幸福を4つに分類した説明を知り、考えてみました。
まず、雲黒斎さんの動画を一部要約・引用します。
気になった方は、YouTubeで検索してみてくださいね。
【ゲリラ配信】雑談アワー「幸福論」です。
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オショーの著書『Joy』では
幸福とはなんぞやが語られている
幸せには、4つの段階レベルがある
1快楽 体に依存したところに浮かび上がるもの
2幸せ 体以外の状況における依存で感じられるもの
物質から精神に入ってくるもの
3喜び クリエイティビティに関わる幸福
4至福 悟り、きづき、ゼロを見出した感覚
1の快楽、2の幸せは本質的な「しあわせ」ではない
様々なところに依存しているという状態に幸せというレッテル
を貼るから
3の喜びで質が変わる
4の至福は状況に依存しない意味合いでの幸福の感覚を経験している段階
悩みと幸せは表裏一体
で、
何かに悩む、喜ぶとは、3つの軸に対しての一喜一憂している
1つは経済的な問題 満たされていない、満足している
2つめ、人間関係 整っているのか、乱れているのか
3つめは健康状態 快適か、痛み・障害があるか
どれもが、1の快楽・2の幸せへの依存によって生まれている幸せ
比較という感覚の世界で浮かび上がる幸せ
お金があったら幸せ、パートナーがいないと不幸せ
身体が不調だから不幸せ
内側の問題ではなく、外側にその軸を預けている
内側の在りかたではなく、外の状況の変化
に委ねている…
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自分が今、何を求めているのか、
幸せの4分類のどこに当てはまるか
考えると、面白いですね。
快楽やモノに依存した幸せが悪いわけではないです。
それに着目して、それを楽しみたいのだから。
ただ、それを行う中で、
何か清々しく実践することが出来なかったり、
鬱屈したような思いがあったり…
不快感があるのであれば、その部分を満たし、癒すことが出来ます。
また、4つの段階は、1が終わったら2といった、ステップではないでしょう。
すべてにまたがっていて、ある段階が充足していればその欲は弱まる気がします。
それには、個人の人格としてのエゴが満たされているかどうか
が大きいと思いました。
自分、個としての意識に強くひきつけられていると
体という自分をくっきり実感できるものから引きはがれにくくなるし
「自分」をないがしろにされるのを嫌がったり、
周囲と比較して自分を特別視したがります。
エゴが満たされるとは
今の、ありのままの自分でいいんだ!
を、マインドで無理強いせずに、心でも了解できていること。
そして、この感覚が強くなってくると、
3の喜びも気持ちよく追い求められるようになります。
ありのままの自分が生み出すものを、
純粋に、気持ちよく表出できるようになるのです。
4の至福はそのさらに上で。
見えるもの、周りのもの全てのありのままこそが最善最高で、
何を動かすことも、願うこともなく、
無理に称賛することも、謙遜卑下することもなく、
自分の中にあることをゆるす境地…
なのではないかと。
(私自身、その場所にいる感覚に確信がまだないので、推測ですが)
自分が追い求めているものが何なのか、
今自分が何をしているのか、
この幸せの4段階の話から、捉え、気づいていくことが出来ます。
ヒーリングスペースemoでもサポートさせていただけます。
今回の内容に絡めると、以下のメニューをお勧めします。
ご縁のあるかた、お待ちしています。