。 葛藤しないようにすることは できないということです。 使命は自分で悟ることなのですが 与えられることでもあるので 使命が与えられる背景を 知る
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【「孤独でいい」という許可を出す】

日常的スピリチュアル、安田です。 孤独は感じたくない感情なので 悪い感情のように 捉えてしまうのですが 孤独を感じることは 悪いことではないのです。 感じたくない感情によって 古い自我を壊すことができ 新しい自我を芽生えさせることが できるのです。 自分を変えるというのは 生まれ変わることなので 産みの苦しみを感じるのです。 一人で歩んでいても 孤独を感じない人は 生まれ変わることは できないのですが 孤独を感じて 感じたくない感情を 感じるというのは 生まれ変わることができるのです。 今は多くの人が 孤独を感じています。 現実的に集まることが リスクになっているので 一人で歩むしかないので 鎖国人のような環境になっています。 みんなと仲良くしながら 感情を流しながら 歩んできた時代は 終わったのです。 孤独を感じながら 歩むしかない時代になることで 生み変えられていき 産みの苦しみの中から 新しい自我からの 歩みができるのです。 孤独は感じたくないのですが 「孤独でいい」という 許可を出してください。 感じたくない感情を 許可することで 耐えることができるのです。 湧き上がってくる感情を 耐えるというのは 最も苦しいのですが 苦しいからこそ 生み変えられるのです。 時代が変わることで 環境が変わり 環境が変わることで 人の心理も変わってきます。 時代の環境に合った 心理に変化していくのです。 心理の転換には 産みの苦しみが 必要なのです。 多くの人は 「自分を変えたい」と 願ってはいるのですが 産みの苦しみを感じないで 変わることを願っています。 残念ながら 産みの苦しみを感
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【瞑想の習慣によって手放すことができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 瞑想を習慣にすることが できるようになれば 心霊が満たされるようになります。 心霊が満たされることで 手放す感覚ができるのです。 瞑想は習慣にするまでが 大変なのですが 習慣にすることが できるようになれば 雑念が流れていき 心霊が満たされるのです。 心霊が満たされることで 無駄に感じることを 手放すことができるのです。 多くの人は 無駄なことを抱えてしまい 執着してしまうのです。 無駄なモノを抱えたり 無駄なプライドに執着してしまい 肝心なことを見失ってしまうのです。 瞑想の習慣によって 心霊が満たされるので 何が必要で 何が不必要なのかが 直感的に分かるのです。 心霊が満たされることで 直感が鋭くなるのです。 直感の鋭さによって 必要な方向に導かれていくのです。 私たちが 本質的に求めているのは 心霊が満たされることなのです。 心霊が満たされることで 何でもできるような気がして 最善を尽くす歩みができるのです。 基準高く歩める人は 心霊が満たされているのです。 義務や強制では 長くは続けられないし 歩めば歩むほど 苦しくなっていきます。 心霊さえ満たすことが できるようになれば 勝手に努力をすることができ 基準を上げる歩みが できるようになります。 瞑想が続けられない人は 心霊が満たされる境地にまで 至っていないのです。 雑念に悩まされている段階で 挫折してしまうのですが 非常に勿体ないのです。 雑念で悩んでいる時期は 雑念を流している時期でもあるのです。 雑念に悩まされるのは ありのままの自分と向き合うことに 恐怖を感じているからなのです
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【葛藤、違和感、居心地の悪さから成長ができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 感じたくない感情は 誰でも避けたいのですが 感じたくない感情から 成長ができるのです。 外的な環境が 成熟することで 内的な生みの苦しみを 感じやすくなるのです。 葛藤、違和感 居心地の悪さというのは 内的な生みの苦しみのために 与えられています。 与えられていることは 必要なことなので 与えられるのです。 成長、成熟していくには 今まで自分なりに 築いてきた自我を 壊さないといけないのです。 どんな人でも 自分なりには 頑張っているのですが 与えられた使命の基準からは 程遠い場合があります。 使命を全うできるように 導かれるようになると 必要なことが与えられます。 その必要なことが 時として苦しいことが 与えられるのです。 使命が大きい人は 試練も大きいので より葛藤、違和感 居心地の悪さが 与えられるのです。 内的な試練が苦しいのは 逃げようがないからなのです。 環境を変えることが できたとしても 試練は続いていくのです。 一時的には 避けることができても 転換ができるまで つきまとってくるのが 内的な試練なのです。 外的な環境は ある意味、時間が経てば どんどん変化していきます。 他の人が環境を 変えてくれるので 時間さえ経てば いつの間にか 変化しているのです。 ですが 内的な転換は 一人一人で 転換する努力を していかないと いけないのです。 自我を壊すしかない環境が 与えられることもありますが 与えられた環境の中で 努力をしていくのは 自己責任なのです。 外的な環境が 成熟すればするほど 内的な葛藤、違和感 居心地の悪さを より感じ
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【葛藤することを恐れない】

日常的スピリチュアル、安田です。 葛藤は居心地が悪いので 避けたくなるのですが 葛藤することで 転換ができるのです。 転換には葛藤が 必要なのであり 葛藤しなければ 転換ができないのです。 私たちは居心地の悪さ 感じたくない感情は 反射的に避けたいのですが 転換には生みの苦しみが 必要なのです。 今までの自我を 壊していかないと 新しい自我を 芽生えさせることは できないのです。 葛藤することは 違和感を感じますが 違和感を感じることで 自我を壊すことができます。 自我の壊しは 最も苦しいのです。 それこそ 内的には死ぬような 境地になるのですが 自我を壊すことで 本当の自我が芽生えて来ます。 本当の自我を 芽生えさせることで 本来の基準で歩むことが できるようになります。 ただ、現実的に 本当の自我を芽生えさせるには 生涯をかけても できるかどうかなのです。 私たちの葛藤というのは まだ序の口の葛藤なのです。 小さな葛藤から 成長段階によって 葛藤が大きくなるのです。 というと 何となく絶望を感じますが 葛藤することは 避けることができないのです。 葛藤すればするほど 生まれ変わることができ 本当の自我が 芽生えてくるのです。 生みの苦しみを まともに感じていたら 身が持たなくなるので 客観的に観察できる力が 必要なのです。 自分の心理状態を 客観的に観察するために 瞑想の習慣が必要なのです。 瞑想の習慣によって ありのままの自分を 観察することができ 自分の心理を 客観的に把握することが できるようになります。 葛藤していることを 客観的に観察することができれば 葛藤するこ
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【意志の力に期待しない】

安田です。 これからの時代は 一人で歩むことが 主流になってきます。 自分から主体的に学んで 実行して、努力をしなければ 何もやることがなくなります。 ただ待っていても 誰も何も指示してくれないので 受け身でいる人は 暇でたまらなくなります。 他の誰かがいたり みんなと同じことを やるとなると 多少の緊張感があるので 勢い的に歩むことができます。 集団の心理というのは 良くも悪くも 大きな力を 発揮することが できるのですが 集団に慣れてしまうと 一人になると より孤独感が強くなり 一人で歩めなく なってしまうのです。 一人で歩むには 意志の力に頼らないで 習慣の力を身につける ことを意識してください。 一人で歩めることは やっても褒められないし やらなくても叱られないのです。 誰の顔色もうかがう必要ないので 自己管理で努力をしていく 工夫が必要なのです。 意志が弱いという前提で 工夫をしていくことで 意志の力に頼らないで 歩むことができるのです。 習慣の力は ごく小さなことでも 毎日続けていくことで 身につけることができます。 意志の力では 継続はできません。 短期間で 一気に集中することは できるのですが 私たちの歩みというのは 短期の歩みではなく 長期の歩みになるので 継続が必要なのです。 自分の努力は 自分でやるしかありません。 他の人が 代わってくれることはないし 代わることもできません。 そして 努力をした分しか 身についていかないのです。 学んだ分 実行した分しか 知識も技能も 身についていかないのです
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ドラマのワンシーン

ドラマでは面白いが、自分に起こればたまらない。これが自我の成せるわざ。
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格言

理想を持ち、   信念に生きよ。 織田信長梅個性(大物):https://coconala.com/blogs/2722005/228651 松個性(城) :https://coconala.com/blogs/2722005/228889 桜個性(人) :https://coconala.com/blogs/2722005/228829 リズム意味 :https://coconala.com/blogs/2722005/215858 1000円クーポン:https://coconala.com/invite/B5QXX3
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自我を刺激して主体的な行動を促してみましょう

人間には自分を守る本能があり、その働きが強まると【自分を守るために新しい挑戦は辞めておこう】と前に進むのを躊躇させてしまいます。そうなると新しい経験は得られにくくなってしまします。自分から進んで主体的に行動を起こしていくものが【自我】です。このとき脳では自己報酬神経が働きパフォーマンスを高めます。命令、指示された場合と自分から進んでやる場合のモチベーションの違いはここにあると思います。自我を刺激する声かけが出来れば、ポジティブな行動を促すことも可能だと思います。
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心のトリセツ2

大空・大地のように大空のように 軽く自由な 心で 大地のように どっしりと 根を下ろした 体で 自然を教師として 生きるという 人間本来の 生き方が 思考ジャンキーに なっている 人間には 必要不可欠だと 身をもって 感じています
0 500円
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「生まれ持った真理」の一つが気づいている心 

生まれ持った真理はシンプルですが、シンプルがゆえに、我々人間の進化の中で複雑になってしまいました。その真理の一つが、愛が基盤の気づいている心を、みんな平等に持っているという事です。立ち位置が大事で、恐れが基盤の考える心の立ち位置ではなく、愛が基盤の気づいている心の立ち位置の意識からです。『気づいている心の気づきは自律的で、考えたり解明したりするのではなく、知っている状態を基盤にしています。言い換えれば、計算的ではなく、自発的に静かに機能します。「I<わたし>真実と主観性 P389」』
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身旺と身弱

身旺とは、他人の助けを受けなくても生きていける、自分自身が強い人です。自我が強いタイプです。身弱とは、他人の助けを受けないと生きていけない、自分自身が弱い人です。相手に合わせていくタイプです。命式を見て、日干が八専干支。月令を得ている。根がある。(日干と各地支の蔵干が同じ五行)十二運が強い。日干と同じ気が多い。(比肩・劫財・偏印・印綬などの通変星が多い)等になっていると、身旺といえます。逆に、日干が弱い。月令を得ない。根がない。十二運が弱い。日干と同じ気がない。(偏財・正財・偏官・正官などの通変星が多い)等になっていると、身弱といえます。   *身旺と身弱*
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直感力を身に着けるには我を捨てる事です

こんにちは。恋愛小説作家&占いサイト鑑定師の紫メガネです☆彡皆さん直感って誰でも持っているの知っていますか?何となく感じるとかピンと来たとか…そうゆうのは直感からです。直感が鋭い人とそうでない人の違いは「自我」の違いです。直感がさえない人は自我が強く欲が深いので、どうしても選択のミスが増えます。自我のない人は、頭で考えないで降りてきた直感で動くので選択ミスがないのです。物事は考えれば考えるほど過去の記憶にアクセスするので、本当の答えではなくなります。ピンと降りてきた事は神様からのお声でもあります。そのお声を信頼して進めば上手くいく事ですが、自我が強く欲深くなるとその声すら過去の声になってしまいますので違う方向へ行ってしまいます。脳から変わるスピリチュアル占いは、そう言った思考の癖も引き抜いて行けます。人はいつも頭の中であれこれ考えすぎています。先ずは考えすぎないで行動です。直感が冴えて行くように是非「脳から変わるスピリチュアル占い」をご利用下さいね。皆様からのご購入お待ちしております。
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