自我の作られた場所

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こんばんは。


秋の虫の鳴き声がとても美しいですね・・・
神秘的な感じがします。
鳴きたいだけ鳴く・・・
人は抑えてしまっているところあるかもしれませんね。
虫のように泣きたいとき、泣いてもいいですね^^
人だけが、”こんなことで泣くべきではない”とか
不自然なことしてしまっているのかもしれません。


最近、サラさんから、お客さまのお名前を間違えるという
失態が起きました。


電話ではなく、テキストの方だったので
書くということで、目にも見えてるはずなのに・・・
とても申し訳なかったです。


でも、これも”起きたこと”
なのです。


サラさんという自我が作られた場所は
両親、環境ですが、
”良い人であらなければならない”
”外から良く見られなければならない”


このような基準がまだ残っているようでした。
それがとても窮屈でもあったのですね。


名前を間違えるということが起きたことで
そのような基準からの想いが湧き上がりました。
この基準があれば、否定する想いが強く湧き上がることでしょう。


少し前に書いた
実家での失態も、上の基準にずれたことがサラさんから
起きたことで総攻撃を受けるという現象なのでした。


そのとき、感じ切ったことで
今回の出来事でも、うっっとはきましたが
心から謝ることと共に
さらりとその現象は流れていきました。


でも、まだ”良い人でいなければ”
”良く見られたい”という想いが
残っていたことにも気が付けたのでした。


良い母、良い友人、良い娘、良い人、優しい人、愛ある人・・・
その基準が重荷にもなっているみたいでした。


もうそれは手放そう・・・


ただその時の自然で在ろう・・・


ただの人
ただのいのち・・・


良い人でもなければ、愛ある人でもない
優しい人でもないし、
そうでないときもあるし、そんな時もある。


そのときの起きるがままに・・・・


作られたものが溶けていくひとときでもありました。






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