自分を愛するという土台

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コラム
おはようございます。


生命そのものであるという感覚が思い出されてくると
緩んできます。


思考の中に無意識に入っているときは
そこからは離れてしまい、やはり
重さを感じます。
今こことずれるという感じ。


様々な経験が起きての今だけど、
やはり完全に自分を愛するというところが
土台の上に
この今の心地が現れてきたように感じています。


自他を愛そうとする必要もなく
愛しかなかったという心地。


生命だということも
愛だということも
表現方法の違いであって同じことを
指しています。


昨日も表現したけれど
様々な動きが先に起きているということは
私たちが介入できる隙なく
生命、愛の表現は起き続けてるということ。


そこに誰も判断する隙がないということですね。


自分や他人と表現されるものも
本当はその生命、愛
ひとつの表現で、分かれていない。


これを感じても
やはり、慣れ親しんだ私という感覚は
発動し、ジャッジが生まれることもあります。
そのときは
サラさん、それ、サラさんのフィルターだよと
いう気づきが起きてくるのでした。


ジャッジが起きることも
そのとき起きたこと。
それもまた生命、愛の現れですね。



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