本性

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おはようございます。


今年も一年終わりですね~


ゆっくりどれだけでも眠れる自由があるのだけど
起きたくなるのですね。
朝日が出てくると、カーテンを開けたくなります。
植物たちにも浴びせたいって。


相方さんは睡眠の自由がほしいと
仕事がないときはお昼過ぎまで寝ています。


昔から、朝学校に決まった時間に行かなければと
決められてその自由が奪われてきたから・・・って


なるほどな~でした。
起きたいなと感じる時間はそれぞれ本当は
自然なはずなんだけど
私たちはそれがなかなか許されない世界に存在していますね。


もし、人の常識がすべて外されたとき
いのちの動きはそういうのも
バランスがとれそうな気がするのですよね。


そしてね、無事にiPhone不便なく使えているのだけど、
今迄は、”面倒だし、できないと不便だから誰かにやってもらおう”
というのが普通だったのでした。


今回も、相方さんや、娘、甥っ子、妹に
頼もうって、思ってたんだけど、
できることなのに、しようとしていなかったのでした。
今回は頼るタイミングがなくて・・・


後から相方さんから
”若いころ人は助けられないとわかった。認められたいという思いから
そういうことは一切しなくなった。
助けようとすると、依存を生んでしまう。
自立する力を奪うことになる”


こんな表現が起きて
愛を感じたのでした。
愛情と愛は違うとたしか、昔表現したような気がするけれど
私たちの本性は愛です。


愛は厳しさでもあるのですよね。
愛は助けないということではなく
助ける必要があるとき(本当に困っているとき)は
自然に頭を超えたところから
いのちの衝動は起きてくる。


癒してあげたい
助けてあげたい・・・
それも一見素晴らしいことだけど
本当の意味で関わる人の力を奪うことになるのかもしれませんね。


今回のiPhone設定という些細な出来事からも
そう感じました。


電機が苦手だというのも思い込みなことが多いかも。
毎日IHや、洗濯機、そういう電気製品はなんとか
使おうってどんな人も使えていますしね^^


そういえば、老子さんも
”ただ聴くに徹する”そのような表現されてました。
聴くという中で、~しようとする動きは静まり
ただただ必要な表現は起きてくるのですよね。
在る・・・


為そうという動きについついのってしまいがちです。
為されているということを忘れて・・・


眠る自由にしても本当は制限はないし、
またまた、力を奪うようなことはしない。
為されるままに・・・


ただただ在る。
それが本来のわたしたち。













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